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議会・選挙・民主主義

全国の左派市民は浅野史郎氏に勝手に連帯せよ!(2)

(1)からの続きです

分裂なら敗北、統一なら勝利

 さて、今回の知事選の争点はと言えば、「石原3選阻止!」であります。石原支持の方も含めたところで言うならば「石原都政2期8年の評価」という表現で納得していただけましょうか。とりわけ我々のような道府県民にして左派市民にとってはそうであります。

今回、石原さんの得票は、どう考えても過半数を圧するような大勝とはならないでしょう。それだけ石原氏に対する批判は高まっています。では、誰が比較多数で当選するか?冷徹に考えて、もし明日投票が行われれば、愛知県知事選挙とほぼ同じ結果になるだろうというのが常識的な見方ではないでしょうか。

●愛知県知事選挙結果
神田真秋 1,424,761  自民、公明推薦=現職
石田芳弘 1,355,713  民主、社民、国民新党推薦=前犬山市長
阿部精六   160,827  共産推薦=元愛労連議長

 共産党はここで供託金没収という惨敗を喫していますが、それでも石田さんと阿部さんの票をあわせれば楽勝だったわけです。なお、愛知の場合は東京と逆で、共産は最後まで石田さんとの共闘=候補一本化を模索しています。石田さんを支持した民主が東京と同じく議会ではずっと事実上の知事与党だったにもかかわらずです。石田さんも一度は協議に応じる方向だったそうですが、これを潰して門前払いにさせたのが、民主の横槍だったそうです。(ブログ「にしんを食べると怒らない」さんに詳しい)

 これに対して東京では浅野さんは政党からの推薦は受けないということと同時に、応援してくれる人は誰でも歓迎という、完全な勝手連スタイルを貫いておられます。「どんな選挙をやるかでどんな知事になるか決まってしまう」からだそうです。浅野さんとなら、愛知でのような横槍を民主がいれることもできません。何しろ民主といえども勝手連の一つにすぎないのが浅野陣営です。共産が政策協定などの協議を自由に行える条件は整っていますし、反石原の市民はそれを切望しています。つまり共産党は市民から求められ、熱烈なラブコールを受けていると言っていい。ところが今度は愛知とは逆に、共産党のほうが頑なな姿勢を貫き、候補一本化は困難な情勢です。愛知と東京の共産が逆だったらよかったのにと思うのは私だけでしょうか。

 ともあれ、浅野さん陣営は今昇り調子ですから、石原さんとの逆転の可能性は充分なわけで、反石原市民としては、そこにかけて最後の壁を突破していく以外にないし、またそれは可能であると思います。同時に、浅野さん立候補表明直後の情勢分析を前提にするならば、私たち反石原陣営は「分裂なら敗北、統一なら勝利」であることもまた事実なのです。この首都決戦で勝利すれば、安倍内閣に対する打撃ははかりしれません。まさに山が動くことになります。

浅野支持派と吉田支持派の叩きあいは絶対に避けたい

 都知事選は浅野さんが出馬表明するまで、共産党の方は気を悪くするかもしれませんが、事実をありていに言ってしまいますと、「現職石原VS急ごしらえの民主党候補VS共産党単独候補」で、石原さんが圧勝した前回の選挙と同じような結果になることが予想されていました。反石原の無党派市民は、これを何としてもさけたかったわけです。そこでようよう浅野さんをかきくどいて出馬にまでいたります。それも「民主党候補」ではなくて無党派市民候補として。

 これに対して、現場の共産党員の中にも、このさい候補の統一によって石原さんを終わりにしたいという意識も確かにあったそうです。みんなを驚かせた志位さんの激烈な浅野さん批判は、都民むけというよりは、むしろ組織内部のこういった雰囲気を吹き飛ばして引き締める狙いのほうが強かった。これによって各地の幹部はいっせいにこの方向で意思統一されました。比較的若い党員の人もその傾向が強いように思えます。ですが、現場一筋でずっと平和運動をしてきたような古参党員の中には、昔と比較しての時代の危機というものを敏感に感じ取っている人もおられます。

