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小説・三里塚 戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、その波乱の道のりを感動で描く。

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市東さんの農地取り上げに反対する会 親子3代90年も耕してきた農地を、違法に取り上げる動きを見過ごすことができません。

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戦旗派コレクション 20世紀、1970~80年代を駆け抜けた「戦旗派」の写真集。かつての同志たちへ、そして……。

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山城さんの講演からふりかえる―奴らが恐れるその運動を引き継ぎ広めよう

専修大学で講演する山城博治さん

専修大学で講演する山城博治さん

 現在、逮捕のための逮捕、沖縄の運動リーダーであることを理由にした不当な拘束を受けている山城博治さん。高江や辺野古での住民を先頭にした抵抗に手を焼いた安倍政権が、多少なりとも見せていた沖縄世論への慰撫や遠慮をすべてかなぐり捨て、強権的な暴力ですべてを押し通す判断に舵を切ったことの表れでもあります。そのリーダーの一人でもある山城さんできる限り長期拘束し、高江はもちろん、辺野古埋め立ての目処がつくまで外にださないつもりです。

 一国の政権がそこまで恐れる個人、山城さんの作ってたきた沖縄の運動とはどんなものか。不当弾圧への抗議はもちろん、その抗議の運動中でも、そして本土でも、先頭にたち続けた山城さんの敢闘精神とあわせ、安倍を恐れさせた山城さんの運動に対する姿勢についてもう一度振り返り、私たちなりに学び、山城さんを拘束してもそれがどんどん広まることを追求していきたい。

 その願いと、現在も持病の治療も許されず、沖縄弾圧への抗議として獄中ハンスト行っている山城さんへの思いを込めて、本年4月9日のDA(直接行動)主催の専修大学講演会での山城さんの発言と、3月27日の新宿デモにおける発言を振り返ってみたいと思います。それそれ講演と集会での演説という性格の違いはありますが、山城さんを獄に奪われた今こそ改めて学び直してみたい内容です。

 ただし専修大学のほうは、長時間の講演の中で、私が特に印象深かった運動に関する部分を抜き出したもので、全体はこれだけではありません。また、記憶と簡単なメモ書きを頼りに書いて再構成していますので、その文責はすべて草加にあります。

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■専修大学での山城博治講演会「抗う沖縄の声」より

専修大学・山城博治講演会「抗う沖縄の声」

専修大学・山城博治講演会「抗う沖縄の声」

「辺野古は不思議と『組織動員』がきかない。組合などにさんざん呼びかけてるのに来ないんでもうやめた。かわりに個人がいっぱい来る。だったら個人にあわせた形態にせねばと今のテントや座り込みの形になった。ゲート前でシュプレヒコールをやめて、かわりに歌を歌ってカチャーシーを踊った。最初はすごい苦情言われましたよ。何やってんだ、シュプレヒコールしろと」

「(個人中心にする過程で)形だけの運動はやめようと思った。日曜日に3万人で集まっても、相手は気にしないし何の打撃にもならなかった。それより(相手が仕事している)平日に千人で集まって、門前に座り込んで業務を止めてしまうことのほうが打撃になる。米軍司令部は大慌てで、海保の事務員はパニックになった。排除されたらスクラムを組んで、徹底的な非暴力でかつ具体的な打撃を与えよう、そこで逮捕者がでたら参加者全員で取り返そう
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戦争が身近な沖縄と「平和ボケ」した本土の右翼

対話羽賀さんの投稿への返信です)

 ビラの内容のことを言ってるのかな?正直言って、ないものねだりかなと感じました。なぜかと言えば、書いてあるように、これは集会に来てくれた方(およびこのブログの読者)に配布する、つまり集団的自衛権と安倍に反対するという目的(価値観)を共有する方に、では次に何をすればいいのかを提起するための文章だからです。文章や議論というのは、まずお互いに同意できるところまでおりていって、その共通の土台から出発しないとかみあった議論になりません。その意味でネット(掲示板など)は極めて議論に不向きです。

