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三里塚

誰が成田に空港を持ってきたか?

 先日書きました「空いっぱいの飛行機」というエントリーに、何人もの方がコメントをよせていただきました。そこではむしろ右派系のブログを運営されておられるhideさんRRさんのような方から「成田は、完全に選定からの間違いを考えてゆかねばなりません」などのコメントをいただいたりしました。また、Chic Stoneさんからは「では、どうすればよかったのか」という根源的な問いもよせられています。40年もかけて(!)やっとこういうことがこの国で自由に論議できるようになったのかと、嘆息と共に思います。

 なぜこういうことが当事のマスコミなどで強く議論されなかったのでしょうか?答えは明白で、ちょっとでも空港建設に異議を唱えるものは、反対派や過激派の味方として、公安から強く睨まれたり、保守勢力からいろいろと攻撃されたり圧力を受けたからです。「朝日ジャーナル(現在は休刊)」などの一部のマスコミを除けば、それを跳ね返してまで論をはるのが、一言でいって「めんどくさかった」んだろうと思います。

 国会で空港反対派への「暴力反対決議」が自民主導で提出された時も、衆参両院を通じてこれに反対したのは、青島幸雄議員たった一人でした。青島議員は投票時に「暴力賛成か!」などと怒号を浴びていましたが、彼は「公団側の強権姿勢も問題」という立場、いわば「話し合いによる解決」を主張していたにすぎなかったというのに、そういう見解さえ問題視されたわけです。

 近年になって、政府が農民ら反対派に空港建設の経緯について公式に謝罪したとたん、政府の「お墨付き」を得たとばかりに、その問題性を指摘する論調が目につくようになりました。しかしこれも基本的には「政府が話し合いに転じたことを歓迎する」というのが趣旨です。そして政府が再び手のひらを返して暫定滑走路の延長や、管制塔被告への賠償請求など、再度強硬姿勢に転じるや、これへの批判はいっさいなし!それまでの論調はいったい何だったの?と言いたくなるような不甲斐なさです。

 では、問題となる「空港用地選定の経緯」とはどのようなものだったのでしょうか?
 茶々丸さんという方が「昭和の重要事件」を集めた「事件史探訪」というサイトを運営されておられます。ここにかなり客観的に選定の経緯が説明されています。私の筆力では茶々丸さん以上の説明ができないと思いますので、少し長いですが、その一部を引用させていただきます。

 昭和37年11月21日、羽田国際空港の混雑解消のため新たに「第二空港建設構想」を運輸省航空局が発表した。この青写真は都心から100キロメートル内で羽田空港の7倍の面積に4000メートル級の滑走路2本を含む5本の滑走路を持つ最大級の国際空港を目指した。運輸省は前年の昭和36年に候補地の調査を実施し千葉県富里地区と茨城県霞ヶ関地区を候補に挙げていた。

 昭和38年に入り政界の大物達が次々に候補地を口にし始めた。運輸大臣・綾部健太郎が「千葉県浦安沖埋め立て」を発表すると政界に影響力が大きい建設大臣・河野一郎が「木更津沖埋め立て」を主張。以降、候補地論は政界・財界で激論が交わされる。

 昭和40年7月、河野一郎が急死すると主導権は建設省から運輸省に移る。ここで、千葉県知事の友納武人が千葉県の湾岸地帯は重工業を起こしたが北総台地は農業が主体の地域で発展に繋がると自民党総裁であり首相の佐藤栄作に千葉県への新空港決定を請願している。昭和40年11月18日佐藤内閣は新空港を千葉県富里に内定した。

 翌41年2月7日、富里への新空港建設反対派3000人は千葉県庁に押しかけ大乱闘となる。これで暗礁に乗り上げたと思われた矢先の同年6月22日、佐藤首相友納知事の会談で「三里塚の御料地(皇室領地)と周辺の県有地を中心にして民有地にかかる面積を極力圧縮して建設」したいと発表。ここに富里撤回、新たに三里塚の候補地が浮上した。

 政府及び運輸省は「富里は古くからの農業地帯で立退き戸数およそ1500戸に対して三里塚は戦後の開拓農家が多く立ち退き戸数も数百戸で済む」という実に安易な発想から決定した。この三里塚案は、佐藤内閣を誕生させた自民党副総裁の川島正次郎と運輸省次官の若狭得治及び友納千葉県知事の3者で決定し佐藤首相が承認したものだった。が、彼らはあくまで机上の論議で事を進め地元の農家には事前の話も協議も無く凡そ民意を全く考えたこともなかった。

