懐古的資料

2ちゃんねるブント(戦旗)スレまとめ part1 (1/5)

 懐古的資料室に収録しております「2ちゃんねるブントスレまとめサイト」ですが、これは明らかなデマから単なる煽りや荒し、広告野郎まで、一つももらさず、原文のまんま全部載せるという方針で掲載しています。けど、やはりそれだと読みにくい。いつかは少しばかり編集したバージョンも載せたいと思っていましたが、ブログのほうでそれをやることにしました。今後、Part2 以降も月一本くらいのペースでぼつぼつ載せていきます。

 まあ、資料室のほうにちゃんと原文を表示しているわけですから、ここでの編集が主観的、恣意的になってるんじゃないかと思い悩む必要もあまりなく、文句があるなら原文を読んでくれと言うことで。ただ、こんなものを載せても誰が読むのかという問題が最後に残るわけだが(笑)。まあ、若い人には教科書でしか読んだことのない過激派(新左翼)の実態が本当はどうだったかとか、同年代のバブル期青春世代の方には同じころにこんなことしてた奴もいるということで。また、70年代以前に活動していた大先輩の皆様には、自分たちが去ってから後輩は何をしていたのかとか、そんな興味で読んでください。

‘80年代のブント(戦旗)活動家よ思い出を語れ

成田用水攻撃粉砕!三里塚緊急現地闘争の戦旗派(85年7月14日)

1 :名無しさん@3周年:03/10/07 19:15
80年代、まだブント(戦旗)が左翼党派だった頃..
3・8分裂を乗り越え、用水闘争を戦い抜き、次々と結集する仲間と共に、トマホーク、レーガン、全斗煥、指紋押捺など数々の政治的課題を勇猛に、そして陽気に闘った仲間よ

今思い出を語れ!

オレはさっさと消耗してコケたが、まあその辺はお互い様っちゅーことで(w

12 :名無しさん@3周年:03/10/09 11:34
今はオサーンばっかりだろうけど、少なくとも’80年代は左翼活動家も若者が中心だったので、思想よりも噴き上がるエロリビドーに忠実になってしまったんだろうなぁ。

でも戦旗って組織内恋愛には割と寛容だった気がするんだけど??

18 :名無しさん@3周年:03/10/09 13:26
>>12
オレが聞いたのは’70年代後半~’80年代初頭辺り?の「恒常的武装闘争」の時代は組織内恋愛はNGだったけどそれへの反省からか、’80年代中盤あたりは割と寛容だった感じがあるんだけどね。確かに地区をまたいだ恋愛は歓迎されなかったみたいだけど。

って言うか他の地区の同志とは、あんまり親しくなるな..みたいなのはあったねえ。これはどこの左翼もそうなんだろうけど...。

学生なんか全国どこの闘争へも行くわけだから、他の地区の学生と仲良くなったりしたけど、そういうの軽く釘をさされたよ。「結構面倒くさいんだな...」と思った憶えがある。

19 :名無しさん@3周年:03/10/09 13:29
> って言うか他の地区の同志とは、あんまり親しくなるな..
> みたいなのはあったねえ。
> これはどこの左翼もそうなんだろうけど...。

なんで???マジレスきぼん

21 :名無しさん@3周年:03/10/09 13:41
>>19
多分レーニン主義的に色々あるんだろーけど(笑)オレのような半端な活動歴の人間にはよく分らん。
詳しい人よろしくお願いします。

多分アレかな?
下の人間同士仲良くなって分派とか作られるの恐れたのかな?
それにいくら全国同じ党規で活動してるからと言ってもしょせん人間の作る組織だからさ、地区によって雰囲気とかは異なるわけだ。「えーーあの地区はあんな感じなんだ。それに比べてウチは」とかそーいう不満とか出るのをイヤがったんじゃないのかな?
もちろん機密保持というのが大前提にあるんだろうけど...。

「人事異動」で他所の地区から来た人が、前の地区のことをあれこれ喋るのも咎められてたし。

22 :名無しさん@3周年:03/10/09 15:12
Tさんがやめた本当の理由って知ってる?

24 :名無しさん@3周年:03/10/09 17:42
戦旗を語る時にはパラチェン同様、Tさんの更迭のことも避けては通れないのか??
あれだけバイタリティ溢れる人だからどこでも元気にやっていらっしゃると思うけど。

25 :名無しさん@3周年:03/10/09 17:48
T女史って自発的離脱じゃないの?

26 :名無しさん@3周年:03/10/09 17:50
>>25
冗談じゃない!彼女はアラに飛ばされたんだよ!!!!!!!

29 :名無しさん@3周年:03/10/09 18:07
>>26
Tさんの更迭ってパラチェン以前だよね?
何か政治的な確執でもあったの?それとも人間的な対立だったのだろうか?

Tさんは下部からはものすごく慕われてたな。悪く言う人見たこと無かったよ。
案外その辺が遠因なのか...??

32 :名無しさん@3周年:03/10/09 21:50
どっかで仲居やってるとか書かれてる人のことか?