 さて、その上で以下申し上げるならば、まず私が見るところ、集団的自衛権に反対している方々の考えや潮流としては、大きくわけて3つです。

■戦後体制の「防衛」か「克服」か

 一つは、「戦後体制防衛派」で、憲法や平和、個人の尊重などを基礎に考える方々。戦後民主主義派というか、これが一番目立つし数が多い。ネトウヨさんが念頭においているのもこの部分。羽賀さんが攻撃しているのもここですね。この人たちは良心的だし、別に間違っているとも思わないし、共に手を取って闘いたいと思う。ただ、ビラにも書かれている通り、冷戦構造を前提として成立した戦後民主主義とその対立軸が、すでにそうとう劣化してきていることを、多くの人が知っているか、もしくは肌で感じています。閉塞感や漠然とした不安がある。とりわけ若い世代がそう。そこを右翼的に突破しようと呼びかけるところにファシズム登場の本質があるのであって、もはや保守の人でさえついていけない安倍政権のようなものが登場しうる根拠も、実はそこにある。一方、戦後体制防衛は世論でいえば年配を中心に3割くらいあると思うので、運動のスタート時には説明もしやすいことから、どんどん仲間が増えていく快感を味わえるでしょうが、実はこれでは過半数はとれないし、何より戦争に向かう世の中を変えることはできないだろうなと思っています。ただこの層が集会などで可視化されることは歓迎します。

3・21新宿反戦デモ

3・21新宿反戦デモ

 そこで二つめの潮流として、戦後民主主義の崩壊の中で、それを「守れ」だけでなく、危機の中でそれにかわりうる新しい価値観と社会を展望するべきだというのが私たちのような人たちです。「危機」とはなんでしょう?今までのやり方ではダメだと、みんなが感じているだけでは危機とは言いません。古いものは改めればいいだけ。そうではなく、ではどうすればいいのかということがわからない、それを危機といいます。この潮流は一つめ(たとえば社民・共産などの大政党)の影に隠れて目立たなかったし、今でも一つの「党」などにまとまっていないので、羽賀さんのおっしゃるようにわかりにくくはあるのですが、この10年であちこちで噴出してくるようになりました。私はここに期待をもっていますし、それはまだ「ふんわりとした方向性」を共有できればいいと思っています。一つの主張や一つの党にまとめる必要はない、大きな方向性の中で、雑多な人々が自由に議論して決めていく、むしろそういう空間を国境を超えて広めていくことに意義があると思っています(島国に住んでいるとピンとこないでしょうが)。ここについて語ると戦後民主主義(戦後資本主義)とは何か、それはどうして成立してきたのかという歴史的なところから全面展開しないといけませんので、ビラと同様にここでは指摘だけにとどめて先に進みます。
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「非暴力直接行動」って何だろう?(下)ー民主主義を取り戻そう

60年安保闘争で国会を取り巻く人々

60年安保闘争で国会を取り巻く人々

前回のエントリからの続き)

■歴史的経緯から見た、間接民主主義の機能不全

 また、これを歴史的な経緯から言えば、もともと現代の議会制民主主義は原理的に「間接行動(間接民主主義)」なのは小学生でも知っていますよね。それは市民革命の時代に、一般国民(「愚民ども」)が政治に口を出してコントロールすることを恐れた支配階級が、制度的にわざとそうしたのです。よく、具体的個人である国民は選挙日の一日だけ「主権者」であるとか、自分を搾取して支配するのが誰かを選べるだけなどという言葉で語られる議会制度の負の側面は、この制度設計によります。

 多くの人が勘違いしていますが、主権者としての「国民(nation)」という語は、憲法上、第一義的には具体的な生きた個々の人間のことではなく、また有権者団のことでもなく、なんとなくふわりとした抽象概念として想定されています。具体的な個々の人間を主権者として想定する立場は、国民ではなく「人民(people)」を使います。ゆえにたとえば国民投票や住民投票の結果が、首長や議会の決定を縛るような直接民主制度の導入は違憲とされています。なので各地の住民投票条例では、その結果を「尊重する」という表現で、違憲を免れているわけです。このあたりは大きな顔して書くのが恥ずかしいほど、憲法の教科書の最初のほうに書かれている初歩的概念です。

 ところがこれだと時々困ったことがおこります。いわば抽象的に「国民を代表している」政府(または自治体)と、現実の国民(=人民)の意思が著しく乖離する場面などです。単に時期的に乖離している場合は、それこそ署名運動やデモなどの間接行動で運動し(「民主制の過程」などと言います)次の選挙でその乖離を埋めるという建前になっています。だいたい議会に議席を持つ大きな政党は、この間接行動の流れを想定しており、「世論」に訴えた上で、次回選挙で自派の議席の上積みを目指すのが通例であり、市民運動などに対してもその範囲内(自派の議席獲得運動)にとどまってくれることを望みます。共産党も基本的にその例外ではない(というか典型的)でしょう。

