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レーニン『帝国主義論』と現代世界


谷川 昇  「闘う労働者」1985年3月1日号 (戦旗社)より

 マルクスが生きた19世紀イギリスの資本主義分析だけでは、身近な資本の仕組みはわかっても、なかなか今の世界情勢全体が理解できないよね。それはレーニンの時代でも同じであって、当時の左翼でも「マルクスはもう古くなった」という人もいたんだよ。そんな時代に出てきたのが「帝国主義論」だった。工場などの産業資本家が支配するマルクスの時代と、株式会社という形態が登場し、銀行などの金融資本主義が支配するようになった現在までの資本主義の違いを分析したレーニンは、当時の世界情勢を見事に説明して見せた。
 これでかなり私たちが知っている現代世界に近づいたけど、それは第一次大戦当時の話。列強が派手に植民地の分捕り合戦をしている世界。本当に今の世界でストレートにそんなことがおきるんだろうか?それに帝国主義は今や植民地を争って争闘するどころか、軍事同盟を結んで敵対勢力を共同で押さえ込む布陣だ。その違いは何?そのあたりのことも本稿はちょこっと分析してくれている。

はじめに


 われわれは日常的にも、日本帝国主義とかアメリカ帝国主義とかいう言葉をよく使う。つまり、われわれは帝国主義とは何なのかについて漠然とした観念をもっているはずなので、そこからはじめたいと思う。

 帝国主義について簡潔に説明したものとして、『現代用語の基礎知識』から引用してみよう。
「広い意味では征服による領土の拡張で、侵略主義をいう。この種の帝国主義はローマ帝国にも封建国家にもあった。しかし、今日の通用語では資本主義の高度の段階に達した場合の侵略主義をいい、金融資本が国内市場を独占するだけでは満足せず、国際市場を独占するため後進地域を侵略し、植民地を奪い合うため軍事的行動を伴う政策をいう」
 こうした帝国主義のイメージにあうものとして、われわれが直ちに思いつくのは、第一次・第二次の世界大戦での列強の政策であり、日本も中国をはじめとするアジア各国に侵略していったこと、あるいはつい最近では、アメリカが小国グレナダの革命政権転覆をもくろんで侵略し、いまだにグレナダ・キューバ革命勢力の手痛い反撃に出合っていることなどである。

 ここでわれわれはこうした帝国主義をさらに明確にするものとして、レーニン『帝国主義論』に学び、帝国主義の経済学的規定を基礎として帝国主義戦争の必然性などの諸点(政策・イデオロギー・階級関係)について対象化していきたい。
 そして最後に、レーニンが分析の対象とした当時の帝国主義と、現代の帝国主義ではどこがちがうのか、言いかえれば現代の帝国主義は、どのような要因に規定されて、どのように形態変化をとげたのか、について部分的ながら見ていきたいと思う。


一、レーニン『帝国主義論』の位置


 一八七三年全世界をおそった大恐慌と、それに続く二〇年にも及ぶ大不況をつうじて、資本主義は新たな政治的・経済的発展傾向を示すようになる。
 それ以前の資本主義は、イギリスにおいて典型的に見られたように、いわゆる自由競争が貫徹され、全人口が三大階級(資本家・労働者・地主)へと分化する傾向を見せ、また国家権力も「夜警国家」として経済過程に介入しない所謂自由主義の時代であった。ところが十九世紀末になるとこうした傾向が新たなそれにとってかわられることとなった。

例をあげれば、
(1)独占体の成立により、自由競争が阻害されるようになったこと。
(2)国家権力が財政政策を展開するなど、経済過程に介入するようになったこと。
(3)農業に資本家的経営が普及していくのではなく、農民経営が残存していった。つまり農民層は、農業資本家とプロレタリアートヘ必ずしも一方的に分化せず、滞留していったこと。
(4)サラリーマン・官吏・軍人といった所謂新中間層が増加する傾向があらわれてきたこと。
等である。

