引越に追われてブログの更新が滞ってましたが、今日は派遣法改正の集会に参加してきましたよーという報告と感想であります。行ってきましたとも!みんな他人事じゃありませんものね。
10・29 派遣法改正まったなし!日比谷大集会
■ 日時:2009年10月29日(木)18:30分~
■ 場所:日比谷野外音楽堂(集会後デモ)
■ 内容:現場の仲間から、政党挨拶、労働界、労働弁護団
■ 連絡先:労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動
派遣法をどうするかはいろいろな意見があるようですが、当日の発言の中では、鎌田慧さんと湯浅誠の発言が一番わかりやすかった。このお二人の発言を咀嚼しながらまとめていきます。
この集会は国会議員の先生方が壇上に並ぶような集会でして、そのあたり普段の私なら参加してない類の集会ではあったのですが、「労働者派遣法の抜本改正」という(将来的には廃止しかないわけですが)大切な課題の全国集会であり、関西にいた頃はお世話になった、尊敬すべき連帯労組の皆さんからも呼びかけがなされているということで参加したものです。
参加人数は2500人。これは今の情勢ではかなり微妙な数字だなあと思いました。もちろん「連合」などに所属する、正社員中心で民主党支持の大組合や、主だった大組織がこの大事な闘いからネグレクトする中、それでもこれだけの数が集まったのは客観的には凄いことなんだろうと思います。次々と発言する登壇者からも、労働環境や日本社会を荒廃させた自公政権の退場-政権交代という情勢を受けて、「今こそ、今度こそ」の熱気があふれていましたし、そういう意味では良い集会だったと思います。
ですから「2500の結集で派遣法の抜本改正を力強く訴えた」という報告でも全く間違いではないし、それでもいいと思うのだけれど、何と言うのかな、やっぱり昨年末の派遣切りの嵐が最も強く吹き荒れて、派遣法の非人間性が誰の目にも明らかになった当初の頃のほうが、はるかに熱気と怒りにあふれて、多くの人が陸続と立ち上がっていたように思います。そういう意味では政権交代で少しガス抜き効果になってしまったのかもしれないなと、少し生意気な感想かもしれないけれど感じました。
つまり民衆はなんとなく、自分たち労働者を苦しめた小泉政権以来の新自由主義者たちは政権交代で懲らしめられたし、あらたに登場した民主党政権は「労働者派遣法の改正」をマニフェストで謳っていたから改正されるんだろう、派遣の人も今よりはマシになるだろうからよかったねくらいに思ってるんではないでしょうか。
しかしそんなふうに漠然と「ガス抜き」されていては大間違いです。現状は、改正案を審議している労働政策審議会(労政審)で、経営者側の猛烈な巻き返しにより、「製造業派遣と登録型派遣の原則禁止」という民主党の公約実現はかなり危うくなっているのです。
まず、派遣法は、基本的に企業が労働力をほしいときにほしいだけ、まるで機械の部品よろしく市場から「調達」し、いらなくなったらいつでも「調整」できるようにするための法律であり、その構造や設計思想は原則的に企業の便宜をはかるためのものと言っていいと思います。
つまり「企業が派遣社員を雇うための法律」が派遣法なのです。企業目線に立ってそのルールを定めたものであり、決して自公政権が言っていたような、労働者の「働き方の多様性を保障する」というような、労働者目線の設計思想にはなっていません。
鎌田慧さんと湯浅誠さんの発言をまとめますと、派遣労働がこれだけ広がってしまっている現状もふまえ、即時廃止ではなく、とりあえず派遣切りで明らかになったような、労働者の側から見た一方的な欠陥(資本の側にとっての一方的なメリット)を公平なものに是正し、企業にとっての「労働力調達」のための法である派遣法を、派遣労働者の保護法制にしようという線で、みんなが歩み寄った最低限の妥協が「抜本改正」なのです。鎌田さんはこれを「絶対に譲ることのできない」最低線であるとおっしゃっておられました。
