by ジグザグ会/公式
昨夏の安保法制関連法案採決阻止・安倍政権打倒の闘争では、国会前に多くの人びとが結集した。私たち反原発ジグザグ会は、7月中旬の衆院強行採決阻止闘争と9月中旬の参院採決阻止闘争を闘った。
とりわけ参院に焦点が移った8月以降の闘争では、ハンガーストライキにより法案制定の阻止と安倍政権打倒を訴える学生ハンスト実行委員会(現在は直接行動(DA)に改組)のハンスト闘争を全力で支えるという方針のもと、「ハンスト勝手連」を結成しつつ反安保法制闘争を闘い抜いた。
学生ハンスト実の闘いは、この夏の反安保法制闘争に明確な分岐をつくりだした闘いだった。すなわち、警備公安警察との睨み合いと妨害という24時間の緊張関係の中で、ドクターストップがかかるまでの7日間にわたって続けられた壮絶な国会前ハンガーストライキは、一方でネット上でのネトウヨどもによる執拗なまでの猛反発をひきおこしたが、それ以上にわれわれの予想以上の共感・連帯の広がりを生み出し、国内外のマスコミにも大きく取り上げられたのだ(国会前行動の帰りには学生たちへの握手の行列ができた)。それによって警察もうかつに手が出せない状況がつくりだされていった。
さらには、「ただ国会前でシュプレヒコールを挙げているだけで良いのだろうか?」という素朴な苛立ちを持つ参加者に、非暴力・不服従・直接行動といった一定の方針と明確な方向性を示すことで、戦闘的に闘えば闘うほど仲間が増えていく好循環がうまれた。ハンスト終了後の9月6日の辺野古連帯国会包囲闘争、さらには中旬以降の闘いでは、ハンストをはじめとする運動の中で出会った多くの新しい仲間たちと、国会前での座り込み行動を共同し「沖縄のように闘おう!」という方針を、運動に参加する人々に実践をもって提起することができた。
9月中旬(16日)の国会正門前大量逮捕は、もっとも戦闘的に闘っていた中心的な仲間への狙い撃ち弾圧、運動潰しであった。8月30日、9月14日と国会正門前の10車線ある車道が完全に人びとにより占拠されたこと、地方公聴会(新横浜)の会場周辺も抗議参加者の座り込みにより車道が封鎖されたことは、警備警察にとって由々しき事態と受け止められたようだ。それにたいする報復弾圧が9月16日の13名不当逮捕だった。公安警察の指揮者が次々と学生実のメンバーを指差して隊列から暴力的に引きずり出し、無抵抗の人間の顔を殴りつけて連行するという、もはや隠そうともしないあからさまな政治・思想弾圧だった(我々とは無関係の第三者による目撃談と写真ブログ)。
ジグザグ会も当初より弾圧された仲間たちへの救援活動を支え、警察署に不当に勾留されている仲間を激励する行動に積極的に参加した。弾圧によりかえって運動が広がる様相が生み出される中、9月25日には救援の仲間や弁護士の尽力もあって、勾留延長がついていた仲間も含め全員の早期解放を勝ち取ったのである。
突然の奪還に、急遽場所を確保して行われた報告集会には、なんと当日ツイッターなどを見て駆けつけた人々が100名以上も集まって会場に入りきれない状態となり、もはや私たちの運動が、この程度の大量逮捕ではびくともしない質と広がりを持ちつつあることを示した。何よりもこの勝利は、不当弾圧の被害者が獄中でもひるまず非妥協・不服従を貫いたことによってはじめて可能となったものであり、彼らの勇気ある行動と態度、そして釈放までの経緯全般は、今後の教訓として広く運動圏で共有されるべき事実である。
私たちジグザグ会は、安保関連法案が制定されてしまった現在も闘い続けている。当面の課題は、沖縄辺野古の基地建設を阻止する闘いへの連帯である。この闘 いに勝利しなければならないし、この闘いは勝つことができる。安保関連法の具体化、安倍政権の戦争遂行に歯止めをかける闘いとして、また、私たちが反原発運動をはじめた原点である「他人を犠牲や踏みつけにして得られる『平和』も『繁栄』もまやかしであり、それを拒否する」という運動の初心に今一度たちかえ り、沖縄辺野古連帯の闘いを、安保法制反対の中で新たに合流した仲間たちとともに担っていきたいと考える。
(ジグザグ会ブログより)