 こうした現実は、たしかに一時期のイギリスのように資本主義が純粋な発展をとげるというマルクスが『資本論』を書き上げた歴史的背景とは様相を異ならせるものであった。こうしたなかでマルクス主義の理論家、とりわけドイツの社会民主主義者のなかで論争がおこなわれた。
 ベルンシュタインに代表される修正主義者たちは、いわぱ「マルクス葬送」へと走り、漸進的な改良闘争を唱える立場へと堕していった。他方カウツキーに代表される「正統派」は、マルクス主義の正当性を主張しつつも、前述の新たな傾向を対象化するようなマルクス主義理論の発展をなしえたとはいえなかった。あくまでも『資本論』をそのまま現実にあてはめようとしたのである。
 こうした論争のいわば最後の位置にたち、帝国主義をその段階の特殊性において総体的にとらえたのが、レーニンの『帝国主義論』であった。


二、『帝国主義論』と祖国敗北主義の立場


 レーニンが『帝国主義論』を執筆したのは、一九一六年の春のことであった。この時期は、一四年から始まった第一次世界大戦のさなかであり、この戦争をどのように対象化し、これに対してどのような立場をとるのかが社会民主主義者に鋭く問われていた。しかし当時の社会主義運動の主流であった第ニインターナショナルは総じて翼賛化し、帝国主義の戦争を事実上支える左足となっていったのである。例えばドイツ社民は、ドイツ帝国主義の戦時国債の発行に議会で賛成投票をしていったのである。

 こうした状況のなかにあってレーニンは、いかなることを課題として、いかなる立場をとっていったのか。このことを結論を先取りして述べてみよう。

 レーニンが『帝国主義論』において課題としたのは「戦争の真の社会的な性格、より正確にいえば真の階級的な性格がどんなものであるか」(序文)を分析し、暴露することであった。そして「1914―1918年の戦争は両方の側からして帝国主義的な(すなわち侵略的な、略奪的な、強盗的な)戦争であり、世界の分け取りのための、植民地と金融資本の『勢力範囲』の分割と再分割、等々のための戦争であった」と結論し、総括したのである。

 こうした分析にたち、レーニンは「帝国主義戦争を内乱へ」転化するという革命的祖国敗北主義の立場をかかげていった。すなわち各国のブルジョアジー共が自らの利権のためにプロレタリアートを動員し戦争を起こすのに対して、プロレタリアートが国際的に連帯し、ブルジョアジーを打倒することを提起していったのである。
 この祖国敗北主義の立場こそ、それぬきには二月革命後も戦争をつづける臨時政府の打倒を提起した「四月テーゼ」もなかったであろう、ボリシェヴィキの戦略的核心をなしたのであった。


三、金融資本の成立


 それでは『帝国主義論』の具体的内容に入っていこう。ここではレーニンが「金融資本の発生史」「概念の内容」について対象化しているはじめの三章(1,生産の集積と独占体、2,銀行とその新しい役割、3,金融資本と金融寡頭制)について見ていく。

 ここでのレーニンの論理は明解である。すなわち1,においてレーニンはドイツやアメリカの統計資料をひきながら、資本主義のもとで「自由競争は生産の集積を生み出し、そしてこの集積はその一定の発展段階で独占にみちびく」ことを述べている。そして2,において「銀行業が発展してそれが少数の銀行に集積されるにつれて、銀行は仲介者という控えめの役割から成長して、あらゆる資本家と小経営主のほとんどすべての貨幣資本と、さらにはその国や幾多の国々の生産手段と原料資源の大部分を意のままにする、全能の独占者に転化する」といい、銀行と産業の癒着を説いているのである。

 シェーマ化するならぱ、「自由競争→生産の集積→独占」という論理と、「銀行と産業との融合あるいは癒着」という二つの契機によって、金融資本概念は構成されているといっていいだろう。