ですからもう本当のところ、これくらいの最低限の是正はさっさと行った上で、将来的にどうしていくかの議論に移っていかないといけないのです。ですが現在の労政審のようなすったもんだを延々と繰り返したあげく、この最低限の妥協さえ骨抜きにされしまっては、いったいいつまでかかるのか、いつまで待たせるのかということです。そのうちこの妥協さえ、「とりあえずの最低限」ではなく、恒久的な「最終地点」にされかねません。
現状はまさしくこんな感じです。つまり文字通りの「天下分け目」の情勢です。全然「ガス抜き」されている暇はないのです。
保守政党である民主党は、国民の怒りや要求がある限りにおいて(とりわけ野党時代に)これを自分たちの政策として掲げているにすぎません。組合など労働者組織の支持を受けていると言っても、それも所詮は「連合」などの保守的な正社員組合にすぎないし、こういった組合は非正規労働者の闘いを支援するどころか、それを無視・黙殺し、あまつさえ会社と一体になってその抑圧を黙認してきた部分です。
正直、民主党も「連合」もまったくあてにはできないし、ましてや与党になった今、私たちが民主党政権を追い詰める声をあげなくなったら、最低限の改正さえ、いつでも骨抜きでお茶を濁されてしまうのです。繰り返しますが民主党は保守政党であって、労働者大衆の利害を代表した政党ではないと徹底的に認識するべきです。
湯浅さんは「私たちが訴えてきた課題は、今までいつも(自己責任の名目で)後回しにされてきた」とした上で、「経営者たちは都合のいい時は『(他にいくらでも選べるのに)派遣は自分たちで選んだんだろう』と言い、都合が悪くなると、『派遣を規制すると(他に選ぶ道がないから)失業してしまいますよ』と平気で矛盾したことを言う」と指摘され、「もし、政権交代に意味があるとすれば、それは今まで後回しにされてきた、人が生きていくための施策が優先されるようになった時だ」と発言されました。
また、鎌田さんは、派遣の規制で経営が圧迫されるというような主張を念頭にだと思いますが、「(そんな主張は)やらずぼったくり、ピンはね、解雇の自由などを勝ち取ってきた彼らの、原始的蓄積を防衛しようとするもの」にすぎないと喝破されました。
こういう話を聞いて思ったのは、本当に資本家の言うことはいつの時代も似たようなものだ、資本主義はいつも資本主義だということです。
たとえば産業革命後の時代に誕生した、当事の左翼が最初に勝ち取ったのは、14時間労働制でした。それまで労働者と資本家の契約というものは個人が自由意思で締結したもの(まさに自己責任論!)であるとされて野放しだったのです。
イギリスでは軍部などが徴兵すべき兵士の弱体化を恐れて規制を後押ししたということもあるようですが、ともかく法律が介入して労働契約を規制するという考えは画期的なものでした。何しろこの頃のイギリス・リバプールの労働者階級の平均寿命はなんと15歳だったというから、その過酷さが想像できるというものです。
やがてそれは12時間労働制になっていくわけですが、資本家たちは今と同じように様々な理屈を編み出しては激しく抵抗した。1日12時間しか働かせることができないなんて、そんなことをしたら儲け(今なら国際競争力という表現をしたでしょうが)がなくなって倒産してしまうと。まさに8時間労働制なんて、夢のまた夢の世界だったわけですね。それでも左翼はあきらめずに資本家(とその政府)と粘り強く闘った。
労働法制とは、突きつめれば、湯浅さんの言う通り、「人が人として生きていくための方策」なのです。だとしたら、組合などの団結権やスト権を含めて、これを白眼視したり、「一定は必要だと思うが…」程度に抑制的にしか考えられないことの気が知れません。これに対する経営団体などの主張は、どんなに美辞麗句を並べてみても、結局は一から百まで、「一度手にした派遣法のうまみを手放したくない」ということ以上でも以下でもありません。
かつて経団連が「移民労働者の大量受け入れ」を提唱して物議をかもしたことがあるようですが、それは、現状でも私たちの常識から見れば奴隷労働と言ってもいいような環境で働かせている外国人労働者の「うまみ」に目をつけたからであり、結局は派遣労働だけではまだ物足りなくて、その下に外国人労働者というさらなる下層階層を作り出そうということにすぎないのです。
