本日は各地で様々なドラマが展開されることでしょう。都知事選もそうですが、大阪釜ヶ崎における、住民票と選挙権を取り戻すための闘いにも注目をお願いしたいと思います。
もともと選挙などには関心のない左翼(?)の私ですが、今回だけはちょっとばかり都知事選に関して熱くなってしまいました。それもこれも、石原都知事があまりにも人の心を土足で踏みにじるようなことばかりして苦しめていたからです。これは左翼としての怒りではありません。そういうものを超越した人間としての憤りでした。
とにかく、主義の左右を問わず、人間の尊厳を守るために、今回だけは大同団結して石原を落選させることが、左翼から無党派、保守派までを含めた最優先の課題でした。残念ながら反石原陣営は強大な右翼ポピュリズムを前にして、みすみす勝てる状況がそろっているにもかかわらずに分裂選挙となってしまいました。とりわけ左派はまたしてもセクト主義を乗り越えることができず真っ二つの状況です。
反石原派はある程度がまとまれば絶対に勝利できます。石原都知事に対する嫌悪感はそこまで高まっています。ですが綺麗に割れれば、みすみす石原に勝利を許すでしょう。統一なら勝利、分裂なら敗北です。
ここまで来たらもう何も申し上げることはありません。そのことをふまえて結果に責任を持てるような最良の選択をしてください。その責任は必ず後世に問われることとなるでしょう。戦前のドイツにおいて体制に対する不満が高まっていたにもかかわらず、セクト主義のために左派が分裂し、かわって体制を右から「批判」するヒトラーとナチスが、100%合法的に民意によってファシズムを完成させていったことを忘れてはなりません。
以下、選挙にあたって私が共感した訴えをいくつか転載させていただき、私も投票に行くことにします。
(選挙直前に住民票を奪われた、大阪釜ヶ崎地区の住民にまかれたビラ)
3月29日、大阪市は、2080人の労働者の住民票を力づくで奪った。理由は、このままだと選挙無効になるから。
大阪市は3月1日、釜の労働者に裁判で負けるまで、「解放会館に住んでないのに住民登録するのは違法状態、見逃せない」といっていた。しかし裁判に負けて別の理由をひねり出した。それが選挙無効。
要するに解放会館に住民登録しながら、大阪以外の土地にもう長年住んでいるような人が、西成区で投票したら、公職選挙法違反にひっかかる。そんなことは選挙違反だからという理屈だ。それは正しい。
しかし今回住民票を奪われた人たちのうちで、西成区に生活の本拠がある(西成区で生活している)人から選挙権を奪ってはいけない。選挙させないといけない。と裁判所は言っている。選挙させるべき人から選挙権を取り上げたら選挙無効とも言っている。
困った大阪市、選挙当日に住民票を回復させ、選挙権を復活させ、選挙させる方策をいろいろ考えたようです。
今回住民票を奪われた人でも、投票場の相談窓口へ行けば、住民登録を復活して、選挙することができるかもしれません。特に3月29日以前にドヤにとまったことある人は、有力です。
大阪市がそういっているのだから、住民票を復活させましょう!選挙しましょう!一人で行けば、また口のうまいやつにだまされ、住民票を復活できず、選挙できないかもしれない。だからみんなで一緒に行きましょう!
明日午後7時三角公園に集まってください!!みんなで選挙に行きましょう。行動隊が付き添います。選挙権も住民票もあきらめてたまるか!一緒に投票場へ行きましょう!!
(今回の都知事選に関して、一番共感した黒目さんのブログ)
「人間、誇りを傷つけられた時はケンカをしなきゃいけない。私は今、怒っている。だから戦うんです」
浅野史郎の挨拶である。
左様、石原慎太郎が傷つけてきたのは人間の誇りである。
下北沢では「石原帰れ」コールが渦巻いたようだ。
浅野史郎は、「すべてを話し合いで決める」としている。
これを、「なにも決まっていない、これから考える候補」だとして非難する勢力もいる。
しかし、問われているのはまさにその、知事が勝手に考えたことを強行してしまうようなあり方の是非ではないのか。
知事が勝手に考えたことを強行することが「リーダーシップ」だというような奇怪な考え方がなされ、「強力なリーダーシップ」を求める人々が石原慎太郎を望んでいる。
その結果生まれた、赤字を垂れ流すためだけに作られた銀行だの、石原のお友達を就職させるために作られた大学だのの始末は誰がするのか。
また石原は、築地の移転だのオリンピックの誘致だの、自分の頭の中だけで考えたことを強行し、人々を苦しめるためだけに再選しようとしている。
東京全土を下北沢に!(後略)
(同じく黒目さんのブログ「ですぺら」より)
(前略)左様、選挙ほどばかばかしいものはない。
俺の見解を「代議」する「代議士」が議会に議席を持っていたことなど、過去に一度も無い。民主主義など機能していないし、政治家は日々、ますます民主主義から遠ざかる努力をしているかのようだ。奴らは「民主主義」というものが自らの特権を無効化しようとするものである事を知っているのであり、だからこそ社会党のアホな議員どもが小選挙区制に賛成したり、共産党がすべての選挙区に必ず落選する候補者を立てたりするのである。
これはくだらない多数派形成のゲームである。
そんなことは知っているのだ。
で、なぜあえて、俺が石原を刺す位置にいる候補者、「無色透明だ」などと批判される候補者への支持を表明したりしてんのか?
それは、今、都知事をやっている奴が、外山恒一よりもはるかに無茶苦茶な奴だからである。こういう無茶苦茶な奴が本気で当選してしまうぐらいに、この国は最悪なのである。
この最悪のおっさんを、「無色透明」に差し替えることは、少数派の生き延びる余地を作ることである。
選挙なんかくだらない。
俺の住んでいるところでは、選挙啓発ポスターを蛭子能収が描いている。(マジ)
そう、こういう「本当のこと」が政見放送で語られたのは、間違いなく画期的である。
しかし、このまま、多数派の暴虐を続けさせるわけにもいかんのだ。
テレビで「もう政府転覆しかない!」といってみても、多分、当分は政府は転覆されそうにもない以上、当面の手当てとしての、「よりまし候補への投票」はやっとかなあかんのんとちゃうん?と思うわけだ。
あの最悪な都知事に3期目をやらせることは、我々人民の恥である。
記事投稿:草加耕助(旗旗サイト主宰)
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