資本主義論

自己責任論の本質(と引越しのご挨拶)

引っ越しました ◆引越しのご報告とお詫び

 みなさま、お久しぶりです。実は事情があって引越しました(単身赴任)。京都に住みながら、広島・岡山の西国に滞在して出稼ぎの生活でしたが、このたび東下りいたしまして、現在は東京都内の某市に住んでいます。
 ついでに、使わないと消滅してしまう未消化の有給休暇がありましたので、この機会に消化しています。結局は引越しのあれやこれやで忙しく、特に何か「リフレッシュ」のために使うことはできませんでした。考えてみればこの2年間、ほとんど有給も使わず、毎日12時間働いてまいりましたので、収入は下がる(残業代がつかない)けど、一週間くらい休んでもバチはあたるまいと思っています。

 引越しの前後、数週間にわたってネットにつなげない環境におりました。サイトの更新はもちろん、メールの閲覧も全くできませんでした。あらかじめお知らせしておりませんでしたので、ひょっとしてご迷惑をおかけした方もおられるかもしれません。申し訳ございませんでした。昨日からやっとネット環境も復活しましたので、『旗旗』の更新も再開していきたいと思います。

 なお、以前に中国地方に出稼ぎで働いていた時、「草加さんは非正規労働運動をはじめるらしい」とか一部で噂があったらしくてびっくりしたんですが、それでいくと今回の「東京進出」も、なにやらへんな勘繰りをする人もいそうで恐い。「夜逃げした」と噂されるほうがまだいい(笑)。特に公安関係者の皆さんは、そういうゲスの勘繰りをするのが商売ですからねえ。
 西日本の公安の皆様は、誠に正しくも私のような個人は歯牙にもかけず放置しておられたのですが、話に聞くところによれば、東京の公安さんは、私たちのようなただの一般市民にもしつこくつきまとう蒙昧なことを未だにしておられる旧態依然な状況だとか。それが本当なら、きっと東京は公安刑事の人数が多すぎるので、予算を削られないよう必死に「仕事」を捏造しておられるんでしょうねえ。税金のムダ使いご苦労様ですが、残念ながら今回の引越しも、今までの出稼ぎと同じく「政治的な動機」は全くありません(笑)。ただただ生きていくための引越しです。公安関係者の皆様に限らず運動圏のみなさんも、どうかそっとしておいてくださいますようお願い申し上げます。

◆「自己責任論」の本質

 つか、私としては一刻も早く京都に帰りたいくらいなんですよ。ただそれも昨今のご時世ではなかなか厳しく、生きていくためには自分の希望なんて二の次三の次ぎですわ。とにかくあれやこれや、あらゆる手段をつくして生活を防衛していくしかありません。そのためには日本中どこでも行くし、弱いものイジメや非合法でなく体を壊さない仕事ならなんでもするということです。来年の今頃はどこにいるやらわかりません。今や「すべり台社会」となってしまった日本社会では、ちょっとでもすべり落ちたら、元の生活レベルに戻るのは容易なことではありません。必死に歯を食いしばって頑張り、それでやっと現状維持ができるかどうかです。何かの拍子にほんのちょっと足を踏み外したら、そのまんま何のストッパーもなく下まで転げ落ちてしまうのです。
 ネトウヨのみなさんは、「民主党政権になったら中国が攻めてくる」とか現実離れしたバカな妄想を絶叫している暇があったら、民衆がみんな当たり前に日々の生活を守るため、必死に闘っていることを知るべきです。

愛の反対は憎しみではなく無関心です(マザー・テレサ) それはともかく、家族の生活を守って現状を維持し、今より「すべり落ちない」ためには全く気が抜けないし、そういう意味では、みんなが上を向いていた『三丁目の夕日』みたいな、かつての日本の「貧乏」とは質的に全然違う(だからこそこの作品に多くの人が郷愁を感じるのでしょうが)。現在のように小泉改革に代表される新自由主義が幅をきかせる時代には、昔のような「貧乏人」の明るさも消えうせ、貧しい人はみんな暗くなってうつむいていく。利己主義が蔓延し、その資本主義に特有なエゴイズムの土壌に「自己責任論」のアダ花が、まるで便所の裏の隠花植物のように花開く。それが今の日本の姿なのです。
 そんなところに日本古来の「助け合いの精神」なんぞ生まれようもない。惻隠の情もどこへやら、「他人なんぞどうでもいい、自分だけは損をしないぞ、逮捕さえされなきゃ何をやっても『合法』だ、合法なんだから文句あるか」、これが自己責任論の(そして資本主義の)イデオロギー的な本質です。これがエスカレートすると、自分の邪魔をする者は目障りだから逮捕しろというまでになり、ついにはそれに応えて凶暴化していったのが新自由主義政府でした。

