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倒壊したビル(輪島市)

 年末は請戸のテントひろばに出掛ける予定だった。海岸から初日の出を見るのを楽しみにしていた。ちょっとした事情があって残念ながら断念した。これを提起した乱鬼龍さんからは、なかなか素敵なことだったという報告があり、よかったと思う。我が家では年越しそばも、雑煮もカットした年始だったが、連れあいはいつものように「芸能人格付け」という番組を見ると言っていた。ただ、年始恒例のこの番組は能登半島地震の発生で中止になっていた。

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 ほとんどのテレビが番組を切り替え、地震の報道をしていた。報道を見るともなく見ながら、いくつもの感想を思い浮かべていた。かつて友人と能登半島一周に出掛けたことがある。確か珠洲市から輪島に抜けるバスはあったが、珠洲市の先の先端(半島の先)をまわるバスはなかったように記憶している。記憶違いかもしれないが、そう覚えている。半島の先のところにランプの宿というのがあり、そこに泊まるか、どうかを話しあった記憶もあるから、そこは歩いたのだと思う。

 そんな半島だから、地震で孤立する集落が出るのは、何となくわかる気がした。そして、そこへの支援体制や行動が困難を極めているだけでなく、無策であるのを、あれこれと想像した。能登半島では珠洲市を中心に地震が起こっており、大きな地震は予測されていたのに、その対応策というか、それはほとんどなされなかったのだと思う。気候変動への問題は、それによって引き起こされる災害への対策があまり考えられていない。同じことがここにもあるのだと思う。

官邸内にいるのにわざわざ防災服に着替えて会見する岸田首相

 防災服だけは着て、記者会見するという首相のパフォーマンスを見て「何やっているのだ」という思いをしたのは、僕だけのことではないと思う。具体的に必要なことは直ぐにわかるはずだし、それを迅速に取り組むべきなのであるが、そんなことは対応策やマニュアルとして、できていて当然のことである。岸田内閣が何もできない、しない内閣であるのは致し方ないが、この内閣は勝手に不必要というか、人々に害をおよぼすことはどんどんやる内閣だ。昨年の汚染水の海洋放出(8月24日に強行)はその一例だが、沖縄辺野古新基地建設における代執行もあげられる。

 この地震で僕らがすぐに思いをめぐらしたのは、志賀(しか)原発への影響である。北陸電力は志賀原発2号機の再稼働を画策しているし、その認可にあたって原子力規制委員会は活断層問題を無視した。だから、今度の地震についても「安全に問題はない」という、その影響を小さく見せる発表を行った。いつもの隠蔽報道である。またか、またそうだろうという僕らの予測通りだった。

志賀原発2号機 地震の影響で再稼働審査は長期化か(チューリップテレビ

 我が国の企業や政府機関は、本当のことをいつになったら公表するようになるのか。かつての大本営の発表は、形を変えて、いまも続いているのである。権力や体制の情報は、いつもそうしたことが付きまとうのであり、これは情報に政治的判断を付加するためである。事実をただ情報として報道する。その認識や判断は情報を受け取る人がする。

 事実を情報として開示するというのは、わが国の権力や体制が苦手とすることかもしれないが、権力や体制の判断ではなく、人々の判断が優先すべきことであるという原則が、そこにはないからだ。「権力や体制から出てくる情報については、疑い、疑念を持つべき」というのは歴史的な事態の中で、僕らが教えられたことだが、このことはいつも肝に命じて置くべきことである。志賀原発についての情報は、権力や体制は隠そうとしていたことが、隠しきれず、事態の真相がみえてくると思う。そうだとしても情報に対してシビアな目で接すべきだろう、と思う。

 昨年から引き続き明らかにされていることに、自民党の安倍派を中心にする政治的裏金つくりが暴露され、議員逮捕にまでことは進んでいることがある。政治的パーティーで集めた政治的資金を政治的資金として記載せずに、政治的裏金(違法な闇金)として集め使ったということだ。これは違法な行為である。検察はこの摘発をどこまでやるのは、予測はつかないが、中心的な政治家たち(安倍派幹部や森喜朗)にまでは行かないのではないのか。

