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右翼とは口をきくな?

アッテンボローさんのサイトで、インター系(?)とおぼしきPalermoさんという方より、以下のようなレスをいただきました。

草加耕助なる人物は、自分のブログでファシスト三浦小太郎を肯定的に紹介して恥じない人物です。こんな人物がどの面下げて「左翼運動が生きていくための(多様な)生態系」とか語るのでしょう。左翼でもない人物に言われたくありません

まあ、こういう人はまれに「四トロ掲示板」でもいたようですが、最近は同掲示板にこういうことを書いてもボコボコに論破されちゃうので、もっぱら「2ちゃんねる」でしか見かけません。私としても、今までは全部スルーしてきましたが、ちょうどよい機会ですので、私なりの意見を書いておきます。

まず第一に、社会人としての当たり前の常識の問題です
たとえば、「はじめして、○○と申します。私はおそらく草加さんから見たら、右翼に分類される人間だと思いますが、今回のエントリーを読んで、こんなことを思いました」という書込みがあったとしましょう。内容を読むと確かに右翼的ではあるけれど、「言葉だけ丁寧な罵倒」ではなくて、右派なりに民衆の幸福を考えた真摯なものだとします。この場合、Palermoさんの意見に従えば、どういう対応をとればいいんでしょうか?

Palermoさんの意見だと「こういうことを書く○○なる人物はファシストである。断固粉砕すべき対象である。対話も交流もする必要なし」と、ちょうどネットウヨが左派に対してやってるみたいに、ただ相手の意見を糾弾(罵倒)すべきだということになります。しかし考えてもみてください。ちゃんと挨拶をし、相手に敬称もつけて常識的に呼びかけている人と、おそらくはいい歳した大人であろうに、初対面の人間にいきなり「草加耕助なる人物」などというような呼び方をして恥じない人間。客観的に見ている第三者(大衆)は、どちらの言うことを信用するでしょう?

これからの(と、いうよりは昔もそうだったはずですが)運動には、「常識性」というものが必要だと思います。乱闘服を着て、いきなり左翼(と彼等が決め付けた人間)に殴りかかってくるような右翼に対してはそれなりの対応が必要だと思います。しかし、右翼だろうが、左翼だろうが、社民だろうが、保守だろうが、こちらの書いた文章の意図や趣旨をちゃんと理解しようと努力した上で、自分の意図も理解してもらおうと努力する人、または、お互いに相手を全否定することなく、噛みあった交流をしようと努力する人。そういう「努力」をする人には、こちらも「努力」で対応すべきでしょう。礼儀には礼儀でかえすのが、社会人としての常識です。思想以前に人間として信用できない運動や組織に、人の考えをや心を動かすことなどできません。

今はもう昔とは違うのです。一般に若者は、左翼的な意見を口にするにも、いちいち「別に左翼がいいとは思わないけれど・・・」なんて枕詞をつけてからでないと喋らないような世の中です。もう「あいつは右派でこいつは反動」とレッテル貼ってしまえば、あとは何しても何を言っても、どんなに口汚く罵っても許されるような時代ではない。そんなことしてたら、ますます「ああ、左翼ってああやって人の心を傷つけて罵倒する痛い人たちなんだ」と思われるだけです。特に新左翼なんて、ちょうど昔の街宣右翼みたいな扱いを受けるだけです(すでに半分受けている)。Palermoさんのような態度が、ますます左翼運動を駄目にしていくとしか思えません。

Palermoさんのような態度は、まさしく裏返しの「逆ネットウヨ」だと思います。昨日まで共に闘っていた人間を、いきなり「反革命」とレッテルを貼って襲撃する行為もそうですが、とにかく自分が「本物の左翼・革命派」だから「反革命と俺が決めた奴」には、どんな常識はずれの行動でも許されるなどという甘えた発想が左翼を衰退させたのです。それでは戦前の「非国民」や、ネットウヨの言う「反日分子」なるレトリックを嘲笑えないではありませんか!