 そこでは他人がどんなに困っていても、「自己責任!」とドラクエの呪文みたいなレベルで吐き捨てるように唱えておけば何もしなくていいのです。ちなみにこの呪文は政治家や大金持ちのようなレベル20の人でなくても、レベル1のニートやヒッキーの方々でも使えます。
 確かに誰でも使えるし、自分よりも弱くて困っている人に向けて使うことで優越感を得たい誘惑にもかられるのもわからないではないけれど、実はこの呪文は本当の敵ではなく、自分もろとも味方だけを全滅させる逆メガンテみたいなものです。
 自己責任の一言で貶められている「自分よりレベルが下の人々」が、実はすべり台社会における「明日の自分の姿」であり、世界の民衆の姿なのです。これを貶め、貧困問題なんて放置して当然、ましてや三里塚や辺野古、京浜ホテル争議など、国や資本によって苦しめられ抵抗している人々なんて助けるどころか逆にむしろ弾圧・抑圧・排除せよと言うことは、すなわち自分たち自身の首を絞めていることに他なりません。

 たとえば池袋の炊き出しなど、貧者へのボランティアに対する、行政さえも一体化した妨害や「苦情」に、こういった自己責任論・資本主義イデオロギーの端的な発露が見て取れます。私には「派遣村」など反貧困活動を担っている人々のほうにこそ、よほど「古きよき日本人」の精神を見て取れるようにさえ思います。
 今やこういった当たり前の助け合い活動さえ、「見えない所でやるのは勝手だが、自分のそばでやられるのは迷惑」という人が出てくるまでに、日本人の精神文化や、次代を担う子供たちの教育現場などは、自民党政府や新自由主義によってそれこそ「貧困化」させられ荒廃してきたのです。
 あげくには、新自由主義政策によって生み出されてきた自分たちの閉塞感を、全く逆にそれを生み出してきた自民党政府などの強者に対して擦り寄りながら、老人や子供、在日外国人のような自分たち以上の弱者を、権力の庇護の下に大人数で迫害してまわることで晴らそうとする「在特会」のようなファシズム運動(というか勝って当たり前の安全な所にしか絶対に出てこない単なる卑怯者の吊るし上げマニア)さえ幅をきかせているではありませんか。いったい「日本文化を破壊」しているのはどっちなんだと言いたい。

◆「左翼」ではなく「人間」として

人として正常な思考を! 私は常々申し上げていますが、自分が「左翼」かと正面から問われると自信がありません。本物の左翼のみなさんからは、「お前なんて左翼でもないのに左翼みたいな顔をするな」と何度も怒られたりしています。ただ、よくネトウヨの皆さんがさんざんに右翼的なことを書きながら最後に「自分は右翼ではない」と言うのが、見ていて非常に見苦しくてみっともない、こんなバカは相手にするだけ無駄だと感じるので、自分は絶対に同じことはしたくないと思ってきたんですね。もはや「自分は右翼ではなくて『普通』の人だ」と自称しているかどうかが、ちゃんとした右翼か、ただのネトウヨにすぎないかのリトマス試験紙の一つになっている感さえあります。まあ、左派でもそういう人はいるんですが、自分が(幅広い意味での)左翼ではないと言っちゃうのは、本当にみっともなくて嫌なんです。

