彼らは「英雄」なんかじゃない!

1006.jpg

ついにカンパの合計額が8千100万円を突破してしまいました!
連帯基金サイトで日々の振込額が公表されていますが、今月の20日に一度集約するとの方針が提起されて以降、ますます加速度がついているように思います。運動開始当初は数万円単位の伸びだったものが、ここのところ100万円以上の単位で伸びている!呼びかけていた私が言ってはいかんのだけれど、も~信じらんなーい!超アンビリーバボー!な状態です。

ま、一番に「オー!ノー!アンビリーバボー!」って両手で顔を押さえて引きつっているのは、旧運輸省(現国土交通省)や法務省らの小泉政権の官僚どもでしょう。さらに「利息を含めた全額請求」を強硬に主張した旧空港公団(現空港会社)のやつらは、今頃は机を叩きながら歯噛みして悔しがっているでしょう。そして何より最も苦虫かみつぶして頭をかきむしっているのは、警備‐公安などの政治警察の輩であることは間違いありません。

もちろん彼らはお金が欲しかったわけじゃない。管制塔戦士らを長期間監獄に放り込んだだけでは飽き足らず、出所後は組織からも離れて単なる市民として生活している彼らに対し、現時点でも1億300万円、さらに利息がついて無限に膨らみ続けるという、一生かかっても払いきれない請求をしてきた。30年近くたった今になっても、彼らの一生をとことんめちゃくちゃにしてやらないと気がすまないという、激しい憎悪を感じます。

そしてそこには、彼らのトラウマともいうべき過去の悔しさと挫折感を垣間見ることができます。3・26闘争がどれだけのインパクトと打撃を国家権力に与えたのかは、柘植洋三さんの「3.26直後の財界の休戦申し入れ顛末」(「旗旗」しか見ておられない方もおられるようですのでこのエントリーの後半に転載・保存しておきます)を見れば一目瞭然です。日経連や経団連のトップが雁首をそろえて休戦協定の申し入れに来たのですから、これは文字通り局地的な「戦争」だったのです。しかもその戦争で政府側が押されていたのであり、ただの一般労働者や学生の反乱部隊に、暴力のプロであるはずの彼らが負けたのです

三里塚の「反乱軍」と政府が休戦協定を結ぶことは、それまでのゴリ押しの責任をとる形での政権崩壊=内閣総辞職につながります。結局は政権に恋々とした福田首相によって幸か不幸か休戦協定は日の目を見ずに封印されましたが、政府側にとって、事態は今の私達が想像もできないくらいに深刻なものだったと理解することができます。

今も血眼になって元被告達を一生にわたって苦しめようとしているのは、柘植さんの文章で言えば「過激派をライフルで射殺する許可を機動隊に与えよ」という”解決策”を主張していた強硬派に連なる部分です。実際にそんなことをしたら、政府側から見て、事態は計り知れないほどの泥沼に叩き込まれていたでしょうから、先の読めない愚か者というほかない人々ですが、現在の小泉政権の「治安政策」は、むしろどちらかと言えばこの「強硬派」の系譜に近いものを感じます。

さて、こういった部分の一番の狙い、それは陰険な「過去の復讐」だけではもちろんありません。三里塚のみならず、現在と未来のすべての反体制運動に対する見せしめ効果を狙った意図が大きいでしょう。

三里塚闘争が「下火」になり、左翼組織の多くが解体・縮小し、今や個人となった元被告たち。かつて自分達に逆らって人々から「英雄」あつかいさえされた彼らを血祭りにあげること。「おらおら管制塔戦士さんよ、もう誰もお前らなんて助けてなんてくれねえじゃねえかよ。他のやつらも実力闘争なんぞいきがった奴らの末路を良くみておくんだな!」って感じの無法者の勝利宣言です。

実際にさんざん英雄扱いして持ち上げていた彼らの人生が破滅していく様を、私達がわが身可愛さのあまり目を伏せて耳をふさいで見殺しにしていたら、後に続く人々に与えた萎縮効果は大きかったと思います。実際、元被告の一人は「もう墓場まで払い続けていくしかないのかと思った」と語っておられます。

