大変にお待たせしてご迷惑をおかけしております「DVD抵抗の大地」ですが、ようやく製品版が完成の上、週明けには一斉に発送の運びとなりました。お申し込みいただきました皆様には、お手元に届きますまで今しばらくお待ちください。DVDの収益金も全額が管制塔元被告救援のために使われます。
「大義の春」と同じく予告編映像も作ってみました。皆様のサイトなどでご自由にお使いの上、宣伝してください。掲示板などで予告編映像のアドレスを紹介していただくのもOKです。
「抵抗の大地」は「大義の春」の前史にあたります。「大義の春」が1978年の開港阻止決戦の記録であるのに対して、「抵抗の大地」は1971年の強制収用阻止闘争をメインに構成されています。キャッチフレーズをつけるとしたら「三里塚闘争の原点がここにある」って感じでしょうか。
「ぼくの村の話」(尾瀬あきら、講談社・モーニングKC)では、この「抵抗の大地」に記録されている強制収用阻止闘争がクライマックスに設定されています。
予告編を見るだけでも、まさしくこの空港が理によって建設されたものではなく、警察の暴力だけを頼りに無理無理作られてきたものだということがよくわかります。
三里塚闘争や管制塔占拠闘争は、その本質において何かしら「暴力闘争」や「破壊活動」ではなく、逆に彼ら政府・公団の暴力的侵略行為に対するギリギリ最低限の抵抗であり、国家から虫けらのように扱われた農民とそれを支援する人々による、人間の尊厳をかけた命がけの防衛闘争であったわけです。
90年代に政府・公団がそれまでの暴力一辺倒の政策から、農民との話し合い(実はそれもただの策略だったわけですが)に転じた時、その前提として当然のことですが、空港予定地の選定まで遡って全面的に自分達に非があることを認め、農民に謝罪しました。謝ったんですよ!三里塚闘争によってもたらされた事態はすべて自分達の責任であると認めた。認めたんです!
当事はそれまでタブーだった「三里塚闘争への内ゲバの持ち込み」が一部党派によってなされたため、闘争が退潮してきた頃です(内ゲバが持ち込まれた運動は必ず退潮します)。そんな中で、反対同盟農民の半分(熱田派)は、政府の全面的な謝罪を受け入れ、この「話し合い」に未来を託しました。ところが現状はどうでしょう!!
熱田派は政府の謝罪と「強制収用の放棄確約」に応じて多くの農民が実力抵抗の旗を降ろし、「武装解除」してもう後戻りできないところまで踏み込んでしまいました。反対運動を背景にして議員や町長にまで当選した農民には「空港との共存」路線に転じた人までいます。
そして卑劣にもそれを見届けたところで、政府・公団は再び手のひらを返しました。欺瞞的な「話し合い」の継続を放棄し、今年に入って管制塔戦士への損害賠償攻撃と、現地におけるB滑走路延長を打ち出してきたのです。とりわけ損害賠償攻撃は、いったん認めたはずの自分達の責任を、再び反対運動の側に負わせることを宣言したものにほかなりません。
熱田派において「話し合い」の中心となった石井武さんは「わたしたちは騙された。『話し合い』に反対していた人の言う通りになったと認めざるを得ない」という痛苦な言葉を残して亡くなられています。
石井さんは私達の交流集会に遠路はるばる出席していただいたことがあり、まだ10代だった私が食事の手配などお世話させていただいたことがあります。世間知らずの若造で、「客人のもてなし」など今から考えればてんでなってない、とてつもなく失礼なもんでしたが、元気な笑顔で励ましていただきました。