 そんな程度の「左翼」である私ですが、ただ一つ言えることは、私は左翼や日本人や労働者階級である以前に一人の「人間」であるということです。ぶっちゃけて言っちゃえばもう「何々主義」なんてどうでもいいと思っています。そういう「主義」というのは、実現すべき宗教的な目的ではなく、そのための単なる手段にすぎないんですね。左翼だろうが右翼だろうが、この目的と手段を取り違えた段階でその変質がはじまるのだろうと思っています。たった一人の13歳の女の子を吊るし上げるため「だけ」に似非デモ行進を行った「在特会」の皆さんには、このことをよく考えていただきたい。私はどこに住もうが、どんな仕事や生活をしようが、左翼として正しいかどうかよりも、「人としてどうよ」の価値判断を第一に置いて行動していきたいし、「在特会」の蕨デモのように人から見られて恥ずかしい行いは少なくとも個人として絶対にしたくないと考えています。

そんな私と『旗旗』ですが、それでもよろしければ今後ともどうぞ応援をよろしくお願いします(ハート)。

コメント

  1. お引越し等でお忙しいところ、先日の三里塚現地闘争への参加お疲れ様でした。転勤、引越しは私のようなサラリーマン土木屋さんにも必須なのですが、なぜかここ4年ばかりありません(^^;;
    >ぶっちゃけて言っちゃえばもう「何々主義」なんてどうでもいいと思っています。そういう「主義」というのは、実現すべき宗教的な目的ではなく、そのための単なる手段にすぎないんですね
    右翼だろうが左翼だろうが宗教家だろうが、人間として当たり前に楽しく生きる・・・それを目指してがちゃがちゃやっている中で、「○○主義」というのがだんだんと「完成(ただし、永遠には完成しない。人間が生きることはずっと続くから)」するのでしょうね。

    • たけ(39)
    • 2009年 10月 31日

    引越しお疲れ様です。環境が変わると風邪をひきやすいといいますから、体にはホント気をつけてください。

    私も若い(ハタチ)頃に東京で生活していた時期もあったのですが、体を壊してしまったため田舎に帰りました。
    田舎で就職したのはいいが、収入が以前の半分ほどになってしまって泣きそうになったのを覚えています。(いまだに当時のレベルまで回復していませんが・・・)
    ホントに一度落ちると後が大変です。

    話は少しそれますが、5月の中頃に父が亡くなりバタバタしてました。(長男ですので喪主をやりました。)
    葬儀等のひととおりのことは葬儀屋が仕切ってくれたのですが、その後のしきたり等のこまごまとしたことは親類の助けがなければどうにもなりませんでした。
    「自分ひとりでやれということになったら」と思うとゾッとします。
    『自己責任』を連呼する人々というのはこういった『人の繋がり』というものが見えないのでしょう。
    もしくは「誰かがやってくれる」という甘い考えを持っているのでしょう。

    • 東行 哲
    • 2009年 10月 31日

    はじめてのコメントです。ネット初心者なので、礼儀が分からずに、割り込んでしまっているかも知れません。もし、ご迷惑をかけていたら申し訳ありません…。

    ここまで「自己責任論」が蔓延してしまったのは、私たち大人が、「人としてどうよ?」という問いに、人としての基準をあまりに意識せずに、長い間過ごしてきてしまったために、その問いに答えられないからかも知れません。
    私なりに『自己責任論』に対して自問自答した答えは、当たり前すぎますが、闘うことでした。もしくは、異議申し立てをすることです。いまさら、いや昔もですが、若い人みたく戦えないし、カッコよく異議申し立てもできませんが、おかしいことはおかしいと、ダメなものはダメなんだと口に出して、行動に移して行こうと思いました。まずは家庭や職場や地域での言動から始めようと思っています。

    草加さんが、ガンダムはわからず、マジンガーZの世代だというのに(私もそうですが)、ドラクエの例えは、おかしかったです。(“逆メガンテ”ってなんですか?)

