自分としては「あーあ、とうとう言ってしまったなあ」という感じなんですが(笑)。実はこういう感覚に同調していただくような意見は、メールではたまにいただくんですよね。けれどもコメント欄とか目に付く場所には決して誰も投稿しない。
でも、左派がここまで衰退していった原因を、外部にだけ求めてはいけないと思う。「反省すべきは反省して」とかみんな言うけれど、じゃあ何を反省すんだよ!ってことになると、「ヘルメットをかぶらない」だの「シュプレヒコールはやめる」だの「組織名称を変える」だの「デモをパレードと言い換える」だの、表面的なイメージ戦略ばっかりです。
それも結構ですが、たとえばそこで「シュプレヒコールをするような団体の人は(強権的に)排除する」なんてことをやってるようでは、本質は何も変わってない。ただやり方が変わっただけで中身は一緒です。そんな薄っぺらな「変化」なんてのは、すぐに大衆から見透かされてしまいますよ!!
ここに書いたこと(後半の解放同盟や国労に言及した部分)は、おそらく「ある種の左派の人」からはすんごく怒られることだと思う。でも、一般の左派の人は、実は前々から感じていたことなんではないかと思います。それを言い出すのに「決意」が必要であるという左派の現状こそ問題にすべきだと思うし、左派が再生して広がりをもっていくためには、さけて通れない道だと思います。
で、未整理ではありますが、とりあえずここに公開して、サンドバックになってみようかなと思った次第であります。
現在の息が詰まるような社会に対抗しうる、豊かで自由で楽しくて、一般の人が「参加したい!」と思えるような左派文化の復権を願って。
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土岐幸一さん、コメントありがとうございます。
どんな弾圧も、結局は人を黙らせることはできない。私もそのような方向性において生き続けていきたいと思います。
しかし「命を賭ける」だけの決意はまだないので、殺されたり拷問されたりしない程度に(笑
思うに自分の考えを表明するだけで、何かの「決意」を必要とし、弾圧をも覚悟しないといけない今の世の中の異常さについて、私のような活動家あがりの人間は、今、一般の人に加えられている抑圧をほんの少し早めに経験させられたせいで鈍感になっているように思います。「政府なんて昔からそんなもんだ」という感覚とでも言うのでしょうか。
土岐さんのような決意や達観を持った人はもちろん必要なのですが、そのへんの道を歩いているおっちゃんやおばちゃんが「それおかしいんちゃうの?」と思ったら、何一つ「決意」なんて必要とせず、ごく普通に「おかしいんちゃう?」と言えることが当たり前なんではないでしょうか?
土岐さんの生き方は尊敬しますが、そういうごく普通の感覚を取り戻すことも必要だと思います。私たち活動家あがりの人間は、警察の異常な思想弾圧については、もっと本気で大騒ぎして「大変だあ!」と叫んでまわるような当たり前の正常な意識を忘れているんではないでしょうか?
言いたいことが言えなくなる世の中が「いずれくる」んではなく、すでにそういう世の中に私たちは生きているわけです。
なにがしかの「決意」が必要だったり、「匿名」もしくは逆にみんなが注目するほど「有名」にならないとものを言えない。これは絶対におかしいではありませんか。
私たちは言論の自由についてはもっと敏感になるべきです。たとえそれが右翼の言論であろうとも、人権侵害そのものを目的としたヘイトスピーチを除いては、断固守られるべきです。
こういうことを書くと怒られるかもしれませんが(つーか、確実に怒られると思うけれども)、たとえば今、部落解放同盟にかけられているネガティブキャンペーンに正面から論陣をはって守ろうとしている人は、左翼側にさえほとんどいない。全く広がりを持たない。そういうことをしているのは、今まで解放同盟内部にいた左翼少数派の人によるもので、解放同盟内の右翼多数派批判とセットになったものばかりです。
あるいは国労だって、国鉄分割民営化にいたるまでは、総評内における官公労の「本工(=正社員)労働組合」として、自分たちの権利ばかりを守る組合として存在し、下請けの下層労働者の権利を守ろうとしていたとは言えないでしょう。そのせいで政府による「親方日の丸でぬくぬくと楽しようとしている」みたいな嘘のキャンペーンを跳ね返していく力がなかった、全労働戦線による支援の広がり、当事者以外の「国民的支援」が今ひとつ広がらなかった一因のように思います。
このように、解放同盟や国労などに対し、それを支持しつつちょっとした「苦言」を呈することさえ、ある種の「決意」を必要とするような左派側の現状で、どうして「言論の自由を守れ!」だの「弾圧反対!」だのという私達の主張に幅広い支持が集まるというのでしょうか?