自民党安倍派を中心とした裏金疑惑

 この突如としての捜査は検察(官僚)の安倍政治への反発があるのだと思う。安倍首相の政治が政治と官僚との戦後的秩序に介入し、その秩序の再編を企てたことへの官僚の側から反撃といえる。黒川人事問題を想起すればいいと思う。ただ、この動きは現在の政党の矛盾というか、闇を露呈させたことは間違いない。検察の動機とは別に、現在の政治の矛盾が明るみに曝され、だから、この問題を認識し、現在の政治体制への批判を考える契機として僕ら前に投げ出されてあるのだと思う。

 岸田首相は、この問題が政党への国民的信頼を低下させているとして、信頼回復のために刷新本部を自民党の内に立ち上げた。派閥解消を掲げたりするが、そんなことは茶番であり、誰も信じてはいない。彼等にこの問題の本質にメスを入れ、切開することなく出来るはずがないのだ。同じ穴のムジナという言葉があるが、これを切開することは自民党政治にメスをいれることであり、自ら血を流すことである。そんなことができるはずはないのだ。政治資金規制法の改正や派閥解消くらいは出来るかも知れない。そんなのは小手先であり、表面的な繕いである。

 この問題の本質は何か。結局、自民党という政党の活動の本質が金によっているということであり、金によって票を獲得するという政治から脱し切れていないとことである。それは昔の話でしょう、と思うかもしれない。「金による支配って一時代まえの政治(保守政治)だろう、今はちがうはずだ」と思うかもしれないが、自民党の根の部分は、これが今でも支配的なのだ。

 「政治に金が必要だ」と一般的に言われる。確かに、政治に金は必要である。政治活動は、生産的行為ではなく消費的行為である。その必要な金の取得と支出を、生産的な方法でなく、やらなければならない。議員などの公的な政治家になれば、報酬(職業的な報酬)を得るだろうが、それは一部分である。政治活動全体から見れば、膨大な金を必要としている。だから、政治資金の獲得と支出において議員報酬という枠組みを超えた金が必要である。

 それは、献金と呼ばれる資金の収得と支出のことである。このことは政治資金規制法として枠組みが決められている。今回の事態は政治資金規制法の枠組みを超えた裏金(政治資金)の獲得が問題になっているのだが、そこでは「政治に金が必要だ」ということが言われる。これは自民党員の内部では暗黙の了解事項なっているようにみえるが、この「必要な金」とは選挙、とりわけ票を買う金ために必要な金である。それが俗に言う裏金である。問題はここにあるのだ。

 印刷などの宣伝費、人件費(事務体制費など)、会食費などが、主な政治的支出である。これは現在必要とされる政治活動費であるが、これは大幅に削減できるというのが田中秀征の見解だった。多分そうだろうと思う。今、一般にいわれる政治に必要な金というなら、この範囲の金であるし、政治活動を合理化して解決出来るのだと思う。

 現在の政党活動では、タブーとなっている裏金は、この範囲の政治活動に必要な金ではない。裏金が必要なのは、表には出来ない政治活動あり、それは選挙における金(裏金)、票を獲得するために使われる金である。河井法務大臣の選挙での買収問題が露呈したのは、氷山の一角で、これは水面下では進行していることなのだ。この金問題は自民党の派閥問題ともつながることだと思う。

 派閥は政策の幅を広くするという意味で、自民党の政治活動としては有用な存在でもあった。だから、派閥を問題にするなら、金の問題の側面を取り出さなければならない。「政治と金」の問題は、ギリシャ時代から連綿として続いてきたことである。地獄の沙汰も金次第というのは、連綿として続いてきた政治でも言えたことである。現在も、政治を闇から支配しているものである。安部政治の支配力が裏金つくりであったことが今、暴かれているのだと思う。

 ある新聞のコラムで「この問題の露呈は、好ましい政治を望むひとにとっては、絶好の機会である」と述べられていた。そうだと思う。金に支配される政治ではなく、理念(公的利益や公共性)に基づく政治ということになるが、ここが問題なのだ。現在、直面している難しい問題である。理念に基づく政治が結果したものより、まだ、金の方がましだというのが、続いてきた歴史であるからだ。

 僕らは、この問題に直面している。好ましい政治として構想出来るものが、不在なのだ。ここに僕らが好機を好機にしにくいことがある。僕らはここで自問自答を強いられているのだ。僕らに向かって、サイが投げかけられているは確かなのだが。

味岡 修(三上 治)

味岡 修(三上 治)

文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。