安倍三選は決まったけれど…「アベ政治」を考える

アベ政治を許さない

by 味岡 修

 大方の予想通りに自民党総裁選挙で安倍の三選が決まった。メディアなどでは石破茂の健闘を評価する声もきこえるが、国会議員の票で石破支持は減ったのだから「どこが善戦なんだ」とこれに疑問を呈したのは麻生太郎である。国会議員と国民の間にはこれほどの乖離があることを知り、驚くべきなのにと、僕は麻生の発言に驚いた。安倍夫人の昭恵氏は「主人は国民の声をよく聞く」と述べていたが、麻生の発言のほうが安倍の本音でもあると思う。

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「アベ政治」はナショナリズムなのか?

アベ政治を許さない

 「アベ政治を許さない」というポスターを全国一斉に掲げる日がある。毎月3の日である。作家の澤地久枝が提唱したもので、身近なところでは国会正門前で13時(午後1時)から行われている。僕も時たま顔を出すが、安倍政権については不快感が増す一方で、この本質は何だろうかと考える。不快感が増すことは確実なのだが、その本質というのはつかみ難いところがある。

 安倍は政治的に登場した時は<美しい日本>という言葉をかかげたようにナショナリストいう印象を与えた。保守政治家としてはその意味で右翼的な政治化とみなされた。普通は日本の保守政治家でナショナリストいうと天皇制の信奉を持っているが、彼はそのような意味ではナショナリストではない。その種の政治信念というか、理念は持ち合わせてはいない。

 また、彼は反米的な保守政治家でもない。戦後体制(レジーム)からの脱却をかかげていたから、反米的保守の政治家(ナショナリスト)と思われたのだが、そういう信念も持ち合わせてはいない。これは安倍の政治的登場から今日までを見ているとそう思える。これは僕の分析(認識)ではあるが、そんなに的は外していないように思える。

特殊な国家主義者としての安倍

岸信介

 僕は、安倍は特殊な国家主義者、いうなら国家権力の強化が政治の目的であるという事を政治信念にしている政治家であると思う。これが僕の認識であるが、その意味では革新官僚として、北一輝の天皇機関説を信奉した岸信介の系譜のなかにある政治家といえる。

 戦前に美濃部達吉の天皇機関説は議会主義の別名であるといわれたが、北一輝の天皇機関説は国家主義の別名だった。北一輝の国家改造法法案を信奉した青年将校たちは農本ファシストであり、その意味で天皇制国家主義者だったが、岸は北一輝の天皇機関説を信奉する国家主義者だった。岸信介の政治家としての存在を誰も明確に分析はしていないが、かなり、特殊な国家主義者であったと思う。安倍はこの系譜にある国家主義者というのが一番理解しやすいように思える。

強い国家への志向ゆえの反立憲主義

解釈改憲

 この安倍の国家主義者という規定は、一番、正確には憲法というか、民主主義に対する嫌悪というか、否定の意識が強いという事である。それは権力に対する認識、意識、つまりはそれを制限し、制約するという立憲主義的な意識に否定的であるということだ。

 戦後の政治家は保守の政治家も、大なり、小なり、国家主義的なあり方を否定(反省)するということを持たされてきた。戦争の反省が、国家主義的な権力観に批判的な契機を与えてきたからである。戦争の否定としての非戦意識とともに、権力の過剰な振る舞いへの反省(批判)は国家主義に対する警戒を生み出してきたのであり、この基盤的制約は保守の政治家にもそれなりに影響してきたのである。国家主義、つまり国家権力の強化や強さを政治の目的とする政治思想は戦争と共に警戒されてきたのであり、保守の政治家の中でもそれは少数派に留まってきたのだ。

 安倍はその意味ではかなり特殊な存在であり、戦争への反省と国家主義への反省を「戦後体制」として批判する政治家であり、本来なら、これは保守派の中でも少数派にとどまるべき存在だった。
 これが変わったのは世界的な右傾化のためである。右傾化というのは歴史修正主義も含めたイデオロギー的右翼の登場だけをさすのではない。戦争の反省としての非戦意識や、民主的な意識(権力の過剰化を警戒する意識)が薄くなり、戦争の肯定や国家主義がふるまえやすくなっているのだ。安倍が登場しやすくなってきたのである。

