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三里塚闘争

「管制塔闘争なんて俺は関係ない」…よくぞ言ってくれた!-Jさんよりの返信

 先日、ブログの記事を引用・転載させていただいたJさんより、この転載記事に対するコメントをいただきました。(Jさんについては元の転載記事を参照してください)
 重要な提起を含んだコメントであると思いますので、一週間以上前の記事に対するコメントとして置いておくのはもったいないと判断し、独立したエントリーとさせていただきました。
 なお、この文章はJさんのブログである「自由と正義」にも掲載されています。Jさん本人に何か直接メッセージを送りたい場合は、そちらにコメントされたほうがよいと思います。以下、本文です。

//////////////// (投稿ここから) //////////////// 

よくぞ言ってくれた!

投稿者: 土岐幸一(J) 投稿日: 2005年08月31日 21:55

 トップページに私の拙いブログを転載していただき、しかも多少の驚きを持ってですが、私の経歴紹介までされて恐縮しています。
 ですが、私には少し大げさと思える表現があるので、注釈を加えさせてもらいます。
 それは、以下の件です。「戦旗・共産同OBの元同志の皆さんなら、知らぬ人のいない『Jさん』」というところです。

 私はそんなに戦旗派の中でも有名だったわけではないと、思っています。芸能人やプロのスポーツ選手、それに政治家等など名前を売らなければ、生活、活動に支障を来たすでは存在ではなかったので、「知らぬ人のいない」といわれても、「ホホホ。そうなの?」とこそばゆいだけです。

 私はみなさんより、ただ少し早く生まれて、少し長い間、戦旗派の活動家だったというだけです。当時そういう仲間、同志は、数多くいましたが、その内の一人に過ぎませんでした。
  つまらない指摘かもしれませんが、誤解の無い様提起させてもらいます。

◇某団体の声明

 ところで草加さんのブログには、管制塔占拠闘争に「俺は関係ない」という某氏の発言が取り上げられていますが、私にもそうした発言があったことは伝わってきました。

 そして、某団体の「管制塔の件は29年前のことです。28歳以下の人には生まれる前のできごとになりますので、そんな方々に運動をお願いするのは、無理のあることかと思います」という否定的な文言を盛り込んだ声明を読んだ時に、「ああ、そうだから組織をあげて、元管制塔戦士を守ろうとしていないのだな」と思いました。

 彼らは29年前の出来事に、28歳以下の若者に「運動をお願いするのは、無理」だというのだが、ならば当時1歳で、現在30歳の人には「運動をお願いするのは」可能というのだろうか?彼、彼女は当時わずか1歳で、年端も行かない、物事の分別は勿論のこと、言葉でさえ満足に話すことができない年齢だっただろう。
 そうならば、私には、それも無理だろうと思った。

 何故彼らは、そんな注釈と年齢制限まで付けて運動を展開しようとするのか、もっと真っ当に、真っ向から「3・26管制塔占拠の戦い、三里塚=成田空港の開港を実力で阻む戦いは、正義の戦いであり、人民大衆の意志だった」と、全ての人に訴えようとしないのだろうかと、疑問を持った。
 そうした彼らの何とも後ろ向きの姿勢は、前記の「俺は関係ない」発言と関連しているのでしょう。
 組織のトップの拒否反応は、下級の在り様を規定します。

 当時獄中にいて自分は現場には関係なかったというならば、私も「生まれていない、年端もいかない子供だったので、関係ありません」等など様々な理由があげられ、いくら運動主体の側からカンパ活動への参加を求めても、これに参加しない人間達が増えるばかりとなる。
 そうだから、最後は「当時を共にした者」にしか運動を呼びかけることが出来ず、三里塚闘争の正義性、正当性も訴えられず、ただそうした人間の「心情」にしか拠りどころを求めるしかなくなる。
 そんな運動に一体誰が共感するのか?誰が賛同するというのか?