 共産党が「自分以外は全部同じ」で「共産党が伸びるしかない」という「唯一党路線」ではなく、反改憲・反ファシズムの勢力全体を育てていかなくては大変なことになる、その中で汗をかき、泥をかぶって信頼を勝ち得ていくべきだという、「統一戦線」的な考えの人は意外と多いという感触を最近得ています。だから闇雲な共産党攻撃は逆効果になります。共産党も時代の急激な変化の中で、いつまでも昔のままではいられません。「現実路線への転換」とは違う「変化」を求めつつ、粘り強く民衆の立場から反安倍・反石原の仲間として働きかけていくべきです。

 実際は志位さんたちが浅野さん批判のために作ったデーターは誤っていましたし、浅野さん陣営の無党派市民は全面反論の用意はしつつも、吉田さん陣営との間で攻撃の応酬になることを避けるという、非常に賢明な態度をとっておられます。しかし志位さんの発表以来、右派系ブログを中心とした浅野叩きが活発化しましたし、吉田さん陣営のブログも、今は石原さんより浅野さん(陣営)叩きに走る傾向が生まれています。私はまだ左翼出身ですので「こんなもんか」と我慢もできるところがあります。しかし左翼でも共産主義者でもない、「党派の論理」に慣れていないごく普通の反石原ブロガーの中には、これにすっかり頭にきてしまい、それだけならまだしも、さらには共産党よりも数倍えげつない感情的な表現で共産党を批判するブロガーなども現れてきました。

 私はこれは非常によくない悪循環だと思います。共産の浅野叩きは、党内を引き締めて浅野さんに流れる票を食い止めるという主観があるのかもしれませんが、結局は浅野陣営を切り崩して浅野の票を奪うという「石原一人勝ち」の道を掃き清める最悪の戦略になっています。また、こういう共産党の動きに対する一部の非左翼無党派の人々による、感情的な攻撃もよくありません。気持ちはわかるし、以前には私も同じようなことを書いたこともあります。しかし今では考えが変わってきました。これではまさに悪循環そのものだからです。

 もうどうしても候補統一がならず、分裂したまま選挙に突入してしまうのであれば、吉田さん支持のブロガーである「そいつは帽子だ!」さんが提唱し、各地のブロガーによってその中身が引き継がれて豊富化されている「夢の保革一騎打ち」路線でいくしかないでしょう。すなわちお互いに対する叩き合い=ネガティブキャンペーンをやめ、同じ反石原陣営として、「石原なんて辞めさせる」などということは当然の前提、その上で石原をスルーして、その後の東京をどうしていくか、互いに夢を語り合ってお祭り騒ぎでドンチャンと論争するというものです。その上で両陣営の意見が一致すれば、そこではじめて候補を統一すればいいと。有権者には「石原かどうか」ではなく、「どのような『石原後』を作るか」で選んでもらう。浅野と吉田だけの公開討論(座談?)会も開いてしまう。テーマは反石原。だから石原なんてまともな候補者としては扱わないでスルー。最初から論外の泡沫扱いにしてやれというものです。

 浅野さん陣営と吉田さん陣営の論争は、この「夢を語り合う」路線しかないだろうと思うし、両陣営のブロガーの皆さんには、相手の陣営に多少挑発されても、感情的にならないよう呼びかけます。相手陣営のそういう動きをことさらにとりあげるのもやめましょう。相手に「そういうことをやめろ!」と要求(応酬)するのは、経験的に言ってもだいたい良い結果をもたらしません。簡単なことです。自分がしなければそれで良いのです。見る人はちゃんと見ています。結局は自陣営にとっても、それが最良の結果をもたらします。

左派市民のとるべき道は何か

 もちろん「反石原」といえども、石原さんでなければ誰でもいいとはなりません。いくらなんでも黒川さんではダメでしょう。吉田さんなら反石原陣営としては「勝利」でもいいかなと思いますが、それだけに両者の統一を求めているわけです。

 つまりファシストと民主主義者が争っている時に、どちらを応援するかという問題です。「民主主義者と左翼と市民無党派」が連合すればファシストに勝てる。だが分裂すればファシストが一人勝ちする。こういう場合に左派市民としてはどういう態度をとるべきかという問題です。「旗旗」では、「左翼は独自候補をたててファシストを利するくらいなら、ここは民主主義者を応援してファシズムを打倒すべし」と主張しているのです。