その後、「話し合い」の中心になっていると聞いて憮然たる思いをしたこともありましたが、晩年にガンを宣告されてからは「むしろ何も怖くなくなった」「留置所で死んでもいい」と闘争の前面に出られた石井さん。あらためてそのご冥福をお祈りいたします。
さて、「ぼくの村の話」では、まだ農民と何の話し合いもしないうちに強制収用が決定されたため、自分が「暴力による土地取り上げの手先」として使われることに屈辱を感じる公団の用地買収係の話が出てきます。
この用地買収人にはモデルがいるらしいのですが、いずれにせよ、作中でこの用地買収係が語っているように、この強制収用は、その手法の強引さと言い、強奪される土地の巨大さと言い、「戦後例のない規模」でした。比較できるとすれば、戦前の谷中村滅亡事件くらいのものです。
これはたとえ「空港必要派」の立場から見たと仮定しても、とうてい合理的な得策とは言えない下策でした。マスコミがいくら心無い安易な「暴力闘争批判」で農民を愚弄しようとも、テレビの映像を見ている人は皆、農民のほうに同情しました。闘争を見物に来ただけの野次馬連中でさえ、見ているうちに耐えきれずに逮捕の危険を冒してでも機動隊に投石をはじめました。
野次馬の数は反対派よりも、そして機動隊よりも多く、つまりはその場にいあわせた「最大勢力」です。中立的な視点でものごとを見ていた一般市民でもあります。一度に5000人くらいが集まりました。彼らはいわば機動隊と農民の対決に判断を下す「陪審員」の役割を果たしました。そしてこの陪審員は、機動隊に「有罪」を宣告したのです。機動隊の大群が反対派ではなくて、ただの野次馬に撃退されて撤退するという、まるで嘘のようなことが連日続いたのです。
政府が農民に謝罪した後、新聞や雑誌などの論調でこういうものが大半を占めました。
「いや、私も最初から国のやり方は間違っていると思っていたんですよ」
「そうそう、今となっては農民が怒るのも当然ですよね」
「まあ、国も謝るべきところは謝らないと」
「それでこうして話し合いのテーブルについたのですから、万事めでたし、大団円ですな」
・・・・・。ふざけるんじゃねえ!国のやり方が間違っていると思うなら、なんで当事にそう言わなかったんだ!マスコミがみんな政府・公団の無茶苦茶なやり口を批判していたなら、もっと違った展開もあっただろうに。
あんたらも現地では機動隊の暴力に驚いたり怒ったりしてたじゃないか!それが記事を書く段になると、機動隊の暴力にはすべて目をつぶり、「反対運動の行き過ぎ」ばかり書き立てる。それでどれほど一方的な被害者である農民が悔しい思いをしてきたか考えたことがあるのか。
そして今度も「話し合い」(いわゆる「円卓会議)を評価すると書きたてたことはすっかり忘れて、その「話し合い」を反故にするような、今回の賠償請求には何一つ批判「的」な記事さえ書けないわけだ!あんたら戦前に「天皇制万歳」の記事で紙面を埋め尽くし、戦後は手のひら返して「民主主義万歳」で埋め潰したころと、ほんの1ミリもその根性は変わっていねえよ。
もし管制塔戦士が「賠償」しなくてはならないとしたら、政府・公団も闘争で傷ついた人々すべてに賠償を行わなくてはなりません。肉体的、財産的な損害だけではありません。村の、家族の、すべての人間関係を暴力と札束でボロボロに破壊しつくしたその非人間的なやり口そのものが賠償の対象です。ついに自殺に追い込まれた三宮文夫さんや原勲さんの無念をどう考えているのか。彼らの命は管制塔のガラス窓以下の値打ちしかないというのか!