 ただ、私は―われわれは、組織のトップの否定的発言にもかかわらず、この運動を自己の責任において、取り組もうとしているW、H氏達の意思は、決意は、信じたいし、共感も寄せる。
 そうであるならば、私―われわれは、もう、かかる組織的な制動を突きぬけ、もっと自由に自己が信じる信条を明らかにすればいいと、彼らに呼びかける。

 真っ向から三里塚闘争の正義性、3・26管制塔占拠の思想性を訴え、全国の人々にカンパの要請をすることを、呼びかける。
  かつての戦旗派に結集した全ての同志、仲間達は、みなそうした精神、魂にあふれていた。自己の責任性において戦いに決起し、豊かな共同性をつくりだし、享受していた。
 君達がその歴史性を覚えているのなら、この運動を契機に再びその精神、魂を復活させることを、心から願う。

 そうならば、どこで戦おうが、どのような組織、団体で戦おうが、運動しようが、私―われわれは、あなた達と一つの戦い、運動を共有していることになる。何故ならば、われわれは人間性という無形のものだが、そうであるが故に、決して権力や暴力によっては押さえ込むことのできないもので、繋がっていると確信するからだ。

◇何を守り、何を継承するのか

 そして某氏の発言については、草加さんと同様に、はじめは「獄中から獄中へ」とか「武徳の思想」を語り、「第2、第3の3・26を!」と一個の思想に根差したスローガンを提起した、当の本人の言葉なの?!とも、感じました。
 それで「俺には関係ない」などと、どうして言えるのだと、あきれもしました。

 だが、次に私は「よくぞ、言ってくれた!」と、考えるに到った。

 元管制塔戦士への今回の報復攻撃は、国=支配者の意思です。実力をもってして国策に反対する者には、どんなに時間がたったとしても、これを許さないという国家意思の表れに他なりません。
 ですから、今回の報復攻撃に抗し、元管制塔戦士と共にこれと戦い抜くということは、現在もなお空港の全面開港に反対し戦い抜かれている三里塚闘争―農民に連帯する戦いでもあり、国家意思との対決を意味することでもあります。

 その意味では、今全国で戦われているダム建設とか高速道路建設、軍事基地の移転、機能拡張の工事等などに反対している市民、住民の戦いと同様の意味と重みを持った戦いです。
 戦旗派に集う同志、仲間達は、そうした戦いに決して「俺は関係ない」とは、考えなかった。年齢によって線引きをして、戦いや支援に立ち上がることを訴えたり、訴えなかったりはしなかった。全ての人々に、三里塚闘争の正当性、正義性を訴え、農民の決死の戦いに連帯することを求めた。それが可能でないならば、支援を求めた。
 それが戦旗派の精神であり、思想だったのだ。

 いいだろう、そうした戦旗派の精神、思想を打ち捨て「俺は関係ない」とか言って、高級外車の廃棄音に感動するだけのオーナーだったり、ゴールデンレトリーバーを2匹も飼いながら、糞の始末は子飼の活動家に強要する生活を守ろうとするというならば、君達にはお似合いの世界、社会があるというものだ。

 戦旗派の精神、思想を放擲して、物質的財貨の獲得を人間の本性によるものだと言うならば、それはそれでいいだろう。
  E.O.ウィルソンなどから引用し「利己的な遺伝子」という命題を振り回して、自らの生の在り様を是とするのもいいだろう。

 だが、人間には遺伝子の上に書かれた利己的な生き方の他に、人間は他人と協働ー共同して生き、生を繋いで行くとう側面を有していることは、賢明な諸君ならば先刻承知の上だろう。
 マルクス主義的な言葉で書けば、経済原則を自然的・社会的関係を通して、すなわち四つの契機をもって実現するということだ。

 重要なことは、われわれ人間は、そのどちらも否定することはできないということである。正に一個二重の関係の中で、歴史を作ってきたし、これからもつくって行くだろう。(多分)

 なれば、われわれ人間は利己的な生き方を志向するのか、それとも、できる限りという注釈がつくが、他者と共役して行く生き方を志向するのかが問われるのだ。
 それら全てを捨象して、「利己的な遺伝子」そのままに、権謀術数まで駆使して、物資的財貨の獲得、蓄積をなすというならば、諸君らにはお似合いの社会、世界があるというものだ。