ちょうど先日、このブログに粘着していたネットウヨも、私のことを初対面から「草加耕助なる人物」と呼んでいました。これは偶然ではありません。こういうネットウヨは、左翼全盛の世の中なら、保守的な言動をした教授をつるし上げにいったでしょう。戦前なら愛国団体に入って、「非国民」を見つけては集団でつるし上げにいったでしょう。敗戦直後なら、戦争協力者を見つけては、集団でつるし上げに行ったでしょう。今はたまたまこういうご時世で、ネットがあるからネットウヨになっているだけのことです。

右翼でもちゃんとした人はいるし、左翼でも「逆ネットウヨ」みたいな人もいます。いつの世にもいるこういう唾棄すべき子供じみた醜悪な人間性と、思想を結びつけて考えるべきではないでしょう。むしろ、運動体の側が、こういう人間を「味方」と考えて甘やかしてきたことが問題です。左翼も反省しないといけないが、今後は右翼や保守団体の方にも、かかるネットウヨを甘やかさずに断固対決する姿勢を求めます。

第二に、私は右派系の方とブログや掲示板上で普通に言葉をかわすような「交流」は別に何の問題ないと思います。それまで「禁止」「糾弾」ってんでは、やはり常識はずれです。ですが一方で、決してリアルな社会にかかわる所で「共闘」すべきだと言ったことは一度もありません。
いわゆる「反権力の左右共闘」なんて言い方は、極少数とはいえ左右両派に昔からあるわけですが、私はこれには懐疑的というか、むしろはっきり反対です。それはお互いのためでもある。「野合」といえばこれ以上の野合はないでしょう。常識性という点から見ても、とうてい一般の理解が得られるとは思えないし、「焦った少数派の末期症状」にしか見えないです。

思想的でないある種の地域住民運動なんかでは、思想によって参加住民の選別をしてたんではもたないということもあるでしょう。現に、三里塚農民にも、素朴な天皇主義的傾向の方が運動の当初から沢山おられたわけですし、支援の左翼団体はそれを問題にはしなかった。それはわかります。しかし政治団体同士や政治活動のレベルではちょっと違います。そういう「目的のためなら何でもあり」の無節操さは運動を思想面から腐らせます。

しかしですね、だからと言って、運動の内情を明かしあうわけでもなく、ただ掲示板で意見を交換したり闘わせたりすることまで「禁止」だとか、口をきいたら「反革命!左翼じゃない!」ってのも、これまた非常識です。かつて街頭で出会った中核派の高校生は「いやー、脱落派の機関紙を読むのは禁止されてるんですよ。まあ勝手に書店で買って読んでますけどね」とか言ってましたが、これって、実にくだらない話ではありませんか?

第三に、私を「左翼とは認めない」ということですが、これは正直申し上げて、自分が左翼かどうかという点については自信がない(笑)。「資本論」を最後まで読んだこともないしね。共産党は私を「トロツキスト」とかレッテル貼りしてたけど、トロツキーなんて一冊も読んだことがない。レーニンはけっこう読んだけど、もう憶えてないしね。

ただね、私がネットで発言を始めた頃、「自分は左翼ではない」とか「マルクス主義者ではない」と言いながら、非常に左翼的な言動をする人がいてね。そういう「逃げ道」とか「安全地帯」を作った上で発言するのって、なんだか卑怯に思えたんですよね。衰退する左翼全般への批判からは無縁な立場に立った上で、言いたいことだけ言うって感じでしょうか。だから、どうしても自分を「左翼ではないけれど」とは言えないんですよ。

「お前は左翼だろ!」って言われて、左翼全般への批判に責任ある態度を迫られることはあります。それは面倒なことだし、正直、そんなどこかの誰かがやったことなんて知るか!とも思います。でもやはりね、少なくとも右翼じゃないもんね(笑)。かつて左翼を目指してたことも確かだし、卑怯な逃げはしたくない。だから「左翼だろ?」と言われたたら、「はい。それが何か?」と胸を張って答えます。ただ、一言申し上げれば、私よりもずっと「本物の左翼」の方のほうが、左翼全般への批判に対して、「それは我が党(派)とは関係ない」なんて言い方で、よっぽど逃げてますよ。実に信用できない態度ですよね。