右翼に対しても、無原則な野合はしない、野中広務と政治的にお付き合いしたり公安刑事と会食とかは絶対にしない。けれども彼らの言論の自由さえも断固として守る立場にたつ。逆にあらゆる人民抑圧に対しては、それを行ったのが「左翼」であろうともきちんと批判する。そういう原則的な立場が必要だと思います。今の左派や労働組合は、それとは正反対のことをしているのではありませんか?
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たとえば労働運動の再生にしても、決して「総評の夢よもう一度」ではいけないと思うのです。
◇左翼はいったい北朝鮮での人権抑圧をどう考えているのか?(ブログ版ボラログ)
◇労働組合とは一体何か(アッテンボローの雑記帳)
◇アジア連帯講座弾圧(ですぺら)
◇警察との会食問題と参加者への弾圧、WPN主催者の態度について(赤色土竜新聞)
コメントを見る
時間が押しているので、草加さんへの回答になるかどうか?
まとまらなかったら御免。
まず、新エントリー「あえて左派に苦言を呈します」の内身についてです。内身=中身=なかみと、読んでください。
色々なことがテーマになっているので、少し意味が私には取り難い。読解力の不足なのでしょう。すみません。
と、いうことで先ず解放同盟や国労のことについてですが、私にはこの問題について言及できるほどの能力はありません。
そもそも何がどうなっているのかを、知らないというのが誠実な回答です。
そこで、以下のことについて少し書きます。
>思うに自分の考えを表明するだけで、何かの「決意」を必要とし、
>弾圧をも覚悟しないといけない今の世の中の異常さ
そうなのかな?そう一般化して定式化するのは、無理があると思います。
現政府と対決し、社会的実践に鋭く切り込もうとすると、そういう決意、弾圧を覚悟する必要があるのでしょうが、それを社会一般の人々にまで拡張するのは無理だと考えます。
まして、
>言いたいことが言えなくなる世の中が「いずれくる」んではなく、すでにそういう世の中に私たちは生きている
となると、これはもう戦前の帝国ニッポンとかナチスのドイツ、「社会主義」ソ連などの閉塞された社会=全体主義国家についてはいえても、現下の日本についてそう捉えるには、無理ではないでしょうか?
私はそこまで論理を押し広げて捉えている、草加さんの考え方に少々危惧を覚える次第です。
だからといって、戸田さんをはじめとする関西生コン、アジア連帯講座の活動家への権力弾圧を、「しょせん権力なんてそんなものだ」とは押さえていません。それらの権力弾圧には抗議し、反撃する必要があることは、間違いありませんし、現に草加さんのサイトでも、そして多くの手段を駆使して反撃、弾劾がなされています。
ですから私はそうしたみなさんに敬意を表すると共に、私の出来る範囲でしかありませんが、連帯して行きたいと考えています。
時間がないので、後は簡単に書きます。
ただ、私はそうした当事主体の在り様というか、物事への主体的構えとして、権力弾圧に対して以下のように考えていることだけは伝えます。
逮捕、拘留は望むことではないが、だからといって私はそれを恐れはしないし、屈服もしないだろうと。
ただ、それだけのことです。
おひさしぶりでございます。長らくご無沙汰してしまいましたが、相変わらずのパワフルぶりで安心致しました。さて、せっかくリンクしていただいた私の拙Blog「こっちへおいでな」でありますが、ライブドアのBlogシステムがホリエモン騒動以降、繋がりにくかったり一部機能がマヒしていたりといった有様なので思い切って閉鎖しました。ちょうど趣味のBlogも多忙になってきたところなので、正確には趣味系と思想系統合して、いまはごった煮みたいなBlogを他でやっております。これもまた今後どーなるか、といったあやふやな状況でして。とりあえず「こっちへおいでな」のリンクは削除しておいてください。お手数かけて申し訳ございません。
