[スポンサーリンク]
三里塚闘争

【転載】元管制塔被告への支援を! 「乾坤一擲の反撃」その意義を守りぬこう-Jさんの参加表明

ここに書くことの多くは、私と同じ元戦旗派の人間以外には、何のことやらわからないと思います。まあ、その場合は笑って読み流すなり読み飛ばすなりして下さいませ。

 戦旗・共産同OBの元同志の皆さんなら、知らぬ人のいない「Jさん」が、管制塔元被告連帯闘争についに表立って参戦されました。すでにブログも開設されています。

ブログ「自由と正義」

以下、Jさんのブログの冒頭に掲げられた呼びかけ文を転載いたします。是非お読みください。

///(転載ここから)//////////

元管制塔被告への支援を!

 今、元管制塔被告達に1億500万円の損害賠償が、請求‐強制徴収されている。
  国‐国土交通省は、元管制塔被告達の給与所得者10名に対しては、手取額の25%を差し押さえ、33万円を上回る所得がある者には、その上回った所得の全額を差し押さえている。
 定期収入のない元管制塔被告達6名には、支払い督促の裁判を起こし、強制徴収しようとしています。

 この国‐国土交通省の、管制塔占拠闘争に決起した元被告達への報復攻撃に私は、彼らに連帯し、支援をしようと決意した。
 彼らを孤立させず、彼らに連帯しようと決心した。

 何故なら、78年管制塔(成田空港)を占拠し、3月30日の空港開港を阻止した戦いは、政府の圧制に対する抵抗であり、民衆のやむにやまれぬ決起だと、今でも確信しているからである。
 そうした戦いに私も参加しており、その勝利に貢献できたことを、誇りにしているからでもある。

 人間の歴史は、民衆を抑圧する者と、これに抵抗する人民の戦いの歴史だったと言って過言ではないだろう。そして、人民の抵抗のほとんどは、支配者達の暴力によって制圧された。
 パリのコミューンがそうだし、ハンガリーにおける動乱がそうだった。
 しかし、それでも時によっては、権力者に対し民衆の側からの、乾坤一擲の反撃がなされるのだ。
 日本で言えば、管制塔占拠―成田空港の開港を阻止する戦いが、それに当たるのだ。だから、その戦いは、正義であり、偉大な勝利だと、私は確信する。
  そうした思想を、今後も守り続ける。

 どうか当時を共に戦った仲間の皆さんはもちろんのこととして、そして、この戦いを歴史上の出来事としか知らない、あるいは全く知らない若者達にも、私は彼らを支えるカンパ運動に協力されることを強く訴える。

 何故なら私やあなた達も、元管制塔被告と同様の、政府のでたらめな政治に苦しむ、無名の民衆=人民の一人だからだ。

///(転載ここまで)//////////

 一応補足しておきますと、Jさん(イニシャルではなくてこれが活動名=ペンネーム)は、戦旗派結成前からの二次ブント以来の活動家で、このブログで何回か紹介させていただいた柘植洋三さんと同じく、元三里塚闘争に連帯する会の事務局員です。元戦旗・共産同指導部のお一人でもあります。

 様々な理由から「組織」というものを離れる決心をされた後も、個人としての志や高い理想をキープし続けることを自分に課して人生を送ってこられたということです。そして今回の元被告への損賠攻撃の報に接し、彼らと共に同時代を闘った者の一人として、自分なりにできるところから声をあげられたと理解しています。

 その心情はとても理解・共感できます。なぜなら、私達は「管制塔戦士に続け!」なんて、まるで神様みたいにさんざん彼らを持ち上げてきたのです。そうであるのなら、たとえ3・26闘争当日そこにいなかったとしても、「俺は関係ない」などと誰が言えるでしょうか!

