最近では東京・新大久保や大阪・鶴橋商店街へのヘイト「デモ」や、「お散歩」と称した襲撃・恫喝・インネンつけなど、権力者や強者にはいっさい逆らわず、ただ弱い者イジメばかりを繰り返すチンピラ(在特会)とヤクザ(街宣右翼)たち。その連合軍による右翼暴力が止まらない。
その暴力をともなった差別行為は、もはや国内のみならず国際的にも批判を浴び、京都の朝鮮人小学生への襲撃事件など国連の場でも取り上げられ、日本政府に善処が要求されるまでになっている。
このような事態にいたって、ついに(やっと!)安倍総理をはじめとする政権の閣僚たちでさえ、重い腰を上げて彼らに対する批難に舵をきった。
未だに彼らの反戦運動への弾圧利用に未練たらたらの公安警察ではあるが、安倍政権としては、ただでさえ自分達の極右路線が、親分であるアメリカからさえあまりいい顔をしてもらえない昨今、「在特会」らをさっさと使い捨てにすることで、「自分たちは無関係」「あそこまで酷くはない」というポーズを示すという、彼らの「最後の利用法」へと踏み切ろうとしている。
なるほどさすがにあそこまで醜悪なものを先に見せておけば、憲法改悪なんてしごく「マトモ」にも見えようというものだ(笑)。
まさに「在特会」ら右翼ファシスト側にとっては踏んだり蹴ったりの状況が訪れようとしている。安倍政権側からの切捨てに先立って、自分達の味方だと思っていた「右」の側からの「在特会批判」「ネトウヨ批判」も次々と飛び出し、政権による切り捨ての環境作りに貢献した。
もはや彼らの「味方」は一つまみのネトウヨたち(の最下層部分)の他は、時代遅れで化石頭の公安警察以外にはない。それとて本当の「味方」などではありえず、ただいつでも切り捨て可能な弾圧の走狗として利用されているにすぎない。
これはまさに彼らが騒げば騒ぐほど、その「主張」や行動が大衆に広く知られれば知られるほどに、彼らへの嫌悪感が広がり、ますます彼らへの大衆的な包囲網が狭まり、カウンター行動の側の確信が高まってどんどん人数も増えて元気になるという、彼らにとっての解決不可能な悪循環が続いているということなのだ。
だがしかし彼らは、自分達自身が招いた、まさに自業自得としか言えない現実を直視することができない。そこで彼らは他ならぬ自分達の行動が招いた大衆的な嫌悪感の噴出を、何かしら「左翼の陰謀」「極左の妨害」のようなものだと思い込もうとしているのである(爆笑)。
まさにお笑い種であるが、笑ってばかりもいられない。このような妄想に基づく現状分析によれば、現状を打破するためにはますます暴力的に先鋭化していく以外にはないからである。とりわけ左翼と在日(と自分達が勝手に認定した部分)への襲撃を激化させ、その果てに権力に回収されておしまいというのが、公安警察にとってはまさにベストな結末なのであり、今後はこの方向に誘導されていく可能性が高いと思っておいたほうがいい。
もちろん彼らはしょせんは弱い者イジメしかできないヘタレ集団である。だがそれは昔の右翼よりかえって危険で凶暴な集団だという側面もある。なぜならそこで狙われるのは、もっぱらただの一般商店や学校、子供、女性、老人など、抵抗できない弱者だからである。そういう少人数の弱者のもとへ、大人数の大人たちが押しかけるというのが、彼らの今までの常套手段であり、これが凶暴化していくことが予想される。
「在特会」の毎回の集会動員数は首都圏で30名~200名程度で関西でもそれくらい。これは「弱い者イジメ集団」としては充分に危険な人数ではなかろうか。ヨーロッパでは「在特会」のような民族排外主義のネオナチ勢力の襲撃(放火)のために、外国人移民の子供に死者まででているのである。そうなってからでは遅い。それをデマや誹謗とは言わせない。なぜなら彼らは明確に「韓国人を殺せ」と主張しているではないか!