 われわれは、このレーニンによる金融資本の規定について、まず第一に読んでみてすぐ感じることだが、「自由競争→生産の集積→独占」というシェーマがいわば自明のものとされながらあいまいにされていることに気づく。レーニンはマルクス『資本論』の論理の延長上に如上のシェーマが展開されると考えているわけだが、『資本論』でこのことが論証されているとはいえない。われわれは「生産の集積・独占」を『資本論』の論理に解消させるのではなく、資本主義の新たな発展段階を画する歴史的事実として、具体性のうちに把握していきたい。そして同時にレーニンにあっては軽視されていた「集積・独占」と「銀行と産業の癒着」を媒介し関連づける株式会社の意義をも明らかにしておきたい。

(イ)株式会社と銀行

 歴史的事実として、先に述べたような金融資本が典型的に発展していったのはドイツであるので、ドイツにおける当時の資本主義の発展について見てみよう。

 十九世紀中頃の世界経済は、イギリス一国に工業が集中し、他の国々は多かれ少かれ農業国として編成されていた。すなわち「世界の工場」イギリスが、ドイツ・アメリカ・インド等々の国ぐにから農産物や原料を輸入し、これらの国に綿製品を中心とする工業製品を輸出していく関係であったのである。しかしこうしたなかでも、当時の後進国ドイツは独自の仕方で、イギリスの優位に対抗しつつ資本主義化をなしていった。
 ここでのドイツのイギリスに対抗した資本主義化は、一方ではイギリスの商品に保護関税をかけるとともに、他方ではイギリスが長時間かけて漸く到達した高い生産力水準をはじめから導入・採用していくことを必要とした。ところが、このように高度の生産力を一挙に採用するのには、相当巨額の資金が必要だったのである。このことを可能にしたのが株式会社形式だったのである。

 株式会社形式の第一の意義は、周知の通り、株券を発行することにより、個々人の蓄積の限界をこえた全社会的遊休資本を調達することができるという点にある。
 周知のとおり、株式形態は株券と引きかえに払いこまれ、生産過程に投入され、G―W…P…W´―P´(註1)の運動をくりかえす払い込み資本と、一定の配当をうける所有名義である株式資本という二重性をもっている。後者の株式資本は、配当を利子率でわった価格で売買され(註2)、資本が商品化されることとなる。


(註1)
G―W…P…W´―P´においてGは貨幣(Geld)Wは商品(Ware)…P…は生産過程を意味する。つまり、貨幣GでWを買い入れ(具体的には生産手段と労働力商品)、生産した商品Wを売ってより多くの貨幣Gを得る。
(註2)
たとえぱ五十円払いこみの株式資本が年に21.5%の配当をうけるとすると、配当は6.25円になる。この時利子率が5%だとすると、百二十五円を銀行にあずけるのと同じことになり、株券は百二十五円の価値をもつものになり、その価格で売買される。ということは、はじめ五十円を払いこんだ株主は、その株券を百二十五円で売ることにより七十五円の利得をえる。これがいわゆる、創業者利得である。

 株式会社形式の第二の意義は、大株主による支配力の集中の手段であることである。多くの株主が所有する株数を異にしているなかで、会社に関係するのであるから、多くの株券を所有する大株主が、会社の経営権を獲得することとなる。ここにただ配当をうけるだけで経営権をもたない小株主と、比較的に少額の自己資金によって経営の全権をにぎる大株主とにわかれるのである。
 レーニンはこのことについて「株式会社の事業を切り盛りするためには株式の四〇%をもっていれば十分である。なぜなら、ばらばらな小株主の一定部分は、実際には株主総会に出席したりすることが決してできないからである。株式所有の『民主化』ということから、ブルジョア的詭弁家や日和見主義的『でも社会民主主義者』たちは、『資本の民主化』、小規模生産の役割と意義の増大、等々を期待しているが、この株式所有の『民主化』は、実際には金融寡頭制の威力を増大させる方法の一つなのである」といっている。

