とりあえず思いつくまま。
「この言葉もわからん」というものがありましたらコメント欄まで。
「とある大学」のダジャレです。都立大学のことだと思っていた方がおられたので念のため。
場所については別にゲームとは直接関係ないので、一応は「東京都でも千葉県でもない某都市」ということでお願いします。まあ、私にとって思い入れのある風景や地名・店名が随所に出てきますので、わかる人にはわかると思いますが。
●荒さん
当時の戦旗・共産主義者同盟の議長、荒岱介さんのこと。公安や仲の悪い組織の人は、私たちを「荒派」という蔑称で呼んでいました。要するに「党首」なんですが、当時はまだ30歳代の方でしたし、私たちも「対等な同志の中の長」という認識で、このように冗談のネタにしたりして遊んでました。
余談ですが、私たち若いメンバーにとっての荒さんは「雲の上の偉い人」でもなく、かといって単に「選挙で選ばれた人」という割り切りでもなく、何というか、「魁!男塾」の剣桃太郎とでも言ったらわかりやすいか(古!)。荒さん自身が早大野球部出身で、今でも筋力トレーニングを欠かさないという変り種左翼だったこともあり、組織全体がスポーツ好きでものすごく体育会系ノリなのが私たちの特徴だったわけです。
●M君
戦旗派の若いメンバーだった実在の人ですが、組織内でつきあった女性が十指に余る「女たらし」として有名でした。特技は田原俊彦の形態模写。ところがこの人、明るい性格のせいか、不思議と女性からも男性からも嫌われずに、むしろ好かれることが多かった。もちろん能力もあったのでしょう、学生戦線の責任者にまで抜擢されます。その後もいろいろあった人ですが、ゲーム中では単なる「名物メンバー」としての扱いです。
●トロツキスト / スターリン主義者
単なる罵倒語ですので、ゲーム中においては「このアホ!ボケ!カス!」くらいの意味にとっておけば充分です。
一応解説しておきますと、トロツキーとは、レーニンの片腕としてロシア革命を成功させた革命家・政治家です。レーニン存命中はスターリンをしのぐ有力者でしたが、レーニン死後に実権を握ったスターリンによって国外追放されます。
スターリンはむしろ穏健で無難な人物と見られていたようで、そのことが幸いし、強力な個性とレーニンからの重用で古参幹部の反発を買うことも多かった新参のトロツキーをしりぞけ、レーニン後継になります。ところが実権掌握後に同僚や古参幹部を軒並み銃殺。私達の知っているような官僚制国家を作り上げます。
トロツキーはそんなスターリンを亡命先から批判し続け、対抗組織(第四インター)を結成しますが、彼もスターリンの放った刺客によって殺害されてしまいます。一方でスターリンはトロツキーを「左翼の仮面をかぶった裏切り者のスパイ」と呼びました。
それで、ソ連を擁護する人は、私たちのようにレーニン主義の立場からソ連・中国などを批判する左翼を、その実態はどうあれ一括して「トロツキスト(トロツキー主義者)」と呼び、逆に私たちは彼らを「スターリン主義者」と呼んでいたわけです。
●「覚悟しとけ!俺たちには『権力』があるんだからな!」 / 「税金でおごってあげるから」
どうせネタだと思われてるんでしょうが、実際にあった発言です(笑)。
●共産趣味者 / 葉寺覚明
共産趣味とは、主に戦後新左翼を観察(『研究』ではないことに注意)対象とするオタクの一ジャンル。左翼の行動パターンやヘルメットなどの格好を「古典芸能」と呼んでパロって遊んだり、今では入手困難な左翼関係の文献や資料を「古文書」と称して、苦労して蒐集・分類し、仲間同士で見せびらかしたりする。全く興味のない人にはどこが面白いのかと思われるだろうが、それは他のオタクジャンルでも同じことだろう。
葉寺覚明さんは実在の人物で、この分野では草創期からの超有名人。どちらかと言えば、左翼の行動のパロディ遊びよりも資料蒐集に定評があり、本物の共産主義者をして「何でお前がこんなもんまで持ってるんだ?!」と言わしめたり、左翼の発言の間違いを訂正することすらある。ただし本人はどちらかと言えば右寄りの人(らしい)です。ゲーム中では、本人がコスプレ実写と声優で特別出演しています。
●ニャンケ
1)戦旗派の三里塚現地闘争本部(「横堀団結の砦」)で飼っていた実在する猫の名前。すでに死亡。
