by 中野由紀子
100本目の日記で、このご案内ができてうれしいです。
私が子供の頃、いつも酔いつぶれた父の顔をグリグリと踏みつけていたクズ右翼は、どこまでも卑怯者です。
悔しくて、子供ごころに「ぶっ殺す!」と思ったものです。
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映画『山谷 やられたらやりかえせ』上映会
■2011年1月22日(土)19:00(開場18:30)
Plan-B定期上映『山谷 やられたらやりかえせ』
◆ミニトーク「流動する集団身体」東琢磨(音楽批評)21:00頃
◆場所:Plan-B
東京都中野区弥生町4-26-20-B1
(丸ノ内線中野富士見町駅から徒歩5分)
◆予約1000円、当日1200円
◆主催:「山谷」制作上映委員会
電話:090-1836-3430(池内)
http://homepage3.nifty.com/joeii/
=== 以下、上映会ビラより転載 ===
25年の時が経ち、映されている世界はやや古くもありますが、現在に通じるもの、あるいは現在もほとんど変わらないものもあります。
この映画には監督が2人います。そして2人の監督は、いずれも殺されました。
佐藤満夫さんは、映画やテレビドラマの助監督を経て、労働者を食い物にして山谷を支配しようと目論む暴力団と闘いが炸裂し警察の弾圧で逮捕者が続出していた山谷に、一人の支援者として飛び込み、疾風のように映画を撮り始めるのです。
「映画で腹は膨れないが、敵への憎悪をかきたてることはできる」なんて、その眼差しとスタンスは、労働者の側にありました。1984 年12月22日早朝、映画と闘いと労働者の結合を恐れた「敵」は、刺客(ヒットマン)を放ち、佐藤さんを虐殺したのです(映画の冒頭シーン、指されて横たわる佐藤さんの姿)。
この佐藤さんの遺志を受け継ぎ、監督を引き継いで完成させたのが山岡強一さんでした。山岡さん、通称ヤマさんは、山谷のみならず日雇労働者運動全体のリーダー的存在でした。しかし「敵」は、映画の完成直後にまたも刺客を放ち、1986年1月13日、山岡さんが自宅を出た近くの路上で射殺したのです。
映画は、ただ単に山谷労働者の生活や闘いをクロニクル風に記録したものではありません。実に様々な要素・テーマが詰め込まれています。
路上手配に象徴される仕事、働き方のあり様と飯場での労働争議、山谷での青空団交、被差別部落の歴史と山谷、戦後の在日と山谷、野宿者への排除・排斥と少年たちの襲撃・虐殺、監獄と虐待、精神医療、路上での野垂れ死に、中曽根首相の靖国参拝と天皇の戦争責任、植民地支配と強制連行、労務者支配と動員、筑豊と棄民化、生活保護、越年越冬闘争、夏祭り、人民パトロール、右翼暴力団との闘い。
挙げていくと盛りだくさんで、字面だけ見ると消化不良になりそうだと思われるかもしれません。
しかし、佐藤さんの未完の構想を引き受けた山岡さんは、とりわけ日雇労働者の闘いにとって、あるいは、山谷の現実を訴えていく上で、決して欠かしてはならない問題意識を映像に込めました。
映画は後半になって唐突に筑豊に飛びますが、なぜ筑豊がこの映画に不可欠であったのか。最後に、また山谷の青空団交シーンにつないだのはどういう意味があるのか。映画は、歳月を経ても、観る者の想像力をかき立てます。それは、二人の監督のなかに、時代の予感をはらむ想像力が満ちていたからだと思います。
映画は、過去を学ぶ、歴史的事実・断面を知るという側面もありますが、大切なことは、2011年の山谷という現場から次なる時代の予感を感じ取るための、つまりこの閉塞した「冬の時代」、いびつな社会・政治を根底から批判し、自分たちの生きる「現場」から変革の糸口、ヒントをつかむための想像力が喚起されれば、と考えています。多くの参加を。