 この突然の決定に三里塚の農家や学生運動の全共闘らが激怒。反対運動を展開し前述の強制代執行の激突となる。それは現在まで続いており建設から40年かけて2本の滑走路という「世界一恥ずかしい国際空港」として営業している。

事件史探訪成田空港闘争・強制代執行より)

 建設の「決定」(内定ではなくいきなり決定)を現地の農民が知ったのは、テレビニュースの報道を見てというのが実態でした。自分達でも知らないうちに、ある日突然、いきなり自分の住んでいる土地に空港ができるというニュースが流れていたのです。

 だいたい富農地域である富里で失敗したから、「ほとんどが官有地で、残る農家も戦後からの貧乏な開拓農民である三里塚なら楽勝」という発想が人をバカにしています。ほとんどが竹薮や石ころだらけ、水田は腰まで埋まるような「深田」ばかりの土地を、死ぬような思いで開拓してきた農民の心など、一顧だにしない机上の決定です。しかもその後の交渉は、言葉だけは慇懃だが、「相場の何倍もの金額」の札束で人の頬をはたくような無礼なもので、反対するものには機動隊の暴力で押さえつけるなど、およそ「誇りをもった人間」なら受け入れがたいものでした。その後の反対運動の中心になった農民の一人でさえ「あの時に礼をつくして接してくれていたら、自分は土地を売っていただろう」と述懐する人もいたくらいです。

 で、Chic Stoneさんの「では、どうすればよかったのか」という問いかけです。これには二つの側面があると思います。一つは、空港が真に人民のためのものであるべきこと。これには政府そのものが「人民の代表」であることも求められます。二つめは、そのために犠牲になる人が、その犠牲にみあった尊敬を受けるべきことであると思います。

 一つめの「空港が真に人民のためのもの」であるのかどうかはまた多岐にわたる議論になるでしょう。これについては以下のアッテンボローさんのコメントが、当事の私たちの共通認識でした。

「当時羽田空港や横田基地がベトナム戦争のためにフル回転していて、航空管制の点で東京の北方にしか空いている空域が無かったために最終的に土地の買収が容易であろうと考えられた三里塚に決定されたと聞いています。ですから三里塚の農民が軍事空港反対を掲げているのは全く当然のことだと思います。現に自衛隊や米軍が成田を利用して海外に出撃していますから」

 ですから私たちは「三里塚軍事空港反対」を掲げていました。いずれにせよ、空港のような公共性の高いものは、民衆全体の共有財産としてしか存在してはならないことは当然でしょう。

 次に「犠牲になる人が犠牲にみあった尊敬を受けるべきこと」です。政府の謝罪もこの点にあったわけです。
 これにいつも思い浮かべるのは、私が高校生の頃に読んだ、中国の公共工事政策です。これは毎日新聞のコラム欄で、中国在住の方が寄稿したものでした。切り抜きはすでに紛失していますので、例によって記憶にたよって書きます。

 確かまだ毛沢東存命中からの政策なので、いかにも毛沢東らしい「民衆の政治動員」という視点が貫かれています。つまりダムなどの建設にあたり、そのダムがいかに政治的に必要で、国家と民衆の生活向上や発展のために必要であるか、その政治的意義から、犠牲となる村人などに「政治的意思統一」を丁寧にとっていくというのです。そしてここが重要なのですが、それを決して強要しない。最後の一人が納得するまで何度でも政府と党の工作員が足を運んで説得し、全員が同意するまで決して工事を着工しないというのです。

 こうして全員が納得した後は、たとえば農民なら農民としての生活が続けられるように、政府が全面的に補償するのはもちろん、必ず以前よりも条件の良い土地に移れるようにするということです。さらに立ち退きは同じ日に一度に行いますが、立ち退きの式典を行い、当日はダムならダムの建設で利益を得る流域の住民などが総出で式典に立会い、犠牲となる村人達を「国家の英雄」として感謝し、鐘や太鼓で称えて見送るということでした。

 中国には「小局は大局に従い、大局は小局の面倒を見る」という原則がある(あった)そうです。この政策には、政府の政策が真に人民の利益を考えている、決して一部の資本や土建屋の利益・利権のために動かないという大原則が必須です。

 今の中国政府の「経済利益優先」の政策、資本主義化の波の中では、こういった公共政策が守られていることは考えにくいし、資本主義下では無理がある政策だとは思います。そこでは「人間の誇り」も金銭に見積もられてしまい、金にならない物や、金では買えない物(人の心・自然環境など)は、多かれ少なかれ切り捨てられてしまうからです。ですが、かつての中国のこの政策はひとつのヒントになるのではないでしょうか?

