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小説・三里塚 戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、その波乱の道のりを感動で描く。

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市東さんの農地取り上げに反対する会 親子3代90年も耕してきた農地を、違法に取り上げる動きを見過ごすことができません。

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戦旗派コレクション 20世紀、1970~80年代を駆け抜けた「戦旗派」の写真集。かつての同志たちへ、そして……。

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総選挙の朝に思うこと ー 大人の責任

(昨日のエントリ「総選挙の前日に思うこと」の続きです。そちらを先にお読みください)

日本の右翼化を危惧する「Time」誌の表紙◆父親世代が逃げるわけにもいかないよなあ

 そういう危機的な状況が迫る中、マイミクでもあるプレカリアートさんが「事態はもう日本脱出を考えなければならない所まで来ている」と、もちろん最後まで最善を尽くすことを前提にしつつ、具体的な計画を練りはじめたことをブログで書いておられる(→ガラパゴス日本脱出計画(1)(2))。

 多くの日本人がこれを読んで、むしろ「何を大げさなこと言ってんの」くらいにしか思わないかもしれない。だが、私はプレカリアートさんの危機意識の鋭さにむしろ感心したくらいだ。想像してほしい。あなたがタイムマシンに乗って、ヒトラーや東条英機が政権についたその当日のドイツや日本に行ったとしたら?その当時、数年以内に逃げるか何か対策をたてなくてはと思っていたドイツ人や日本人はほとんどいなかったと思う。だが、歴史を知っているあなたは、逃げることにさほどの罪悪感を感じないはずだ。そしてまさに今日が「その日」かもしれないのだ。逃げられる人は逃げてもいいと思う。世界中のマスコミが日本が急激に国粋主義化してアジアの火種になるのではと注目している。当の日本人だけがのほほんとしているのだ。

 プレカリアートさんは、あの、自民党のトンデモ印の改憲案が、国民投票で信任された時点での脱出を考えておられるようだ。もちろんそうなる前に最善の努力はするわけだが、確かに反戦派市民が迫害から逃れるのであれば、その時点が最後のチャンスかもしれない。もう憲法の保護も自由も人権もないのだから。

 その後に実施されるであろう徴兵制については、私ら中高年が駆り出されるようになったらむしろ末期。一番に狩られるのは選挙権も与えられていないような若者たちで、「日本を守るため」などと騙されてイの一番に連れて行かれるだろう。その奴らの言う「日本」という記号が何を指しているのか、何を「守る」ために自分の命が紙くずのように消費されようとしているのか、彼ら若者がその中身に気がついた時にはすでにお陀仏して、一度も投票にいかないまま「靖国の檻」の中だろう。

 我が身や家族を守って逃げることは一つの選択で、真剣に考えないといけない時代が来ているとは思う。とりわけ自分の子供は逃がしたいだろう。だが、若者に対する大人の責任というのもある。そんな世の中にしてしまったのは私ら父親世代なのだ。今の子供たちには本当に申し訳ないと思う。
 だからもし、「非国民」「卑怯者」と友人や先生に罵られながら、それでも正義と信念のために耐え忍んで闘う若者が一人でもいるなら、それを見捨てて逃げるのはやはり良心が咎める。どこまでやせ我慢できるか正直言って自信はないけれど、可能なら最後までとどまって、明治憲法下の小林多喜二のように殺されようではないか。

◆情勢はそんなに悲観的か?

 だが実際、戦争勢力の市民社会への攻撃はプレカリアートさんの認識通りだとして、攻撃や侵食を受ける側の市民の社会的な力関係が、そこまで悲観的なのかはもうちょっと考えてみる余地があるだろう。

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総選挙の前日に思うこと ー 極右化した自民党と立憲主義の危機

草莽全国地方議員の会による安倍支持集会◆これは「戦前」の写真ではない!

 右の写真は60年前のものではない。正真正銘この11月におこなわれた自民党支持集会で演説する安倍晋三総裁だ。マイミクさんが「安倍支持の集会画像をモノクロに加工したらほとんど前の戦争中のノリ(笑) 」というコメントと共に紹介しておられた。だが事態は「(笑) 」などと言っておられないくらい深刻になるのかもしれない。もはや9条がどうのこうのどころか「近代憲法」という制度そのものが危機に瀕しているのだから。

 まずお互い、批判目的で写真を引用されるのは気分が悪いだろうから、ちゃんと正確な内容も紹介しておくと、主催は「草莽全国地方議員の会」という比較的ソフトな右翼団体で、問題の安倍演説の内容はこちらで見ることができる。むしろ自民党に投票しようとしている普通の市民にこそ見てほしい動画だ。本当にこれでいいんですか?私にはちょび髭をそったミニヒトラーの演説のようにしか見えないのですがと。アメリカの片棒を担ぐだけの覚悟も実力もないくせにね。

◆自民党への一票は徴兵制復活への一票

 マスコミは「自民圧勝」の報道を繰り返し、雰囲気を盛り上げて、勝ち馬に乗りたい(死票を嫌う)浮動層を取り込む役割を果たしてしまっている。この状態に浮かれた自民議員たちは「今ならなんでも言える」と勘違いしたのか、憲法の3大原理(主権在民・基本的人権の尊重・国際平和主義)、さらに男女同権や奴隷的拘束の禁止まで否定、表現の自由も制限するべきだとか、ついにはとうとう近代憲法の条件である立憲主義さえ公式に否定しはじめた(文末リンク参照)。近代法学の理念で言えば、立憲主義に基づく憲法を持っていない国は、憲法を持っているとは認められないとまで言われる(たとえば芦部信喜『憲法』P5参照)。それほど重要なことなのだ。なのにこんな発言をして日本が世界中からどんな国だと思われるか。いい恥さらしである。もはや暴言ですむレベルではない。