 浅野さんは日の丸や君が代が「嫌いではない」そうですから保守です。ですが「自分の良心に従ってそうしたくない」という人に、日の丸への敬礼や君が代の斉唱を、権力や暴力を使って無理やりに強要したり、自己の主義主張を押し付け、従わない者の職を奪い、生活をめちゃくちゃに破壊する、そういう恐怖政治はやめてくれると思います。とにかく今は、ファシズムの被害者を現実に救ってあげることが大切だと思うのです。

「STOP THE 石原!」は待ったなしの課題である

 先日、君が代のピアノ伴奏を強要された女性が処分されてその違法性を争った事件で、原告の敗訴が確定しました。そうしたら、すぐにまたこの女性に君が代伴奏が命令されたそうです。なんて酷いことをするのかと思います。この女性は自分の良心に従い、そのことが苦痛だからこそ、職と生活をかけて自分の良心を貫いたのです。自分以外の人が君が代を歌うことを妨害したわけでもありません。

 百歩譲ってこの人が「卒業式に乱入して壇上を占拠し、式を中止に追い込んだ」とかなら、処分ということもあるでしょう。ですが彼女がピアノを弾かなかったら、君が代を歌いたい人が歌えなくなるとでも言うのでしょうか?学校にピアノがないとか故障しているとかいう理由で、君が代斉唱をとりやめる石原さんではありますまい。

 自分が弾かなくてもなんの支障もなく、誰にも迷惑をかけないこの状況で、もし権力に負けたというだけの理由でピアノを弾いてしまったら、この人は人間として一生うつむいて、自分の良心に反して行動したという負い目を背負っていきていくことになります。しかし上の命令に逆らえば処分が待っています。こういう無力な人に権力を使って、その必要もないのに無理やりピアノを弾かせようとすることに、どういう意味があるのか。その意味を石原さんもこの校長も十分に知り尽くした上で屈服を強要しているのです。

 さらに石原都政下では、卒業式に音量計を持ち込んで、一人一人が本当に君が代を歌っているかどうか、口を動かしているだけではないか、口元に音量計をあてて調べるということまで行われています。起立して口を動かして、小さい声で歌っているだけではまだ足りないというのです。ここまできたら右とか左とかの主義主張の問題以前に人間の尊厳の問題だと思います。ヒトラーが占領国の人々に、ナチの旗に「ハイルヒトラー」と敬礼することを強要したのと全く同じです。思想弾圧以外の何者でもありません。思想の自由には、特定の思想を信じる自由以外に、それを信じない自由や、無関心や中立でいる自由もあるのです。それを当然のこととして当たり前に、かつお互いに認め合えない人が権力の座にいるとき、その人が右翼であれ左翼であれ、その社会を恐怖政治というのです。この知事選は、この恐怖政治を終わらせる闘いです。

 石原さんは在日市民をことごとく敵視してその活動を可能な限り制限する政策をとっていることでも有名です。明らかに侮蔑した態度をとり続けています。しかしちょっと考えてみれば、私たちが北朝鮮を非難できるのは、私たちが人権や自由を尊重しているからこそです。付け加えるならば、私たちが北挑戦の核廃棄を要求できるのは、日本が核をもたないし、侵略も戦争もしないという前提があってこそできることです。

 韓国・朝鮮だけでなく、数が少ないので目立ちませんが、石原さんはフランス人に対しても侮辱発言を繰り返しています。フランスの芸術展に来賓として発言させてもらったおりにも、来賓を前にしてフランスを侮辱するスピーチを延々と繰り広げて「知事は酔っ払っているのか?」と言われたくらいです。障害者に人格なんてあるのかと平然と言い放ち、子供を産めなくなった女性は生きていても害悪なだけだと言う。まったくごく一時期だけで消えたとはいえ、こういう人を総理にしようなどという運動があったことが驚きです。そういう政治を終わらせるのが、今回の知事選のテーマなのです。

