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民・社・国3党の得票は過半数を切っていた-でも7割近い議席

 以前に書いた「都議選結果の分析(もどき)」に続いて、衆院選の分析(もどき)を書いてみようと思いましたが、それは明日にして、その前に今日はとりあえず今回の選挙結果に対する簡単な感想を書いておこうと思います。

◆「民主圧勝」は、またしても小選挙区マジック

 ふと4年前の小泉郵政選挙の後に書いたエントリー(→「小泉劇場の『勝利』とローザ・ルクセンブルグ」)を読み返してみましたが、何というか、感慨無量ではありますね。まあ、いろんなことがあったなあというような意味でね。詳しくは明日の「分析(もどき)」で書きますが、この時に書いた小泉政権の「小選挙区制のペテン」が、今回そっくりそのまま自民と民主で入れ替わっているだけなんだね。

 確かに民衆はあくまでも最悪な自公との比較においてのみ、小選挙区では民主に投票したかもしれない。しかし比例区の投票で見る限り、民主・社民・国民の次期与党3党、それに新党日本と新党大地の票を足しても、まだ過半数の得票にすら達していなかったんだよね(くわしくはこちら)。つまり民主党中心の政権に対する民衆の(積極的な)支持はほぼ半々に割れ、それどころか過半数をわずかに切っていた。なのにこれら5党の議席を合計するとギリギリで衆院の3分の2に達してしまう。前回の郵政選挙の時も、自公は過半数をわずかに超えるにすぎない得票(50.3%)しかとれなかったのに、余裕で3分の2をクリアしちゃったしね。まさに小選挙区制おそるべしです。

 このことから正確な民意を推測すると、民主が第一党だが過半数にはおよばないという、現在の参議院がほぼそれに近いんだろうなと思います。ですから、郵政選挙の時に書いたように、たとえ議会内では保守政党たる民主党が圧倒的な勢力を持ったとしても、それは擬似的なものであって、その力関係が社会の隅々にまで貫徹されるわけではない。何より安倍から麻生にいたる3代の自公政権がことごとく打倒されてきたことが、それを証明しています。私たち左派はこれを念頭において今後の活動を進めていきましょう。

◆あまり喜べなかったYo!-左派はこれから大変になる

 私は投票前に書いたエントリの中で、翌日からの鳩山民主党政権との闘いをふまえつつも、「せめて一日くらいは細かいこと言わず素直に『ざまあみろ!』と溜飲を下げて美味い酒を飲みましょうよ」と書きました。けれども正直言って、なんだか溜飲もさがらず、「前途多難やなあ」という中途半端な気持ちでいました。あんまり嬉しくなかったなあ。左派にとっては、むしろこれから大変だよ。

 麻生政権がボロボロに負けることなんて、もう既定路線だったしね。今まで多くの市民が闘い続け、そしてとっくの昔に死んでいた自公が「やっと倒れたか!」なんて感慨は、投票前に全部使い切ってしまった感じです。むしろこれだけ大衆から「NO!」と言われた麻生政権を、選挙でしか倒せなかったことが左派の力不足を示していて本当に残念です。それよりも今回は社民党による「民主のゲタの雪・とことん着いてくぶらさがり路線」と、共産党による「唯我独尊・超越独自路線」という両極端の路線へのもの足りなさが残りました。

 その社民党に対しては、とりあえず東京の保坂さんと大阪の辻本さんが当選した上での現状維持以上ならまあいいかと思っていましたが、保坂さんは今回の自民党候補の中では最強の一人である石原伸晃さんに対し、予想外の善戦をしたものの、社民党東京ブロックの票が伸びずに復活当選もなりませんでした。一方の辻本さんは小選挙区で当選しましたが、民主・国民の支持をうけた「野党統一候補」として「比例は民主に!」と連呼するまでに(大変失礼な表現ながら)落ちぶれてしまったそうでがっかりしました。せめて保坂さんを当選させて「社民1増」でいってほしかった。

