懐古的資料

2ちゃんねるブント (戦旗)スレまとめ part1 (2/5)

前エントリーからの続き)

85年7・28戦旗・共産同政治集会

196 :名無しさん@3周年:03/10/31 20:14
そろそろ本題に戻って戦旗のヒト思い出を語ってください。

202 :名無しさん@3周年:03/11/11 01:09
元同志のみなさん!!
ちょっと困っていることがあります。
右翼対策ということで対人スプレーを持ち歩いていたわけですが、賞味期限はとっくに切れていても、そのまま不燃物に出して、回収の人に迷惑をかけるのもあれだし、てきとうに窓から噴射するのも危険。人のいない河原とか山奥で噴射しきるしかないのでしょうか。どうしましたか? 
防犯用にカバンに入れときますかねえ、他人にあげるのも変だしなあ

それと、困ってはいないのだけれども、道を歩いているとき、後ろの方が気になるとか、車に乗ってるとまわりの車が気になるとか、ありませんか?(あるある~

電車でドアの近くに立っているとき、関係ない駅でも、ベルが鳴り終わった頃降りたくなってしまうとか(ちょっとある~

昼間ガラガラにすいている電車の先頭車両に乗っていたとき、発車のベルが鳴り終わってから、おもむろにさりげなく、誰もいないホームに降りた人を見て、「どこかの現役の人かな?」と思ったことありませんか(一回だけありました)

帰宅のルートや時間を、意味なくずらしてみたり

こういうのは、浮気調査をまくのには、少し役に立ちますかね

あと、実家に機関紙誌がけっこう残ってるんだけど、値段はつかないよね、捨てるか、あるいはここで過去の勇ましい文章をうぷしてさらs

205 :名無しさん@3周年:03/11/13 10:44
ねぇねぇ

労共闘=中核におけるマル青労働 解放における革労協
社学同=中核におけるマル学同 解放における反帝学評

みたいなもんなの?

206 :名無しさん@3周年:03/11/13 14:37
解放における反帝学評 には近いけど
中核におけるマル学同とはだいぶ違うんじゃないかな。

分裂直後の一時期を除いてマル学同は革共同の指揮下。
社学同は上部団体なしの各大学独立社学同のようなものがあった。

207 :名無しさん@3周年:03/11/13 15:58
>>205>>206
>>205が言ってるのは戦旗(荒派)での社学同のことだよね?
80年代に再結成された荒戦旗での社学同は完全に共産同の指揮下にあったわけだけど....。

213 :名無しさん@3周年:03/11/17 23:39
今さらの疑問なんだけど、パラチェンの時って組織内には動揺は無かったのかな?
だって自分が信じていた(そのためには非合法活動も辞さない覚悟の)その”核”の部分を捨てちゃったわけじゃん?

「も~~~やってらんねぇ」とか思わなかったのかな?

大体「パラチェン」読むとソ連・東欧の社会主義体制の崩壊をパラチェンの動機のひとつに挙げてるけど、何で反スタが党是のセクトがスターリン主義国家の崩壊を見て動揺するんだ??そこが分らん…。

215 :名無しさん@3周年:03/11/18 00:38
>>213
反スタは革共同。ブント日向派はスタ克だ。

217 :名無しさん@3周年:03/11/18 00:57
中央からの一方的なパラチェン押しつけに反発して半分以上の同志が脱落したけど、その中でも一定の部分はサークル的に再結集して学習活動を続けています・・・。

221 :名無しさん@3周年:03/11/18 15:06
>>217
マジ?運動現場にでてこないの?
もったいねえ、いま動かないでいつ動くんだ?
党建設なんかしてる場合じゃねえぞ。

223 :名無しさん@3周年:03/11/18 19:03
パラチェンしてもすぐにマルクス主義を捨てたわけではないからね。
マルクスラディカリズムの復興を党是としていたわけだし。

マルクス主義を捨てたのは多分、96年後半から97年夏にかけてイギリス経験論を通じての倫理学への接近あたりだと思うけどマルクス主義はダメダと言い出した後はパラチェン直後より脱落者は少ないと思う。そういう所がカルトっぽい。

225 :名無しさん@3周年:03/11/19 00:25
>>217
>中央からの一方的なパラチェン押しつけに反発して
>半分以上の同志が脱落したけど、その中でも一定の部分は
>サークル的に再結集して学習活動を続けています・・・。

マヂでつか?
パラチェンで半分くらい脱落したっていうのも驚き(初耳)だけど再結集している人たちがいるってのも驚き….。
>>221さんが言うとおり今反戦の声を上げるべきでは?てか何かやるんならオレも結集してもいい?
コケたヘタレでもよければ…..。

232 :名無しさん@3周年:03/11/22 13:41
オレ3・8分裂後に結集したんだけど、何で戦旗は熱田派に属しているのかよく分からなかったです。
連帯する会の言ってることとかよく分からなかったし。

各派の機関紙なんか読んでると、戦旗は北原派に近いんじゃないか?という疑問はずーっと持ってました。でもアレです。北原派だと中核の言いなりになっちゃうのかなーとかは思っててちょっとそれはイヤだったですね。正直。

内部でも「インターやプロ青の諸君とともに頑張ろう」って言うよりも
「何?またあいつらそんな事言ってんの?しょーがねーなー」みたいな
「中核もダメだけど、彼らも大概だなぁ」っていう雰囲気だった記憶があるのですが。

中核に対する申し入れとか、外では散々笑われていたようですけど何か「熱田派に属している苦悩」みたいなのはオレのような下っ端活動家にも伝わってきました。

3・26闘争は後の熱田派を中心に闘われたようですけど、分裂以前にも支援党派は何となく2ブロックに色分けされていたのでしょうか?

