福田首相の「成田開港を内政の最重要課題とする」という号令を受け、政府・警察権力は、文字通りの国家権力の総力をあげて反対派つぶしに走った。だが、今までを倍する暴力を前面にたてる以外になすすべがない。
野戦病院で怪我人をかばった医療ボランティアの東山薫さんは機動隊にガス銃で射殺され(享年27歳)、反対運動のシンボルであり精神的な支柱でもあった岩山大鉄塔は、法的な手続きを全く無視して抜き打ち撤去されていった。
だが、福田首相のこのあまりにも強引なやり口のせいで泥沼化する事態は、むしろ日増しに反対派への同情の世論を強めていく。全国からの支援や応援で力を得た農民の激しい抵抗で、開港予定日は「年内」から「年度内」に伸ばさざるをえなくなり、それも翌78年3月30日という年度内ギリギリに開港される綱渡りのようなスケジュールとなった。そしてその78年3月には…