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三里塚闘争

「これは、お金ではない!」国交省よ被告団の声明を刮目して聞け!

 遅ればせながら、カンパしていただいた皆様への報告の一環として、11・11の叩きつけ行動の際、1億300万円と共に、国に叩きつけられた「元被告団声明」を転載いたします。

【法務省・国土交通省に対する声明】

三・ニ六管制塔元被告団

 27年前の管制塔占拠闘争に対する損害賠償請求は、今年7月時効を迎えようとしていた。
 その直前の4月、突然1億300万円の強制執行を始めた法務省・国土交通省殿、あなた方が、給与の4分の1や全てを満額に達するまで納め続けよとした全額がここにある。

 これは、お金ではない。
 これは、16人の私達被告を今度こそ本当に人民の懐に奪い返そうという、全国の人々の暖かい思いの涙の結晶であり、正義と道義を愛する熱い魂である。これは、私たち16人の管制塔被告の生存を奪い去ろうとしたあなた方の仕打ちに対する、人々の憤怒であり、1億300万の怒りの炎である。

 あなた方は、失敗した。
 国の非道を正すために戦った私達は、万余の人々によって守られ、壊されることのない勇気と信頼、人々との繋がりは以前にも増して深かまった。

 それだけではない。
 職場を奪い、家庭を破壊し、生存を脅して私達被告を苦難に陥れようと10年間も密かに準備し、時効直前に強制執行の暴挙に出たあなた方の策略は、全国の人々の心に、怒りの炎を燃え立たせ、憤激は大河となった。普通に生活している私達の同僚、友人達を、みんな敵にまわしてしまった。20数年連絡もしないでいた人たちが、深いところで繋がっていることをみんなが知った。離れ離れになっていた被告が一つになった。被告団は10数年ぶりに団結した。

 感動的な再会があった。
 胸の熱くなるメッセージが寄せられた。生活を削って多額のカンパが津波のように寄せられた。少ない年金の中からの基金も頂いた。それは四ヶ月で一億円をはるかに突破した。お国に逆らった者に対する見せしめにしようとする狙いは覆された。

 献身的に戦うものは必ず救われる。
 1億円の基金を4ヶ月で集めるといういまだかってない事業が、全国の驚くほどの人々の熱い協力によって見事に成し遂げられた。三里塚闘争の37年は、この国の民主主義の問題において、農業問題において、地球環境の問題において、多くの原則的な事柄を、全国の人々にさらにはフランスのラルザックなどを通して全世界の人々に提起し続けてきた。今ここに、不合理と戦うものは必ず救われる、必ず報いられるという原則がそこに付け加えられた。

 見事に実現されたこの原則と約束は、今後のあらゆる戦いの場で貴重な財産となり、大きな力となって、権力の不条理に立ちはだかるであろう。三里塚で、畑を耕し、家畜を育て、大地に根をはるようにして暮らしている数戸の農家の屋根を擦るようにしてジャンボ機を飛ばそうとしている非人間的な仕打ちを許さない巨大な石垣となるであろう。

 さあ、国の非道を許さぬ人々の真実と正義を愛する心の結晶を受け取れ。
 私たちを深く包み、解放してくれた全国の人々の熱い心を受け取れ。

 我々16人の被告は、全国の人々に涙ながらの感謝の気持ちを表明しながら、限りない怒りをもって1億300万の熱い魂を、あなた方、法務省と国土交通省に叩きつける。

2005年11月11日

(転載ここまで)

 この、1億300万円が国に叩きつけられたということは、いったいどういうことを意味するのか?
 元被告の一人、津田光太郎さんが「人民新聞」に寄稿した文章の一節に、それを端的に示す箇所がありましたので、是非カンパいただいた皆様にも知っていただきたく、以下に引用します。

「・・・27年前、占拠闘争で多くの仲間と共に逮捕され、千葉刑務所拘置監で取調べを受けました。担当はY検事。取調べ中のY検事の発言はほとんど忘れてしまっていますが、取調べ最後の日、捨て台詞のように言った一言をなぜか覚えています。
『なあ、君、空港の開港は延期になったそうだ。闘争勝利だ。さぞ気持ち良いだろうなあ。今だけはな!でもこれから10年は塀の中だぞ。俺がそうしてやる。10年たったら仲間はバラバラだ。誰もお前のことなんか覚えてないぞ。寂しい人生だな』
(中略)
Y検事。誠に残念でした。今、はっきりと証明されました。あなたの負けです。完全な敗北です。そしてこの強制執行を自分のことのように心配下さったすべてのみなさん。本当にありがとう、あなたの、そして私達の勝利です」。