 おまけに自民党に限らず徴兵制を導入するべきだとまで言い出す輩までではじめる有様だ。確かに自民党は徴兵制復活までは公約していない(と思う)し「現憲法で禁止されている」という立場だったはずだ。が、その根拠を社民党などが9条にも求めるのに対し、自民党は18条(奴隷的拘束の禁止)のみだと言って国会の論戦でも頑として譲らなかった経緯がある。だから自民党改憲案の18条廃止は、徴兵制への布石以外の理由は考えられない。自民党への一票は徴兵制復活のための一票になる。まずその地ならしのために、高校生らを教育改革と称する「奉仕活動」に強制動員するなどが行われるのだろう。これには喝采を送るおっさん達も多いと思われ、ここまできたら徴兵制まであと一歩だ。

◆議会主義政党の共通の土台からはみだし極右化する自民

 だが、自民党が否定するこれらの価値観は、今まで自民党から共産党にいたるまで、すべての議会主義政党が(そしてまた国民が)議論をする上での共通の土台、前提としてきたものばかりで、いわば「国是」である。アメリカをはじめとするほとんどの資本主義国は、自分たちの統治の正当性をこの価値観に求め、国民の戦争動員にあたってさえ(第二次大戦からベトナム、イラク戦争まで)、この価値観を押し出すことによって動員してきたのである。
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転載】今夏の電力はなぜ足りたのか?

元ネタが武田邦彦さんというのが気になる人もいるでしょうが、本来、こういうわかりやすい話を左派がしないといけないんじゃなイカと思います。なんかもう、左派の話って、ひたすら怖がらせるか、同情をひくか、小難しいか・・以下略
---------

時事寸評 電力はなぜ足りたのか?シリーズ1 (C)武田邦彦(中部大学)
http://takedanet.com/2012/09/post_e78a.html

夏に向かって大飯原発の再開問題が議論されているときに、野田首相は支離滅裂なことを言っていたが、仙谷元官房長官は「原発を止めるなど集団自殺だ」といい、米倉経団連会長は「電力需要が逼迫する夏に原発を止めると日本経済は破綻する」と言った。

日本国内が海外の論調と全く違う方向に進み、日本の海外駐在員が日本に正確な情報を伝えないというのも問題であり、かつ電力需給の見通しを出した専門家が御用学者だったこともあるが、すでに2011年3月の事故直後に「日本の電力は原発を止めても不足しない」との計算がIEA(国際エネルギー機関)から出ているのだ。そこには具体的な数値も入っているが、日本の場合は数値はなく「大丈夫」か「足りない」だけであとで責任を追及できないようになっている。

猛暑となった今年の夏。しかも電力生産の40%を原発に頼っていた関西電力。それがなんなくこの夏を乗り切った理由は簡単だ。電力の消費率としてテレビに出ていた数値は、間違っていたのである。電力は、
1)設備容量(おおざっぱな比率を示すのに、これを100とする)
2)稼働可能設備(約80)
3)本日の稼働予定設備(60)
4)本日の消費電力(50)
の4つが問題だが、「消費率」としてテレビに出ていたのは、4)÷1)ではなく、4)÷3)だから、電力会社がその気(設備を最大限に動かす)という気になれば、設備容量はざっと言って2倍ある

このことは専門家なら誰でも知っているが、テレビでは説明していなかった。電力の消費量がいつも80%から90%になっているのは、その日に電力会社が作ろうと決めた数字に対して消費する電力を指しているからである

本当に国民が知りたかったのは、電力が全力を挙げて生産したときと、国民が全力を挙げて節電したときにどのようになるかであり、それを間違った(ふりをして原発再稼働を行った)政府と専門家の責任は重い。

原発の再開に賛成する人もいても良いが、「ウソをついて原発を再開する」のは民主主義でもなく、人格がある人とも思えない。まさに「売国無罪」(宮脇先生による)の一つである。「国民はバカだ。だから本当のことは言わなくて良い」という「偉い人」の戦略が見える。

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資料】生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明

つまり、こういうこと
生活保護問題対策全国会議 代表幹事 弁護士 尾藤廣喜
全国生活保護裁判連絡会  代表委員 小川政亮

1.
 人気お笑いタレントの母親が生活保護を受給していることを女性週刊誌が報じたことを契機に生活保護に対する異常なバッシングが続いている。

 今回の一連の報道は、あまりに感情的で、実態を十分に踏まえることなく、浮足立った便乗報道合戦になっている。「不正受給が横行している」、「働くより生活保護をもらった方が楽で得」「不良外国人が日本の制度を壊す」、果ては視聴者から自分の知っている生活保護受給者の行状についての「通報」を募る番組まである。一連の報道の特徴は、なぜ扶養が生活保護制度上保護の要件とされていないのかという点についての正確な理解(注1)を欠いたまま、極めてレアケースである高額所得の息子としての道義的問題をすりかえ、あたかも制度全般や制度利用者全般に問題があるかのごとき報道がなされている点にある。

 つまり、(1)本来、生活保護法上、扶養義務者の扶養は、保護利用の要件とはされていないこと、(2)成人に達した子どもの親に対する扶養義務は、「その者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で、余裕があれば援助する義務」にすぎないこと、(3)しかも、その場合の扶養の程度、内容は、あくまでも話し合い合意をもととするものであること、(4)もし、扶養の程度、内容が、扶養義務の「社会的地位にふさわしい生活を成り立たせ」ることを前提としても、なお著しく少ないと判断される場合には、福祉事務所が、家庭裁判所に扶養義務者の扶養を求める手続きが、生活保護法77条に定められていることなどの扶養の在り方に関する正しい議論がなされないまま、一方的に「不正受給」が行なわれているかのごとき追及と報道がなされているのである。