そしてまさに明日(8月15日)、この脳内妄想を爆発させた凄まじい右翼暴力が予告されている。
毎年敗戦記念日に天皇出席の下に行われる戦争への反省なき政府式典や、事実上それと連動した「靖国」を使った戦争賛美、政治家達の参拝パフォーマンスに対し、反対デモが行われてきた。政府側の「靖国と天皇」を政治的に利用した一方的な戦争賛美に対し、これにちゃんと反対の意思を表明する市民がいるのは大切で意義深いことだ。また、天皇制の問題は国内外の人々への差別問題に直結したテーマでもある。
ところがこの市民デモに対して、昔から街宣右翼による(言葉の文字通りの意味での)暴力的襲撃や妨害が繰り返されてきた。近年は街宣右翼に「在特会」やそれ以外のネットウヨクも連合して加わり、彼らにとって一種のお祭騒ぎのようなレクリエーション(憂さ晴らしの暴力)になっているのが現状である。
初めて「在特会」らと街宣右翼の連合が確認された2009年(同年に彼ら自身が「戦果」としてアップしたデモ妨害動画。肝心のところは証拠隠滅済み)には、デモを終えて解散後、少数で駅に向かっている一団が襲われ、何人もの人が病院に搬送される大怪我をした。
その被害は明確で診断書もあり、警察への被害届も受理されたのに、未だに犯人は特定も逮捕もされていない。警察(おそらく公安)は最初から捕まえる気などない。犯人達にそれとなく「説諭」したのか、翌年からそこまでの大怪我は出ていないが、右翼らが立ち去ったあとに、これみよがしにナイフが剥き身でおかれていたのが確認されている。
そして今年はまさに、社会的に包囲されつつある「在特会」らネオナチ・レイシストたちが、「俺たちザイトクに反対しているのは市民じゃなくて極左に違いない!そして靖国反対デモは全員が極左に違いないんだ!」という呆れる妄想に基づき、まさに「江戸の敵を長崎で」とばかりに、日ごろ市民社会内部で異端扱いされていることの憂さ晴らしに、ネトウヨたちが大挙して「お礼参り」をしにくるというのである。
すでにネット上では公然と無責任な「呼びかけ」やそれへの呼応、はてはまったくもって無責任な殺人教唆まで行われているという。
こういう輩に対するには、まず何より恐がってはいけないのだ。それは古今東西を問わず、弱い者イジメをする卑怯者への対処法として一番大切な大原則である。だいたいこういう卑怯者は一人一人は自分じゃ何もできない弱虫で、所詮は張子の虎である。こちらがひるめば勘違いして増長してくるものだ。
この間のレイシストの差別襲撃(自称「デモ」)に反対してきた皆さん、「差別のない平和な世界を」との願いからレイシストへの怒りに立ち上がった皆さんに呼びかける。「天皇や国家のために他国の人を殺すなんてヤダ!まして殺されたくもない」「人や民族に貴賎も優劣もない」と思うのなら、その声を無にしないためにも、この集会とデモに参加しよう。
レイシストの正体が明らかになり、社会的に孤立していく過程にはいった今だからこそ、その思いを形にあらわす中で、彼らと公安警察を寄せ付けないだけの、大衆的包囲と戦略的防衛を今後とも強めていく必要がある。
それは具体的にはまず第一に、このブログでも今までやってきたように、彼らの主張や行動を正確にありのまま大衆的に明らかにしていくことである。
彼らは表面的には「犯罪はいけないと言っているだけで、決して朝鮮人と敵対し排斥する意図ではありません」とか説明したりしており、それが初期には一定信じられていたりしたが、実際の「デモ」では「鮮人を海に叩き込め!」「追い出せ!」とか、ついには「韓国人はみんな殺せ!」とまで連呼しており、そういう彼らの真の姿が知られるにつれて風向きが変わってきたのである。
第二には、もちろん従来からのカウンター行動、言論、被害者の防衛など、総じて戦略的な防衛と対抗措置(=反差別・反ファシズム闘争)を行っていく必要がある。それは前提だ。
そして第三に問題となるのが、公安を先頭とする警察の問題である。最近は左翼の弱体化により、かつてのような警察の上から下までの総公安化体制も若干弱まっているようで、一般警察の場合は「在特会」にもごく普通の対応(=取締り)を行う事例が散見されるようになった。だがそれを過信することはできず、とりわけ公安警察にいたっては、右翼利用の手口は昔といささかも変わっていない。