2)実在する元戦旗・共産同活動家のハンドルネーム。現役活動家当時から、組織活動にはなじまない非常に独特な人。2ちゃんねるの戦旗派スレにこのハンドルネームで常駐し、相変わらずの独特さを発揮したことから、元活動家の間で有名人になった。
なお、葉寺覚明さんとニャンケさんについては、2ちゃんねるの同スレにおいて、「葉寺とニャンケも登場させようぜ!」という話になり、本人も含めて盛り上がった末の特別出演となりました。シナリオとシステムがほとんど完成した後だったので、ねじこむのに少々苦労しました。
●オルグ
「組織化」と訳する。ゲーム中でこの言葉が出てきた時は、『政治に関心を持っている人と個別に討論し、運動や組織に勧誘すること』くらいの意味に思っておけばいい。しばしば「オルグる」のように動詞化して使われることも多い。また、オルグされている人のことをオル対(オルグ対象)と言い、「○○を通じてオル対を発掘しよう」のように使われる。オルグする人のことを名詞形で「あの人は○○のオルグだ」と言ったりもする。
登場人物の行動パターンを理解する上では、大変に重要な言葉であり、正確には『大衆の漠然とした不満や怒り、疑問、不安などに、宣伝・扇動・暴露・説得などを通じてちゃんとした形と方向性を示し、人民大衆が政治に力を持てるようにまとめあげていくこと』。つまりオルグこそが「党派のお仕事」の基本であり、すべての活動はオルグにはじまりオルグに終わる。つまり党派活動というのは、その全過程がオルグです。
そして、大衆をオルグすることによってのみ逆に党が大衆から学び、自分たち自身もオルグを通じて成長・変化していくことができる。また、そうやって相手から学んで自分も変わらなくては相手を変えることもできない。相手を否定して自分の思った通りに変えることがオルグの本質や目的ではありません。そんなマルチ商法の勧誘みたいなセールストークで作った組織なんて、ちょっとした一撃ですぐに潰れるでしょう。
組織内の会議や学習会だって上級から下級へのオルグだし、意見の不一致は打撃的な論争ではなく、相手へのオルグによって解決していく。私たちはどんな場面でも、365日24時間、寝てもさめてもオルグのことばかり考えてすごしていた。
●パイにする
逮捕しないで、そのまま放置すること。または逮捕後に釈放すること。
重傷者はめんどくさいので、袋叩きにしてぐったりしたところを放置されることも多かった。
●樺(かんば)さん
60年安保闘争のデモに参加して、機動隊に殴り殺された樺美智子さんのこと。その当時はまだデモ隊がヘルメットをかぶっていなかったし、角材すら持っていなかったために、機動隊に殴られ放題だった。
また、樺さんは私たちにとって社学同の大先輩でもある。命日は6月15日で、60年安保闘争が最大に高揚した日でもある「6・15」は、反代々木系新左翼にとっては、思い入れのある記念日の一つです。
●赤ダニ
革マル派用語。赤ヘルメットのブント系党派のことを指す罵倒語。同じく彼らは白ヘルの中核派のことをウジ虫、青ヘルの解放派のことを青虫と呼んでいる。これでは討論以前の問題である。
と言うのも、革マル派は自分たち以外のすべての左翼党派を反革命規定し、世界中の左翼で自分たちだけが正しいことを言っている希望の星だという妄想に取り付かれた超唯我独尊党派なんである。
それだけならまだいいが、だからまずは国内の自分たち以外の左翼党派を実質的に根絶やしにして糾合しいく過程こそが、権力との闘いなのだという、事実上は右翼みたいな、世界に類を見ない珍妙で凶暴な党派になっている。しかもこういう宗教じみたところのほうが、運動の衰退期にも変に人数を維持し続けるので、いろいろと大変なわけなんだな、これが。
●黒田哲学
もともとは黒田寛一というマルクス主義哲学者が構築した哲学の体系のこと。戦後の左翼運動や、多くの青年に多大な影響を与えた。
黒田哲学は一応は閉じた体系として完成しており、その内部では世界を矛盾無く説明できる。だから外から部分的に批判したり、あるいは導かれる結論のおかしさを指摘することは簡単でも、そのこと自体が黒田哲学の回りを回る衛星にすぎないことになる。体系全体を批判するためには、別の哲学体系(世界観)を対置せねばならず、これは言うほどたやすいことではない。逆にこの体系にはまってしまうと、なかなかそれ以外の見方ができなくなる。