 また、そこでは、(1)雇用の崩壊と高齢化の進展が深刻であるのに雇用保険や年金等の他の社会保障制度が極めて脆弱であるという社会の構造からして、生活保護利用者が増えるという今日の事態はて当然のことであること、(2)生活保護制度利用者が増えたといっても利用率は1.6%に過ぎず、先進諸国(ドイツ9.7%、イギリス9.3%、フランス5.7%)に比べてむしろ異常に低いこと,(3)「不正受給」は、金額ベースで0.4%弱で推移しているのに対して、捕捉率(生活保護利用資格のある人のうち現に利用している人の割合)は2~3割に過ぎず,むしろ必要な人に行きわたっていないこと(漏給)が大きな問題であることなど,生活保護制度利用者増加の原因となる事実が置き去りにされている。(注2)

 さらに、今回の一連の報道は、厳しい雇用情勢の中での就労努力や病気の治療など、個々が抱えた課題に真摯に向き合っている人、あるいは、苦しい中で、さまざまな事情から親族の援助を受けられず、「孤立」を余儀なくされている高齢の利用者など多くの生活保護利用者の心と名誉を深く傷つけている。

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「原発ゼロ」実現の日に思うこと

泊原発の停止にあわせ、パレードする札幌の市民グループ

◆まずは素直に誇ろう!祝おう!

 2012年5月5日23時3分、最後に残った北海道泊原発3号機が運転を停止し、これで日本国内に「運転中の」原発はゼロになりました。東電管内はとっくに原発ゼロでしたが、それでも、日本国中どこに行っても、自分の使っている電気に原発が含まれていないと思うと、本当にホッとした気分になります。
 安全とか言う以前に、そして「よく調べてみれば」というレベルではなく、明確に他人を犠牲にし、踏みつけにして得た電気で「快適な」生活を送る罪悪感から、少し解放されるからです。部屋の明かりを眺めながら、かなり気が楽になりました。願わくば生涯このままの状態でいてほしいものです。

 思うにこの5月5日という日は、将来の日本から見て、「あの日が日本の分岐点だった」と言われるように必ずなるでしょう。つまりこのまま再稼動を許さずに、腰をすえて脱原発に取り組むのか、それともこれを「異常事態」としてそこからの「復旧」=再稼動に向かうのかです。前者なら歴史的な一瞬として、後者なら、10年後か20年後か30年後か、それとも明日か、この次に大きな原発事故がおこった時に、「もしあの時に……」と後悔と共に振り返ることになるでしょう。

 今日のこの日を、運動の成果で原発を止めたのではなく、敵失で止まったのは残念という人もいます。確かに半分はそうです。福島事故によるあまりにも大きな犠牲を出さなくては、この日を迎えられなかったこと、それだけの運動展望をつくれなかったことは、ろくに運動もしてこなった私も含め、反原発の側の力不足で残念です。ですが、事故後のこの一年、政府・推進派は「原発ゼロ」という事態を作らないために、大飯原発の再稼動をなんとか早めようとやっきになってきました。それを今日まで押し返し続けたのは、何よりも多くの人々の願いと、それを体現して献身的に頑張ってこられた運動の側の大きな成果です。一度でもデモにでたすべての皆さん。どうか誇ってください。

 なにはともあれ、私たちは「原発ゼロ」という事態を出現させ、すべての人がそれを経験した。そのことの持つ象徴的な意味はとてつもなく大きい。だって、「なんとかして原発をなくそう」という問題ではなく、とりあえず発電形態としての原発は一時的にでもなくなり、「このままいくのか、それとも昔に引きかえすのか」という問題の立て方になったのですから、これは天と地ほど違います。今後、政府がなりふりかまわず、どこでもいいからと、とにかく再稼動させてくるということもあると思います。ですがその場合でも、再稼動強行のほうが「異常事態」で「一時的」だという見方も充分に成り立つようになりました。それをたぐりよせた成果はとてつもなくデカイのです。

◆手放しで喜べないーこれからが大変、山積みの課題

 小が大と戦う時のセオリーである「防御→対峙→反攻→追討」という流れていけば、今はようやっと建設反対の防御段階から、既存の原発の是非までが俎上にのぼる対峙段階に小指がかかったくらいです。支配層もこの問題では一部分裂を開始しました。ですが、このまま具体的な脱原発政策に踏み込んでいく反攻段階に突入するためには、大きな壁がいくつもあるでしょう。まず原発は発電をやめただけで、核設備としてはそのまんま残っています。運転停止だけでは解決にならず、これを完全に無害な状態にもっていくためには、10万年からの気が遠くなるような時間がかかります。この先、一人の人間にとっては未来永劫ともいえるほどの時間、原発を解体、処理、管理していく仕組みが国際的にも必要です。

 次に、原発のみならず、火力などにもできるだけ頼らないために、いわゆる自然エネルギーへの転換も楽観視するのはもちろん危険です。原発推進派は「自然エネルギーには問題があり簡単ではない」とオウムのように昔から繰り返してきました。そんなの当たり前のことです。だから何だと言うのでしょう?ゆえに福島の人は経済発展の犠牲になれ、多少被曝しても仕方ないとでも言うのでしょうか?今や原発にこそ、自然エネルギー以上の「問題」があることは明らかです。推進派の論理は、「禁断症状が苦しいから麻薬をやめることは体によくない」と言っているようなものです。これは原発に限ったことではありませんが、人の命と目先の短期的な経済効率のどちらが大切だと思っているのか。

 たしかに一朝一夕ではいかないかもしれませんが、もし、1986年のチェルノブイリ事故の時に原発依存からの脱却を決意し、その後の20年間、原発に湯水のごとくつぎこまれてきた莫大な金額の、その半分でも自然エネルギー開発につぎこんでいたら、私たちが見ている風景は、今とは随分と違ったものになっていたはずです。おそらくは自然エネルギー開発も、実際にやってみたら次から次へと問題は出てくるだろうし、停滞することもあるに違いない。ですがもはやこれ以上の問題の先送りは許されません。本当は20年前にやっているべきだった問題に取り組みましょう。次の20年も同じことの繰り返しではいけないのです。誰かの犠牲の上に成り立つ「豊かさ」なんてまっぴらです。