つまり、とりわけ公安は未だに冷戦時代と変わらない化石のような頭の中身をしているということだ。今やこれだけ(左翼ではなく)ネオナチ・極右の台頭への対策が、先進各国の共通課題となっている(日本でもいずれそうなる)ご時勢にもかかわらず、そういう時代の変化への認識がまったくない。
日本を蝕むレイシズムの台頭なんて「たいしたことではない」どころかむしろ歓迎。それは従来の街宣右翼と同じようなもんであり、自分達は右翼と適当につきあって、あとはすっかり弱くなった左翼勢力を適当に叩いて楽をしていればいいと思っているのだ。
その証拠に、警察は大変にレイシストに甘い。とりわけ公安が指揮している場合にそれが顕著で、襲撃側の「在特会」のようなネオナチ・レイシストを守るように機動隊を布陣したり、逆に守るべき市民の側を包囲してしまうような布陣を敷いたりする。
その上でレイシストたちは機動隊の肩越しに市民側のすぐそばまで近寄って、さんざんな罵声を浴びせてデモや集会を妨害し、おまけに警察の肩越しに殴りかかり、突入して暴行をふるうのに、警察はそれを適当にあしらってなだめるだけである。
ところが市民側が耐えかねて言い返したり、レイシスト側に詰め寄ろうとするが、とたんに警察は手のひらを返したように「やめろやめろ!」と押さえつけ、それでも右翼暴力に抗議しようとすれば逮捕していくのである。これは誇張でもなんでもない事実である。
逆にレイシストたちの自称「デモ」という名の差別襲撃に関しては、警察は抗議・防衛のカウンター側がレイシストに近づくことさえ許さず、かろうじて道路の反対側を歩くことさえ、警察が歩道を何の根拠もなく封鎖して徹底的に封じ込めてしまうのである(→動画参照)。
このような現状にもかかわらず、よく桜井誠などは「おまえら警察に守られやがって」とか常套句として毎回言うのでヘソが茶を沸かしてしまうが、これは要するに全く何の根拠もないけれど、なんとなーく相手を嫌な気持ちにさせたり、怒らせて言い返したくなるような挑発をするという、まさしく!街宣右翼そのまんまな、右翼の伝統芸能である。その場合はむしろ何の根拠もない噴飯物の罵倒のほうが(思わず言い返したくなるので)効果があるというわけだ。
この桜井が必ず使う常套句を、他のレイシストや街宣右翼のチンピラまでがモノマネしてくるのが本当に笑わせる。こんな見え透いた伝統芸能=策略に乗せられて、本来のデモや集会やカウンター行動がおろそかになっちゃいけないよ(笑)。
それでは・・・時間も遅いのでこのへんで。明日会場でお会いしましょう。
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20130814
★☆★☆★☆★☆(転送・転載大歓迎)★☆★☆★☆★☆
安倍政権が参院選に圧勝した事で、憲法改悪、戦争、ナショナリズムの一層の推進が危惧されています。また街頭では「在特会」などの右翼が在日朝鮮人・外国人にヘイトスピーチを浴びせかけています。そしてこれらが最も暴力的に展開されるのが、毎年8月15日の靖国神社反対デモであり、それは最早限度を超えています。私たち参加者有志は妨害の暴力の停止を求めるとともに、より多くの方が実態を知り、今年の『ゴメンだ! 安倍政権 歴史認識を問う 8・15反「靖国」行動』にもともに参加する事を呼びかけます。
靖国神社は戦前の侵略戦争で戦死した人々を「英霊」として祭り上げ、アジアへの侵略戦争と植民地支配を賛美し、天皇を始めとした戦争指導者の責任を免罪しています。そして敗戦日当日の8月15日は閣僚や首相が参拝・黙とうし、靖国神社と侵略戦争を肯定し続けてきました。そこで当日は朝から様々な抗議行動・デモが行われ、午後は「8.15反『靖国』行動」の集会とデモが行われ続けてきました。それに対して機動隊が過剰警備で阻止したり、靖国を参拝する街宣右翼がデモの沿道から暴行目的の突入を試みる妨害が繰り返されてきました。
