2008 謹賀新年 貧乏人が貧乏のまま幸せになれる年へ!

あけましておめでとう! みなさま、あけましておめでとうございます。
 旧年中は旗旗を御利用いただき、大変にありがとうございました。

 毎年そうですが、2007年も多くのご縁をいただき、多くのみなさんに助けていただき、なんとかここまでくることができたと思います。

 今はなんとなく人が大切にされない時代のように思います。人の存在はすべて統計上の数字に還元されていきます。そこには一人一人の人生があるというのに。そこに思いいたる人々の想像力も減退し続けています。
 そうだからこそ、今年も人との出会いを大切にしたいと思います。誰かに出会ったとき、それを「敵か味方か」「損か得か」でわけたくないですよね。

 政治的に右か左かなんてことは、その次の問題だと思うのです。人が食べるものも住む家もなくて寒空に震えていたり、他国の軍隊に踏みにじられて爆弾や銃で殺されていたり、あるいはそこまでいかなくても、たとえばごく普通の市民が素朴な善意や正義感で開設したブログやサイトが心無い人に荒されていたり、そういう理不尽な事態を見聞きして、怒ったりなんとかしたいと思うことは「政治運動」ではありません。人間としての最低限の良心の発露です。そういう心情を非難することは誰にもできないはずです。

 政治姿勢の左右なんてものは、その次の段階です。「では具体的にどうすれば、寒空に震えている人や理不尽に殺されていく人を救うことができるのか」という考えをすすめていくなかで、はじめて左右がわかれてくるのです。だから、こういう人々のことなんて「ほおっておけばよいのだ」という意見は、政治的な左右の違い以前の問題なのです。こういう暴論や人々の無関心とこそ、私たちは今後とも一致して闘っていかなくてはなりません。

 こんな問題にもならない暴論が幅をきかせる、人間が大切にされない社会では、人との出会いや「縁」が大切にされません。人々の間の「縁」が次々と切れていきます。それこそが新自由主義やネオリベ、グローバリズムの思い描く「理想の社会」です

 たとえば釜ケ崎などの日雇い労働者の街も、かつては貧しいながらも家族が肩をよせあって暮らす、ちょうど落語の貧乏長屋のような時代もあったと言います。それがいつしか資本の使い捨て労働力として便利な、単身の男性下層労働者がドヤと呼ばれる簡易宿泊所で暮らす街になりました。それも今や住人が高齢化し、福祉の負担が増えてくると住民票を取り上げ、極寒の寒空に野宿者のテントを破壊して「早く死ね!」と言わんばかりの殺人行政がまかり通っています。さらに信じがたいことに、こういう非道な人殺し行政を支持するような人までいると聞きます。

 釜ケ崎などの日雇い労働者の街が、こうした高齢化による衰退や縮小に向かっているのは、何も社会が豊かになったからではありません。資本主導の「労働ビックバン」以来、労働者がバラバラにされ、抵抗の手段を奪われ、かってのカッコ付「左翼」がそれと妥協・屈服して体制内化しています。その中で生まれてきたのが「ワーキングプア」や「格差(=差別)社会」「ネットカフェ難民」などの問題です。
 つまりかつての釜ケ崎などでおこってきたことが社会全体でくり返されているのです。日本中が釜ケ崎化している。だから特別に釜ケ崎のような街や、今まで日本を支えてきた日雇い労働者が資本にとって不要となり、その利害を代弁する行政から「死ね!」と言われているわけです。

 いえ、それは「日本中」に限りません。グローバリズムの波の中で、それは世界中に広がっています。グローバリズムの洗礼を受けた国では、今までごく普通に暮らしていたその国の人々が、均一の資本主義イデオロギーの元で「貧乏人」の烙印をおされて不幸になっていきます。
 つまり昔の釜ケ崎のように「貧乏長屋」から「ドヤ街」への流れが、全世界ですすんでいます。お金だけが基準で人々が差別されていく層の薄い単一イデオロギーの社会では、お金の無い貧乏人が幸せになることは難しい。それが「縁」のない社会です

