ロフト事件を知らない方へ-私なりの論争概観と感想-

殴られる佐藤氏
舞台上での襲撃の瞬間

 もうすでに「前世紀の論争」なってしまったかと思うと感慨無量なこの問題については、掲示板などでも活発な討論がなされており、すべての論争を集めれば本が1冊どころか5、6冊はできるくらいです。

 当然にそれらすべてをここで追いかけることはできませんでしたが、聡明な読者の皆様は、ここに集められたリンクだけで論争の本質を充分に理解できると思います。また、各々の文書にはまた別の文書などへリンクが貼られていますから、それらをたどっていけば、ここに収録していないものについてもあらかた読めるようになっていると思います。(まあ、掲示板の過去ログも含めて全部読んでいたら、とても一晩では足りませんが)

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新宿ロフト事件とは

 1)1997年7月8日、新宿歌舞伎町のトーク居酒屋「ロフトプラスワン」において、「飛翔主義と若者の俯仰」と題したトークバトルが開催されました。主催は新右翼一水会の指導者である鈴木邦男さんと、元は新左翼の流れをくむブント・SENKI派(旧戦旗・共産同)の指導者である荒岱助さんの二人でした。
 その席で荒さんを激しく罵倒するビラを配付して詰め寄ったのが、元戦旗・共産同系の活動家で、その後右翼ファシスト(本人自称)に転向した佐藤悟志さんです。会場は騒然となり催しどころではなくなってしまいました。

 2)同年7月16日、やはりロフトプラスワンにおいて、今度は佐藤悟志さんの主催で「北朝鮮と『よど号』の現実」と題する催しが開催されました。
 佐藤さんがこれに出演するためロフトプラスワンに到着したところ、待ち受けていたSENKI派のメンバー約10人が佐藤さんを地下駐車場に連れ込み、暴行を働いた上逃走しました。SENKI派側は「話し合いに来たのに佐藤が先に手を出した」と主張していますが、目撃者はそれを否定しています。

 3)佐藤さんはそのまま催しに出演し、元赤軍派で現在はジャーナリストの高沢皓司さんとともにその日のトークを進めました。
 しかし佐藤さんがSENKI派への批判を口にした途端「てめえまだそんなこと言ってんのか」と叫びながら男性一人が演壇に上がり込んで佐藤さんを殴り、さらにもう一人が佐藤さんを蹴りつけたため、会場は騒然となりました。佐藤さんは二回の襲撃で頭や顔、眼などに全治18日間の傷を負いました。

 4)2000年6月15日、再びロフトプラスワンのステージに荒岱介さんが出演することになりました。これに対して佐藤悟志さんも再びSENKI派批判のビラを作成しましたが、今回はトラブルを避けるためにプラスワンのスタッフが店の冊子にはさんで配付することになりました。
 しかし、チラシを見たSENKI派メンバーのうち数人が店に座っていた佐藤さんに対して暴行を加えました。佐藤さんは事務室に避難しましたが、SENKI派メンバーは事務室の前に集まって佐藤さんは二時間近く事務室から出られませんでした。ひと休みしてクリックどぞ

事件の波紋

 この事件は特に「自由な空間であるロフトプラスワン」を愛する人々に大きな衝撃を与えました。このような常連客有志達によって「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」が立ちあげられます。
 この人達の立ち上がった動機にあげられている「泣き寝入りはもうたくさんだ」「学校当局や日本政府を批判したりする前に政治党派による妨害、脅迫、暴力を突破しなくてはならないという状況がどれだけ多くの人々を政治参加から遠ざけてきたことでしょう」「ロフトプラスワンにおいても、他のどこにおいても、そうしたやり方が通用しないのだ、むしろ多くの人々の抗議を受けることになるのだという教訓をつくるためです」という主張は、この運動がまさしく画期的なものであることを示しており、私は心から共鳴するものです。