そしていわゆる「在特会」などの新たな草の根右翼グループが街頭デモを始めた2009年頃から、ネット上の呼びかけなどでデモ中の妨害者が激増し妨害内容もエスカレートしました。靖国神社に最も近い九段坂下の交差点の四方に数百人もの妨害者が陣取り、凄まじい罵声とともに缶やペットボトルを投げつけてくる。デモグッズを奪い取る。街宣右翼もそれと張り合うかのように突入してきて、09年はデモ終了後に参加者が殴られて鼻の骨を折る大ケガを負いました。2011年は右翼の突入後の現場に何とナイフが落ちていた事が確認されました。私たちは「8.15デモ」がいま最も暴力を受けるデモになってしまったと思っています。
昨年の動画はこちら:http://www.youtube.com/watch?v=v91Rt4DQZGE
いま「ヘイトスピーチ」が問題になっていますが、「8.15デモ」に対してもネットでの妨害予告や殺人教唆が行われ、今年もすでにネット上に溢れています。毎年同時期に行われる「靖国キャンドルデモ」に対しても、今年は右翼が車で突入を試みたと言います。今年の「8.15デモ」も集会の段階から深刻な妨害が予想され、それは開催前から参加者と主催者に多大な心労と被害を与えています。民主社会の根幹であるデモを文字通りの暴力で圧殺することは絶対に許されません。
また右翼暴力の多くが警察に放任されていることも見過ごせません。すでに今年6月の新大久保でも「在特会」らのデモが許容される一方でデモに抗議した側が4名も不当逮捕され、右翼が「被害届」を提出して警察が運動側の立件を狙う事も東西で起こっています。2011年の「8.15」の右翼所持品と思われるナイフは公安警察が拾ってバッグに隠して不問にしてしまいました。また2012年の<「危機」の時代の天皇制を問う!2.11反「紀元節」行動>では、未公表のデモ出発時間が右翼のブログに掲載され、デモコースも未公表なのにコース上で妨害右翼が待ち受けていました。デモ申請後に公安警察が情報をリークしたとしか考えられません。右翼暴力に乗じての弾圧も常に懸念されるのです。
首相や閣僚がどれだけ国内外から批判されても靖国参拝を続けるのは、権力者が支配体制を維持するための核心的行為だからです。靖国反対デモが右翼から凄まじい暴力を受けるのも、靖国への反対は権力者にとって「あってはならない事」になっているからです。「靖国神社への反対は死者への冒涜だ」「遺族や人々が個々の死者を追悼したい気持ちを踏みにじることになる」という批判がよく聞かれます。しかしこれは大きな事実誤認です。靖国神社は個別の死者を祀る場所ではなく、天皇のために死んだ者だけが選ばれ「英霊」と一まとめに祀られています。つまり死者を選別して個別性を奪い、国家のための死を優先し、私たちにそう思わせるのが靖国神社の機能なのです。それを通して戦前の戦争を正当化し、新たな侵略戦争で自衛隊員が死んだ際も活用されうるのです。
天皇制から安倍晋三まで、日本の権力者が戦前から継続していることは知られており、靖国神社はその核です。国家主義を極めている今の安倍政権下では、反対デモへの暴力と弾圧の危険性もより高まります。いわば現在の「8.15」と反対デモへの妨害は、原発事故の責任を取らず憲法改悪や貧者の切り捨てに突き進む安倍政権と日本国家の暴力的な本質と起源が、最も露呈する場だと言えるでしょう。だからこそ「8.15デモ」は今年もこれからも無事に大きく行われなければなりません。私たちは参加者としても「8.15デモ」への右翼暴力の停止を求めるとともに、多くの方々が暴力に反対することを呼びかけます。そして多くの方にご参加いただき、暴力や弾圧を止めながら問題の根源へ迫ることを、願わくば「3.11」原発事故後の酷い状況を変えたいと新しく社会運動に参加し始めた方々や、「在特会」らのヘイトスピーチに心を痛めてカウンター行動に参加し始めた方々にもぜひともに参加して頂くことを呼びかけます。
2013年8月13日 「8.15反『靖国』行動」参加者有志
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【東京】ゴメンだ!安倍政権 歴史認識を問う8・15反「靖国」行動
◆日時:2013年8月 15日 13:15開場 集会後デモ!