 「縁」とは、何かしら超自然的なものや宗教的なものではなく、人間が社会的な諸関係の中でつくりだしていくものです。私たちはこういう新自由主義やネオリベの資本主義イデオロギーに対抗しうるような、「縁」を大切にする豊かな文化を対置していかなくてはならないと思います。たとえば「釜パトの会」のような野宿労働者(マスコミ用語でホームレス)支援・連帯の運動の中に、人間が本来持っている無限の可能性、隣人への慈しみや仲間同士の助け合い、理不尽な仕打ちへの人間的な怒り、そしてそれを文化や生き方にまで高めていく萌芽のようなものを見ることができます。

 と、言いつつ、自分の生活の厳しさや忙しさを言い訳に、メールなどの返信もなかなかできていない私です。本当にすみません。いつも大変にありがたく思っています。大晦日まで仕事で正月休みもろくにありませんでしたが、社会人が忙しいのは当たり前なので、そんなことを言い訳にしないようにしなくてはと頭では理解しております。でも、仕事から帰ると体が鉛のように重くてなかなか体が言うことを聞いてくれません。

 とりあえず、サーバーを引っ越して以来、うまく動かなくて削除した「ショップ旗旗」の復活を最優先でとりくんでいます。続けてリクエストをいただいたものですから。

それでは、本年も見捨てずにゆるゆると気長に見守って下さい。よろしく御願いします。

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8件のコメント

謹賀新年。あのね、ぼくもね、年頭論文書いてみましたので、新年早々トラバ送らせていただきましたので(3か月ぶりの更新だよー。外向きに行動し始めると、本当すぐに素朴実践主義になって、内向きな脳内作用が著しく劣化する性質なのです。たまに立ち止まってブログ更新できるようにしよう、と新年の誓いですわ)、よろしくご査収ください。今年もお互い元気に頑張っていきましょう。よろしくお願い申し上げます。ニャンケ

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 新年あけましておめでとうございます。
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 さて、元日は各界の年頭所感が発表されるのが恒例である。たいていは形式的な建前上のあいさ…

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新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

文句なしこの冬一番の寒さだった。あたたかい日が続いていたので寒さが身にしみる。
あいにくの雪の舞う…

泣いたなぁ~
コメントがどこかにブッ飛んでしまった。

こいつは新春から縁起が悪い。(あ、これは毎年か)
ということで、今年もヨロシク。m(_ _)m

>土岐さん

よくあることですね(本当によくある)。私は懲りて、投稿する時には事前にテキストエディタを開いて、その画面に書いてから投稿欄にコピペするようにしています。こうしておくと万一消えてもエディタ画面のほうに文章は残っていますから。
それでもつい面倒でブラウザ上の投稿欄に直接書いてしまうこともありますが、その場合も送信ボタンを押す前に、今度は逆にエディタ画面に投稿欄の文章をコピペしてから送信ボタンを押します。

特に旗旗はサーバーが「安かろう悪かろう」の典型で、いつこけるかわかりません。通常のWebを表示するには何の問題もなく快適なようですが、データベースを多用(というか酷使)していますので、そちらがこけてしまうようです。ご迷惑をおかけしますが、ブラウザ上の入力フォームに直接書き込んで、写しもなくいきなり送信ボタンを押すなんてことは(特に旗旗に限らず)ゆめゆめやってはなりません。

とりあえず、本年もよろしくお願いします。☆⌒ヽ(´ε` )チュッ

電子投票は慎重に検討すべき。民主主義の不完全な今の日本での拙速な導入を強くいましめたい。
今国会で審議されている、そのわりには新聞であまり詳細な報道を見ない電子投票について考えるとき、大前提となる私の認識は、「日本では民主主義はまだまだ定着しているとは言えず、民主主義と立憲主義を『憲法改正』によってくつがえそうとするしつこい企みが政府自民党ばかりか野党のかなりの部分にもある現状では、投開票に不正が少しでも入り込む余地のある投票方法に改定することには絶対反対である」ということです。…

不正を生む可能性が少しでも残る投開票方法の拙速な導入は民主主義に仕掛けられた時限爆弾です (電子投票をめぐって)
前回に続いて、選挙制度というか投開票方法を不正や誤りの入りやすいタイプの電子投票にしては絶対にいけない、というお話を続けます。投開票プロセスの透明化のためには、紙を介するべきだし、紙を残すべきです。不正や誤りが絶対に入らない措置をとったうえで集計の効率化は考えてもいいですが、現行方式に比べて透明さと正確さを犠牲にせずに本当に効率とコストを改善できるかどうかが重要です…

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