つまりそれは派遣問題と全く同じ発想から出てきた「提言」です。当然、現象的には「仕事を奪われる」ことになる日本人労働者との差別分断攻撃も予想されます。こんなものは「受け入れ」の名に値しません。
こういう輩の味方をして派遣法改正にいちゃもんをつけているような自称「愛国者」の方々は、移民と派遣の問題に見られる彼らの人間観をどう思うというのでしょう。
話はそれましたが、かつて12時間や8時間労働制にした時も、そして今、派遣労働を規制しても、喜ぶ人こそあれ誰も困りはしませんし、資本家の言うように国が滅びたり天が落ちてきたりはしません。
だいたいこの国に危機があるとすれば、それを作り出してきたのは彼らとその同伴者たちなのであって、労働者ではありません。彼らの失敗は明らかなのですから、私たちはその失敗を最低限度の範囲で是正しろと言っているだけで、何も特別なことを求めてはいません。
派遣法の「改正」は最大限に譲歩した上でのことなのですから、彼らの恫喝などに屈して、これ以上の譲歩は絶対にできません。ですから民主党には、その公約をちゃんと守るように監視、要求していかなくてはならないのです。
さて、集会後、デモに出発しましたが、いつものことながら、完全に個人での飛び入り参加者は、どこに混ざろうかと悩みます。
なんて言いながら、一応は主催者の方々も「個人参加の方はこちらにどうぞ」という隊列をちゃんと用意してくれているのが普通で、それはだいたい先頭なんですけどね。だから悩むというより、今日はどのあたりに混ぜてもらおうかなと、ちょっと楽しんでいる(笑)ところもあるんですよね。
もちろん冷やかしではないから、一番自分の感性にあった人々のところに、「入れていただいていいですか?」と、ちゃんとことわった上で参加させていただくわけで、担当者の方の指示にもちゃんと従いますよ。当たり前のことですけどね。で、今回は連帯労組の隊列にまぜていただきました。
いつもながら、連帯労組の方々は、生コン業界をはじめとする厳しい建設・運輸の仕事を誇りをもって働いておられる生粋の現場労働者が多く、集団になっても、見るからに「労働者」って感じで、身近に接していても、とても気持ちがいいです。その明るい態度はいつも尊敬していますが、見ようによっては右翼の集団みたいです(笑)。
そう言えば、ちょっと前に「在特会」の人(?)が、大阪の「外国人排斥反対行動」に参加している人に対して、「あの人たちは普段は働いてんのか」みたいな誹謗を書き込んでおられまして、私はてっきり、日雇い労組などの下層労働者への誹謗中傷差別だと思ったのですが、連帯労組の人たちを見た世間知らず君だったのかもしれないなと思いました。
ともかくも、おかげでとても元気に、そして気持ちよくデモをさせていただくことができました。大阪の隊列の方が、東京タワーが見えたとたんに記念写真を撮っておられたのはまあご愛嬌です(笑
これは「請願デモ」ということでしたので、デモが国会に到着しますと、衆院、参院の順に議員会館前で各隊列ごとに請願を行います。
請願場所に近づいたところで、警察から急に「請願すむまで旗や横断幕をしまえ」という指示をされます。別に議員会館や国会の敷地に入るわけでもないデモの途中の路上ですし、以前はそんな規制もなかったということですが、混乱をさけるため、だいたいの隊列がやむなく自主的に指示に従いました。中にはそういう不当・不必要な規制に抗議してそのまま進んだ元気な隊列もありましたが、警察からもそれ以上の警告や規制もありませんでした。
で、請願場所に差し掛かりますと、各政党がでっかい看板を並べておられまして、さっきまで壇上におられた議員さんたち(プラスα)が並んでおれるわけです。全員が紹介されて、各党から「頑張ります!」みたいな決意表明がありました。その後、シュプレヒコールして「頑張ってやあ!」という感じでデモの続きで進んでいきます。これを各隊列ごとにやるんですごい時間がかかる。
こういう請願とか陳情とかは、私は初めてだったけど、自民党を含めてどこでもやっていることなんでしょうし、請願デモなども、今まで何度となく行われてきたと思います。でも、今回なんだか不思議に感じてしまったのは、「ああ、そういえば、ここで請願を受け付けている議員さんは、共産党を除けば『与党』なんだ」ということです。