 誰もがどこに行くのかは、自由に決める権利を有しているのだから。私―われわれが、どうこう言えるものでもなければ、言いもしない。

 そうであるならば、われわれは、3・26を戦った全ての戦旗派の同志、仲間の精神、思想を、継承してやろう。
  いや、戦旗派だけではない、われわれは第2次ブント以来の戦いを継承しているのだから、ブントの精神、思想、魂までも引き継ぐ。

 東大安田講堂で機動隊の放水を全身に浴びながらも、燃え尽きようとした若い戦士達、非公然闘争を担った軍事委員会―RGをはじめとする第2次ブントの、そして戦旗派第1期建設の同志、仲間達、また管制塔戦士達、そして関西地区再建を先頭で戦い、志半ばで悪性腫瘍に侵され野辺に旅立った、故倉畑円志同志らの献身、喜びや、無念の思いや苦渋の日々をも、その全てをわれわれは引き取り、引き受けて、この反撃戦を戦い抜き、勝ち抜いてやろう。

 某氏の「俺は関係ない」という発言と某団体の声明は、私にかかる決意と覚悟を固めさせてくれた。
 今はただ某氏に「よくぞ、言ってくれた!」と、感謝するのみである。

//////////////// (投稿ここまで) //////////////// 

 えと、まず「戦旗・共産同OBの元同志の皆さんなら、知らぬ人のいない『Jさん』」という表現に関しまして、読む人に誤解を与える可能性があったことを心よりお詫び申し上げます。とりわけ「俺はJさんを知らないぞ」という元同志の方々には不快感を与えたのではと心配しています。

 確かにJさんは全国結集の闘争現場などで、「党の顔」的に登場するアジテータータイプの方ではなかったかもしれませんから、Jさんのことを知らない人がいても当然かと思います。ただ、Jさんは黙々と裏方の仕事などを引き受けておられた方で、回りの活動家達からの信任も厚かったと思いますし、私のように中央から見れば僻地の地区にいた者でも、全員がJさんのことを知っていました。そういう認識があったので、あのような書き方になってしまいました。

 次に、ちょっと心配していることがあります。口さがない一部の好きもの連中が、Jさんの提起について「ついに元幹部が批判を開始!」みたいに歪んで受けとめ、それをあちこちで流布するのではないかという点です。

 やはりゴシップ好きの人々の間では、「高級外車」や「ゴールデンレトリバーの糞」の話にばかり注目が集まってしまい、そのレベルでJさんの提起を理解(曲解)し、また2ちゃんねるをはじめ、あちこちでかかる視点からの投稿を繰り返す、その「ネタ元」にされてしまわないかと危惧します。

 私のスタンスとしては、「某氏」や「某団体」の「噂話」的なことは極力書かないようにしています。そういうことは2ちゃんねるなどにいくらでも書いてあるわけで、とりわけ「ロフト事件」の時、一部の人々の投稿において「某氏」の所有外車・再婚・自宅などの問題をゴシップネタのレベルで言及するようなものが散見されたことについて、今でも強い違和感を持っています。

 私としては読者にはJさんの提起において、三里塚闘争や3・26などを共に闘った我々が、いったいその何を継承すべきなのか、あるいは何を継承しているからこそのカンパ運動なのかという点、そして「ブントの精神、思想、魂までも引き継ぐ」「その全てをわれわれは引き取り、引き受けて、この反撃戦を戦い抜き、勝ち抜いてやろう」という決意や思想性に注目してほしいと思います。

コメントを見る

  • この【投稿】は、「管制塔占拠闘争に『俺は関係ない」』という某氏の発言」云々と、特定の個人・組織がカンパ・支援闘争をネグレクトしていると断定しています。
     でその「某党派」のサイトを覗いてみたのですが、それに類するような見解は見つかりませんでした。むしろ元管制塔戦士や元現闘団が登場し、必死にカンパを訴えているように思えました。
     この【投稿】を掲載しているということは、それを裏付ける具体的な証拠が何かあるのでしょうか。カンパ闘争といっても、その内容や思想を巡って批判や論争があるのは当然だと思いますが、根拠を明示しない誹謗中傷はどうかと思います。そうしたことはカンパ支援闘争全体にとってマイナスにしかならないと思うのですがどうでしょうか。