はじめまして。アッテンボローさんのブログから参りました。
今回の記事をトラックバックしました。ちょうど韓国の方から日本の運動と韓国との連帯形成についての苦言を聞いたので、この記事はさらにそれを深めるものとなりました。
「左派」の分裂状況と、それに連帯しにくい人々の現状というものは本当に厳しいものがあると思います。それは不幸でもあるのですが、しかし、「左派」自身に責任の一端があるのも事実でしょう。
草加さんのこの記事は「問題提起」と受け取っておきます。あとはこれを元にどう考えていくか、ですね。
草加さんからの提起に応えることになるかどうか分かりませんが、私の友人の文章をコピー&ペーストします。
その内というか近々この友人の意見を取り上げ、新エントリーを立ち上げる積りです。
政府と、時の支配者と対決する者の、考え方について書かれています。
では、以下。
「革命」は道楽だ。 道楽だから人によってその程度に差があるのは当然で 命を賭けたり 金をつぎ込んだりすることもある。 道楽なんだから 疲れたら休めばいい。 道楽なんだから他の道楽と平行してやったって構わない。 これからも「革命」をやっていこう!
始めまして。というか、人様のブログというものにコメントさせていただくことそのものが初めてです。私は草加さんのおきらいな?元民(元共)です。が、理論も身につかず、組織にもなじめず、新聞配達とサークル活動を1年ばかりしただけで遠のいてしまったへたれです。こちらのブログは、大学生のこどもが「おもしろいから読んでみたら」とい教えてくれたのを、先月中頃に一念発起して最初から読ませていただきました。今日、やっと現在に追いつきましたので、うれしくてかきこみさせていただいた次第です。自分では意識していなかったのですが、草加さんのブログを全く抵抗なく、楽しく、怒りながら、また泣きながら読めてしまったということは、やはり私は左系人間だったということなんでしょうね。これからも、ずっと楽しみに読ませていただきます。そしてこれからは、私にできることはつながっていこうと思っています。お身体に気をつけて、がんばってください。
左派系おばさま、ありがとうございます。
土岐さんと護憲的コケシさん、おでんさんにお返事しようと思ってサイトを開いたら、どえらい書き込みがあったので腰をぬかしました。
>一念発起して最初から読ませていただきました。
って、そこまでしていただきますと、適当に気を抜いてやっている私は、むしろ恥ずかしいくらいです。
もちろん「他人に影響を与えることを目的としない」スタンスは変わりませんが、こうしてこのサイトを読んで、いろいろ考えて下さるかたが現実におられる以上、私もいい加減な気持ちではできないなと思いました。拝読させていただき、エネルギー充填!という感じです。本当にありがたく思います。
>私は草加さんのおきらいな?元民(元共)です
って、実のことを言えば、私も「左翼生活」のスタートは民青でした(笑)。数ヶ月で社学同にうつりましたが、だからと言って、昨日まで友達つきあいしていた人と、急に殴り合いするわけにもいきませんよね。幸いにも、あちらもそういう考えの人だったので、穏やかな(つうか世間的には当たり前の)競争関係であり、良い意味での緊張関係を保てました。ですが、80年代当時としても、残念ながらこういうのは例外でした。
で、21世紀の現代では、共産党や民青の若い人らはね、最初から「トロキスト」って知らないんですよ。だって身近にいないから(笑)。だから昔みたいにいきなりお互いに掴みかかったりすることはないんです。ごく普通の会話が成立するし、一定の「現場共闘」も可能だったりするんですよね。せめて80年代にそうだったらなあとも思いますが、これって左翼が衰退したからこその現象なわけで、「いい時代になった」って言ってもいいんでしょうかね(笑
ともかく、これからもよろしくお願いします。日常感覚に照らしておかしなことを言っていたら、叱ってやってください。