 ちなみに書いておくと、この「民主制の過程」に瑕疵(かし=傷)があると、議会制民主主義が制度設計通りにうまく機能しません。ゆえに街頭での運動を含め、表現の自由などの精神的自由は、その他のどの項目よりも厳しく守られなくてはならず、たとえば経済的な自由などのその他の人権への規制なら合憲とされる(それは「民主制の過程」で是正できる)ようなことでも、精神的な自由では違憲と判断されるべき(「民主制の過程」そのものが破壊されるから)とされています(通説判例)。これをダブルスタンダードの原則と言います。別の言い方をすれば、少数派が多数派になりうる道が完全に保障されていない限りは、いくら多数派でもその支配は絶対に正当化されないということです。

 さて、ここまでは昔から言われている間接民主主義の欠点の再確認ですが、近年特に顕著になってきた、それ以外の困ったことがあります。一つは事態が切迫して次の選挙までまっていられない場合、二つには全体としては支持を得ている政党が、特定の政策では人民に敵対している場合、たとえば今の原発政策や秘密保護法、集団的自衛権などですね。三つには特定の地域や階層など、全体の中では少数に属する人々に、もはや「意見の違い」ではすまないような差別的な抑圧が加えられる場合で、ちょうど今の沖縄や三里塚、それに貧困問題などもそうですね。
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「非暴力直接行動」って何だろう?(上)-最も険しい困難な選択のはず

マハトマ・ガンジー

弱い者ほど相手を許すことができない。
許すということは強さの証だ(マハトマ・ガンジー)

 とりわけ3・11後の反原発闘争が盛り上がる中で「非暴力直接行動」を名乗る運動が増えてきました。一時期などは新しく立ち上がる運動や個人はみんな、猫も杓子も「非暴力直接行動」を謳っているような印象を受けたことすらあります。

 まあ別に学問的な意味で厳密な定義があるわけでなし、80年代に「○○ネットワーク」という名称が流行したみたいなもんで、名乗りたい人が自分流の解釈で勝手に名乗っていることに水を差すのもはばかられます。なので今まで黙っていましたが、どうにもこうにも「非暴力」もずいぶんと安くなったもんだというか、あまりにこの言葉がファッション化しすぎているような気がして嫌気がさしましたので、大変に申し訳ないですが、一度だけ書かせていただきます。

■直接行動とは何か

 まず非暴力直接行動とは「非暴力闘争」+「直接行動」の二つの合成であることがわかります。そして、それぞれの反対語は「実力闘争」と「間接行動」ということになります。
 最初に直接と間接について言うならば、たとえばある種の運動や要求があるとします。「原発再稼働反対」などです。これをその権限を実際に持つ人(政治家・役人など)にやってもらうように、要求でも請願でもお願いでもいいですが、何らかの行動で働きかけることが「間接行動」です。典型的なものとしては署名運動があります。デモも権力者が想定している合法的なデモは間接行動です。国会包囲や官邸前行動なども参加者の心意気は別としても、少なくとも権力は間接行動であると受け止め、その範囲内でのみ存在を容認します。つまり「まあ一応聞いておく」という感じです。石破が国家秘密法反対の包囲行動を「デモはテロ」と言ったのもそういう認識にどっぷり首まで浸かっている証拠です。「『お願い』以上のことはするな。俺らに迷惑かけんな」というわけです。

 これに対して「直接行動」というのは、権限を持つ役人や政治家を飛び越して、民衆が自分たち自身で民意を実現すること、またはその志向をもった運動のことです。たとえば再稼働が予定されている原発の前に座り込んで、必要な資材や人員の運び込みを止めてしまうなどの行動をさします。経産省前テント広場も、発想的にはこの系譜にあると思います。たとえばベトナム戦争の時、ベ平連系の団体で「ただの市民が戦車を止める会」というのがありました。これからベトナムに行って無辜の民衆を虐殺する米軍の戦車輸送に、文字通り役人でも政治家でもない、なんの権限もないただの市民が、その輸送路にただただ決死の覚悟で座り込むのです。

 当然、政府は機動隊を派遣してごぼう抜きに排除して逮捕しますが、当時の機動隊はたとえ無抵抗の市民でも最初から警棒で頭をかち割り、血まみれにしてぐったりした所を排除していました。それでも頭から血を流しながらお互いにしがみついて必死にその場を離れない。さらなる警棒の乱打を受けてもその場を動かないのです。おそらくその場にいたら、たとえ米軍への協力に賛成する人でさえ、人としての良心を持つ者は誰でも感銘を受ける光景だったと思います。