【参考】共同通信社記事の一部引用

●カンパで1億円完済へ 成田管制塔占拠の賠償
 -元同志「見捨てられぬ」 -国が突然の差し押さえ

成田空港反対闘争の元活動家16人が国などから1978年の管制塔占拠事件の損害賠償として約1億300万円の支払いを求められ、今年になって給料を差し押さえられたが、約4カ月で1億円近くのカンパが集まったことが29日、分かった。来月11日に完済する。インターネットでの呼び掛けに、闘争から離れた元同志が「見捨てられない」と協力したケースが目立つという。
 元被告らによると、16人は管制塔占拠事件で航空危険罪などに問われ、懲役10―3年の刑が確定。服役した後、所属していた党派を辞めて家族をもうけ、普通に働いている人がほとんど。成田空港問題は国側と反対派のシンポジウムや円卓会議が開かれ、国側が過ちを認めた。
 1995年7月の最高裁判決で、事件の損害賠償として約4400万円の支払いが確定。16人は支払わず、国側からの督促は96年8月を最後に途絶えた。ところが今年3月、勤務先に給料差し押さえの通知が突然届いた。利子が加えられ、請求額は1億円を超えていた。
(中略)
 勤務先から退社を求められたり、生活が苦しくなったりする人が相次ぎ、7月からネットでカンパを求めた。
(中略)
 元被告の一人で会社員の中川憲一さんは「うねりのような感じ。各地で昔の仲間が再会して活気づくきっかけとなった」と話している。

参考リンク

大木晴子さんの「明日も晴れ」
ムキンポさんの「かめよん写真館」
管制塔被告連帯基金

コメントを見る

  •  私は実は貴方側の人間に言わせると右翼なんだろうと思います。
     しかし成田闘争に始まり、今回のカンパの件に及んでは、
    正直に喝采の拍手を送りたいと思います。
     もはや、孫がいてもおかしくない年代のみなさんですが、私を含め、じゅっぱひとからげに、右だ、左だ、と線引きしてしまう狭量な感性に辟易している昨今です。
     間違いなく、国を憂いた若者が集結して、なりふり構わず、熱く、得体の知れない国家権力と戦ったのは事実です。
     単なるロマンチシズムではありません。グローバリズムの名のもとに、経済至上主義に走り、大事な物を失ってしまったこの国には、「右」と言われる私も、落胆してしまう心を抑えることが出来ません。
     どうか、熱い心根を絶やさないよう、国を憂う気持ちを忘れず、日々を健やかに過ごされますようご期待申します。
     (しかしネットはいいもんですね!)

  • 山親爺さん>
    ありがとうございます。一つだけ反論するとしたら、私はまだ「孫」という歳には早いです(笑)。まあ、10年以内にはそうなるでしょうが。

    「右の左の」という区別は私はやはり大切だと思います。しかし多様な内実を持つその潮流を、「右翼の輩は」「左翼は」と十羽一絡げにするのは確かによくありませんね。ましてや、「あいつは右(左)翼だから口もきかない」というとこまでいってしまうと、かえって不自然ではないか思います。

    人の幸福を願い、正義を求める者同士が、その主張をたたかわせ、交換するのは、ごく自然な流れです。思想の左右とは、畢竟「方法論」の違いだと思います。「絶対に敵だ!」という相手は、この「方法論」ではなくて、「目的」の違いによってわけられるものだと思います。

    最後に、このごろたまに私を「愛国者」に分類していただく右派の方がおられます。しかしかつて私らは、同じ潮流の方々からは「売国」に分類されていたんですよね。

    実はこれは私が変わってしまったというより、真面目な右派の方から見てさえ、真面目な左翼の反政府活動が、もはや「愛国」に見えてしまうほど、国あり方が磨耗、後退しているということだと思うんです。つまり「効率」ばかりで「心」がない。むしろそれに抵抗する左翼の側にこそ「心」の存在を感じてしまうということではないでしょうか。

    私達は「国のあり方を憂う」と言えば言えないこともありませんが、基本的には「国の圧政や暴虐を正す」、つまり「国を憂う」よりも、「国と闘う」という問題意識を持っています。
    ですから山親父さんから見て、同意できる面はもちろん、到底容認できない面もあるかと思います。そのあたりはまた(枝葉末節よりも大きな考え方の面で)山親父さんのお考えをご教示いただければと思います。

    確かにネットって、使い方によってはいいもんですね。今後ともよろしくお願いします。