233 :名無しさん@3周年:03/11/22 16:19
>支援党派は何となく2ブロックに色分けされていたのでしょうか?
現地力学で言えば
天神峰・事務局・中核系
と青行・多くの団結小屋
みたいな区分があったな。
インターは東峰十字路闘争を批判したので両方から総スカンだった。のちに旧共労党系が画策した連帯する会・労農合宿所・宣言の会の構造に依拠し・寄生する赤ヘル三派が力を持ち出したので三極構造じゃなかったの。

235 :232:03/11/22 18:08
>>233
丁寧な解説ありがとうございました。

インターが東峰十字路闘争を批判していたことは知りませんでした。

管制塔占拠闘争は赤ヘル三派主導で闘われましたが僕が戦旗にいた頃「あの時に中核が別ルートから空港に突入していたら..」(そうすればもっと致命的なダメージを与えられたのに、という意味で)と言うメンバーも多かったです。

その当時中核さんはあの闘争をどう評価していたのだろう??

246 :名無しさん@3周年:03/11/23 00:51
>>235
中核は中央の集会と おとりの岩山に投入してた。彼らからしたら赤ヘル三派にも中央集会にいって正面突破してもらいたかったのだろう。
荒氏は破天荒伝でも「マンホール特攻が失敗したら、おとり役という屈辱的な役回りをさせられた中核から後でどんな批判を受けるかわからないから一種の賭けだった」といっている。

234 :名無しさん@3周年:03/11/22 17:05
>>233
インターは連帯する会を最大限利用してた。最初はしがみついてるだけだったのに。あの大枠つかっての立ち回りは露骨だったな。関西なんて特にそうだ

236 :名無しさん@3周年:03/11/22 18:10
>>234
連帯する会は戦旗のことを煙たがってるように感じられましたが、実際のとこどーだったのでしょう?

237 :名無しさん@3周年:03/11/22 18:18
実際、煙たがったと思うよ。簡単にいうと口出しうるさかった。自分たちも主体的に参加すればいいのだが、戦旗にはそれがなかった。
しかし、あの70年代末から80年代初頭はインターの引き回しには寛容だったのが不思議だ。インターの方が狡猾だったのな

238 :名無しさん@3周年:03/11/22 19:51
>>237
うーーん。
インターの方が連帯する会の面子を潰さないように気を使ったんでしょうか?
戦旗は連帯する会の演説にも「ナンセンス!」とかやってましたからねえ。
(まあ三里塚以外での闘争現場でですが...)

↑の方で何方かが引用していましたけど、当時「我々はインターのように市民主義に埋没しない」みたいなことは繰り返し意思統一されていましたが、戦旗は要はやり方がヘタだったのかな?

242 :名無しさん@3周年:03/11/22 23:14
>237
というよりインターは共労党系にとって東北の田舎者だから使い易かっただけだろう。
戦旗は数はいたが、丸裸で職場・地域に影響力ないので使い道すらなかっただけ。

252 :名無しさん@3周年:03/11/23 11:25
破天荒伝にはその辺の(戦旗側から見た)事情が書いてあるんですね。

でもコケ戦旗のオレにはどーしてもあの本を手にすることが出来ないのです
罪悪感とか後ろめたさではなくて、何か「ちょっとイヤ」な感じがするのです

253 :狼煙:03/11/23 12:18
破天荒伝読むと「信用できないけどなんか憎めないオッサンだな」とか思ってしまう。それが狙いなんだろうけどな。
内ゲバ関連の掲示板に書きこんでる元戦旗の人とかの書きこみ見ると「綺麗ごとばっかりで自分は汚い事やってたくせに」とか評判悪いし。

前進読むたびに新しい敵(原理とか4ターとかMPDとか隅谷調査団とか)が絶え間なく生まれてきて神経すり減らしてた身からすると、カッコ悪くセコいやり方でも生き延びつつ対権力戦をやる抜け目のなさに、なんとなく感心してしまったりするんだけどな。

「地獄まで みんな一緒に お付き合い」の中核にはその半端さが余計憎たらしく見えたりもしたんだろう

もっとも俺の周りで戦旗読んでた専従の人は登山大会とか料理教室とか禁煙始めたときには「ったくあいつらしょーがねぇなぁ・・・」ってな脱力反応が多かったけどね。

254 :名無しさん@3周年:03/11/23 16:34
>>253
登山はゲリラ三派時代からやってたよね。まあ荒さんが単純に山好きだったんだろうけど、そこにも色々と革命的な位置付けはされていたよ。

