商売を早くしまってチビ公はやくそくどおり柳光一の誕生日にいくことにした。豆腐屋のはんてんをぬぎすててかすりの着物にはかまをはいたときチビ公はたまらなくうれしかった。一年前まではこうして学校へいったものだと思うとかれは自分ながら懐旧の情がたかまってくるように思われた。母はてぬぐいと紙をだしてくれた。
「柳さんの家は金持ちだからね、ぎょうぎをよくして人にわらわれないようにおしよ」
こうくりかえしくりかえしいった、それからご飯のときの心得や、挨拶の仕方までおしえた。そういうことは母は十分にくわしく知っていた。
「かまわねえ、豆腐屋の子だから豆腐屋らしくしろよ、なにも金持ちだからっておせじをいうにゃあたらねえ」と伯父の覚平(かくへい)がいった。
覚平は元来金持ちと役人はきらいであった、かれは朝から晩まで働いて、ただ楽しむところは晩酌(ばんしゃく)の一合であった。だがかれは一合だけですまなかった。二合になり三合になり、相手があると一升の酒を飲む。それだけでやまずにおりおり外へでて喧嘩をする、かれは酔うとかならず喧嘩をするのであった。そのくせ飲まないときにはほとんど別人のごとく温和でやさしくてにこにこしている。
「じゃいってまいります」
「いっておいで」
チビ公はあたらしいてぬぐいをはかまのひもにぶらさげ、あたらしいげたをはいて家をでた。光一の家へゆくとすでに五、六人の友達がきていた、その中には医者の子の手塚もいた、光一の家は雑貨店であるが光一の書斎ははなれの六畳であった。となりの六畳室のふすまをはずしてそこに座蒲団がたくさんしいてあった。先客はすでに蓄音器をかけてきいていた。
「よくきてくれたね、青木君」と光一はうれしそうにいった。
「今日(こんち)はおめでとう」とチビ公はていねいにおじぎをした。あまりに礼儀正しいので友達はみなわらった。
「やあ青木君」
「やあ」
一年前の同級生のこととて、かれらは昔のごとくチビ公を仲間に入れた。次第次第に客の数がふえてもはや十二、三人になった、かれらは座蒲団を敷かずに縁側にすわったり、庭へでたりしたがお菓子やくだものがでたので急に室内に集まった。
手塚はこういう会合にはなくてならない男であった。かれは蓄音機係として一枚一枚に説明を加えた。
「ぼくはね、カルメンよりトラビヤタの方がすきだよ」とかれがいった。
「ぼくは鴨緑江節(おうりょっこうぶし)がいい」とだれかがいった。
「低級趣味を発揮するなよ」と手塚はいった。そうしてトラビヤタをかけてひとりでなにもかも知っているような顔をして首をふったり感心した表情をしたりした。
片隅では光一をとりまいた四、五人が幾何学によって座蒲団二枚を対比して論じていた。
「そら、角度が同じければ辺が同じだろう」とひとりがいう。
「等辺三角形は角度も相等しだ」と光一がいった。
チビ公に近いところにたむろした一団は物体と影の関係について論じていた、洋画式でいうと物体にはかならず光の反射がある、どんなに影になっている点でもかすかな反射がある、この反射と影とは非常にまぎらわしいので困るとひとりがいった。するとひとりは影そのものにも反射があるといいだした。
チビ公はびっくりしてものがいえなかった、かれはたった一年のあいだに友達の学問が非常に進歩し、いまではとてもおよびもつかぬほど自分がおくれたことを知った。幾何や物理や英語、それだけでもいまでは異国人のように差異ができた、こうして自分が豆腐屋になり、だんだんこの人達とちがった世界へ墜落してゆくのだと思った。
「ねえきみ、ぼくらにはなんの話だかわからないね」
