熱田さんの気持ちを思うと、本当は何も書かないつもりでしたが、ネット上でもボチボチと取り上げられはじめ、中核派が予想通りのコメントを出されましたので、少しだけ取り上げておきたいと思います。
ただし中核派のコメントは、熱田さんの高齢にともなう事情を考慮したのか、「熱田氏」と敬称をつけるなど、私が予想していたよりもはるかに低いトーンでむしろ救われた思いがしました。しかも、「一坪共有地」について、あれだけ批判して推進派に激しいゲバルトを仕掛け、「粉砕」を叫んでいた中核派が、今では「一坪共有地防衛」なんだとかで、熱田さん名義の共有権売却を何度も批判しておられます。24年前にその立場に立っていてくれたら、私達はこんなに無益な争いをしなくても良かったし、熱田さんの苦渋もなかったろうにと残念でなりません。
成田空港の建設に反対する「三里塚・芝山連合空港反対同盟熱田派」の元代表・熱田一氏(86)が、反対闘争から引退し、移転する見通しであることが明らかとなった。15日、成田空港近くの横堀農業研修センターであった同派 の旗開きに熱田氏は出席しなかったが、同派幹部や県内外から支援者ら約50人が参加し、今後も活動を継続する方針が伝えられた。
「北側延伸許さない」の横断幕が張られた研修センターで始まった旗開きに、毎年、一番前に座っていた熱田氏の姿はなかった。同派の事務方の男性が「熱田さんは移転することになって、今日はいませんが」とあいさつ。熱田氏の移転がある程度伝わっていたせいか、支援者らに驚いた様子はなかった。
同派の柳川秀夫世話人(58)は「反対運動を続けていくことは必要だと思う。今年も1年がんばっていく」と話し、熱田派の活動を続けていく方針を示 した。
熱田氏は現在、空港近くの芝山町で妻と2人暮らし。昨年6月、近くに住む女婿が、熱田氏と共同で所有権を持っていた「横堀墓地」の持ち分を売却したころから、熱田氏自身も移転を考えていたという。墓地のほか、空港用地内の一坪共有地や自宅の敷地なども売却する意向で、娘夫婦が成田市に建設中の新居で同居する予定という。
旗開きに参加した支援者の男性は「横堀墓地には同志の墓もある。熱田さんが移転したとしても守っていきたい」と語った。
(1月16日付、朝日新聞:千葉版より)
しかし熱田さんって、もう86歳なんですね。都会の86歳と農家の86歳とでは、随分と意味が違うだろうと思います。しかも奥様のてるさん(83歳)と二人暮らし。体調を崩して90年以来、闘争現場からも遠ざかっておられたそうですから、もう農業が無理なことは確かです。最近は特に、体調悪化が著しいそうですから、廃農して都会の子供達と共に暮らすのはやむを得ない。支援の活動さえ継続できなかった「元活動家」の若造の私が、この歳になられるまで40数年も(!)人生の半分を闘ってきた「老兵」である熱田さんに対し、「もっと闘え!まだ残って農業を続けろ!」なんて残酷なことを言うことはできません。
農村の事情に詳しいある方に教えてもらったことがあるのですが、農村では「結い(ゆい)」などと呼ばれる村落共同体が、やはり今でも重要な役割を果たしていて、こういう共同体的な結びつきに頼らず、一軒だけで農業を維持していくのは、非常に大変というか、ほとんど不可能に近いくらいなのだそうです。政府-空港公団は、こういう、のどかな村落共同体や、あらゆる人間関係、家族関係を、金の力で徹底的に破壊し、その人情を悪用しつくそうと、人間的にも許せない非道な攻撃をかけ続けてきました。一家離散や離婚、親戚や兄弟の絶縁などが相次ぎました。本心ではこの地で農業を続けたいと願いながら、親戚全員を手先に使った政府-公団の手口の前に、本当に悔しさのあまりボロボロと泣きながら土地売却の契約書にハンコを押した農家の方も多くおられたという話も聞きました。
ですから三里塚でも、最初は「村ぐるみでの闘い」で団結していても、ひとたび移転がはじまると、今度は「村ぐるみの移転」につながってしまうことも多かったようです。しかしそういう「村ぐるみ」で移転してしまったいくつかの地域でも、信念をもって残り、闘争を継続した人は多いです(たとえば岩山部落の故秋葉哲さん)。けれどもそれは、大変な困難が伴う選択でもあったはずで、そこで私達支援こそが、その選択に心からの敬意をはらい、全力で支えるべきだったはずです。けれども私達は、政治的な意義から農民を支えることはあっても、それをも取っ払った所で人間的な敬意を充分にはらっていたのでしょうか?