◆会場:全水道会館(4階)
JR水道橋徒歩3分、都営地下鉄水道橋駅上
http://bund.jp/modules/gnavi/index.php?lid=36&cid=4
◆お話:吉澤文寿さん
◆主催:ゴメンだ!安倍政権 歴史認識を問う 8・15反「靖国」行動
http://13815a.blogspot.jp/
【京都】第33回「8・15」を問い続ける京都集会
―「戦後レジームからの脱却」その行方を探る
跋扈する時代錯誤の国家主義をどう批判するか―
◆日時:2013年 8月 15日(木)午後 2時から
◆会場:日本キリスト教団 洛陽教会・地下ホール
京都市上京区寺町通り丸太町通り上がる(電話 075-231-1276)
京阪電車「神宮丸太町駅」から西へ5分 地下鉄「丸太町駅」から東へ10分
http://ticket-search.pia.jp/pia/venue/venue_access_map.do?venueCd=RYKK
◆パネリスト
菅 孝行さん (評論家)
小田原 紀雄さん (牧師、「今、憲法を考える会」)
新開 純也さん (反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと))
千葉 宣義さん (牧師、京都「天皇制」を問う講座実行委員会)
コーディネーター
仲尾 宏さん (京都造形芸術大学客員教授)
◆参加費:800円
◆共催:日本キリスト教団京都教区「教会と社会」特設委員会
京都「天皇制を問う」講座実行委員会
反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)
【茨城】原発と天皇制を考える八月
◆日時:2013年8月 18日(日)午後二時から
午後五時からはデモ!
◆会場:常総生涯学習センター 会議室2
関東鉄道常総線水海道駅徒歩五分
http://egaomap.seesaa.net/article/103775853.html
◆お話:「原発と天皇制――近代天皇制と〈非権力・無権力〉の思想の系譜」
友常勉さん(東京外国語大学教員)
◆主催:戦時下の現在を考える講座
http://d.hatena.ne.jp/godzilla08/20130804/1375613522
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RT @kousuke431: ブログ更新 » 右翼暴力の拡大を許さず!そして恐れず!8.15反『靖国』行動」へ - 旗旗 http://t.co/BHrWkqtyVd 会場で会おう!
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言葉が踊っていますね、
単に、事実認識が違う人たちが、お互いの感情のままに行動するとどうなるか、
よくわかる実例だと思います。
私は、この類の罵り合いに、正義など無いと思っています、
お互いに、自分は正しい行動をしていると、認識しているのですから、
戦争と同じく、自己と他の「正義どうしのぶつかり合い」の構図ですね。
この程度の紛争に対して、根本的な解決案の提示や、話し合いによる調整などを、
何一つとして、提案することが出来ないという現実に、
いわゆる、「運動」の限界を痛感しています。
そうですねえ、まず第一に、「言葉がおどっている」という点については、そうなのかな?と思いますし、そこは私の文章能力の限界だと思います。集会の前日に思い立って急いで書いたということもあると思います。それもこれも、とりわけ今年は例年に増して襲撃予告に悪質なものが多く、腹を立てていたということもあると思います。このあたりは素直に反省材料ではありますが、今回は多くの負傷者を出した2009年の状況が再現されかねないという予測があっただけに、不特定多数の方に理解を得るというより、すでに前提を共有している方への「檄文」口調に、あえてふってみたということもあります。