  2. GOさん>
    完成した、あるいは閉じた体系というのは、一応はそれで全世界を説明できるし、それで歴史を手のひらに乗せたような気になると思います。しかしその時点でかならずまた新しい問題が生じてくるのは、それこそ歴史の教えるところです。マルクスもレーニンも、その生涯を通じた思索と実践の暗中模索の中で、徐々に思想が変化・発展してきたことを思う時、その後を継ぐと自称するのであれば、これを完成された「閉じた聖典」のように扱うのは違うのではないかと思います。

    宗教や政治、哲学などのあらゆる思想は、そういったとき、「完成」した形式を宗派(セクト)的に守ろうとする人々と、形式ではなく元々の精神をこそ守っていこうとする人に分かれていくように想います。いわんや左翼思想おやです。ですから左翼であろうが右翼・保守であろうが、むしろ「完成」していて論理的に精緻で一見すると非の打ち所がない思想や理論(の信奉者)のほうが、危なっかしくて、ロクでもない結果をもたらすように思えます。

    ネトウヨさんが大昔の左翼の悪いところだけを引き継いだ、裏返しの劣化コピーだというのは、実は一番にはそこに現れているのではないかと思います。歴史を手のひらに乗せたつもりになっている、くちばしの黄色い紅衛兵どもほど、人々を悲惨な運命に導く危険な存在はありません。

    閉じた体系ではなく、開かれていて常に未完成であり続ける大雑把な思想のほうが、実ははるかに健全ではないのかと思います。真理とは常に相対的にしか存在しない、「絶対的真理」など存在しないということをいつも肝に銘じておく必要があると思います。

    自分の思想がこれまでの歴史の末に見出されたかのような、ヘーゲル的な世界に入ってはいけないと思いますし、そこから過去を自己の主観にあわせてぶったぎって主観的に解釈していく皇国史観など問題外です。自己や自己の属する社会すら、相対的で一つの階梯にすぎないものとして対象化できる点にこそ、マルクス主義本来の長所があると思います。

  3. たけ(39)さま>
    そうですね。元々「自己責任論」というのは、左翼が反発するだけではなく、いわゆる保守思想とも真っ向から反するものだと思うのですよね。ただ単に左派的なものを叩きたいというだけのご都合主義的な「論理」にすぎなかったんだろうと。

    元来の「自己責任」は法学の世界では「自己決定権」の一部として論じられたこともありますが、ネット発で流行したのは、こういう歴史的な議論とは何の縁もゆかりもない浅いもので、要はマニアックなパソコンの機器やソフトに書いてある「ご使用は自己責任でお願いします」という注意書きから思いついただけのお手軽な「呪文」にすぎなかったと思います。つまり思想なき単純な「反共」ではあったが、決して「保守」ですらなかったと思います。

    ところで、ご投稿を読ませていただき、つい、自分の親のことを思い出しました。なんとか一刻も早く安心させてあげたい。そのための残り時間はどれくらいあるのだろうかと焦るばかりです。

    私たちの同年代の活動家たちも、そろそろ親が老齢に達してきています。だいたいは皆さん常識的な判断のもと、それぞれに苦闘しておられる様を見、あるいはそんな大変な状況の中でも志を忘れずに頑張っておられる姿を見て、あらためてそれはそれで救われる思いと共に、深い敬意を感じざるを得ません。

    そういうことが(頭ではなく心で)わかってきたときに、「紅衛兵」から卒業していくのかもしれないと思っています。

  4. 東行さん>
    初投稿ありがとうございます。どうぞ難しく考えず、これからもよろしくお願いします。ネチケットなどをうるさく言うのは、あまりに礼儀知らずなカンチ君が多いからであって、そういう非常識な方でない、ごく普通の書き込みにまで、うるさいことを言うつもりはありません。どうぞお気軽にお願いします。

    私も常々、「おかしいことをおかしいと言う」ということと、それと矛盾するようですが、あまりうるさいことを言わず、できるだけ他人にも寛容であるという両方を心がけています。基準はやはり「人としてどうよ」ということだと思います。権力的に押さえつけることはやはり許せませんが、いつのまにか自分が「正しいこと」を、他人に権力的に押し付ける存在になっては本末転倒だと思うのです。

    それは左翼運動の歴史の反省でもあります。結局それでは自分が最も批判してはずの、資本主義イデオロギーと全く同じことをしているにすぎない。そこから卒業できていないということになると思います。理論や理屈が正しければそれでいいというものではありませんから。

    常に強者や権力的なものに対してのみ、「異議申し立て」をしていければと思いますが、私もごく普通の人間ですから、やはり往々にして強者には沈黙してしまったり、弱い(言いやすい)者には遠慮なく批判してしまったりしがちです。お恥ずかしいですが、そういう自分がやはり自分の中にいます。それでは「在特会」を批判できません。そういう「在特会」的な生き方とは反対の生き方こそが左翼だと思います。

