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「政権交代」じゃなくて「政権打倒」だ!-’09総選挙にあたって(上)

 今回の総選挙では小選挙区制のマジック(ペテンとも言う)が「郵政選挙」の時とは逆に働き、民主党が民意を超えて不必要に大勝ちしすぎるのではという不安や危惧が、左派の間で広まっています。まあ、前回の総選挙で、過半数を少し超える程度の得票で議席の70%を得た小泉政権の「世論偽装」を批判する左派に対し、ネトウヨの皆さんは勝ち誇ってあざ笑ったわけで、自分が同じ立場に立たされてどんな気がするか聞いてみたいところではあります。しかしいずれにせよ、細川政権や村山政権を経ることで、小選挙区制など、世の中がかえって悪くなったことが多いんではないだろうかという、左派の直感的な記憶がよみがりつつあるのです。

◆民主党と「鳩山政権」への態度について

 しかし私たち左派のスローガンは、民主党支持者のような「政権交代」ではなくて「政権打倒」のはずです。思えば左派は今まで「○○政権」との対決や打倒を数限りなく掲げてきました。が、たとえば岸内閣のように、とりあえず民衆の闘いで時の政権を打倒しえたとしても、その後には自民党の派閥による政権たらい回し(擬似的政権交代)でお茶を濁されてしまうということがあったわけです。確かに今回もしょせんは保守政党同士の政権たらい回しにすぎないことは確実ですが、それでも自民党ごと打倒できるかもしれないということで、若干マシとは言えるんではないでしょうか。

 もちろん民主党右派で明確な改憲論者である鳩山さんへの警戒はわかりますが、それでも麻生政権打倒は「したって何も変わらない」とまでは思いませんよ。それは大きな一歩です。麻生さんを打倒した後は、その余勢をかって今度は鳩山さんとも闘うのです。当面は野党時代の公約(の積極的な部分)を翻すことを許さないことが課題の一つとなるでしょう。すでに夫婦別姓選択制をはずすなど、マニフェスト作成の過程から民主党の変節は始まっています

 確かに野党時代は国民受けする政策を掲げてきた民主党が、時とともに支配層に妥協してどんどん右に舵をきっていくだろうことは明白です。しかし、だいたいが「民主党に何かを期待できるか?」とか「自民党のほうがマシなくらいの極右派を多く抱えている民主党「超」改憲派リストなんて話は左派の間ではずっと前から言われてたことで、そんなこと今さらなわけでしょ?

 それに左派の皆さんは「民主党への政権交代」のために闘ってきたわけではない。小泉さんや安倍さん、麻生さんらの国家主義的な国民統合に抵抗していたはずです。憲法問題にしたところで「護憲」や抽象的な平和一般ではなく、米軍再編に連動した流れの中に自衛隊を位置づけて自由に派兵できるようにしていく、その延長線上と頂点として9条改憲があるわけで、そういう自民党やアメリカの安保戦略に対し、「基地問題などで生活を犠牲にしてもそれに協力するべきだろうか」の選択を問い続けてきたわけでしょう。そして理念先行の左派的な主張に凝り固まるのではなく、民衆の利害を第一に考える中から、民主党をも含めた人々とも一致できる範囲で柔軟な運動を模索してこられたわけです。

 もうすぐ自民党もろとも麻生政権が打倒されるのは、単なる「民主党ブーム」とかいうことではなく、後述するようにこういう民衆の闘いの成果であり、その一里塚なのです。ここで「どうせ変わらない」ではいけません。闘いの前進の結果として前向きな姿勢で事態を受け止め、さらに次の段階に進んでいくというふうに考えるべきです。確かに前回に自民党が短期間下野した時は、私自身「自民党より悪くはなるまい」という多少の油断があったことは否めません。でも今回は絶対に油断しない。むしろ左派は今こそ徹底的に攻めるべき時なのです。

 映画『バイオハザードII』でしたか、大勢の人をさんざん虫けらのごとく殺してきた巨大製薬企業(実は政府すら操る死の商人)の幹部が、ラスト近くで主人公に追い詰められた時に吐く最後のセリフが「俺を殺したって何も変わらんぞ」というのです。それに対する主人公の女性の返答は、「そうね。でも第一歩だわ」です。

◆社民党と共産党の役割をどう見るべきか

 社民党は民主党政権が実現した場合、連立与党の協議を行うことにしています。このため場合によっては同党が、海外派兵を含む予算に賛成するなど、村山政権時代のような言い訳と醜態をさらすことになるかもしれません。しかしもう当事とは違って、それもまた今さらという感じがします。その社民党の言い訳をめぐって「サヨク同士がもめる」なんてほど左翼はナイーブで、社民党に期待しているともすでに思えません。だから民主党政権下の社民党に対しては、小泉政権時代の民主党に対するくらいの距離感でつきあうなり批判なりしていけばそれでいいのではないかと思います。

 社民党に期待するとすれば、小さくてもいいから、かつての「NPO法案」みたいなものをいくつか残してくれればいいなあ程度で、あまり大きくは期待しないのがいいのかもしれませんね。私としては、法律婚をしても名前を変えることを国家から強制されないよう、希望者には夫婦別姓も選択できるようにしてくれるとか、相続などの婚外子差別の撤廃とか、二重国籍の容認とか、その程度の実績は残してほしいなという要望は持っています。

 ただ、「与党・社民党」にはこれとは別に極めて重要な役目があります。それは何かを実現するという積極的な役割というようりも、民主党右派に対する「歯止め政党」としての役割です。保坂展人さんの「どこどこ日記」に以下のような記述がありました。

『世間の人たちがほとんど語っていないことがある。社民党が連立政権から離脱したとたん・・・自民党が封印してきた改憲・国家主義志向は大きく強まって、政治は荒っぽくなり暴風雨のように「盗聴法」や「国旗国家法」「住民基本台帳法」などが次々と成立していった。・・・政権内で歯を食いしばって止めていたストッパーが外れた政治が濁流となって流れだす怖さを感じた』
1996年、自社さ連立政権と2009年夏の選択

 保坂さんによれば、社民党は連立に参加することでかえって溶解し、どんどん議席を減らしてしまった。政権内部でも自民党は「のどもとすぎれば何とやら」で、どんどん横柄になっていく。これ以上はもうだめというギリギリのところで社民党は政権を離脱したのでしょう。かろうじて完全な溶解はまぬがれて、直後の選挙では議席増に転じた。まあ自民党にいいように使い捨てにされたということなんでしょうね。今回も社民党にはご苦労かけますが、ギリギリまでストッパーになって時間をかせいでいただけたらと思います。

 それに社民党は市民運動などの在野の人たちと「普通の言葉」で話ができる唯一の政党でしょ。そういう意味ではなくなっては困る人たちですよ。かつて黒目さんが正しくも指摘しておられたように、「共産党が普通の人になったら社民党の存在意義はなくなる」ってことです。

 今回はその共産党について書くことができませんでしが、共産党の役割は政権の外にいて「左からの政権批判」を展開してくれることです。一方で社民党が政権内部で右派に対する「歯止め政党」として存在する。これは私たちがそこから出発せざるを得ない今の現実の中で、案外とベターな布陣かもしれませんよ。

(参考)問われているのは 『日本の方向』 総選挙の争点は 『政権の選択』 ではない」(丸山重威・関東学院大教授)

(「総選挙にあたって(下)」に続く)

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