黒田寛一は、ブント結成と同じ頃に共産党系の学者やその学習会サークルを母体に結成された革共同に参加。最初は極少数派だったが、崩壊した一次ブントを糾合することで一気に拡大。今の中核派の元となる。その後の何度かの分裂の後に、完全な黒田寛一派として純化したのが革マル派。だから黒田哲学と言えば「革マル派の教義」という意味もある。同派を見ていると、黒田さんは哲学者としては一流だったかもしれないが、政治指導者してはわがままで頓珍漢な独善的トンデモさんだったと思わざるを得ない。
●『ヘゲ・マル』
黒田寛一が若い頃に書いた初期の著作「ヘーゲルとマルクス」のこと。その前書きで、大意「自分はかくかくしかじかで、こういう問題に取り組んだが、自分にはまだ何もわかっていない。ここにあるのは未だ、ただの”残骸”にしかすぎない」みたいなことを書いている。若き哲学者としての苦悩がにじみ出た、好感のもてる文章で、この「前書き」にやられちゃった人も多い。
「ヘーゲルの絶対精神」については、ネットで検索すればいくらでも出てくるので略。黒田はこの本で、この絶対精神を物質(という概念)に置き換えている。
●「権力の謀略論」
革マル派の中心的な主張のひとつ。反革命のはずの他党派が、自分たちよりも権力とのゲリラ戦を闘いぬいたり、「我々の攻勢の前に完全に解体した」はずの中核派から襲撃されて死傷者がでたりと、主張に矛盾が出てきたことを説明するために編み出された。
それによると、革マル派に対する内ゲバ襲撃は、実は「革命のヒドラ」である自分たちを潰すために、警察官が中核派のコスプレをして革マル派を襲撃している(!)というのだ。数々のゲリラ事件を引き起こしているのも、実は警察内部の特殊部隊の犯行であり、中核派や戦旗派などは、警察の命令を受けて、それを自分たちがやったように「追認」しているスパイ集団だというのが、彼らの主張である。
これを主張している本人たちが、はたしてこのバカバカしいお伽噺を、どれだけ自分で信じている言っているのだろうかという疑問を、誰しも一度は思ったもんだった。
●「イデオロギーが存在を規定する」
マルクスが「ドイツ・イデオロギー」(通称:ドイデ)の中で提起した、「存在が意識を規定する」という、マルクス主義における重要な概念(アイデア)の一つから出発して、あーだーこーだと議論は続くわけです。
とりあえず、あんまり私に難しいことを聞くな!(笑
●食当
まんま「食事当番」のこと。アジト生活でも最初はバラバラに食事していたが、ある頃から夕食は食当制に移行。もともとは生活上の必要性からだったんだけど、だんだんとアジトの組織性の中核になっていった。これは中央本部でもやっていて、もちろん荒さんも含めて全員が平等に分担した。いわば「同じ釜の飯」を食った仲間というわけで、体育会ノリを助長するのにも大いに貢献した。
ちなみに旧ソ連や北朝鮮を見ればわかるように、スターリン主義左翼は党が官僚化すると食事で差をつける、幹部になるほど豪華な弁当が出てくるなんてことがあるが、新左翼系はどれほど党が官僚化・独裁化しようが、なぜか「食い物の平等」は最後まで守られるという伝統(?)があるようだ。
ただ、しょせんは食うものに困ったこともないし、育った環境も地域も好みもバラバラな現代っ子(死語)の集団であるからして、そこには様々なドラマと軋轢と激しいカルチャーショック、そして衝突や妥協が、数え切れないほどあった。元同志諸君は語りだせば誰も一つや二つは思い当たることがあるだろう。
まあ、このへんは、「今となってはいい思い出」と言えるレベルの話だし、人間関係などでいろいろと得がたい勉強をさせてもらって、人間の幅も出たと思います。読者はきっとくだらないと思うだろうが、食べ物の問題って本当に大事だし、一見ささいなことでも「食べ物の恨みは恐ろしい(=感情的に尾を引く)」ということを思い知ったよ。
※仕事と会議でくたくたに疲れて、食事だけを楽しみに帰った私に「はいっ」とにこやかにボンカレーのパックを手渡したO君。今でもあの時のショックは忘れられない。目が点になったわ!