 さらに第三に、最も重要なこととして、株式会社形式を母体として、産業と銀行の関係がふかまり癒着してゆくことである。
 これまでの銀行は、各産業企業の遊休資本をあずかり他の企業に融通して、その利ざやを利潤としていく商業銀行としての業務を中心としていた。ところが株式会社の設立がさかんになってから、銀行は株式の発行業務をひきうけ自ら株主となると同時に、株を売り出して巨額の創業者利得をえるようになる。また株式を担保として巨額の長期貸出しをおこなうようになり、株式会社の経営にますます重大な関心をもつようになる。そしてこの過程は、こうした新たな業務に積極的にのりだせない小銀行の淘汰される過程でもあったのだ。
 ヤイデルスは言う。「銀行は産業企業にたいして、その出生から死亡に至るまで、設立から解散に至るまでの道づれとなり、その事業の生涯におこるあらゆる日常的並びに非常時的金融を援助し、また自らも利益を得つつ付添ってやらざるをえなくなる」こうして銀行は、会社に重役を派遣するなど、「人的結合」=癒着をふかめるのである。

(ロ)鉄工業の発展と独占体の形成

 十九世紀後半のこの頃は、ヨーロッパでアメリカで、そしてその他後進農業地域で鉄道の建設が拡大されていった。このため鉄の需要が増加して鉄工業が盛んになっていた。鉄工業では綿工業などのいわゆる軽工業に比して巨大な規模の設備投資が必要とされるわけだが、ドイツでは先に述べたように株式会社形式により社会的遊休資本を広く集中して鉄工業にのりだしていった。

 鉄工業は、巨大な設備=固定資本を必要とするため、不況になったからといって容易に生産を切りちぢめたり、他のより利潤率の高い産業部門へと資本を移動することができない。
 そのために、不況期には価格の低落をくいとめるため競争をやめ、いくつかの企業どうしで協定をむすぶようになる(カルテル)。また不況期の窮状を打開するだけでなく、好況期にも好況を利用するためにカルテルが採用されるようになった。価格協定・販路分割などの協定からはじまったカルテルは、生産制限なども行うようになり、全体で一つの販売会社を設立するシンジケートにまで発展する。
 ドイツでは、一八七〇年代後半以後の大不況の中で、企業と結びついた大銀行の主導によって資本の集中・合併がおこなわれ、鉄工業・石炭業を中心とした独占体が形成されるようになったのである。それとともに、石炭業や鉄工業などのいくつかの作業過程を結合させた混合事業が、経済的に有利であるため主流となり力をもっていった。
 こうして、大銀行と結びつき組織的独占体を形成すると同時に、設備の巨大化、混合事業化をおしすすめていったドイツ鉄工業は、多額の独占利潤をあげるとともに、生産高でもイギリスを追いぬくようになる。

 以上がドイツにおける金融資本の形成過程である。伝統的な資本主義国イギリスでは、個人の蓄積を背景として個人企業的伝統が強かったため、株式会社化やそれを媒介とした産業と銀行の関係強化ということはそれほど見られなかった。また十九世紀半ばから、全世界のあらゆる地域に「資本の輸出」をおこない、その利子によって生活する金利生活者国家化していった。またアメリカもドイツと同じ時期に金融資本化が進展したが、法律上の制限のためカルテルが阻害され、トラスト(企業合同)が中心となった。

 レーニン『帝国主義論』では、こうしたドイツ、イギリスを両極の典型とする帝国主義のタイプをひとつの論理のうちに包含して、「生産の集積・集中→独占」としているのだが、われわれは、二つの典型を区別して見なければならない。鉄工業の発展を軸として活力あふれる攻撃的な帝国主義ドイツと、なんとかして「世界の工場」の地位を守らんとする消極的な帝国主義イギリスとの関係が、のちの第一次大戦の勃発を根本で規定するのである。