それとね、私はここでも繰り返して言ってますが、私にとっての左翼思想は「手段」であって、「目的」ではないんですよ。それはそうでしょう。何かしら、特定思想に導かれた「理想の千年王国」を作るために闘ってきたわけではない。虐げられた人々と共に生きたいだけです。思想の実現のために、大勢の人間を平気で殺したり傷つけたりするようなもんは、本物の思想や組織じゃないですよ。敵の圧政が先にあって、それへのぎりぎりの抵抗たる革命戦争と、ポルポトみたいな「理想社会建設のための人民虐殺」ははっきり違うわけです。規模は小さくても、左翼に限らずポルポトみたいな奴はたくさんいる。そんな奴はたとえ「左翼」団体でも敵だとはっきり申し上げる。

第四に、ここでの交流の基準は、前記の言い方だと、「手段」ではなくて「目的」だということです。私は一つのキーワードとして「人権」への考え方を基準としています。たとえば在日朝鮮人を差別するのは「当然であって理由がある」という結論にいたるような方(ネットウヨ)は、交流に値しません。どこなと行ってくれ、二度と来るなってとこでしょうか。しかし「在日の人ととも共に同じ社会で生きたい。だが、そのためにはお互いの国家が必要だ」という右派の方とは、充分にお互いの意見を交換する余地がありますし、また、そのことによって、自分の考えの幅も広くなり、より説得力のある考えや意見を書けるようになると思うのです。

このように、人権と言う目的が共通すると言っても、そこにいたる手段が違えば、これはもう現実の運動で一緒にやれることなんてほとんどないわけです。片や国家を守り、片や国家を廃絶しようってんですからね。ことごとく対立しますし、それぞれが信じた道を行くしかない。ただ、意見の交流は、無理にしなくてはいけないとも思わないけれど、別にしたってなんの問題もないでしょう。むしろいいことだと思います。右翼に限らず共産党や無政府主義の人ともね。

まあ、「左翼でもない人間に(左翼に対する)意見を言われたくない」なんてセンスの方には、私の言いたいことの半分を伝わらないでしょう。だからこそ、今まで「何言っても無駄で不毛」と思って、スルーしてきましたが、今回はちょっと自分の意見を整理するネタに使わせていただきました。まあ、読み返してみて全然!整理されてないのが痛いところですが(苦笑)。どうもすみませんでした。

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  •  友達に一人右翼がいます。高校が神道系の学校を出ていて三島由紀夫を尊敬している人間なのですが、以前はよく政治や社会問題について論争しました。最後は大体意見が対立して終わるのですが、それでも何となる付き合いが続いていました。一概に右翼だから口をきくなというのは狭量だと思います。

  • >アッテンボローさん。ありがとうございます。
    やはり一番心配するのは、こんなセンスで一般の労働者大衆の理解を得られるのかなということですね。それと、本当に大衆のことを考えた上で右翼になった人は、糾弾よりむしろ説得・獲得の対象だと思います。
    もちろん、武装した右翼民間反革命の襲撃から、運動や大衆を実力で防衛することに異議はありません。相手の方から理不尽な暴力がふるわれた場合に、左翼がかかる防衛戦を闘うことは、一般感覚でも違和感はないし、第一、武器を使って殴られたり、刃物で刺してくるような相手にまで無抵抗でいろと言うほうが、よほど常識はずれですから。