(ちょっと不真面目な)下部メンバーの間では、「荒さんが野球好きだったら野球にどういう左翼的位置付けをするんだろうね」などと笑いあったものです。

「バットを自由自在に扱えるようになることが、身近なモノを人民の自由で豊な発想によって武器へと転化していく正しい人民の武装化への萌芽としてここに確認しよう」とか言うのかな?とか言ってゲラゲラ笑っていたのですが、そういうメンバーはやっぱりコケますた(w

そんでコケたくせにこうやって2ちゃんに書き込みをするヘタレた大人になりますた。鬱だ.....。

255 :名無しさん@3周年:03/11/23 17:02
当時高校生でした。
戦旗はハイキングとかあって楽しいぞ!とオルグされました。

257 :名無しさん@3周年:03/11/23 18:02
>>254
ゲバラや昔の日共の山村工作隊、連合赤軍の山岳ベース戦術みたいな山岳ゲリラだったら登山能力は必須になるだろうけどね。「ゲリラ戦」読むとアウトドア誌みたいな記述あるし。

ただ、赤石岳登って団結深めるだけじゃなくて、ゴルフ場やリゾートホテルでズタズタになった山を見せて独占資本による環境破壊・農村の生活破壊への怒りに結集させるってのもアリじゃねえか(w

ま、野球も石投げるのには役立つけどな。
むかし神宮球場でプロ野球選手による手榴弾投擲大会とかあったし。投擲って人間の行動の中では余りやらない複雑な動きで、球技になじみのない国の人とかだと、我々から想像もつかないくらいヘッタクソらしいよ(w

258 :名無しさん@3周年:03/11/23 19:26
>>257

>投擲って人間の行動の中では余りやらない複雑な動きで、
>球技になじみのない国の人とかだと、我々から想像もつかないくらい
>ヘッタクソらしいよ(w

ふーーん。
だから野球の盛んな韓国人民のデモでの投石はあんなにも戦闘的なんだね。
最近の子供が野球よりもサッカーを好むのは日帝の戦略か?(w
そー言えば戦旗でもソフトボールは盛んだった(w

259 :名無しさん@3周年:03/11/24 13:34
荒さんが好きだから、という点ではクルマの位置づけ。

交通の便利な大都市にある「環境NGO」とは思えないほど、クルマに好意的。
たしかにCとの内ゲバで狙われていた荒さんがクルマでの移動が便利だったのはわかるが、「環境NGO」を自称してからもこれでは…

264 :狼煙:03/11/25 01:14
>>259
昔、田中康夫が言ってたねぇ。車は、「移動の自由」という観点から考えると実に素晴らしい乗り物だと。入手するために必要な労働力とか、車を購入する収入を得るために仕事を余計にしなけりゃいけない事とか考えるとその辺難しいと思うけど。
俺は自転車の方が好きだけどな。ガソリンやオイルの匂い苦手だし。

265 :名無しさん@3周年:03/11/25 13:09
>>259 「移動の自由」は戦旗でも言っていた。
でもクルマ社会で公共交通機関が衰退したり、クルマを持っていないため事故を起こす可能性はなく事故に遭う可能性だけあるという、クルマによって自由を奪われている人もいる。
戦旗では「乗せてもらうことで自由を享受できる」と言われていたが、こんな論理が通るなら、監獄にも信書の自由(検閲されても出すことはできる)があるんだな、って思った。このあたり、戦旗はヒジョーに自分勝手な論理だなって思った。
「そういう不自由もある」って認めればいいのに、前衛党だから「敗北」をしてはいけないんだな。

267 :名無しさん@3周年:03/11/25 13:26
>>264
その昔現役活動家だった頃は、車種に関わらず「自分の車を所有する」なんてことは永遠に不可能なこと(リアリティが無さ過ぎて想像もしなかったけど)に思えた。しかしその後、車種にこだわらず普通に働いていればそれほど困難なことではないと気がついた。考えてみれば同年代のほとんどは自分の車くらい所有していた。

同じく政治集会などで荒さんをはじめとした幹部達がスーツ姿で壇上に立っているのを見て「オレのカンパした金は彼らのスーツ代になったのかも」と考え軽く複雑な気分になったりもした。車と同じく「スーツ」という物は手の届かない高級品の代表のように思っていた。今考えれば彼らが着ていたスーツなんてチャンチャラおかしいほど安物だったに違いない。(いや...荒さんのスーツだけ案外ブランドものだったりして(w)
あの頃の自分の金銭感覚を思い返すと自分を抱きしめたくなってくるよ(w

でも、今世間並みの収入を得る中年になった感覚から見てもポルシェはいただけませんなぁ。

269 :名無しさん@3周年:03/11/27 00:38
今の現役戦旗活動家は自家用車は所有してんのか?

277 :名無しさん@3周年:03/11/29 00:51
「いまだに戦旗をやってる人」はどんな人なんだろう??