私は自信がありません。それどころか、ほんの5年前の私なら今回の報道にすごくがっかりして熱田さんに悪い感情さえ持ったと思うのです。なぜなら、地域での三里塚闘争への取り組みは、それはそれでやはり大変なことでしたし、私達は「三里塚闘争の意義」を訴えて、「闘う農民支援」のために不眠不休でふらふらになりながら闘っていましたから。弾圧だって激しかった。いくら農民だって、そんな私達の切羽詰った思いを揶揄するような発言は許せないだろうと思っていました。「支援は農民の手下じゃないし、無条件なものではない」なんて戦旗派は言ってました。確かにそれは間違ってはいないけれども、やはり思い上がった考えだったと今では思う。現に私も含めた支援は、いつでも闘争から逃げられる存在ではないですか。そこで暮らしていて逃げられない人とはやはり違うわけで、それを一緒に考えてはいけないのだと。
今回の移転では、それに先立って熱田さんの土地の共有名義人であった娘婿(この人も元活動家)が、自分の持分を売却して都会に移転してしまったことがはじまりのようです。熱田さん夫妻は、今後この娘夫婦のもとで生活することになったようですから(それ自体は今の日本に「よくあること」ですが)。きっとここにいたるまでには、様々ないきさつがあったのでしょう。しかし熱田さんの本心も含めて、本当の事情はわかりません。そしてそれは微妙な家族の問題です。私達が(ましてや私が)どうこう言っては絶対にいけないことです。
共産主義活動家ではなく、ただの農民大衆である熱田さんの家族問題を、支援党派が責めることは絶対にできない。してはいけない。これは闘争を分裂させてしまった点も含め、熱田さんを支えることのできなかった(「元」も「北原派」も含めた)支援全員の責任であり敗北だと思います。最近の若い活動家ならともかく、分裂前からの古い活動家が(政治的な立場もありますから)表向きにはともかくとして、せめて心の深い部分でこの敗北を受け止め、忸怩たる思いを抱かないのなら、私はその人を人間としては信用できません。
私は熱田さんの報道に接して、本当に胸が痛い。「熱田派だから」ということでは全然ありません。なんだか私達支援は熱田さんという存在を、それぞれの政治的な立場や都合で、時には祭り上げ、時には利用し、そして時には非難したりしながら、結局は最後まで支えきれなかったんじゃないでしょうか。今はそんな申し訳ない気持ちでいっぱいです。熱田さんに心から謝罪したいです。中核派などは、批判の材料に使う以外には、ある意味しようがないし、選択の余地がないのは理解するのですが、所属党派にかかわらず、分裂前から三里塚現地に足を運んで闘ってきた者なら、今の熱田さんを本心で悪く言いたい人なんて、本当は一人もいないんじゃないかと思います(少なくとも人間の心があれば)。
てるさんは「支援の人に申し訳ない」と泣いておられたそうです。そんなバカな!本当に「申し訳ない」のは僕らのほうだ!