四、帝国主義戦争の必然化


 以上のような金融資本の形成とその再生産構造の確立は、資本の過熱→資本の輸出を必然化し、資本の輸出先を排他的に自分の政治的勢力圏にくみ入れようとする傾向があらわれてくる。金融資本の利益のためにするこうした積極的な対外進出政策が、帝国主義政策である。それをシェーマ化して示せぱ次のようになる。

 (1)金融資本は、強固な独占体を形成することにより独占価格を維持し、独占利潤を最大にすることをめざす。しかし、金融資本の下で急速に増大する生産に比して国内市場は狭くなり、商品輸出をのばすことが重要な課題となった。
 (2)そのために、関税とダンピング輸出を政策的におこなう。関税により国内市場から外国資本を排除し、国内での独占利潤を確保しながら、この独占利潤をもとでにして国外へと組織的にダンピング輸出を展開した。
 (3)しかしながら、他国との競争が激化するなかで、採算を無視して無際限にダンピングを展開し、輸出を拡大することが困難になってくる。
 (4)このため金融資本は、最大限の利潤をあげるために却って、生産そのものを制限しなければならなくなる。ここに国内においてはこれ以上投資してもより多くの利潤が得られなくなるという資本の過剰が生ずる。
 (5)この過剰資本は、資本として海外に輸出される。後進諸国の高い利子、低賃金と安価な原料は、証券投資(外債などに応募・貸付)、直接投資(外国の企業の設立・投資)双方とも有利な価値増殖を可能にする。
 (6)同時に資本の輸出は、たとえばドイツ資本が在外企業に直接投下される場合はもちろん、鉄道建設のための外債をひきうけるときにも、それらに関連して必要となる資材をドイツから買いつけることを条件としているというように、商品の輸出の拡大をもたらしていった。

 以上のことから明らかであるように、資本の輸出はドイツ金融資本が存立していくための不可欠な一環としてあるのである。そこで、一方では自らが輸出した資本の利益を擁護するために資本輸出先の国を排他的に支配して勢力圏・植民地として従属させようとし、他方では更なる資本輸出先を求めて勢力圏・植民地の獲得・拡大の要求を強めることになる。
 ところが植民地の領有そのものは、十九世紀末までにイギリス・フランスによってほぼ分割されつくしていた。これに比べてドイツ・アメリカはいちじるしく遅れていた。ここに、急速に発展しつつあり、積極的な資本輸出を行いながら狭隘な植民地しかもたないドイツと、広大な植民地を領有して排他的な資本輸出・商品輸出により自らの既存の地位を守らんとするイギリス・フランスとの対立が激化していくこととなるのである。
 こうした対立の激化に対応して独英の間にいわゆる建艦競争が展開され、軍事的対立も激化していった。またこうした軍備増強を人民の負担においておこなうためにも、金融資本は人民を排外主義的に集約していった。

 このような政治的・軍事的・経済的対立が、油田開発と鉄道建設をめぐりバルカン半島において爆発し、第一次世界大戦のひきがねとなっていった。
 ちなみにアメリカはドイツと同じく金融資本の成立により急速な工業成長をとげたが、もともと広大なフロンティアを国内市場としてもっていたことにより対外進出の欲求も比較的に弱く、ヨーロッパから離れていたこともあって国際的対立の渦中からはずれた位置にあったといえる。


五、帝国主義国内での階級関係の変化


 先にも述べたように、ドイツではイギリスのように階級関係が単純化する方向をとらなかった。それは金融資本の成立とその再生産構造に起因している。

 つまり第一に、イギリスにあっては産業資本の確立過程において囲い込み運動による農民層の分解→無産労働者の大量創出ということを経ていったのに対し、ドイツでははじめから社会的に集中された巨額の資本で蓄積がおこなわれ、必要以上の農民の分解はおこらなかった。
 第二に、金融資本は非独占部門の中小生産者層を解体するのでなく、むしろこれを圧迫・収奪することによって存立していたのである。
 第三に独占体と中小企業との分裂に対応して労働者階級内部でも、熟練工と不熟練工、男子青年労働者と婦人・児童労働者、ドイツ人労働者と外国人労働者の格差が固定化していった。こうして労働者階級内部での階層分化が進行して、労働貴族という新しい層を生み出す。
 第四に、独占企業での経営の組織化や国家権力機構の肥大化により、サラリーマン・官吏・軍人といった層を生み出す。