●情宣
「情報宣伝」の略。要するに、街頭や学園でビラまいて署名とって話し込んで、オルグ対象を発掘すること。
●『理戦』 / 『スタ克論文』
「理戦」は戦旗派の理論機関誌である「理論戦線」の略称。「スタ克論文」とはそこに掲載された戦旗派の主要論文のひとつ。正式名称は「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」。なお、こちらで全文が読めます。
スターリン主義の根本は、資本主義ブルジョアイデオロギーの上にマルクス主義を接木した「革命運動の疎外形態」であるのだから、ソ連などのスターリン主義を、自分たちの外にある打倒対象として糾弾する「反スタ」(だけ)では足りず、日本共産党や革マル派のように、自分たち自身も彼らのようになる可能性がある問題としてとらえかえすべきだという「スタ克」の立場を整理したもの。
この論文は、いわば「悪いことはやめよう」という精神的な原則論ではなくて、最初は穏健でもっともな主張をしていたスターリンが暴虐化していく過程を追いながら、「なぜ人(左翼)は悪いことをしたくなるのか(しかも本人は良いことをしているつもりで!)」にまで遡って考察されたもの。日常においては、いわば活動家の良心回路、自己批判の回路として作動した。今でも私の人生に大きな影響を与えている文章の一つです。
●民青 / ゲバ民
民主青年同盟。共産党の指導下にある青年同盟。ずいぶんと苛められました(笑
「暴力反対!」とか言いながら、それは右派に対してだけであって、私たちのような左派には平気で殴りかかってくる。「この暴力集団め!」とか言いながら殴るということが、いかにマンガチックか、本人たちだけが気がついていないようだった。
彼らの中でも、平気で殴りかかって暴力的に対立党派を潰そうとする人や支部、あるいは暴力専門部隊として、新左翼や全共闘が強い大学を渡り歩き、組織的に派遣されるような部隊や支部は、通称『ゲバ民』と呼ばれて恐れられていた。革マル派が一人、ゲバ民に殺されているし、「突破者」の宮崎氏は、学生時代はゲバ民だったという。
日大全共闘を潰すために、深夜2時にヘルメットと角材で武装した2千名(一説では1万人)のゲバ民部隊が急襲したこともある。とにかく左派に対しては加減というものがない。京大では右翼体育会と共闘し、実際に全共闘のストを壊滅させたこともあるくらいに強かった。ここまでくると、ほとんど「民間機動隊」である。
ただ、ゲバ民部隊出身者の多くは、新左翼運動が衰退すると用済みとなり、むしろ共産党内部でも「やっかいもの」や「鬼っ子」みたいな位置に追い込まれて、党を離れていく人が多かったということで、そのあたりは同情しています。とにかく、すべての人が恩讐を超えて幸福であってほしいです。
●スタ官
「スターリン主義官僚」の略。左翼のくせに(←ここ大事)、下部メンバーや大衆の人間性を尊重して、内容の正しさでオルグするのではなく、組織的に上級であることや、前衛党のメンバーであることだけを根拠に、命令的に接するような尊大な人。あるいはそういう態度のこと。
自分が先頭にたって苦難を引き受けることなく、人に命令だけしようとすると、たちまち他のメンバーや下部からこう呼ばれて突き上げられた。つまり「出世」するほどしんどくなるし、それが当然であると考えられていた。
●『過渡革』
「過渡期世界の革命」の略。荒さんが若い頃の代表的著作。過渡期世界論はブントの理論的な特徴であるが、荒さんの著作は、当時のペンネーム(日向翔)をとって「日向過渡期世界論」と呼ばれた。
●宇野弘蔵
日本を代表するマルクス主義経済学者だが、自分は「マルクス主義者」でも「社会主義者」でもなく、政治にもかかわる気はないとしている。マルクスの著作は学問としては政治主義的な不純物が多いとして、これらの「不純物」を取り除いた、完全な『資本主義という経済システムの解明』を完成させることに生涯を費やした。
