イワンのばか/トルストイ

イワンの馬鹿
「草を刈ってしまわずにおくものか 」

 シモン係の小悪魔は、その晩すっかり自分の仕事をおえて、約束通りイワン係の小悪魔をたすけて、馬鹿をへこましてやるつもりで畑へやって来ました。彼はそこらあたりをさがし廻りましたが、仲間のすがたはみえないで、ただ一つ小さな穴を見つけました。

「こりゃきっと仲間の上によくないことが起ったわい。するとおれがあいつの代りをしなくちゃならない。この畑はすっかり鋤き返されてしまったから、あの馬鹿をとっちめるにはどうしてもあの牧場(まきば)だな。」
 そこで小悪魔は牧場へ出かけて行って、イワンの秣場(まぐさば)に水をまき、草を泥だらけにしておきました。

 イワンは野原から夜明け方に帰って来て、鎌をといで、秣場へ草刈りに出かけました。が、どうしたものか鎌を一二度ふったばかりでひどく刃がまがって、ちっとも切れなくなって、またとがねばなりませんでした。イワンはしばらく刈っていましたが、やがて、
「こりゃいけねえ。鎌とぎ道具を持って来なくちゃ。そしてパンも持って来ることにしよう。たとえ一週間かかったって、草を刈ってしまわずにおくものか。」
とひとりごちました。

 小悪魔はそれを聞いて考え込みました。
「こいつはなかなか手に負えないぞ。こんな手じゃとても馬鹿を取っちめることは出来ない。何か他の手でやってみなくちゃ。」
 イワンは家(うち)へ帰って鎌をといでまた草を刈りはじめました。小悪魔は草の中へもぐり込んで、その鎌の先きを捉えて、切尖(きっさき)を地へ突っ込むようにしはじめました。イワンは、仕事が大へん骨折れると思いましたが、それでも秣場をすっかり刈りおえて、沼地に入っているところだけ少し残しました。小悪魔はその沼地へ入り込んで、
「たとえ両手を切り取られたって、刈らせるこっちゃない。」
と考えました。

 イワンはやがてその沼地へ来ました。草はそう茂ってはいませんでした。が、鎌は思うように動きませんでした。イワンはすっかり怒ってしまってある限りの力をこめて、鎌をふりはじました。小悪魔は力負けして、もうとても持ちこたえることが出来なくなりました。いよいよだめだと思った小悪魔は、くさむらの中へよろけこんでしまいました。イワンは鎌をふってそのくさむらを引っ掴んで刈りましたので、小悪魔はそのしっぽを半分切り取られました。

 イワンは刈り取った草を妹にかき寄せるように言いつけて、今度はライ麦を刈りに行きました。イワンが鎌を持って行ってみると、れいのしっぽを切られた小悪魔は先に廻って麦を滅茶苦茶に乱しておいたので、また鎌がつかえなくなりました。それでイワンは家(うち)へ行って、別の鎌を持って来て、それで刈りはじめ、すっかりライ麦を取り入れてしまいました。
「さて、今後は燕麦(からすむぎ)にかかることにしよう。」
とイワンは言いました。
 すると、しっぽを切られた小悪魔は、考えました。
「ライ麦ではあいつをうまくやっつけることが出来なかったが、燕麦ではきっとやるから、明日になったらどうするか見てろ。」

 小悪魔は翌(あく)る朝急いで燕麦の畑へ行きました。ところが燕麦はすっかり刈り倒してありました。イワンは麦粒のこぼれるのを少くするために、夜どおし刈ってしまったのでした。
 小悪魔はひどく怒りました。

「あの馬鹿め、おれのからだ中傷だらけにしやがるし、うんざりさせやがった。これじゃまるで戦争よりも悪いや。畜生め、ちっとも睡(ねむ)らないんだ。あんなやつにあっちゃとてもかなわない。ひとつ今度は麦束の中へ入って腐らしてやれ。」
 そこで小悪魔はライ麦の畑へ行って、麦束の中に入り込みました。麦束は腐りはじめました。小悪魔は、麦束を暖めましたが、やがて自分のからだもぽかぽかと暖くなって、ぐっすり寝込んでしまいました。

