[スポンサーリンク]

自分の政治的位置を知る(1)

図1-A
以前に「左翼は助け合わない」というエントリーでちらりと紹介しましたが、「太陽に集いしもの」さんが「新説”右””左”の分け方」という面白い説を唱えておられます。「右左の基準を、精神構造の左脳重視か右脳重視かという座標軸で分類すると、驚くほどすっきりした分類ができる」というのです。

それによると、左(脳)派は物事の評価基準を、機械脳である左脳領域中心に行う機械的合理性を重視する派で、人間の創りだす科学で万物を掌握できるという前提に立っています。唯物史観、損益功利主義、法治主義、機能主義、物質価値志向などがその例。
一方で右(脳)派とは、物事の評価基準に、右脳領域に属す感性を多分に加味する人々のことであり、人間の考えれるものは不完全なものという前提に立っています。人間としての感性を重視して、論理構成しようとする派であり、人物史観、精神至上主義、啓蒙主義、裁量主義、人道主義、精神価値志向がその例としてあげられています。

この分類でいくと、中国共産党などのスターリン主義左翼と、機能主義のネオコン、それに追随する属米ホシュ、さらに「反左翼しか根源的アイデンティテイがない」ネットウヨクが、そろって仲良く「左派」に座ることになります。そして三島由紀夫と全共闘などの「義理人情型新左翼」は「右派」に並んで分類されてしまう。

「太陽に集いしもの」さんは、これで「おさまりがよくなる」「結構本質的な分類ができる」とされておられますが、実は私もそう思います。かつて東大全共闘が三島由紀夫との討論集会において、三島に「諸君らがたった一言『天皇陛下万歳』と言ってくれれば、私は諸君らと連帯できる」と言わしめたことを思い出させます。

こういう分類が説得力を持ってくるというのは、現在の政治的・社会的対立軸が、旧来の右翼・左翼を軸にして展開されていない、もう少し別の対立軸があるように思われるからでしょう。その対立軸の一つを示したところに、「太陽に集いしもの」さんの分類が、すっきりした印象を与えているのだと思います。

しかしちょっと待ってください。もし「義理人情型新左翼」が三島由紀夫のような「サムライ右翼」と共闘して、あれよあれよと権力を奪取してしまったと空想します。さて、そこでどんな「政策」がとれるんでしょうか?外交分野(たとえば対米・対北朝鮮政策)なんかではわりと一致できそうな気がしますが、国内の経済・社会政策なんかではどうでしょう。

つまり社会の不正への憤り、人間存在への深い愛などは共有できて、ともに「反権力」では一致できたとしても、やはり「自分ならこうする」という所での「左脳的分野での一致」もなくては、やはりそれは野合になってしまいます。権力奪取を目指さない不正義との闘い、反権力の「抵抗闘争」で共闘が可能と仮定しても、いったい何が共通しているのか、何が違うのかをはっきりさせておかないと、そもそも共闘できるかどうかもわかりません。共闘原則が「人間愛」だけでは、評論としては面白いがやはり万人を納得させる政治たり得ません。

そこで「壊れる前に…」さんが、ずっと以前のエントリーで紹介されていた「The Political Compass」という英文サイトにある「あなたの政治的傾向を数値化するテスト」を思い出しました。

このエントリーの最初にある「図1-A」がその数値化のグラフです。この「数値化」という左脳的発想のグラフに、「太陽に集いしもの」さんの分類法による右脳的発想を加えて解釈することにより、かなり私達の感性に近い分類ができるのではないかと思います。それに自分の政治的傾向を客観的に知るのは良いことです。自分が「中道左派」だの「普通の人」だの思っていたのが、実は意外にもかなり偏っていたりすることもあるかもしれません。まあ、実際には「自分は右(左)派だぁ!」と思っていたのが、わりと面白みのない単なる中道だったという結果になることが多いでしょうが。

よろしければクリックして下さい→

このテストで使用されるグラフは、縦軸が社会観における「権威主義-自由主義」を、横軸が経済的な政策における「左翼-右翼」の傾向をあらわします。上にいくほどファシズムに近くなり、下にいくほど無政府主義に近くなります。また、左にいくほど共産主義者、右にいくほど新保守主義派の主張に近くなるという仕組みです。

1のエリアが「権威主義的左翼」、私らの言葉で言うスターリン主義ってところでしょうか。旧ソ連や中国共産党がここに入ります。
2のエリアが「権威主義的右翼」で、ナチスもここに分類されますが、ヒトラーは経済政策では中道に分類されています。現在の英米、イスラエルもここです。
3のエリアは「自由主義的左翼」で、ガンジーやマンデラ、ゲバラなどがここに入るでしょう。在野で迫害されたり暗殺された悲劇の英雄など、大衆的に人気が高い人が多いエリアになると思います。
4のエリアは「自由主義的右翼」で、権力を持った人はおろか、有名人はほとんどいません。従来の右翼がみんな権威主義的だったということでしょう。学者ではフリードマンがかろうじてこのエリアに入りますが、社会政策的には中道で、経済政策的にはかなり右翼という位置です。フリードマンを支持する人は、彼を中道と言いますが、実際の政治的意見の勢力分布の中ではどうしても右にきます。以前にご紹介した右翼の三浦小太郎さんも、おそらくこのエリアと思われますが、実際には中道に近いのではと思っています。

