鳥居正宏さんのコメント「タイトル:「転び公妨」の一種ですね」への返信です
最初に「転び公妨」と言われてもピンとこない方のために。上の映像はオウム真理教の信者が「転び公妨」で逮捕される瞬間です。少なくとも、公安刑事があとから説明する「逮捕理由」を聞いたら、その10分の1くらいに割り引いて考えないといけないということがよくわかる映像です。
まずはコメントありがとうございます。ブログも拝見しましたが、正統派の堂々としたブログですね。よろしければリンクさせていただきたいと思います。
また、親身にご心配や、アドバイスいただき、本当にありがとうございます。私も大昔のことにすぎませんが、一時期左翼運動に身を投じていたこともあり、公安刑事さんのやり方も一般の方より少しは知っていると思います。おっしゃる通り、左派的な思想を持っている人間を、その「思想のゆえに取り締まる」という治安維持法まがいの原理で動いているのが残念ながら日本の公安の実態のように思えてなりません。
もはやかつてのような革命運動は衰退し、現在では言葉本来の意味での「公安警察」の存在意義はなくなってしまいました。皮肉なことに、それがかえって彼らの思想警察化を促進してしまい、自分たちの組織と縄張りを維持するため、何も無いところに無理から事件を「作り出す」ようになっています。以前からそうだと言われればその通りですが、今やその対象はオウムなどではなく、いわゆる旧「過激派」でさえもない。一般の市民運動や住民運動がその被害者となっているところが、かつてとは全く違うと思います。
普通に生きていれば、仏様でもない限り、一年の間に「人から注意されるようなこと」の一つや二つは誰でもあるもんです。それが注意ではなく、いきなり逮捕されてしまう。しかもその差別的な取り扱いの理由が「思想」にあるとしたら、日本は法治国家ではありません。そんな世の中ですから、充分な警戒心を持つのは必要なことかもしれませんね。ただ、政府とは違う考えを持っているというただそれだけの理由で、そんなにビクビクして生活しなくてはならないという時点で、もはや民主国家としては失格だと思います。まあ、「パトカーが見ている前で信号無視をしない」のは誰でもそうだと思いますが(笑
あと、鳥居様の「戦略」として、「警察に敵対心をあらわにすると、ますます目をつけられ、Nさんのように、どんどん逮捕されて潰されてしま」うから、「警察を自分たちの味方に取り入れる、警察官に好意を持ってもらう、もしくは『しょうがないなぁ』と見逃してもらえるような、そういう『自衛戦略』をと」るとのことですが、鳥居様がそういう戦略をとられることに関しては何の文句もないし、鳥居様にも頑張っていただきたいと思います(皮肉にとらないでくださいね。本心です)。
ただ、私(たち)は、別に生まれた時から「警察に敵対心」を持っているわけでもないし、「今さら反警察でもないだろう」くらいに思っています。生身の経験、実体験から植えつけられているのは、敵対心ではなくて、鳥居様と同じ警戒心だけです。そういうことではなくして、ただ、目の前で弱いものイジメが行われていたら、誰だって純粋素朴に義憤を感じるものではないでしょうか?しかもそれが権力をカサにきた「虎の威を借る狐」だったりしたら特にです。そんなイジメの犯人が、今回たまたま公安警察だったというだけのことです。それ以上でも以下でもないのです。世の中には、「イジメられる方にも問題がある」などという暴言を吐いて、問題を曖昧化したがる人も存在するようですが、私はそんな鬼のような心を持ちたくない。それだけです。
つまり良い意味でも悪い意味でも、警察だからといって特別扱いする気はないということです。たとえ職業が何であろうと、良いことは良いし、悪いことをしたら悪いのです。私は以前に「『馬鹿左翼』万歳!」というエントリーを書きましたが、そういう愚直さこそが、保守派とは一線を画する左派本来の持ち味ではないでしょうか?もちろん「筋を通して潰された」では意味がないとも思うので、鳥居様のような「大人の論理」と、私のような「少年の論理」との止揚が必要なのだと思います。ただしベースはあくまでも「馬鹿左翼」です。それを放棄したら左派でいることの意味がありません。