しかし警備‐公安警察をはじめとする「強硬派」達は、またしても間違っていたのだ!そして彼らは理解できないのです!組織がなくなって市井に埋もれ、散り散りになってしまったかつての同志達が、まったくの個人として自分の意思で、ただでさえ貧乏な自らの生活を顧みずに有り金を基金にぶちこんでいく姿や、あまつさえ、生活を危険にさらしてまで再びカンパ闘争と三里塚の闘いに関わろうとする姿が。

ライフルや差し押さえで脅かせば、人が言うことを聞くと思っている彼らは、そして損得勘定を人生の最大の尺度に生きてきた人々は、「過激派」なんて「狂信」集団だと言うでしょう。そして彼らは「お前らもう関係ないんだから黙ってりゃいいじゃねえか。そしたら自分の懐も痛まないのによ。なんであいつらそこまで・・・馬鹿じゃねえのか」と絶句しているのです。

そう、前にも言いましたが、私達は大馬鹿者です。最期の会戦から20年以上の歳月で、奴らはそのことも忘れていたのでしょう。多くの3・26戦闘参加者は、ピストルを構えて実際に実弾射撃してくる警官隊の群れの前に、鉄パイプ一本で飛び出していきました。みんな家でおとなしくしておれば、普通の人生を歩めた単なる労働者・学生達でした。馬鹿です。まさしく本物の馬鹿者達なのですよ、私らは。

巨大なライオンが、かつての「英雄」を今まさに食い殺そうとするその瞬間、どこからともなく現れた無数の蟻やネズミの群れがわが身をかえりみずにライオンに飛び掛っていく。そんな図がこんな世の中で、私達の目の前でくりひろげられていることのすべてです。良かった!まだ「金や損得のみで生きるのではない人々」がこんなにいてくれて!まだまだ今の世の中も捨てたもんじゃない!

そして一番素晴らしく思うのは、元被告らを、組織に属していたあの頃みたいに「英雄」として持ち上げ、一面では彼らにそこから逃げ出すことを許さないような空気の中ではない、等身大の人間として、そしてそんな当たり前の人間が行った素晴らしい行動を見殺しにできないという対等の関係と動機の中で、彼らに連帯していこうという雰囲気がこのカンパ運動に満ち満ちていることです。

彼らは「英雄」じゃない!もう人を英雄に祭り上げ、英雄でい続けることを強要するような運動や政治はまっぴらだ!人間には正の側面もあれば負の側面もある。三里塚の農民も、元被告達だって、そんな人間の一人にすぎない。普通の人だ。そしてそんな普通の人が人間の正の側面を極限まで見せてくれたことが素晴らしいのだ。そういう意味で「彼らは英雄じゃない」と私は言う。
所属していた党派だの、そこでの過去の対立がどうしたと言うのか!そんなみみっちい議論を突き抜けて、彼らは「損得だけで生きるのではない」すべての人々の「代表」なのだ。そして私達の「仲間」だ。余計な理屈はいらない。だから助ける。それだけのことだ。

散り散りになったかつての仲間達の心が、いまだ干からびて死んでいなかったことを腹の底から嬉しく思います。そしてこれを機会に新しい若い人々が三里塚に関心を持ってくれはじめていることも。

ライオンは予期すらしていなかったネズミの群れに驚き、とまどい、血を流しています。しかしネズミたちがライオンを撃退できるかどうかはまだ全く予断を許さない。今後、ライオンが牙を剥いて襲ってくる可能性は高い。大声で吼えてネズミを威嚇するかもしれないし、見せしめとして先頭にいる何匹かに噛み付くことさえあるかもしれないのです。私達がまったく予想もしていなかった方向からの攻撃があるかもしれない。しかし何があろうと絶対にひるんではいけない。

「敵の意図と目的」を完全に打ち砕く闘いが、今、達成できるかもしれないところまできているのです。こんなことは本当に3・26以来ではありませんか!まさにこのカンパ闘争こそが「第二の3・26」なのです。