 イワンは馬に草をやると、用意して妹と一しょに、ライ麦を運びにやって来ました。やがて麦束を積みはじめました。二束ほど車に投げ込んで、三束目を上げようとして熊手をつき込むと、その尖(さき)が、小悪魔の背中へ、突き刺さりました。熊手をふり上げてみると、その尖にはしっぽの切れた小悪魔が、のがれようとして、しきりに身をもがいて、のたくっています。
「おやおや、また出て来やがった。」
「いや、ちがうんです。先来たのは私の兄弟です。私はあなたの兄さんのシモンについていたんです。」
と小悪魔は言いました。

イワンの馬鹿
「あなたの兵隊をこさえることができます」

「ふん、どいつだってかまやしない。お前も同じ目にあわしてやるのだ。」
 イワンは小悪魔を荷車へたたきつけようとしました。小悪魔は叫びました。
「ま、待って下さい。二度とあなたの邪魔はいたしません。あなたの言いなりに何でもいたします。」
「じゃ、何が出来る。」
「何でもあなたのお好きなものから兵隊をこしらえることが出来ます。」
「兵隊は一たい何の役に立つのだ。」
「何の役にだってたちます。あなたが命令を下しさえすればどんなことでもします。」
「じゃ唄がうたえるかい。」
「ええ出来ますとも、あなたが命令なさりさえすれば。」
「よしよし、じゃ一つこしらえてくれ。」

 すると小悪魔は、
「じゃ、その麦束を一束取って地べたにつきたてて、こうおっしゃればいいのです。
麦束よ麦束よ
おれの家来に命(い)いつける
一本一本の麦藁から
兵隊が一人ずつ飛び出して来い。」

 イワンは麦束を取り上げて地べたへ叩きつけると、小悪魔の言った通りやりました。麦束がバラバラに解けて落ちたかと思うと、藁がのこらず兵隊になって、ラッパ吹きや、太鼓打ちまでそろっていました。こうして一隊すっかり出来上りました。
 イワンは面白がって笑いながら、
「こりゃ面白い。立派だ。娘っ子がさぞ喜ぶこったろう。」
と言いました。
「じゃ私をはなして下さい。」
と小悪魔は言いました。
「そりゃいけない。」
とイワンは言いました。
「おれは兵隊を打殻(うちがら)の藁でこさえるのでなくちゃいやだ。でないと折角のいい麦がだめになってしまう。これをもとの麦束に返す方法を教えてくれ。おれはこれから麦を落そうと思っているんだ。」

 そこで小悪魔は言いました。
「それはこうです。
私の家来に命(い)いつける
兵隊よ兵隊よ、
元の藁に飛んでかえれ。」
 イワンがこう言うとまた麦の束になりました。そこで小悪魔はたのみ出しました。
「どうぞ、はなして下さいよ。」
 イワンは、
「いいとも、いいとも。」
と言って、小悪魔を荷車の横へ押しあてると、片手でおさえながら熊手から引っこぬいてやりました。
「神様がお前をお守り下さるように。」
とイワンは言いました。
 イワンが神様の名を口にするかしないかに、小悪魔は水に落ちた石のように地べたへ消えてしまいました。そして後には小さな穴が一つだけ残りました。

 イワンは家(うち)に帰りました。家に帰ってみると、次の兄のタラスと、そのおかみさんが来ていて、晩飯を食っていました。
 肥満(ふとっちょ)のタラスは借金で首が廻らなくなって、父親のところへにげ帰って来たのでした。
 タラスはイワンを見て言いました。
「おい、もう一度商売が出来るまでおれと家内を養ってくれ。」
「いいとも、いいとも。」
とイワンは言いました。
「よかったら、いつまでもいなさるがいい。」

 イワンは上着をぬいで、椅子に腰を下そうとしました。するとタラスのおかみさんが言いました。
「私はこんな土百姓と一しょに御飯はいただけません。この汗の臭(におい)ったらがまんが出来ません。」
 そこで肥満のタラスは言いました。
「どうもお前の臭いはひどすぎる。外で飯を食ってくれないか。」
するとイワンは言いました。
「いいとも、いいとも。どのみち私は馬の世話をしなくちゃならん。飼葉を刈る時刻だからね。」