今はただ熱田さんご夫妻には「長い間ご苦労様でした」と言うほかありません。
——
(2013年1月20日追記)
熱田さんはこの記事から7年後の2013年に93歳でお亡くなりになられました。よろしければあわせてお読みください→「熱田一さんがお亡くなりになりました」
※以下、ご参考に。しばらくの間は、記事が消えたり、新しいものを発見したら、順次追加・修正していきますので、時々チェックして下さい。
◇熱田元代表が引退の意向 成田反対同盟中心メンバー(共同通信)
◇成田空港反対、熱田派元代表 所有地を売却へ(朝日新聞)
◇成田反対の熱田派元代表、滑走路予定の所有地を売却へ(読売新聞)
◇熱田一氏の土地売却を嘆く(アッテンボロー)
◇「熱田てる物語」(実践社)=SENKI派系の出版社の本
◇三里塚反対同盟が06年旗開き(かけはし)
◇三里塚日誌HP版(中核派)
◇中核派は再共有運動への敵対とテロを自己批判せよ(かけはし)
◇「本誌の見解」(中核派:三里塚日誌HP版「1月15日」より全文)
脱落派の新年旗開きの集いであるが、熱田元代表の脱落発表会となったようだ。熱田の脱落に批判も弾劾もせずに、「移転する」と表現しているようでは、「反対運動は必要、今年もがんばっていく」という柳川世話人の言葉もうつろに聞こえる。裏切り脱落派の末路である。
それにしても熱田氏の脱落には度し難いものがある。移転は「健康上の理由」として、「老後の面倒をみてもらう」娘婿の元第四インター活動家に従うほかになかったとしても、一坪用地や横堀墓地まで空港会社に売却するのは、三里塚闘争への完全敵対であり大裏切りである。この横堀墓地には活動家の墓がまだあるにもかかわらず、売却するのは死者をも冒涜する行為である。
昨年、熱田氏が闘争初期に、公団用地部の職員から借金をして土地を購入したことが本で暴露された。その噂は前からあり、その本の内容の真偽も定かではない。しかし、墓地も一坪用地も売却するとは、闘争初期からのこの裏切りを証明してしまうものである。
脱落派は熱田氏の裏切りを予測してか、元第四インターの団結小屋の名義だけは数年前に熱田氏から加瀬勉氏に書き換えたようである。この小屋は反対同盟元副委員長で裏切り者の瀬利誠の土地に建てたものであった。瀬利が裏切ったときに、闘争拠点だけは横堀部落の代表であった熱田氏の名義に書き換えたのであった。熱田氏も少なくとも墓地ぐらいは三里塚闘争に残しておくべきだったのではないか。その点では熱田氏は、瀬利以上の裏切り者であることを三里塚闘争史上に名を残すかたちで脱落したのである。
◇「中核派は再共有運動への敵対とテロを自己批判せよ」より一部抜粋
…芝山町長選挙で勝利を収めた人物は元反対同盟の相川勝重であった。彼は、立候補段階ですでに「平行滑走路二〇〇〇年度完成」と「芝山鉄道建設」を公約に掲げ、当選後はその言葉通り一坪共有者への「土地の返還」を求めて動き始めた。(中略)
…こうした空港公団の暗躍や芝山町長らの動きに対して、中核派による反対運動の歴史歪曲、大地共有運動への敵対の隠ぺいを伴った認めがたい言説が始まっている。中核派機関紙「前進」(第一八五一号三月二日付)紙上に掲載された(中略)その論文は、一九八三年に取り組みが始まった反対同盟(元熱田派)による大地共有運動の歴史的歪曲を行うとともに、中核派がこの大地共有運動に反対、敵対した上でわれわれJRCLの同志にテロ襲撃を行ったことを隠ぺいし、その同じ共有者に対して「共有地の堅持」を呼びかけるという、絶対に容認することのできない主張を行っている。(中略)
…中核派は、再共有運動の中心を担っていたわが同盟の活動家に対して残虐なテロ襲撃を加えた。八四年一月に、五人、七月に三人の同志に、居宅あるいは出勤途上で中核派のテロ部隊が襲撃を加え、頭蓋骨骨折、両手足骨折などの重傷を負わせたのだ。そのうち一人の同志はアイスピック様のもので足をメッタ刺しにされ、ガスえそを起こして片足切断を余儀なくされた。その後も中核派は、全国の共有者に対し、執拗に「次はお前だ」「殺してやる」という脅迫を加え続けたのである。
ところが「前進」(同前)は次のように訴えている。
「脱落派は、一坪共有地を切り売りし、反対同盟を内部から解体し条件派に変質させようとした。今や彼らは自らの私利私欲のために『空港早期完成』『一坪解消』を呼びかけ、公団に恭順を誓っている。階級的制裁(=インターへのテロのこと:草加注)は正義である。革共同は、脱落派の再共有化に応じた人びとを含む全国千二百人の一坪共有者に訴える。その権利を絶対に守り抜くことは人民の正義であり、三里塚闘争勝利のために不可欠である」。
何という矛盾した論理であろうか。中核派が「その権利を守り抜くことは三里塚闘争の勝利のために不可欠である」として呼びかけている一坪共有者は、自ら残忍なテロ襲撃を加え「殺す」と脅迫した三里塚闘争支援者なのである。
157 :革命的名無しさん :2006/01/23(月) 15:49:29
あ~ぁ、全く本当に結論が出せない!