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京都市長選に関する記事へのコメントより

「ニュースとお知らせ」コーナーの、京都市長選に関する記事に、珍しくコメントをいただきました。うちはアクセス数から考えても、異様なくらいコメントが少ないサイトでして(泣)、さらにニュースのコーナーへのコメントはさらに少ない(たまにランキングくらいは押せよな)。めったにないことなので、あんまり嬉しくて一生懸命にレスを書きました。一生懸命すぎて、コメント欄とは思えない、ものすごい長文になってしまいました。そういう場合の例にもれず、もったいないので、今回もエントリに再利用しちゃいます。京都市長選や反(脱)原発運動の内容的な論争について、私はまったくの無知ですので、ひょっとしたら、とんでもない的外れを書いているかもしれません。その場合はご教示いただけましたら、勉強になるので喜びます。

ゲストさん>
中村和雄さん

 いろいろと重要なご指摘をありがとうございます。うちはサイトの外では感想とか激励とかよくいただくんですが、コメント投稿がめったにありません。なぜその感想を直接書いてくれないのかときくと「なんか濃すぎて書き込むのが恐い」のだそうです(笑)。それだけに、こうしてたまにコメントをいただくと、とっても嬉しいです。あらためまして、ありがとうございます。恐くないので(爆)、これからもお気軽にお願いします。

 さて、沖縄知事選の「新基地反対」でもそうでしたが、重要な争点について、今まで基地や原発などに反対せず、あまつさえ推進してきた勢力が、言葉の上で「同じ主張」を掲げて争点化をさけるという戦術をとりました。争点さえあいまいにしてしまえば、あとは支持政党の基礎票の多いほうが勝つという作戦であったと思います。残念ながらこの策略が的中したことは投票率の低さが雄弁に物語っています。共産党も含めた本物の「オール与党体制」だった船橋市政時代も含めて史上4番目の低さというのですからね。市民に争点が浸透しなかった点、とりわけ無党派層を投票所へと足を運ばせるまでにいたらなかったことは深刻です。実はここをもっと「ぜひ考えてほしい」と思う。

 もちろんそのような門川氏の策略が欺瞞的であることは明白です。当選さえしてしまえばあとは何とでもなるということです。門川氏はかなりの危機感をもっていたようで、唐突に「脱原発」を言い出したことはもちろん、直前の大阪市長選では対立候補を応援しておきながら、手のひらを返して橋下大阪市長に擦り寄り、その応援をあてにする無節操ぶり(→産経新聞報道)など、まさになりふりかまわないもので、「脱原発」もその流れ、いわば橋下氏にあやかったものでもあったのでしょう。本当に「脱原発」を貫けばどうなるのか、しがらみをふっきって場合によっては山田知事や自民・民主と対立することも辞さないのか、その覚悟も決意も門川氏にあるとは思えず、ちょっとしたポーズでお茶を濁すことは今から目に見えています。

 この点につき、沖縄知事選でもそうでしたが、選挙期間中において、はっきりとそのことを批判し、違いを明確に示して、その違いを争点として浮上させていく努力は正当なものであると思います。沖縄知事選でも、基地問題が争点であると認識されていた選挙選のスタート時には、基礎票の違いを乗り越え、現職とほぼ互角の情勢であったものが、現職が新基地反対を言葉の上で打ち出して争点隠しをはかるにつれ、徐々に水をあけられていったものです。

 それは残念なことではありますし、反省しなくてはいけない点も多々あるでしょう。ですが、とりあえず結果が出てしまった後は、今度は現職候補が言葉の上だけであろうがなんだろうが、「公約」として打ち出した「新基地は受け入れない」とか「脱原発」という約束を、しつかりと守らせていく、それを「なんちゃって」にしないで、実質を伴ったものにしていくように要求し、監視していくことが重要になっていくと思います。沖縄ではそれがそれなりの力を発揮していると思うし、少なくとも、知事は基地反対の主張に真っ向から対立することができないところに追い込まれています。

 その意味で、中村氏が選挙結果を受けた第一声として、門川氏に「私と同じ公約を掲げたのだから、それをしっかり守れ」と言ったことそれ自体は正当であると思います。中村氏を支持した陣営にとって、今後は門川氏の公約を、「ちゃんとやりましたってば」というようなアリバイ工作、「なんちゃって」なものにさせず、しっかり「私と同じ」、つまり内容のともなったものにしていくよう要求する闘いが待っています。それは沖縄と同じです。

 それを「ついに中村は自分が門川と同じであることを自白した」みたいな書きかたでは、まるで一昔前の新左翼党派の機関紙を読まされているような気がします。そういうロジックでは同じ主張をもっている仲間内とか、運動界隈ではともかく、そういうロジックに慣れていない一般の運動経験のない人々の心に届かず、かえって反感ばかり買うのではないでしょうか。

 かつてこういう「線引きロジック」が多様されたのは、自分と同じ考えのコアな「仲間」を同心円的に広げていく、つまり、あまり「一般的」とはいえない主張でまとまったセクト的な運動においては、それが極めて有効な手法であったからです。しかしネット時代においては、そういった同心円的な発展を追求する、いわば純化路線とでもいうべき手法それ自体の有効性がきわめて疑問であると私は思っています。今は「一枚岩の団結」よりも多様性を含んだ運動のほうが人を集めている。また、ごく少人数の段階ならまだしも、運動がある程度社会性を帯びてきた段階で、そもそも一枚岩の運動なんてものが、情報筒抜けのネット社会で維持できるのかという疑問がある。一方で、そういった運動の欠点である、すぐに仲間内で喧嘩になりやすいとか、外の人間から見れば「ささいな違い」で分裂してしまい、その分裂した両派ともに(=運動の総体として)力を失っていくという欠点だけが残ります。議論や批判を封じるのはよくない。まして「中村氏を批判してはいけない」とか言っているのではなく、その点を考えてうまくやっていただきたいなと思います。