かれは隣席の豊松(とよまつ)という少年にこうささやいた。豊松は八百屋(やおや)の子で小学校を卒業するまでに二度ほど落第した、チビ公よりは二つも年上だが、そのかわりに身体が大きく力が強い、そのわりあいに喧嘩が弱く、よく生蕃になぐられては目のまん中から大粒の涙をぽろりと一粒こぼしたものだ。
今日集まった人々の中で中学校へもいかずに家業においつかわれているものは豊公とチビ公の二人だけであった、かれは学問やなにかの話よりも昔の友達がみな制服を着てるのに自分だけが和服でいるのがはずかしかった。
「あの人達は学者になるんだよ、おれ達とはちがうんだ」とかれはいった。
「そうだね、おれ達はなんになろうたって出来やしない」とチビ公がいった。
「金持ちはいいなあ」と豊公は嗟嘆(さたん)した。「いい着物を着ておいしいものを食べて学校へ遊びにゆく、貧乏人は朝から晩まで働いて息もつけねえ、本を読みかけると昼のつかれで眠ってしまうしな」
「きみ、お父さんがあるの?」とチビ公がきいた。
「ないよ、きみは?」
「ぼくもない」
「親がないのはお金がないよりも悲しいことだね」
「それにぼくは力がない、きみは力があるからいいさ」
「力があってもだめだ」と豊公は急に腹だたしく、「おれは毎朝生蕃になぐられるんだ、そしていもだの豆だのなしだのかきだのぶんどられるんだ、それでもおれはだまってなきゃならない」
「ぼくも毎朝豆腐を食われるよ、きみなぞは力があるからなぐりかえしてやるといいんだ」
「だめだよ」と豊公はあやうくこぼれようとする涙をこらえていった。「あいつのお父さんは役場の役人だろう」
チビ公はだまって溜め息をついた。向こうではいま手塚が得意になって活動弁士の口まねをしていた。
「主はだれ、むらさきの覆面二十三騎くつわをならべて……タララララタ、タララララタ、プカプカプカララララララ」
「うまいぞうまいぞ」と一同が喝采した。
「もう一つもう一つ」
手塚は得意になってうぐいすのなき声、やぎ、ペリカン、ねこ、ねこが屋根から落ちて水たまりにぴしゃりとおちた音などをつづけざまにやった。かれはものまねがじょうずでなにごとについても器用であった。それからかれはハイカラなはやりうたをうたった。
「ぼくらにゃわからない」とチビ公はいった、実際見るもの聞くものごとにかれは旧友達よりはるかにおくれたことに気がついた、朝は学校へゆく、必要な書籍や雑誌はお金をおしまず買ってもらう、学校から帰ると活動写真を見にいっていろいろなことをおぼえてくるのだ、てんびん棒をかついで家をいで、つかれて家へ帰りそのまま寝てしまう自分等とはあまりに身分の差がある。
お膳が運ばれた、チビ公は小さくなって室(へや)の隅にすわった、かれは今日この席へこなければよかったと思った。いろいろな空想は失望や憤慨にともなって頭の中に往来した。人々はさかんにお膳をあらした、チビ公はだまってお膳を見るとたいの焼きざかなにきんとん、かまぼこ、まぐろの刺身(さしみ)は赤く輝き、吸い物は暖かに湯気をたてている。かれは伯父さんを思いだした、伯父さんはいつも口ぐせにこういった。
「まぐろの刺身で一杯やらかしたいもんだなあ」
これを伯父さんへ持っていったらどんなに喜ぶだろう、かれはこう思いかえした、そうしてたいは伯母さんと母が好きだから、かまぼこだけは家へかえってからぼくが食べよう。
食事がおわってからまたもや余興がはじまった、チビ公はいとまをつげてひと足早く光一の家をでた、かれはてぬぐいに包んださかなの折り箱を後生大事に片手にぶらさげ、昼のごとく明るい月の町をひとりたんぼ道へさしかかった。