まあ、蓋をあけてみれば、襲撃予告の悪質さが完全に逆効果になったようで、むしろ右翼側はかなり人数を減らしており、逆に危機感をもった集会参加者は「安倍政権効果」もあって目に見えて増えていました。おまけに今年はマスコミも一定は注目する中、メンツを潰されることを恐れた警察側が機動隊を増員したこともあり、右翼側の襲撃は完全に不発に終わった印象です。これは私の贔屓目ではなく、当日妨害に来た右翼は実際かなり情けなく見えましたし、それもこれも大きく見れば、こういった在日外国人へのヘイトスピーチやデモ妨害といった自称「行動する保守」のあり方が、社会的にかなりの批判にさらされているという状況が効いているのだなという印象を持ちました。
ただ参加者側で言いますと、集会終了後に帰った方が大変に多く、デモ参加者は私が期待したほどには膨れ上がりませんでした。ですが、デモ襲撃の危険性が喧伝されていたこともあわせて考えますと、これはむしろ普段はこういう集会には来ないような層の方まで、今年は大量に会場に足を運んだということの証左だと思います。対して右翼側はネットでは相変わらずですが、街頭では今までの「殺せ」を「出て行け」に変えるなど、対応に追われているようで、それも今のところ目に見えるような効果は出ていないようです。
第二に、「運動の限界」という言葉自体はそこから私もいろいろ思い浮かべることがあり、そういう意味では羽賀さんと私でなにか共有なり議論なりできることもあるかと思います。きっと羽賀さんなりに、こういう言葉が出てくるようなことを見聞きしたり経験されたりしているのでしょう。ですが今回のような例ではそういうことは関係ないと思います。右翼側が襲撃をしなければそれでいいことだと思います。確かに例年にくらべて人的被害はありませんでしたが、プラカードの強奪や破壊は数件あり、かなり悔しい思いをした方もいます。これは無視していいことではありません。
第三に、第二の点とも関連しますが、この手の街宣右翼やレイシストの襲撃や暴力(もののたとえではなく言葉通りの意味)と、その被害者をならべて「罵りあい」だの「正義どうしのぶつかり合い」だの並列に扱うことは、決して公平でも中立でもなく、襲撃者の側に加担することだと思います。考えてもみてください。彼らは「日韓断行せよ!」などと言っていますが、だったら外務省なり首相官邸にいけばいいではありませんか。私(たち)がそれに対していちいち文句をつけることはしていないはずです。街宣右翼は韓国大使館などに行ってますが、これもたとえ不愉快だとしても、ギリギリ我慢の範囲内です。そういう彼らの「正義」なり「言論」の範囲内における「運動」に、私(たち)がそれを実力で潰してやるとか言って「襲撃」したことがあるのでしょうか?ところが彼らの今回の行動はまさにそれをやっているわけです。両者を同じにされては困ります。
もっと言うのであれば、「日韓断行」が「国益」にかなうというなら、まあもちろん批判はしますが、とりあえず一つの「意見」としてそれはそれだとしましょう。そういう主張を掲げて外務省なり韓国大使館にデモするのも、不愉快ではありますが「言論」として認めるとしましょう。ですが、そこでなんで新大久保や鶴橋の焼肉屋のおばちゃんを、いい年した大の大人が大勢で囲んで吊るし上げるのですか?なんで小学校の運動会に押しかけて、それを楽しみにしていた子供たちに、「キムチくさい」だの「スパイの子」だの暴言を浴びせて泣かせるのですか?その正当化理由は、その人たちの国籍はともかく民族が朝鮮(だろう)からということです。なんでこの人たちが「殺せ」とか言われなくてはならないのでしょうか?朝鮮人には何をしても言ってもいいのでしょうか?これは絶対に容認できません。そんなの「話し合い」だの「調整」だのの余地など皆無です。ただやめさせるしかありません。
もちろん、一つの論点として、こういう許しがたい差別行為(レイシズム)は国家主義(ナショナリズム)の「病理現象」にすぎないのか?それともレイシズムはナショナリズムの「必然的帰結」であるのかという点があります。私は左派なので「必然説」にたってレイシズムと対決することになりますが、右派は右派なりに「病理説」にたって「在特会」と対決すればいいと思います。もちろん当面はどちらの説にも立たず、ただ「差別はやめろ」と言うこともできますし、かつて私はそれもアリかなという立場でしたが、そういう人たちがいつのまにか「差別者を差別する」ような歪んだ物言いをするのを見聞きするというか、要するに羽賀さんがおっしゃるような(第三者から見れば)ただの「罵りあい」みたいな様相を呈することが多いように思えて、やはり差別問題をちゃんと考えることは大切なのだと痛感しているところではあります。
