「自己否定」という成功体験(上)

 ●回想・全共闘 ////
 かつての労働運動というのは「正社員」であることを前提に運動や議論が組み立てられてきました。そこからこぼれ落ちて切り捨てられるような層というのは、かなり構造的に特定されていました。共産党なども社会全体が「中流化」していく中で、「票にはならない」この分野から撤退していったと思っています。

 別の言い方をすれば、都市労働者層の生活が「向上」していく中で、これを支持基盤とする社共などの既成左翼部分もこれにくっついて行ってしまった。もちろん社共などの運動は、この層の「生活向上」に大きな役割を果たしたのでしょうし、そのことによって彼らは勢力を拡大し、延命してきた。そして現在でもその「成功体験」にしばられ、規定され続けているように思えるのです。

 ですが日本の経済発展の影には、ちょっと目をこらせば国内的にも、確実に取り残された、あるいは「成長」のしわ寄せをうけて犠牲にされた人々が大勢いました。さらに国内労働者の多数派である「正社員」を養うための収奪先や市場として、力の弱い国々の民衆が狙われました。そういった国ではごく一部の人は特権的な大金持ちになれましたが、大多数の民衆は貧困にあえぎました。特にアジア各国には「戦後賠償」名目で政府ヒモ付の日本企業が進出して儲けたし、現地の一部の人は金持ちになれたかもしれないけれど、決して民衆レベルの自立には役立たず、かえって日本に対する経済的な隷属を深めてしまいました。まだまだこれに対抗するには弱すぎたのです。このような状態を指して新植民地主義という言葉も生まれました。

 当然にもそんな体制を維持するためには独裁制にならざるを得ません。ですから60年代から80年代を通じて、アメリカを中心とする資本主義諸国が現地の非人道的な軍事独裁政権を援助し、左翼側は現地の反独裁・民主化闘争を支援するという構図が延々と続いていたのです。そこではチリのように中道派が選挙で民主政権を作っても、すぐに軍事クーデタでひっくり返されてしまうことが明らかになるにつれ、いつしか反独裁闘争は自然に民族主義と社会主義をミックスしたような武装闘争(革命運動)が主流になっていきます。また、こういう革命運動以外でも、70年代の日本の高度成長時代にはアジアで反日デモが頻発しました。これは先頃の中国でのような政治的なものと言うより、もっと生活に根ざしたものであり、当時の日本人はむしろそれを見て反省する人も多かったのです。

 そしてこういう国内外の犠牲を一身に受ける部分に対し、良くも悪くもその全力をもって光を当てようとしていたのは、現在のネトウヨ(と当時のマスコミの8割方)らが「反社会的テロリスト」のように描き出そうとしている新左翼系くらいなものなんです。確かに「他人を犠牲にした支配層のおこぼれ=カッコ付『豊かさ』を拒否せよ」という主張は、このような社会体制とそこで生きる自分自身の存在を根本的に問い直すものでした。それゆえに左右の議会主義政党すべてからはみだす主張です。ですがそれは反社会でもなんでなく反体制と表現するべきでしょう。たとえその政治的未熟さや方法の間違いを指摘することは可能であったとしても、こういう経済発展の最も濃い影の部分に光を当てようとする試みは他には誰も(アリバイ作り程度にしか)やらなかったのですから、全力で取り組んだ、あるいは取り組もうとしていたこと自体は、もっと社会的に再評価されてもいいし、これは引き継ぐべき発想だと今でも思っています。

 要するに、新左翼の生き方は社共の行き方とは全く異なっていました。根源的に自己の存在を問い直し、「体制の左足」としての社共を批判することで新左翼は勢力を拡大し続けたわけです。若者たちは(特に「エリート層」の雰囲気が残っていた時代の大学生は)、「歌って踊って生活向上」「明るく楽しく仲間つくり」みたいな、徹底した自己肯定を旨とする社共には全く飽き足らず、自己否定を本旨とする新左翼や、その影響を強く受けた大衆運動である全共闘へと続々と結集し、場合によっては自己の肉体が滅ぶことも厭わず闘いぬきました。右翼や保守はもちろん強烈な自己肯定ですから、ある意味では左右の枠をはみ出した自己肯定と自己否定という対立軸(というより二つのベクトルと表現すべきかな?)があったとも言えます。

 ですが一方で、これも一種の「成功体験」に他なりません。そして今でも一部の「左の左」部分は、「社共のあり方を批判して自分たちのポジションを示す」みたいな、この時の成功体験を引きずっているとも言えるのです。もちろん私を含めた大部分の左派は、今では社共も考えの違いを乗り越えて手を結ぶべき仲間だと思っているし、共産党にもそういう発想に立つように強く要望し続けています。ですが、だいたいにおいて「自己否定を若者に呼びかける」という手法は今まで多くの左派が踏襲してきました。しかし今は自己肯定ばかりで、自己否定というものが全く流行らない。

 これに対して「左翼体験」を持たない新しい人々による大衆運動は、非正規雇用が全労働者の3分の1という惨状を受け、かつての社共のそれとは違う新しい自己肯定」のようなもの(の萌芽)が見られるのではないかと思っています。それは自己の存在を肯定しながらも同時に社会の変革(社共や民主のような「政権交代」は首のすげ替えであって社会変革とは言いません)にいたるしかない主張であり、また、海外の自分たちのために犠牲になっている人々とも手を結ぶことが可能な主張……とまで言ったらまだ言いすぎかな?そのあたりはまだまだこれから整理・議論していく必要があると思っています。

(中)に続きます。下記のような大先輩方のWebから見れば若造の駄文ですが、よろしければおつきあいください。

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参考

全共闘それぞれの『決着』という番組PartⅠ(どこからどこへ)
「全共闘それぞれの『決着』」PartⅡ(どこからどこへ)
「全共闘それぞれの『決着』」PartⅢ(どこからどこへ)

1968年全共闘だった時代
日大1968年9月30日
明大全共闘・学館闘争・文連―あの時代(とき)を忘れないために
1968年 私達は決起した!! 日本大学全学共闘会議農獣医学部闘争委員会
Syuugoroの人生論~全共闘世代は今日も行く~
日大闘争by日大全共闘 けいとういホームページクラシック版/日大全共斗経斗委HP
和光大学戦中秘話 1971-1975

新説”右””左”の分け方(太陽に集いしもの)
左翼に多い”愛国”アレルギー症候群(太陽に集いしもの)
”サムライ”左翼の思い出(太陽に集いしもの)