●元気な集会でした
天気はあいにくでしたが、集会自体は大変に元気のよいものでした。22日の緊急行動はどちらかと言えば悲壮感や危機感にあふれたアピールが多かったような印象が個人的にはしていました。それに対して26日の集会では主に市民団体の方の発言で「希望」という言葉が繰り返し語られていたような気がします。その姿勢は非常に好感を持ちました。うつむかず、眉間に皺よせず、前をむいて笑顔ですすんでいく。こういう市民団体系の方々の発言時には、会場から何度も笑いがおこったのもよかった。
もちろん22日の集会がよくなかったという意味ではありませんので、念のため(笑)。個人的な印象ですし、比較の問題であって、アピールしていた方たちの気持ちや意図はいろいろでしょう。この日はオープニングの趙博さんの元気でリズミカルな歌がよかったのかな。22日は「緊急」でしかも夜の公園での集会ですからね。自然と悲壮な気持ちにもなるという。それに現在の状況ではある種の悲壮感や決意はもちろん必要なことであるのは言うまでもありません。
●手押し宣伝カー「旗旗1号」登場!
防水対策をしているので、写真ではよくわからないでしょうが、撤収も組み立ても簡単にできるよう下部に各種の荷物を収納し、上部にはもう捨てようかと思っていたラジカセをスピーカーに改良して搭載。さらに運動会などで使うハンドスピーカーをディスカウントショップで買ってきて組み合わせ、CDラインをつなげてマイクを接続しています。これで小さな宣伝カーにも負けない大音響がでる・・・はずでしたが、実際はそうでもなかった(泣)。アンプに問題があるようです。途中からハンドスピーカー単体で使った。このほうが大きな音がでるという。さらにタイヤが小さすぎて、点字ブロックさえまともに乗り越えられない。やはり家にあるものを組み合わせただけのシステムでは問題があったなあ。
もちろん完全な個人参加ですが、会場内ではやはり個人参加していたアッテンボローさん親子と、私と同じ元戦旗派の方の4人で一緒に行動していました。この元戦旗の奴は、あろうことか力作の「旗旗1号」をフツーに傘立てとして使いやがった!そりゃあねーぜ、JY君(笑)。まあ、この見た目では、旗がついてなければ傘立てどころかゴミ箱ですからねえ。戸田さんには受けてましたが。
●戸田さんの発言を聞いて
確かにほんの少し前までみたいに、「政府にあれやこれやの経済要求を突きつけて意義申して立てをするような中流階級」が本当にいなくなりましたよねえ。一方で億の金を当たり前に動かす人々の価値観が流布されつつ、大部分の人々は生活に追われて明日の心配をしている。今まで社民党や共産党は、かつて存在していた都市部の「中流階級」を「庶民」とか呼んで主なターゲットにしていたわけです。そしてこの「庶民」の経済要求を自民党にぶつけて一定のませることで延命してきた。その反面、「中流」のさらに下に踏みつけにされているような、日雇い労働者や野宿者、在日など、「票にならない」人々との連帯には、決して積極的だとは言えませんでした。
今や小泉-安倍政権による格差社会によって、「中流」が最終的に解体されつつある中、社民党や共産党がやせ細っていくのは理の当然。まさに自業自得。今まで一国主義的な経済要求主義のぬるま湯に漬かってきたツケが回ってきたというものです。本来なら最も小泉-安倍政権と鋭く利害が対立するはずの人々が「あんたら恵まれていていいよな」というファシズムからするデマ宣伝に踊らされていても、ちゃんとした反撃すらできていない。小選挙区制のせいで支持が集められないのもわかりますが、全くもどかしい限りです。
●参加者の発言はみんなよかった