 さて、そのことはどうしても言っておきたかった点でして、とりあえず頭の片隅にでも置いといて、ときどきにでも思い出していただければ、それだけでも幸いです。やはり本論は「脱原発」として語られる中村氏の政策への批判ですよね。

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政府試算「全原発停止でもピーク時に6%余裕」を伏せ「1割不足」と発表していた

原発なしでも電力は余っている
 経済産業省は今年の夏の電力需給について、「原発ゼロ」の場合、9.2%の供給不足になるという試算を発表しており、それが原発再稼働論者の根拠になっていました。ところが新聞報道によると、実際には「記録的猛暑だった2010年夏の需要+全原発停止」という前提で計算しても、まだ6.0%の余裕があると政府が試算していたことがわかりました。この結果は昨年8月にわかっていましたが民主党政権はこれをふせていました。

 この「9.2%の不足」のカラクリは、1)電力会社が調達可能な再生可能エネルギー(原発約7基分)をゼロで計上。2)火力発電所の定期検査をわざわざ需要ピークの8月に実施すると設定。3)大口契約者への「需給調整契約」による削減もゼロで計上。4)「揚水発電」などの供給力をできるだけ低めに設定など、大変に強引なものです。特に(2)はあまりにも露骨すぎるな。

 当時の菅政権が、よりな細かな実態を把握することを目的に、経産省に試算の根拠データの提出を求めて、内閣(首相)直属のチームで具体的に再試算したところ、上のような事実が明らかになったということのようです。さらにこれは記憶にも新しい過去最高の歴史的猛暑で、かつ何らの節電対策もしていなかった2010年度の実績という、いわば最悪の事態を想定した慎重なシナリオですから、現実にはさらに大幅な余裕があるわけです。繰り返しますが、それは「現状でも」ということではなく、「今稼動しているすべての原発を停止した場合」にそうだということですよ。

 つか、最初に経産省が発表した時に誰も気がつかなかったのか?根拠データを隠していたということか?まあ、反・脱原発運動の側では、「原発なしでも電力は足りているどころか余っている」と主張してきたわけで、また一つ、原発反対派のほうが正しかったということが明らかになった形です。誠に遺憾ながら(そして今さらながら)こと原発に関しては、私たちは自国政府、とりわけ経産省の言うことは何も信用できないことがまたわかりました。頼みの綱は原発反対派の原子力専門家と外国報道だけというトホホな状態。特に自国民保護ではなく、原発利権派の利害を代表している経済産業省官僚は万死に値する。経産省・保安院・IAEAは、若狭大飯原発3・4号炉の再稼動計画を中止せよ!(→緊急署名へ!

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転載】原発で最重要課題は「福島を救え」ではないのか

 大切な友人からのメールで以下のメッセージをいただきました。私は知りませんでしたが、すでに多くの左派の人々の間で広まっているメッセージのようです。転載は自由のようで、むしろ広めてほしいということですので、こちらにも掲載させていただきます。

==(以下、転載)==

最初に断っておけば、ぼくは反原発運動はやっていましたが、放射線などについては素人です。そのうえでの考えです。

今、原発の問題で大事な課題はなにか。
浜岡原発を止めろと叫ぶことでしょうか。代替エネルギーの開発を要求することでしょうか。どちらも大事でしょう。しかし運動の当面の、第一に緊急の課題は
「福島を救え」
であるべきだと思います。

福島で現在進行中の放射性物質の拡散から、現地の人々をできるだけ守るよう、対策をとることを政府に要求する。具体的には、避難地域の拡大や、緊急時の避難を可能にする支援の強化です。「未来の世代に原発を残すな」とか言ってる場合ではなくて、今この瞬間に、放射能にさらされている福島の子どもたちを救わなくてはならないはずです。

先日、27日の反原発デモの動画を見ていたら、「ノーモア・チェルノブイリ、ノーモア・フクシマ」というスローガンが叫ばれていました。これには愕然としました。

福島はまだ終わっていない。火事で言えば、火がまだ燃え広がっているのであれば、まずはそこにいる人を助け出すことだと思うのです。ジェノサイドで言えば、まずジェノサイドを止めることです。残念ながら我々には、原発自体の状況については、どうにもできませんが。

具体的な数値とか、どこがどれほど危ない、という話はぼくにはできませんが、今の20~30キロは屋内退避か「自主避難」、31キロからは「ただちに健康に害はありません」という政府の方針が、あまりに危険を過小評価しているのは確かです。

原子力情報室は、30キロ圏からの避難、「30キロ圏外でも相当量の放射能が届く恐れのある地域からの避難」を政府に求めています。
 ⇒http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1040
社民党も同様のことを言っています。
 ⇒http://www5.sdp.or.jp/comment/2011/yousei110330_03.htm
最低限、これくらいのことは言えるはずです。
どちらも3月20日時点です。現在は放射線量は相対的に下がっているようですが、この先はわかりません。

国の判断がちゅうぶらりんだから、自治体として対応できず困っている市や村。自主避難したいがガソリンがないので出られない人。避難したくても、受け入れ態勢がない町や人。様々な問題があります。現在の放射線量が少ない地域であっても、汚染の不安から福島県外への退避を希望している人にも、移動支援を公的に行うべきだと思います。その不安が杞憂だと言う権利も根拠も、誰にもないからです。

5年後、10年後に、ガンや白血病になる人が出てくることは、もはや避けられないのかもしれません。しかし、それをどれほど「減らせるか」という勝負は、まだ終わっていません。国にきちんとした住民避難対策を求めることは、「とにかく安心させたい。ただちに問題がなければいい」という政府や御用メディアにはできないことで、反原発派だけができることだと思います。