35 :名無しさん@3周年:03/10/09 23:03
>>29
荒に無理難題ふっかけられてたよ。あれを見たTさん寄りの組織の人間も、獄から出てきたばかりの荒には何も言えなかった。当時の人間はほとんど残ってないけどな

36 :名無しさん@3周年:03/10/09 23:07
今は亡き大田リョウも、Tさんに惹かれていたみたいだった。
もう大昔の話だけど。

37 :名無しさん@3周年:03/10/09 23:26
>>35
ほとんど入れ替わったんね。

41 :名無しさん@3周年:03/10/10 21:42
Tさんはね、戦旗派の「反天連の担当」だったわけ。
反天連(反天皇制運動連絡会)は呼びかけて諸党派といっしょに実行委員会作ったりしていたけれど、しかし、反天連自体は無党派主義の集団だったわけ。あの短パンのオヤジの古本屋さんとかさ。
反天皇制の闘争で、戦旗派は「反天連が呼びかけた実行委員会」に参加して―というかぶる下がって、反天連にとっても世話になっていて、Tさんも反天連の人たちと仲良くしてたわけ。
ところが戦旗派は、ある日突然、「あんな無党派主義の集団にくっ付いているのはいけない!」とか言い出して、反天連から急に離れたわけ。それで、Tさんは戦旗がイヤになっちゃったんだろうよ。

42 :名無しさん@3周年:03/10/11 14:46
>>40-41
いや~これは戦旗の体質なのか荒さんの個人的資質なのか..

自分の組織の中では、結果的にイエスマンばっかりになったり
市民運動の中ではイニシアチブを取れないとすぐキレてしまったり...

ただ荒さんの中では
「組織はイエスマンばっかりじゃイカン!」とか
「セクト主義はイカンのだ。広範な市民とも共闘しなければ」っていうのも
ウソではなく思ってるんでしょうねえ。

気まぐれなのか忍耐力が足りないのかはよく分かりませんけど
それに振り回される人は大変でしょうね...。

43 :名無しさん@3周年:03/10/11 18:37
組織から離れた人は元の組織をボロクソに言うからな。わり引いて捉えたほうがいいよ。

44 :名無しさん@3周年:03/10/11 18:44
Tさんは、ボロクソ言わず、沈黙を守っている。
当時、反天連にいた某キリスト者さんは、Tさんに同情してたな。

45 :名無しさん@3周年:03/10/11 18:54
>>44
早見某とか小林某とは違うんですね。それは立派。

47 :名無しさん@3周年:03/10/11 19:55
中核とかそうでもないんじゃない?

48 :名無しさん@3周年:03/10/11 19:59
>>47
ん?何が?やめた人がボロカスに言うかどうかってこと??

う~ん確かに2ちゃんを含めてネット上で「元中核」って人あんまり見ないなあ。戦旗とインターはよく見るけど(笑)
やっぱアレじゃない?元の組織があんまり路線変更せずに継続してるとさ後ろめたさの方が先に立つんじゃない?

49 :名無しさん@3周年:03/10/11 20:01
>>48
なるほどね。納得すますた。

50 :名無しさん@3周年:03/10/11 20:03
>>48
元中核の小西さんが前はよく書き込みしてたよ。最近来ないけど。

路線変更で言うなら、中核も大衆路線で路線転換。変わってないのは青解くらいのもんだ。

51 :名無しさん@3周年:03/10/11 20:28
>>50
小西さんは元中核って言っても客分みたいなもんでしょ?

生え抜きの活動家とはチト事情が異なるところもありますね。

私も戦旗のパラチェンを知るまでは、左翼業界の情報は全くシャットダウンして日々市民生活を営んでおりました。
「自分は逃げ出した人間なんだ...」っていう後ろめたさは常についてまわっていましたから...。

ある日たまたま書店で「パラチェン」を手に取って腰が抜けるほどビクーリしますた(笑)

まあ活動から召還したことをパラチェンによって免罪できるわけではありませんが、何となく「もう無い組織の話」っていうニュアンスで話は出来るようになりました。

そういうことに厚顔でいられるくらい年をとったのかもしれません。

52 :50:03/10/11 20:40
>>51
元活動家さんだと、やはり自責の念みたいなものがついて回るんでしょうか。
そんなに自分を責めなくてもいいのに、普通の生活を送りつつ、いわば趣味的な範囲で運動したけりゃすればいい、と俺なんかは思ってしまいます。
新左翼からみたらママゴトみたいなNGOにいるからそう思うのかも知れませんが。

あと、日向のパラチェンは外部から見る限り、そんなに突飛ではなかったですよ。
マル青同の転向とはわけが違って、それなりに理解できるもんでした。

54 :名無しさん@3周年:03/10/11 23:13
>>52
うーーん。
戦旗に限らず、党派活動家って多かれ少なかれ個人的なことはすべて革命(すなわち所属党派)に従属していてそういう生活に耐えられないのは、それはすなわち共産主義的主体が形成されていないのだという意識で活動していると思いますからね.....。

活動をやめる時も「自分の人生の選択としてやめる」という発想にはなり難いですし、そもそもそんな感じでサバサバとやめる人も少ないんじゃないですかねえ..。
ある朝置手紙とともにアジトから消えたりとか、そんな例はよく見ました。