また、別の改悪反対の市民運動の方は、街頭でボードアンケートを実施した経験を話されました。正確には忘れましたが、「教育基本法を今のままにしておくのと、与党案の通りに改正するのとでは、どちらのほうが教育が良くなると思うか?」という設問に、今のまま、与党案、わからないの3択で答えてもらうというもので、通行人に自由にボードに印をはってもらったそうです。結果は「今のままの方がいい」という人は52%だったそうです。これがどの程度の数字かわかりませんが、私が日常生活で感じている周囲の雰囲気とも合致する妥当な数字だと思います。「『わからない』に貼った人と話し込んで説明したりして、とても楽しい一日でした」と結んでおられましたが、この「楽しい」というのはとても大切なことかもしれませんね。
集会の最後のほうに発言された方は、ウルトラマン模様の衣装をきて登壇されました。「ウルトラマンというのは、持続性がない。だって3分しか戦えないから。そして実は孤独である。いつも自分一人で闘っていて仲間がいない。その上、体がでかすぎて、他の人間にとってはウルトラマンの後に続いて闘うような手本にならない」などというような内容を漫談口調で語られ、笑わせていただきました。要するに、私達の改悪反対の運動は、すべてウルトラマンの逆でなければならないと。
●デモに出発!「旗旗1号」に続いて「チューピカ派」も登場
そしていよいよデモに出発です。右の動画はデジカメの動画機能で撮影した、出発直前のスローガン確認です。今回は普通の集会のようなシュプレヒコールや、スローガン読みあげと拍手での確認などではなく、趙博さん達のドラムにあわせてみんなで歌いながら唱和する方法で確認しました。
撮影時にうっかりカメラを会場に向けてしまったため、何人もの参加者の顔がアップで記録されてしまいました。公安さんに材料を提供する必要もありませんので、最初の12秒だけ公開しますが、これだけでも充分に集会の雰囲気は伝わるだろうと思います。
動画がページ内に表示されない方は、こちらからダウンロードしてください。
デモは趙博さん達のドラム隊を先頭にしてにぎやかに進みます。アッテンボローさんの息子さんは、黄色のチューピカヤッケとチューピカヘルメットで完全武装。周囲の女性たちから「かわいい」の声をあびてカメラの放列をあびておられました。なんでもこの息子さんは、不当にも会場を取り囲んで監視していた公安刑事に投石しようとしてお父さんに止められたとか。全くとんでもない「単ハネ分子」でつね(笑)。将来が楽しみです(爆)。
●なんと手押し宣伝カーが2台参加
その女性と少しお話しましたが、私がタイヤの小さいショッピングカートを改造したものであるのに対し、彼女の「宣伝カー」はベビーカーを改造したもので、街中での機動性は抜群です。さらにスピーカーとアンプも本物の宣伝カー用のものを搭載しておられます。私はてっきり高価だと思い込んであきらめていたのですが、実は6千円くらいで売っているということでびっくり。バッテリーも高価な自動車用のものは必要なく、普通の乾電池をつなげて電圧をあげてやればよいということでした。それらが手作りの木箱に整然とおさまっているのね。ベビーカーもリサイクルショップに行けば千円で売っているそうです。本当に感心しました。よーし、次回までには彼女の作品を上回る「旗旗2号」を作るぞー!って、なんか頑張る方向が違ってきているような気もしますが(笑)。
●「次が最後の民主選挙かもしれない」
なんでも彼女は、来春の地方選に出馬することを本気で考えているそうです。こういう反応はよくないんでしょうが、本当にお若く見えましたので素直に「へぇー」と思いました。彼女が言うには「次の地方選は普通の意味での『民主選挙』としては最後のものになるかもしれない。その次の選挙が民主的なものになるかはもうわからない。だから今回の選挙には、出来るだけたくさんの人達が各地で出馬してほしいと思っているんです」ということでした。