理念や理想ではなく、現実の民を救うことを優先せよ

 都民じゃないから関係ないなんて大間違いです。石原さんのしていることは、小泉-安倍さんら、保守の中でもファシズム色の強い人々がしようとしてることの先鞭であり、そのものです。教育現場でも、日の丸や君が代を生徒に強要する手段は、今まで事実上の影響力や内申書などでも充分でしたが、小学生の児童にまで、「愛国心」が評価(成績)の対象になろうとしています。そしてそれは今後「地域社会」にも求められ、強要されていくのです。教育現場だけの問題だと思っていたら大間違いです。石原さんがどんどん先にレールを敷いて雰囲気と先例を作ることで、閉塞した息のできない状況が日本中に広がっているのです。ことは都民だけの問題ではありません。

 日の丸や君が代が「嫌い」でなければ認めないとか、そういう人が当選できるようになるまで待つとか、今の左翼側の力量はここまでなんだから、その中でベストをつくせばいいとか、そんな「理想主義」的なことを言っている人は、全然危機感が足りないと思います。現実の被害者は、そんなこと待っていられません。「左翼が選挙で勝てばすべてが良くなる。それまで待て、その日が早くるように、さあ、我々を応援しなさい」では無責任だと思います。被害者は「今」、この4月になんとかしてほしいのです。

 それに、「革新陣営」は今まで、単純に弱者に予算を配分して福祉を拡大するという主張をしてきました。それはそれで成果の一つだとは思います。そしてそれは景気がよくて経済が拡大しているうちはうまく回っていました。しかし資本主義そのものが危機に瀕すると逆に支持を集められなくなり、石原さんのようなファシズムが台頭しています。そんな中で保守の立場から「弱者が住みよい社会は実は普通の人にとっても住み良い社会」という目線の浅野さん主張には、発想として左翼側も学ぶべき点があるのではと思います。まずはお手並みを拝見したいと思うのです。

資料1)出馬声明より(抜粋)

『今回の都知事選挙に立候補することを決意した最も大きな要因は、東京だけでなく、全国各地の人たちから寄せられた「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声です。社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場など、石原都政がもたらした数々の問題点を指摘しながら、その変革を必死になって願うメールや意見に接するうちに、誰かがこういった都政を変革するために立ち上がらなければならないと思うようになりました』 出馬声明全文へ(PDF)

資料2)3・9集会ルポ 菊地原博さん

自らの主張をけれんみなく率直に話す浅野史郎氏に共感

 3・9集会に参加した。浅野史郎氏の発言を中心に、集会の様子を報告したい。浅野史郎氏の発言はすでにWebサイトに公表されている「出馬表明にあたって」をベースにしていたが、その人となりが大変よく分かるものだった。以下、浅野氏の発言をまとめる。

「あなたと共に作り直す東京」

 今まではずっとうつむいている感じがしていましたが、きょうは晴れがましくやってきた。コップの水が段々溢れていって、ハートに火が付いた。テレビや週刊誌は、出馬するために策を弄していたのだろうというが、そんな策士ではない。行きつ戻りつ、戻ることはなかったが、整理するまで時間が掛かった。皆さんをやきもきさせたことはお詫びしたい。
 こうなったら、もうマイペース。過去は振り返りません。「石原都政、もう4年間は勘弁」は確かにきっかけだったが、「石原を辞めさせるなら、誰でも良い」は本意ではない。だから今日以降は、石原の悪口はあまりいわない。

 「あなたと共に作り直す東京」。これには情報公開しかない。形式的な情報公開ではなく、隠し事をしないことが大前提だが、本質的には「問題意識の共有」だ。例えば、東京には間違いなく、大震災がやってくる。建物の4割が倒壊する可能性がある。どうするのか。こういうことが次々に出てくる。それが情報公開。少子高齢化--東京は無縁のように思われているが、10年後には超高齢化都市になる。どうするのか。オリンピック--面白そうだから、いいじゃないと思うかもしれない。しかし、2008年が北京で、12年がロンドン。その後、すぐにアジアになる可能性があるのか。情報公開があれば、こうしたことを1つひとつ考えられる。だから、すべての問題を考える起点に情報公開がある。