>日向のパラチェンは外部から見る限り、そんなに突飛ではなかったですよ

パラチェンに至るまでに戦旗にも色々変遷があったということなんでしょうか?
私の戦旗の知識はゲリラ三派と言われていた時代で途切れてますから。
そりゃもうビックリしました(笑)

57 :名無しさん@3周年:03/10/12 02:49
>>1
馬鹿を言わないでもらいたい。過激派が進歩派にどれだけマイナスイメージを与えたか分かってるのか。思いで話なんてしてる余裕あっていいね。これだけ不況が深刻で過労殺人も起きてる世の中で。

58 :名無しさん@3周年:03/10/12 11:00
>>57
そう思ってパラダイムチェンジしてみますた
ご迷惑をおかけしました

59 :名無しさん@3周年:03/10/12 11:08
57はまるで日共のニセ左翼暴力集団批判みたいだな。パラチェン後のブントを日共がどう評価しているのも気になる。赤旗ではどう書かれているんだろ。

61 :名無しさん@3周年:03/10/12 17:15
>>59
日共にとっちゃブント(旧 戦旗・共産同)がどーなろうが関係ないから、何も考えていないだろ。

62 :名無しさん@3周年:03/10/12 19:23
>>61
ワシもそう思う。
学生戦線でヘゲモニー争いの渦中にいる民青の連中以外は新左翼のことなんて一年のうち5分も考えないんじゃないかな?一般の日共党員は。

そもそもブントに何派があるなんてことほとんど知らないんじゃない?
もとより興味も無いだろうし....。

63 :名無しさん@3周年:03/10/12 19:28
>>62
ブントに何派があるって、全部知ってる人洪庵以外には、いなかったりして。
てか、ブントの活動家でもしらねーよ。

64 :名無しさん@3周年:03/10/12 20:03
>>63
確かに(笑)
戦旗にいた頃も西田とせっき(変換できない..)と蜂起くらいしか知らなかった。
どこがどういう風に分かれたなんて話はしなかったなぁ。

本当に申し訳ないんですけど、ウチ以外はみんな雑派くらいにしか思っていませんでした.....。
正直に書きましたので怒らないでください。

65 :名無しさん@3周年:03/10/12 20:09
>>63
日共の党中央は知ってるって。新左翼の動向への関心は公安と甲乙つけがたし。
新左翼批判の書籍も多数出版しているしな。

66 :名無しさん@3周年:03/10/12 20:49
  「赤赤 方其」できたぞ。64さん
蜂起・煙火・前衛・怒濤・国際主義派・赤軍派・いろいろあるぞ。

65「新左翼は三度死ぬ」日本共産党出版局
「ニセ左翼暴力集団批判」民主青年同盟中央委員会・・・などがありますね。

67 :名無しさん@3周年:03/10/12 22:21
>>64
>ウチ以外はみんな雑派くらいにしか思っていませんでした

ガハハ

68 :人民の☆の元読者:03/10/12 22:27
>>64
レーニン主義の洗礼を受けたら、みなさんそうでしょう?
僕はあなたに好感を持ちました。

71 :64:03/10/13 02:02
>>67->>70
’84年頃でしょうか?朝日新聞に三里塚の記事が載った時に「新左翼の中で唯一動員を伸ばしている共産同戦旗派」みたいなことが書いてあって、ちょっと誇りに思ったりもしました。「ブル新ですら認めざるを得ない」と(笑)
記事の内容の中心は「反対同盟分裂のその後」みたいな感じだったんですけど。

実際闘争の度に動因は目に見えて増え、地区でもオルグ対象をバンバン集会に連れ出し上り調子の組織に特有の熱気に満ちていました。

今会社でいくら先月の営業成績のことを突っ込まれようとあの頃の地区の会議での、自分のオル対に関する報告時の緊張感や熱気に比べればとるに足りません。

3・8分裂後の中核派の内ゲバ恫喝に対する申し入れも「革命運動発展のため、内ゲバを回避した賢明な選択」という以上の感想はありませんでして、アレが左翼業界でこれほどまでに 揶揄の対象になってるなんて夢にも思いませんでした。

一体他党派からあの頃の戦旗はどう写っていたんでしょう?

72 :名無しさん@3周年:03/10/13 05:47
若いコ多くて「かわいがってやりたい」って感じだったよ。
でもだんだん世間知らずで元気いいだけのの生意気な香具師が中間指導部になっていくんだよな。新左翼しか見てないの(わら
砦戦の隊長の○○みたいな(わら
そのうち「ああこりゃ中核と4トロの後追いだけじゃん」と思えてくる。反対同盟からはそうして切られたんだと思うよ。あれだけの力量あったんだから一度でもオリジナルの空港突入戦やりゃよかったんだよ。

73 :名無しさん@3周年:03/10/13 11:31
>71
戦旗が困るのは、運動論と組織論がないということかな。
学園闘争で仲間にいれてやったら、運動フラクの1年生を政治闘争で戦旗の隊列にムリヤリいれちゃったりする。

74 :64:03/10/13 11:50
>>73
>戦旗が困るのは、運動論と組織論がないということかな

う~~ん。そう映ってましたか。
他のブント諸派に比べてそれは「かなりしっかりしている」と思っていました。
ブント内カクマルという揶揄も「他の一揆主義のブント雑派が、しっかりした組織論のもと動員を伸ばしている戦旗を嫉妬して言ってるだけ」と100%思っておりました。(本当にすみません)

>運動フラクの1年生を
>政治闘争で戦旗の隊列にムリヤリいれちゃったりする

他党派のオル対を引き込むことなんて何の後ろめたさもなくやってましたけど、それってタブーだったのでしょうか?