彼女の話を「大げさ」と思う人も多いと思います。でも、考えてみれば、参院の旧全国区が廃止されて個人立候補が禁止されたのを皮切りに、衆院でも小選挙区制になって小党派や無所属候補の当選の可能性はほぼなくなりました。つまり議会から少数派の締め出しが一貫して画策されてきたのは誰も否定できないでしょう。当選の可能性がないところに支持は集まりませんから、社民や共産の支持が伸びないのも、実はそのことも大きい。自民とならぶ改憲派保守政党にすぎない民主党に支持が吸収されてしまうという、卑劣で巧妙な支配システムです。
さらに国会はもちろん、地方議会でも定数削減の嵐はふきあれ、市町村合併で議席は少なくなる。するとどういうことになるかと言えば、ここでも少数派は政治から締め出され、議会は大政党の後援をうけた議員か、強固な組織票にあぐらをかいたような議員ばっかりになるのです。つまり前回の戸田さんの集会で言われたように、「安かろう悪かろう」の議会になってしまい、まともに行政へのチェックが機能しなくなる。そこへもってきて、個人票でもトップ当選してくる戸田さんのような市民派議員が事実や法を捻じ曲げてでも、逮捕されたり懲戒されたりして「立候補そのものを禁止する」みたいなことが実際におこっているわけじゃないですか。保守派の大組織に属さない普通の市民派、あらゆる意味でなんらの前提条件もなく立候補できたり、ましてや当選の可能性があるのは今回が最後になるかもしれないという予測は、実は充分にありうることなのです。彼女の勇敢な挑戦にエールを送りたいと思います。
●関西はまだまだやなあ
しかしいずれにしても、国会を連日のように1万人以上の人が包囲し続けている緊迫した情勢下にあるというのに、関西での取り組みが鈍いことは確かですね。これは統計的な根拠があるわけでなく、単なる個人的な「感触」なんですが、関西人は教育基本法改悪については、東京方面よりもずっと関心が低い感じがする。そのくせ改悪には反対という意見のほうが、関西ではより多いように思われます。そのへんが不思議だなあ。
今回の報告は以上です。
◇教育基本法改悪反対で連続決起(アッテンボローの雑記帳)
◇雨にも拘わらずデモ隊は貫徹した!(シャノワールカフェ別館)
◇小雨のなか太鼓が響いた(SiteBites Blog)
◇セカンドデモ(バラン、ドル、ヨジャ~済州島に多いものみっつ~)
◇教育基本法「改正」反対~大阪集会報告(兎美味し蚊の山)
◇雨中にひるがえる!デモに参加してきました(゜∀゜)(「や」は夫婦善哉の哉)
◇教育基本法改正、反対集会(MBSニュース)←ニュース動画あり
◇楽しく、陽気に、しつこく、やろうな!(なのなの勢力)
◇わたしたちのことば(SiteBites Blog)
◇党の敗北は革命の敗北?(あおざかなの買い物日記)
◇教育基本法改悪反対アジ演説テンプレート集
◇現行教育基本法と「新教育基本法案」の比較表
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■以下の「補足」を別エントリーとしました。補足についてのコメントやトラバはそちらにお願いします。
さて、最後に一言、言わなくてもいいことを言っておきますか(笑)。
まあ嫌われ役ということでご容赦願います。
今回の一日共闘に参加したいくつかの団体(もちろんすべてではない)と、党派としてつきあいがあるのは唯一中核派です。だからこの集会を「中核派系」だと思っている人も多かったんではないかな?ここまで書いてきたように、内容的にはそんなことはなかったし、党派色もまったく感じませんでした。誰でも参加できる楽しい雰囲気の、良い市民集会だったと思います。ですがそういうこともあって、私がおつきあいのある方でこの集会に参加したのは、元中核派、元戦旗派、良くも悪くもそういうことにはこだわらない戸田さんというところ。後はみんなさめた目で見ていた。だからちょっとデモをしながら気分は暗かった。そういう皆さんには、「管制塔被告連帯キャップ」をかぶって、それをよく見えるようにしながら会場を歩きまわってきたことを報告しておきます(笑)。