  • 草加さんどうもです。
    おそらくはじめての書き込みですのでよろしくお願いします。

    草加さんのいろいろな話題や暖かい言葉に、
    私はいろいろと考えさせてもらいました。

    今日は、草加さんに対する、第三者の批判をちょっと超えたレッテル張りについて私のほうから、ちょっと感想を。

    草加さんもいろいろな立場があると思いますので、
    草加さんに対して一面的に、そのへんをつつくのは、ナンセンスだとも思います。

    ただし、右翼を獲得できるということは、そうとう難しいと思われます。むこうが接触をする場合は、本心では、左翼を右翼にさせようと、オルグしようとしてやってきているといえるわけで、ほとんど、自分の立場を譲らないと思うからです。なぜならば、左翼業界の党派が対立しているほどなのに、右翼を獲得できることは、かなり困難だという現実があるでしょう。重要なこととして、獲得できるのであれば、会話はすべきでしょう。あと、相手が右翼で接触しようとしてきた場合は、権力の可能性もある場合があるので、警戒すべきだと思います。以上の理由から、接点をもたないほうがいいと私は思います。

    そのうえで、私の場合は、ネット右翼と、一般的な右翼思想という方を区別しています。ネット右翼は非常に子供じみたというか、下品な傾向が強いといえます。右翼思想家とは比較してはならないともいえるでしょう。ですが防衛上、接点をもつのは要注意だろうと思います。
    一概に右翼だからとレッテルをはってはだめだが、相手はどのような立場で接してきているのかを考えて、防衛上接点をもつべきではないと私は思います。

    大学時代前後のころですが、右翼思想をもった
    知人が二人ほどいました。一人は、維新政党新風がいいとしうような典型的右翼で、もう一人は、小林よしのりに洗脳されたような人物でした。両者とも、政治的な話題をいろいろと論争するが、やはり土台が違うわけですから、論争で終わってしまうことにしかならず、獲得対象という次元ではありませんしね。

    私の経験上、相手は左翼をやめさせようとして接してくる場合のほうが多いですから、接点をもつことに対しては、警戒すべきだと思います。ただ、ネット上で、右翼と論争することに対しては、私自身は積極的に肯定してはいませんが、それは自由意志だと思います。ですから、草加さんが右翼と口をきいているというなじりよりも、草加さんに対して右翼と接点をもつのは警戒すべきだよというようなアドバイスをすべきだと思います。
    私であれば、草加さんをなじりとばすよりも、右翼の接触は警戒したほうがいいというアドバイスをします。

  • >日本国憲法擁護連合さんもっともなご忠告をありがとうございます。
    「右翼を獲得」というのは誤解を招く舌足らずな表現で申し訳ありませんでした。私も右翼の方と接触して考えを変えられるなどと自惚れてはおりませんし、右翼思想の方を見下しているわけでもありません。まあ、右翼というよりも「右派的な考えをもった一般市民」とお考えください。こういう人はとても多いと思うし、とりわけ北朝鮮問題以降は、善意ゆえに右派的な考えになる方も沢山おられると思うのです。そういう方に対して、「右翼思想ナンセンス!」とばかりに批判するのではいけないと思うのです。それではネットウヨの「何でも左翼論」「左翼は叩け!」と変わらない。

    それと、やはり問題を考えるさいに、最初の「善意」を私は信じたい。いわば「入り口」の部分です。左翼や右翼という思想や方法論は、いわば「出口」だと思うのです。この「入り口」の部分(たとえば難民を見て助けてあげたいと思う心)を共有できる方とは、会話が成立するように思います。組織を離れて時間が経つにつれ、思想という出口よりも、善意という入り口を重視していく自分を発見します。それはそれでいいと思います。健全な善意に反するような行為を要求する思想は、やはりどこかおかしいと思うから。邪道でないまっとうな思想なら、結論も受け入れられる範囲のものになるはずです。「難民はみんな追い出すか殺せ!」なんてことにはならないはずです。右翼でも(農民運動としての)三里塚闘争に理解を示す人がいるのはそういうことでしょう。

    スパイ工作については私も経験がありますので、さほど巧妙でない古典的な手口なら、少しは判断がつくと思います。が、権力の手口も巧妙化しているかもしれませんので、注意にこしたことはありませんね。まあ、巧妙化というよりは、逆にどんどん粗暴で凶暴になっている気もしますが。