 また、「宮城の人が何で、東京都知事に出るの。東京っ子らしくない」ともいわれた。私が立候補するのは日本人だからなんです(宮城弁の口調を交えて、しゃべる)。ハートに火を付けられた要因に、東京以外の人からの声があった。それは東京に対する期待なのです。日本のための東京。地方分権の闘いで、東京が先頭に立っていく。福祉施策でも財政に余裕があるのだから、やればできるはず。世界の東京だから、考えることがある。品格のある東京を作れるはずなのです。

 マニフェストはこれから出すが、声明(「出馬表明にあたって」)にも色々書いた。マニフェストは異なる視点や切り口で、表現も変える。今頭をひねっているところで、たくさんメールが来ているが、何千ものメールをもらえば、英語で言いますが、インスパイアされる(勇気づけられる)。
 声明で「これがない、あれがない」といわれた。しかし、無視しているわけではない。何が入っていないから支持しないというのはどうか。「政策を20項目上げろ」と言われれば簡単だが、3項目に絞るのはとても難しい。そこは分かって欲しい。無視しているわけではない。

 次に公職選挙法の話。声明にも書いているが公選法は絶対に守る。常識では判断せず、分からないことがあったら、選管に聞く。宮城県知事選では差し入れのドリンク剤ももらわなかった。もらうのはいいが、帳簿に現金に換算して付けなければいけない。それは大変に面倒、だからもらわなかった。

「共感して、選ぶことで、世の中が変わる」

 きょうは20分時間をもらって話している。いつもは時間が足りなくなるくらいだが、きょうはまだある。それで、もう少ししゃべる。宮城県知事3期12年やって「卒業した」と考えていた。卒業は次の人生の門出なので、大学教授をやり、ささやかな家族の幸せ、妻と慈しみ合って、小さな幸せを築こうと考えていた。そこに、突然、「東京都知事に出ませんか」といわれた。「何で??」--エープリルフールかと思った。そこで石原都政への悲鳴が聞こえた。その声に義憤も感じたし、本当に共感した。もういわないといいながら、石原都政への批判になってしまったが、東京だけの問題ではない。これをはっきりさせる必要がある。

 政治をあきらめないということが何よりも大切だ。今、無関心以上に、政治に対する嫌悪感が広がっている。「また、このまま続くんだな」という空気が蔓延している。そうすると皆が吸ってしまい、本当にあきらめてしまう。このままでは、多くの人が政治をあきらめる。これは日本にとって、本当に大きな危機だ。
 選挙のありようが次の首長のありようも決める。候補者も選ぶ側も変わる。有権者が「共感する。選ぶ」。これを1人ひとりが実感できれば、皆が変わる。選挙結果がどうあれ、皆が変わる。そこから、新しい政治が始まる。悲痛な顔をせずに、楽しくやっていけば政治が変わる。そこから発信していく。宮城県から発信して、ぐるっと回って、宮崎県まで行った。宮城県の話はあっという間に忘れ去られたかもしれないが、東京から発信すれば、全国が変わる。日本を変えられる。世の中を変えられる。そう考えると、わくわくする。
 計算高い浅野さんといわれるが、応援する人であれば、誰でもいい。テレビで「北朝鮮の拉致はない」といっている学者が応援しているといわれたが、誰でもいい。応援してくれるのであれば。別に、私が応援者のいうことで考えを変えるわけではないのだから。

印象深かった安積遊歩さんの発言

 長々と書いたが、できるだけ本人の語り口調を再現したつもりだ。浅野氏の話は初めて聞いたが、党派・無党派を問わず、候補者にありがちな、支援者や有権者におもねるような感じがなく、自分の考えていることを率直に語る「けれんみ」のないものだった。
 その後、集会では「私のマニフェスト」と題して、(1)都市政策(2)街作り(3)下北沢再開発(4)築地市場移転(5)ジェンダー(6)障害者(7)地方自治--の7つについて会場から発言があった。そして、選挙活動についてのチェックポイントの説明があり、集会に参加している勝手連が紹介された。