実は過去の潮流として私のような系列の人と、中核とおつきあいのある系列の人が、まがりなりにも同席できるのは全国的に名古屋だけなのです。後は全部バラバラの別々です。これは正直に言わせてもらって、残念なことだと思います。原因を言い出せばお互いに言い分があろうと思うし、また泥沼にはまるのですが、20年ほど前の中核派が、反体制運動をしていた非常に多くの団体や個人を「反革命」つまり国家権力や右翼と同じ存在であると規定して、暴力的な襲撃や恫喝などをしまくったという経緯があるのです。一番酷い被害にあった人は片足が壊疽をおこして切断せざるを得ませんでした。私の周囲でも被害にあった人がいます。その頃の運動や組織防衛にあたった苦労は忘れがたいものです。特に学生運動での被害は甚大で、主だった地域から中核派系以外の学生運動は根絶やしにされました。短期的には「中核派の天下」となりましたが、長期的に見れば中核派を含む学生運動そのものの衰退を招来してしまいました。一般学生との隔絶は、その後長きにわたって埋めがたいものとなった。
なによりも、この頃に被害にあった人々は今でも多くの市民運動を担っていて、その頃の苦しみや悲しみ、中核派に対する不信感は世代を超えてごく自然に伝承され続けているのです。だいたい中核派の方は、この事態にいたるまでの論争経過に遡って自身の正当性を語る方が多いのですが、そういう問題ではないと思います。「中核派は自分に逆らう者を平気でテロる」「中核派が同席したら自由にものが言えなくなる」「近寄りたくない」「あいつらを入れたら滅茶苦茶になるんじゃないか」という、消えがたい記憶、無関係の人にとっては「敬して遠ざける」抜きがたい雰囲気を残したことが最大の問題なのです。
中核派はその後、こういう方針をあらため共闘関係重視の路線に転換しました。それは非常に良いことだとは思います。ですから、その路線転換以降に中核派の運動に参加された方は、連帯や共闘を求める自分たちが「不当に排除」されていると感じることもあるようです。でも、これも違うと思います。だって、中核派は当時のことを一度だって謝罪も自己批判もしていません。だったら当時のことを今でも「正しかった」と思っていると判断されて当然です。だったら共闘関係重視の「路線転換」も信用できない。
本当に中核派の人は、この頃のことをびっくりするほど軽く考えている。それはもう信じられないくらい、唖然とするくらいにそうです。「殴られたほうはその痛みを一生忘れないが、殴ったほうはすぐ忘れる」とはよくぞ言ったもんだと思います。自分たちのしたことが、相手に与えた心や体の傷、人間としての屈辱や激しいショックを、たった10年や20年ぽっちで水に流せる程度のことだと考えているのでしょうか。その感性は到底信じられません。あなたがたのせいで一生をむちゃくちゃにされた人、正義感をもってはじめた運動から泣く泣く追放されていった人々の苦しみ、悲しみ、怒りが本当にわからないのですか。
たとえば権力や右翼に襲撃されたり、そのために普通の人生を歩めなくなっても悔いはなかったでしょう。たとえその後に運動から離れても、自分なりに納得のできる記憶になっていたはずです。けれども勝手な「内ゲバ」で襲撃されてそうなった人には、悔やんでも悔やみきれない、苦しんでも苦しんでもまだ足りない、恨んでも恨みきれない、暗い暗い悲しみが残るのです。「汚れちまった悲しみに」という詩があります。権力の襲撃を「切ない悲しみ」とすれば、中核派から受けた傷は、思い出すのもやるせない「汚れちまった悲しみ」です。
それでも、こういう当時の中核派の被害者の大部分は、中核派のことを一生許さないとは思いつつ、だが中核派を権力と同レベルに扱ったり、ましてや「反革命」などと呼んで敵対することはありませんでした。法政大学の弾圧への抗議にも、こういう多くの人が名をつらねてくれました。中核派の方は、このことの重みを100万回でも認識するべきです。そのことを涙ながらに訴えます。