 私も佐藤さんと同じく「元戦旗・共産同系の活動家」ですが、どちらかといえばノンセクトの強い地域で活動していたため、強大なノンセクト組織からの理不尽な排除、また日常的に内ゲバを行っている党派や日共(日本共産党)や、民青からの暴力的な恫喝などにさらされてきました。そのたびに本当に悔しい思いをしてきました。
 共同声明では「個人vs党派」というノンセクト的な発想で構図が描かれています。しかしその思いはたとえ党派の人間であっても痛いほどにわかるし、本来そういう暴力的な恫喝(内ゲバ主義)との闘いに「党派」も「個人」も「ノンセクト」も「右翼」も「左翼」もないと思うのです。

 さて、このような動きに対してSENKI側は当初「偶発的な小さな事件」として正面から反応せず沈黙を守っていました。しかし、対立する戦旗西田派の機関紙にこの事件が取り上げられたことから、これに反論せざる得なくなります。

 西田派との「論争」ならぬ批判の応酬は、昔から決して建設的とは言いがたい印象でした。この西田派の記事にしたところで、鈴木さんと荒さんとの対論の試みを「右翼との共闘」と決めつけています。
 そしてSENKI側のこの問題に関する反論もまた、過去から続いたこのような流儀でなされました。いわく、これは真性の右翼ファシストの襲撃が先にあり、それからの自己防衛である。西田派こそ極悪ファシストの味方をしているというわけです。
 これに対しては、共同声明の中心を担っていた、決して左翼ではない「ロフトプラスワンにたむろするチンピラ(もちろん褒め言葉です!)」な部分の人々から「事実をねじ曲げて開き直るもの」として轟々たる批難を受けてしまいます。

 また、この問題で非常に特徴的なのは、この問題を論議しているネット上の掲示板に、SENKI派の現役幹部メンバーが積極的に「参入」してきたことです。2chなどの匿名掲示板に書き込んでいる左派系の人間はせいぜい組織を離れた元活動家くらいという現状で、現役の有力党派の、しかも責任ある幹部が、一般の人達の疑問や批判に直接答えようとしたのは異例なことであり、本来なら非常に高く評価されるべき出来事でした。おそらくこの段階ではネット上で燃え広がりつつあったSENKI批判を、説得や説明で消せると考えていたのかなと最大限善意に解釈したい所以です。

 ところが彼らの批判者に対する書き込みの態度は、SENKI紙上での批判記事の論調とたいして変わり無い高圧的なものであったため、かえって批判に油を注ぐ結果となってしまいました。SENKI派のネット利用の仕方と共産趣味者への挑発行為から批判を強めていた米沢泉美さんや、襲撃被害者の佐藤悟志さんに対しては「名誉毀損である」などとして、その利用していたプロバイダーに同人らのサイトを閉鎖するよう要求しています。ことここにいたっては、今まで静観していた左翼系の人々まで積極的なSENKI批判に乗り出し、SENKI派はまさしく四面楚歌の状態となります。

共同声明の解散とその後の論争

 やがて共同声明の運動は総括的なパンフを出版して終了し「常連客有志」は解散します(その後で第3次襲撃があるのですが)。
 SENKIはついに最後まで謝罪も真摯な釈明もしませんでした。しかしそれはSENKI派の行為が忘れられていくのでも許されてしまったのでもありません。SENKIは手痛い打撃を受け、その行為は運動圏の人々の間に永遠に語り継がれるものとして、ブント・SENKI派の組織的汚点として記憶されることになったのです。

 まさしく共同声明の全面的、100%の完璧な勝利だったと思います。「もう泣き寝入りはたくさんだ!」という声が実を結んだのです。「襲撃した者は損をする前例を作る」という目的は完全に達成されたのです。ちなみにGoogleなどで「SENKI」とか「ブント」とか入れて検索してみて下さい。彼らを糾弾するコンテンツばかり雨あられと表示されます。もしSENKI派が今すぐ態度を改めたとしても、これらの情報が無くなる、あるいは検索の遥か下位に沈むまでには何年もかかるでしょう。鹿島拾市さんの「共同声明全記録のあとがき」を、私は深い感慨を持って読みました。

