民主党の「エエカッコしい」に使われているだけの朝鮮学校排除

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こちらのコメントとほぼ同じ内容です。書いているうちに長くなったので、例によって(貧乏性だから)もったいないのでエントリとしてもあげておくよ。もともとコメントなんで、エントリにも増して、記憶だけでしゃんしゃんと書いたもんですから、資料的なことは自分でちゃんと調べてね。細かい間違いがあったら教えてちょんまげ(おやじギャグ)

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 本当は、他の方へのレスを先に書かないといけないのですが、ちょっと興味をもったので先に書きます。天下御免さん、たけさん、ごめんなさい。

 まず、無償化の対象を公立高校のみにすべきだという主張はべつにOKです。それだと、高校無償化という脈絡では、私立学校に通う子供や保護者への差別になりますから、単に「公立高校の授業料を無料にする」という政策になると思います。学校ごとに授業料が違うのは、同じものでもメーカーによって値段が違うのと同じことなので、差別には該当しないと思います。buveryさんが、そのほうがよりよい政策だと思うなら、それは自由ですし、エントリーの趣旨とは何の関係もない自分の意見の開陳ですから、私から本エントリのコメント欄で何も言うことはありません。

 次に、高校無償化に反対する論拠に、憲法89条を持ち出してこられたのは、多少おもしろく感じました。私も法学部出身なので、89条の解釈において「私学助成金も本当は憲法違反」という極少数説があることは知っています。ただ、この解釈では、民間のボランティアやNGO、それのみならず、私立の介護・福祉施設などへの補助金や助成も違憲になってしまう可能性があり、妥当ではありません。共産主義社会が実現したのならともかく、現在の国家、社会において、教育・福祉・慈善などの社会的な事業については、むしろ在野や地域の人々の営む事業や取り組みに行政が適切に協力し、公的機関でしかできない分野との共同をすすめていくことが求められていると思います。しかるに公的な行政機関(お役所)の営む事業以外には、いっさい公金を使ってはいけないという解釈は、13 条、25条、26条などとの整合性を考えても失当であると思います。

 思うに憲法89条の立法趣旨は、公金が徒に浪費されるような「ばらまき」を危惧したものであり、いわば国家が教育・福祉・慈善などの分野において、これを在野と「協力・援助」するのではなく、「丸投げ」して後は知らない、結果として税金が濫費されうるという事態を禁止するところにあるものです。よって、たとえば行政が「歳末たすけあい運動」なんかに税金を、その具体的な使い道の監査もなしに寄付するような行為は89条違反の疑いがあります。しかしそれは支出先を日常的に監督していることや、まして行政機関が運営するものにしか公金を使ってはいけないという趣旨ではなく、税務やその他の特別法において、運営状態(とりわけ会計)の監査や公開、審査というゆるやかな方法があれば、89条の「公の支配」の条件には足りると解します。実際、そういった監査の結果、翌年からは補助を打ち切るなんてこともあるわけですから。つか、昔の教科書を見ずにうろ覚えで書きましたが、これが通説であると思います。

 老婆心ながら、こういう極少数説を信奉するのは別に悪いことではないし、それはそれでいいのですが、それが特殊な考えてあることを隠して、いきなり「こうなのである」と自明の真理みたいに断言して終わらせてしまうのは、印象操作などというレベルを超えて、ほとんど嘘を書いているに等しいと思います。学部の試験だったら赤点がつくと思います。こういう少数説をとる場合は、まず、「一般的にはこう言われている」と通説的な考えを紹介し、「しかしこれは××という理由で妥当ではない」とそれを批判したあと、「ゆえに私は○○という考え方が正しいと思う」と自説を展開するべきです。そこまで書いてはじめて、読者としては正しい判断を下せると思います。私はこれが面倒なので、憲法についてはできるだけ通説を採用するようにしていることは内緒です(笑)。ところが、ネットではよくこういう「いきなり少数説真理教」みたいな言説をみかけます。まあ、「地球は丸くない」みたいな、「地球は丸い」という通説がほとんど常識として通用している分野なら、通説をはしょってもいい場合もあると思いますけどね。ところが、こういう法律解釈のような一般的でない分野でまで、「知ってる?真実はこうなんだよ」的な文章があふれているので、ネットは恐いんですよね。

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 なお、このエントリで論じている本件事例の場合、利益を得るのは学校ではなく、そこに通う生徒なのであって、たとえ生徒が払う授業料が無料になっても、学校が受け取る金額は以前と同じなのですから、その範囲内においては89条の解釈が問題になることはありません。よってここで89条そのものを持ち出してくることは、無償化政策に反対する論拠にはなりえても、そもそも無償化政策を所与の前提として、そこから「拉致事件と砲撃事件を理由として朝鮮学校のみを除外することができるのか」という、本件エントリの論点においては何らの根拠にもなりません。そのあたりが混乱していると思います。