  • 「管制塔の件は29年前のことです。28歳以下の人には生まれる前のできごとになりますので、そんな方々に運動をお願いするのは、無理のあることかと思います」と言う文言は某党派のサイトに掲げられているカンパアピールの内容その物ですからやる気が感じられないという点では私も同感です。私自身が3・26当時は中学生であったし、その後は管制塔占拠闘争を闘った三党派とは敵対する中核派の元活動家であるのに被告に連帯してカンパしているのですから、もっと熱心に当該党派としてアピールすべきではないでしょうか。

  • このコメント、Jさんの指摘をあわせて読むと、現senkiは、残念ながら「環境思想」を血肉化できていないように思えます。

    3・26当時、草加さんも指摘する大型ダムなどの「開発」への抵抗方法は、いわゆるデモやそれこそ直接行動の文脈しかなかったわけです。どうしても三里塚だけに焦点が当たりがちではあるのですが、それこそ小河内ダムからずーっと続く、農民反乱の文脈は、三里塚闘争や環境思想の登場により、やっと着地することができた。
    そのことをふまえずに、現代思想だ、パラダイムチェンジだといっても、説得力がないように見えます。

    例えば、これはsenkiも参加していたように記憶していますが、日の出町ゴミ処理施設での座り込み闘争だって、考えようによっては「違法」行為な訳です。そうすると、三里塚のような「暴力」行為であるがゆえに、消極支援というのは少々「グループ」の責任の取り方として腑に落ちないのは当然ではないでしょうか?

  • ピカール・サンさん>
    >でその「某党派」のサイトを覗いてみたのですが、それに類するような見解は見つかりませんでした。むしろ元管制塔戦士や元現闘団が登場し、必死にカンパを訴えているように思えました。

    感覚の相違ということになろうと思うのですが、私と同時代の活動家であるアッテンボローさんが書いておられるように、「某党派のサイトに掲げられているカンパアピールの内容その物」が、「やる気が感じられない」と思います。アッテンボローさんはまだ別の団体でしたが、同じ団体で闘っていた私としては最初に読んだ時、正直がっかりしました。

    しかしまあ、そんなことはいいのです。このJさんの投稿の要点は、「だったら私が闘う」という決意表明に尽きます。Jさんの表明しておられる決意は重すぎて、到底私には受け止めきれないくらいです。
    「人間は利己的なものだ」という某団体の人間観や、そこから出てくる思想性を批判されておられますが、そのことによって「そうであるならば、われわれは、3・26を戦った全ての戦旗派の同志、仲間の精神、思想を、継承してやろう」という決意にいたったということが、この文章の主題であるわけです。
    「誰かがやらねばならなかった。だから私がやった」とは管制塔戦士の言葉ですが、その精神を体現してみせる。さらに「戦旗派だけではない」「ブントの精神、思想、魂までも引き継ぐ」とまで公開の場で言い切ったことの重さを理解してほしいと思います。

    「3・26当時の戦旗派とブントの魂」を引き継いで自己の人生を生きると宣言されたJさん。そういったものを否定して「パラダイムチェンジ」した「某氏」と「某団体」。どちらに共感するかは個々人の判断でよいのではないでしょうか。「誰もがどこに行くのかは、自由に決める権利を有しているのだから。私―われわれが、どうこう言えるものでもなければ、言いもしない」ということです。基本は「別個に進んで共に撃つ!」ではないでしょうか?

    Jさんが今回の決意表明にあたって、「某団体」への批判的表現を行ったのは、その経緯からさけられないことであったと思います。ただ、今後は運動に必要な最小限の範囲内でのみ行うということでよいのではないかと思います。とりわけ管制塔カンパ運動を進めていかねばならない時期ですから、執拗な批判はかえって運動にもマイナスイメージを与えるし、Jさんの意図を誤解させることにしかならないと思います。