●【参考】3.26直後の財界の休戦申し入れ顛末:柘植洋三

日経連専務理事の手紙

「西村卓司様 桜田武」
「先般は御面識の儀を得て小生としても心おきなく意見を申し上げ、又戸村さんはじめ皆様のご意見を承はる事が出来大変に有難く且うれしく存じ候。其後福永健司大臣と一夕懇談仕りご要望の点等傳えて進言仕り候も思ふに任せず残念に存じ候。要するに政府12年に亘るやり方の不誠意にある事は明らかと存じしが、・・・」

上記は、3.26闘争直後の5月、日本資本主義の総本山である桜田武日本経済団体連合会専務理事(当時、以下同)から、日本左翼労働運動のトップリーダーである西村卓司氏に宛てられた手紙の一節です。この手紙が送られる事となった次第の中に、管制塔占拠を中心とする3.26闘争が、どのように巨大な衝撃を日本の支配者階級の中枢部に与えたかが象徴されています。その件について私が承知していることを報告致します。これは、なにかの機会に3.26闘争を戦った全ての仲間達に、報告しなければならないと27年間思い続けていた事柄です。

管制塔が占拠された78年の3月26日直後から、日本は一種権力の空白状態に陥りました。福田内閣が、内政の最重要課題として設定した3月30日の開港が、14000名の機動隊を擁する大警備を突き破って粉砕されたのでしたから、政権の命運は風前の灯となりました。与党から全ての野党まで、過激派狩りを大声に叫びこの点では挙国一致のようになりました。戦前戦中の治安維持法にも匹敵する成田特別立法に反対したのは、青島幸雄議員一人でした。体制が危機をはらむと与野党の区別なくその擁護に走る歴史上繰り返されて来た事態に陥りました。政治機能は常道をはずれヒステリックに沸騰していました。

戸村委員長の出席が条件

こうなると、実にさまざまな表と裏の組織が、事態収拾の手柄を立てる野望を持って反対同盟や、占拠を主導した党派に対してアポイントをとる画策をしてきました。富塚総評事務局長の使いから、各種の右翼、小川国彦社会党代議士の地元組織を通しての接触、4Hクラブで現地に深い影響力のあった吉田巌千葉県企画室長など、あらゆるチャンネルが功名をあらそって蠢動しました。石橋元反対同盟副委員長や内田元行動隊長その他がそれと接触し、政府側と対談する場面もありました。

そんな4月のある日、昨年逝去した今野求第四インター政治局員から、電話があり、
「西村卓司氏が、成田駅に着くから、一人で迎えてくれ」
と言ってきました。
迎えると西村氏は、言いました。
「誰にも、聴き取られない所で話をしたい」
「それでは、喫茶店などではないほうがいいでしょう」
ということで、現地に向かう桑畑に入って話を聞きました。

話の要点は、
・財界がそろって、休戦の交渉を求めている。
・休戦とは、政府は5月20日開港をしない、反対闘争側も休戦期間中攻撃しない、という事である。
・交渉に財界は、桜田日経連専務理事、土光経団連会長ほかが出席する。
・反対派は、ほかの誰が出ても信用出来ないので、戸村一作委員長の出席が条件である。
以上でした。

戦力の大半を失っていた当方

当方は、3・26闘争で数年かけて準備してきた戦術のほとんどを使いきり、2月の要塞戦と合わせて2百数十名の逮捕者を出して、戦力の大半を失っていましたから、5月20日開港を中止しての休戦というのは望むところでした。管制塔占拠に匹敵する新しい闘争方針を確立し、激減している戦闘力を回復するためには一定の時間がぜひ必要でした。

