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三里塚闘争

1968~73 小川プロ『三里塚』シリーズDVD 予告編

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ドキュメンタリー映画の大宇宙「小川プロダクション」。その小川プロの名を不動のものとした「三里塚シリーズ」 奇跡のDVD化プロジェクト。

闘争から農村へ- 1966年7月、政府は地元住民の合意を得ずに、新国際空港を千葉県成田市三里塚・芝山地区へ建設することを閣議決定した
―――― ◎解説文:上野昂志(映画評論家)

小川プロが日本に存在したのはひとつの時代の奇跡である
 (映画監督・大島渚)
小川プロを越えることは、私にとって大きな、終生の課題である
 (映画監督・原一男)
思いだせ、闘争こそがエンターテインメントなのだと!
 (映画評論家・柳下毅一郎) 

○2016年7月2日発売・8枚組・806分・¥23,000+税
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 映画「三里塚」シリーズでは、撮影対象と共に生活し深い関係を築いて撮影する“小川プロ”スタイルがより本格化し、7作品が連作された。この映画群では建設反対運動を起こす地元民・全学連の学生たちと空港公団・機動隊との激しい闘争、そして人間の姿が克明に記録されている。
 このDVDでは三里塚での闘争の変遷を続けて見ることができる。そしてそこには闘いぬく三里塚の農民、老人、若者、学生・・・・あらゆる人間たちの姿が描かれている。「三里塚」シリーズは単なる闘争映画ではなく、熱い人間の熱い高揚感、エネルギーが充満した映画である。

DIG LABEL サイトより

 小川紳介監督(1935年~1992年)率いる小川プロダクション製作のドキュメンタリー映画は、世界的に高い評価を受けている。映画が製作、上映されていた60年代から~80年代半は日本は高度経済成長期にあった。それから30年近く経た21世紀の今では、闘争と題された作品の本質が、人権や環境であり、人々が地域や環境と共生して暮らす本質を問いかけていると発見する。地球や世界の未来を考えるためのセミナーや学習会に最適のテーマを提示している作品群である。

岩波映像サイト解説より

【収録内容】

①1968年 – 『日本解放戦線 三里塚の夏』(105分)
 「三里塚」シリーズ第1作。1968年4月から7月にかけ、空港予定地に立ち入り調査を行う空港公団、それを護衛する機動隊、阻止しようとする農民・全学連の学生たちの闘争を「映画班」として農民側についた小川プロが記録。農婦の言葉「闘いが人間の価値を変えていくんだよ!」(冒頭の農民の怒号は、農民視点で本闘争の本質をとらえようとする小川プロの姿勢を明らかにしている。)

②1970年 – 『日本解放戦線 三里塚』(144分)-カラー
 空港建設反対運動4年目、空港公団は農民たちに近づき、様々な懐柔手段で農民間の絆、結束に揺さぶりをかける。反対派農民、賛成派農民にとどまらず、三里塚の虫の世界まで撮影。「人と風土」に迫る小川プロの映像世界に圧倒される。日本映画監督協会新人賞受賞。

③1970年 – 『三里塚 第三次強制測量阻止斗争』(48分)
 公団・機動隊と農民との3日間の闘争(三日戦争)の記録。農民は自身の糞尿をかぶり、さらには袋に入った糞尿弾を相手にぶつけていく。黒煙の中で農民は創意的な測量阻止活動を展開する。

④1971年 – 『三里塚 第二砦の人々』 (141分)
 空港公団は機動隊を引き連れ反対同盟用地6カ所に対し強制代執行を行う。農民は穴を掘り砦を築き、鎖で自らの体を木にくくり付け徹底抗戦する。マンハイム国際映画祭ジョセフ・フォン・スタンバーグ賞受賞。

⑤1972年 – 『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(86分)
 1972年2月、公団による空からの審査を阻むために鉄塔建設が開始される。全国から集まった鳶職、学生、言質の農民が遂に60.5メートルもの鉄塔を完成させる。

⑥1973年 – 『三里塚 辺田部落』(147分)
 第二次代執行拒否の闘いの後、多くの逮捕者を出した。さらには辺田(へた)部落では青年が自殺した。そしてその青年の遺体が眠るという共同墓地が公団に売却されたという・・・村の時間と添い寝するような徹底した長回し映像が国際的にも高い評価を得る。

⑦1977年 – 『三里塚 五月の空 里のかよい路』(82分) -カラー
 4年ぶりに小川プロが山形から三里塚へ戻り撮影した作品。鉄塔が公団に破壊された。空には権力が飛ばしたヘリコプターが飛ぶ。カメラは反対闘争と共に農地を荒らす自然現象も追いかける。

⑧1973年 – 『映画作りとむらへの道』(53分)
  当時、小川紳介の助監督を務めた福田克彦による幻の監督デビュー作品。『三里塚 辺田部落』のメイキングフィルム。※DVDBOXのみ収録。

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