私たちの請願に対して与党の議員さんや幹部が、「頑張ります」とか言っている。それは非常に慣れない体験でした。しかも衆院に立っていた辻本さんは副大臣、参院に立っていた福島さんにいたっては現職の大臣さんですよ。あと、民主党もテレビで見かけるような面々ばかりです。共産党では京都の穀田さんもおられました。それが口々に「あなた方の言う通りになるよう頑張る」とか言ってるんですから。
もちろん、与党の議員さんが、私たちの主張を実現するべく頑張ると言っていることに関して、何の期待もないと言えば嘘になります。けどね、何と言ったらいいかなあ、たとえば「彼らの側」と「私たちの側」というのがあるとしますよね、この場合、はたして「私たちの側が彼らを引き寄せて獲得した」と言えるのかなあと。ひょっとして、「彼らの側に私たちが巻き取られている」だけではないのかなあと思ったのです。抽象的な表現で申し訳ないですけれど。
たとえば辻元清美さんって、選挙では社民党候補ではなくて「三党共同候補」になり、「比例は民主党へ」とか連呼してたそうですが、政権入りしてからも、外から見る限りでは民主党右派の大臣の下につきながら、政権の中ですごく「うまくやっている」、すっかり上手に溶け込んでいるように見えます。
まだまだ何かの評価を書くには早すぎるだろうけど、これってどうなんだろう。辻本さんには失礼な妄想だけど、そのうち社民党と民主党が決定的に対立して連立を解消するような時、辻本さんが民主党に鞍替えしちまうような気がしないでもない。そうならないことを願いますが。
私がこんなことを言ったら、「えーっ」とかブーイングがきそうですが、本当にそう思う。特に「連合」の言うことは聞かないほうがいい。
労組が自分らの利害を自然発生的に訴えることは、それ自体が全民衆的な視点がないと言うことはできても、大衆組織である労組というものの性格上、責められないところはある。そしてそれを補うのも本来は政党の役割の一つであるわけで、左派政権が票ほしさに労組の主張に引きづられて窮地に陥る例というのは、世界的にもまま見られるところです。
問題は上で書いたような、「自分の足場」というか、目指すべき方向というものをはっきりさせるということでしょう。そうでないと、賛成も反対もしようがない。ふと、右翼の三浦さんが、蓮池さんの著作をひきながら指摘しておられた文章を思い出したました(→「蓮池透『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』を読んで」)。
自公政権は「北朝鮮の拉致問題に取り組みます」と被害者の家族会に言いながら、その姿勢は家族会の言うことには何でも賛意をしめてして、「頑張ります」と肯定することで、批判されることを避けてきたにすぎなかったと蓮池さんは指摘されます。政権として(場合によっては家族会の主張に反する覚悟をしてでも)北朝鮮に対して一貫した行動をとることも、またそのための方針もなかった。単に何でも肯定して「頑張る」と言って批判されないようにしていただけだったと。
家に帰ってから気がついたのですが、野党の共産党はともかくとして、与党の皆さんに私が感じていた違和感は、この、蓮池さんが自公政権に感じていたものと同じだったんではないかと思うのです。
確かに、言うことを言った上で、しかもそれに対して「わかりました頑張ります」と言われてしまっては、それ以上は何も言いようがありませんよね。とにかく、あとは本当に「頑張って」くれるのかどうか、ごく普通の「国民の責務」として見届けて監視していかねばと思う。何よりも、自分の足元、よって立つもんが何であるかをしっかりと見定めていかないと、引きづられてしまうだろうと感じました。
◇10.29 日比谷野音に全国から2500名以上が結集!(派遣法の抜本改正をめざす共同行動)
◇写真報告:派遣法改正へまったなし!日比谷野音に2500人(レイバーネット)
◇[動画]やらずぶったくり法を抜本改正させよう!~10・29日比谷集会(UnionTube)
◇派遣法改正めざし2500人・・・日比谷野音に(連帯で行こう!)