西村氏は、加瀬勉氏をこの話に入れるべきか尋ねました。
「今後の展開を考えれば、ぜひ入って頂くべきです」
西村氏と加瀬氏とが労農合宿所近辺の山中で話す事なりました。加瀬氏は即同意され、話は簡単に済みました。
戸村さんを動かすためにどうしたらいいか相談しました。
「反対同盟幹部の一番難しい人に同意をもらって、その後戸村さんに話すことが得策です」
その日は、反対同盟幹部の実力闘争派に話しました。結論は、
「俺達は承知した。しかし戸村さんに話すのはお前達でやってくれ」
という事でした。

「死にかかっている若者もいます!」

翌朝、午前9時前から戸村さんの自宅に伺いました。戸村さんの出席の応否を10時までに、先方へ電話にて回答することになっておりました。
西村さんの詳細な説明にもかかわらず、戸村さんは行くとは言いませんでした。
「そのような、敵の総大将達と同席して話したくない」
時間が刻々と過ぎていき、10時を回りました。西村さんは、三里塚第二公園の公衆電話に走っていき、帰っては戸村さんと話すことを繰り返しました。
「今、戸村さんと話している、なかなか行くと言ってくれない」

三度目くらいに、私がほとんど叫ぶように言いました。
「戸村さん、2月の要塞戦を含め3.26闘争で若者たちが何百人も逮捕され、大怪我した者、死にそうな者もいる。管制塔は破壊されて、3月30日の開港は粉砕された。この後、敵の大将と掛け合って5月20日開港を止めるのは戸村さんあなたがやって下さい!」

西村さん・加瀬さんのお話に加えて、この叫びが胸に響いたようで、戸村さんは行くと言ってくれました。10時30分を超えていました。西村さんは、公衆電話に走り、『行くこととなった』と伝えました。
当日は、当方から、戸村一作三里塚芝山連合空港反対同盟委員長に加えて、反対同盟幹部二人と西村さん加瀬さんが向いました。

勢ぞろいした日本資本主義の頭目達

先方は、桜田武(日本経済団体連合会専務理事)/土光敏夫(日本経済団体連合会頭)/中山素平(興業銀行頭取)/今里廣記(日経連広報委員長)/秦野章(参議院議員・その後法務大臣)/五島昇(日本商工会議所会頭)が迎えました。(このうち二人は海外でしたが、国際電話で直結されていました)
当時の財界のフルスタップがそろっていたわけです。

先方は、ほとんど桜田武が発言し、概略以下のように話しました。
「そもそも、成田問題がこのようにこじれているのは、政府の12年にわたる不誠実に問題がある。成田はこのまま開港しても、天皇陛下が外国に行幸される際使えるものではない。三池問題など戦後の大問題は、最後はわれわれ財界が始末を付けてきた。暗礁に乗り上げている成田問題も我々が、打開策を政府に提案したい」
これに対して戸村さんは、席上の相手を見据えて
「話し合いなど必要ない、実力闘争あるのみ」
非常な迫力で、政府の連綿と続く理不尽を糾弾しました。

会談は二回行われました。結果として
1、政府は予定している5月20日開港を一年間延期する。
2、一年間の休戦をする。その間、双方は共に実力行動を留保する。
3、その間に双方の合意がなければ、一年後には戦闘再開。
4、財界は、この条件を福田内閣に受け入れさせるために、運輸大臣に会見する。
 以上のことが、合意されました。

一年の開港延期、一年の休戦

当初、休戦期間は、無期限とする事が財界側から提案されましたが、当方は、『無期限』というのは一週間でも三年でも当てはまってどうとでも解釈できる、一年と期限を切って、政府は開港を延期し、当方はその間攻撃をしないこととすると主張し、前記の合意となったのでした。

財界のトップ達が、福永運輸大臣に会って此の停戦の話を申し入れるのは、5月10日過ぎとなっていました。福田政府に責任を取って政権を投げ出せと言うに等しいこの申し入れの『切り札』は、
『政府は、反対同盟との話し合い解決を喧伝しているが、戸村一作委員長と会えていないではないか、我々財界は委員長と会ってかかる内容で話をつけた。これで事態収拾を図れ』という事でした。「我々財界のみが戸村さんと会っている」というところが決定的なポイントだったのでした。