道のかなたに見える大きな建物は一年前に通いなれた小学校である。月下の小学校はいま、安らかに眠っている。はしご形の屋根のむねからななめにひろがるかわらの波、思いだしたようにぎらぎら反射する窓のガラス、こんもりとしげった校庭の大樹、そこで自分は六年のあいだ平和に育った、そこにはあらい風もふかず冷たい雨も降らず、やさしい先生の慈愛の目に見まもられて、春の草に遊ぶ小ばとのごとくうたいつ走りつおどりつわらった、そこには階級の偏頗(へんぱ)もなく、貧富の差異もなく、勉強するものは一番になりなまけるものは落第した。
だが六年のおわり! おおそれは喜ぶべき卒業式か、はたまた悲しむべき卒業式か、告別の歌をうたうとともに同じ巣のはとやすずめは西と東、上と下へ画然(かくぜん)とわかれた。
親のある者、金のある者はなお学府の階段をよじ登って高等へ進み師範(しはん)へ進み商業学校へ進む、しからざるものはこの日をかぎりに学問と永久にわかれてしまった。
チビ公は月光をあびながら立ちどまって感慨にふけった。
「やいチビ」
突然声が聞こえて路地の垣根から生蕃があらわれた。
「折詰をよこせ」
「いやだよ」とチビ公は折り箱をふところに押しこんだ。
「いやだ? こら豊松はおとなしくおれにみつぎをささげたのにおまえはいやだというのか」
「いやだ、これは伯父さんにあげるんだから」
「やい、こらッ、きさまはおれのげんこつがこわくないかよ」
生蕃は豊公から掠奪したたいの尾をつかんで胴のところをむしゃむしゃ食べながらいった。
「阪井君、ぼくは毎朝きみに豆腐を食われてもなんともいわなかった、これだけは堪忍してくれたまえ、きみは豊公のを食べたならそれでいいじゃないか」
「きさまは豊公をぎせいにして自分の義務をのがれようというのか」
「義務だって? ぼくはなにもきみにさかなをやる義務はないよ」
「やい小僧、こらッ、三年のライオンを退治した生蕃を知らないか、よしッ」
生蕃の手が早くもチビ公のふところにはいった。
「いやだいやだぼくは死んでもいやだ」
チビ公は両腕を組んでふところを守った。
「えい、面倒だ」
生蕃はずるずると折り箱をひきだした、チビ公は必死になって争うた。一は伯父を喜ばせようという一心にのぼせつめている、一はわが腹をみたそうという欲望に気狂(きぐる)わしくなっている。大兵(だいひょう)とチビ公、無論敵し得べくもない、生蕃はチビ公の横面をぴしゃりとなぐった、なぐられながらチビ公はてぬぐいの端をにぎってはなさない。
「えいッ」
声とともにけあげた足先! チビ公はばったりたおれた。ふたたび起きあがったときはるかに生蕃の琵琶歌(びわうた)が聞こえた。
「それ達人は大観す……栄枯は夢か幻か……」
チビ公の目から熱い涙がとめどなく流れた、金のためにさいなまれたかれは、腕力のためにさいなまれる、この世のありとあらゆる迫害はただわれにのみ集まってくるのだと思った。
はかまのどろをはらってとぼとぼと歩きだしたが、いろいろな悲憤が胸に燃えてどこをどう歩いたかわからなかった、かれはひょろ長いポプラの下に立ったときはじめてわが家へきたことを知った、家の中では暗い電灯の下で伯父が豆をひいている音が聞こえる。
「ぎいぎいざらざら」
うすをもるる豆の音がちょうどあられのようにいかめしい中に、うすのすれる音はいかにも閑寂(かんじゃく)である、店の奥には母が一生懸命に着物を縫うている。やせた顔におくれ毛がたれて切れ目の長い目で針を追いながらふと手をやめたのはわが子の足音を聞きつけたためであろう。
「折詰がない」
こう思ったときチビ公はこらえられなくなってなきだした。
「だれだえ」
母の声がした。
「千三か」
石うすの音がやんだ。そうして戸をあけるとともに伯父の首だけが外へ出た。
「なにをしてるんだ千三」
チビ公はだまっている。
「おい、ないてるのか」
伯父は手をひいて家へいれた。母は心配そうにこのありさまを見ていた、伯母はすでに寝てしまったらしい。
「どうしたんだ」