    次に「某団体」の皆さんに対しては、やはり実践でJさんの批判に答えることを求めます。あなたがたはその気になれば、現時点でも単独で1億円払いきるだけの財政を持っておいでです。また、3・26を闘った諸組織の中では他者をよせつけない圧倒的な組織力をお持ちです。財政の使い道については他に使う事情がおありのように聞いておりますから、別に「1億払え」とは言いません。しかし今はすべての力を管制塔カンパ闘争に集中すべき時ではないでしょうか?カンパ闘争をアリバイ的にではなく、本当に全力で取り組んでいる所を見せてやろうではありませんか!少なくともその力量に見合った程度の、圧倒的かつ大衆的なカンパ闘争への取り組みを行い、もってJさんらの批判を見返していただきたいと思います。そしてそれは必ずあなた方に対する大衆的な信頼と権威を高めると思います。現在600万だそうですから、当然に合計は1600万ですよね?

    次に、ピカール・サン さんの「ソースを示すべきだ」という点については反対します。ソースについては本投稿掲載前にいろいろ教えていただいた点もあります。また、別のいくつかのルートなり人物からお聞きしたエピソードなどもあり、それらは一致します。しかしそんなものを明示したところで、「いや、真相はこうなんだ」とは言葉や文章の上のことならいくらでも言えます。お互いにそんな「泥試合」を演じることこそ「カンパ支援闘争全体にとってマイナスにしかならない」と思います。

    Jさんの文章は、非常に抑制的で、決意表明をするにあたり、どうしても必要最小限の範囲のことしか書かれていません(犬の糞のエピソードは余分だったかも?しかしそれも一部しか書かれていません)。ですから必要最小限の反論をしたいということであれば、最低限の礼儀を守っていただいた上で、ここに残しておいていただければと思います。その場合も「泥試合」にならないようにお互いに注意すべきことはもちろんです。この点、Jさんにも「某団体」にも強く要請します。

    私は批判のための批判、「某団体」を何かしら貶めて孤立させることを喜びや目的とするような人々とは組しません。むしろすべての人々がわだかまりなく手をとりあって、皆が今回のカンパ闘争にすべての力を集中していくとこを望み、訴えるものです。そのためには百の言葉よりも一の行動です。実践をもって、すべての批判を粉砕していただきたいと思います。皮肉ではなく。

  •  「カンパを運動をネグレクトしている」と批判さている「某党派」は、それでもすでに単独で600万円集めているわけですか? 大したものですね。そうすると積極的にカンパを訴えているインターやプロ青の人たちは、それを数倍するカンパを集めていることでしょう。9月18日の集会が楽しみですね(行けないかもしれないけど)。
     J氏や草加氏、および個々にコメントした諸氏も、「某党派」を数倍するとカンパを集める決意があるというのもすばらしい話しだと思います。僕も、もう少し頑張ってカンパします。
     「某氏」や「某団体」への批判が、彼らのカンパ闘争を、より積極的なものへと促すように働くといいと思います。でも、さんざん批判しておいて、「カンパだけは出せ」というのは、そうなるのかなー。普通の個人だったら、気持ち的に引いてしまうよね。噂話や伝聞ばかりが広がって、「泥仕合」になることを恐れます。

  • これもまた「公」ですね。
    では、国や政府と対立する形で「公」を構築するのと、国や政府を民主主義を利用して「公」にするのとどちらがよいのでしょう。
    僕は両方必要な視点だと思います。前者だけにこだわって後者を忘れてはならないのでは?

  • 大したことではないのですが、多少付け加えたいことがありますので、以下書きます。
    それから、ピカール・サンさんに、私からの返事もあります。

    では、本文。
    経済原則(?物資的生活資料の生産、再生産?新しい欲望の産出?新しい人間の生産=繁殖)を、人間はいかにして実現して行くのか、ということについて。
    協働ーつまり何人かの共同した労働(精神、肉体)をもって、われわれ人類は歴史をつくっていくということです。
    掲載された私の文章には、そこが明確ではありません。と、いうか、誤解を与える可能性が大です。
    マルクスの『ド・イデ』命題の、四つの契機ということにつきます。

    もう一つ。
    共役という言葉ですが、これは広松渉の提起している内容を、そのまま引き継いでいます。
    本当は、広松の通りに「くびき」という漢字を使用したいのですが、変換をしてもでてきません。多分第二水準を探せばあるのでしょうが、『広辞苑』で調べると、「書き換え字」となっていますので、そのまま、共役を採用しました。
    以上お断りします。