1978年5月10日

こうした動きに符合して、三里塚現地では、5.20の開港粉砕の実力闘争準備とあわせて、赤軍派・中核派など三里塚闘争にかかわる全ての党派に呼びかけて、『5.20開港が強行されれば、3.26を上回る戦いで粉砕する共同声明』を作成しました。

5月10日、30数党派・団体の共同声明を千代田農協の2階を会場とした記者会見で発表しました。50人くらいの記者が集まっていました。そこに、とんでもない情報が飛び込んできました。
『戸村さんが、千葉で福永運輸大臣と会っている』
記者達は、脱兎のごとく記者会見の会場を飛び出し、千葉に向いました。会見場はたちまちのうちに空になりました。
『今朝、ご自宅の近くで戸村さんに、何処へお出かけですか?と伺ったら、渋谷の山手教会ですとおっしゃったがあれは?』と思いました。

5月10日の戸村―福永会談をセットし、戸村さんをトップ会談の土俵に引き込んだのは、土屋千葉日報社長と自民党成田空港建設促進委員長佐藤文正でした。彼ら二人は、絶体絶命の窮地に陥っていた福田政府の命脈を生き長らえさせる手柄を立てたわけです。会談は平行線で終わったのでしたが、担当大臣が反対派の委員長とトップ会談をして「誠意を尽くした」とのポーズがあの加熱した事態の渦中では決定的だったのでした。

かようにして、財界連の停戦協定案は、申し入れる直前にキーカードを失い、福永運輸大臣によって『私どもも戸村委員長と対話して努力しております』と体よくかわされる事となりましたが、戸村委員長には、前述の『事柄』の細目は伝わっていなかったようで、そこから対応の仕方にずれが生じただけのことで、戸村さんの「一切の話し合いを拒否し、実力闘争によって5.20開港を粉砕する」熱情と決然たる態度は終始一貫変わることがありませんでした。その証拠に、3.26闘争の当日、三里塚第一公園での反対同盟主催の集会に対していわば「分裂集会」であった菱田小学校での空港包囲突入占拠集会に、非常な困難を越えて登場され、バイクヘルにて激烈な挨拶をされたのは、ほかならぬ戸村一作委員長だったのでした。

「進言仕り候も思ふにまかせず」

冒頭の桜田日経連専務理事の手紙はこう続いています。

「・・・其後福永健司大臣と一夕懇談仕りご要望の点等傳えて進言仕り候も思ふに任せず残念に存じ候。要するに政府12年に亘るやり方の不誠意にある事は明らかと存じしが、その後法務省刑事局長伊藤氏と成田問題を話したる際同局長も此の件は認め居り候。向後の事は小生も判断致し兼ね候らへ共、何とか不満乍ら解決の道を政府にも強く要求仕る所存に候」(今野求追悼文集より)

福田政府は、「何とか不満乍ら解決の道を政府にも強く要求仕る」財界の圧力を背後から受け、横からは、警察庁や与野党の成田特別立法の第2要塞や岩山団結小屋への全面適用や『過激派』のライフルでの射殺などを要求するヒステリックな圧力受けながら、正面からは、再び実力闘争に突入していった反対闘争の脅威の中で、「手を合わせる」(福田)気持ちで、5月20日開港になだれ込んだのでした。

以上の経過について私は、管制塔の被告たちに、「貴兄たちの戦いはかように日本支配者階級を震撼せしめた戦後階級闘争史に輝く大闘争であった重要な証拠」として報告する義務があると考え、克明なメモを複数とっておりました。残念ながらメモは、猛烈を極めた家宅捜索への対策やその後の事態の中でなくなりました。したがって以上の記述は記憶と当時の新聞と「今野求追悼文集」に基づくもので、多少のずれがあるやも知れません。ですが本筋のところは紛うことのない事実です。