 私も3・26闘争当日はまだ高校生で、そこにはいませんでした。左翼ですらありませんでした。それでもテレビを見て言いようのない解放感と、自然にこぼれる笑みをなんともできませんでした。そして活動家になってからは、私もさんざん「管制塔戦士に続け!」と訴えてきました。それは一面では彼らを政治的に、あるいは運動のために「利用」していた側面もあったと思うのです。

 だから私は(いまさら!)「俺は関係ない」とは口が裂けても言いませんし、言えません。私に知らんぷりをする権利はないと思っています。これは私の人生にとっても一つの「けじめ」なのです。

 今回の損賠攻撃は可能な範囲で、それも「生活に響かない程度」というレベルを超えての「可能な範囲」で、是非とも私も一部を肩代わりしなくてはならないと思います。今回の請求書は(実は北原派の人々をも含めたところで)かつて三里塚を闘った者全員につきつけられた請求書だと思うし、それと同時に「理想を掲げて政府に異議申し立てをする者」全員に対する見せしめでもあるのですから。


Jさんの決起について、少し他の方に紹介しただけで、なんと30分もたたずにいろいろな反響がよせられています。

「Jって、Jさんなんですね。 何が何でもやりきりましょう。 うれしいやら、感激してるやら、なんだかわかんない状態になってます。」

というkamakazuさんのコメントをはじめとして

「あの、荒さんよりも無器用なJさんがブログ立ち上げ!? 頑張ってますねぇ!俺も応援させて頂きます。」

「ほんとだ!びっくりだ。Jさんらしい動きだな。応援しますよ。」

「またJさんといっしょにやっているんだと思うと、うれしくて仕方ありません。」

などなど。あっというまに「元同志」からの声が集まりだしています。

 いろいろな事情で運動から離れてちりぢりになったかつての仲間達の間では、今のところ「俺は関係ない」という人は一人もいない。みんな異口同音に「できるだけ協力したい」と言っています。そのことが嬉しい。

 事情を抱えつつもかつての志は生きていたことが。そして敵の攻撃がもう一度私達に手を取り合う機会を与えてくれたことが。政府・公団に感謝したいくらいです(笑)。

 ともかく私も現状ではできる限りJさんの決起を応援し、僭越ながらサポートできることがあればしていきたいと考えています。

 しかしこうしてJさんの文章を柘植さんの文章と並べて読んでみますと、本当に文章ってその人柄が表れるものなんですね。いかにもJさんらしい文章です。「文は人なり」を実感します。

コメントを見る

  • 「俺は関係ない」・・・・・
    まあ、人の噂は光より速いと申しますからねえ。小生のような、スターリニスト系にも色々と話は伝わっていますよ(謎)。

  • トップページに私の拙いブログを転載していただき、しかも多少の驚きを持ってですが、私の経歴紹介までされて恐縮しています。
    ですが、私には少し大げさと思える表現があるので、注釈を加えさせてもらいます。
    それは、以下の件です。「戦旗・共産同OBの元同志の皆さんなら、知らぬ人のいない『Jさん』」というところです。
    私はそんなに戦旗派の中でも有名だったわけではないと、思っています。芸能人やプロのスポーツ選手、それに政治家等など名前を売らなければ、生活、活動に支障を来たすでは存在ではなかったので、「知らぬ人のいない」といわれても、「ホホホ。そうなの?」とこそばゆいだけです。
    私はみなさんより、ただ少し早く生まれて、少し長い間、戦旗派の活動家だったというだけです。当時そういう仲間、同志は、数多くいましたが、その内の一人に過ぎませんでした。
    つまらない指摘かもしれませんが、誤解の無い様提起させてもらいます。