「伯父さんにあげようと思ってぼくは……」
チビ公はとぎれとぎれに仔細(しさい)を語った。
「まあ着物はやぶけて、はかまはどろだらけに……」
と母も悲憤の涙にくれていった。
「助役の子だね、阪井の子だね、よしッ」
伯父の顔はまっかになったかと思うとすぐまっさおになった。かれは水槽(みずおけ)の縁(へり)にのせたてぬぐいを、ふところに押しこんで家を飛びだした。
「伯父さんをとめて」と母が叫んだ。チビ公はすぐ外へ飛びだした。
「だいじょうぶだ、心配すな、みんな寝てもいいよ」伯父さんは走りながらこういった。
「待っておいで」母はこういってぞうりをひっかけて伯父のあとを追うた。チビ公は茶の間へあがって時計を見た、それは九時を打ったばかりであった。チビ公はあがりかまちに腰をかけて伯父と母の帰りを待っていた。伯母さんは昼の中は口やかましいにかかわらず夜になるとまったく意気地がなくなって眠ってしまうので起こしたところで起きそうにもない。豆腐屋は未明に起きねばならぬ商売だ、チビ公は昼の疲れにうとうとと眠くなった。
「眠っちゃいけねえ」とかれは自分をしかりつけた、がいったん襲いきたった睡魔はなかなかしりぞかない、ぐらりぐらりと左右に首を動かしたかと思うと障子に頭をこつんと打った、はっと目をさまして庭へ出て顔を洗った、月はポプラの枝々をもれて青白い光を戸板や石うすやこもや水槽(みずおけ)に落とすと、それらの影がまざまざと生きたようにういてくる。チビ公は口笛をふいた。
時計は十時を打った。
「伯父さんが喧嘩をしてるんじゃなかろうか、もしそうだとすると」
チビ公はこう考えたとき少年の血潮が五体になりひびいた。
「阪井の家へいったにちがいない、だが阪井の親父は助役だ、子分が大勢だ、伯父さんひとりではとてもかなわないだろう、そうすると……」
かれはもうだまっていることができなくなった、身体は小さいがおれの方が正しいんだ、伯父さんを助けてあげなきゃならない。
かれは雨戸のしんばり棒をはずして手にさげた、それからじょうぶそうなぞうりにはきかえて外へでた、めざすところは阪井の家である、かれは今にも伯父が乱闘乱戦に火花をちらしているかのように思った、胸が高鳴りして身体がふるえた。町に松月楼(しょうげつろう)という料理屋がある、その前にさしかかったときかれはただならぬ物音を聞いた。ひとりの男がはだしのまま、「医者を医者を」と叫んで走った。すると他の男がまた同じことをいって走った。
「もしや伯父がここで……」とチビ公は直感した、とたんに暗がりから母が飛びだしてチビ公の肩にもたれた。
「大変だよ千三、伯父さんが……」
母はなかばなき声であった。ばらばらと玄関に五、六人の影があらわれた。
「悪いやつをなぐるのはあたりまえだ、おれの家の小僧をおどかして毎朝豆腐を強奪しやがる、おれは貧乏人だ、貧乏人のものをぬすんでも助役の息子ならかまわないというのか」
たしかに伯父さんの声である。
「子どもの喧嘩にでしゃばって、相手の親をなぐるという法があるか」
二、三人がどなった。
「あやまらないからなぐったんだ」
「ぐずぐずいわんと早く歩け」
「おれをどうするんだ」
五、六人の人々が玄関口で押しあった。その中から伯父さんの半裸体(はんらたい)の姿があらわれた、伯父さんの顔はまっさおになってくちびるから血がしたたっていた、かれのやせた肩は呼吸の度ごとにはげしく動いた。
「さあでろ」と巡査がいった。
「はきものがない」と伯父さんがいった。
「そのままでいい」
「おれはけだものじゃねえ」
だれかが外からぞうりを投げてやった、伯父さんはそれをはいた。
「伯父さん!」とチビ公は門内にかけこんでいった。