取り分け三里塚闘争の総括となると堂々巡りになって思考停止してしまう。
もちろん非難するつもりは無いけど、7・20決定や最近の熱田さんの土地売却なんかをみると、いったい俺達は何をやってきたんだろう?と思ってしまう。
※草加注)7.20決定とは、熱田派反対同盟が、戦旗派との「絶縁・闘争からの排除」を決定した通知
159 :革命的名無しさん :2006/01/23(月) 22:45:54
>>157
こんなこと書くと燃料投下になっちゃうかもしれないけど、三里塚を巡る情勢に関しては戦旗派がパージされるような状況を造り出してしまった他のセクトや同盟や青行にだって責任は大いにあるんじゃないのか?
当時の状況下で戦旗が北原派へ付くという選択は難しかっただろうし、かと言って熱田派のその後の変遷はある程度予想がついたはずだ。
何とか熱田派・青行路線を左旋回させ、同盟を再統合させようと苦闘した戦旗はよくやったと思う。
177 :ニャンケ:2006/01/24(火) 21:02:48
157さんへ。
熱田さんについて。
僕は熱田さんに敬意と感謝の気持ちです。
夫婦ふたりだけで、ひどく健康を害しても、なおここまで横堀で頑張った。
そんな熱田さん夫妻の人生を7・20と同列には論じられません。
むしろ早々とリタイアして別の人生を選んでいる自分は、熱田さん夫妻の御恩にむくいることができなかった。
熱田さんには心からお詫びしたいくらいです。
だからできるだけ援農にも行こうと思った。
我々は、被害者じゃないと思うよ。
せめて熱田さんには「長い間おつかれさまでした」って笑顔で送ってあげたい。
179 :157:2006/01/24(火) 21:19:53
157だけど、別に熱田さん夫妻を非難するつもりは毛頭ないよ。
ただ、虚しいとか悔懇の念は正直いってある。
180 :ニャンケ:2006/01/24(火) 22:09:57
157さんは、はじめから、非難する気はないが、と言ってました。
僕も157さんを非難するつもりはありませんよ。
きっと、157さんの抱く虚しさとか、僕もどこか通じるものがあります。
虚しいなんて思いたくないって思っています。
183 :革命的名無しさん :2006/01/25(水) 00:49:01
熱田派でも親同盟の熱田さんや小川源さんの「徹底抗戦」の言葉にウソは無かったと今でも信じている。
それならば何故彼ら「徹底抗戦派」が青行などの「右路線」に対してイニシアティブを発揮できなかったのか
当時若僧だったオレには分らなかった。この辺りの解説をどなたかしていただければ嬉しいのだけれど。
現闘のメンバーは本当に家族みたいに農家に溶け込んでいるメンバーもいたし
組織の方針との狭間で悩むことも多かったんじゃないかと想像する。
7・20決定はさぞかし無念だったろうな。
201 :革命的名無しさん :2006/01/26(木) 01:33:46
当時の現闘で7・20決定の後も残って、尚且つ未だ現役って人もいるのかな?
現闘の人は反対同盟の農家の人と家族同様の付き合いをしている人もいたから
7・20決定はお互いにとって忸怩たる思いもあったと推察されます。
ある時ワシラの小屋に熱田さんが来た時、口々に挨拶するメンバーをスルーして
「おお!○○。いい肉手に入れたから後で取りに来いや」と嬉しそうに○っちゃんに声をかけていた。
207 :革命的名無しさん :2006/01/26(木) 15:54:53
旗旗にもアップされてたけど、熱田さんの土地売却に関する中核派のコメントは予想通りでもありながらも、草加さんの感想同様「予想よりは相当ソフト」だと感じた。
ある程度熱田さんの年齢などに配慮したのか、中核が我々の予想以上にソフトになったのか...。
中核も立場上何かコメントせざるを得ないだろうし、これまでの経緯からこういう内容になることは予想がついたが、正直ちょっとホッとした部分はあった。
209 :革命的名無しさん :2006/01/26(木) 16:55:33
>>207
たしかに83年当時に比せば「ソフト」だが、やっぱりなぁ。
一坪再共有運動を口汚く罵っておいて、「一坪用地を売却するのは大裏切りだ」
と言うのは酷すぎないか。
210 :ニャンケ:2006/01/26(木) 18:52:32
中核派のコメントには「ソフト」だという形容は付いても、やっぱりニャンケとしては情けないというのが率直な感想です。
せめて何も言わない武士の情けのようなものがあってもいいのに。
だって、熱田さんですよ。
ましてや瀬利誠と熱田さんを比較して論じるとか、ぜんぜん必要のないことでしょう。
墓地や共有地だけは残して移転とかって現実的に無理なことを、できなかったから裏切りだ、って論法は我々にもなじみ深いものだが、これから反体制派がこの社会で復活してくためどんな思想が必要か、中核派もいっしょに、真剣に、 党派を超えて、みんなが考えていけたらいいのに。
ニャンケのただの夢想っていうか、願望です。
ちなみに、209さん、
中核派が「口汚く罵った」のは「再共有化運動」であって、一坪共有地そのものを否定してなかったのが事実では?