‘80年代の前半~中盤にいたメンバーのうち、誰が残って誰が去っていったのか想像がつかない・・・・。

278 :名無しさん@3周年:03/11/29 01:05
こけた人達の発言見てるとBUNDに在籍してた人間のメンタリティって第四イソターより中核に近いね。なんか開けっぴろげでお人よしでバカっぽくて楽しそう。こういう人達が熱田に行ったのは最初っから無理があったんじゃないの。

279 :名無しさん@3周年:03/11/29 01:08
真面目って言えば’80年代だって左翼になろうなんていう香具師は「変なくらい」マジメだった。
大体もうそのころ新左翼なんて全くのマイノリティだから結集してくるメンバーも「左翼思想に共鳴して」っていうよりも「世の中なんかオカシイと思うので何かやらなきゃ・・」ってんで参加してきた人も多く、原理とオル対を取り合うなんていう奇妙なことも起こったりしたよ。
でもそういう人の方が案外筋金入りの活動家になったりするのよね。

280 :名無しさん@3周年:03/11/29 01:13
>>279
いやー、俺の場合近所の図書館に社会批評社の本が沢山あったのが運の尽きだな。
革労協が火炎瓶バンバン投げてるニュース見た翌日に
「三里塚-もう一つの日本-」読んじゃったわけ。それから・・・。

282 :名無しさん@3周年:03/11/29 01:18
>>280
オレは中学の時に立ち読みした本屋で
「戦場からの報告」(三里塚の写真集ね)を手に取ったのが運の尽き(w

マジで足が震えたよ。

283 :280:03/11/29 01:19
「もう一つの日本」は岩波だけど、チバナさんの闘争とか、その手の本が多かったんだよな~。

284 :282:03/11/29 01:23
そう言えば「戦場からの報告」の隣に「管制塔に赤旗が翻った日」が並んでたんだ。

鼻血が出るくらい興奮したよ(w

285 :狼煙:03/11/29 01:30
>>284
そこで興奮のし方がどっちかに転ぶかが運命の分かれ道なんだよな~。

「警察に反抗するなんて何て悪い奴だ!」となるか、
「うぉぉお、なんかよくわかんないけどすげぇえええ!!!!!!」となるか。

俺は西田戦旗の連中が投げた火炎瓶の火が美しすぎたから・・・。

286 :名無しさん@3周年:03/11/29 01:35
洩れは中核嫌いなんだが、知花さんと反軍自衛官だけは別格だったなあ。
前進の知花さんの連載だけ読んでいたよ。あれは正直、かっちょよかった。

288 :282:03/11/29 01:41
>>285
笑っちゃうかもしれないけど、あの写真集を見たオレは
「オレがここにいれば機動隊にこんなマネはさせない!」と半泣きで震えてたんだ。

あの時オレ15歳。こんな腐った大人になるとは(w

287 :名無しさん@3周年:03/11/29 01:37
街頭やキャンパスでの情宣、集会やデモ、アジトや拠点校の寮での雑魚寝。三里塚で援農・・・。

そんなことに明け暮れていたある日、ちょっとイカした先輩女性活動家が飲みに誘ってくれた。
新宿しょんべん横丁しか知らなかったオレ。高層ビルの見渡せるパブに誘われて、何日も着たまんまのジャンパーに気後れしたけど、先輩は全く臆する風でもなかった。

「ねえ?あなたは何がキッカケで活動始めたの?」

考えてみれば女性と二人っきりで飲みに行くなんてことさえ、ほとんど未経験だったのだ。

「ボクは・・ボクは・・」オレは堰を切ったように喋り続けた。

オレ二十歳の春だった・・・・。

289 :名無しさん@3周年:03/11/30 14:10
>>287 続きを希望。その先輩女性活動家、大体誰だか分かるけどw。

290 :287:03/12/01 00:22
>>289
ん?続きなんてないよ。飲みに行ってお話ししてそんだけ。

>その先輩女性活動家、大体誰だか分かるけどw。

マジでつか?何で??
って言うかオレの人物特定しないでね(w

もしかして289さんちょっと前に政治思想板のブントスレによく出入りしてた人?違ってたらスマソ。

291 :名無しさん@3周年:03/12/15 01:50
地区対抗相撲大会で荒さん優勝age

293 :名無しさん@3周年:03/12/15 23:19
>>292
決勝戦は佐脇さんとだったような気がする

294 :名無しさん@3周年:03/12/16 02:05
>>291
>地区対抗相撲大会で荒さん優勝

ネタじゃなくて、マジでそんなことやってんのか?w

295 :名無しさん@3周年:03/12/17 22:35
>>294
イヤ’80年代の話ね。今は知らない

296 :名無しさん@3周年:03/12/18 18:08
>>294
96年ごろまで相撲大会はやっていた。その後、格闘技大会、料理対決になっていった。

297 :名無しさん@3周年:03/12/18 18:36
>>296
料理対決ねぇ....。
昔は組織として「食」に対してのこだわりなんて全く感じなかったけどなぁ。まあみんな若かったので、とにかく量の方が重要だった。三里塚ではジャガイモ炒めばかり作ってたよ。
他に調理法を思いつかなかっただけなんだけどw