 その反面、京都人としていつかは絶対に落選させてやりたかった教育基本法改悪の責任者であり、「人権メタボ」発言の伊吹文明さんを、せっかく小選挙区で落選させて喜んだのもつかの間、あっさり比例で復活して気が抜けました。小池百合子さんも同様ね。あと静岡のレイシスト城内みのる氏の圧勝も欝です。「反自民」ならなんでもいいのかと。

 次に共産党については良くも悪くも「組織」であって、社民党みたいに「誰」が当選したかは極論すればどうでもいいような党なんだよね。おそらく社民党の残された存在意義は、そういう共産党との比較にあると思うんだけど、その共産党は今回、およそ民衆の現実的な願いとはかけ離れた観念的な独自路線から、「建設的野党路線」へと転換したそうです。つまり今までの「蚊帳の外で正しいことを言い続けているだけ」の党から、現実政治に影響を与え、たとえ少しでもそれを変革する路線を目指すようです(かなり好意的な解釈かもしれませんが)。それでこそ民衆の自民政治への怨嗟を受け止めることになるし、回り道に見えても結局はその評価が共産党の独自路線や勢力拡大の実現にもつながると思う。

 私(たち)のように特定の支持政党をもたない反自民無党派層が議会主義勢力に望むことと言えば、民主党さえも利用して世の中を一歩でも良い方向に進める、そういう柔軟でしたたかな戦略こそが共通の思いだったのですから、共産党のほうが私たちに一歩近づいてきてくれたことに文句があろうはずはありません。ただ、これで同党が党勢や議席の拡大以外に、どれだけ現実を半歩でも前進させることに協力してくれるのか、民衆の現実的で切実な願いを今でのように罵倒せずに理解してくれるようになるのか、それは今後に注目していきたいと思います。

◆「消滅」か「復活」かの岐路に立った左派

 総じて、とにもかくにも全く喜んでなんていられない。まず私たちは自公を退場させた。それは成果だと思う。ただしそれはまだ、右からの改憲をもくろむような極右勢力(右派業界では「属米ポチ」とか言われている勢力)を一時退場させたにすぎません。国民の人権と生活の保障という「国家の正当性」を担保するたった一つの理念を忘れ、政治がイデオロギー的に極右化していた中では、一時的に部分共闘も可能だった「普通の保守」が政権をとっただけで、今後は彼ら普通の保守との闘いが待っているのですから。

 今回の選挙結果も、政治の中道化や、まして「左傾化」なんかでは全くありません。それどころか「民主と自民の争い」とは、イコール議会主義政治の表舞台からの「左派の消滅」を意味しているのです。民主党政権の成立をもって左派消滅の一歩になるか、自公の崩壊をもって左派復活の一歩になるかは、すべて今後しだいでまだ何も決まっていないことを肝に銘じましょう。

 そして左派復活の道は、「諸要求貫徹」で保守党同士のポピュリズム合戦に巻きこまれ、議席獲得や党勢拡大に汲々とすることにあるのではなく、何よりも左派自身が大衆にとって魅力的な別の「価値観」を提示し、何よりそれを国会の赤絨毯の上ではなく、街頭や大衆運動の中で目に見える形で示すことです。たとえその価値観の「非常識さ」や「非現実性」によって一時的に支持や議席を減らそうともです。

 そしてそれはまた、必死こいて悲壮な気分で「危機」や「支持」を訴えるというような、大衆に対するエリート意識の裏がえしにすぎない悪しき左翼根性からではなく、自分たち自身がやりがいや魅力を感じて生き生きと取り組める、何よりまず他人ではなくて自分が「楽しい」と思えるものでなくてはなりません。それを見る人が(賛成・反対は別にして)「なるほどね」と思えることも大切だと思います。誤解を招きやすい表現ですが、それを恐れずに言うなら、常識性が大切なのです。「非常識」な主張をあえて常識的に追求していかねばと思います。

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  • チョウセンヒトモドキ逝ってよし。
    俺がずーと指摘していただろ。
    地球上には思想は二つしかないのだ。
    だから自民党を批判するということは民主党を絶賛することになるのだ。
    俺の行ったとおりだっただろ。