「小説三里塚」第七章 錯綜(前編)

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第52話 光芒

三里塚農民

 第三次強制測量は終わったが、反対同盟の農民の土地には何ら関係なく、公団は、条件派の土地測量をしたに過ぎなかった。空港公団の狙いは機動隊を従えた強制立入りで、反対派農民の心に不安と動揺を与えることだった。しかし、その結果はむしろ逆効果であり、「三日戦争」によって反対同盟はいよいよ戦闘意欲を燃やし、今後の闘いに備えて確固たる決意を漲らせたのである。

 これに反し条件派の農民は国家権カの恫喝に屈し、一層の不安感に襲われていった。
 空港公団はここぞとばかりに誘惑の手を延ばし、「空港によって素晴らしい成田が生まれる。農民はもう、汚なく骨が折れ儲からない百姓などやめても、もっと有利な仕事が空港にはいっぱいある」と、まことしやかにふれ回るのだった。
 それに銀行や金融機関が公団と一体化して、予定敷地内農民にどんどん融資していった。開拓農民などには誰も金など貸すどごろか、洟をひっかける者とてなかったのが、今度は一流銀行が向こうからやってきて、金を置いていくのだから、農民が騙されるのも無理がなかったのだ。空港公団と銀行はグルだった。

 公団からいち早く情報をキャッチすると、各銀行は競って、その農家を訪れて、「富里と違って空港は閣議決定です。お宅さんでは少なく見積もっても六千万円は確実でしょう」という。
「御得意様係」という名刺を持った銀行員は丹念に条件派の農家を説得し、金を貸付けて回った。銀行は抜け目がないから、いずれも農地や家屋敷を担保に取った。――突然、デラックスな乗用車が運び込まれると、その家では銀行から金を借りたことが、すぐわかった。
 その隣りの主人がそれを盗み見れば、息子が欲しがる前に自分が欲しくてたまらなくなった。金を借りなければ損だと思う気運が、開拓地の農民の心を支配した。これは実に巧妙に仕組まれた、権カ者の罠だった。営農不振に喘ぐ農民心理を巧みに捉え、札束による欲望を駈り立てて農地を収奪するという策謀である。
 この陥穽に卒先して嵌り込んでいった者が、いわゆる条件派の農民たちだった。木の根の湯川雄三もその一人だったから、咲子の相手が湯川の息子だと聞かされて唖然としたのである。

集会参加の市民

 木の根部落で卒先して反対派に立ち上がった主だった者が、木川武治、岩沢克巳、高橋裕二、鈴木虎三らだった。
 ある日突然、高橋裕二が武治を訪れ、武治の面前に小指を見せていった。
「俺はなんでもねえけどよ、この頃、これがうるさくてよ、どうあってもよ、木川さん団結小屋をどこかへ持ってってくんねえかよ。てめえで建てさせておいて、今になって勝手なこといって申し訳けねえけどよ……」
 武治は心の中を、冷たい風が吹き過ぎる心地がした。続いて、「団結小屋のことで嬶と毎晩喧嘩ではしょうがねえからな。アハ……」と、裕二は笑いたくもない高笑いをした。武治は裕二の顔を見て、ものもいえなかった。

 裕二は帰っていった。その後姿を眺めて武治は思った。木の根でも特に戦闘的だった彼が、いつ心変わりを……と。しかし、武治もなんだかこの頃変だとは思っていた。成田署にしょっぴかれて五日間拘留され帰ってきてからというものは、しょげて、まるで人間が変わったように見えた。
 裕二はある夜酒に酔ってタクシーに乗り、木の根でその運転手を威し自動車を傷つけたとかで、成田署に連行された。帰ってきた日には戸田の家に挨拶にきた。そのときは以前にも増して元気そうだったが、次第に気カを失なっていった。団結小屋などに敷地を貸しておくと土地は売れず、最終的に馬鹿をみるのは地主だと、警察で嚇されたらしい。その効が奏してか、団結小屋のことで夫婦の間にいざござが起こり、ついに武治のところに小屋の移転を申し込んだという始末だった。