298 :名無しさん@3周年:03/12/19 01:30
政治集会のビラつくり大会もやったな(内輪だけど)
優勝した香具師のビラデザインが採用されるってことなんだけど、その当時は気が付かなかったが思いっきりエヴァンゲリオンのロゴ(各話ごとのサブタイトルね)のパクりであることを知ったのは数年後だ。(字が端までいったら直角に下に流れるロゴ)
 
当時荒さんが絶賛してたけど、さすがにアレがエヴァのパクリだということまでは気が付かなかったようだな(藁

302 :名無しさん@3周年:03/12/23 11:59
>>298
エヴァンゲリオンのタイトルロゴを見て市川崑監督の「犬神家の一族」のタイトルロールを連想する香具師は間違いなく40代。実は元ネタはこれ。

303 :狼煙派:03/12/28 01:30
ところでよ。ヤメブントのヒトってこういう情勢下で反戦デモの一つでもしたくなったらどこに行くつもり?おれはやっぱワーアク行っちゃうと思うんだけどさ。

305 :名無しさん@3周年:03/12/28 10:48
>>303
>ヤメブントのヒトってこういう情勢下で
>反戦デモの一つでもしたくなったらどこに行くつもり?

それが悩みの種なのよね。ワーアクって白系だよね?最近何か勢いあるらしいじゃん。
「白かあ..」とか思うけどグラン・ワークショップとやらよりは参加意欲は湧くわなぁ
向こうがわだかまりなく迎えてくれるんならねw

310 :狼煙派:03/12/30 23:15
>>305
俺としてはグランワークショップに逝ってみたいんだけど、そっちはどうなのよ(w

311 :葉寺覚明 ◆pdWuRV/fU6 :03/12/31 00:52
>>310
街頭で歩いていたら20代半ば?の男性に声をかけられた。
わざとらしく「あなた方はどんな団体なんですか?」と尋ねたら、別に過激派が悪いなんて言ってないのに、「う~ん、昔は戦旗・共産同って言ってたですけどね~。そんなもん関係ねえっすよっ!!」などと言われた。

あとは、ワークショップが終わったあとの飲み会が楽しいとか言われて誘われたのだが、都合がつかなかったのでやめた。

312 :名無しさん@3周年:03/12/31 00:55
>都合がつかなかったのでやめた
ワロタ

313 :狼煙:03/12/31 01:01
>>311
しっててそういうこというあなたとてもわるいひと

314 :名無しさん@3周年:03/12/31 01:16
>>311
そーいうところがホントよー分らん。
今の自称「ブント」が過去の自らの姿をどう捉えてるのか?

全く否定しているのなら、一度組織を解散した後あらためてメンバーを募るべきだったし、組織や機関紙の名称なども以前とは全く関連性の感じられないモノにすべきだと思う。

実際新左翼党派に対して悪罵に近い批判(特に西田戦旗に対しては)をしているわけだし....。

しかし荒氏自身はかつてのゲリラ三派時代のことを回顧録的に本に書いたり蜂起派がさらぎ氏と袂を分った時に「どこの馬の骨が”ブント”を名乗るんだ?ブントの正当な後継者はウチ」みたいなことも言ったり、過去から現在に至る事柄に関することに対して語るときにイマイチ整合性を感じないんだよね。

葉寺覚明氏が会ったその青年(?)も年齢から察するに多分パラチェン以降に結集した活動家なんだろうね。

もしその場に立ち会ったのがオレだったら思わず口にしてしまうかもしれない。

「関係ねえんだったらブントって名乗るんじゃねーよ」

こんな腐ったコケブントのオレでも....。

315 :名無しさん@3周年:03/12/31 01:23
ていうか、昔も今も日向派にブントを僭称してほしくない
最もブントに似つかわしくないのが日向派

316 :名無しさん@3周年:03/12/31 01:33
>>315
確かに’70年代後半~’80年代にかけても特にブントという名称に拘らなくてもよかった気はする。

オレも含めて多くの活動家は別に戦旗が「共産主義者同盟の一分派」だから結集したわけじゃないしね。

でも上層部は学生組織を再建した時に「社学同」の名称に拘ったりしてそういうことには何か変に頑ななところが当時からあったのかなぁ?

317 :名無しさん@3周年:03/12/31 13:15
機関紙の名前については「SENKI」から変更しよう、という提起があったよ。
実際、名前もいくつか候補が出てたりもしたんだけど結局、組織外のシンパから伝統あるw戦旗という名前をなくすのはいかがなものか、と言われて立ち消えになった。97年頃の話。私は90年代に結集して早くも脱落したへたれです。

320 :名無しさん@3周年:04/01/01 11:56
>316
たしかに中では同盟(=BUND、共産主義者の「同盟」)より、党という言葉を使っていました。今ではBUNDではなく、PARTEIとしたほうがいいのかも。

>317
発行元がひらがなの「せんき社」に変わったとき?
紙名変更をある同盟員に聞いたら、「A氏の思いつきだから、沙汰止みになる」と言っていた。

そういえば分派(戦旗派)は止揚されたのに、機関誌『共産主義』は復活しないね。え、今年中に『自由主義』として復刊だって?