「国家権力強化」以外の政治理念がない安倍政治

安倍靖国参拝の図

 安倍の政治理念や政策は政治思想に裏打ちされたものとしてはなにもない。彼のそれらは借り物であり、国家権力を強化し、強めるという方向を目指している。それだけが本質的なことであり、反米と戦前の天皇制国家の復活という反米右翼的保守に近い主張を持って登場した安倍がそれを背後に隠していくのは、機能的国家権力強化に意を注ぐからである。

 「日本を取り戻す」というのは国家権力の強い国家をめざすということである。非戦と民主制意識の浸透した戦後レジームを脱却するというのもそういうことである。戦前への日本社会の復活ということは非戦意識や民主制の浸透による国家権力の弱体化(国家主義的な国家権力が相対的化し、弱体化したこと)からの脱却である。

 安倍が就任以来やってきたものをとりあげればこれは明確である。彼の集団的自衛権の行使の憲法解釈の変更、安保法案、共謀罪法案の提出は言うまでもないが、彼が官僚に対する支配力を増し、権力監視にあるはずのメディアを権力が監視するなどをやっているのは国家権力の強化なのである。

 彼の国家主義はその政治的手法において権力主義的である。安倍政治は戦後の保守も戦争への反省として出てきた国家主義への警戒(自由や民主制の一定の浸透)を清算せんとしているのであり、これは戦後の保守思想が戦争の反省や自由や民主的なものを受容しながら、曖昧にしてきた結果、それを国家主義によって清算されて行っていることを意味する。吉田茂の流れを汲む保守本流がつまりは曖昧ではあるがリベラル的傾向を持つ部分が衰退していることと関係する。

 安倍の政治手法が強権的であり、その意味で非民主的なのは国家主義から来ているのであり、「自由な討論なくして民主主義なし」を地で行っているのだ。反立憲的な政治手法は国会での強行採決の常態化、権力主義的な官僚支配、政党支配などあげればきりがないが、国家権力の強化(強い国家)が彼の政治理念であり、政治的構想であるのだ。

社会主義から脱却していく政治理念を

レーニン像倒壊

 安倍のこうした動きを許しているのは野党の問題もある。小党に分裂し、野党共闘もできないていたらくに野党があることは大きな理由である。これは戦後の野党への社会主義の影響が根幹にあり、この社会主義が力を失っていくなかで、どういう政治的軸を持つのかという問題である。

 社会主義を根に据えた野党は非戦や自由や民主主義という戦後に登場した国民の意識を曖昧なものから、明瞭な理論構成や言語表現に高めることができなかった。ロシア革命の影響を受けた社会主義的な理念は非戦や自由や民主主義を深め、それを明瞭なものにして行くというよりは、それとは関係のないものだった。実際は戦後の非戦や自由や民主主義に基盤づけられ、守られながら、それをしっかりしたものにして行くというよりはそれらの否定に動いた。戦後の平和主義や戦後民主主義も、非戦や自由、あるいは民主主義を深め明瞭にしていくというよりは、その擬制的なものにとどまった。(このところを僕は経験的に語り得るが長くなるから留め置く)。

 その意味で影響力を失うのは必然だったが、そこから脱却していく政治理念を立てられなかった。昨今の、立憲主義の動きはそこへの道をしめしているし、希望をいだかせるが、まだ、端緒である。国家主義に対抗する政治理念を形成し、それを国民的なものにするという課題は戦後野党の試行錯誤の果ての解体から脱することであるが、それは端緒にあるに過ぎない。

 安倍政治の本質をつみだし、それに対抗することの難しさがある。それが僕らに安倍登場の不快さを募らせる原因だが、まず、「問題の所在」を発見しなければならない。安倍の提起する「憲法への自衛隊の明記」に対抗していく道もここから開かれるだろうと思う。
(三上治)

   

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味岡 修(三上 治)souka
文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。