放射性物質の放出は、少なくともあと数ヶ月は続く。このことは政府自身が言っています。その間のセシウムの累積はどのくらいになるのか。「すぐには問題ない」レベルの被曝を数ヶ月続けるとどうなるのか。過去に事例がありません。風向きや風速の変化を誰が知るのか。その間になんらかの爆発で再び大量の放出がないと誰がいえるのか。そのときになって急に、避難希望者を動かす準備ができるのか。外出を控え、帰ったら上着をビニールに入れる、という生活が本気で可能なのか。誰のためにそんな窮屈な生活をしなくてはならないのか。「屋内退避」とは誰のためのものなのか。原発周辺に物流業者が入らず、生活が成り立たなくなっていると伝えられているが、しかしそれは「風評に惑わされている」物流業者だけの責任なのか。

想定しうること、いま現地で困っていることを考えて、現地の人々を少しでも放射能から守れ、と政府に要求することが最も大事なのではないでしょうか。

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小沢一郎の不人気とネットでの「小沢ブーム」について

幹事長時代の小沢さん 今日は仕事が午後から都合で休みになりました。そこでちょっと前に小沢一郎支持者のbuveryさんが投稿してくださいましたので、コメント欄のレスでも書いたことですが、前々から思っていたことを、エントリとしてもあげておこうと思います。

 まず最初に言っておきますが、小沢さんの「疑惑」については、おそらく法的には無罪だろうと思います。たとえ強制的に起訴されても、結果的には無罪で終わると思います。それは一般の人も含めて多くの人がなんとなく感じはじめているのではないかな。さらに民主党の代表選にあわせた一部マスコミや週刊誌の下品な小沢叩きやその尻馬にのった人々には全く辟易しました。ゆえに私はこういう部分の一派では断じてありません。その上で

民主党の代表選で、ネット上では小沢氏支持が圧倒的だとか。それは単に小沢さんの支持者に、わざわざクリックしにくる「クリック率の高い偏った人々」が多いだけのことで、そんなものを気にしたり、ましてや判断材料にするほど私は愚かではありません。実際の小沢さんに対する評価は、「マスゴミ」とやらの世論調査のほうがはるかに実態に近いんです。


と私が前のエントリの傍論で書いた部分に対して、buveryさんは

ネットにアクセスできる人は、まず郷原さんの解説を聞いているわけですし、政治資金報告書の問題点を知っています。小沢一郎が完全公開の記者会見を開いていることを知っていますし、その録画も民主党本部から全部みることができます。また、大阪高検の元検事で検察庁の裏金問題を暴露しようとして逮捕、服役した三井環さんの話も知っているでしょう。平野貞夫さんの論説も知っているでしょう。上杉隆の官房機密費の調査のことも知っているでしょう。そういう知識を持っているひとと、全く知らない人の評価が分かれるのは当然ではないかと思います。


と提起されています。まず第一に、buveryさんは「ネット外」の一般大衆が「情報弱者」だとでも観念しておられるようです。第二に、自分が知っていたり読んだりして納得したものは他の人が読んでも納得するかのように思い込んでおられます。第三に、小沢さんの不人気は、マスコミや検察リークによる資金疑惑からくるものだけだと思っておられるようです。私は小沢さんの「大衆的不人気」はそれだけが理由ではないと思っていますし、buveryさんの論理には納得できないものを感じてしまいます。

 まず第一の点について、「ネットにアクセスできる人」がbuveryさんが列挙されたようなことを全部知っている(アクセスしている)とは到底思えません。「ネットとリアル」を二分して、そこには違う人がいるとか、違う世界が広がっているかのように、対立的に考えると間違います。そうではなくて、「buveryさんが列挙されたような事柄に重きを置くような種類の人」が、小沢支持のクリック画面に出かけていると考えたほうが自然だと思います。

 ネットであろうがリアルであろうが、そこにいる人は同じ人です。「ネットにアクセスできる人」の大半も、buveryさんが列挙されたような画面を見ていないでしょう。政治ニュースについて、マスコミ情報だけですませるような人(つまり大部分の普通の人)は、ネット上でもマスコミ情報しか見ません。また、第二の点についても、そういう普通の人たちに、buveryさんが列挙されたような画面を無理にでも見せたところで、そんなに大きく事態(小沢さんへの印象)が変わるとも思えません。

 最後に、小沢さんの人気がないのは、はたして西松建設事件からはじまるスキャンダルだけでしょうか?一連の「政治と金」について、法的に無罪であることがすべて証明されれば、それで小沢さんに期待が集まるんでしょうか?私はそうは思いません。「政治と金」は、小沢的なるものを象徴的にあらわすキーワードにすぎないと思います。

 今回の代表選で、小沢さんは記憶にある限り初めてと言えるほど表にたち、自分の口と自分の言葉で自分が目指すものを直接大衆に訴えました。それは非常に新鮮で面白かった。私も「小沢さんもそんなに滅茶苦茶な人でもないか?」と一瞬見直しました。確かに少しずつですが、代表選の期間中に、小沢さんへの期待や人気も高まったとは思います。でもそこまでです。常日頃からこういう態度をとって自分の理想を訴えていたら、随分と状況は変わっていたのではないですか。突然にとってつけたようにやっても間に合わなかったのです。「消費税をあげて企業を優遇しろ」と叫ぶ自民党の尻馬に乗せられて、唐突に増税を打ち出して自滅した菅さんにも似ています。今まで黙っていて急にしゃべりだしても説得されないんですよね。

 だいたいがですね、今どこにいるやらわからないとか、連絡もとれないとか、首相や党の代表も会うことができない、何を考えているのかさっぱりわからない、それなのに「実力者」で「豪腕」で、自分は表に出ないで裏から事態をコントロールすることを好む。いったい裏で何をしているのかわからない。「敵」と割り切った人とは大胆な妥協も(戦術や策略として)行いますが、「味方」の人格を尊重しつつ、粘り強く誠意をもって説得することを嫌う。子分や懐刀みたいな人はいるけれども、本当の意味で対等な、切磋琢磨しあう「同志」がいない。あるいは、人心掌握術として、人事と金の流れを押さえようとする。信賞必罰というか、手向かうものにはその「人事と金」で押さえつけて報復も辞さない。だから小沢さんに何か思うところがあっても、自由にものが言えない。だからだんだんと党内の風通しが非常に悪くなっていく。