321 :317:04/01/02 13:44
>>320
せんき社に変わったのは「戦旗」から「SENKI」に変わったときと同時だと思ったから94年だと思う。機関紙名変更の提起は97年頃と記憶しているので3年ぐらいずれてますね。
変更しよう、という理由がSENKIという言葉の語感が古臭いから、というしょうもない事だったと思う。自分としてはそんな見てくれに拘らなくても中身の充実のほうが大事じゃないかと思ったりもした。まあ、そんな意見は他に皆無でしたがw。

323 :317:04/01/02 17:54
訂正。
せんき社に変わったのは「戦旗」から「SENKI」に変わったときと同時ではなかったみたいです。95年のブント政治集会のビラには「戦旗社」になってました。
勘違いスマソ。

324 :名無しさん@3周年:04/01/04 18:12
荒戦旗のことを「日向カクマル」とか「ブント内革共同」とかって揶揄する人達って決していい意味では使ってないよね?蔑称として使ってるよね?

いや煽りじゃなくて聞きたいんだけどさ。そうやって「日向カクマル的」なもののアンチとしてあなた方が誇る「ブント主義」って一体何??

大衆運動高揚期にはその勢いに乗って運動を引っ張るけど退潮傾向になると組織も四分五裂してしまうのが愛すべき「ブント主義」なの?

「そーいうのはイカンなあ、もうちょっと組織建設にも力を入れないと」っていうのは至極マトモな発想に見えるんだけど......。
ましてや革マルのように組織建設だけでサッパリ闘わないんならともかく、’80年代の荒戦旗って他のブント諸派よりも大衆運動もゲリラもやってたと思うんだけど...。

強固な組織建設と大衆運動を両輪として闘うことがナゼにこうも笑われるのでしょうか?

329 :名無しさん@3周年:04/01/05 13:25
荒さんに対する個人崇拝はオレもどうかと思うよ。実際どの程度の「教祖」ぶりなのかはよく分からないけど。少なくとも`80年代はそんなに「荒さん荒さん」って感じでもなかったようにも思うんだけどね。多分蜂起派の諸君がさらぎ徳二をリスペクトしていたのと同程度だと思うよ。

そんなことよりも何故にブント諸派は「日向カクマル」と揶揄することによって何がしか「自分達の方がブント的(故にブントとしては上)」のように思い込めたのか不思議。あれで「日向カクマル」とか言われるのなら「西田中核」とか何で言われないの?

何で西田派は中核に合流しないのか不思議だったよ。「帝国主義間争闘戦論」って中核さんと西田さんとこくらいでしょ?

330 :名無しさん@3周年:04/01/05 13:53
>>329
>多分蜂起派の諸君がさらぎ徳二をリスペクトしていたのと同程度だと思うよ。
さらぎのおさーんは、ずーっと地下にいたので、ほとんど誰もあってないよ。あったとしても、昔話しかしない人なので、崇拝どころか、尊敬してた人いなかったんじゃないかな?
>何で西田派は中核に合流しないのか不思議だったよ。
それは、俺も思う。みんな思ってんじゃないか?何で西田は中核に、何で日向はカクマルに合流しないのかって。

332 :名無しさん@3周年:04/01/05 14:14
>>330

>あったとしても、昔話しかしない人なので、崇拝どころか、尊敬してた人
>いなかったんじゃないかな?

ワハハハそーなの?
塩見氏が自著の中でさらぎ氏のことを「マジメで原則的なことしか言わない人」と評してたけど。

そーいえば荒氏のことは「ものすごい大物だからオルグした」みたいなこと書いてたな。

>何で西田は中核に、何で日向はカクマルに合流しないのかって。

オイオイそりゃ言い過ぎ!w

338 :名無しさん@3周年:04/01/06 11:33
思い出。
70年代になっちゃうけど、やっぱり【3.26】。
とにかく熱くて煙くて涙が出て…。
でも、東京駅(さらに地区によっては地元)まで全員メットで帰ったのって、あのときだけだったような。
【ジェット燃料】トラックの荷台に隠れて、明け方にだあれもいない線路でジグザク。
【巻原発】孤立してしまった○キの方、ほんとうにご愁傷様でした。
【金大中】外務省で血だらけ。
【ミッドウエー】船の上で旗持つのは結構大変。

339 :名無しさん@3周年:04/01/06 12:10
>>338さん
レーガンの時の話キボンヌ

340 :338:04/01/06 12:23
レーガンの時って、どんなだっけ?
旗竿部隊のとき?

341 :名無しさん@3周年:04/01/06 12:31
>>340
そうでつ。常盤橋でつ。

342 :338:04/01/06 13:05
う~ん。記憶が薄いんだなぁ。たぶんもう召還してたかな。
BFのかっちょいい写真と、みんなの話は覚えてるけど。

344 :名無しさん@3周年:04/01/06 13:53
>>338さん
3・26の時はどんな雰囲気でした?
「やったー!」みたいな感じありました?
臨場感溢れる思い出話キボンヌ

拳銃の水平射撃見ましたか?