 その頃、反対、条件によらず公団、警察がグルになった切り崩し作戦が、各部落で行なわれていた。裕二もほんの五日の拘留で説得され、まんまとこれに引っかかってしまったのか。武治はそう思うと三日戦争のときの機動隊を従えた強制立入り測量が、反対派農民にも不安と動揺を与えたのではないかとも思った。三日戦争後の木の根の動きにも、そんな雰囲気がそれとなく感じとれるのだった。公団や警察は「百姓どもを手なずけるのは朝飯前だ」とも豪語していると、武治は聞いた。裕二の例などを見れば、あるいはそうかも知れない。やがて鈴木や岩沢、相沢らが、枕を並べて脱落していった。
 その後、反対同盟の実行役員会で、団結小屋の移転先がきまった。すぐ隣畑で、ものの二〇メートルも離れていない木川源二の畑の中だった。

 歯の抜け落ちていくような淋しさを、骨身に染みて武治は味わわねばならなかった。武治にしてみれぱ、彼等は開拓当初から、二〇数年降っても照っても、労苦を分かち合って生きてきた、兄弟同志の間柄である。その彼等が武治一人取り残して、どこかへ立ち去ろうとして浮腰になっているのだ。そんなことがあっていいのだろうか。武治は悶々とした。厳しくも重く、武治にのしかかってくるもののあるごとを知ってもどうすることもできなかった。これからが真の開拓精神を発揮する場だ、そのために長く苦しい開拓生活に耐え抜いてきたのだ。ここで挫けて、どうする。粒々辛苦の二〇数年の苦闘は水泡に帰すばかりだ。

 武治は行く手にどんな苦痛があろうとも、木の根を後にする気にはどうしてもなれなかった。お互いに木の根の土になるのだと、墓場まで作ったあの頃の気慨は、今どこへいったのだろうか。――と思うと、武治の内側から言葉に現わせない不思議なカが、こんこんと湧き溢れてくるのを覚えた。それは仲間の脱落を見れば見るほど、倍加してくる、言葉にいえない戦闘意欲だった。
 それは彼を見棄てていく同志に対するものよりも、同志をそのような境地に追いつめているものへの怒りと、僧悪とでもいった方がわかりがいいだろうか。同盟から去っていく仲間を見るたびごとに、武治は強固に鍛え上げられていった。男一匹、生命の捨てどごろとは、まさにこの境地か。武治の心は、明るく躍動した。

 脱落、娘の縁談、金、義理人情、暴略、恫喝と錯綜した闘いの連続――一難去ってまた一難、津波のように押し寄せてくる敵の攻撃――これに対決して闘い抜くには、どうしても生来の農民から脱皮しなければならない。
 そうだ。闘いあるのみ――一切は闘いが決定するのだ。闘いが自己を鍛え上げ、古い自己を新しい自己に変革せしめるのだ。そして、闘いの勝利がくる――。
 考えがそこに到達したとき、一縷の光芒が彼の脳裡を掠めて走った。一瞬、彼の眼の先が、見違えるほど明るくなった。どこか別世界にでもいるような感覚だった。

 眩い太陽光線が雲を破って、彼の前に直射して輝いた。彼はたちまち思索の世界から、現実世界につれ返された。しかし、今考えていたことは夢幻の世界ではない。それが真の現実世界だ。闘いとはその現実を活きることだ。「長いものに巻かれろ」とは、「農民よ、死ね」ということだ。闘う武治には通用する言葉でなかった。この言葉の示すものは、農民切り捨ての農政への屈伏だ。農民がた易く農地を開け渡して離農・転業する最大の理由は、農民切り捨ての農政にあったのだ。これは木の根だけの問題ではない。日本の農民・農業問題だ。他人ごとではない。刻々とわが身に迫る死活の問題である。三里塚闘争は重く大きい。空港反対とは実に大きな農業問題だという考えに行き着いたとき、武治は闘いに展望をみつめることができるのだった。

「第七章 錯綜(前編)」了 目次へもどる

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