参考

「事件史探訪」とよく似た趣旨で、こういうサイトの記事もあります
成田空港占領事件(1978)

以下は成田空港周辺の空撮写真です。周囲の緑豊かな田園地帯から反対派の目で眺めると、本当に空港はぽっかり浮かんだ島のようです。もっとはっきり言いますと、サーチライトで四六時中照らされた刑務所、もしくは軍事基地のようにしか見えません。
成田空港空撮

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  • 草加さんの言いたい事は分かるが、つまらない論争を逆にしたくないので、ちょっと余計な意見を書かせてもらいます。

    ここで引用されているような中国の実例は、私が思うにまずありえない。反共だからいうのではない。大躍進時代(大飢餓)、文革時代の様々な悲劇、その後の停滞、毛沢東死後の4人組裁判・・・こういう歴史的経緯を今読み直して、こういう処置が取れたと思いますか?仮にそういう時期があったにせよ、それがどの程度続いたでしょう。今の中国だからなくなったのではない。毛沢東時代、多くの飢餓や混沌があったことが「思想や理想よりもお金」と言う現在の中国を招いているのですよ。

    まあ、現実の中国ではなく、一つの理想像としての「あるべき理想社会」を草加さんが言いたいのは理解します、ですからむしろ、マフノがウクライナで築こうとした農民共和国や、スペイン戦争で反スターリン主義を貫きソ連とフランコの双方から抹殺されたスペイントロツキストやアナーキストの理想、理想を貫いてスターリン主義ともファシズムとも帝国主義をも拒否し、世界の矛盾を耐えぬいた左派思想家達(お名前は皆さんの方が詳しいと思います)などを令にした方がいいと思いますよ。つまらない言いがかりと思うかもしれませんが、ソ連や中国のスターリン支配の犯罪性は、左派の皆さんの方が私よりよっぽどご存知と思います

  • こんばんは。私は田舎に住むものでありますから、道路を通したりといった公共事業でどれだけ劇的に町が発展し生活が便利になることがあるか、というのを身を持って感じています。その一方で、国家プロジェクトクラスの巨大公共事業に関してはまず実行ありきでやってしまうマズさがあると感じてもいます。その中でも成田に関しては昔から「なんであそこなん?利便性から言ってもバカバカしいほどの位置じゃん」とか思っていたのですが、今回のエントリーを読ませていただいて疑問が解消、加えてなんだかとっても空しい気分になりましたね・・・。中国に関しては一時期の理想は消え果て、三峡ダムに関しても立ち退きを迫られた人たちのひどい現状が伝わってきます。しかし昔は人民すべてが幸福になるという理想が生きていたのですね。大変勉強になりました。

  • 中国や北朝鮮の人権侵害との闘いに力をつくしておられる三浦さんですから、下の文章自体も実は大変に怒りを抑えて書かれたものかと推察し、同時に抑制していただいたことに感謝いたします。

    さて、問題の「毎日新聞のコラム」ですが、何しろ昔のことで原文がありません。個人署名の寄稿で、中国に在住中の文筆家の報告、いわば「私の見た中国」みたいな内容であったと記憶しています。その人の名前と経歴がわからないと、判断も下せませんよね。
    こういう状態でありますし、こと「中国」という国名をくっつけると、いろいろ過剰に反応する人が多く、そのことについては先の「誰が中国を養うのか」というエントリーで懲りておりましたので、一時は「旧社会主義圏の某国」という表現にしようかとも思ったのですが、基本的には中国なりどこなりの国の評価ではなく、「ではどうすればよいのか」と問われた時、20年以上にわたっていつも私の脳裏に浮かび続けるエピソードとして一度は書いておきたいと思いました。べつに「実際には存在しなかった政治的御伽噺」にすぎないと思っていただいても結構です。

    しかし三浦さんの指摘は「中国と聞いただけで過剰反応する一部の人々」とは違って鋭いものがありますね。まあ、中国革命や毛沢東の評価については、左派の中では千差万別、非常に多岐に分かれていまして、だいたいトロツキズム系の人は非常に否定的ですが、私たちは「一部評価」という感じでした(そう簡単に言えるもんではないですが)。

    RRさん。まあ、そういう感じですので、このエピソードはとりあえず「中国」とは切り離して考えておいて下さい。中国と毛沢東、およびこのエピソードとの関連については、ここではなく、また別の機会にちゃんと論議いたしましょう。