    〈某団体の声明〉
    ところで草加さんのブログには、管制塔占拠闘争に「俺は関係ない」という某氏の発言が取り上げられていますが、私にもそうした発言があったことは伝わってきました。
    そして、某団体の「管制塔の件は29年前のことです。28歳以下の人には生まれる前のできごとになりますので、そんな方々に運動をお願いするのは、無理のあることかと思います」という否定的な文言を盛り込んだ声明を読んだ時に、「ああ、そうだから組織をあげて、元管制塔戦士を守ろうとしていないのだな」と思いました。
    彼らは29年前の出来事に、28歳以下の若者に「運動をお願いするのは、無理」だというのだが、ならば当時1歳で、現在30歳の人には「運動をお願いするのは」可能というのだろうか?彼、彼女は当時わずか1歳で、年端も行かない、物事の分別は勿論のこと、言葉でさえ満足に話すことができない年齢だっただろう。
    そうならば、私には、それも無理だろうと思った。
    何故彼らは、そんな注釈と年齢制限まで付けて運動を展開しようとするのか、もっと真っ当に、真っ向から「3・26管制塔占拠の戦い、三里塚=成田空港の開港を実力で阻む戦いは、正義の戦いであり、人民大衆の意志だった」と、全ての人に訴えようとしないのだろうかと、疑問を持った。

    そうした彼らの何とも後ろ向きの姿勢は、前記の「俺は関係ない」発言と関連しているのでしょう。
    組織のトップの拒否反応は、下級の在り様を規定します。
    当時獄中にいて自分は現場には関係なかったというならば、私も「生まれていない、年端もいかない子供だったので、関係ありません」等など様々な理由があげられ、いくら運動主体の側からカンパ活動への参加を求めても、これに参加しない人間達が増えるばかりとなる。
    そうだから、最後は「当時を共にした者」にしか運動を呼びかけることが出来ず、三里塚闘争の正義性、正当性も訴えられず、ただそうした人間の「心情」にしか拠りどころを求めるしかなくなる。
    そんな運動に一体誰が共感するのか?誰が賛同するというのか?

    ただ、私は―われわれは、組織のトップの否定的発言にもかかわらず、この運動を自己の責任において、取り組もうとしているW、H氏達の意思は、決意は、信じたいし、共感も寄せる。
    そうであるならば、私―われわれは、もう、かかる組織的な制動を突きぬけ、もっと自由に自己が信じる信条を明らかにすればいいと、彼らに呼びかける。
    真っ向から三里塚闘争の正義性、3・26管制塔占拠の思想性を訴え、全国の人々にカンパの要請をすることを、呼びかける。
    かつての戦旗派に結集した全ての同志、仲間達は、みなそうした精神、魂にあふれていた。自己の責任性において戦いに決起し、豊かな共同性をつくりだし、享受していた。
    君達がその歴史性を覚えているのなら、この運動を契機に再びその精神、魂を復活させることを、心から願う。
    そうならば、どこで戦おうが、どのような組織、団体で戦おうが、運動しようが、私―われわれは、あなた達と一つの戦い、運動を共有していることになる。何故ならば、われわれは人間性という無形のものだが、そうであるが故に、決して権力や暴力によっては押さえ込むことのできないもので、繋がっていると確信するからだ。

    〈何を守り、何を継承するのか〉
    そして某氏の発言については、草加さんと同様に、はじめは「獄中から獄中へ」とか「武徳の思想」を語り、「第2、第3の3・26を!」と一個の思想に根差したスローガンを提起した、当の本人の言葉なの?!とも、感じました。
    それで「俺には関係ない」などと、どうして言えるのだと、あきれもしました。

    だが、次に私は「よくぞ、言ってくれた!」と、考えるに到った。

    元管制塔戦士への今回の報復攻撃は、国=支配者の意思です。実力をもってして国策に反対する者には、どんなに時間がたったとしても、これを許さないという国家意思の表れに他なりません。
    ですから、今回の報復攻撃に抗し、元管制塔戦士と共にこれと戦い抜くということは、現在もなお空港の全面開港に反対し戦い抜かれている三里塚闘争―農民に連帯する戦いでもあり、国家意思との対決を意味することでもあります。
    その意味では、今全国で戦われているダム建設とか高速道路建設、軍事基地の移転、機能拡張の工事等などに反対している市民、住民の戦いと同様の意味と重みを持った戦いです。

    戦旗派に集う同志、仲間達は、そうした戦いに決して「俺は関係ない」とは、考えなかった。年齢によって線引きをして、戦いや支援に立ち上がることを訴えたり、訴えなかったりはしなかった。全ての人々に、三里塚闘争の正当性、正義性を訴え、農民の決死の戦いに連帯することを求めた。それが可能でないならば、支援を求めた。
    それが戦旗派の精神であり、思想だったのだ。