この事実は、関係したごく少数の人々によって26年間厳密に封印され、昨年の今野求をしのぶ会を通してその断片が初めて活字にされていることを先述の文集で知りました。

道理に反する暴挙

財界連を動かした経過の主役は、徹頭徹尾管制塔を占拠した17名の戦士であり、横堀要塞に立てこもった40数名の仲間であり、9ゲートから突入して燃え死んだ新山たちです。さらには、労農合宿所、菱田小学校に結集した人々、8ゲートひいては2月要塞の仲間たちであります。

今なお、この件の秘匿にこだわる方面もあって、叱られる事にもなりましょうが、管制塔占拠をめぐって、1億300万円の損賠の強制執行が27年を経て16人の被告たちに襲い掛かり、彼らの生活、家族関係、人間としての誇りと尊厳を砕こうとしている今であればこそ、あの戦いの全実像を開示し、その巨大な意味と歴史的な意義を共有して、この攻撃に立ち向かう運動の一助とせずして何ぞやと私は信じます。
時効を直前にしての、1億300万円の損賠の攻撃は、どれだけあの戦いが日本の支配者を震撼せしめ大混乱に陥れたかの証左でもあります。
管制塔の元被告たち及び共に3.26闘争を戦ったすべての皆さんに、かの闘争の巨大さを物語る財界の休戦協定案をめぐる動きについて、以上謹んで報告申し上げました。
 
もう一度、桜田日経連専務理事の手紙の一部を読み返して見ます。
「要するに政府12年に亘るやり方の不誠意にある事は明らかと存じしが」
「その後法務省刑事局長伊藤氏と成田問題を話したる際同局長も此の件は認め居り候。」

つまり、日本資本主義社会の頭目たちも、『成田問題』の根源は、「政府12年に亘るやり方の不誠意」にある事を承知しており、今回の損賠攻撃の際『判決の事務的な執行』を唯一の口実とした法務局の官僚でさえこの件(政府12年の不誠意)は、認めている事が浮き彫りにされています。このことからも、今次の強制執行は、大トラブルの原因者が、原因者であることを承知しながら、その横暴を身を挺していさめた者に損賠を要求するという道理に反する暴挙であることは明らかです。

峻険のその度ごとにわれわれは、巨大さと深さとを加える

しかしながら、この理不尽な暴風に刺激されて、温かい恵みの雨が降りしきり、輝くような新しい芽が全国で育っております。サイトで見る限りでも、千葉や仙台で27年ぶりに仲間たちが集い始めています。数え切れない言葉が交わされ、熱い心が集まっています。

管制塔の前田元隊長は、まだ何がどうなるやら分からない7月19日のアピールで断言しました。
「わたしたちは再度手を取り合う幸福に浴しました」
良くぞ言い切った。

一ヶ月を過ぎて今まさに私達は再度手を取り合いつつあります。心がひとつになりつつあります。その幸せを感じている仲間たちが沢山います。
 見せしめ攻撃の卑劣非道が極まっているからでしょう。

宮沢賢治は農民芸術概論の結論の一節でこう言っています。
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志、巨きな力と熱である……
われらの前途は、輝きながら峻険である
峻険のその度ごとに四次芸術は、巨大さと深さとを加える
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
(以下略)

事態が峻険であればあるほど、われわれは、巨大さと深さを加えます。
われわれは、前田元隊長のように苦痛をも享楽する詩人の魂を持った仲間達です。
銀河を包むような透明な意志と巨きな力と熱をもって、1億300本の火炎弾を投げつける戦いを見事に完成させましょう。

草加 耕助

投稿者の記事一覧

当サイト『旗旗』の管理人。建設現場などで働いています。10代からの数年間左翼活動してましたが、現在は特に何ということもない普通のおっさん。今は休みの日に集会などにぶらり参加。そこで知り合った人たちと個人参加者の互助会的にジグザグ会、三里塚勝手連などを名乗りゆるく楽しく連帯中。よろしければご一緒にいかが?。個人としての目線を大切にしていきます。

コメント

  1. 20日の集約日まで、あと数日。
    現在8371万円余(10/11現在)、一応の目標の1億300万円まで、残すところ2000万円を切りました。

    このカンパの集中を、一体誰が予想したでしょうか!
    当初は誰もが達成不可能と考えていたでしょう。
    「できるだけカンパするが、一億以上となるとなー…」というのが、本音だったと思います。
    しかし、私達の予想はうれしいことに、完全に覆りました。

    連帯基金へのカンパの勢いは、20日の集約日にむけて、一層の拍車がかかっているとのことです!
    まだ、カウントされていない多くのカンパもあるとのこと!!!