345 :名無しさん@3周年:04/01/06 14:06
3・26の頃は
日向派は60人くらい?

346 :名無しさん@3周年:04/01/06 14:08
>>345
>日向派は60人くらい?

もうちょっといたんじゃないの?

348 :338:04/01/06 17:44
菱田小跡地は真っ赤なメットで埋まっていたけど、そのなかで100人位はいなかったっけ。
もぐってた人とか、あっち行ってるレポもいるから、正確なところは不明。
ゲートまでしか行ってないから、ガス銃しか浴びていない。
とにかく、管制塔から紙がキラキラ舞って、赤旗が翻ったときには、革命を信じたよ!
ディエンビエンフーの光景が重なった。感動だった。
翌朝のメット情宣ではカンパが札で集まったなあ。

349 :名無しさん@3周年:04/01/06 18:15
日向派は鉄パイプではなく角材だったな。あのときはプロ青のほうが性根すわってた。
日向も荒が出てくる前はまともだったんだが・・・

351 :名無しさん@3周年:04/01/06 18:54
色々鬱陶しいことの多い新左翼の歴史の中で3・26の話は手放しで素晴らすぃと思えるな。
オレはガキンチョだったけどテレビでニュース見て震えたよ

352 :338:04/01/06 20:34
♪人民の旗 管制塔に翻る 銃声が 燃えさかる野火を貫く 人民は必ず勝利する

プロ青さんたちは、赤影みたいだった。
背中にパイプ背負って、颯爽としてたな。あれ、これはインターさんだっけ。
労共闘(学共闘)はちょっとドン臭かったかも。

353 :名無しさん@3周年:04/01/06 20:46
大義の春萌え

354 :名無しさん@3周年:04/01/07 21:16
んじゃ。
♪われらは 若き兵士 プロレタリアの~ 同士よ固く結べ 生死を共にせん
いか~なる迫害にも われらは屈せず
セイカ少年院跡地だっけ? あそこで歌ったなぁ。

355 :名無しさん@3周年:04/01/08 21:42
349>そうそう日向は角材だった。
4トロ、プロ青がパイプで。金が無かったのかのよ。

>荒が出てくる前
まともだったよな、確かに。

357 :名無しさん@3周年:04/01/09 18:41
>>355
>そうそう日向は角材だった。

破防法対策って話も聞いたことあるぞ。
○中も、おれたちゃPを持てば破防法食らうってよく言ってたが。

360 :名無しさん@3周年:04/01/11 02:11
あの時、塚の駅で手に持った一升瓶の焔瓶でマルキをぶん殴り、火だるまにした女がいたろう

361 :名無しさん@3周年:04/01/11 06:20
>>360
マジっすか!!??

362 :名無しさん@3周年:04/01/11 20:10
一升瓶なら、渋谷の交番でホトケのねーちゃんがやったのが先でつ
あんな重いのエンビンに使うなっつーの

363 :名無しさん@3周年:04/01/12 23:24
どうするんだろう投げられるわけ無いのにねえ自分が危ないやね
触発性焔瓶もって満員電車に乗るのを考えただけでぞっとする

364 :名無しさん@3周年:04/01/12 23:34
敏は、投げるものじゃないんだよ。数メートル先にたたきつけるもの。
遠くから投げても、恐怖感は与えられるが、訓練したマルキには効果がない。
やつらの足元に炸裂させるのが効果的。ズボンとかに火が燃え移るからね。

366 :名無しさん@3周年:04/01/15 12:44
ageてみる。
けーたろーさんって、市議になってたんだ。ぜんぜん知らなかった。
あのころよくバイクの後ろに乗っけてもらったなぁ。

368 :名無しさん@3周年:04/01/15 22:04
久々に見て懐かしくなりましta.
今では市民生活にどっぷりつかってますが、一方、これじゃーいけないとも思います。
しかし戦旗の共産主義からの決別にはおったまげました。というより、心が軽くなりました。
辞めたことへの原罪に悩まされてましたから。ケータローさんは上福岡の市議だけど
それより驚いたのが、カサギさんの今だよ。

369 :名無しさん@3周年:04/01/16 00:31
>>368
カサギさんの今って!?
勘違いだったらスマソだけどカサギさんって、三○○現○だった人?
もう記憶が曖昧で....。

370 :名無しさん@3周年:04/01/16 21:18
そうそう。そのカサギさん。日本を出て中南米にいるみたい。
肝臓は大丈夫かな???。

371 :名無しさん@3周年:04/01/17 00:30
>>370
>そうそう。そのカサギさん。

ヤパーリそうでしたか。
私の現役時代はたしか現闘のキャップでした・・・。
寡黙だけど鉄の意志を感じさせる革命家然とした風格の人ですなたな..。

戦旗からは離れたのでつね。

368さん同様市民生活に埋没して、活動から離れたことを負い目に感じながら生きてきましたが、何らかの形で声を上げるべき時が来たな・・・・と私は思っています

372 :名無しさん@3周年:04/01/17 07:23
ほんと、そうなんだけど。子供もいて、年収もそこそこになってきてると、捨てることも出来なくなってきてるのが現状。
あのときの、ホンと全てを投げ打ってやってたというのは、何だったのかなーと思います。
みんないい、オヤジ・オバちゃんになってんだろうけど、思い出に残る顔は20前半の顔です。
まずはオフ会でもやりたいですね。これにはさすが権力もこないだろうし。

373 :名無しさん@3周年:04/01/17 11:19
>>372
372さんはやっぱり`80年代の活動家さんですか?