 集会の中では、骨形成不全症という障害を持つ安積遊歩さんの発言が最も印象深かった。以前講演を聞いたことがあるが、彼女の日本社会の差別に対する批判は大変厳しいものがある。その彼女が「官僚と政治に期待していいということを感じさせてくれたのが浅野氏だ」といい、20年以上の付き合いのある浅野氏を応援して、「障害を持つ人が希望と夢を持てるように、東京から発信したい」といったのには非常な感銘を受けた。
 国会議員であれ、自治体の首長であれ、私が投票する際の基準は、(1)民が国を作っているという考え(天賦人権、人賦国権)に近い人(2)考えが違っても、他人の意見に率直に耳を傾ける人--の2つだ。
 1つ目の人はそれなりにいるが、2つ目になるとなかなか難しい。今回浅野氏の話を聞いて、「この人なら、いけるかもしれない」という感じがした。自分なりの支援の仕方を考え、実行していきたいと考えている。

資料3)「海江田氏立候補?の顛末と共産党」 柘植洋三さん

 今朝(3月2日)の毎日新聞で、「海江田氏が民主党の候補として立候補の意向、浅野氏は立候補しないことになる模様」との記事が掲載されそれを契機に、各テレビ局が取材合戦をはじめ、昼のテレビ、午後にラジオで同趣旨のニュースが流されました。職場で、仲間と色々話して、仕事をしながら考え、これはどう見てもおかしい、民主党に抗議の電話が殺到しているに違いないと電話しました。

 呼び出し音が鳴っているのにでない。5分ほど粘ってやっとでました。民主党東京都連の阿部氏は、完全に腰が引けており、
「28日の民主党パーティーで『出る』といったのならともかく、浅野さんを応援するといっておきながら、いまさら候補を立てるなどは完全な背信だ。今まで民主党に入れていた人たちもけっして投票しなくなりますよ」
「おっしゃるとおりで、幹事長は否定しております。朝から同様の電話も沢山頂いております」とのこと。

 石原都政はもう勘弁して欲しいと願う都民は、今や浅野さんで熱く燃え、走り始めています。

 今日、共産党の志井委員長が赤旗に声明を出しました。「宮城県の実績は、自民政治そのもの」なる声明は、石原三選阻止を願う都民向けのものではなく、党内の引き締めのためのものです。海江田立候補?なるニュースが流れたとたん、民主党がねを上げるほどの抗議電話が鳴る、同じ圧力に共産党はさらされています。

 社民党や、民主党と違って、共産党はやはりそれなりの中央統制が利く党ですから、委員長の声明は、相当の縛りにはなりましょう。しかし、この声明を根拠に、吉田万三で走れば、共産党の支持層の相当の部分が浅野さんに流れます。そのことは、共産党にとって重大な打撃となります。そう感じる党員と支持者は沢山います。

 つまり、民主党の一部も、共産党中央も、都民の中で、石原にこれ以上都政をさせてはならないという声がいかに強いか受け止めえていない、悲鳴にも似た声が聞こえていないのです。民主党の混乱も、共産党の志井声明もそのことを示しています。

 昨日、「緑三多摩の会」が開かれ、三多摩の23人の無所属市議会議員が連名で、浅野さんに立候補を訴える手紙を送りました。その中には、「ポスター張りでもなんでお手伝いします。一緒に東京を変えてください」とあります。

昨日50数通来たメールの中のひとつを紹介します。

いまどき、しかも東京で、こんな選挙ができるなんて、夢のようです。 東プロの皆さまの、根気強く賢明なお働きのおかげと、感謝します。 3.9集会の00さんご提案の企画に大賛成です。 市民の感覚を目いっぱい生かして、楽しく有意義な会にしたいですね。 呼びかけ人候補の顔ぶれ、すごいですね。 ぎりぎりまで印刷を待って、できるだけ沢山入れたいと楽しみにしています。 交渉に当たってくださる皆さま、がんばって! 先ほど紙を注文し、明日午前中に届く予定。 印刷・運搬・発送承りました。 体調を整えて、これからに備えましょうね。

これらを読んで、管制塔基金の時のようなさわやかな熱意が伝わってきます。

今日の午後、職場にFMラジオが流れていました。都知事に石原か浅野かどちらに何を期待するのかというファックス紹介番組が15分くらいありました。石原5件浅野10件でした。

石原を倒すために自分達は何ができるか。
はっきり見定め、
機敏な行動が求められています。

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  • 「夢の保革一騎打ち」のページ、私はよくないと思います。
    意識の高い人たちならともかく、一般無党派のの人たちから見ると、
    やはり浅野さん応援側と吉田さん応援側が批判しあっているように見えます。
    一般無党派の多くの人がどう読むかについて、考えた事はありますか?