    しかし羽田も沖合いに拡張した今、最も現実的な選択は、将来的な廃港を視野にいれた、成田の機能の縮小、羽田移転だと思えるのですが、違いますかね?40年もかけて、いまだに完成しない成田の建設を進める理由は「1兆2千億円もかけたプロジェクトを今さらやめられるか」みたいなところでしかないように思えるのですけれど。

  • はじめまして。かれこれ20年以上前に美濃部という都知事が同じように一人の反対もなくなるまで公共事業をしないといったために、8年間東京の公共事業が停滞し、その影響でいまでもひどい交通渋滞に苦しんでいることを思い出しました。全く理想主義というのは人を幸せにしません。さて陸の孤島といわれたころと異なり便利になった成田空港はもう廃港にはできないでしょう。毎年たくさんの人が喜んで利用している状況ですし。左派の人は成田の動乱を利用して一挙に革命まで持って行きたかったのでしょうが(もちろん本当に農民の人に同情した人もいたでしょうが)それこそもう成田闘争では一般の人は関心を持ちません。もう農民の人を闘争から解放してあげて、静かな余生を暮らせるようにしてあげたらいかがでしょうか。

    ついでに、毛沢東には誰一人反対しませんよね、だって殺されちゃうんですから、反対すれば。反対者を粛清すれば全員一致で賛成なんて簡単というものです。

  • >草加さん
    >中国と毛沢東、およびこのエピソードとの関連については、ここではなく、また別の機会にちゃんと論議いたしましょう。

     いやいや論議だなんてw 私はそのへん無知もはなはだしい無学な凡人ですので、論議するようなものを持ち合わせておりません。いい加減なイメージとしてソ連とおんなじよーなもんかな、ぐらいに思ってた程度で。もし草加さんにお時間があって気が向かれたときにでも冷戦時代下・毛沢東政権下の中国についてはいろいろと教えてもらえると嬉しいです。もちろん他の方にもご教授願えればありがたいと思います。

  • >毎年たくさんの人が喜んで利用している状況ですし。

    喜んで利用してるというのは実体験からの感想でしょうか?
    私の周りでは、「遠くて不便だ」「羽田のほうがいい」という不満だらけですけどね・・・

    >反対者を粛清すれば全員一致で賛成なんて簡単というものです。

    成田で反対派を弾圧した機動隊の方々も反省しているでしょうね・・

    >もう農民の人を闘争から解放してあげて、静かな余生を暮らせるようにしてあげたらいかがでしょうか。

    まったくもって同意します。ぜひ政府にそういった意見をぶつけていってください。

  • hiroさんへ>
    美濃部さんは左翼ではなく社民ですからね。左翼と社民は右翼と保守みたいな関係でしょう。私は左翼は階級闘争を行い、社民は弱者救済を主張すると考えています。時に「社民のおばさん」のほうが「左翼の闘士」よりよほどまともなことがあるのも、右翼と保守に似ています。

    おそらく議論しても結論が出ないと思いますので、一言だけ。たとえば中国の人権侵害や、公共工事で犠牲になった人々の現状に対する批判を私が書いたとしたらなら、やはりhiroさんは美濃部さんを持ち出して、同じ批判をしたのでしょうか?

    「した」とか「全体のために少数の犠牲はやむをえない」とか断言されるなら、もう何も言いません。ちょうど成田空港建設を開始した時の政府と同じ主張です。その結果がどうなったかを彼らは今、思い知っているわけです。
    「ぼくの村の話」では「民主主義とは礼儀のことではないか?」という言葉ではじまっています。どうか噛み締めてほしい。民への礼節を失えば、どんな素晴らしい制度も憲法も法律も、すべてむなしい。また人は誇りをもっているものだから、金だけで動くとは限らない。

    あと、どのような立場に立とうとも、「人権」というキーワードは共有してしかるべきではないでしょうか?もちろん私と三浦さんが「共闘」することは、現実社会ではさける、あるいは「ほどほどに」すべきだと思っていますが、それぞれの信じる道で、自分の行きかたで、人権について考えてほしい。「人権」を都合のいい時にだけ口にすべきではない。

    中国についてはRRさんへのレスの通りです。中国が、とりわけその現状がどうあれ、三里塚農民の状況は変わりありません。

    あと、主観かもしれませんが、成田が(関空も)「便利」だとはとうてい思えませんよ(笑)。
    まあ、東京を基点としての話ですから、成田市にすんでいる人には便利なんでしょうが。