■非暴力運動とは何か

 次に非暴力について考えてみるならば、実際に相手に手を出さなければ、なんでもかんでも「非暴力運動」というものではありません。非暴力運動の祖であるマハトマ・ガンジーは、非暴力とは「相手を許し、罰せず、違いを受け入れること」だと繰り返し語っています。ただ相手を殴らないという消極的な態度だけでは、それは卑怯者や臆病者の言い訳にしかなりません。このことについてガンジーは「まず相手を罰することができるだけの力を得て、その上で罰さずに許すことが非暴力(運動)なのだ」と語っています。

 つまり非暴力とは何らかの行為や不作為のことではなく、まさしく運動の精神であり真髄をさした言葉なのです。この精神を忘れたら、それは少なくとも「非暴力運動」ではありません。70年代以降、日本で非暴力運動を志して実践した人々は、たとえば他者(警察・右翼・敵対的な団体)に抗議する時も、乱暴な言葉使いや相手の人間性を否定し、意見の違いを認めないような言動を行うならば、もはやその時点で非暴力運動ではないと語っていました。
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県民大会直前、米軍が平和運動センター議長を基地内に引きずりこんで拘束!

沖縄平和運動センターの山城博治議長(右)の足をつかみ、引きはがすシュワブ警備員ら=22日午前9時すぎ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート

米軍が山城議長(右)の足を掴んで基地内に引きずりこむところがはっきりと写っている!(沖縄タイムス


県民大会前に抗議の男性身柄拘束(琉球朝日放送【↓動画】)ーーーーーーーーー
http://www.qab.co.jp/news/2015022263308.html
 名護市辺野古では、基地建設に抗議しようと県民大会が開かれましたが、その直前に、男性2人がアメリカ軍に身柄を拘束されました。

 キャンプシュワブのゲート前では22日午前9時すぎ、抗議行動の現場責任者となっている平和運動センターの山城博治議長など男性2人がアメリカ軍の警備員に身柄を拘束されました。
 目撃者によりますと、2人は参加者に規制線を超えないよう線の内側から呼びかけていたところを、アメリカ軍の警備員に足を捕まえられ、後ろ手に手錠をかけられて基地内に連行されたということです。
 そのため、午後の大会では急遽、2人の解放を求めることとなりました。

ヘリ基地反対協安次富浩共同代表「皆さん、もう我慢の限界です。こういうことをやるんであれば、全ての基地を返してもらいましょうよ。この土地は米軍のものじゃない」

 男性2人の身柄は現在、名護署に移されていますが、県民からは反発が高まっています。

ーーーーーーーーー
目撃者からの報告(Facebookから)
「9時前から基地内警備員を結集させてゲート前に待機させ、申し合わせた様に博治さんを拘束しました!」
「基地内に入らないように、境界線(黄色ライン)を越えるなと促していた山城博治さんと他に1名を拘束中です。計画的に行われたとしか思えない、ひどすぎる」
「(その場にいた沖縄県警は)米軍がなぜ山城さんを拘束したのかわからない、米軍の行動の意味が不明だと言ったんだよ!」

ここは日本だ!日本の警察が行動に問題なしとしていた反対運動のリーダーを、勝手に基地内に引きずり込んで拘束するとは何事か!!しかも明らかに計画的犯行だ!日本の統治者は安倍晋三ではなくバラク・オバマなのか?!
米軍はとうとう一線を超えた!!!沖縄はおまえらの植民地じゃないぞ!!!!!
日本政府は主権にかけて厳重に抗議せよ!名護署はただちに山城さんらを解放せよ!!


(関連)事実曲げ民意攻撃 在沖米軍幹部の相次ぐ暴言(琉球新報2015年2月18日)

京都朝鮮小学校襲撃事件「在特会」の賠償確定1200万円 周辺街宣禁止も

 昨日、「ニュースとお知らせ」にも載せましたが、こちらにも転載しておくよ。どうも公安警察は、こういう判決などが出てカウンター側が「押せ押せムード」になると、それを嫌ってカウンター側の、それも逮捕しても比較的文句の出にくい所を叩く傾向と可能性があります。特に新左翼系と右翼系の方は、当分のあいだ要注意だと思います。万一の時でもそれでまんまと運動が分断や混乱させられることなく、逮捕されたのが誰であれとりあえず全員が一致して原則的な抗議などの対応はとれるよう、今から気持ちの準備はしておきましょう。