三ノ宮文男さんの遺書
空港をこの地にもってきたものをにくむ
(母ちゃんへ)
長い間苦労をかけました。俺がつかまるたびに、いろいろ心配して、さぞかしたいへんだったでしょう。俺はすまないと思いながら口に出せませんでした。今でも本当に苦労かけたと思っています。空港問題などなかったら、俺も今ごろ嫁さんなんかもらって、りっぱに百姓やっていけたと思います。しかし考えれば考えるほど、俺達の所へ空港なんぞもってきたやつがにくいです。ほんとうに、母ちゃんにはすまないです。俺がいなくなってもけっして力をおとさず、広といっしょにくらして下さい。いつも口げんかばっかりしていたけど、本当は俺もいいやつなんだよ。かあちゃん、それじゃあ元気で。俺いくよ。母ちゃん、絶対に元気でな。力おとさず広がいっから。広がいっからな。(父ちゃん)
俺あんまり仕事やらずに青行ばっかりやってで、すまなかった。それでも、青行ねえ時にはまじめに仕事やったつもりだよ。俺いままで何にも父ちゃんや、母ちゃんにしてあげられなかったな。心配ばかりかけてすまなかった。しかたなかったんだよ。空港などこんな所にもってきたから、まじめにやれば闘わざるをえなかったんだよ。しかし、俺は線が細いから、闘いにたえられなかったんだな。人間なんて弱いもんだな。なんかの本に書いてあったけど、もっとも人間らしく生きようと思っている人間が、なんで非人間的にあつかわれるのかな。本当に、国家権力ていうものは恐ろしいな。生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな。いいたいことは山ほどあるが、なかなか出てこない。さっきまで、いらいらしていたが、なんだかさっぱりした気持ちだ。俺が行ったら、あのやぶれた青行の旗で、くるんでくれや。できたら、みんなでみおくってくれ。俺だけ、ずるやってもうしわけない。
三里塚空港粉砕!
最後まで、三里塚に生きつづけて下さい。
みんな、元気で。1971年9月30日 三ノ宮文男
円卓会議はこのような互いの言うに言われぬ無念や憎しみや怨念を、すべて水に流すという約束だったはずです。私達は熱田派が円卓会議に参加していく流れを、強力に批判してきました。けれども今となっては「ほら見ろ、言わんこっちゃない」とはとうてい言えません。
熱田派の人々は、単純に条件派に寝返ったわけじゃない(そういう人もいたかもしれないけれど)。大部分は円卓会議での謝罪を純真に信じて、はじめて「血の通った人間の顔」を見せた政府・公団との話し合いに、自分達の未来を託してみたかったんだろうと思います。それだけに、今回の「卑劣」と言うさえもったいない政府・公団のだまし討ちは本当に許せない。三里塚にかかわったことがありながら、これを許したら人間ではないと思います。
「和平合意」をかわして、しかも「自分達が悪かった」と謝罪までして、それ以上いっさいの賠償も責任も免除してもらうという寛大な対応をしてもらいながら、その相手が油断して武装を解いたところで「へへへ、引っかかったなあ!」と攻撃を再開する。これでは悪名高いイスラエルのシャロンでさえ、その悪どさに震え上がって裸足で逃げ出すというものです。
もう一度確認しようではありませんか。「腐ったてめぇらに1億円叩きつけてやる!」と。この攻撃で、武装解除してばらばらになったはずの私達が、再び結集して管制塔闘争の意義を守り抜く様を、是非とも奴らに見せてやろうではありませんか!