◇29日は日比谷野外音楽堂へ!(連帯で行こう!)
◇天下分け目のたたかいだ(連帯ユニオン)
◇派遣法改正まったなし!10.29日比谷大集会(ムキンポの忍者ブログ)
◇人をモノ扱いするな!(アフガン・イラク・北朝鮮と日本)
◇労働者派遣法:抜本改正求め集会 東京・日比谷(毎日新聞)
◇「派遣切りを許すな!」法改正もとめ2000人が集結(インターネット新聞JANJAN)
◇派遣法改正待ったなし、29日に集会(しんぶん赤旗)
◇若者から夢と希望を奪う労働者派遣法 – 抜本改正まったなし(すくらむ)
◇派遣法改正 まったなし! 10.29日比谷大集会アピール(すくらむ)
◇「派遣法改正まったなし!」日比谷集会に2500人、HTS支部がアピール(労働相談センター・スタッフ日記)
◇労働者派遣法抜本改正まったなし!10.29日比谷大集会(労働相談・労働組合日記)
◇「派遣法改正 まったなし」 10.29日比谷大集会アピール(派遣ユニオンブログ)
◇「派遣法改正まったなし 日比谷大集会」ブログ(ガテン系連帯)
◇派遣法改正まったなし 10・29日比谷集会(労働組合ってなにするところ?)
◇派遣法改正で雇用を守ろう(全国一般労働組合東京南部 )
◇「派遣法改正まったなし!」日比谷集会に2500人(奈労連・一般労組支援)
◇派遣法改正まったなし!日比谷集会(反貧困でつながろう)
◇派遣法改正 まったなし 10.29日比谷大集会(喜八ログ)
◇派遣法改正まったなし!日比谷大集会(七詩さんのHP )
◇派遣法改正、待ったなし集会など(My Last Fight)
◇10.29日比谷大集会(労働法と社会保険の部屋)
◇ 「製造業派遣禁止は職業選択の自由を奪う」だって?ふざけるな! (かけはし)
コメントを見る
地方にいるとこういう報告は、とても嬉しいです。11月8日もよろしく。
連合は右派が勢力を増し、パナソニック労組が委員長を出していますね。
当然ながら、パナソニック-PHP-松下政経塾と、親和性が高くなります。
このパナソニック労組などの旧同盟系右派ブロックは、完全に正社員労組です。ゼンセン同盟だったかはわかりませんが、いわゆる名ばかり管理職問題で、コナカ労組が結成された直後に、連合系労組が経営と「ユニオンショップ協定」を結び(コナカにそれまで傘下労組を持たなかったにもかかわらず!)、「ユニオンショップ」を盾にコナカ労組を潰したそうです。
組織できるときに組織する、拡大こそ命という路線らしいですが。
こういう「二組」癖とでもいう体質は治らないんですかね?
労使協調路線っていいますが、強調と取引とかは違うと思うんですけどね。
派遣法改正は、こんなこと言うと怒られそうですが、難しいと思います。
パナソニック労組は「派遣なくしたら、俺たちの仕事ができなくなる」って言い放って反対し、仙石はその労組の挨拶にいくような関係です。
ようは、戦うことが多い官公労あたりを、右派再編して、首切りかますのが行政刷新の本質だと思います。
左派労働組合や左派運動にとっては、しばらくは力を溜める時期なのでしょう。早晩、そういう右派組合+民主への失望が語られる。その時に、
「労組はもうごめんだ!」となってファシズムへの道を走るのか、「やっぱり左翼組合こそ組合だ!」となるのか。その戦いへのモラトリアム期間が今、なのでしょう。