    >ピカール・サンさんへ

    ネット社会というのは、匿名性が高いので、色々な反応がありますね。
    本当は、無視しようと考えていたのですが、草加さんが真っ当な回答をしているのをみて、そうもいかないと考えるに至りました。

    ピカール・サンに申し上げますが、私は「特定の個人・組織がカンパ・支援闘争をネグレクトしていると断定してい」るとは、一度も書いません。
    3・26闘争、三里塚闘争の正義、大義を真正面から掲げて、カンパ活動をしてくれないか。そういう精神世界、思想性を開陳することが問われているのだと、論じているだけです。
    そうでなければ、1億円だろうが、2億円だろうが、多くの大金をを集めたとしても、「仏つくって魂入れず」になると考えるからです。
    金額が重要でないとは、いいません。今回のカンパ活動においては、絶対に実現されなければならない金額です。

    しかし、その大金に私達の思想性、精神世界=魂でもいいのですけど、それらがこもっているか、いないかでは、天と地ほどの差があると思いませんか?
    カンパを集めることを通して、知らない人間達、バラバラになっていた人間達が、一つの意思、思想の下に参集することになると、私は考えるからです。
    そうした人間達の共役は、人間だからこそできる、何事にもかえがたいことではないでしょうか?
    私は、かかる運動を展開しよう、そうでないなら、第二次ブント以来の歴史性を継承するということを含めて、私―われわれが引き受け、引き取ると言っているのです。

    続いて某氏の「俺は関係ない」発言ですが、色々弁解されているのは知っています。某団体の現役の人からも、その「解釈」については、直接聞いたこともあります。
    ソースを示せということについては、草加さんの見解の通りです。
    いくら示しても、無駄=言った言わないの「泥試合」になるだけですから。

    私は戦旗派にいた時からですが、相互止揚性の欠落した論争=弁証法的関係性の成立しない討論、論争には、関与したくないと考えていました。
    ですから、貴方への回答は今回限りとさせてもらいます。
    後は、どのように理解されようとも貴方の自由です。

    ただ、私が抑制された表現をしていること、草加さんが私は「必要最小限の範囲のことしか」書いていないいと言われていますが、、そのことの意味は承知しておいた方がいいと思います。
    何をどう書こうが、貴方の自由ですが、貴方が某団体で活動歴を重ねたの現役の方なら、あるいはそうでなくとも、現役の方と相談できるような距離にいるならば、できるだけ責任性の重い方と相談してから、投稿することをお薦めします。
    その方が、御身ら、御身のためです。

    >草加さんへ

    近々栃木県の那珂川の側で農場というか、農家を購入する予定でおります。
    そこで無農薬野菜、有機農業などをやってみたいと考えております。NGO活動の一環として、そこは共同体の研修宿泊施設になるのですが、住み込みで働く人が必要です。みんな仕事があり、そこでの収入が当該施設で働く人間の生活費となるので、手を上げてくれる人はいないと思って、予想しています。
    そうなったら古い農家を改築して、別荘にでもしようと考えています。
    そろそろ還暦になるので政治生活を引退し、自宅とその別荘を行き来して、残り少ないと思われる人生を、優雅に送りたいと思っています。
    草加さんも、お時間がありましたら共同体の研修宿泊施設というか、本質的には私のものとなる別荘を尋ねてみて下さい。

    そんな夢を、昨晩見ました。
    正夢にならないことを、願うばかりです。
    ア、ハハハハ。

  • うーん、研修施設名目で実質別荘かあ。んで政治活動を引退して、趣味的に無農薬野菜作って優雅に暮らす。
    別にいんじゃないでしょうか?もし、土岐(J)さんが見たその「夢」が、「自分の労働でコツコツ働いて貯めたお金で実現する」という前提がついているんなら、誰も非難するいわれはまったくないと思いますよ。自分で働いて貯めたお金ならね。それなら私も一度遊びによせていただきたいくらいです。50歳代も終わりになって、ふとそういう生活をしてみたくなるのも、わからないではありませんから。
    それでその「夢」の中では、費用はいくらくらいかけることになってましたか?1億くらいかけちゃうんですか。

