ウルトラマンと革命無罪-左翼が「何でも反対」の理由

戦うウルトラマン●ウルトラマンは有罪か?

闘いというのは往々にして関係ない人間をまきこんだり傷つけたりします。
たとえばウルトラマンは地球の平和のために怪獣と闘うのですが、その過程で多くの家屋や建造物が破壊されています。罪のない人も死んでいるかもしれません。

30年のローンをくんでやっと建てた庶民の一戸建てが、なんとか破壊されずに怪獣が通過してくれたと思って胸をなでおろしたのもつかの間、たまたまそこにウルトラマンがやってきたがために「やめてくれ~!」と絶叫する間もなく、命がけで建てたマイホームは、ローンを残したまま木っ端微塵に跡形もなく破壊されてしまったわけです。

では、ウルトラマンは有罪でしょうか?

実はこれは法学部の学生のよた話としては古くからある「設問」らしく、結論としては、ウルトラマンには損害賠償義務があるという説が有力らしいです。
法律的には有罪(賠償義務あり)かもしれませんが、何かおかしい気もします。ウルトラマンが来てくれなかったら、怪獣によってさらに大きな別の被害が出たはずです。

たとえウルトラマンが注意不足で壊れる必要のない家まで壊してしまったとしても、その家にたまたま生後間もない赤ちゃんがいたとしても、その他もろもろのどんなことがあったとしても、『怪獣退治』という『目的そのもの』に有罪を宣告することはできないではないか。

これが私の理解していたこの問題に対する左翼的発想です。これを端的に言い表わしたのが毛沢東の掲げた「革命無罪」のスローガンだと思っています。
そこで次にもう少し、左翼の『目的そのもの』についてみていきたいと思います。

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アンパンマンと共産主義社会

ひとりがみんなのために!みんながひとりのために! 今日は「共産主義とは何か?」というお話です。その最適の見本が、漫画家のやなせたかしさんが描く「それいけ!アンパンマン」の世界です。これは私が活動家時代に抱いていた共産主義社会のイメージそのものでした。たとえば、ジャムおじさんはパンを作り、カレーパンマンはカレーを作り、ラーメン天使はラーメンを作るのですが、それは「商売」として行っているのではなく、みんなに喜んでもらうために作っているのです。

 つまり利潤を得るための【疎外された労働】ではなく、自己実現のための労働です。そしてそれらを作る原料は、それぞれの農作物を作っている人がやはり無償で提供しています。つまりジャムおじさんは「美味しいパンを作る人」ではあっても、決して「パン屋さん」ではないのです。

 人間としての向上心のベクトルは「もっと儲けよう」という利己的な方向ではなくて「もっと美味しいパンをもっと沢山の人に食べてもらおう」という社会的な方向に向いています。そこではジャムおじさんのパンがどんなに絶賛されても、それで本人が喜びと生き甲斐を感じてまた頑張ろうと思うだけであって、これで儲けようとか、ましてや他人を雇ってその労働を搾取し、パン工場を大きくしてやろうとか思うことはありません。

 もしこれが資本主義社会のお話であったなら、ジャムおじさんの優しい顔はたちまちにして眉間にしわをよせた資本家の顔になり、電卓をたたいてため息をつき、原料費を削減したり、一生懸命に働く労働者のバタ子さんに、それでもまだ怠けているかのような罵声を浴びせるようになったに違いありません。あるいはとっくの昔に倒産していたでしょうか。そんな良心的なジャムおじさんに、原料を売ってくれる人もいないでしょうから。

 食パンマンにいたっては、毎日食パンを無償で学校に運んでいますが、おそらくは学校教育もすべて無償でしょう。物語りには小学校と思われる場所しか登場しませんが、おそらく「もっと勉強して人々の役に立ちたい」と言う人には、しかるべき教育手段が無償で用意されていることでしょう。おそらくは土地も共有制(所有権はなく利用権のみがある)であろうと思われます。

 時にはきれいな絵を描いたり、美しいカレンダーを作ったりしてみんなに喜ばれている芸術家や、だいこん役者などの俳優も登場しますが、それとてお金や名声や自己満足のための「芸術」ではなく、一般の人々を喜ばせるために頑張っている民衆芸術家として描かれています。また、宗教はコンニャク和尚が出てきたことがあるので残っているようですが、高圧的・支配的なものではなく、人々の生活に根ざした素朴なもののようです。魔王が攻めてきた時には、アンパンマンが「前衛」となり、バイキンマンドキンちゃんまで協力して「民衆蜂起」で撃退していますから、軍隊も存在していないということがわかります。

 つまり一言で言って、「貨幣」と「他人の労働の搾取」という資本主義を資本主義たらしめている二つのものが存在していないのです。ゆえに「資本家」のような「支配階級」もいませんから、人々は平等で差別もなく、貧困も戦争も税金も政府すら存在する必要がないのです。私が見ている限りでは、アンパンマンに「お金」という概念が出てきたことはありません(←これ重要)