  • こんにちは 草加様 意見はきっとすれ違いになると思うので再度意見を言うのは辞めようと思っていたのですが、いろいろとわからないことが多いので質問させてください。
    左翼と社民が異なるということは初めて知りました。勉強になりました。ありがとうございます。
    「全体のために少数の犠牲はやむをえない」かと言われると、それはやむをえないと答えます。ただし我慢できる程度というものはあると思うので、それをきちんとしなければいけないという主張は賛成です。成田についてはそこの部分がおかしいという主張も理解しています。しかしだいたいあなた達だって人民のためには資本家の犠牲はやむをえないと言っているではないですか。左翼の人にそんなことを言われるのは心外です。
    「民主主義とは礼儀のことではないか?」というのは初めて聞きました。私は民主主義というのは社会制度のひとつであると考えていました。日本では年上の人を苗字にさん付けで呼ぶのが礼儀ですが、アメリカではファーストネームを呼びすでにするのが礼儀です。でこのことは民主主義とどう関係があるのでしょうか。もうすこし噛み砕いて教えていただけると幸いです。
    ついでにあなた達の敵である日本における資本階級というのはどんな人たちのことをいうのでしょうか。左翼の主張の根本がいつもわからなくて困っています。
    人権についてはむずかしいですね。どこまでが権利でどこからが欲望やわがままなのか、そのあたりの境界線はむずかしくてわかりません。なるべく軸がぶれないようにはしたいものですが正直自分に甘くなるので注意すべきであるとは考えているのですが。そう意味では人権という言葉を都合よく使用しているというご批判については返す言葉がありません。法律というのがひとつの基準にはなるのでしょうが。

    最後の質問です。20年前にさかのぼっても良いのですが成田がだめならどこに空港を作ればよかったのでしょうか。羽田はだめです。これ以上東京湾の環境を破壊するのは私が反対ですから。もちろん私の気持ちを犠牲にしたうえで羽田にすべきであるというのであれば私はしぶしぶ我慢しますが。

    成田不便ですか。あれだけの規模の公共施設をもっと便利なところになんて、ちょっとわがまますぎませんか?

  •  hiroさん今晩は。「旗旗」にも登場されましたね。この時間帯多分草加さんはお仕事の最中だと思いますので簡単にhiroさんの疑問点について答えさせて頂こうと思います。
     左翼、とりわけ共産主義者はプロレタリアによる階級独裁を主張しています。hiroさんが疑問というか納得出来ない点といいますか「人民のためには資本家の犠牲はやむをえない」という部分ですね。考えて欲しいのですが今日の日本で雇用労働者は約6000万人います。資本家といわれる経営者は中小零細企業の経営者を含めていったい何万人いるでしょうかおそらく100万もいるかいないかだと思います。そして現在の資本主義社会は圧倒的少数の資本家階級によるブルジョア独裁の社会であるというのが共産主義者の社会観です。
     ですから少数者が圧倒的多数を支配するために警察や軍隊等の暴力装置を活用して被支配階級である労働者を抑圧しているのです。逆にプロレタリアの独裁は圧倒的多数が圧倒的少数を抑圧する形になります。その為に全人民の武装が必要であると考えていますし、少数の暴力を独占する集団である警察や軍隊は必要なくなっていきます。この変の内容は、先日うちのブログにコメントを頂いた時にレーニンの「国家と革命」を推薦しましたので一読して下さいと鹿言いようがありません。勿論その事でhiroさんを左翼の運動に引きずり込む様な事はしませんしお勤め先で管理職をされている訳ですから参加される事も無いでしょう。ただこれからの戦争と第失業の時代の中で左翼の運動が一定程度高揚すると思いますので、労務管理の観点からで結構ですので一読して下さい。

  • 新空港予定地が成田に決定された経緯についてはこんなサイトもありますね
    http://www.jca.apc.org/~misatoya/narita/03.html

    反対派にはお馴染みの鎌田慧氏の文章ですね。

    全てにおいて農民無視の横暴だったことに加え、こういう利権構造があったのかと思うと怒りを通り越して悲しみさへ感じます。

    闘いの中で命を落としたり、体や心に深い傷を負った人だけでなく、
    条件派に転じた人の中にも責め苦を追い続けた人もいるでしょう。

    果たしてあの空港が出来たことによって幸せになった農民はいるのでしょうか?

    まさに「ここに空港を持って来たものたちを憎む」です。