これらのことは今まで何回も書いてきたし、これからもしつこく書き続けます。そしてそれは、お互いが手をとりあえない現状を不幸であると感じ、深く悲しんでいるからなのです。そのことをわかっていただきたい。
中核派が各地、各戦線での共闘関係に入って共に闘える日のくることを望みます。そのために、当時の所業に対し、「謝罪」もしくは「一方的な自己批判」を行われることを提案し続けたいと思います。もちろん、そのようなものを出したからと言って、翌日から諸手をあげてみんなが中核派を受け入れてくれるなんて考えてもらっては困ります。実際、それを正式に評価したり、受け入れ表明するところは皆無に近いと思います。
人によっては、襲撃の前提となった論争についても、中核派の自説を撤回しろという人も出るかもしれない。それは拒否してもいいと思います。私もそこまで遡る必要は認めない。「我々の主張そのものは正しかった。だが、起こしてしまった結果について責任をとり、謝罪する」「今後は意見の違いを認めあい、二度とあのようなことはしない」そういうことでいいと思います。
これは、短期的には中核派だけが政治的に傷つくことになるかもしれない。現場活動家も、しばらくは針のムシロでしょう。離脱する人もいるかもしれない。だからこそ、こういうものが出せないのでしょうね。でも、それは絶対にさけて通れないことなんです。けれども、これは逆に中核派の権威を高めることにもなる。それは5年後10年後には必ず生きてきます。もちろんそれまでに手のひらをかえさず、自己批判の精神を実践で示し続ければという前提はつきますけれども、必ず中核派にとってプラスになります。それは疑いがない。
いえ、中核派だけにとどまらず、日本の反体制運動全体にとって、はかりしれないくらいに大きなプラスになることです。どうか真剣に考えていただきたい。今のままでは八方ふさがりです。勇気のある一歩を踏み出してください。それができる組織なら、私も応援することができます。
いつかは絶対にやらなくてならないケジメです。そういうものは先延ばしせず、早ければ早いほどいいのです。さっさとやっちゃって下さい。今すぐに。何の痛みもなく、当時のことを水に流せるほど、この世は甘いところではないのです。だいたい、それすらできないのなら、いくら勇ましいことや立派なことを機関紙やビラで書かれても、当時を知る人民の立場からはむなしいだけなのですから。
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(前略)…この運動は、○○系という言い方がよくされますが、多くは悪宣伝だと思うのですよ。青森の場合だと、ふだん共産党支持とか共産党系と言われる方々が、私たちの集会によく来てくれます。本当にありがたいことです。(中略)
…昔からの仲の悪さを利用して、分断を図ろうとする悪宣伝に乗ってはいけません。キミたち(党派関係者)が「囲い込み」をしようとしたり、「シマを守ろう」とするとき、私は怒ります。いや、私自身がかつてそういうことに手を染めて、自分でやりながら、やられながら、イヤだったから特にそう思うのかもしれません。「ええい、うるさい!」と言えるぐらいになりましょう、しましょう。そうならずして、健全な運動はないです。(80年代の戦旗派の政治集会に来て)平気で文句をたれる、石井武さんや岩木さんのようになりましょう(中略)
…第3歩目に我ら行動隊の仲間といっしょになりました。我ら行動隊に抵抗がなかったと言えばウソになります。なにしろ、私や私の先輩を殺すと言った人たちですから。それでも有効にやっていっている数少ない人たちです。とりあえず、動ける最初の地歩をつくろう。特に昔やっていた元同志のみなさんにはそれを訴えたい。(後略)
