本書は、「検証 内ゲバ」について約一年間の共同研究の報告である。日本社会運動の崩壊的危機の主体的要因である内ゲバに触れることは、当事者にとっては重くてつらい課題だ。当事者のみか、運動全体にとっても内ゲバは、忘れ去ってしまいたい問題である。
『検証 内ゲバPART1』に続く、内ゲバ問題の徹底検証。
PART3 当事者たちが語る内ゲバ体験
第1章 市民運動を装うSENKI派にも息づく内ゲバ主義 小林 義也 236
判決を読んだりして事実関係を調べたのか-「市民運動を装うSENKI派にも息づく内ゲバ主義」という文章が載っている。書いたのは何十年も前に組織を辞めたのに、相変わらず元SENKIのメンバーであることしか肩書きにできない小林義也だ・・・しかもあまりにも事実と違うことが文章化されている。
内ゲバ廃絶のための私の提案-内ゲバを誘発する要因の一つに、批判する側と、批判される側との間で切り結ばれる「関係性の貧困」がある。まず、批判する側の批判の内容、質、意味、目的が、反批判する側の対応の内容と質をある側面において逆規定する。
蔵田氏は「関係性の貧困」を主張する。「誰と誰」の関係性のことを言っているのだろうか? 氏の論文を読めば、それが「批判者と反批判者」いいかえれば「批判して内ゲバ襲撃を受けた者」と「批判され内ゲバ襲撃をおこなった者」との関係性の事であるのがわかる。
蔵田氏によれば内ゲバを批判するためには目的意識性や動機などが明らかでないといけないということになり、そうした条件が満たされていない批判をおこなう批判者は内ゲバ襲撃を受けてもしかたがない、と主張しているように思われる。
SENKI派・前田君の公開質問状に寄せる-『検証内ゲバ PART2』中の私の文章「市民運動を装うSENKI派にも息づく内ゲバ主義」に対して、SENKI派幹部の前田浩喜君より社会批評社、編著者にあてて公開質問状がよせられた。内ゲバを廃絶する営みを共に歩み始める第一歩として、私はこれを歓迎するものである。
総じて蔵田さんは、そんなにめちゃくちゃなことを言っているとも思いません。まっぺんさんは「(白井氏も佐藤氏も)襲撃されてもしかたがないと氏は主張している」とか「内ゲバ襲撃者の主張にこそ絶対的価値があると言っている」などと解釈されておられますが、贔屓目にみてもそれはやや拡大解釈にすぎる。
このまっぺんによる蔵田批判について、あるサイトにおいて疑問や批評が提起されていた。その批評に対して頷けるところもあり、また論文の問題点を再度整理して批判点をより明確にすることは他ならぬ自分のためであると考え、特に新左翼運動が誤ってきた「党」「前衛」の問題について整理するための文章を書いた。
私と蔵田さんとを「一元論対二元論」と整理しているのは非常に的確であると感じました。草加さんの分析のとおり、蔵田さんの論文に対して私は彼とは違った論点から批判しております・・・私は蔵田さんと同じ土俵の上で彼の論法に向き合う形での内ゲバ論争では、左翼がたどってきた大きな過ちを克服するような議論は到底できないと考えています。
内ゲバ問題の研究活動の中で、当初の目的と意図に反した事態と運動の方向性を経験することになりました。例えば「内ゲバをやる連中はどんどん警察に突き出せばいい」という主張と同席を強いられたり・・・私が「反動的な内ゲバ擁護主義論」者にされるに及んでは、最早、そこにとどまる政治的実践的意味がなくなったと判断し、一連の活動からは訣別・召還することにしました。