    それと、やはり反弾圧については、たとえそれが右翼に対して行われたものでも、やはり私は糾弾すると思います。思想弾圧を許さないという点では、右翼も左翼もありません。実際このブログでも、大阪エコムーブ弾圧の時には、右派や改憲派を含む多くの市民の方たちが抗議の声をあげて下さいました。ですから、彼等が弾圧された時も、私は同じように抗議の声をあげて行動したいと思います。右翼の言論の自由が左翼より軽い(あるいはその逆も)ということはないと思いますから。もちろん日本国憲法擁護連合さんが弾圧された時も。

    あ、それと右派系の方々も、これまで通りに書き込んでくださいね。別に恐くありませんよ(爆)。
    ネットウヨ系のは、要するに論争技術・陣取り合戦・印象操作ですから、そういう方面の勉強にはなりまずが、あんまり面白くありません。普通の右派の方から「なるほどそういう考えもあるのか」とか、「そう言われると返答に窮するなあ、俺も勉強不足だな」と思わせていただけるような書き込みをお待ちしております。

  • コメントを下さってありがとうございます。
    草加さんの結論にちょっと賛成します。
    >ネットウヨ系のは、要するに論争技術・陣取り合戦・
    >印象操作ですから、そういう方面の勉強にはなりまず
    >が、あんまり面白くありません。

    おっしゃるとおりだと思います。
    彼らは、何を動機としているか、はっきりしているから。

    >普通の右派の方から「なるほどそういう考えもあるの
    >か」とか、「そう言われると返答に窮するなあ、俺も
    >勉強不足だな」と思わせていただけるような書き込み
    >をお待ちしております

    これも、わかるきがします。三浦さんという方とは私は相容れないとおもうが、彼の姿勢については真摯的だと思っています。実は、某掲示板で三浦さんの姿勢を評価したことさえあります。ただ、議論は尽きないと思いますが。

    >右翼でも(農民運動としての)三里塚闘争に理解を示
    >す人がいるのはそういうことでしょう。

    たとえば、重富房子の父親は右翼民族派だったし、大日本愛国党の赤尾敏はかつてアナーキストだったしね。ちなみに、重富氏は、アラブ民族運動のスターでしたね。ただ、私は、彼らの民族運動についてある意味で本気だったんだから、私なんかが批評する類ではないと思いますが、やはり日本での運動の行き詰まりっていうのが、あの方々にはあったんじゃないかと私は思ってしまいます。草加さんの指摘にも触れることになりますが、日本での運動を考える場合には、草加さんの指摘が重要だと思います。中核派のシンパにも、農民運動系統の民族派右翼思想家がシンパになることもあるようですし。ですから、草加さんの指摘は、実際ありえないはなしでもありません。

    ただ、「難民はぶっころせ」だとか関東大震災時の「朝鮮人」をぶっころせという排外主義、今のネット右翼のような排外主義には警戒したいと思います。

    また、権力のかかわりを警戒したいと思います。
    >スパイ工作については私も経験がありますので、さほ
    >ど巧妙でない古典的な手口なら、少しは判断がつくと
    >思います。

    草加さんの体験話も聞きたいですね。私の場合は、党派のシンパから降りたとき、それまでに顕著でなかった嫌がらせが相次ぎましたね。たとえば、市民のデモに参加していると、おそらく市民の顔をしてデモに参加している権力なんでしょうが、私に接近してきて、あまり権力をなめないほうがいいと脅かしをしてきたことさえもありますし、私の周辺でどうも、「あいつは中核派だ」というような噂を流してみたり、刺客を送ったりしながら、私の反応を伺っているようです。私がネット活動をすることも、気に入らない様子です。
    それはそうかもしれないですが・・・。

    >が、権力の手口も巧妙化しているかもしれませんの
    >で、注意にこしたことはありませんね。

    巧妙というか意地悪だと思います。嫌がらせですからね。

    >まあ、巧妙化というよりは、逆にどんどん粗暴で凶暴
    >になっている気もしますが。

    反戦落書き事件から、反戦ビラ配布事件、日共党員の選挙活動への相次ぐ事件、市民団体の弾圧など、露骨になっていると思います。すべては、テロということを口実にいけいけどんどんになっている気がします。