75 :64:03/10/13 11:56
>>72
>あれだけの力量あったんだから一度でもオリジナルの空港突入戦やりゃよかったんだよ

三里塚の小屋に詰めている時に、ある幹部の方が「戦旗×××人で空港包囲ー突入戦をやったらすごい打撃を与えられるだろう。しかしその後の日本革命はどうなる?」とおっしゃってるのを聞いて

「そうか、一揆主義は敗北主義なんだ。よーし僕がんばるぞー」と反省したりしてました。

76 :名無しさん@3周年:03/10/13 13:27
>74
だから「この指止まれ」の組織方針がノンセクトや、他党派にとっては迷惑なんだよ。運動団体には独自の了解事項や利害があるからそれを尊重してもらわないと。
戦旗がオルグした新入生が頑張って活動続けてくれればいいけど、たいていツブれてしまう。こういうこと言ってもわかんないヤツが、荒なんかを信奉するんだろうけど。重層的に組織するなんて考えたこともないんだろう?団子になっていっしょに山歩けば武徳に目覚めるとでも思ってるのかな。大衆運動体にとってはいい迷惑。寄生虫にしかすぎない。

77 :名無しさん@3周年:03/10/13 13:37
これは手厳しい

78 :64:03/10/13 13:58
>>76
76さんは実際に戦旗の行動に迷惑されたようですがそれはやはり’80年代の話なのでしょうか?

それともその辺りの体質は今も変わりないのでしょうか?

79 :名無しさん@3周年:03/10/13 14:59
>78
80年代の話だけど。
今はさいわい付き合いがないのでしらないが
BUNDを詐称するのだけはやめてほしい。

組織まるごとパラチェンしちゃうなんてちょっと想像もつかない。

80 :64:03/10/13 16:06
>>76
>重層的に組織するなんて考えたこともないんだろう?

この辺は中核なんかはどうやってるんだろう?

81 :名無しさん@3周年:03/10/13 16:38
非公然党派活動、カンパニア的党派的宣伝活動、統一戦線、労組などの大衆団体活動とそこでのフラクションの組織化など、、、。
それらを有機的に統合するのが政治方針であり細胞活動。どこの党派でも位置づけてると思うよ。
戦旗にはカンパニア的党派的活動しかない。だから活動家は自立しないし、荒に忠節をつくす兵隊になってしまう。階級闘争への影響力という点では、”ハダカ”なので微々たるものだ。細胞建設が党建設の背骨だという考えもないのだろう?

85 :64:03/10/13 18:40
>>81
戦旗にも一応「非公然党派活動」はあったと思うのですが...。

>労組などの大衆団体活動とそこでのフラクションの組織化など、、、。
>それらを有機的に統合するのが政治方針であり細胞活動

うーーん。
例えば僕は学生活動家だったわけですが、日常の活動っていうのは自分の大学も含めあちこちの大学に情宣に出かけ、オルグ対象を見つけ、喫茶店オルグ→地区の前段集会への動員→全国闘争への動員→社学同か労共闘への結集のオルグ...ということに終始するわけですよ。

で、夜は夜で労働者のメンバーと共に主要駅での情宣で同じ作業をするわけです。

自分の大学(他のメンバーのいる大学でもいいのですが)に腰を据えてサークルなどを組織し例えば映画上映会などを通じてシンパを獲得していく...というようなことは、もっともっと組織に力量をつけてからだと思っていました。
地区のキャップの指示もとにかく「情宣してオル対確保する」ことが中心だったのですが、それが81さんのおっしゃる「戦旗にはカンパニア的党派的活動しかない 」ということになるのでしょうか?

そもそもその頃戦旗は「労働者の党」みたいな打ち出しでしたので学生運動にそれほど関心が無いんだなぁという印象を持っていたのですが各戦線での細胞建設そのものに無関心な党派だったということなのかな?

戦旗しか知らないんで新左翼はみんなそんなもんだと思っていました。

86 :名無しさん@3周年:03/10/13 18:42
というか、戦旗の人って党に入ったら学校から消えちゃうんだよね。

87 : :03/10/13 19:00
「オル対確保」が日常活動なわけでつね。同心円的に仲間を増やしていくという。それ、オウム、原理や学会とおんなじじゃない?