 これらのことの帰結として、生産物には「使用価値」のみで「交換価値(=商品価値)」というものが存在しないことになります

 そこでこの世界の悪者であるバイキンマンには「世界を征服する」(=支配階級になる=他人を搾取する)という発想がありません。いつも美味しい食べ物を一人占めするのですが、それは自分とドキンちゃんが食べるだけであって、よそで売って儲けるという発想にはなりません。自分一人だけで全部食べようとすること、つまり「使用価値を盗む」のが悪いのであって、「交換価値を盗む」資本主義社会における泥棒とはちょっとニュアンスが違うのです。

 資本主義社会で生まれた私達は生まれながらに資本主義者であって、この世界で共産主義者でいつづけることは困難が伴うように、共産主義社会に生きるバイキンマンやアンパンマンは生まれながらに共産主義者であって、資本主義社会の常識(イデオロギー)は理解の外にあるわけです。

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わしはブチ切れた!~警視庁への申し入れ(請願)を行う!

suppression.jpgまずはここを見てほしい。

見たか?!んでわしはぶち切れた。めちゃ怒った。
それで以下のような請願書を一気に書いた。んで警視庁のページのご意見コーナーから送ってやった。
これについては住所・氏名入りで送ったことにつき「合法ぼけ」などの批判もあるだろう。しかしこれが今のわしのスタイルだ。(家族がなければこのページも実名で運営しとる)
もしこのことで何かの弾圧があればそれこそこっちの思う壷だ。今度は支援や応援じゃないぞ。「当事者」なんだからな!

請願書

憲法16条および請願法2条乃至3条に基づき以下の通り請願いたします。

請願の日付:2004年6月18日
請願者の氏名:○○○○(戸籍名)
請願者の住所:○○○○○○○○○○○○
請願者のメールアドレス:souka431@ybb.ne.jp

請願の趣旨

 1、貴庁赤坂署によるブルキッチ加奈子さんおよびその夫君であるスーレイマンさんに対して行われている下記請求の理由記載のような行為を中止すること。
 2、両氏の表現行為および思想の自由につき貴庁が中立を守り介入を行わないこと。
 3、両氏の平穏な表現活動が充分に可能となるよう必要な配慮をなし、これを違法な方法による妨害から保護すること。
 4、下記請求の理由記載の事実につき担当者より両氏に直接謝罪がなされること。
 5、内部調査を行い、責任者に対し適切な処分がなされること。

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戦旗派体験総括への道-1- 小林さんの文章を手掛かりに

senki_b.gif 元戦旗・共産主義者同盟三里塚現闘団、現ライターである小林義也さんの、「三里塚の大地に跪きながら」ですが、かねてより、ほぼ同時期に活動していた者として不思議に思っていたことがあります。しかしそのことを今までどうしても聞くことができませんでした。

 なぜならそれは第一に、後に書くように自分自身でも答えが出ていない問題であるからです。第二にロフト事件などを契機にSENKIへの批判が高まっていた時期であり、SENKIの批判者へのテロルを言論の高まりで防ぐということが喫緊の課題であったからです。第三に、自分がとんでもない大ボケなことを考えているような気がして、発表するのが恐かったということもあります。
 しかしあれからすでに5年が経過し、私も不惑の歳を超えました。いつまでも「わからない」で棚上げしているのもどうかと思うし、何よりまっぺんさんへのメールでうっかり筆をすべらせてこの疑問を書いてしまったので(^_^;思いきって関係各位からのご批判を浴びる決心をしたわけです(やはり少し恐いというのもありますが)。

●小林さんは元からこう考えていたのか?

 それはこの文章で小林さんが批判している三里塚現地における戦旗西田派(現・統一委派)の活動家に対する暴行や「高卒現場労働者の党」という表現に関して、それを裏付け支えている戦旗派の運動論的な立場への批判があまり展開されていないことです。
 たとえば小林さんの上記文章中では「内ゲバは(無条件に)悪い」「その悪いことに自分も手を染めてしまった」「何故かと言うと自分が弱い人間だったから」という論理展開になっています。確かにこれは一般の人には大変に理解してもらいやすい文章です。しかしこれではインターや市民運動と同じ立場の論理です。
 誤解しないで欲しいのは、それが悪いと言ってるんじゃ決してありません。小林さんが活動家当時からこう考えていたのならこれでいいのです。しかし活動家時代の小林さんは本当にそんな風に考えていたのでしょうか。

 戦旗は当時から「内ゲバ全否定」の立場には立っていなかったし、そのことを隠そうともしていませんでした。少なくとも結集したてで末端の活動家であった18歳の私もそのことは了解していました。一般の人々に対しても、内ゲバに対する態度を聞かれた時は、これから述べるような戦旗派の態度を正直に説明していました(それでも次々と人は結集してきました)。
 当時の自分を否定するなら、それを正当化していた内ゲバ論も検討吟味の上で否定しなければ、後づけ的な解釈になってしまいます。もし思い違いなら小林さん対して大変に申し訳ないことなのですが、私よりはるかに重要なポジションにいた小林さんが、最初からこんなふうに考えておられたとは、やはりにわかには信じ難いことなのです。