彼らの「木の根育苗ハウス」は共有地にあった記憶が・・。
212 :革命的名無しさん :2006/01/26(木) 19:30:02
>>210
確かにニャンケさんの意見には賛同なのだけど、中核にも党派的立場ってものがあるだろうし
これまでの歴史や北原派反対同盟やその他の支援党派の手前熱田さんのことを非難「せざるを得ない」ところはあるでしょう。
本当はそんなつまらないことに拘らずに手を散取り合えればいいのだけど、そう一足飛びには無理でしょう。
そういう意味でも私は熱田さんに対して中核派が「氏」を付けただけでも半歩くらい前進したような気がします。
しかし中核派に対する評価は我々物理的被害が無かった戦旗とインターの間に温度差が相当あるのはいたしかたない部分はあるよなあ。
214 :ニャンケ:2006/01/26(木) 20:17:44
212さん、確かにそうですね。
僕は中核派を嫌いじゃなかったです。
用水闘争をいかに闘うかを競い合った良いライバルでした。
戦旗の現行隊は、絶対に全学連菱行に負けないみたいな。
日没後も、菱行が引き上げるまでこっちも負けずにシュプレヒコールしたし。
こっちがタナカの田んぼで87年、河川拡幅に実力抵抗すれば、菱行もカドの田んぼから機動隊を攻撃して援護するみたいに。
あのとき、熱田さんが大喜びで北原派の人たちに自慢してて、うれしかったなあー。
いい意味で意地の張り合いをしてました。
なんて韓国映画だっけ?
国境をはさんで南北の兵士どうしがだんだん仲良くなる悲劇の映画。
あれ見たときには、なぜか中核のヤツらを思い出しました。
・・・でも、そうだよなあー。
実際にテロ攻撃を受けたインターの人たちにとっては、オレが楽しげに回想するそんな感性なんか、怒りの対象となるんだろうなあ。きっと・・
(80年代ブントを語れ15 より)
コメントを見る
どうもな?俺らは脱落派で一坪共有化は土地を売り渡しことだと言われていたから、中核派の声明を見たら吐き気がする。
今更共有地を「云々」言われても、なにおか言わんや。
熱田さんのことは残念だけれど、生活を支えるすべを提起し得なかった私たち総体が、何も言う資格は無いと思います。
中核派の声明の表現が熱田氏とつけたのは、単に今風の市民派的ポーズの表れとしか思わない。80過ぎたじいさんを罵倒するのは、どう見ても礼節に反するし人に冷たいと思われるだろうからね。
83年に「ぶっ殺す」といった言葉を撤回=自己批判しない限りは、やつらと交わす言葉を私は知らない。少なくても前衛と名のる限りは、落とし前をつけてもらわないと、死の恐怖から活動を去った仲間に言う言葉が無いもの。
セクトNo7さん>
相変わらず厳しいですね、と言いたいが、被害者としては当然の反応でしょうね。要するに「一坪運動から手を引かないと殺す」と言われたわけですから。「死の恐怖から活動を去った仲間達」、そして崩壊していく三里塚闘争。
んで、「もう内ゲバはやめました」と遠い所で関係なくやってるんなら無視・静観もできるけれども、今さら「一坪共有地を売るとは何事だ!」と「自分達だけが正しくて闘ってきた」と言わんばかりに「弾劾」してくるわけですから、セクトNo7さんが「吐き気がする」とおっしゃる気持ちはよく理解できます。
厳しいように見えて、「言葉を撤回=自己批判」すれば共同できるというのは、彼等がしてしまったことを考えれば、実は大変に寛大で勇気ある言葉だと思います。しかし実際にはそれも難しいでしょうね。せめてノンセクトや大衆に対して行った恫喝について、「方法論」のレベルだけでも自己批判してほしいのですが。
ただ、私としてはあまり中核派を追い詰めたくはない。彼等が「一坪共有地を防衛してほしい」と熱田派系の共有者に言うのであれば、今さらこの世の正義を代表したみたいな顔で手放した人を「弾劾」するのではなく、逆にまだ共有権を守っている人に対し、たとえどんなに冷たくあしらわれても、具体的な協力の努力を提案して欲しいと思います。少なくとも戦旗派でもそれくらいのレベルのことはやっていたと思います。私は具体的な(肉体的な)被害を受けなかったから言えるのかもしれませんが、その時には前向きにその提案を検討してもいいと思っています。