  • 草加さん>

    ごぶさたしております。以前、一度「旗旗」に投稿した風無です。
    今回のカンパ闘争、ことにJさんの決意表明に接し、色々考えました。私は3.26を知らない80年代半ばの結集組です。そして「第三の試練」「89事態」の中で脱落しました。逃げて市民生活を一度は始めましたが、党と仲間を裏切ってしまったという罪悪感に悩み続けてきました。
    結局、現在は薄給のNGO団体職員として運動にしがみついていますが、いつも戦旗派という存在と、そこで闘い続けるかっての同志たちの幻影が脳裏をかすめ、私を苦しめてきました。
    しかし・・・・今は坦懐となりました。「ああ、そうだったのか」と頭ではなく気持ちで理解できました。
    もはや戦旗・共産同の精神と義は某団体には流れていない。むしろ組織を離れた心ある人々の中にこそそれは生きている。「己が党である」という言葉を別の意味で懐かしく思い出しました。微々たる金額であれ、今こそカンパ闘争を通じて「私」という「戦旗」の意地と誇りを見せてやります。
    無論、草加さんの言葉どおり、某団体は敵ではないのですから「別個に進んで共に撃つ!」です。彼らにもぜひ頑張ってもらいたい。
    最後に。元北原派系団体の組織出身でありながら、このカンパ闘争に熱心に取り組んでおられるアッテンボロー氏に敬意を表します。あらゆる立場をこえて敵の攻撃に抗していきましょう。

  •  カンパ闘争の盛り上がりに水をさすようですみません。
     どうしても言いたくて。。BUNDのカンパについて感じたこと。

     金額600万?への評価について。これが事実なら、やはり正当に評価されるべきだと思います。

     もちろん、カンパを闘争=ムーブメントとして考えた場合、どういう人々が集散しどのような動きを持ったか・・後にどういう影響を与えたのかという、「運動的側面」もまた『評価』の対象になると思いますし、だからBUNDのそういった運動側面への評価には、「不満」を表明される方がいてもしかるべきです。
     しかし、そもそも大路線転換をして左翼運動体のフレームから自ら足を半分抜いたところですから、路線的に見て無理が生じるかもしれない。そんなこんなを差し引くと運動的評価としても、よくやっていらっしゃるのではないでしょうか。

     私は戦旗の活動歴は短く、皆さんほど組織の深い実態を存じ上げませんので、フツーの感覚で言わせていただきますが、【深い思い入れと汗と努力による1万円】と、【軽いノリ(でもないでしょうが)で千円を10人分集めた1万円】と、どちらも同じ1万円は1万円でなければならないと思います。
     そうじゃないと、たとえば、街頭でカンパを募ったとして、
      「よくわからないけどお金を入れてくれる人」や
      「主旨には反対だけどお金を入れてくれる人」の
      ●募金を断ることができるのでしょうか?(断ることが正しいのでしょうか)●
     特に今回のカンパ闘争は、所定の金額を集めることのウェートが高い運動だと思います。
     BUNDさんの肩を持つために言うわけではありませんが、もし600万が本当なら、
      ●回りは大きな謝意を持って評価すべきだと思います。それが正義だと思う。●
    (私自身はむしろ浪花節な性格ですから、実際には金額の多寡だけではない・・汗が苦労が・・と、ついつい思ってしまう部類なのですが、自己にも戒めて上のようにあるべきだと感じます。)

     戦旗は3.26の当事者組織ですから今回の1億支払いには「責任」があると思う。
     払って当然だとも思います。(だからこそ金額的に頑張ったのかもしれない・・)
     しかし この部類こそは、今回のカンパ闘争よりもっと根が深い問題なのかもしれません。
     ●「たとえ路線転換しても 過去の運動には責任をとれ!」と思います●
     さて、たとえば中vs革の「過去」に上を当てはめた場合、当事者組織はいったいどう責任をとるのでしょうか。 またそれが未来のためになるのでしょうか。

     本当に答えがわかりません。