私も家族もいて仕事に追われています。
でもそれを維持しながらも出来ることあるんじゃないか?
などとも思ってるわけです。
党派活動経験者はどうも”活動”っていうと「日常生活も全て活動のために動員しきれるかどうか?」みたいな風に自分を追いつめがちですが(そういう風に求められますからね..)そうじゃない運動の関わり方があれば参加してみたいですね。
オルグを適当にいなす術くらいは身についてるんじゃないかとw

372さんとは多分会ってるかもしれないですね。
条件が許せばメールでもやりたいものですw

374 :名無しさん@3周年:04/01/17 12:54
そうです。そこそこ長かったのでわかると思います。
しかし今でも駐在所のおまわりさんが、調査に来ますからね。ほんとしぶといですよ。
最近は警察も善・悪ではなく普通の人だなと思ってます。警備・公安以外はですが。
いいですね。フリアドなら使えますからね。

375 :名無しさん@3周年:04/01/17 15:03
>>374
374さんは長かったのですね。
私はホント短いのでw
私のことを憶えている可能性はほとんどゼロだと思います...

まあ学生だったんであちこちの闘争には出かけましたのでお会いしている可能性は高いとは思いますが

まあ気が向いたら昔話でもしてください

379 :名無しさん@3周年:04/02/04 00:13
どーでも言い話だけど、17,18年前西新宿歩いてたら赤ヘルの戦旗の人に署名求められて応じたんだけど、署名用紙の名前欄に「北村」職業欄に「野球選手」って書いてる人がいた。当時阪神にそういう名前の選手がいたけど、その人だったのだろうか。
赤ヘルかぶっていかにも怪しい風体(笑)の人達の署名に応じる野球選手のすれてなさと言うか、浮世離れに少し感激したの覚えてます。

380 :名無しさん@3周年:04/02/04 20:21
「見沢知廉」氏の組織名って?誰か覚えてる?

381 :名無しさん@3周年:04/02/05 00:16
U杉に聞けばわかるだろう。ていうか、本の中で書いてなかったか?

385 :狼煙:04/02/05 23:21
ブントって楽しそうだな・・・とうっかり一瞬思ってしまうんだけど、パクられた人への差し入れとか激励ってどうなの?結構手厚い?

第一次ブントは救対がいい加減だったから崩壊が早まって、革共同は合流したブント活動家からそうした事への反省を促され、救対にリキ入れるようになったとか言う話をどっかの本で読んだ記憶があるんだが、2次ブント→日向戦旗はどんな感じか聞いてないんだよな。差し支えの無い範囲で聞かせて。

386 :名無しさん@3周年:04/02/06 19:00
そのあたりはGiya氏がいろいろ書いてるケド。
管制塔戦士とか、東拘に未決で入っている人への差入れ&面会は定期的にやった記憶が。けっこうまめに公判傍聴も行ったゾ。
が、今は知らん!

388 :名無しさん@3周年:04/02/07 02:02
ステ貼り戦士の奪還にちゃんと人数出した記憶があるなあ。お決まりのネタだけど、待合室みたいなところに本物のヤーさんがおってビビった。

394 :喫煙者:04/02/12 22:08
3・26では戦旗派は突入部隊2個中隊約80名、横堀第二砦に約120名、計200名ほどだったよ。

395 :名無しさん@3周年:04/02/12 22:56
>>394
なんだよ、「突入部隊2個中隊」って。
ほんと軍国だな。ワラ

396 :名無しさん@3周年:04/02/13 13:26
>>394
その200名が当時の戦旗の「全勢力」ってわけじゃないですよね?

403 :喫煙者:04/02/13 19:20
78年頃の動員力はだいたいそんなもん(200前後)だったよ。あの頃は。

406 :名無しさん@3周年:04/02/13 22:00
>>403
ふーん。それじゃあ5~6年で倍以上に伸びたっつーことか。
それはすごいな。

407 :喫煙者:04/02/13 23:00
>>406
大きく伸び始めたのは‘79総括の後から。荒岱介しが出獄して、それまでの「血債・猛省」路線や「労働者・人民に学ぶ」路線を転換し、運動の手工業性を脱却して「戦略的総路線(安保・日韓闘争潮流の形成)」を再確定してからです。
韓国光州の民衆蜂起もあったし、ミッドウェー帰港阻止や三里塚ジェット燃料阻止闘争、東富士演習場闘争、金大中救出運動,トマホーク配備阻止反戦・反核運動などなど、とんでもなく忙しかったけど、みんな輝いてたなぁ‥‥。
私もなんど仕事を休んで駆けつけたことか。あのときは厳しくても楽しかったから‥‥。

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