ただ、もし中核派のコメントを見たら、きっと熱田さん夫妻は辛いだろうな・・・。決断に至る経過や理由はどうあれ、喜んで出て行くはずがないってことくらい、子供でもわかるだろうに。胸が痛みます。
草加さん、ご無事の帰還ご苦労様です。
いやね、「ぶっ殺す」と言われたのは私じゃないのよ。私の知り合いでして、私はそれほど重要人物じゃありませんです。
もっとも、パイプ片手に眠れない夜を一週間くらいは過ごしましたけれどさ。あいつらも襲うときは相手を選ぶんだから、私みたいな大衆運動ズブズブの人間は相手にはしないとも思いましたけれどね。
ただし、その後における各戦線での混乱と活動家の消耗については、やっぱ誰かが言い続けないと「無かったこと」にされちゃやり切れませんよ。
ま、彼らは管制塔占拠で先を越された焦りもあったかもしれないけれど、80年代中期の学生運動の戦線では他党派の存在を許さず、大部隊を登場させていましたから、その面では戦略的には(セクト的には)成功したんだろうけれどね。
ただし大衆運動としての学生運動の広がりは、スゲー矮小な形でしか残らなかったけれど。
やっぱ運動の歴史の総括をすることでしか、大衆の信頼は勝ち取られないということを、彼らも知るべきでしょうね。無理だろうな。
まちがっていたらごめんなさい。私の知識では今回売り渡した土地はもともと熱田・S両氏が個人的に所有していたものではなく、別の人の名義になっていたものを公団が買ったものですよね。反対運動が裁判を起こし、この土地は地区の総有であったという結論を引き出し、公団が半分、地区が半分という和解をした。それで、その時点まで地区に残ったのがこの2人だけだったので4分の1づづがこの二人の名義になった。だったら、この土地はこの二人のものと言うよりは反対運動のものだと思いますね。これを売り渡すのに、ものわかりよく、ああそうですかと言えるのですかね。
>nezさん、申し訳ない。Sさんの名前だけイニシャルに変更させてもらいました。あちこちに本名で出ていますので、いまさら隠しても仕方ないのだけれど、ここではS氏とさせていただきます。
で、どこの誰が「ものわかりよく、ああそうですかと言っている」んでしょうか?もし、そういう人がいたら、それは「裏切り者」と断罪している人の裏返しにすぎません。少なくとも私は熱田さん夫妻の気持ちを考えただけで、胸が苦しくて申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
あれだけ純粋に闘ってきた熱田さんを、みんなでよってたかって、自分たちの都合や主張を通すために利用してくちゃくちゃにしてしまった。そして一番苦しい時に誰も支えることができなかった。今、熱田さんはどんな気持ちでいるだろう。文字通り人生の半分を賭けて闘ってきた闘争から身を引かざるを得ない。熱田さんは寝たきりで表に出てこれない。てるさんはただ申し訳ないと泣いているという。この上、この二人に「出て行くの?あ、そう」とか、相川町長と同列に置いて「この裏切り者め」とか誰がどの面下げて言えるのか。それが私たちの「三里塚農民とすべての人民のための正義の闘い」の内実だったんだろうか。
「反対運動のものだ」というならその通りでしょう。そして熱田さんは反対運動そのものでした。「総有」は熱田さんらの不屈の闘いがあったればこそ自ら勝ち取ったものです。私(たち)は、ほんの短い期間、そのお手伝いをしていたに過ぎません。今回の敗北は、闘争を分裂させてしまった痛苦な経験をふまえ、北原派系も含む全三里塚勢力、「反対運動」の敗北と受け止めるべきです。みんな「自分のやりたい闘争」をしていただけだった。運動初期の共産党の独善を誰も笑えやしない。