 次に、おそらくbuveryさんは、日本国籍者と納税者という概念をごっちゃにしてしまい、いわば、「定住外国人の地方参政権の是非」を論じるのと同じ言葉と気分でもって、それとはぜんぜんに位相が異なる「無償化からの朝鮮学校の排除の是非」を論じるという誤りをおかしておられると思います。私の勉強不足かもしれませんが、定住外国人に対し、自国民と同じ金額の税金を課して徴収しておきながら、行政サービスだけは受けさせないという国を知りません。少なくとも先進国では。もちろん、外国人にはなじまない権利行使の種類があるでしょうし、サービスを受けられるにしても、手続きで違いがあることも考えられます。しかしそういう合理的な区別をのぞいた分野では、行政サービスとの関連において、納税者は権利においても義務においても平等のはずです。とりわけ福祉・教育・医療などの分野においてはそうあるべきです。そこから排除するなら、外国人から税金をとってはいけません。実際、平等に扱っていない分野(国によるでしょうが健康保険や年金など)では、外国人に負担を求めることはできません。たとえば毎月の給料から年金の掛け金だけが天引きされるのに歳をとっても年金は受けられないという事態を(自分のこととして)考えてみれば、buveryさんのおっしゃっている論拠がいかにべらぼうなことかわかるでしょう。

 最後の、朝鮮学校の入学資格については、それは朝鮮学校の方針であるので、私からどういう方式がいいとは言えません。一般論として、国連など現在の国際社会における主流的な考えでは、その国の国内に合法的に存在する少数民族(国籍は問わない)について、彼らが自民族の言葉と文字を使って、いわゆる民族教育を受けることは「権利」とされています。国家はこの権利を保障する「義務」があるということになります。中国のチベット人に対する政策が非難されているのも、こういう考えが根拠にあるからこそなんですね。buveryさんのあげられた入学資格についても、民族学校がなぜあるのか、その目的は何か、そういう観点から考えるべきだと思いますよ。それが「民主的人権的価値観」に適合するということなんです。まあ、ある民族が一人でもいたらその国の民族学校を建てないといけないのかとか、日本各地に公立の民族学校を何種類も建てないといかんのかという話になると、それはそれで誰も極端なことは言わないでしょうけどね。別に朝鮮人がということだけではなく、一般的な話としては、マイノリティの人々が自発的に作った民族学校を、日本社会みんなで応援してあげるのは良い政策ではないでしょうか。たとえその国とどんなに喧嘩して、場合によっては戦争していてさえもです。それこそ胸をはって「私は日本人だ」と世界の人々に言える国だと思いますよ。

 一方で私は、手放しで朝鮮学校を応援したり、「日朝友好」を掲げている人には正直に言えば違和感があります。もちろん「北朝鮮への制裁」みたいな安易な発想で、朝鮮学校の生徒や父母に、他の納税者とは違う「特別の不利益」を課すことには反対です。また、現実の生身の朝鮮学校の人にあったら、応援してあげたいなと思う人が大半なんです(もちろんどこにでも例外はいるけど)。ですが、たとえ建前であっても制度や仕組みとしての朝鮮学校のあり方、すなわち、国定教科書の内容とか、総連の幹部連中を通じた北朝鮮本国とのつながりとか、そのあたりは私もひっかかります。ですが、これはまた別の問題だと思います。もうすっかり民主党が自己保身のために、すごく差別的な理由で世論をミスリードしてしまった今日では、問題を長引かせずに法律を条文とおりに運用するしかないと思います。民主党のこういう態度をすっとばしたところで、つまり純理論的にこの問題を論じ、現実にどんな結果をもたらすかを考慮しない立論は当を得ないと思うんですよ。

 だって、「北朝鮮への対抗措置」なら、他にやるべきこと、やらなくてはならないことが、いくらでも山のようにあると思うんですよ。三浦さんとかが取り組んでいる、北朝鮮難民(脱北者)への支援もその一つです。逆に言いますと、それを何もしてないからこそ、この問題をスケープゴートにしているだけなんですね。つまり、めんどうな「本丸」との対決はさけて、いじめやすいところをいじめる、取りやすいところからとる、それでカッコだけつけるという発想なんです。だから長引いてグダグダになる。そんな、生徒や父母の自尊心を傷つけるようなことばっかり言っている場合じゃない。それは逆効果だと思う。だって、しょうがないじゃないですか、こういう法律がこういう内容で決まってしまったんだから。この点についても、buveryさんは現行法の運用を論じている時に、将来の立法論をごちゃまぜにすることで、何かしら自己の論拠を正当化しておられるようですが、その論法ははなはだ不適切だと私は思います。それはちゃんとわけて論じてください。

ここまで読んでいただいてありがとうございます!