田舎の特定郵便局に勤めていた母は、いつも家にいない。
日曜日もいない。
呑んだくれの父に代わって一家を支えていたので、みんなが嫌がって避ける「休日出勤」を、お金が少しでも多くいただけるのならと進んで引き受けるのでした。
しかし、私にとってはこの「休日出勤」の日だけが、母と一緒にいられる楽しい時間。その他の日は、生まれて三週間目から預けられた他人様の家での、奉公に出されたような厳しい日々が待っているのでした。(注・おしんではありません。時代も違いますし)
休日の郵便局は誰もこないので、母がいろんな作業をしているそばで、汚しては大変な葉書やきれいな記念切手の入ってる引き出しをそっと開けてみたり、ピンセットを使って電報用の活字を組むまねをしたり、当時は人の手で一枚ずつ押していた日付けスタンプを、いらない紙にポンポンとやってみたりした。
お昼になると、「なにが食べたい?」と母が聞く。
私は決まって「玉子とじ」と言うのだった。
母は「たまには違うのでもいいんだよ?」と言うけど、やっぱり「玉子とじ」になるのだ。私にとっては一番おいしかったから。
「玉子とじ」とは「親子丼」ではない。玉子でとじた日本そばである。近所に郵便局御用達の「砂場(すなば)」というお蕎麦屋さんがあった。「砂場(すなば)」は全国にあるらしいですね、「更科(さらしな)」みたいな感じですか?
「砂場」の「玉子とじ」は絶品であった。もう長いこと食べてないなあ。
「砂場」は蕎麦つゆもメチャクチャうまいのであった。
さて、タイトルの話。
母の同僚に石田さんという名前の、サングラスをかけた男性がいた。
郵便局員がサングラス?
サングラスを片時も外さない石田さんは、なんとなく恐ろしい雰囲気だった。
石田さんはきっと、目が不自由なのかもしれないと思った。
そんな石田さんは、なるべく目を合わさないようにする私に無理やりに目を合わせて、必ずこう言うのだった。
「ゆっこ~、こないだまで赤ちゃんだったのにこんなに大きくなったかー。
赤い塩をつけて、ペロッと食べちゃうぞ~」
(´Д`ノ)ノヒイィィィ!!
こえ~~!マジ、こえ~!!
お正月の獅子舞とおんなじくらい、こえ~!勘弁してください。
あまりの恐怖に、毎回、大泣きすること間違いなしの私なのだった。
毎度毎度そうやって脅かされていたもんで、すっかりトラウマになってしまい、しまいには郵便局に行くのが恐ろしくて恐ろしくて。
さて、はたち過ぎてから、「石田さんは恐ろしかった」という記憶のほかに、疑問が湧いてきた。
「赤い塩」ってなんだ?
確かにヤツは「赤い塩をつけてペロッと食べちゃうぞ」と言っていた。
「赤穂の塩(あこうのしお)」とかのことか?ハワイみやげの塩?
いくら考えてもわからん。
赤い塩。それは子供に真っ赤な「血」を連想させるのだった。
サングラスを決して外さない石田さんの、なにか深い事情に関わっているに違いない。
石田さんにはきっと秘密があるのだ。誰も触れてはいけない秘密が。
私は誰にも聞けずににいたこのことを、はたち過ぎからの疑問を、
三年前、思いきって電話で母に訊ねてみた。
「朱肉のことじゃない?」
「へ?印鑑の?」
「そう。局には朱肉がいっぱいあったからねえ」
「赤い塩をつけて食べるっていうのは、朱肉をつけてってこと?じゃあさ、サングラスは?」
「ああ、外回りのときにまぶしいからって言ってたねえ」
「へ?目が不自由だったんじゃないの?」
「ぜんぜん。よく見えたはずだよ。昔は郵便局もそんなに厳しくなかったからねえ」
ポッ(゚ д ゚)カ~ン
ただの不良かよ!
「赤い塩」も、特にまったくぜんぜん深い事情もなく、ただ近くにあった「朱肉」のことだったというわけで。
もうだいぶ前に死んでしまった石田さんだが、天国に向かって言いたい。
もうちょっとひねれよ!
ひねりなさい、ひねりなさい!
何年考えていたと思ってるんだ、ったく。
知らない間に30,000アクセス超えていました。
皆さん、いつもありがとうございます。