 もうはっきり言って、小沢的な政治手法には、みんな辟易しているのではないでしょうか。そういう何を考えているのかわからない。何かを語ってもそのまんまお人よしに受け取ることができない。そういうところに「政治と金」のスキャンダルが出ると、「やっぱりね」くらいにしか思ってもらえないんですよ。政治なんてそんな権謀術策だとか、最後は金と数と力だというリアリズムもあるでしょうし、それをすべて否定するものではありません。ですが「マスゴミ」に責任を押し付けて(確かに酷すぎる下品なものが多かったけれど)、不人気の責任は小沢さん本人には何もない、改める必要などまったくないとは思えません。その原因や責任は「マスゴミの陰謀」だけではないと思います。

 代表選中の小沢さんはわかりやすくて非常によかったと思います。でもどうせ、代表選が終わったら、また元に戻ると思われている。今後、菅さんに言いたいこと、やってほしいことがあるのなら、堂々とみんなに見える所で正面から言えばいいのです。もし「一兵卒でも首相を支える」という本人の言葉に本当に嘘がないのであれば、私は代表代行のオファーはぜひ受けるべきだったと思います。その上で御意見番になればいいし、得意分野で汗をかけばいい。そうしておれば、今回の尖閣諸島問題でも、田原総一朗さんが言うように「小沢特使」で存在感を示すという目だってあったと思う。

 それを「実権がないから」断る、しかもそれが(ここが一番の問題なのだが)本人は表にでないで「周辺議員」からマスコミに流れるという時点で、「あーあ、せっかく見直しかけたのに、やっぱりこの人は何も変わってないんだな」と思いました。断るなら断るで自分でその理由を大衆的に説明すればいいわけであって、本当にイライラします。「今度は本当におとなしくする」と語っているとか、またもや間接的に伝わっていますが、そういう言説を流すこと自体が「また『死んだふり』をして何か企んでいるに違いない」という目でしか見られない。支持者が語る「小沢さんの考え」にしたところが、小沢さんの発言などをつなぎあわせてその真意を解釈するものが多いという印象です。そこには当然にその文章を書いた人のバイアスがかかっているわけで、小沢さんがその通りに行動してくれるとは限らない。これじゃまるでマルクスやレーニンの言葉を引用した昔の左翼の文献みたいと言ったら言い過ぎかな(笑)。

 こういう自分の真意を説明しない「闇のドン」みたいな政治家に自分の生活を託する人は(私も含めて)今の時代もはや少ないのではないでしょうか。そりゃ特別な関心のない一般の人はいきなり聞かれたら「政治と金の問題とかぁ……」みたいな曖昧な感想になるでしょうが、案外そういう皮膚感覚みたいなものは間違ってもいないと思います。もし小沢さんにちゃんとした支持があれば、「マスゴミ」の下品な悪乗り記事も書けなかったですし、こんな曖昧で無罪が確実な「政治と金」の問題なんて吹き飛んでいたでしょう。まさにネット上の小沢支持者の間でそうだったみたいにね。それを人のせいにばかりしていたら、間違うと思います。

2010参院選各党得票数の分析(もどき)

 さて、選挙から一夜明けましたので、都議選分析もどき衆院選分析もどきに続いて、得票率による参院選の分析(もどき)をやってみたいと思います。例によって表の数字は適当に四捨五入とかしていますし、新聞に載っている得票数を見ながら電卓で計算するという原始的な方法によっていますので、細かい数字は信用しないこと。ただざっくりとした傾向を把握できればいいという考えで作成しました。

◆もえない選挙戦だったよね

2010参院選各党得票数の分析 今回の参院選はなんというか、最終的な獲得議席だけを見ると、有権者の意向がよくわかんない。なんというか、政治とかに興味をもって見ている人にはすごく疲れるというか、脱力してしまう選挙でした。ちっとも萌え燃えない選挙だったし、期間中選挙の話題もほとんど書きませんでした。そういう意味では自民党の三橋候補のコスプレパーティの話題は一服の清涼剤だったな(笑)。とにかく関心や未来への希望を失わないようにするのに精一杯というか。

 与党が過半数を取れなかったのは当然だと思うし、それは「ざまあみろ」と思うけれども、特に嬉しくも感じない。社共が伸び悩んだり保坂展人さんが届かなかったのも残念だけど、すごく悔しいという気持ちもわかない。とにかく燃えない。菅さんの消費税増税発言で民主が負けたというけれど、同じ路線を掲げる自民が伸びたのはなぜか。自民に支持が戻った(勝った)と思っている人は少ないでしょう。みんなの党の躍進(つーか、もともと改選ゼロ議席だったんだから当選者が何人でも「躍進」だけど)以外はどうもよくわからんかった。

 そこでまた、「絶対得票率→単純得票率→議席占有率」の票をつくってみました。そしたらだいたいふに落ちました。そんなに不思議なことは何にもなかった。それと、こと選挙戦術に関しては、小沢さんの言っていたことがすべて正しかったのだと思えてきて、ちょっとばかり慄然としちゃいました。

◆勝者がいない選挙を示す絶対得票率

 まずAの「絶対得票率」を見てください。これは有効投票だけではなくして、棄権した人も含めた全有権者の中でどれくらいの得票を得たかというものです。これを見ますと、第一党の民主党でさえ約18%の得票しか得ていません。だいたい55年体制時代の自民党を含めて、与党は合計で全有権者の30%くらいの支持を得ていたものです。残りの70%は支持していないわけですが、それでもそれくらいの絶対得票率で議席の過半数は維持できるのが現実です。それが今や、20%を超える支持を受けている政党が一つもない。

