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第67話 豪邸の中で(1)

 第六十七話 豪邸の中で(1)


条件派農民のちぐはぐな生活 武治の長男・和年は中学を出ると間もなく、札幌のある商事会社に勤めに出た。その関係もあって、次男の直次が父と一緒に畑仕事をしていた。天浪の父の墓はついにあのような形で終わったが、木の根の土地は父の遺志を継ぎ、直次は農業に専念した。

 直次と山本静子の結婚がきまったのは、武治の死の直後だった。生前の武治の願いがようやく、死後実現したのだった。今時、農村に来る娘は、なかなかいなかった。特に空港敷地内でそれも反対派の家となると、きまりかかった縁談まで破談になることもたびたびあった。そんな中でも今までに援農に来た女子学生と地元青年が相思の仲となり、結ばれたものが四組もあった。農家の娘が百姓を嫌って都会に行き、都会から農村に来た女性がその嫁となるという、皮肉な現象が闘う現地では見られた。直次と静子も、またそのうちの一カップルだった。

 静子と結婚した直次は、張合のある楽しい日々を過ごすようになった。それによって木の根そのものが、明るくなっていくようにも見えてきた。しかし、武治の死後、わかったことは父が農協に、一〇〇万円近い借金を残していたということだった。若い直次にとっては、大きなショックだった。遺された家族にとって一〇〇万円という金は、大金だった。
「おら家では一年働いて稼いだ儲けが、みんな借金の利息に化けちゃうだもん」と、説子はよくいった。

 かつて親しくした同じ部落の石川辰夫が、三里塚の代替地に二〇〇〇万のご殿を新築したというので評判になった。それが木の根の説子の耳にまで、伝わってきた。説子はある日、石川の妻のゆき子にお茶に誘われた。まだ武治の生きていた頃の説子は、石川辰夫が反対同盟から条件派に鞍替えした関係も、あってか、同じ部落内の女友だちであっても、全然行き来をしない間柄だった。それが夫を失なった淋しさもあり、かつての女同士の部落つき合もあった関係で、誘われるままに、ゆき子の家まで出かけていった。直次にはどこともいわずに、ぶらりと家を出た。

 初めて行ってみてこれが石川辰夫の家かと、説子は自分の眼を疑った。花崗岩の門柱にはたしかに、「石川辰夫」という標札が礼々しく掲げられ、近代的な彫刻のある鉄の門扉、屋敷の周りは石垣で囲まれ、見るからにお城のようだった。それを眺めた説子は一瞬、その門を潜るのをためらった。木の根の説子の生活とは、隔絶の差があったからである。
 説子は門柱の陰に立って、呆然と庭を跳めていた。ガラガラと玄関の戸が開いて、ゆき子が現われた。木の根の頃のゆき子とは思えぬほど、若返っていた。
「あら、説子さん、何してんのよ」
「うん、あんまり立派で……」
「何いってんのよ、わたし待ちどおしくて、今、出てみたとごろ……」
 門扉を開けてゆき子は、説子を庭に誘い入れた。庭には噴水のある池があった。一〇数匹の緋鯉が三々五々つれ添って、水中を泳き回っていた。池の周りには赤い石青い石が置かれて、それが芝生の緑と調和して、眼の覚めるような美しさだった。説子はうっとりとして、眺め入った。

 説子は応接間に案内された。大臣の座る椅子とは、こんなのかと思われる椅子に腰を下ろすと、説子は改めてどこに来たのかと、自分を疑いたくなった。天上にはシャンデリヤが吊り下り、マントルビースの上には、説子の見たこともないようなピカピカ光り輝く置物がいくつも並んでいた。
 ゆき子がお茶を運んできた。
「こんな立派なご殿に住んで……」
「何がご殿なのよ」
「わたしら一生かかったってこんな家には住めないよ」
「何いってんの説子さん、まあお茶でも呑んでよ」
 ゆき子はお茶を入れて出した。説子はお茶には手もつけず、部屋中ぐるぐると見回した。
「全く羨ましいよ」
「何いってんのよ。今、後からゆっくり誘すから……」
「何をよ……」
「何をって、悩みがあんのよ」
「悩み……こんな豪邸に入ってて……」
「うん、悩みよ。この脳みは説子さんでなけりゃ、打ち明けられないのよ」
 ゆき子は説子と、向かい合って座った。
 説子はきらびやかな応接間の豪華な調度品に囲まれたゆき子の顔を、しげしげと見つめて不審に思った。ゆき子の悩みとはなんなのかと――。

 木の根の頃の陽焼けしたゆき子とは違って色白になり、お茶を呑むその指も細く綺麗になっていた。瞬間、眼に映ったものは、ゆき子の手に光る指輪だった。半年も会わないうちに、こんなにも変わるものかと、説子は不思議でならなかった。
「こらや、この手……」
 説子は自分の陽焼けした両手をゆき子の面前に突き出して見せた。そして、ゆき子の手の傍に近づけて、ゆき子の手の白さに較べて見せた。黒いばかりか説子の指は節くれだって不格好な手だった。それに比してゆきの手は白く、すんなりして形がよかった。「こっちはよ、手どころの騒ぎじゃないのよ。説子さん」
「馬鹿に家の中が静かじゃねえの」
「うん、日中は誰もいないの」
「旦那はよ……」
「旦那は家にいられないのよ」
「畑はどうしてんのよ」
「畑だって見るとおり、猫のふてえ(額)でしょうよ」
 ゆき子は窓から見える畑の方を指さしていうと、説子は畑を、チラと見た。
「それで旦那はどこへ……」
「毎日土方だよ……。地下足袋履いてよ……」
「……」
 説子は黙って、ゆき子の顔を見つめるばかりだった。条件派の人たちが立派な家を建てたものの、うまくいっていないということは人伝てに聞いてはいた――が、それも反対派の農民や学生のいう大袈裟なデマ宣伝のように、半ば説子は思ってもいた。ところが、ゆき子からじかにそれを聞かされて、やはり嘘ではなかったのかと、心に染みて思わされた。

 応接間からはレースのカーテンを透して、噴水のある庭が眺められた。説子はしばしそれを跳めてから、「ゆき子さんはいい時に家を建てたわよ。羨しい!」といって、応接間のぐるりを改めて見回した。
「説子さん、家々というけどよ、ぽろ家に住んでも百姓やっていたあの頃が、今となれば懐しくて……。朝タ、木の根の方を眺めては、つくづくそう思う時があるのよ。やはり武治さんは偉かったよ!」
「偉いか何だか知んないけどよ、うちの親父も一徹もんだからよ……」
「木の根でも誰も従いていけなかったけど、今思うと、武治さんは偉いと思うわ」
 そして、ゆき子は土地を売ったら二度と手に入らないこと、売るにしては早過ぎたことなどを語った。
 しかし説子にはゆき子の語る言葉が、彼女の思いつめでいるほど身に応えて響かなかった。

次回、「豪邸の中で(2)」へ続く


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