    共謀罪は阻止できているが、今度また提出されるといわれているし、テロ対策法も遡上に上っていますね。
    社会党が強かった時代は、権力側はへたに動けなかったのかもしれないと私なんかは思いますがね。

    共謀罪では民主党の良心的なかたがたが、そうとうふんばってくれたようで、政治の現実的な運動では、民主党の存在はやはりでかいと思います。この点で、草加さんらの指摘に私も賛同したいと思うわけです。ただし、民主党は改憲政党、左翼政党ではない、労働者の政党ではないと、抑えておくのも重要だと思います。

    その上で、社民党の保坂さんや辻元さんに対する重圧が顕著です。最近、保坂さんの私設秘書というふれこみで保坂さんを支援した青年が逮捕され、その人物は赤軍派だったというような報道をされてしまいましたし、社共に対する圧力も半端ではないですね。

    すべては、改憲のためのシフトにつながっているのだと思ってしまいます。

    私の考える緊急の課題として、ずばり社民と日共を押し上げることだと思います。ここまで右傾化しているので、既成左翼を支えていくのが重要だと思います。
    党派の自己批判も重要だが、現実の情勢を考えると、過去から今まである党派間の感情対立をいったんおいといて、たとえ一致することはできないにせよ互いが別の道から、まずは情勢に対応するのが最も望まれている気がいたします。どこに一番集中させるのかだと思うわけです。

    あと、草加さんの
    >もちろん日本国憲法擁護連合さんが弾圧された時も
    という言葉はありがたかったです。
    いろいろな違いはあっても、たとえ敵対的というか、他党派であっても、他党派筋だった人が弾圧なり嫌がらせなりを受けた場合、それを喜ぶようなことであってはだめだとあらためて思いました。草加さんのお人柄がしれる思いがしました。

  •  はじめまして、何の行動もしてなくて恥ずかしいのですが、ゆうとと申します、よろしくお願いします。
    うーん・・・「左翼」「右翼」「ファシスト」とか、まあ、ある程度判断する軸があるのかもしれませんが、少なくとも相手をファシストと決め付けて言うのは、人間がよく陥りやすいステレオタイプですよね。。

    というよりも、草加さんのおっしゃる通り、右翼左翼関係なく、冷静に対話ができる相手なら、普通に冷静に自然に対話するだけの話で、相手が「○○だから肯定してはいけない!」というのは、あまりにも極端なのは確かですよね。例えば元泥棒を行った人がいても、「あいつは元泥棒だから肯定してはいけない!」と、数ある「属性(情報)」の中のほんの一つにすぎない「元泥棒」というので、全人格を判断する、というのが極端なのと同じだと思います。

    「草加耕助なる人物は、自分のブログでファシスト三浦小太郎を肯定的に紹介して恥じない人物です」という発言をされたPalermoさん的には、他人と対話したり、同意できることは同意したりすることは間違いだと思われるのでしょうか?コメントをごらんになっていらしたら、ご意見をお聞きしたいです。全面肯定か全面否定かの、0と1の世界のような思考は、あまり通常の思考においては有益ではないと思いますので、ご考慮くだされば幸いです<最後の文はPalermoさんへ

  • はい、ここが楽しくて入り浸ってるネット右翼来ましたー(笑) 草加さんコメントありがとうございましたー♪ 私も草加さんとこの他、丁寧にお返事がいただけたりする気持ちのよい「サヨク」の方のBlogなどには何箇所か入り浸っております。なんていいますか、ただ文章を読むだけではなくて、言葉を交わらせることで、とかく極端に走りがちな思考をちょっと反対方向へ引き戻す、みたいな効果はあると思います。言葉は古いですが「ああ、相手も血の通った人間なんだな」みたいな感覚がそこにあると思うのです。だから、考え方をぶつけて答えを出すってのはおそらく99%無理なんだけど、話すことで何か…毒素のようなものが中和されていく部分ってきっとあると思うのですよね。

     そんなわけなのでこれからも入り浸ると思いますがどうぞよろしく(笑