 どこの党にも投票しなかった棄権者の割合を見てみますと、民主党が300超えの「歴史的大勝」を果たした前回総選挙では、棄権率は約33%でした。小泉郵政選挙で自民が大勝した時もそれくらいだったと思います。今回はそれらに比べると大幅に増えて約42%です。これは有権者が政権交代選挙や郵政選挙の時のように、積極的にどこかの政党を支持していない、つまり政治に期待感や、何がしかの関心をもって投票所に足を運んだのではないということがわかります。

 以上のことから3つのことがわかります。まず、第一に、民衆はどこの政党にも本心から期待していないということ。民主にはもちろん、自民に「支持が戻った」わけでも全くないということです。すべての政党が敗者ですが、天木直人さんに言わせれば、「そんな政治しか持てない国民が一番の敗者」なのだそうです。

◆好機に壁を破れない左派勢力

 第二に、本来ならこの閉塞感をぶち破る役割をもった社共が、その役割を全くはたしていない、なんというか画期的なまでのパワーが感じられないということ。社民党は「どこまでもついてゆきます下駄の雪」で結局は捨てられた。まあ、とは言っても安易な妥協を重ねて自滅していった村山内閣時代の教訓は多少は生かしているとは認めますが。
 もう一つの共産党は、やはり従来の路線によるシコシコした「党勢拡大」に励んでいる。もう議席の9割以上を保守改憲政党に占められているこの時期に、いったい何をしているのかと思う。20世紀までならそれも間違いではなかったと思う。けど、現代の状況では、もう生きるか死ぬかくらいの勢いがほしいです。たとえば一度絶滅しかけたヨーロッパ左翼が、それこそトロツキストから旧スターリン主義者や社民主義者までの広範な連合を組んで、情勢に風穴をあけている例などを見習ってほしい。「原則的態度」もいいけれど、もう社民に対しても、「連立なんかしてる場合じゃねえ!」と一喝して、首根っこひっ捕まえてでも一緒に闘うべきだ。それで社民が四の五の言うようなら、社民党の左半分をぶっちぎってでも、左派の統一戦線を領導して、保守二大政党制に挑むべきではないのでしょうか。その時にこそはじめて「社民党は歴史の屑カゴに向かっている」と大きな顔して言えばいい。「正しい主張のわが党へ」だけでは、どうしても人はついてこないものですよ。

 そして第三に、これが最も重要なことなのですが、政権交代選挙や郵政選挙の時にみられるように、この棄権している層のうち10%足らずが投票所に足を運んだだけで、まさに劇的な変化がおこるということです。つまりほんの数パーセントの人が、政治に希望を感じたり期待や関心をもって投票したり、何かの行動をするだけで、情勢なんて一夜でガラリと変わるということです。つまりそれだけの魅力どころか一般的な政治への関心さえ、保守二大政党制は奪っているということだし、社共などの「既成左翼」もそれにかわる突破力やエネルギーを民衆に感じさせていないということです。

 思うに「戦争を止める」とか「世の中を変える」と言った場合、それはそんなにたくさんの議席をとらなけば実現できないものでもなんでもありません。たとえばブッシュのイラク戦争では開戦当事(今では考えられないことですが)アメリカ国民の7割が戦争を支持していました。7割と言いますと、「街を歩けば誰もが支持している」くらいの感覚です。逆に言いますと、最低限でもそれくらいの支持がないと戦争なんてできないのです。過半数を超えた程度の「国論が二分されている」状態で戦争なんてできません。第一次大戦に際して、各国の左翼が「愛国主義」に屈服し、戦争賛成に転じていったがゆえにこそ、はじめて大国同士の大義のない植民地分割戦争が可能になった歴史(第二インターナショナルの崩壊)を忘れてはなりません。

 また、今や何も左派だけが戦争に反対しているわけではない。ゆえに「第二インターナショナルの崩壊」の逆バージョンも可能です。そう考えますと、国会の議席で言えば、ます2割くらいは幅広い意味での左派でとっておくことを、まずは目指すべきです。それに、「世の中を変える」のは、何も政権を奪取するばかりが方法ではありません。むしろ、「わが党が政権をとるその日まで」、目の前にある現実をどんどん変えていっちまうことを放棄して、すべての闘いを選挙や自派の勢力拡大にばかり流し込むのは、戦後左翼がよく犯しがちだった典型的な誤りの一つではないでしょうか?

 実は「政権奪取」などという(現在的には)遠い課題は、私たちが日々の実践の中で実態的に世の中を変えていき、私たちが考えている「実現可能な社会」やそこでの行動原理を民衆の目に見える形で示し、理解してもらい、安心してもらった上で最後に俎上にのぼることだと思います。それもなしにただ口先の言葉や文章で「正しい理想」を語っても、それで安心して支持してくれるほど左翼は信用してもらっていないし、むしろ「ただの口先の奇麗事」だという疑心暗鬼の目で見られているのではないですか。
 これらのことは、世の中のほんの数パーセントの人が理解して賛同してくれるだけですぐにでもできることだし、ちょっとでも現実に世の中を変え続けることが大切です。ましてやその数パーセントの人が「行動」にまで立ち上がればそれだけで世の中はひっくり返る大激動になるでしょう。選挙とか政権奪取なんてのはその果ての「最後の仕上げ」と考え、それよりも日々の実践(日頃の行い)が大切だという当たり前のことなんですが、それすら選挙への支持や党勢拡大と結び付けてしか考えられないようではだめです。こう考えてみますと、情勢はちっとも絶望的ではありません。逆に運動がちょっとくらい高揚したところで、そんなもの一夜でひっくり返ることも肝に銘じておくべきでしょう。

 さて、それはともあれ、表の分析にもどりましょう。

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