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蔵田さんの回答書への読書感想文

※この文章は2003年04月16日に某掲示板にレスとして投稿したものです。

検証内ゲバPART2◆はじめに

 蔵田さんの文章について、まっぺんさんのような論文を書く能力も、またその資格も私にはありません。ただ「読書感想文」のような駄文を書いてみましたので、少々長いかもしれませんが、他に見せる場所もありませんので、ここへの書き込みとして失礼します。なかなかレスもできませんので、無視していただいたほうが楽チンなのですが(^_^;罵倒したい方がいれば頭をたれて拝読させていただきます。
 また、今日は休みなので一晩で書き上げたままの文章です。読み返すと投稿するのが嫌になりますので、目をつぶってこのまま載せます。誤字脱字などあれば御容赦ください。

 まず全体的に蔵田さんの回答書は、「提案」というには多少章立ての統一性に混乱が見られるように思います。ただ、それは前田さんの質問状に対する「回答」という性格からは仕方がないものかもしれません。そこでこの「回答」に該当する部分を捨象し、純粋な「提案」として蔵田さんの文章を私なりに理解すると、次のような構成になります。

 1)内ゲバとそれを擁護する論理に対する評価と批判
 2)蔵田さんの方法論(「関係性の貧困」を克服せよ)
 3)内ゲバを克服する方策としての「排除の論理」への評価

◆「内ゲバ」の定義

 まず内ゲバの定義を「大衆的実践フィルター」を介さずして「相手党派の理論や思想の修正、変更、解体を迫ること」と規定し、政治党派の自己変革やその思想を物質化するのは大衆的実践フィルターしかないのであるから、内ゲバの論理は「自らの理論や思想の物質力への転化を否定する自己否定的行為」であり、革命運動の質としては衰退と破産を決定づけられていると論じておられます。

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蔵田さん論争リンク集

検証内ゲバpart1

「検証 内ゲバ」PART1 【2003-1-31】 社会批評社

本書は、「検証 内ゲバ」について約一年間の共同研究の報告である。日本社会運動の崩壊的危機の主体的要因である内ゲバに触れることは、当事者にとっては重くてつらい課題だ。当事者のみか、運動全体にとっても内ゲバは、忘れ去ってしまいたい問題である。

「検証 内ゲバ」PART2 【2003-1-31】 社会批評社

『検証 内ゲバPART1』に続く、内ゲバ問題の徹底検証。
PART3 当事者たちが語る内ゲバ体験 
第1章 市民運動を装うSENKI派にも息づく内ゲバ主義  小林 義也 236

公開質問状 『検証内ゲバPART2』のデタラメ 【2003-3-5】 前田浩喜さん(BUND)

判決を読んだりして事実関係を調べたのか-「市民運動を装うSENKI派にも息づく内ゲバ主義」という文章が載っている。書いたのは何十年も前に組織を辞めたのに、相変わらず元SENKIのメンバーであることしか肩書きにできない小林義也だ・・・しかもあまりにも事実と違うことが文章化されている。

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カテゴリー「左翼的発想の研究」まえがき

パブロ・ピカソ作 「ゲルニカ」カテゴリー「左翼的発想の研究」

ファシズムとの闘いに命を捧げてくれたすべての人々に「今」を生きる一人として、心からの感謝と哀悼を捧げます。あなたがたの尊い犠牲の上に、今の私達があることを決して忘れません。心の底からの果てしない敬意をこめて。合掌。

 実はこのカテゴリー、最初は「左翼思想入門」で書きはじめようかと思ったのですが、「入門」というからには、自分が上級者であることが前提です。んで、これは無しと。。。(^_^;

 そこで今のところこのカテゴリーでは、活動家時代の自分を材料にして、左翼活動家のものの考え方というか、思考回路、発想方法みたいなものを書いた文章をアップしてこうかなと思っています。身近に「左翼」という人種を知らない人はもとより、身近に「左翼」がいる人ならいっそう、「はーん、それであいつらはあんなことを言うとるわけか」と合点していただける(?)と思います。

 念のために申しますと、これらの駄文を読んだ方に、左翼思想の「宣伝」をしようと思って書いた文章ではありません(それは読めばわかると思いますが)。読んだ上で多少なりとも共感を持つか、嘲笑するか、あるいは左翼を批判するための材料とするか、それは読者の自由です。

 「左翼」というものを離れて15年。当時の文献や資料というものはほとんど手元にないので、当時の私が考えていたことを、記憶だけをたよりに書きました。読み返すとずいぶんと「青臭い」ことを考えていたのだなあと思うこともありますし、修正したいこともあるのですが、資料もないままにへんにねじ曲げることはせず、若き日の記憶としてそのまま公開することとしました。

 また、本物の左翼の方が読んで「これは違う!」「これはおかしい!」という点が多々あると思います。党派や団体が違えば多少は考えが違うこともあるのですが、私と同じ党派で活動していた方でも「違うぞ!」ということがあると思います。その点は「末端の一活動家の目からみた」あるいは「私が考えていた左翼というもの」つまり「私個人の考え」だということでご容赦ください。