    つまり左翼とは特定の理屈の信奉者ではなく、生き方の問題だと思います。「革命家になることは簡単だが、革命家でい続けることは難しい」とはゲバラの言葉ですが、一見すると何気なく表面的に理解していたこの言葉の意味が、年齢を重ね、背負うものが増えるにしたがってわかってきます。私も東行さんの決意を見習って、常に自己点検していきたいと思います。

  5. > 草加さんが、ガンダムはわからず、マジンガーZの世代だというのに、ドラクエの例えは、おかしかったです。

    うわあ、すげぇ細かいとこまで読んでいただいてるんですね(笑
    言っときますけど、同年代で初代ガンダムに夢中の人もいましたよ。私はもっと萌え系なんで、あんまりその属性がなかっただけなんですよぉ(草加必死だな藁)。それにドラクエの歴史は長いのだ。

    > (“逆メガンテ”ってなんですか?)

    ドラクエのメンガンテとは自爆呪文でありまして、自分自身を爆発させることで、命と引き換えに適全体に大ダメージを与える呪文です。だいたいは爆弾岩などの敵モンスターが使ってくる呪文でして、弱いくせにこれを使われたらへたすると全滅しかねない嫌な呪文です。ですからこれを使うモンスターが現れたら、とにかく一番はじめに総攻撃をかけてさっさと倒してしまわないといけないという。

    「逆メガンテ」は造語ですが、「自己責任」の呪文は、主観的には敵を倒すつもりで自分の首を絞め、本当の敵は無傷で喜んでいるだけであり、本来は手をつなぐべき味方だけを全滅させてしまうという意味です。ですから本当の敵に対するのと、こういう「逆メガンテな人」に対するのとでは、違った対応が求められると思います。ただし、相手からする悪質な攻撃に対して、降りかかる火の粉は払わないといけないのは当然のことです。

    ちなみに私が「旗旗」などを通じてやっていることは・・・パルプンテですな(爆

  6. 私の人生経験の乏しさをこちらで補わせていただいているのと、多くの訪問者がこちら経由で私のブログに来てくれていますので、いまさらですが一言お礼したく書き込ませていただきます。

    >そんな私と『旗旗』ですが、それでもよろしければ今後ともどうぞ応援をよろしくお願いします(ハート)。

    なお、「ハート」は「はぁと」としないといけません。強制ではありませんけど。(はぁと)

    • 三浦小太郎
    • 2009年 11月 10日

    マザー・テレサの写真と言葉がこのコメントに入ってますね。私はパソコンのことよく知らないんで、一応、草加さんが好きな言葉なので引用したと思いますが、これは難癖つけるんじゃないけど、このマザー・テレサ、実践活動はもう素晴らしいけれど、その思想はちょっとばかし「何々主義」的な人でして、まあ私はついていけない。この彼女の言葉も活動も全く正しいんだけどねえ。

    彼女のメッセージの中で、少なくとも彼女にとって最も重要なものが、堕胎絶対反対なんですよ。もし生んでも育てられないなら、育てる気がないなら私の所に連れてきなさい、堕胎だけはいけませんと常に厳しくアピールしてた。私も、実はこの主張に近いんです。ただ、それぞれの女性にも家庭にも事情があるし、あそこまでに過激に言わんでもなあと思ってた。うろ覚えですが、レイプされた女性でも産むべきだとまで言っていたと思うし・・インドや中国のような人口爆発を抱えていた国に対して理想主義だけを振りかざしてもなあと思ったこともあります。

    しかも、この主張は一歩間違えると暴力的なものになりかねない。ごく一部でしょうが、アメリカの極右原理主義キリスト教の中で、堕胎反対を極端に唱えたり反ユダヤ主義と結び付けたりしている連中や、暴力的な活動をしているグループもないわけではないので。