 しかしこれで論争が終わったわけではありませんでした。SENKI派はそのままの路線と勢力をもって存在しているからです。論争の軸はやがてロフト事件そのものよりも、そもそもSENKI派が「内ゲバ体質」の党派ではないのか、それを自己批判・変革していかねばならないのではないかというところに移っていきます。
 ここで論争の全面に出てこられるのが小林義也さんです。また、佐藤悟志さんもブント自体の撲滅・解体を掲げてファシストとしての独自の立場から批判を続けておられます。当然、ブント側の批判もこのお二人に集中していきます。

 そんな中、佐藤さんとブント活動家の前田浩喜さんが集会場でトラブルとなり、佐藤さんのマイクのコードがもみ合いの時にちぎれるという事件がありました。佐藤さんはこの件を警察に告訴してしまい、前田さんが逮捕された上この程度の事件では異例とも思える長期勾留を受けます。当然にこの告訴を利用した公安警察の弾圧体制も敷かれました。
 この件では運動圏に公安警察を引き入れたこと、さらに佐藤さんがSENKI派の集会参加者の顔を撮影したビデオを提出したことなどから、佐藤さんの告訴については賛否両論という形になりました。そしてこの事件が後の蔵田さん論争へとつながっていくわけです。

私なりの感想

 このように画期的で意義深い共同声明の運動でしたが、この運動と論争の槍玉にあがっているのが、自分の元いた党派だというのは本当に忸怩たる思いです。なぜなら上に書いたように、この問題では活動家時代の自分はむしろ「被害者」になる局面が多く、一刻も早く内ゲバなんてことは終りにしたいと、何よりも現場活動家であった私達自身が強く思っていたからです。

 これほど大きな論争になったのは、いくつかの偶然もありました。まずSENKI派が日常的に内ゲバばっかりして反対者をテロりまくったりまではしていない、少なくとも表面的には内ゲバを批判している、そういう意味では「前例」を作るにはちょうどいいくらいの党派であったということです。
 個人から見れば危険な賭ではあったろうし、共同声明の方々の勇気には敬服しますが、私から見ればこうしてSENKI派をボロクソに批判したって、実はあんまり恐いとは思わないのです。

 さらに佐藤さんが元戦旗・共産同の活動家であったということも大きいと思います。この点については菊池久彦さんが「ロフトプラスワン事件を語る夕べ」という架空の集会報告の中で指摘しておられますが、佐藤さんがただのファシストであったなら、SENKI派に対してこのようなエグイ批判を集中させることもなかったであろうし、またSENKI派側も、佐藤さんがただの右翼個人であったなら、このような襲撃をしたかどうかは疑問です。

 実は私だってこの事件をはじめて知った時はSENKI派的思考が色濃く残っており「右翼が集会の妨害をした」→「そいつは元戦旗メンバーである」→「戦旗がそのような人間を生み出した」→「戦旗の責任で右翼の妨害をやめさせるべきだ」みたいな発想が(今からよお~く考えてみればですが)あったかもしれません。つまり「SENKI派が泥をかぶるべきだ」というわけです。

 また、やはり「コケた人間」が10年後にファシストに転向したまでは許せるとして、「元戦旗活動家」をことさら看板にし、自分の「売り」にしていることへの嫌悪感がありました。恥ずかしながら正直に告白しますが「自分の『青春の1ページ』を汚された(^_^;」みたいな気持ちがあったように思います。ましてやSENKI派の現役活動家にとって、佐藤さんは中国にとっての台湾、すなわち自分達の責任で処理すべき「内部問題」であるかのような錯角に陥ったとしても不思議ではありません。

 こういうエグイことをしても許されるし、他をほっといてでも、こいつを何とかするべきだという問題意識が、SENKI派と佐藤さんのお互いにあったのは、こういうところが大きいと思います。
 もちろんそれをもってSENKI派の行った行為に対する評価は変わりませんが、佐藤さんについては考えておくべきことだと思います。

 佐藤さんについての感想を書いておきますと、やはり「肌合いの違い」というものは否めません。私はブントの人々の人権もまた守られるべきだと思いますから、正直言って極端な言動にはついて行けないものを感じます。佐藤さんの言動の印象だけをたとえて言うなら右翼版永山則夫といった印象をもちます。
 永山さんは近付いてくる結構「進歩的」な人にも片端から「ファシスト」とか規定するようなところがありましたが、きっと佐藤さんからみれば私も「反省なき愚か者」の1人になるのでしょうね。