 さて、これでザイトク会は朝鮮学校に1200万円もの大金を「寄付」することになったわけですが(笑)、会員が自称1万5千人だそうですから、一人千円ずつ朝鮮学校に寄付すりゃいいはずですよねえ(ニヤニヤ)。まあ、おそらく今回はなんとかなるんじゃないですか。桜井さん、いつのまにか会長やめて逃げ出した(もっともらしい理由はつけてるんだろうが)みたいですが、まだこのあと李信恵さんによる損賠訴訟も控えてますから、これで終わりじゃないですよ。

ーーーーーーーーーーーーーー
ヘイトスピーチ賠償確定 在特会、街宣も禁止(東京2014年12月11日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014121102000134.html

「ヘイトスピーチ」と呼ばれる人種差別的な街宣活動で授業を妨害されたとして、朝鮮学校を運営する京都朝鮮学園が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と会員らを訴えた訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷(山崎敏充裁判長)は在特会側の上告を棄却する決定をした。約千二百万円の損害賠償と学校周辺での街宣禁止を命じた一、二審判決が確定した。
 決定は九日付で裁判官五人の全員一致の意見。ヘイトスピーチの違法性を認めて高額の賠償や街宣禁止を命じた司法判断を最高裁が支持したことで、今後、同様の訴訟が起こされる可能性がある。

 昨年十月の一審京都地裁判決は、在特会の街宣を「国連の人種差別撤廃条約が禁じる人種差別に当たる」とし、約千二百万円の賠償を命じた。
 今年七月の二審大阪高裁判決は「偏見や差別意識を助長し増幅させる悪質な行為」と指摘し、一審判決を支持した。
 在特会側は「学校側が近くの公園を校庭として不法占拠していることを非難するための正当な政治的主張。違法とするのは憲法が保障する表現の自由に抵触する」と主張していた。

 一、二審判決によると、在特会の会員ら八人は二〇〇九~一〇年に三回、当時京都市南区にあった朝鮮学校近くで「朝鮮人を保健所で処分しろ」「スパイの子ども」などと拡声器で連呼。その様子を撮影した動画をネットで公開した。
 在特会は、在日コリアンの特別永住資格などを「特権」とみなし、排斥を掲げる団体。ホームページによると会員は約一万五千人。

 最高裁決定を受けて、学校法人「京都朝鮮学園」の柴松枝(シソンジ)理事は「胸のつかえが取れた。日本の司法が私たちの子どもを保護の対象としてくれたことはうれしい」と話した。在特会の八木康洋会長は「最高裁が政治的表現の自由に向き合わなかったことは残念」とコメントした。

◆「未来つなぐ」保護者ら喜び
 最高裁決定を受け、京都朝鮮学園に通う生徒の保護者らが十日、京都市内で記者会見し「日本の司法が私たちの民族教育を保障し守ってくれた」と喜んだ。
 街宣があった当時、長女(15)が小学五年だったという母親の朴貞任(パクチョンイン)さん(46)は「当時はどうすれば子どもを守れるのか頭が真っ白だった。今は決定が未来につなげられると実感が湧いている」と声を震わせた。

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<参考>
糞をよけるのは怖いからでなく汚いからだ(ブログ旗旗)
報道】京都朝鮮小学校襲撃事件への抗議集会に900人(ブログ旗旗)
何度でも言う。差別は「言論」ではない(ブログ旗旗)
桜井会長釈放記念(笑)ー「韓国の桜井誠」(ブログ旗旗)
李信恵さんがザイトクに画期的で巨額の損倍提訴!(戸田ひさよしさんの日記)
人種差別撤廃条約の講座に参加してきました(ブログ旗旗)
<資料>国連人種差別撤廃委員会の日本政府への勧告全文(ブログ旗旗)

ネットでの反応
【速報】在特会最高裁上告棄却 高額賠償確定へ
【速報】最高裁が在特会の上告を退ける!ヘイトスピーチ問題で約1200万円の賠償確定へ
ネット右翼の間では「朝鮮人の裁判官が大勢いる」 ヾ(^o^;オイオイ
※ネトウヨさんの反応は「裁判所は在日だ」というのと「桜井誠は在日だ」の二つに分かれるようです(爆笑)。都合の悪いものは全部「在日」か「極左」の法則健在!(:.´艸`:.)プッ
しかし桜井さん、いつもそうやって「○○は在日だ」ですませてきた皆さんが、いざ自分がそう呼ばれてみた感想はいかがですか?(→参考:「おいコラ!在日!」と言われた時
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A君救援・反ヘイト運動と中核派