「おお千三か、おまえのかたきは討ってやったぞ、いいか明日から商売に出るときにはな、鉄砲となぎなたとわきざしとまさかりと七つ道具をしょってでろ、いいか、助役のせがれが強盗にでても警察では豆腐屋を保護してくれないんだからな」こういった伯父さんの息は酒くさかった。
「歩け」と巡査がいった。
「待ってくださいおまわりさん」とチビ公は巡査の前にすわった。
「伯父さんは酔ってるんです、伯父さんをゆるしてください、明日の朝になって酒がさめたら伯父さんと一緒に警察へあやまりにまいります、伯父さんがいなければ私一人では豆腐を作ることができません」
チビ公の声は涙にふるえていた。
「なにをぬかすかばか」と伯父さんがどなった。
「商売ができなかったらやめてしまえ、商売をしたからって助役の息子に食われてしまうばかりだ」
伯父さんはのそのそと歩きだした、かれは門の外になくなく立っている妹(チビ公の母)を見やって少し躊躇したが、
「あとはたのむぜ、おれは強盗の親玉を退治たんだから、これから警察へごほうびをもらいにゆくんだ」
母がなにかいおうとしたが伯父はずんずんいってしまった、ひとりの巡査と、ふたりの町の人がつきそうていった。チビ公と母はどこまでもそのあとについた、伯父さんは警察の門をはいるときちらとふたりの方をふり向いた。
「困ったねえ」と母がいった。
「阪井にけがをさしたんでしょうか」
「そうらしいよ、たいしたこともないようだが、それでも相手が助役さんだからね」
「今晩帰ってくるでしょう?」
「さあ」
ふたりは思い思いの憂欝をいだいて家へ帰った、母は戸口に立ちどまって深い溜め息をついた、かの女は伯母のお仙(せん)をおそれているのである、伯父は親切だが伯母はなにかにつけて邪慳(じゃけん)である、たよるべき親類もない母子(おやこ)は、毎日伯母の顔色をうかがわねばならぬのであった。
ふたりはようやく家へはいった、そうして伯母を起こして仔細(しさい)を語った。
「へん」と伯母は冷ややかにわらった。「なんてえばかな人だろう、この子がかわいいからって助役さんをなぐるなんて……明日から商売をどうするつもりだろう、どうしてご飯を食べてゆくつもりなの?」
お仙は眠い目もすっかりさめて口ぎたなく良人(おっと)をののしった。
「商売はぼくがやります、伯母さん、そんなに伯父さんを悪くいわないでください」
チビ公は決然とこういった。
「やれるならやってみるがいいや、おら知らないよ」お仙はふたたび寝床へもぐりこんだ。
チビ公と母のお美代(みよ)は床へはいったがなかなか眠れない。
「なによりもね、さしいれ物をしなくちゃね」とお美代がいった。
「さしいれ物ってなあに?」
「警察へね、毛布だのお弁当だのを持っていくんだよ、警察だけですめばいいけれどもね」
「お母さんが弁当をこさえてくれればぼくが持っていくよ」
「それがね、お金を弁当屋にはらって、さしいれしてもらうのでなきゃいけないんだよ」
「いくら?」
「一遍(ぺん)の弁当は一番安いので二十五銭だろうね」
「三度なら七十五銭ですね」
「ああ」
「七十五銭!」
七十五銭はチビ公ひとりが一日歩いてもうける分である、それをことごとく弁当代にしてしまえば三人がどうして食べてゆけよう。チビ公は当惑した。
「豆をひくにしても煮るにしても、おまえの腕ではとてもできないし、私の考えでは当分休むよりほかにしかたがないが、そうすると」お美代はしみじみといった。
「休みません、伯父さんのできることならぼくがやってみせます、ぼくのために助役をなぐった伯父さんに対してもぼくはるす中りっぱにやってみせます」
「でもさしいれ物はね」
「お母さん、ぼくの考えではね、お母さんもぼくと一緒に豆腐を作って、それから伯父さんの回り場所を売りにでてください、二人でやればだいじょうぶです」