宇野のこの立場には異論もあるが、たとえば共産党員の学者などは、党の見解が変わるとそれに引きずられざるを得ないという気の毒さがある。学者としてのフリーハンドを確保するには、政治と無縁でいるのはやむを得ない選択でもあった。
宇野はマルクス主義経済学者にありがちな、「マルクスに心酔して彼を擁護している人」ではなく、それを元に自分の体系を作り上げることに成功した人だった。マルクスを教条的に信奉する立場からはうまく説明できなかった点も含めて、マルクス主義の立場から、矛盾無く現代の資本主義を説明できるようになった功績は大きい。が、その著作は、一般に初心者には難解とされている。
●「獅子はうさぎを倒すにも全力を出し切る」
戦旗派が中核派の三里塚方針を批判した時、中核派が自分たちよりも勢力の小さい私たちを侮蔑して発した「内ゲバ恫喝」宣言の結びの言葉。到底マルクス主義者の言葉とは思えない。
●『闘労』(「闘う労働者」)
戦旗派の内部向け機関誌。中程度の機密(一般には公表しないが、権力や対立党派に見られる可能性もあることを前提に執筆する)扱いで、すべてに通し番号がふられ、アジトの外には持ち出し禁止、メンバー全員で読み合わせた後は、一定期間後に焼却された。
●須美論文
当初は「闘う労働者」に掲載された、女性解放論文。同志全員に対する提起でもあり、その後、この論文をめぐって、「闘労」を通じ、女性問題に関する意見交換や議論が続けられた。それらをふまえ、後に「理論戦線」に掲載されて、一般にも公開される。
それまで女性論の少なかった戦旗派の、この問題に関する出発点となった論文である。
●「女性を物象化して観ないで!」
うーん、まあ、「物あつかいするな!」ということですね。たとえ男が「お前を愛して大切にしているんだ」と信じ込んでいるとしても、女性を自分の下にある所有物のように扱っている心情の現われということもあります。そしてそれを喜ぶ女の存在によっても、かかる女性差別は温存助長されていくわけです。一方的に「男性社会」だけを変えるなんてことはできません。女性の側も覚悟を持って変わらなければ。それが戦旗派的な発想なんです。
で、なんと言いますか、こういう関係は、別に男女問題に限らず、たとえば資本家は労働者を、政治家や官僚は人民を、先生は生徒を、それぞれ物象化してものを考えがちなわけです。そして自分が奴隷であることを喜ぶ人がそれを支えているという構造です。「おこぼれなんていらない。そのかわり、この鎖をはずせ!」と言える自分でありたいものです。
♪わたしたちの 望むものは
♪与えられる ことではなく
♪わたしたちの 望むものは
♪奪いとること なのだ (岡林信康 :「わたしたちの望むものは」)
●『前進』
中核派の機関紙。最盛期には当時の社会党機関紙である「社会新報」を上回る発行部数を誇っていた。実際、対権力実力闘争を最も果敢に闘っていた時代の新左翼総体には、それだけの大衆的な支持があったということ。解放派単独で臨んだ参院選でも、候補者が全国区で次点にまで肉薄している。その後の内ゲバや連赤事件などがなくて、「左の左」による共同戦線があったと仮定すれば、おそらく最終的には国会にも5議席くらいはいけたと思う。
●『世界革命』
第四インター派の機関紙。党派の機関紙なんて、その党派以外の人が読んでも面白くもなんともないのが普通だが、この「世界革命」だけは、本や映画などの文化欄や、読者からのお便りコーナー、各国の第四インター支部からの配信記事など、(左翼の人なら)情報誌として普通に面白く読めた。
インターは内ゲバの激化で新左翼運動が総体として支持を失っていく中で、「内ゲバ主義反対」を掲げて急速に成長し、中核派に対抗する勢力にまでなった。運動全体に責任を持って牽引するべき位置にいる中核派が内ゲバにのめりこみ、対立する無党派大衆にまで恫喝的な政治を行ったことで、中核派の軍事力を恐れないインターに期待する人が多かった結果である。