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このエントリは約7分で読めます
(とある方への意見として送った私のメールを、プライバシーに配慮して修正の上で転載)

団結 草加耕助です。
 ××さん。はっきり言って私は中核派に偏見がありますし、非常に具体的に、物理的・精神的・運動的に徹底的に被害を受けた者です。殺してやるとも言われました。そんな私が意見を言うのは不適任かと思いましたが、そういう経験を持つ私が今、この問題についてどう思っているかを書くのも参考になるかと思い直しました。

 まず、一番言いたいのは、××さんがA君の救援運動を見て、どう思いますか、どう感じますかということです。私は、それらを見て、聞いて、感じて、その場にいて、とても心地よいし、正しいと感じるし、応援したいと思うし、しなくてはいけない問題だと思うからいるのですが、××さんはどうですか?

 もちろん全部がそうではありませんよ。時には「?」と思うこともありますが、問題はそういうことが自由に発言できて討論できるかどうかです。自分がしたいと思うことを、「そんなのダメだ」と制動したり、「こうじゃなきゃいけない」「あいつとつきあうな」みたいことを上から目線で平気で言う人や運動はダメだと思いますが(「党」の内部なら一定仕方がない面もありますが好ましくはないし、まして外部の人に対しては絶対ダメだと思う)、今のところA君の救援運動やその界隈にはそういうことがありません。

 つまり言いたいのは自分の直感を大切にするべきだということです。その直感はだいたい当たる。すごく居心地が悪いというか、聞いていて嫌な話だとか、差別用語が連発されるとか、ここは嫌だなと思うところにいても仕方がないでしょう。
 私は「○○は中核派だ」とか「党派だ」とか「サヨクだ」とか、そういうレッテル貼りで他人の努力を全否定してしまう尊大な場所……はまだいいとしても(私も「あそこは右翼だ」とか言いますもんね)、それを自分以外の他人にまで押し付けるような運動は、どうしても体が拒否してしまいます。

 その上で、もし××さんがA君救援運動は正しいし、やらなくてはいけない、やるべきだ、やりたいと感じてくださり、でも中核が支援するのは気になるという場合を考えてみます。
 中核が「組織的に支援」を決定しているかどうかは私は知りません。××さんがあげたHPも中核派のサイトではなく、その学生大衆組織のものですから。むしろ××さんが気になるのは「そんなふうに見える」ということですね。
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「反原発に名をかりた闘争妨害を許さない共同声明」によせて

スピーカーイラスト

このエントリは約16分で読めます
 去る3月11日複数の右翼団体によって、東電前行動に対する襲撃や、あろうことか福島から着の身着のままで逃げてこられた避難民にまで、拡声器で罵詈雑言、嘲笑を浴びせかけるという、心の痛む事件が引き起こされました。

 まさに今までの一線を超えたとしか言えないこの事件には、さっそくに共同声明が発せられ、賛同が呼びかけられています。これについては私個人も当サイトのニュースに転載し、周囲の方に呼びかけるなどさせていただき、微力ながらも5名くらいの方から「賛同したよ」というお返事をいただきました。また、私も参加している反原発ジグザグ会においても、討議の末、団体賛同させていただくことになりました。締切が3月末日と迫っておりますので、是非多くの皆さんの賛同を呼びかける次第です。

◆ご都合主義は信用できない-右派からの声はあがるか?

 ところで私は以前、「ヘイトスピーチに反対する会」(の一部有志)が、新宿の素人の乱主催の反原発集会に乗り込んで、事実上の妨害をした時、それに対する苦言を合計4回ほど書いたことがありました。(→その1その2その3その4

 そのとき、はじめのうちは、仲間内と言える部分からも叩かれましたし、草加は右翼の味方みたいなトンチンカンな「批判」も受けました。あまりにも私の主張がネジ曲げられているそのカンチぶりを見て、自分の至らなさに凹んだりもしました。Twitterや各種掲示板などでは支持してくれる方も多かったですが、周囲の特に左派と言われるような部分からは、私を公然と支持してくれるような人は少なかったですね。もちろんこっそり言ってくれる人はけっこういましたけど。つまり私はそれだけの犠牲や危険をはらってでも、言うべきことを言ったつもりです。