「そうだ」とお美代はうれしそうにいった。「そうだよ千三、私は女だからなにもできないと思っていたが、今夜から男になればいいのだ、伯父さんと同じ人になればいいのだ、そうしようね」
「お母さんに荷をかつがせて豆腐を売らせたくはないんだけれども……お母さん、ぼくはまだ小さいからしかたがありません、大きくなったらきっとこのうめあわせをします」
チビ公の興奮した目はるりのごとくすみわたって瞳は敢為(かんい)の勇気に燃えた。
うとうとと眠ったかと思うともう東が白みかけたので母に起こされた、チビ公はいきおいよく起きて仕事にとりかかった、お美代もともに火をたきつけた、このいきおいにおされてお仙はぶつぶついいながらもやはり働きだした。
「伯母さんはなにもしなくてもいいから、ただ指図だけしてください」
とチビ公はいった。
至誠はかならず天に通ずる、チビ公の真剣な労働は邪慳(じゃけん)のお仙の角(つの)をおってしまった、三人は心を一つにして、覚平(かくへい)が作る豆腐におとらないものを作りあげた。
「さあいこうぜ」とお美代はいせいよくいった。脚絆(きゃはん)をはいてたびはだしになり、しりばしょりをして頭にほおかむりをなしその上に伯父さんのまんじゅう笠(がさ)をかぶった母の支度(したく)を見たときチビ公は胸が一ぱいになった。
「らっぱはふけないから鈴にするよ」とお美代はわらっていった。
「じゃお先に」チビ公は荷をかついで家をでた、なんとなく戦場へでもでるような緊張した気持ちが五体にあふれた。
かれは生まれてはじめて責任を感じた、いままでは寒いにつけ暑いにつけ商売を休みたいと思ったこともあった、また伯父さんにしかられるからしかたなしにでていったこともあった、しかしこの日は全然それと異なった一大革命が精神の上に稲妻のごとく起こった。
「おれがしっかりしなければみんなが困る」
かれは警察にある伯父さんも伯母も母もやせ腕一本で養わねばならぬ大責任を感ずるとともに奔湍(ほんたん)のごとき勇気がいかなる困難をもうちくだいてやろうと決心させた。らっぱの音はほがらかにひびいた。
かれは例のたんぼ道から町へはいろうとしたとき、今日も生蕃が待っているだろうと思った。
かれは微笑した、それはいかにも自然に腹の中からわきでたおだやかな微笑であった。いつもかれはこのところでいくどか躊躇した、かれは生蕃をおそれたのであった、がかれはいま、それを考えたとき恐怖の念が夢のごとく消えてしまった。でかれは堂々とらっぱをふいた。
町の角に……はたして生蕃が立っていた。
「やい」と生蕃は血走った目でチビ公をにらんだ。
「おまえに食わせる豆腐はないぞ」とチビ公は昂然(こうぜん)といった。
「なにを?」
生蕃はびっくりして叫んだがつぎの句がつげなかった、かれはいつも涙ぐんでぺこぺこ頭を下げるチビ助が、しかも昨夜かれの伯父がおれの父をなぐったことを知ってるチビ助が、復讐のおそれも感ぜずにいつもより勇敢なのを見ると、実際これほどふしぎな現象はないのであった。
「待てッ」
「待っていられないよ、明日の朝またあおうね」
チビ公はずんずん去ろうとした。
「こらッ」
生蕃の手がてんびん棒にかかった、とこのとき電柱の陰から声が聞こえた。
「阪井、よせよ」
それは柳光一であった。
「なんでえ」
「きみは悪いよ」と光一は歩みよった。
「なんでえ」と生蕃がほえた。
「きみはぼくと親友になるといったことをわすれたか」
「わすれはしねえ」
「じゃ、一緒に学校へいこう」
「しかし」
「もういいよ」
光一は生蕃のひじをとった、そうしてチビ公ににっこりしてふりかえった。チビ公は鳥打帽(とりうちぼう)をぬいで一礼した。