(「楽しく、陽気に、しつこく、やろうな!」なのなの勢力さんより引用。太字化は草加による)
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とても興味深かったのでTB送ります。
今回の記事はまさに僕が中核派に対して持っている不満にかかわることでしたので、本当に良かったです。
僕は「路線転換以降に中核派の運動に参加」した人ですが、昨年潜入しました全学連定期大会で自分が茨城で取り組んでいたプロジェクトを「八木秀次の『国民の思想』にある縦軸の哲学」呼ばわりされた時は本当にむっときました。それはこうした歴史的背景があるのですね。
しかし今や中核派は統一戦線の「主力の一角」になりつつある以上「言い逃れ」はできないはずです。将来の運動の大きな飛躍のためにも、そして11月集会の1万人参加を実現するためにも、謝罪と自己批判を行って欲しいものです。
以上、労働者1年生の戯言でした。
追伸:実は「Mr.北ときわ」の名でmixiもやっています。その内マイミク申請するかもしれませんのでよろしくお願いします。
護憲的コケシさん>
コメントありがとうございます。TBはブログによってうまく送れたり送れなかったりするようです。原因はよくわからないのでもう一つ別にミラーサイトを構築中です。
>今や中核派は統一戦線の「主力の一角」になりつつある以上「言い逃れ」はできない
>将来の運動の大きな飛躍のためにも、そして11月集会の1万人参加を実現するためにも
>謝罪と自己批判を行って欲しいものです。
本当にそうですね。中核派が統一戦線なんて作る気がなくて、マル青同ばりの孤高路線でいくなら、今のままでも通用すると思いますが、統一戦線を呼びかけ、かつそれを実践しようとする以上、そこには組織としての責任というものが出てくると思います。
11月労働者集会は、今や日本の戦闘的な反体制運動の中でも唯一の目ぼしい運動です。ここに、いろんなわだかまりを超えて、みんなが参加できるようになったら素晴らしい。そして、実はこの集会に参加している人でも過半を超える人々が、中核派にかつての襲撃を謝罪してほしい、そのことで広範な大衆戦線を作ってほしいと望んでいます。
それどころか、中核派の内部でも、若い人を中心として、内心では「謝罪してもいい」「謝罪してほしい」と考えている人も多いことを最近知るようになりました。そのあたりの葛藤から徐々に齟齬が広がって、中核派を離脱した人もおられるようです。しかもそういう人がゆっくりとですが、増えつつあるように思います。
外から客観的に見れば、謝罪することで失うものと、謝罪しないことで失うものとの差は果てしもなく大きい。だから、なぜ謝罪できないのか?本当に不思議に思えます。そんな簡単なことが組織内にいると見えなくなるのでしょうか?
このあたりの矛盾は、大衆運動路線を進めれば進めるほど拡大していき、いつかにっちもさっちもいかなくなるでしょう。それから謝罪しても非常にカッコ悪い。いかにも方便で、謝罪に「追い込まれた」という感じがする。やるなら今しかないのです。
法政大の弾圧は、あまりにも権力と大学当局のやり方が滅茶苦茶であったせいで、みんなが学生を支持することに何の抵抗感もありませんでした。一方、共産党が護憲運動からの中核派排除を打ち出した時は、その方針に嫌悪感を表明できても、それは「内ゲバ主義者の共産党にそれを言う資格はない」という感じのものです。簡単に言えば、中核派をかばいたいのですが、一般の人々に対して、中核派をかばうべき言葉がない。かばいきれないということなのです。本当に「早くなんとかしてほしい」というのは悲鳴にも似た気持ちです。それは中核とつきあいのある大衆運動家はみんな感じていることだと思います。
一刻も早く、同派が大衆運動での責任ある態度を表明されること願ってやみません。
「旗旗1号」すげえ!