階級闘争・大衆闘争の組織化が本来の活動ではないの。そのたたかいの只中に組織を作って人民に影響力がもてるのかと。

88 :64:03/10/13 19:07
>>86
むーー。
党派の学生活動家ってそんなもんだと思ってました。多分大学やめて「労共闘に結集しますっ」と決意表明してもあんまり反対されなかったような気がします。

その前に戦旗やめてしまいますたが(笑)

90 :86:03/10/14 02:24
んだから別に労共闘に結集しても、職場に組合つくって労働運動するわけでもなんでもないんだろ?単に仕事して党にボーナス何割カンパとかするだけだろ?
その党派メンバーの社会的関係性、「労働者である」「学生である」という事と、党での運動が全く関わり合いのない形になっている党、というのもすっごく珍しいよ。殆ど「出家」のイメージなんだよね。

97 :名無しさん@3周年:03/10/14 21:26
ゲリラ三派からパラチェンまでの間に戦旗がやったことを、戦旗じゃなかった私が思い出してみると―

○「ブントの新改憲論」を打ち出す(民兵制とか強度の累進課税とか天皇制廃止とか)
これは、PKO法案反対-内田選挙の流れで、4トロ、竹ブン、プロ青なんかが実質的には「護憲派」になっていく中で、突如、戦旗派の独自性を主張したもの。
ところが長続きせず、また急に方針が変わって、「リベラルな民衆の第三極」とかなんとか言って、MPDと仲良くなってビックリした。(笑)
ところがこれも長続きしなかった。
○また、いいだももやプロ青、フロントなんかの「赤と緑の大合流」だの「ミドリから学んで、アカは根本から自己変革すべき」などといってマルクス主義を放棄していく(俺はプロ青は「パラチェン」の先輩格だと思うけど)傾向を、トコトン批判していた。なのに自分自身が、それよりも凄いパラチェンしちまった。(笑)
「『護憲』や『エコロジー』に埋もれていく他の党派よりセンキの方が骨があるなぁ」とちょっと思ったりもしたが、そんなことなかったんだよね、結局。

99 :名無しさん@3周年:03/10/14 23:46
旧態依然とした左派性を堅持すりゃいいってもんでもないけどね。
護憲やエコロジー、赤と緑の大合流に流れていくのはそれなりの理由があるわけ。

101 :64:03/10/15 01:59
>>90
レス遅れてすいません。
えーと僕は戦旗の代表でもなんでもないですし、短い間活動した下っ端活動家でしかありませんのであんまり戦旗のことで怒られても困るのですが(笑)僕の書き方にも語弊があったかもしれません。

戦旗とてオルグの時にいきなり「戦旗派に結集しませんか?」と言うわけではもちろんなく、その時々の政治的課題に沿って大衆を動因していくわけで、オルグそのものを自己目的化しているわけというワケではなかったわけです。

何処の党派でも当面の短期的政治的課題ってものを設定してそれに向けて大衆を動因、組織化するということはやっていると思うのですが....。

そして左翼党派たるものそういう個別的課題に目覚めた大衆をその個別的課題からさらに共産主義革命へと導いていくのは当然の責務なわけで、そのために前衛たる自分達の組織を強化ー拡大していくということは(党派活動家にとっては)大衆運動を高揚させていくということとは矛盾しないわけで、その当時の戦旗のやっていたことは他の新左翼党派に比してとりわけカルト的に捉えられることは無いような気がするんですけど....。

あんまり長くなるのもアレなんで一端切ります。

102 :64:03/10/15 02:21
あの..しつこいようですけど、僕はとっくの昔に辞めた人間なので別に戦旗を擁護しているわけではないのです。

これは>>89さんへの答えでもあるのですが、僕は(情け無い話ですが)単純に消耗して辞めたわけで、特に戦旗のやり方に疑問を感じたわけではないのであの当時のことを知る人から色々な話を聞くと「へーーそんな風に思われてたんだ」と戸惑っているだけです..。

>その党派メンバーの社会的関係性、「労働者である」「学生である」という事と、
>党での運動が全く関わり合いのない形になっている党、というのもすっごく珍しいよ。

この辺りがよく分からないのですが、いくら戦旗がその当時動因を伸ばしていると言っても、同じ大学にきちんとその大学に学籍を持ったメンバーが何十人もいるわけではないのです。そうなると、その大学でサークルなどを組織して一般学生を重層的に組織していくというのも中々物理的に難しいわけでまずはその党派が今重点的課題としている闘争に少しでも関心のある学生を「一本釣り」していくのは順番としてそれほど間違っていないように思うのですが、そう思うのも「戦旗的」なんですかね??

左翼党派として闘わなければいけない当面の政治的課題とメンバーやオル対の「学生である」という社会的立場というものをどのように関連させていくべきだったとお考えですか?

108 :名無しさん@3周年:03/10/15 20:07
64って、まじめでいいやつじゃない。
こんな善人たちにウソのレーニン主義を教えて貢がせてた荒はゆるせない。

113 :元中核:03/10/16 00:56
>>64
単純武闘馬鹿の俺からしたら、
「おお、日向もやるではないか」って感じだったぞ。

あれだけ武闘志向のれんちうがなんで北原に結集しなかったか疑問。
熱田から追っ払われるくらいなら北原に逝った方がよかったろうに。
ま、そうなったらなったでまた別の問題が発生してたろうが。