 さて、そして今回の件です。今度は右派の中から、それなりの危険を覚悟で公然とモノを言ってくれる人が一人でも出るのかなと注目しています。あるいはまた、「右も左もない」とか綺麗事で、口を極めて「ヘイトスピーチに反対する会」を罵っていたような良識ある人々が、今回も同じことを言えるのかどうかもね。もちろん匿名希望でこっそりと「私はあんな人たちとは違うから」とか、単に自己保身的に言う人ならいっぱいいるんでしょうがね。さあ、はたして公開された賛同人の中に、右派の有名人や、「右も左もない」派の方がどんだけいるか、注目させてもらいます(と、挑発してみるテスト)。

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天は自らを助けるものを助ける(上)-左翼は「かわいそうな人」を助けられない‐

◆今のままでは今のまんま

 レーニン曰く「武器の使い方を習得し、武器の使い方に習熟し、武器をもとうとつとめないような被抑圧階級は、抑圧され、虐待され、奴隷としてあつかわれても仕方がない(全集23巻 軍備撤廃のスローガンについて)」これは現役左翼時代によく使っていたというか、あちこちに引用もされていた言葉ですが、今となってはもう(まだ)関係ないと思っている方が多いのではないでしょうか。ですが私の人生の中では今でもかなり大きな位置をしめている箴言であります。つまり、武器というのは銃だけではないのです。確かに現段階で、拳銃やバズーカ砲を苦労して備蓄することが賢明な闘争方針とは思われません。ですがその時々で必要もしくは効果的な武器というものがあると思う。

 何が言いたいかといえば、「天は自らを助けるものを助ける」ということです。抵抗もせず、そのための方法に習熟しようとしないものは、こき使われ、奴隷として扱われても仕方がない。それが私の人生訓の一つであり、それはレーニンから学んだものです。別の言い方をするならば、「待っていても何も変わらない」「今のままでは今のまんま」ということです。

◆「非常識」な抵抗が歴史を進歩させる

 誰も抵抗も暴れもせず「秩序」や「伝統」や「常識」を重んじていたら、原発だっていつまでもなくならないし、それどころか今でも奴隷制度が続いていたでしょうね。スタートレックでそういう惑星の話がありました。日本において戦後も天皇制がなくならず、未だに日の丸を使っているのもそういうことです。そのせいで右も左も共通して全国民が、とりあえずは「国家のしるし」程度には認められるような旗(国旗)が未だに日本にはない(→こちらを参照)。歴史を前に動かすのは、いつだってその時代の「常識」やら「良識」を真っ向から否定する「非常識」な人々なのだと思います。

 また、三里塚の農民が多くの支援を集めることができたのは、踏みつけられ、虫けらのように扱われて「かわいそう」だからではなく、そこで命がけの抵抗をしたことが一番大きい要因です。最近の人はよくわからないんでしょうが、その闘いの正義性と可能性に多くの人が魅せられたし、表面的なニュースを見ただけの事情をよく知らない一般の人でさえ、農民に大きな同情心を抱いて心情的に応援した。そのことが闘争と支援の輪を巨大なものにしていったのです。

 これは余談ですが、よく「左翼は農民を助けるようなふりをして実際は自分達の闘争に利用し云々」みたいなことを書く人が(必ずしも右派的な人に限らず)いますが、こういう人は歴史や現地事情を知らないがゆえに完全に誤解というか左翼への過大評価をしているんであって、そんなことで闘争がここまで大きくなるはずがない。つまり私たちが「かわいそうな農民」を「助けてやる」ために現地に行ったと思い込んでいるんでしょうが、それこそ農民やその闘いを高みから見下しているわけです。
 そうではなくて、私たちは尊敬すべき闘う農民にお願いして「支援させていただいている」と思っていたし、農民に迷惑をかけてはいけない、農民の役にたたねばと思って必死に闘っていました。農民を「助けてあげる」とか、ましてや「指導してあげる」みたいに上から目線で入ってきた支援は、共産党みたいな大きな組織力と動員力をもった団体さえ、結局は現地農民は絶縁し、排除しています(→「小説・三里塚」)。

◆「かわいそうな人」を助けることは誰にもできない

 不当な目にあわされている「かわいそうな人」はたくさんいると思いますが、もしその人がそこに身をゆだねて現状を変えようとしないのならば、神様か魔法使いでもない限り、周囲の人は手のだしようがないものです。もしそういう人を助けるのだとしたら、それこそ自分の人生を24時間すべて投げ出して、その人のために生きるくらいの覚悟がないとできません。それがわが子や恋人だったらそういう覚悟もできるでかもしれませんが、それは極めて特殊な場合でしょう。