 総じて旧中間層・新中間層が滞留する傾向をみせ、これらの層をどうとりまとめていくのかが金融資本にとり課題となってくる。そこでおこなわれるのが「買収」としての社会政策である。農業協同組合の設立などの農民保護政策、中小企業保護政策、社会保険等々は、新旧中間層の社会主義勢力化をおさえこむための社会政策である。
 かくして社会のほとんど全ての階級階層が、金融資本の動向に直接(株の配当・賃金など)、間接(社会政策など)に影響をうけるようになり、「金融資本の発展が国民生活、国民の福祉に役立つ」といわれるようになるのである。さらには、「国民経済の『高度成長』のためには対外進出が必要だ」という形で、人民を排外主義者にしたてていくのである。

 労働運動における日和見主義の発生は、こうした資本主義の攻撃に屈伏するものに外ならない。その客観的根拠となったのは、先に述べた労働貴族層の形成と労働官僚の発生であるが、社会民主党がブルジョア議会での議席数の拡大にあけくれ、「党勢をのばす」ために中間層に迎合して「国民政党」化していったことも大きな要因である。

 かかる日和見主義の発生根拠をつきとめ、日和見主義と徹底してたたかったレーニンのみが唯一、帝国主義戦争のなかから革命情勢を切り拓き、内乱の勝利をもぎとったのである。このことを見てもわかるように、帝国主義国内の革命闘争にとって、「革命的祖国敗北主義、自国帝国主義打倒」の旗の下に、帝国主義のための労働運動と訣別することが核心となるのである。


六、『帝国主義論』と現代世界


 これまでわれわれはレーニンの『帝国主義論』の内容に沿い、それに肉づけしながら帝国主義のもつ政治・経済的傾向について見てきたわけだが、ここでわれわれはレーニン当時の世界と現代世界との共通点・相違点を明らかにしつつ、現代世界を対象化するための一助としたいと思う。

 一部の論者によれぱ、今日世界経済はアメリカ、日本、西ヨーロッパの相対立するブロック化の時代に入りつつあるという。第二次大戦後の世界経済はアメリカの絶対的優位にもとづき、IMF・GATTの自由・多角・無差別の貿易体制が統一的枠組みとなつてきた。これは三〇年代を帝国主義なりに教訓化して打ち出した施策であった。
 ところがこの体制のもとでアメリカは、日本・西ヨーロッパの「高度成長」をもたらした結果、自らが没落するに至った。六〇年代ドル危機の発生→七〇年代のIMF・GATT体制の崩壊はこうした不均等発展の結果であり、統一的世界経済編成の喪失→ブロック化をもたらす、と言うのである。それをシェーマ化すれぱ、不均等発展→排他的関税障壁→独自の経済圏創出→ブロック化→帝国主義間戦争となる。

 たしかに現代の帝国主義は、レーニンが対象とした二十世紀初頭の帝国主義と同じく金融資本を支配的な資本の形態とする段階である。しかしながら歴史的現実を見てみるならば、日米安保やNATOのような帝国主義どうしの軍事同盟形成(双方ともアメリカ帝国主義を盟主とした)という事実は、「不均等発展→市場再分割→帝国主義戦争」というレーニン帝国主義論の分析や、上述の第二次大戦におけるブロック化とは明らかに異なっている。したがって同じく金融資本の支配という経済的基礎のうえにたちながらも、その矛盾(経済的対外膨張はふだんになされているのだが)がなぜ帝国主義間戦争として直線的に爆発していかないのかが問題となるであろう。