この日ほど豆腐の売れた日はなかった、町では覚平が助役をなぐって拘留されたという噂が一円に拡がった、しかもそれは貧しき豆腐屋の子がになってくる豆腐を強奪したうらみだとわかったので町内の同情は流れの低きにつくがごとくチビ公に集まった。
「買ってやれ買ってやれかわいそうに」
豆腐のきらいな家までが争うて豆腐を買った、チビ公のふくらっぱは凱歌(がいか)のごとく鳴りひびいた。
二時間にして売りつくしたのでチビ公は警察へいった。
「伯父さんをゆるしてください、伯父さんが悪いんでないのです、酒が悪いんですから」
かれは警部にこう哀願した。
「警察ではゆるしてやりたいんだ」と警部は同情の目をまたたいていった。「だが阪井の方で示談にしないと警察では困るんだ」
「監獄へいくんでしょうか」
「そうなるかもしれない、きみの方で阪井にかけあってなんとかしてもらうんだね」
チビ公はがっかりして警察をでた、それからその足でさしいれ屋へゆき、売りだめから七十五銭をだしていった。
「どうかよろしくお願いします」
「覚平さんだったね」とさしいれ屋の亭主がいった。
「はあ」
「覚平さんのさしいれはすんでるよ」
「三度分の弁当ですよ」
「ああすんでる」
「だれがしてくれたのです」
「だれだかわからないがすんでる、五十銭の弁当が三本」
「へえ、それじゃちり紙を一つ……」
「ちり紙とてぬぐいと、毛布二枚とまくらと……それもすんでる」
「それも?」とチビ公はあきれて、「どなたがやってくだすったのですか」
「それもいえない、いわずにいてくれというんだから」
「じゃさしいれするものはほかになんでしょう」
「その人がみんなやってくれるからいいだろう」
チビ公はあっけにとられて言葉がでなかった、親類とてほかにはなし、友達はあるだろうが、しかし匿名にしてさしいれするのでは、ふだんにさほど懇意にしている人でないかもしれぬ、自分では想像もできぬが、母にきいたら思いあたることもあるだろう、こう思ってかれはそこをでた。
家へ帰ると母もすでに帰っていた。生まれてはじめててんびん棒をかついだので母はがっかりつかれて、肩を冷水で冷やしていた。
「どうでしたお母さん」とチビ公がいった。
「大変によく売れたよ」と母はわらっていた。
「ぼくの方も非常によかったです、二時間のうちに」
かれはからのおけを見せ、それから売りだめを伯母にわたしてさしいれものの一件を語った。
「だれだろうね」
「さあだれだろう」
伯母と母はしきりに知り人の名を数えあげたが、それはみんな匿名の必要のない人であり、毛布二枚を買う資力のない人ばかりであった。
その日の夕飯はさびしかった、酒を飲んで喧嘩をするのは困るが、さてその人が牢獄にあると思えばさびしさが一層しみじみと身に迫る。
「阪井にかけあって示談にしてもらうようにしましょうかね」と母は伯母にいった。
「まあ、そうするよりほかにしかたがありますまい」と伯母がいった。チビ公をるすにして二人はそれぞれ知人をたよって示談の運動をした。
「よろしい、なんとかしましょう」
こう快諾してくれた人は四、五人もあったが、翌日になると悄然(しょうぜん)としてこういう。
「どうも阪井のやつはどうしてもききませんよ、このうえは弁護士にたのんで……」
望みの綱も切れはてて一家三人はたがいにため息をついた。もとより女と子どものことである、心は勇気にみちてもからだの疲労は三日目の朝にはげしくおそうてきた。母の肩は紫に腫(は)れて荷を負うことができない、チビ公は睡眠の不足と過度の労働のために頭が大盤石(だいばんじゃく)のごとく重くなり動悸(どうき)が高まり息苦しくなってきた。
豆腐を買う人は多くなったが、作る人がなくなり売りにでる者がなくなった。
示談が不調で覚平は監獄へまわされた。