  • nhkプログと言うホームページを紹介されていますよね。
    そこからCNNのページに行って 「No」を押せ、と書いてますよね。

    私が頭悪いのかもしれませんが、それって、
    「もう慰安婦に謝る必要がない、ってボタンを押せ」
    ということじゃないんですか?

    おもいっきり ハメられてませんか?

    草加さん、南城さん、頭の悪い私のため教えてください。
    nhkブログ部というページから行けるCNNの慰安婦アンケートのページで、
    Should Japan apologize again for its World War II military brothels?
    と言う問いに、どう答えるのがまともなんでしょうか?

    Yesと答える私は、文意のわかっていないイタいバカでしょうか。

  • バルキリーさん>
    >おもいっきり ハメられてませんか?
    nhkさんは、こちらの「反石原」のエントリーにリンクはっていただいてますし、こちらのトラックバックなども受け入れてくれていますから、nhkさんが消さない限りこちらから一方的に消すのもどうかなと思います。ここは右派系の人からでも(コメントはケースバイケースですが)トラックバックは可能な限り(質と量の面で限界はあります)寛容に受け入れる方針ですのでご理解お願いします。

    ですから、nhkさんに要望することがあるとすれば、ちゃんと設問の日本語訳もつけた上で、どちらに投票することがどういう意味があるのか、ボタンを押す人にわかるようにしてほしいということになるだろうかと思います。
    ちなみに設問の日本語訳は「日本は、第二次世界大戦時に日本軍が運営した売春宿の件で、再び被害者たちに謝罪するべきだと思いますか?」になると思います。
    http://edition.cnn.com/2007/WORLD/asiapcf/03/04/japan.sexslaves.ap/index.html

    >Yesと答える私は、文意のわかっていないイタいバカでしょうか。
    わたしはYesに投票しましたが、こういうアンケートに対して、他の方に「○○に投票しよう!」などと組織投票を呼びかける活動はしません。組織投票した人はそれで溜飲を下げるのかもしれませんが、アンケートを設置した人にとっては迷惑なスパム行為以外の何者でもありませんしね。

    自分の意見を表明するのは自由です。また、その意見を表明した同じサイトのどこかに、同種のアンケートへのリンクをはるのも別にいいと思います。ただし前述のような説明を(外国語のアンケートの場合)ちゃんとするべきです。さらに、どちらに投票せよみたいなことは書くべきでないというのが個人的な意見であり、どちらに投票したことが「正しい」とか、反対側に投票した人が「馬鹿」だという呼びかけもいかがななものかと思います。選挙じゃないんだし、選挙でもどうかと思う。

    見る人はちゃんと見ていますから、こういう組織投票をした側のほうが、かえって評判を落とすものです。問題の投票でも、Noが圧倒的になってしまいましたが、これを「国際世論」とみなすのは難しいのではないでしょうか。「Noが圧倒的だった」こと自体がニュースになりかねず、そうなると「組織投票した日本人」に対する評判が逆に地に堕ちる結果となることを危惧します。

    (追記)どうも韓国では「ニュース」になっちゃったみたいですね。韓国人と日本人は非常に国民性がよく似ている、似ているのに「ちょっと違う」から、かえって違うところがお互いに許せないような関係になりやすいと思っているのですが、この報道に対しても「組織投票しかえしてやろう」みたいな声があがっているそうで、頭の痛いことだと思います。

  • 先日は弊ブログにコメントをありがとうございました。
    安積遊歩さんのこと、わたしもあるきっかけでかつてより彼女の差別に対してのきびしさや率直な姿勢に注目していたので、今回の発言を動画で拝見し、深く感銘を受けたひとりです。