114 :64:03/10/16 01:00
僕はまじめでも何でもないです。本当にマジメだったあの頃の活動家は、今も組織を信じて活動していることと思います。

さて、僕の体験した「学生運動」がひたすら情宣に終始していたのは地区の事情などもあったかもしれません。

まだ学生戦線を独自で築いていくほどの力量は無かったのです。まずは情宣によってシンパを獲得してくべき時期だったのかもしれませんが、例え自分の大学に独自の戦線を築けるような力量を持ったとしても、僕自身は「一人でも多く戦旗派に結集させる」という命題は最優先になっていたと思います。

活動へと参加していくキッカケは人それぞれだと思いますがそういう自然発生性を目的意識的に領導していくのが革命党派の使命であってそのための前衛はまさに自分の党である、と言う意識は党派活動家ならば持っているべきで、それこそがレーニン主義なんだ...と私は拙くも理解していたわけなんですが....。

いつもながら長文すいません。

115 :64:03/10/16 01:17
すいません。続きます。

例えば学生戦線で独自の隊列を組めるくらいに「重層的」展開が可能になったとしましょう。そういう段階ですとオル対の「レベル」も様々だと思います。

しかしながら「反戦デモには参加するけれども三里塚には行かない」というようなシンパの存在を容認してしまうとしたら、僕はそれはオーガナイザーの資質の問題だと思ってしまうのです。

繰り返すようですけど、僕はその当時の戦旗派を代表するような活動家でも無いわけで、その頃の「戦旗的なモノ」は草加さん辺りに語ってもらった方が的確だと思うのですが、僕のそういう発想は僕個人が偏狭なのか、戦旗派独特のものなのか(ノンセクトの方々にははなはだ迷惑でしょうけど)党派活動家ならば「どこもそんなもの」なのか.....

どうなんでしょう?

116 : :03/10/16 10:06
戦旗派独特のもの

あとこういう最大限綱領主義をあげるとしたら、マル青同かな。
デモのコールも「蜂起貫徹!戦争勝利!」でやっていた。
個別課題など存在しないんだよね。こういう連中は。

117 :64:03/10/16 12:11
>>116
一応その時々の個別政治課題に対しては真摯に闘っていた自覚はあるのですが....。

外から見ればマル青同と大差無いのでつか...

118 :64:03/10/16 12:49
>>113
>あれだけ武闘志向のれんちうがなんで北原に結集しなかったか疑問

これは本当に個人的な感想なのですが、僕もそう思っていました。でも正直中核さんがいるからヤダなぁとも思ってました(笑)
(ごめんなさい)
まあこれは半分冗談ですけど、あくまで個人的には三里塚闘争そのものへの取り組みでは北原派に共感するところが多かったのですが北原派へ結集することは(受け入れてはもらえなかったでしょうけど)分裂を固定化することだとも思っておりました。

他からどう映っていたかは分りませんが、戦旗は本気で「同盟の再統合」を模索しており、北原派のように「脱落派粉砕」と言うだけでは三里塚闘争をダメにしてしまうんだ、権力の思うツボなんだ、我々は熱田派に属してはいるけれど、熱田派ということで分裂を固定化してしまうのではなく「より戦闘的に三里塚闘争を闘うこと」で我々の立場というものを明確にしていこう!という主張に僕は100%賛同していました。

しかしそういう戦旗の主張は何となく熱田派の中でも浮いているように感じましたし、これも個人的な感想ですが、メンバーの中でもインターやプロ青をリスペクトする部分は少なかったように見受けられます。

世間ではこういう戦旗の行き方を「どっちつかず」的に捉えてしまうようで、その辺はもどかしくも感じました。結果的にはそうなりましたが。

119 :名無しさん@3周年:03/10/16 13:00
>個別政治課題に対しては真摯に闘っていた

大衆運動としてではないでしょ。
戦旗派団子としてね。
だから反戦と三里塚をくっつけて平然としてられる。

120 :64:03/10/16 13:36
>>119

うーーん。
例えば前にもあげたように「オレは反戦デモには行くけど、三里塚に行く理由が自分では見当たらないから行かない」というオル対がいたとしましょう。最初はそれでもいいでしょうけど、それが1年、2年と続いた場合はどうなんでしょう?

個人的な考えによって行く闘争と行かない闘争とを分けるオル対を「まあ彼には彼の考えがあるから」っていうことで認めるのはそれはすなわちブルジョアアトミズムを認めることにはならないのでしょうか?(もちろん今の僕はこんな風には考えませんよ)

せっかく反戦デモには来てくれるわけですから、その他の闘争の意義や党派に結集して闘う意義を説かないのは逆にそのオル対に対して不誠実になるような気がする(していた)のですが...。

121 :名無しさん@3周年:03/10/16 16:29
それは集会・デモ参加であって大衆運動ではないでしょ。

122 :名無しさん@3周年:03/10/16 20:08
運動への参加と党派への結集というのは本来、全く別のものだと思うのだが。
不誠実ではない。

123 :64:03/10/16 20:18
>>121
あなたの定義する大衆運動って何ですか?
すいません。煽りでなく素朴な疑問です。

124 :64:03/10/16 20:42
>>122
>運動への参加と党派への結集というのは本来、全く別のものだと思うのだが
「全く別物」とまでは思いませんが、まあ集会来たら無条件に組織に参加しろ!という風に乱暴に思っていたわけでもありません。

しかし、オル対の初期の自然発生的な反戦意識などに革命的、階級的な位置付けを示し、オル対の「成長」を促していくのは党派のオーガナイザーとしては「当然」でしょ?