ベビーカー改造車も。
ずっと「あてがいぶち」の経験しかなく創意工夫が全くできない、プラカード1枚も作れないという自分の欠陥をこの間自覚しています。それを嘆いてばかりでは仕方ないから少しずつ何とかの手習いで進んでいこうとおもっているのですが途は遠い。。
「次の地方選は普通の意味での『民主選挙』としては最後のものになるかもしれない。」という鋭敏な危機感には、目を覚まさせられるような思いがいたしました。
ところでコメント、TB、リンクありがとうございます。
「責任ある態度」の表明-は本当に求められているのでしょうが、「村山談話」も出せない(「村山談話」ですまないのも「日帝」同様ですが)くらいに「日帝」と同様の構造を組織内にビルトインしてしまっていると感じます(草加さんも書いてらっしゃったとおり)。そして矛盾はどんどん内向きに「解決」する方向に向かい、この間の「党の革命」により恐ろしい、というか気味の悪い「労働者」賛美集団になりつつあるようです。七・七とかは完全にどっかにいってしまいました。中に残っている人の中にかつてとても信頼していた人がおられる(とっくにいなくなってると思っていた)のを最近知り、そのことがまた気を重くさせています。元「日帝」兵士としてはやらなければいけないことがあるように思うのですが、申し訳ないという気になるばかりです。
ところで「マル青同」の名前が出ていましたが、80年代後半に一時盛んに言っていた「主流派学生運動」論というのはマル青同の運動論を剽窃したものでした。「すべての課題に対して(少数派であれば少数派なりに)主流派として責任ある方針を持つ」というそれとしては立派な運動論でしたが、いつのまにか「一人でも主流派精神で頑張る」という根性論に変わってしまいました。
昨日は自己紹介もせず、いきなり「宣伝」などとぶしつけなことをやってしまい、大変申し訳けありませんでした。
アッテンボロー氏周辺を出入りしている(コメント欄のみ)「GO」という者です。
詳細な報告と「重い」運動論について、どうもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
先日は、私のような者の自己満足的コメントにまでご丁寧なお返事をいただき、ありがとうございます。恐縮しています。と言いながら、図に乗って(汗)再びコメントさせていただきます。
草加さんがお忙しい中、精力的に活動されているエントリーを読みながら、何もしていない自分を恥じ、遅れ馳せながら「成城トランスカレッジ」さん(ここも子どもに薦められたところです)の「現行教育基本法と教育基本法改正案の比較」というエントリーを読ませていただきました。草加さんがおっしゃる通り、現行教基法を改正する必要はなく、むしろそれがないがしろにされていることが問題であると思います。
最も気になったのは、現行法第6条2にある「教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」というところです。私事ですが、くじ運・じゃんけん共に弱い私は子ども達が高校を卒業するまで、何度も学級委員を務めさせていただきました。そのうちの一度だけ、学級崩壊に直面しました。何度も学校に通い先生と相談し、父母会を開き夜中まで話し合い(先生を糾弾する時間がほとんどでしたが)、校長先生や学年の他の先生方にもご協力いただいて、行きつ戻りつしながらもなんとか良い方向に向かわせる事ができました。
そのときいっしょに委員をしていた相棒とも言うべき方が先生に知り合いが多い人で、いろいろな裏事情も教えていただきました。ご存知だと思いますが、一口に教員といっても、正教員・(非常勤)講師・産休、育休、病休などの穴埋めをする臨時教員など、厳然とした身分格差があり、それが、職員室内でのいじめにつながっているのです。
また、ある先生がおっしゃったのは、「教師は、個人商店。自分のクラスで問題が起こっても決して外に漏らさず、力と恐怖で子ども達を押さえつけるか、子ども達のご機嫌を取って言いなりになるか、なんとか受持ち期間を乗り切ることだけを考えている。そして、問題が表ざたになった先生に対しては、職員会議で鬼の首でも取ったように糾弾する。」近年、教員の質が落ちたという話は事あるごとに耳にしますし、ある意味間違いではないのかもしれません。しかし、それを引き起こしている原因は何処にあるのかをまず考える必要があるのではないでしょうか。
現場を知らないエリート官僚によって行き当たりばったりに改定される教育指導要領と大学入試制度、教員間の身分格差、職員室内のパワハラ、良く分からない教育委員会の存在など、教基法をいじるより先に考えるべきことがあるはずです。
って、いまさらの事を長々と書いてしまいました。申しわけありません。これから年末年始にかけて、ますますお仕事がお忙しくなられることと思います。お体を大切に、ボチボチとがんばってください。
[過去記事ランダム] 教基法改悪阻止!一日共闘集会の報告 http://t.co/7xEU9cQ8q7