さて、「太陽に集いしもの」さんの分類を加味して考えますと、このグラフの上半分が「左(脳)派」、下半分が「右(脳)派」に近いと考えられます。つまり「左右対立」以外に、「上下対立」という対決軸があり、現在はこの上下の対立軸が表面化しつつあると考えられます。そして「下」に属する人々は、たとえ「左右」に別れている場合でも、それなりに有意義な会話や討論を行なうことが可能であるということではないでしょうか。逆に「左」同士でも、1エリアと3エリアでは対立することが多いですね。

図B-1
このグラフに有名人の位置を、その著書や演説、具体的にとった政策などから書き加えたのが「図B-1」です。しかしなんでみんなこう極端なんでしょうね(笑

これでみると、権力を奪取した人は、上半分に固まっていることがわかります。上半分の左右同士でドンパチ戦争とか紛争とかやっていたことが判明します。下半分の人々は、これら上半分の人々に民衆の立場から抵抗し、意義申立をした人々と言えるでしょう。
ところが3エリアの人々が頼るべき力を持った共闘相手はどうしても従来は1エリアにしかなく、1エリアの人々に利用されたり引きまわされたり、あるいは自由を求めて闘っていたはずが、いつの間にか1エリアの一員になっていたりということだったのではないでしょうか。

日本の新左翼の歴史的使命は、この1エリアと3エリアの対立を明らかにすること、つまりスターリン主義の否定でした。これに驚愕した従来の1エリアに属する日本共産党なんぞは「裏切り者」「保守の手先」なんて見当外れのことを言っていたわけです。ところが左翼ってのは「批判する相手にどんどん似てくる」という特質があるらしく、やがては新左翼も口先で「反スタ」を言いながら、実態として反対者を抑圧する1エリアの存在へと堕していく者を多く出してしまい、そのことによって大衆的基盤をどんどん喪失していきます。

現在の「左翼の退潮」の実態は、この1エリアが2エリアからの攻撃で崩壊しつつあるということです。そしてネットウヨの跳梁跋扈というのは、かつてなら1エリアに流れていたような輩が、2エリアの「勝ち馬」に乗って暴れているということでしょう。かつての新左翼運動全盛の時代には、こういう輩もやはり勝ち馬をもとめて3エリアに乱入していましたから。

自分の政治的位置を知る(2)】につづく

よろしければクリックして下さい→

コメントを見る

  • ある人の軌跡でこれを描くと、面白いかも知れませんね。レーニンとか、毛沢東とか、興味あります。死ぬまで無政府主義的な性向を持ちつつも、トップとして”1”な振る舞いをしていたし。

    そういうわけで?もうすぐ毛沢東選集1~5巻のHTML化が完了しそうです。
    http://members.lycos.co.uk/jcia/mao/archive.htm

    それから、右翼・左翼の定義について、京大の大西広先生がこんなのを提起されています。
    http://www.kyoto-u.com/koron/onisi.htm

    ところで、自称極右でもあり極左でもあるという小生は、単なるスキゾでしょうか(笑)。

  • どうもまた当記事引用していただきありがとうございました。

    今日のところでは、私としては、平面で捉えることが無理があると思うのですが、、、、

    私の分類は理想ベクトルの起源の感性領域区分限定にしました。
    当然依拠する経済原論、イメージする社会体制など方法論レベルの区分は、あえて考慮から除外しました。

    なぜなら基本的に方法論はその時々で有効な選択が変わるはずですので、方法論レベルの分類まで規定し、リンクさせてしまうと、閉鎖的イデオロギーの”わな”にはまるような危惧があるからです。

    とりあえずの私個人の方法論は、よりベターな状況をうむ代替案を提起しつつ、それを支持する勢力を利するように、政治力学、軍事力学を働かせるというスタンスでいます。

    今の時点では、政党的には、力学を”民主”に有利なように意識して働かせていますし、企業的には、京セラタイプの反フォード主義的企業を支持する反面、ライブドアタイプ=ネオコンタイプの市場原理主義的企業には、敵対的なスタンスをとっています。
    当面の課題は民族的価値を守る意味で反ネオコン、民族的悪弊を除去する意味で反利権屋です。

    個人的には宇野派経済原論をレギュラシオン理論的にグレードアップ?させるという、経済学的な方向性もなんとなく見えてきたような気がしますし、そのうちもっと体系だった問題提起ができるかもしれませんが、とりあえず”場当たり主義”で”価値相対主義”の徹底を貫いている現状です。

    PS 旗旗さんの分類の左右軸の最重要用件は、私有財産制へのこだわり具合ですか?それだと”尊王討奸”の僕が左翼になってしまいますけど、、、