    一億300万円は、達成可能です!!!
    それ以上のカンパも実現できることさえ、あり得るでしょう。

    政府ー国土交通省がもくろんだ、「戦った者は、傷つき監獄に行くだけではすまない。最初は英雄だの、戦士だのと持ち上げられているが、結局は見放され、見捨てられて、死ぬまで借金地獄だ」という狙いは、もろくも打ち砕かれつつあります。
    私達は、この政府ー国土交通省のみせしめ、報復を、完全に打ち破りつつあるのです。

    しかも、かかる戦いには78年3・26を戦った三党派、連帯する会、廃港要求宣言の会、反対同盟等などだけではなく、当時第一公園にいた元白ヘル、青ヘルの仲間達も加わっています。
    いやそれだけではありません。
    私の経験だけでしかありませんが、全共闘運動を戦った仲間や、60年代後半の安保ー沖縄、ベトナム反戦闘争から、市民運動をになった人々までが、このカンパ運動にはせ参じています。

    文字通り全ての民衆の戦いと、カンパ運動となっているのです。

    そして、今や達成不可能と思われていた1億300万円が、目前に迫っています。
    78年3・26当日にタイムスリップしていえば、われわれは管制塔ロビーにまでたどり着き、しかも目の前には扉が開いたエレベーターがあるということです。
    このエレベーターに乗り込み、最上階にまで登るのか、それとも逡巡して断念するのか、そのことが今問われている。

    カンパ運動に前代未聞の奉加帳を開陳するだけでなく、「とりあえず」とかの注釈をつけ、実質的にカンパを停止することを表明するならば、今もってそれぞれの分担に応じた責任がどこにあるのかを論じたり、枠をもうけたりしている者は、この歴史的戦いからその時点で去ればいい。

    われわれは逡巡や金銭勘定に堕することを拒否する。
    われわれはルビコン河を渡る。
    全ての心ある民衆と共に、頂上に向けて突き進む。

    • 風無
    • 2005年 10月 16日

    今回のカンパ闘争、私も知り合い(戦旗以外の元党派、ノンセクト、市民活動家等)にカンパ要請しましたが、ほとんどの人たちに「知ってるよ。もう振り込んだ。君に言われなくても必要ならまだまだカンパするよ」と返されてしまいました。
    ここまで波及力のある運動だったとは・・・。三里塚闘争の巨大さを実感しました。
    私自身、カンパ闘争で(身銭をきることで)こんなに嬉しい思いをしたのは初めてです。微々たる額ではあれ、管制塔戦士を始めとする全国の仲間たちと連帯できるのですから! その上、暫定滑走路北側延伸を目論む敵に痛撃を与えることができるのですから!
    今回は何だか権力にお礼を言いたいような気さえしてきます。
    あと、もう一歩。
    月曜日、郵便局へ行きます。また楽しい思いをするために。

  1. 2005年 10月 29日
    トラックバック:どこかにある場所

トップリンク


おすすめ













市民派議員


衆議院議員/服部良一

千葉県議/吉川ひろし

成田市議/足立まちこ

柏市議/内田ひろき

門真市議/戸田ひさよし
  1. 青焼き同人誌「Yakan」(マンガ・むかしいま)
  2. 対話

最近の記事

  1. 経産省前テント7周年9・11集会(撮影ムキンポさん)
  2. 寝落ち中(汗)
  3. 進撃の巨人 Season2
  4. 樺美智子さんを偲ぶ会
  5. 流砂13号
  6. 青焼き同人誌「Yakan」(マンガ・むかしいま)
  7. ロシア反プーチンデモ
PAGE TOP