何が言いたいのかといえば、「必然説」に立つ私にとっては「左右の対立」でもあるわけで、私はこのエントリのようにそういう側面からものを言いますが、同時にこの問題はそれだけではない、仮にも民主主義を掲げる社会にとって、すべての人につきつけられた、「左右を超えた問題」という側面があるのだということです。
羽賀さんのおっしゃりようは、まるで、縄張りを広げようとする暴力団と、命がけで暴力団追放運動をする住民を、「お互いの利害の対立」みたいにどっちもどっちだと言っているようなもので、到底承服しがたい論理だと思います。
デモや糾弾を行うときの、熱に煽られてする行動というのは、
たいがい、人権を擁護する立場の人々とは思えない醜さと、セットになっています、
自己の反省も含めてあえて書かせていただきました、
言うまでもない事ですが、みなが草加様のように、賢い人ではありません、
この問題を全て「人種差別」に絡めて語ることには、大きな落とし穴がある様な気がします、
誤解は百も承知でかきます、右派や左派、国家主義や民族主義など、難しい理論が先にあるのではありません、
相手を嫌う、あるいは憎むような情報が先にあり、
それが元になって差別(日本人に対する逆差別も含む)があると思うのです、
根本的な問題は、その元になる情報が「真か偽か」なのです、
相手が何に対して怒っているのか、何に対して攻撃を行っているのか、
これを、あやふやにしたままではいけないのだと思います、
それこそ、攻撃してくるから反撃する、の憎しみの連鎖になってしまいます。
これは、片方の擁護でも何でもありません、
行動をともなう運動をする人達は、糾弾する対象の「理屈」あるいは「理由」をよく聞いて、
何が問題になっているのかを追求し、その誤解を解こうとする姿勢が大切だと思います、
仲間が攻撃をうけたから攻撃をやり返すというメンタルだけでは、
心がささくれ立ち、悲しみや怒り、後悔しか残らないと思うのです、
少なくとも、韓国人だから、朝鮮人だから、日本人だから、
という「理由のみ」で「最初の攻撃」が始まる事などありえません、
そこに至る、情報の連鎖が必ずあるのです、
理不尽な差別は、間違った情報から起こるのです、
繰り返しになりますが、やられたからやり返すという行動 だけ では、
どっちもどっちで、終わってしまいかねないと思うのです。
またまた横入りします。許してください。
行動をともなう運動をする人達は、糾弾する対象の「理屈」あるいは「理由」をよく聞いて、何が問題になっているかを追求し、その誤解を解こうとする姿勢が大切だと思います。
私も全く同感です。また、
相手を嫌う、あるいは憎むような情報が先にあり、それが元になって差別があると思うのです。
というのも実際あると思います。羽賀さんがよくご存知の例を敢えてあげさせていただくと、
「同和地区の人は怖い」というデマ。そしてそれを裏付ける「私の父の友人はタクシー運転手をしていましたが、ある時止むを得ない理由で乗車を断りました。ところがその相手がたまたま同和地区の人だった為に、その人の会社は『差別を許さない』という同和地区の人達によって糾弾を受け、父の友人は会社を辞めざるをえませんでした」という「よくある話」。などです。
恥ずかしい話ですが、私が住んでいるのは部落差別がいまだに激しい土地です。それもあって、私の周りでは、私の身内も含めて、こうゆうデマを信じている人が結構たくさんいます。
「在特会現象」でいうと、「韓国や中国で、デモ隊が日の丸を踏みつけたり燃やしたりしているのをみて腹が立った、許せないと思った」というのがあります。
この場合、確かにデモ隊は日の丸を踏みつけたり燃やしたりしています。しかし、そもそも何故彼らがこんなことをしたのか?とか、こうゆうことをしている人達が韓国や中国でどうゆう立場の人か?そして、こうゆう行動は、韓国人や中国人のうち、どれくらいの人がしているのか、支持しているのか?という肝心の情報が抜けていたら、やっぱりデマの一種と言えると思います。
しかし、これらの例も、「同和地区の人ならやりかねない」とか、「日の丸はとても大切なものだ」という価値観が先にあってはじめて、これらの誤った情報が、人々を差別に向かわせるのではないでしょうか?