    いいだろう、そうした戦旗派の精神、思想を打ち捨て「俺は関係ない」とか言って、高級外車の廃棄音に感動するだけのオーナーだったり、ゴールデンレトリーバーを2匹も飼いながら、糞の始末は子飼の活動家に強要する生活を守ろうとするというならば、君達にはお似合いの世界、社会があるというものだ。
    戦旗派の精神、思想を放擲して、物質的財貨の獲得を人間の本姓によるものだと言うならば、それはそれでいいだろう。

    E.O.ウィルソンなどから引用し「利己的な遺伝子」という命題を振り回して、自らの生の在り様を是とするのもいいだろう。
    だが、人間には遺伝子の上に書かれた利己的な生き方の他に、人間は他人と協働ー共同して生き、生を繋いで行くとう側面を有していることは、懸命な諸君ならば先刻承知の上だろう。
    マルクス主義的な言葉で書けば、経済原則を自然的・社会的関係を通して、すなわち四つの契機をもって実現するということだ。
    重要なことは、われわれ人間は、そのどちらも否定することはできないということである。正に一個2重の関係の中で、歴史を作ってきたし、これからも
    つくって行くだろう。(多分)
    なれば、われわれ人間は利己的な生き方を志向するのか、それとも、できる限りという注釈がつくが、他者と共役して行く生き方を志向するのかが問われるのだ。
    それら全てを捨象して、「利己的な遺伝子」そのままに、権謀術数まで駆使して、物資的財貨の獲得、蓄積をなすというならば、諸君らにはお似合いの社会、世界があるというものだ。
    誰もがどこに行くのかは、自由に決める権利を有しているのだから。私―われわれが、どうこう言えるものでもなければ、言いもしない。

    そうであるならば、われわれは、3・26を戦った全ての戦旗派の同志、仲間の精神、思想を、継承してやろう。
    いや、戦旗派だけではない、われわれは第2次ブント以来の戦いを継承しているのだから、ブントの精神、思想、魂までも引き継ぐ。

    東大安田講堂で機動隊の放水を全身に浴びながらも、燃え尽きようとした若い戦士達、非公然闘争を担った軍事委員会―RGをはじめとする第2次ブントの、そして戦旗派第1期建設の同志、仲間達、また管制塔戦士達、そして関西地区再建を先頭で戦い、志半ばで悪性腫瘍に侵され野辺に旅立った、故倉畑円志同志らの献身、喜びや、無念の思いや苦渋の日々をも、その全てをわれわれは引き取り、引き受けて、この反撃戦を戦い抜き、勝ち抜いてやろう。

    某氏の「俺は関係ない」という発言と某団体の声明は、私にかかる決意と覚悟を固めさせてくれた。
    今はただ某氏に「よくぞ、言ってくれた!」と、感謝するのみである。

  • 初めてコメントします。
    自分はどっちかいうとまあ今でいうネトウヨな人間だと思ってるんですが、この記事には呆れました。

    http://www.shikoku-np.co.jp/news/news.aspx?id=20050831000455

    この記事を見ただけでも、明らかに成田の構想自体が間違っていることが、それこそ28歳以下でもわかるんじゃないでしょうか?

  • Jさんの投稿につきましては、重要な提起だと思いますので、コメント欄から引っ張り出させしてエントリーとさせていただきますね。
    また、この後のエントリーである「空いっぱいの飛行機」とあわせて、成田空港のそもそもの計画自体に疑問を呈する発言が、むしろ右派の方々から提起されていることに多少の驚きを感じました。
    このへんの問題、すなわち、1)成田空港建設決定の推移の再確認と、2)現在の資本主義体制と、議会制民主主義を前提に考えた場合に「ではどうすれば良かったのか」という問題について、次回のエントリーで私なりに考察してみたいと思います。
    特に2の問題について、ご意見がございましたら、積極的におよせいただきたく存じます。