集会には時々来る。でも組織には頑なに結集しない。まあでも一定の動員としては計算できる。時々カンパもくれる。「まあ彼はそういうシンパとして付き合っていけばいいんじゃない」で終わってしまうのは逆に彼の潜在的な活動家としての能力を組織が矮小化して規定してしまうことになるんじゃないのか?それは革命党派としては人民に対して不誠実なんじゃないか?と、思ったわけです。(しつこいよーですが今はこんなこと全く思いませんよ)

今年首位打者の今岡だって野村時代は「まああの程度のヤツや」「せいぜい2割4分のバッター」としか思われてなかったわけですし、それは野村の責任も大でしょ?

106 :名無しさん@3周年:03/10/15 18:19
>同じ大学にきちんとその大学に学籍を持ったメンバーが何十人も
>いるわけではないのです。
>そうなると、その大学でサークルなどを組織して
>一般学生を重層的に組織していくというのも中々物理的に難しいわけで

おいおい、学内サークルなんてのは、本人たちが決意すれば3人でも始められるものなんだけどな。

107 :名無しさん@3周年:03/10/15 19:12
>>106
一人で始められるよ。
某セクトの野郎も一人でシコシコ始めた。w

103 :名無しさん@3周年:03/10/15 02:37
活動家でも、ネットに繋ぐほどの経済力は得られるのですね。煽りとかじゃなくて、活動家だと公安にチェックされ、就職活動も全部潰されて、自営しても、取引先に噂流されて潰されほとんどが自給自足生活に陥るのかと思ってましたよ。

日本の公安はそこまではやらないのですね。

104 :名無しさん@3周年:03/10/15 04:39
兵法の極意『城攻めの際は必ず逃げ道を空けて攻める』だね。これが日本のやり方。全共闘の活動家も(職業革命家を目指した者以外は)みんな就職して企業戦士wになってる訳だし。

フランスなんかだと当時の学生運動の活動家は一切就職口を絶たれた。それが逆にトロツキストが大統領選であわや二位に入りそうなくらいの勢力を誇ってる一因にもなってる。

125 :名無しさん@3周年:03/10/17 17:21
私はコケてから30年もたつけど、未だにブントのファンです。グラン・ワークショップにも懇親会にも顔だしていますけど、とても楽しいです。当時の仲間達にも会えるしね、、、こんな私って変ですか?

126 :名無しさん@3周年:03/10/17 17:32
変です。

143 :名無しさん@3周年:03/10/19 14:00
で、80年代戦旗の組織会議ってどういうもんよ。
共産同という党にあたる組織と労共闘と学共闘がそれぞれあったの?

145 :名無しさん@3周年:03/10/19 18:33
昔は10年活動暦がないとBUNDメンバーにはなれなかったけど今は?

146 :名無しさん@3周年:03/10/19 18:39
>>145
荒自身は10年活動暦あったのか?

151 :名無しさん@3周年:03/10/20 00:54
>>143
党会議・キム(共産主義青年同盟)会議・労共闘会議。
学共闘って? 社学同のこと?

>>145
今は活動暦の年数の規定はありません。
形式的にはキムが党に併合されたことになり、キムの「1年」規定がほぼ目安になっていると思います。

>>146
「10年」は中核の内ゲバ宣言以降のことであり、それ以前の同盟員には当然適用されていないはず。

今は

152 :名無しさん@3周年:03/10/20 01:31
そうか、伝統ある社学同を名乗ってたのか。
労共闘は名前からしてフラクだよね。
共産同・共産主義青年同盟・社学同・労共闘と4つ組織があったわけか。
で、どんな感じの会議だったの?
指定文献とかあったの?共産同の歴史文書とか読むわけ?「過渡期世界論」とか。 あと広松とかは

157 :名無しさん@3周年:03/10/20 19:57
>>152
党-階級-大衆組織のうち、階級組織が労共闘と社学同、キムは党組織に準じるものだと思います。
ちなみに社学同機関誌『若きボリシェビキ』(元は早大支部の機関誌名?)は、一般にも(模索舎などで)売っていましたが、労共闘機関誌『闘う労働者』は組織内限りだったはずで、この辺は位置づけが必ずしも同じではなかったということでしょうか?
なお労共闘はのち「ブントワークショップ(運営委員会?)」に変わりましたが、社学同は解散されていないはずです(一地区の名称のようでした)。

153 :名無しさん@3周年:03/10/20 01:48
2年活動してもキムへの加入を誘われなかったオレはヘタレでつか?

155 :名無しさん@3周年:03/10/20 10:08
>>153 はい。

156 :名無しさん@3周年:03/10/20 15:17
>>155ヤパーリでつか....

158 :名無しさん@3周年:03/10/20 20:13
社学同まだあるんだ
ブントを名乗る組織は数あるとはいえ社学同はとんと聞かなくなってたからビックリ

160 :名無しさん@3周年:03/10/20 20:31
社学同は、反帝戦線結成に際に、解体したのでは?