で、ここからが本題なのですが、「在特会現象」の中には、いわゆる「持つものたち」によって、散々「酷い目」に遭わされてきたようにように思われる「持たざる人たち」がかなりいる。このことについて私には、私の経験から、思うことがあります。
前にも書かせていただきましたが、どうやら私は「生まれつき、身体を使う能力や他の人の気持ちを察する能力が、普通の人より低い」みたいです。だから子どもの頃いじめられました。
ところが、いじめる方が悪いとは思わず、いじめられるのは自分が悪いからだ、と子供の頃は思っていました。そう思うに至った原因はいろいろあるのでしょうが、その当時、その土地を支配していた価値観に取り込まれたというのが大きいように思います。具体的に言いますと、イジメを我慢できなくなった私が両親に訴えたとき、父は「そんなことを気にするのは男じゃない」といい、母は「お前も悪い。直しなさい。イジメられないようにしなさい」と言いました。「みんなと違うのは悪いことだ」と何となく思っていた当時の私は、これらの意見を受け入れました。そして、ただただおとなしくしているように努めていました。
高校生になると、小学校・中学校のクラスメートたちと別れ、新しい人たちに出会いました。そしてその中に、子供の頃の私のような「とろい(身体能力が低い)くせに、自覚なく周りに不愉快な思いをさせる(人の気持ちを察するの能力が低い)輩」がいました。そして、そいつは、そんなふざけた奴だったにもかかわらず、誰にもイジメられませんでした。心底腹が立ちました。許せませんでした。
続きます。
私がその彼を許せたのは大人になってから。どんな理由があっても人をイジメる理由にはならない。相手が不愉快なことをしてきたら、まずは自分が不愉快に思っていることを相手に伝え、何故そんなことをするのかを話しあうのが筋だ。ということに気づいてからでした。
もちろん、これは経験を根拠とした私見にすぎません。ですが、差別をしている人たちの言い分や、彼らがどうして差別する相手をあそこまで烈しく憎むのかを思う時、どうしても前述したような「構造」がその根底にあるように思えてなりません。
もう一点思うことがあります。それは、差別をする人たちが「(彼ら自身を)最弱者認定」しているのではないか?ということです。自分は世界で最も弱い(或いは、不幸だ)と思っている人間が、自分より強い(或いは、幸せだ)と認定する奴らが、その強い力で「ズルをしている」と信じた時にどうなるか?許せない!となるのでは?そして「不正を糾すために立ち上がり、闘う」と、真面目な人・正義感が強い人ほどなるように私には思えます。
ただ、何故、いわゆる「恵まれない普通の人」が、本当は彼らより社会的に弱い立場の在日の方や同和地区の方や、更には障碍者の方を「強者認定する」のか?というと、それはやはり、羽賀さんがおっしゃるところの間違った知識(無知も含みます)によるものだと思います。
差別する人たちの中には、前述のような「間違った価値観に絡め取られている人」を、全て分かった上で「組織して、踊らせている」、差別があることで「得をする」立場の人もいるのかもしれません。本当に許せないのは、そうゆう張本人ではないでしょうか?
とはいっても、ドンな経緯で差別されているのか?などという分析より、差別行動を止める・やめさせることが優先すると思います。まずは、差別されている人たちを助けなくてはならないと思います。
最後に、政権 対 市井の個人 のような圧倒的に力の差がある場合に、圧倒的に弱い方が主張する場合を除いて、「やられたら、やり返せ」という方針には私も違和感を持ちます。
それは、私をイジメたK君が「S(私です)が僕の友達に嫌な思いをさせていた。だから懲らしめてやった。僕は何も悪いことはしていない」と言っていて、結局最後まで自分の非を認めず、何のお咎めも受けなかった。という経験を私がしているせいかもしれません。
長文失礼致しました。
歪んだ教育、歪んだ愛国心、歪んだ民度
もううんざりや
国民はちゃんとこの国を愛しているんか?
ただ仮想敵国に煽られた反動でナショナリズムを掲げてるとしか思えへん
ほんまに愛国心持ってる奴なら原発推進、アメリカ追従なんて絶対ないわ
kusama様へ
日本でも、韓国でも、どちらでも成り立つ文章ですね、
ちゃんとした愛国心とはなんでしょう?
差別と関わりのある事ですか?
なぜ、靖国いくだけで戦争美化なの?この国のために命落としたひとたちに祈りをささげ、不戦の誓いをするのが、そんなにだめか?むしろ15日に安倍さんがいかなくて残念だ!