天は自らを助けるものを助ける(上)-左翼は「かわいそうな人」を助けられない‐または連帯と相互依存の違いについて
映画「ヘルプ~心がつなぐストーリー」より 今のままでは今のまんま 武器の使い方を習得し、武器の使い方に習熟し、武器をもとうとつとめないような被抑圧階級は、抑圧され、虐待され、奴隷としてあつかわれても仕方がない ウラジーミ…
映画「ヘルプ~心がつなぐストーリー」より 今のままでは今のまんま 武器の使い方を習得し、武器の使い方に習熟し、武器をもとうとつとめないような被抑圧階級は、抑圧され、虐待され、奴隷としてあつかわれても仕方がない ウラジーミ…
金明秀(キムミョンス)さんのツィートをまとめたもので、こちらから転載。勉強させていただきました。今、とてもタイムリーで重要なことだと思うので、一日も早くと思い、転載させていただきます。金明秀さんには事後報告で申し訳ないで…
きょう(14日)告示された東京都議選。惨敗した場合の責任について問われた維新の会の橋下共同代表は、「グループの中でそういう声が出てくるのではないか」と答えていたが、23日の投開票日、それが現実になりそうだ。政党やメディア…
前回の続きです。こちらのエントリからお読みください。 ◆すでにテントは「全国民的」だ さて、問題提起の後は休憩をはさんで全体討論にうつります。お三方それぞれの提起を中心に、質問や各自の問題意識、具体的な取り組みや報告…
去る2月2日に「たんぽぽ舎」で開催された「討論会・経産省前テントひろばを守ろう」に参加してきました。これも2月頃に途中まで書いて放置されていたエントリですが、詳しい報告は大幅に省略して特に印象に残ったことだけを書く事に…
基本的に現世には神も悪魔もそのへんをうろうろ歩いていたりはしないので、特定の誰かを祭り上げて依拠したり、逆に貶めて叩きまくるのはどうかと思っています。人間の心というのは誰でも7割くらいが善で、3割くらい悪で、それから弱い部分が7割くらいで、でも強い部分を3割くらいもっている。私もそういう普通の人間です。それから大切なのは、人間はいかようにでも変われるということだと思っています。一人の人間をとってみれば誰でも良いこともすれば悪いこともする。だからどんな指導者に対しても「おまえのそこはおかしいぞ!」と気軽に議論できること、その議論のやり方(不毛な「内ゲバ」や内紛や分裂にならないこと)、そしてそういう議論を容認できる組織や運動や指導者であるのかという点を私は重視しています。特に政治や市民運動の分野では、一時的な成功やら「時代の風にのっている」ことより、それが一番大切なことです。
他に書かないといけないことが沢山有り、実際三里塚のことを続けて書くつもりでおりましたが、マル共連BBSに投稿した以下の私の思い出話から、若干議論めいたレスがつきまして、それに回答すると本当に議論になりかねないので、こち…
by ときわ列車 こんばんは、ときわ列車です。 今回は、昨日紹介した鮫川村の放射性廃棄物焼却施設問題について、どうしても引っかかる点が僕にあり、一つ考察を書いてみました。本来ならばこれから書く内容のものは、先に鮫川村…
■ 懐古的資料室目次 > 軍事政治論一覧 中核派本多暴力論批判/緒方哲生 『戦争論・暴力論の革命的復権』(1985年8月25日「理論戦線」19号)より一部抜粋 本多延嘉著『戦争と革命の基本問題』の位置 これまで、われわ…
by 中野由紀子 毎週金曜日の官邸前デモについて、主催者である「反原連」の皆さんの方法に、いろんな意見が出ています。毎週、行動やデモが無事に続けられるようにと、警察の皆さんと相談して、協力して、行われているようです。「…
『週刊ポスト』の今週号に、官邸前抗議行動の呼びかけ主体である「首都圏反原発連合(以下、反原連)」のメンバーのお一人である、MisaoRedWolfさんへのインタビュー記事(担当:元ジャーナリスト上杉隆さん)が掲載されて…
「四トロ掲示板」への投稿より これはね、確かに「難しい」ですが、やれることをやれる範囲でどんどんやっていくしかないと思ってます(能天気)。 1万人とか10万人規模の参加者の中、毎回ほぼ一人とか数人でいろいろやってます…
もちろん、集会などの趣旨に真っ向から反する主張で荒らしにくる者は、主催者からつまみ出されて当然ですが、その趣旨に同調する人たちに対してさえ、主催者が決めたスローガン以外は旗や横断幕はもちろん「口に出してもいけない」なんて、未だかつてどんな集会でも聞いたことがありません。
今日は、昨年の611新宿の騒ぎに関して思い出した、暴力に関する論文を紹介したいと思います。 もともと新左翼潮流の間では、暴力論について種々の考察がなされており、一般に「否定の否定の論理」と呼ばれるものが基本にありまし…
2012年5月5日23時3分、最後に残った北海道泊原発3号機が運転を停止し、これで日本国内に「運転中の」原発はゼロになりました。東電管内はとっくに原発ゼロでしたが、それでも、日本国中どこに行っても、自分の使っている電気に原発が含まれていないと思うと、本当にホッとした気分になります。
安全とか言う以前に、そして「よく調べてみれば」というレベルではなく、明確に他人を犠牲にし、踏みつけにして得た電気で「快適な」生活を送る罪悪感から、少し解放されるからです。部屋の明かりを眺めながら、かなり気が楽になりました。願わくば生涯このままの状態でいてほしいものです。
お前はなんで昔の党派時代のことにいつまでもこだわったり、党派を擁護するかのような古臭いことを言うのかと、複数の方から問われたので、一応の問題意識をここに記しておこうと思う。 まず私は自己に対する拘泥が激しいと思うが、…