161 :名無しさん@3周年:03/10/20 21:19
>>160
 1980年に第3次社学同として再建された、ということに。

164 :名無しさん@3周年:03/10/21 00:40
イケメン
イケてるメンシェビキ

テレビかラジオの雑音を流して定例の会議。水溶紙にボールペンでゴリゴリと何か書いていたな。何を書いていたのか、思い出せん。会議が終わると水溶紙はトイレに。文書は、部屋のいろんなところに隠していたな。いまも変わらないのか?
靴が全部押収されたときは困った。あれは証拠押収じゃなくて、どう見ても嫌がらせだろう!(笑)

168 :名無しさん@3周年:03/10/21 23:24
>164
90年代おわりに結集した友人は、水溶紙を買ったけど使わなかったって。QBは使っているかも。 

169 :名無しさん@3周年:03/10/22 05:49
自衛隊のイラク派兵をとめよう!10・25SIBUYAに行こうよ。思い出じゃなくなるよ
歴史ははじまっているもので、過ぎた遺物ではないと思います。青臭いでしょうが、青春です。25日、シブヤに来てほしいです。いろいろな人たちがいるからきっと驚かれるかも知れませんが、本当にわたしたち自衛隊のイラク派兵をとめたいんです。それはみんなおなじで、だからいっしょに行動できるんです。みなさまの参加を、お待ちしています

172 :狼煙派:03/10/23 10:10
ふーむ。
日向の諸君と一緒にデモやるのか。
それも面白いかもしれんね。 

俺はもうバイト暮しなんだけど、やっぱアノラックとグラサンぐらいはしてったほうがイイのかね。

173 :名無しさん@3周年:03/10/23 10:14
狼煙さん乙!!
漏れも逝くんでよろしこ。

174 :名無しさん@3周年:03/10/23 16:55
戦旗、反戦と書いてある赤いメットでもいいのか?
うちに山のようにあるんだけど。

175 :名無しさん@3周年:03/10/23 17:04
それほすい

176 :名無しさん@3周年:03/10/23 17:06
>>174
全部、持ってきてね。(ハート

177 :名無しさん@3周年:03/10/23 17:06
>>174
KC庁の倉庫係さんでつか?

178 :名無しさん@3周年:03/10/23 23:59
>日向の諸君と一緒にデモやるのか。それも面白いかもしれんね。

なんでもいいから「赤」総結集をはかれ! 話はそれからだ。 

182 :名無しさん@3周年:03/10/27 10:45
>>178
青崩れは排除でつか…?

183 :名無しさん@3周年:03/10/27 10:54
>>182
元青でも、今赤って、漏れの周りでは結構いるけど、

184 :名無しさん@3周年:03/10/27 17:53
機会さへあれば、また個別の政治闘争に参加したいと思ってる元活動家って多いのかな?

誰か「元活動家連盟」とか作ってくんないかな。

188 :名無しさん@3周年:03/10/29 23:31
>>184
184氏が率先して設立してヨ

189 :184:03/10/30 01:16
>>188
うーんそーだなー。そーいう運動体があったらみんな求める条件は何?

①元々所属していた組織の利害関係を絶対持ち込まない(元マルも元中も仲良くやれと)
②組織へのオルグはしない
③共闘する既存のセクトや市民団体とは等しく距離を置く
④元々の活動歴によって優劣を決められない
⑤しかし左翼としての最低限の矜持は持つこと(仲間を権力に売らない..とか)
⑥メットの着用は個人の自由

何か他にある?

でもこういう「参加したい時に元活動家が個人の自己責任で参加できる運動体」ってそれなりの勢力になると思うんだけどなあ。

190 :名無しさん@3周年:03/10/30 01:20
>>189
随分不自由だな。
やりたい椰子が、やりたいように自己責任で好きにやればいいじゃん。w

191 :名無しさん@3周年:03/10/30 01:29
つーか、組織を用意してもらわないと運動できないという根性がそもそもいかんね。
自分で印刷屋いってビラ刷れ。ネットで会議すれ。党を作る前に大衆運動をすれ。
誰かがホームページ作れば、乗りたい奴は乗るさ。

195 :184:03/10/30 17:30
>>190 >>191
ご意見ありがとうございます
もう運動から離れて長いのですが、こういう固い(って言うか他力本願な)発想から抜けられていませんでした。

227 :名無しさん@3周年:03/11/21 12:40
何か声を上げなくてはいけない時なのは分ってる。
焦る。

でもかつて運動を逃げ出したオレにそんな資格があるのか自問する..。

新左翼の組織生活がしんどくなったくせに、最近の反戦デモを見て
「ヌルいな...」とか思う自分にまた自己嫌悪...。

228 :狼煙派:03/11/21 12:42
>>227
同じような考えの人っているもんですなぁ

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草加 耕助

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当サイト『旗旗』の管理人。建設現場などで働いています。10代からの数年間左翼活動してましたが、現在は特に何ということもない普通のおっさん。今は休みの日に集会などにぶらり参加。そこで知り合った人たちと個人参加者の互助会的にジグザグ会、三里塚勝手連などを名乗りゆるく楽しく連帯中。よろしければご一緒にいかが?。個人としての目線を大切にしていきます。

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