「部落の総有」という形式や、家族問題から、土地の名義だけ残して去るということは現実にはできない(できたら熱田さんもやっていただろう)。できないことをやらなかったと言って、到底クリアできないハードルを個人に課しておいて、それがクリアできなかったからと言って批判する。そんなレトリックはもうたくさんです。私たちは農民の「支援」だったんじゃないですか?要求する前に支援しなきゃ。
この件について私はこれ以上、多く語ることがないのだけれど、熱田さんには中核の批判もさすがに抑制的だし、ましてや旧熱田派系で熱田さんを悪く言う人はいません。それに対してSさんには(元活動家出身ということもあって)熱田派系の中でも表沙汰にならないかなりの不満もあるようです。しかしどちらにせよ、闘争開始以来、今までさんざん繰り返されてきた家族・親族の問題であり、私たちが口を出すことなどできないのではないでしょうか?それは「空港絶対反対」の意思を持つ人を支えることができなかった。ただその闘魂に甘えていただけの私たち自身の敗北です。決して熱田さんの敗北(責任)ではない。
私たちの立場で、とりわけ私のような若造の立場で、86歳で寝たきりに近くなるまで、文字通り命をかけて闘ってきた熱田さんを裏切り者と罵れますか?罵れるとしたら、それはあまりに血の通わない、頭でっかちで人民の実存に根ざさない、自己絶対化のみが肥大した、似非なる闘争、似非なる人間解放、似非なる革命ではないでしょうか。そんな「革命」に人民のだれが己の未来を託し、自己の存在すべてを投機しようと思うのでしょうか。いるとすれば同じような自己絶対化の頭でっかちだけだと思います。(nezさんがそうだとは言いません。上の投稿だけでは何もわかりませんから)
私が一番悲しいのは、S氏の自宅の中で寝たきりの86歳の老人である熱田さんとは、おそらくもう生涯会えないであろうこと、お礼もお詫びもできないであろうことです。
どこの誰が「ものわかりよく、ああそうですかと言っている」んでしょうか?って、誰も言ってなくて、煎じ詰めればそうなると私が感じただけです。これは論理(と言うほどおおげさなものではないが)であり、それに対置されているのが熱田さんへの心情です。そして、その心情の説得力には私も同意せざるを得ません。でも今回の売却がS氏(熱田さんは本名なのに)がらみであり、いずれ今回の売却のお金もS氏のものとなることなどを考えるとやはり釈然としません。心情が冷めて論理に逆戻りしてしまいます。
>いずれ今回の売却のお金もS氏のものとなることなどを考えるとやはり釈然としません
うーん。確かにねえ。
私がS氏をイニシャルにしたのは、熱田さんより、むしろS氏に対する批判(というより不満かな)を、旧熱田派系の人からよく聞くからなんですよ。このブログは旧熱田派系の人もよく読んでくださっているようで、万が一にもここからS氏に対する批判が強まったり、「実は俺もそう思っていた」的な人が増えて、批判が表沙汰になっていくような事態を恐れてのことです。だって事情を知らないわけですから、うかつなことは言いたくありません。
本人から事情説明があるのが一番いいんですけどね。たとえそれが文字通りの「逃亡」であって、それに熱田さんを巻き込んだものであるとしても。
私も気持ちだけはあるんですが、組織を離れてから一度も現地に足を運んでいません。純粋な気持ちのある人なら「余計なこと」を考えなくとも、個人レベルで参加できるよう、反対同盟の再統合も含めた体制を早急に作ってほしいですが、それにしても、闘争に貢献できていない私が、いまさら人を責めたりしませんから。
しかしこの期に及んでまだ「脱落派」だ「内ゲバ主義者」だので争っている場合ではないだろうとは思うんです。もちろん過去に遡ればお互いに根拠のある批判もあるんだと理解しますが(ただ、他のことはともかくインター活動家への襲撃事件だけはどうしたって謝罪しないわけには済まされないでしょう)。
なんだか「迫りくる米軍の眼前でシーア派とスンニ派が殺しあっている」みたいな光景で、浮世離れした宗教的なものさえ感じるのは私だけなんでしょうかねえ。
RT @kousuke431: [過去記事ランダム] 熱田さんの「移転」について https://t.co/xl5KIaMe4j