 最後に、掲示板などでSENKI側の人間が「他に中核とか革マルとか酷い本物の内ゲバ主義党派がいるのに、なんでブント『だけ』を主要に批判するのか」という趣旨の書き込みがよくありました。
 まっ、「気持ちはわかります」。わかるけど、ただわかるだけというものもあります。だって批判している人にとって、中核とか革マル、あるいはファシストは、具体的に彼らの表現活動の邪魔になってないんだもの。「内ゲバ論」一般の論争をしているんじゃあないんです。

 SENKI派が他派にくらべてことさらに「内ゲバ体質」だとは私は思っていません。いわゆる「ブント系諸派」の中では標準的なレベル(笑)の「内ゲバ体質」だと思っています。ブント系はみんな内ゲバをしてきました。今もそれを真摯に自己批判して「どんな場合でも内ゲバは絶対に許されない」とするブント系党派が出たという話は聞いたことがありません。むしろSENKI派は部分的に「ノンセクト団体の党派的ひき回し」を行ったことを自発的に自己批判している「珍しい」党派なのです。

 ただ悲しいかな、今や実際に内ゲバやれる「力量」があるのはブント系ではSENKI派だけで、そして口先だけでなく「実践」してしまったのもSENKI派だけなんですよね。これはすごく大きいことです。天と地ほどの差があります。

 過去に内ゲバしたことがない、あるいは真摯に総括していることが条件で、それ以外はみんな内ゲバ党派で排除するという極端な立場をとれば、残念ながら日本の新左翼で残るのは5分の1かへたすれば10分の1くらいではないでしょうか。とりあえずブント系諸派は全部アウトです。
 ノンセクトにだって「内ゲバ体質」はあります。自分達のテリトリーを侵しかねない者は容赦なく排除するノンセクトは多いです。いわゆる「ノンセクトセクト」ですが、その自分達が「反内ゲバ主義者」だと思って党派批判をしているところがすごいのです。
 私も数十人単位の大きなノンセクト団体からの排除はよく受けました。私達がビラなど普通にまいていると高圧的に排除にかかるくせに、中核派がビラまきに来た時には自治会室に閉じこもって誰も出て来ません。何だかどこかの党派みたいですね(笑)。また、共産党や民青の内ゲバ体質なんて、経験した人には言うまでもないと思います。他のブント系諸派も大同小異です。
 私は中にいたからそう思うだけなんでしょうが、戦旗はかなりマシだと思ってきました。少なくとも自分達が確保している陣地(テリトリー)にどんな団体が現れても(右翼や原理研は別でしたが)高圧的に排除にかかることはしなかったと思います。

 もちろんまず現実に存在している内ゲバ主義への対処や批判が重要です。それも自分の回りのね。降り掛かる火の粉は各人がはらわねばなりません。目の前の泥棒を見逃して「防犯対策」を論じるのはナンセンスです。

 けれども同時に左翼運動自体がなぜ内ゲバ主義に傾斜してしまうのか、まるでそれが必然的であるかのように。そこのところもまた考えないといかんでしょうと思うのです。「内ゲバを批判して内ゲバ主義から自由になったような気でいる」のもまたナンセンスです。ナンセンスといって言い過ぎなら不充分です。
 私達はすでに「スターリン主義を批判してスターリン主義から自由になった気でいる」党派の人々の所業を数多く見ているのではなかったでしょうか?

 そういう意味で蔵田さん論争には期待してたんですが。。。

1件のコメント

関西での弾圧についてのエントリから辿ってきました。

ロフト事件に関しては、事件発生当時に「共同声明」とほぼ同じ立場からSENKI派を批判しました。

http://kazhik.net/soc/gegen1997.html

1997/8/18, 1997/10/30の記事です。1999/07/01にもSENKI派に批判的な文章を書いています。

http://kazhik.net/soc/gegen1999.html

「共同声明」の中心メンバーとRENKの中心メンバーが重なっていることに気づいたのはその数年後。不思議な縁です。

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