 それは第一に、一九一七年のロシア革命を世界史的起点として「労働者国家」が成立するようになり、これが帝国主義の対外膨張を阻む存在となっていることである。こうした「労働者国家」―帝国主義に政治・軍事的に敵対する存在―の登場は、帝国主義どうしを政治・軍事的に結合させる客観的な要因となっている。

 第二に、今日の米帝の没落は目に見えているわけだが、それでもなお帝国主義の世界政策を統一的に展開しうるのは米帝のみであり、日・西ヨーロッパ帝も米帝を中心とした反革命体制に身をよせずしては延命できないことである。

 第三に、帝国主義各国が相互の間で水平分業依存をつよめあい、互いに互いを市場としなければやっていけないことである。この水平分業依存の強化の問題は、そのうちに不均等発展による貿易摩擦といったことを孕みながらも、それを政治・軍事的対立へと至らせない内在的要因となっている。

 そして第四に、もっとも重要なことだが、今日資本主義は自ら歴史的につくりあげてきた植民地・従属国の貧困問題=「南北問題」を解決することができないままに、いわゆる第三世界ですさまじい反体制(=反帝国主義・反独裁)のエネルギーの爆発に直面していることである。

 いうまでもなく戦後の帝国主義各国の「高度経済成長」の根拠の一つには、低開発国からの安価な一次産品の収奪、低廉・大量な労働力の搾取・収奪、工業製品の市場としての確保などがあったが、それは低開発国の工業的発展をもたらすものではなかった。むしろこうした要因により伝統的な農業共同体が解体しているにもかかわらず、一つには帝国主義国の農民保護政策、農業生産力の飛躍的拡大、代替原料(ゴム・化繊・プラスチック)開発により農業国として存立しえず、他方では、帝国主義国とのすさまじい生産力格差、援助という名の経済侵略により工業国としても存立しえない。このためすさまじい大衆的貧困が構造化されるのである。.
 このような構造の下、不可避的に爆発する反帝・反独裁闘争の高揚を共同して圧殺することが帝国主義の課題となってくる。(べトナム・エルサルバドル・イラン・韓国等を見よ。しかも、そこで米帝が敗退したからといって、他帝が植民地分割・争奪戦にのりだしていくといったことも見られない。つまり帝国主義は互いに帝国主義間戦争をおこなう生命力を完全に喪失している。)

 第五に、二度の世界大戦を経験した帝国主義国内労働者階級人民の主体的階級的成熟が高まっているため、帝間戦争での前提となった人民の排外主義への集約・革命闘争の圧殺が容易になしえなくなったことである。

 以上のことから総じていえることは、帝国主義は、「労働者国家」の存在、第三世界の反帝反独裁闘争、国内の革命闘争の圧殺のために結束した政策を展開しているということである。(サミットはこのようなものとしてある。)
 こうしたなかで、極東における反革命同盟として安保-日韓体制が存在している。それは、フィリピン、韓国、タイ、インドネシアや、日本の革命勢力に対抗するものとしてあるのだ。

 現代におけるレーニンの立場の復権とは何か。それは第三次世界大戦を願望して、それを内乱に転化するというスローガンを唱えることではない。第二、第三のベトナムとして発現する人民の解放闘争と連帯し、これを圧殺せんとする帝国主義の侵略反革命を内側からくいやぶっていく第二、第三のベトナム反戦闘争を内乱へとおしあげ、帝国主義を打倒し、プロレタリア世界革命の完遂に向けて奮闘することに外ならないのである。


参考リンク


「帝国主義論」全文テキスト(レッドモール党サイト)
解読ガイダンス/『帝国主義論コメンタール』(鬼薔薇苑)
「なにをいかに学習すべきか」(6)帝国主義論(レッドモール党サイト)


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