●『解放』
解放派の機関紙。だが、実は革マル派の機関紙も「解放」という名前だった。まぎらわしいので、一般には「青解」と「マル解」と呼んで区別していた(解放派のヘルメットは青色)。
●「人民必勝不敗」「刻苦奮闘」「自力更生」
根性、根性、ド根性、というわけで、戦旗派活動家の合言葉でした。しかしほんま体育会系やな。
●イカロス
中核派が開発した、ゲリラ戦用の迫撃砲。威力が大きく、射程距離も長いので権力に脅威を与えますが、そのぶん命中精度が犠牲にされ、10メートル以上の誤差で民家にとびこんだことも。
私たちはゲリラ戦とは、政治的な宣伝戦なのだから、与えた被害の大きさを競っても仕方がないし、射程距離や威力ではなく、命中精度こそが命なのだと考えていました。
当時はこの言葉の区別なんてあんまりしてなかったけど、最近の風潮に迎合して使い分けるならば、やはり「ゲリラ」と「テロ」は全然違うものなのです。
●M22
戦旗派が開発した、ゲリラ戦用の迫撃砲。威力としては「先っぽに火炎瓶がついた棒」のようなものでたいしたことはなく、射程距離も短いですが、命中精度の向上に徹底的にこだわったのが特徴です。射程距離の短さは、危険を犯してでも厳戒態勢の内部にまで侵入し、そこから発射することでカバーします。
しかもこの方法で、皇居・アメリカ大使館・首相官邸などの中枢に、次々とピンポイントで連続して命中させ、なんらの実被害はなかったにもかかわらず、マスコミなどにも大きな衝撃を与え、権力を震撼させることに成功しました。
●カチューシャ
戦旗派が開発した、手製の火炎放射器。とにかく射程が長い。直系数十センチほどの火柱が、何十メートルも先までズバーッと伸びて到達する。テレビで見た時は「よくこんなすげえもんを自分たちだけで作れたな!」と、正直びっくりした。こんなのマジ危なすぎて、時限式が基本のゲリラでは使えない。本当に「テロ」になってしまう。籠城戦専用の武器だろう。
実際、多大な犠牲を払って開発されたにもかかわらず、使用されたのは、後にも先にも「横堀団結の砦」での籠城戦一回こっきり。機動隊を威嚇して近づけないために使われた。そしてもう二度と使われることはないだろう。砦戦のためだけに開発されたようなものというか、カチューシャをお披露目するために砦戦が戦われたようなもの。全国放映されたことで使命を終えたと言えるだろう。
番外1:「掲示板がネットウヨに荒らされてる」
「この当時にパソコンなんぞブルジョアしか持ってない」「インターネットなんぞない」というご指摘をいただきました。
……えーっと、……あ、そうそう、MSX(若い奴は知らんだろうな)は2万円くらいで売っていました。アジトにもありましたよ。それと、一部のワープロ専用機でニフティサーブなどの「パソ通」が普通にできました。きっとそれでやってるんですよ。私もやってましたし。いやー懐かしいなあ。電話代が月に5万円超えたことがあったっけなあ。あはは(汗
番外2:出町ふたばの豆大福 / 都麗美庵の幻のアンパン
お近くにおいでの際は是非。後はノーコメント(笑
番外3:存地下の学食
存心館の地下の学食は大きいし、夜遅くまで開いているので便利なんですけれど、ラーメンとかうどんとかの麺類のメニューがないのが寂しいんですよね。いや、わかる人にはわかるということで…。
番外4:「ごめん。私、どうしても同志としてしか見られないよ」
「M君」の逆をいく、戦旗派のフーテンの寅さんことニャンケ君が、女性メンバーに告った時に実際に言われたセリフ。
番外5:「あ、焼き芋屋の岸さんだ!」
集会場で20年ぶりに偶然再会した時、「いつも『旗旗』見てるよ!」と言われ、びびってゲームからこのセリフを消していた時期あり。今は復活させていますが、まあ気がつかないだろうな。後はノーコメントということでおながいします。