あと、「刑事警察と仲良くしておくことの必要性」ですが、すでに書きましたように、相手が警官だからと言って、特に仲良くする気も喧嘩する気もありません。普通です。私の回りの運動で知り合った方でも、仕事の関係で警察とのつきあいがあったり、そこで顔見知りになって親しく会話をしたりということもあります。実は私も以前の仕事では警察署によく出入りしていたこともありますし、その頃には休憩時間に警察官と喫茶店で普通に雑談したりもしました。しかしそれはそれだけのことだし、要するにごく普通のことだと思います。同級生に警官もいますが、何かしら下心を持って仲良くしようとするのも変でしょう。私は普通の人間なので、変なことはしたくありません。
今のところ私たちのほうが普通で、変なのは公安警察だと思います。以前に一般の刑事事件で、我が家に刑事さんが聞き込みにこられたことがあります。その時にはちゃんと(アメリカ映画みたいに)警察手帳を広げて中の写真つき身分証明書を見せてから話をはじめられました。しかも「ちらっ」とではなく、ちゃんと読めるように丁寧に提示しておられました。私は何かしらVIP気取りで身分証明証明の提示はおろか名前さえ名乗らない「スパイごっこ」の公安刑事しか見たことがありませんでしたので、普通の刑事とはこういうものだったのかと目からウロコで驚きました。お帰りになる時には、おもわず「どうもごくろうさまです」と自然に頭をさげていました。そういうもんでしょ?公安刑事だって、こういう普通の対応をしていれば、こちら側も誰だって普通に対応すると思うのです。くり返しますが、普通でないのは公安刑事のほうです。
最後に、「運動を守るために警察とパイプを持つ」とか「敵を『手玉』にとるくらいの」という考えには賛成できません。鳥居さんのおっしゃるように、向こうは情報収集が目的なのですから、そこに刑事警察と公安警察の明確な境目はありません。派出所勤務の警察官にしたところで、そのあたりは日常の勤務においても「勘をはたらかせるように」と言われています。お読みになったかと思いますが、元警官の暴露本でも、新人時代にいきなり先輩の警官から「君の親戚の○○さんは共産党員だ」と本人さえ知らなかった事実を告げられ、「気がついたことがあったら報告するように」と求められています。このことからも、何かしら運動がらみの「下心」をもって警察に近づくのは危険だし、手玉にとるつもりが取られていたということになりかねないと思います。もし本当に親しい人が警察にいるのだというなら、むしろよけいにそうです。お互いのためにも絶対によくありません。そういう関係は心を腐らせます。
「手玉にとるつもりが取られていた」といえば、宮崎学氏の問題を思い出しますね。彼の場合は警察ではなく、公安調査庁ですけれども。彼は自分が運動で得た情報まで、自分の判断で「もらしても何の問題もない」と勝手に判断したものは、取り引きや駆け引きの材料として使っていました。しかし自分の知らない所でそういう「材料」にされた人はたまったもんではありません。本人の主観はどうあれ、それはスパイ以外の何者でもなかったのです。宮崎さんがどれほど「偉い反体制作家」か知りませんが、どちらにせよ、自分の全権を委ねた憶えは誰にもありませんでした。私たちはこの事件から充分な教訓を得るべきだと思います。少なくとも、「運動がらみの駆け引き」を目的に警察とパイプを作ろうとする人に、自分の知っている情報を万分の一でも伝えることはできません。
ついでに言えば、スパイの心理というのは(命までとられることはほぼないであろう状況においては)だいたい会社の金を業務上横領している人とほぼ同じ心理でしょう。最初は軽い出来心で少額をちょいとつまんだものが、そのうちに抜き差しならなくなってきて、がんじがらめに縛られていきます。いつかは必ずばれて運動から追放を宣告されたりするのですが、もともとは理想を抱いて参加した運動です。本人にとっては一生残る心のシミとなって、それを背負って生きなくてはなりません。公安刑事などは、相手のちょっとした弱みにつけこんで、脅しやゆすりのような手口と甘言でスパイを作ろうとするのですが、本当に酷いことをするものだと思います。この平和な世の中で、緊急性もないのに平気で人の心を踏みにじることを「公務」として行っている。この一点だけでも、私は彼らを人間的に信用することができないのです。
コメントを見る
あと、書き忘れたけど、私はパトカーが見てなくたって、信号無視なんてしませんよ(笑
私の見た範囲内では、活動家とか元活動家というのは、そういうところ律儀で公共心の強い人が多いです(もちろん例外はいる)。
たとえば、人が道で困っていたら自分がどんなに急いでいても素通りすることができない人種が多い。と、いうか、そういう人が活動家になってしまいやすいんだと思います。それが左翼だけなのか、他の思想潮流の活動家もそうなのかはわかりません。