アッテンボローさんのブログのエントリー「党のあり方って何だろう?」への書き込み(コメント)の第2弾です。
日本国憲法擁護連合さん>
自分達の意に従わない勢力への内ゲバは、言うまでもなく中核派の専売特許ではありません。二次ブント系諸派は、その分裂時におしなべて内ゲバに手を染めてきましたし、とりわけ二次ブント系の最大党派だった戦旗派などはその筆頭でした。
対立する他派の「大衆的登場を緩さなさいシフト」を意思統一していましたし、その軍事力と恫喝や引き回しはノンセクトにも向けられていた。「人のことばかり言えない」のは充分に承知しております。
しかしその戦旗派そのものが分裂してしまう過程において、私が所属していた後の戦旗・共産同は「分裂にともなう内ゲバの回避・停止」を意思統一します。その後も「表立った」内ゲバはありませんでした。これは規模は小さいですが、いわば現在の中核派が「統一戦線重視」に転換したのと似ています。
でもね、誰も信じてくれませんでしたよ。あそこは「他党派解体の蛇蝎のごとき内ゲバ集団だ」と言われ続けましたね。それは仕方ないんですよ。自分がしてきたことですからね。「殴った方は忘れても、殴られた方はいつまでも憶えている」もんです。そのことは肝に命じないと。
「俺達は路線をシフトしたんだ」「にもかかわらず俺達を排除するのは縄張り争いの党利党略だ」とか、そんな尊大なことを言えば言うほど、「うわ!見ろ、やっぱり昔のままだ!路線転換なんてやはり方便だったんだ!」とますます思われるだけなんです。それはマヌーバとしてそう言っているんではなく、本当にそう思われてるんですよ。悲しいけれどね。そういうことは私もさんざんに言われたし悔しい思いを経験してきました。
だから「日本国憲法擁護連合」さんの苛立ちは、きっと20代の頃の私と同じなんだろうなと、読んでいて思いました。とりわけ「ゲバルトが左翼運動を衰退させたというのは正確ではない云々」のくだりはそうですね。「我々以外のブント系諸派の惨状をみよ!」みたいな意識は私(達)にもありましたからね。でもそれは、謙虚な姿勢でこつこつと実践を積み重ね、「俺たちは変わったんだ」ということを示しぬく中で黙らせていくしかないんです。
結局、戦旗はどんなに勢力を拡大しても、最後の最後まで「ブントの筆頭」にはなれなかった。「異端のブント」のままで消滅していきました。自業自得ですから仕方がありませんよね。30年以上たった現在にいたって、やっとブント系の人々とも対話が可能になりつつある、しかもそれは個人でかつ私のような元活動家のレベルでならという状況です。中核派の「路線転換」が受け入れられるのも、世代が変わるまで無理と思っていたほうが無難です。
労働戦線で一定の成果があるのは、動労千葉の存在と共に、労戦では恫喝や暴力の「恐怖支配」をやらなかったからですよ。誰に聞いても、「労戦の中核派は個人的には考えが柔軟でいい人が多い」と口をそろえて言います。アッテンボローさんもその一人なのでしょうが、過去にそういう個人の献身的な活動が下地にあってこそなんです。文章や演説で路線転換すれば状況が変わるわけでないことは、よくわかっておられると思いますが。
戦旗・共産同の場合は、少なくともブント系以外の諸派とは共闘に成功しましたが、それはインターのご好意もあるとは思うけれども、その前提として、過去の自分達の党派政治を自己批判的に検証する論文をいくつも発表しています。ただし他党派への内ゲバについてはひとつも自己批判してなかった(後に破防法弾圧中のさらぎ議長への襲撃にのみ自己批判しますが)けれども、ノンセクトに対しては数件、自己批判したものがあったはずです。
それと同時に「党風の刷新」「血債の思想」を打ち出して、徹底的に謙虚な姿勢で活動現場に臨みました。そういうことがあったから、それまで関係のなかったインターらの人々なら、戦旗を受け入れることができた。そしてそこを足場に新左翼内での位置を確保することができたし、その後に非内ゲバ主義的な活動実績を地道に積み重ねることで、ようやくブント系の「内ゲバ主義の日向カクマル集団を排除せよ」という声を、少数派に追いやることもできたのです。
似たようなことが、中核でもできませんかね。残念ながら、今のところ中核派の言っていることは「俺たちは過去も含めてすべて正しかったが、これからの時代は共闘重視だ」みたいなもの、つまりそちらのほうが「党利党略の方便」だと本気で思われています(とりわけ市民運動戦線で)。熱田派系の党派がどうとか関係ないですよ。
イラク反戦や改憲阻止などで流入してきた新しい人にしてみれば、中核と「対話」することなんて、めんどくさいだけなんですから。「内ゲバやってる(やってた)ような怖い人なんて、来てもらわなけりゃそれでいいじゃん」てなもんです。自分が排除するのも面倒(怖い)けれども、誰かが排除してくれるなら、こういう部分は容易にそれを支持するでしょう。
インターへの襲撃を「自己批判」することが困難でも、何とか過去の自分達を否定的に検証しようとする努力は必要です。熱田派への批判や北原派への評価は別問題なんですよ。「俺たちだけが悪いとでも言うのか!」的にそれを持ち出したい気持ちは痛いほど理解できます。理解できますが、ここが「別問題」であることを理解できるかどうかが最大のキーポイントなんです。
もし、これをからめて論じてしまうと、結局は「中核が反革命と決定した人は襲撃してもよい」という主張に理解されてしまい、「あそこに逆らったらテロられる」という認識だけが一人歩きするんです。そしてそれは根拠のないことではないでしょう。
それと「狐に化かされる」という表現はやめたほうがいいと思いますよ。特定の組織や潮流に属していますと、そこの考えが基本的に正しいとしか思えない(だからこそ属しているわけですよね)。そして自分達を批判する人民内部の論調は、すべて「デマ、嘘、誇張、誤解、曲解、党利党略」にしか見えないし、それを信じている人は「騙されて洗脳されているんだ」と思えます。
まあ、そう思ってもいいんだけれども、それを口に出してしまうと、逆に言った人のほうが「自分達の考えに凝り固まった人」「聞く耳を持たない自己絶対化」というレッテルを貼られるのがおちなんです。こういう言葉は権力と共産党の「過激派キャンペーン」以外には使うべきではありません。
アッテンボローさん>
私も現状に関して、「希望と危機感」を同時に感じています。だからこそ、こういうあらゆる陣営からつまはじきにされ、批判の集中砲火を浴びるかもしれない書き込みを続けています。
権力に怒りを燃やす人が「余計なこと」を考えなくても、純粋な正義感だけで飛び込んでいける、そんな運動の復活を心から望みます。
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中核派の深田力くん先生と、全学連のたくさんいる副委員長の内田晶理くん先生と、どっかの本山隆介くん先生と、韓国の金青椒くん先生はまだ生きてるんですか?
中核派に聞いてください