ご協力お願いします。
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予告編制作ご苦労様でした。ありがたくオンラインショップへのリンクと共に予告編データを連帯サイトに貼らせていただきました。
こんにちは。賛否は別として一連のエントリーを興味深く拝見しております。最近は選挙絡みのニュースがあまりに多く、私の乏しい脳細胞の貴重な容量はそちらで稼働率100%なわけでして、他の話題に気の効いたコメントを考え付かないのが申し訳ないです。余談ですがご紹介されているマンガの作者の方は、私も他の作品ですがたまに読むし、好きな方です。しかしこうした闘争を題材にした作品があることは知りませんでした。今度探して読んでみようかと思います。歴史にせよ政治にせよ、マンガという形になると入り込みやすいんですよね。
予告編の作成お疲れ様でした。最近新着記事が少なかったのも編集にかかりっきりでお忙しかったのでしょうね。早速拝見しました。注文したDVDが到着するのが楽しみです。
原付バイクにまたがって、業者まで直接引き取りに行ってきました。お盆前には出来上がる予定でおりましたが、思ったよりも随分と時間がかかってしまいました。ご注文いただきました皆様にはお詫び申し上げます。
業者さんへの依頼の時は、DVDの内容など何も告げずにマスターディスクやジャケットの画像データーなどを渡してそそくさと帰りました。その時に受け付けてくれた業者のお姉さんは、年の頃なら20代半ば。にこやかに対応してくれました。
そして本日、完成品を引き渡してくれたのも同じお姉さんでしたが、代金の支払いなどの間中、ずっと私の顔をじろじろと見ておられました。
きっと「うーん、こうして見ると普通の人に見えるんだけどなあ」とか思っていたんでしょうね(笑)。
奥から完成品の入ったダンボール箱を持ってきてくれた別のお姉さんも私の顔をじろじろと見ます。「おいおい、いくらなんでも」と思ってふと横を見上げると、おそらくは現在ダビング中の映像がチェックをかねて(しかも音声付で)流れています。一度に200枚をダビングする能力があるというこの店内では大勢の方が忙しく動き回っておられましたが、はたしてこの「抵抗の大地」の映像と、少年行動隊の「機動隊帰れコール」が流れていた時、店内はどんな雰囲気になってたんでしょうか?さらにとどめは最後に収録した「大義の春予告編」です(爆)
まあ、多少はじろじろ見られるのもしょうがないか。とにかく印刷も丁寧で格安で引き受けていただき、大変に満足しております。「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げて帰ってまいりました。さて、これから荷造り作業です!
ここで引用されている漫画「ぼくの村の話」(尾瀬あきら 講談社)は、マンガとしては失敗作だとは思うが、「夏子の酒」等でも農業問題に触れていた作者が、この難しいテーマにチャレンジしたのは確かにすごいことだと思いました。連載当時、特に第1、第2巻あたりは、この問題を多面的に描こうという(例えば土地を売る事を早期に決めた農民の意思を、簡単に図式化せずに描くとか)作家の意図が成功していたと思いますし、特に、同地に隣接する明治天皇以来の御料牧場と古老農民たちの心情とのつながりを幾つかの印象的なカットで表し、また、基本的に開拓農民が多かった三里塚の地の、農業以前の怒れる地霊の表現として、少年達が夢見た幻の馬の姿に象徴させて作品の根底イメージに持ってきたは中々の発想だったと思います(何だかよく分からない人は復刻させて是非読もう!)
ただ、後半、特に結末は残念だった。あれだけのスケールで始まったのにちょっと終わり方が・・・これ以降の、現実に空港が開港されてからの闘争の混迷とその中でも維持された希望、そして、主人公の少年少女が、今、どう生きているかを描いてこそのこの作品だったと思うんだが・・・
まあ批判はしましたが、問題作であることに変わりはない。現場で戦った人には私とは違う思いや評価もある事と思います。こういうマンガを通じて議論が起きてもいいかもしれませんね。
当時、三里塚の反対闘争を、かなり明確に支持していたのは作家の中上健次だった。(「破壊せよと、アイラーは言った」等)この本で、彼は石原慎太郎や新右翼から、金時鐘(在日コリアン詩人)喜納昌吉、そして韓国に至るまで彼なりに興味を持ち評価する人たちを取り上げてそれぞれかなり的確な評価をしている。生前、私はどうも中上健次は小説も発言も苦手だったんですが、今読み返すと、やっぱりこの人は大した仕事をした人だったんだなあと改めて思いました。
昨夜、復刻サイトに登録して「ぼくのむらの話」に投票しました。僕自身は全巻持っているのですが、一人でも多くの人に闘争の実態を知ってもらうためにはマンガと言う取り組み易い媒体は重要だと思います。草加さんの呼びかけに応える人が一人でも多く現れると良いですね。