    勿論、マザーテレサはそういう極端な人だからこそあそこまで実践活動が出来たともいえる。ある種の宗教的信念や、熱狂的、過激なまでの信念がないと、本当の意味で人を救うような活動を生涯することなんてできないのかもしれない。ガンジーの非暴力運動も、勿論政治的にも考え抜かれたものですけど、同時にやはりその背後にはガンジーなりの思想と信念があるからできるんだと思います。ある種、過激な人にしかできないことってあるんだわな。

    まあ何がいいたいかといいますと、「愛」や「人間らしく」という思想もまた、過激な人が突き詰めると相当危険な世界に行くこともありうるし、また同時に、ちょっと考えられないほど素晴らしい実践や根源的な思想を生み出すこともある、ということです。その意味で、マザー・テレサとか、ガンジーとか、あるいはまあ私の尊敬する人ではソルジェニーツインとかね、とにかく過剰で過激な人でした。

    そういう意味で、勿論過激ではあるんだけど、実践と思想のバランスが本当にうまく取れてた人がいて、実はナイチンゲールってそんな人だったと思う。この人、興味があったら簡単な伝記とか読んでみたらいいですよ。クリミアの天使、人道の女性、何てイメージはすぐ消える。いや、勿論人道的なんだけど、彼女は同時に軍人相手の交渉では滅茶苦茶タフネゴシエーターで、しかも恋人(らしき)の有力者をどんどん利用して現地で自分の要求を通し(まあ男冥利に尽きますな、逆に)ていった。

    かつ、傷病兵を慰めるだけじゃなくて(実は本人病弱なお嬢さんでもあったんであんまり実践は言われるほどやってないらしい)、食事や衛生の改善、兵士の給与の管理、統計学の導入による死亡原因の調査(戦争よりその後の不衛生な環境による病死が多いことを統計やグラフで証明した)に力を入れた。こういう、理想と現実のバランスがいい意味で取れている人が、これからはもっと必要ですな、右にも左にも政治家にも役人にも。

  7. 三浦さんの投稿を拝読いたしまして、なんで私がマザー・テレサにこんなに魅かれてしまうのか、やっとわかった気がします。
    もちろん「好きな言葉なので引用した」ってのはあるんですが、それだけでなく、マザー・テレサって人間にすごくひかれてしまうんですよ。それも「天使」としてではく、すべてをなぎ倒して進む「ブルドーザー」、「過激派」としての彼女に。こういう心情って危険ですか(笑

    まあ、あれですよね。人は自分にないものにひかれるというか、体力の無い人が格闘技に憧れる心情かもしれんです。だいたい私は「お気持ちはわかりますが、こういう難しい事情がありまして」とか言われて「この人も大変なんだなあ」とか説得されちゃうタイプですから。

    もちろん三浦さんのおっしゃることはよくわかった上で書いているし、理想と現実、理論と実践のバランスがとれてしかもタフな人というのはそれこそ「理想」だし、私が活動家時代に求められた資質そのものだと思います。しかしどうも私にはその資質が欠けているらしい。とりあえず権力とか権限を与えられたリーダーには、そういうバランスがとれてなおかつタフな人になっていただきたい。とりわけ政治にはそういう人が求められるのもわかります。

    でもとりあえず私はマザー・テレサの路線でいきます(笑)。だいたい私は政治向きの人間ではないと自覚しておりますし、それに理想や人道主義というのは、常に世間とぶつかって喧嘩し続けて勝っていかなきゃならない、叩かれ続けても耐えないといけない側面があると思います。それでもまあ、マザー・テレサまでいっちゃったら誰も文句が言えないんですが、私は一生かけてもせいぜいアグネス・チャンどまりかな(笑)。

    ただその上で、私がなんとな~くなんですが、活動の場で自分の行動指針としてきたことが、・人は人、自分は自分と心得る、・他人を非難するより自分が動く、・他人に「こうあるべき」ということを押し付けない、・「○○主義」より人としてどうかという良心を優先する、・「かくあるべき」より「こんなこと許せない」を行動指針とする、・3人を超える集まりのリーダーにはならない、というようなとこです。これもまあ、あんまり厳密に考えると「主義」になっちゃうので、そのあたりは柔軟な心得みたいなもんですが、それでも三浦さんの書き込みで、なぜ自分がそんなふうに思っていたのかの整理もついたような気がします。

  1. 2009年 10月 24日
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