 だから支配者にとって一番都合がいいのは、奴隷自身が「私は今のままでいい」と思い込んで「ご主人様(主君・天皇・社長・国家)に忠誠を誓います」と自発的に言うことです。するとそこで客観的に見てどれほど不当で非人道的な支配や搾取がおこなわれていようが、その関係性の外にいる人間は手の出しようがありません。その目的のために、どんな時代にもその時代の支配や搾取を正当化するため、あれやこれやのイデオロギーが道徳や常識とかのいろんな名前で存在するわけです。そこでヘタに支配者を倒して奴隷(的)な立場の人間を自由にしてあげても、「わが主君の仇」とか言われかねません。

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障碍児の選択的堕胎が発覚…「在特会」や反原発論議にもつながる問題点

※mixi日記からの逆輸入。知り合いの方で論評している方は少なかったのですが、私は大変に強いショックを受けたニュースです。日記への反応も少なかったが、もっと多くの人にかんがえてほしい。転載にあたっては私の法的無知による誤解などを訂正しました。なぜかこのブログは弁護士さんの読者が多いようで、まだ誤っている部分があればご指摘をお願いします。なお、今までこのブログでは“「障害」者”という言い方を多用しておりましたが、今後は暫定的に“障碍者”に統一することにします。ご意見がありましたらコメント欄にどうぞ。

異常胎児選んで減胎手術36件2013年8月5日07時02分 読売新聞
出産の危険が高まる双子や三つ子などの多胎児を妊娠した際、胎児の数を減らす減胎手術の実施を公表しているSクリニックで、異常が見つかった胎児を選んで手術を行ったケースが、これまでに36件あることがわかった。…中略… 母体保護法は減胎手術について定めておらず、国も具体的な指針を作っていないが、こうしたケースが初めて明らかになったことで、今後、議論を呼びそうだ。
同クリニックによると、…中略… いずれも、夫婦が「減胎できなければ、すべての胎児を中絶する」との意向を示したという。今回の減胎手術について、N院長は「一人でも命を助けるために、やむを得ず行った」としている。
◆減胎手術=多胎妊娠となった場合に、母子の安全性を高めるための処置として始まった。超音波で確認しながら、子宮内で一部の胎児を心停止させる。通常、胎児の異常がほとんどわからない妊娠初期(12週未満)に行われる。


◆なぜ、同じテーマのはずなのに賛否が逆転

 まず、以下の3つの問題に「命の大切さ」というキーワードを使って100字程度で答えてみてほしい。

 1)あなた死刑制度に賛成ですか?反対ですか?
 2)あなたは妊娠中絶に賛成ですか?反対ですか?
 3)あなたは障碍児を生まれる前に間引くことに賛成ですか?反対ですか?

熊本・こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)
 これ全部に賛成か反対なら首尾一貫すると思う。最後に『4)「赤ちゃんポスト」に賛成ですか?反対ですか?』をつけ加えてもいいかもしれない。おそらくどちらを選んでも理屈としては何らかの立論が可能なのだろう。だからこそ議論にもなっているのだと思う。
 だが、今回の記事やmixi上におけるその反応などを眺めていて、私はもう少し別に気になる点があった。それは妊娠中絶や「赤ちゃんポスト」などの問題には「命の大切さ」や「親の責任」とか言って、mixiでは反対の投稿が多いのに、今回の障碍児の選択的減胎については賛成の意見が日記に並んでいることだった。その理由として書かれていることは、ほとんどが普通の妊娠中絶や「赤ちゃんポスト」に賛成する理由にも流用できるものが多い。同じ人が書いているわけでないんだろうが、その対比がなんとも嫌な、おぞましい感じをうけたのだ。

 人の命に関する問題は、いずれも一般論としてならいろいろ立論できるが、自分や身内が当事者であるわけでもない時に、他人がとやかく言うには(とりわけ当事者を責める場合)大変に微妙な問題があると思う。死刑にしたって、被害者でも遺族でもない赤の他人の自分が、己の二束三文の安い正義感を満足させたいがために、安易に「あんなの殺してしまえ!」と叫んで正義の味方面するようなことはつつしむべきだ。そう言っていいのは被害者と遺族だけだ。私たちが言えるとしたら、ただ「制度」としての是非を、感情論を排して厳粛に論じることが許されるだけだと思う。今回のことについても同じだ。そのことに注意して以下で考えてみたい。

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