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法律・裁判

京都府警の「トラメガ弾圧条例案」批判~情宣一回で懲役6ヶ月

 先日のエントリーの関連ですが、洞爺湖での首脳会談と並んで外相会談が開催される京都でも「トラメガ弾圧条例」の制定の動きが進んでおり、全国的にも注目されています。

 この条例は形式的には従来から他の自治体でも制定されている暴騒音規制条例(以下、騒音防止条例という)の「改正案」を京都府警が独自に作成したものですが、内容的にはそれまでの生活に密着した一般的な騒音防止条例を一変させ、全く異質な治安条例に変えてしまおうというものです。警察の言いなりに2月の府議会で可決成立が目論まれています。

騒音防止条例と京都府警「改正」案の内容

 騒音の規制そのものは不当とは言えません。そして通常の騒音防止条例は行政が騒音発生の停止などを求めるさいの根拠となるものです。警察官にも現場で「勧告」する権限を認めたりしていますが、この条例で逮捕するといった刑事的な性質のものではありません。つまり行政規定としての色彩が強いものだと思います。

 確かに私たちの日常感覚でも、「隣の部屋のステレオの音がうるさい」といった場合、それは迷惑行為であって即時にやめてほしいとは思いますが、泥棒や強盗と同レベルの犯罪行為とまでは思いません。あるいは夜中に洗濯したという理由で刑務所に叩きこまれたのではたまりません。

 確かにまれには嫌がらせなど確信犯的に他人の心身を害するため、あるいは害してもかまわないと思って騒音を出す人もいるでしょうが、そういう「もはやこれは犯罪だ!」というレアケースには、騒音防止条例ではなく傷害罪などの刑事法で対応することになります。つまりそういう極端な事例は騒音防止条例とは全く別次元の問題ですし、それが常識感覚にもマッチしていると思います。

 これに対して京都府警の案では「迷惑行為」の段階でいきなり自分たちに逮捕する権限を与えろと求めているのが特徴です。しかも最高で懲役6ヶ月という重刑です。そして何より一番の問題点は、改正の目的が6月のサミット外相会談への反対や対抗などの運動を取り締まるために必要だから(京都府警自身がそう説明している!)とされていることです。つまりこの条例でトラメガ(肩掛け式の簡易スピーカー)を使って行う市民団体などの活動を規制しようということです。

 くりかえしますが、騒音の規制そのものは不当とは言えません。そもそも特に条例などがなくても、住宅密集地で「10メートルの地点で85デシベル以上」の騒音は国の基準でも規制されており、騒音防止条例でもこの基準を踏襲しています。ですがこの「10メートルの地点で85デシベル」というのは、市販の拡声器をごく常識的な範囲で使用しても容易に達する非常に厳しいレベルであり、実は商業施設を含む街中の拡声器は、多くがこのレベルを上回っているということに注意が必要です。

 そのため騒音防止条例には、「この条例を国民の権利を侵害するために使ってはいけない」など、濫用を禁止する付帯条項がついているのが普通で、今までは警察も比較的穏健な運用をしてきたと思います。そういう柔軟な運用とミックスすることによって、この規制の厳しさも生きてくるのです。

 まあ、穏健と言うより、この条例だけでは逮捕することができないので、警察にとってはあんまり「美味しい」条例ではなかったのですね。本来ならこういう強権的でない条例を主要に使って、市民生活を守る立場からその利害の調整をはかり、穏健・妥当なスタンスで汗をかく活動をしてほしいものだと思いますが、警察(特に公安)はこの条例には今まであんまり興味がなかった。私もこの条例を口実に弾圧された経験はありません。

 つーか、デモの時に出てくる警察の宣伝カーが、デモ隊のトラメガの声が聞こえないくらい街宣右翼も顔負けの大音響でデモの妨害をしまくっていますから、警察は今まで自分たち自身があきらかにこの条例を「無いもの」のように扱ってきたわけですしね。

 さらに今回の京都府警の案では、別の団体が近くで拡声器を使用した場合には、音量が規制レベルに達していなくても取り締まれるという条項を新設したほか、音量の計測方法を簡易にして「10メートルの地点で85デシベル」あるかどうかを実際に計測しなくても取り締まれるようにしました。

「サミット対抗運動を取り締まるため」と制定理由を説明

 しかも京都府警は05年のブッシュ大統領来訪時における抗議行動を例に挙げて改正の必要を強調しており、さらにマスコミなどには明白に「主要国首脳会議(サミット)の外相会談が開かれるため、(この条例を使って)府警は規制を強化する(毎日新聞)」などとリークしています。

 先に述べたようにこの規制が、常識的な拡声器の使用でも容易に達してしまう極めて厳しいレベルのものであることをあわせて考えますと、この説明ではまるで「京都府警はあらゆる抗議行動を許さないぞ!左派の運動を弾圧しまくるぞ!」と宣言しているようなものであり、地元団体から抗議や懸念の声が高まりました。府警はさすがにこれでは露骨過ぎてまずいと気がついたか、「温家宝・中国首相の上洛時における街宣右翼の抗議行動」などを付け足して表現の「バランス」をとるようになりました。

 ですが何を付け足しても同じです。右翼の街宣車にしたって国道などを一台か二台で通常のスピードで走っていくくらいなら、個人的には「取り締まれ」とは思いません。ましてや住宅密集地でもない駅前などで、市民団体が肩掛け式のトラメガを通常の範囲で使用していること『だけ』をもって逮捕するなどということが、いったいどこの民主国家で許されるというのでしょう。

 だいたいが100万円以上する右翼の街宣車のスピーカーシステムより先に、数千円から高くても数万円までの市民団体のトラメガのほうが「改正の必要性」の真っ先にあげられること自体が、この「改正案」のお里が知れたというものです。

京都府警の「回答」を検討してみよう

「表現の自由の規制立法」としての合理性の説明がされていない

 京都府警のWebサイトでは、これらの批判に対する弁明書が掲載されています。その内容は「規制は言論の内容ではなく形態に対するものであるから問題はない」というのがその主張のすべてです。この主張について検討します。

 まず 「表現の自由の規制立法」の問題 において、「内容に対して中立な規制」で国家が国民の表現の自由を規制することについては法学者の間でも非常に古くからの論点としてあるくらい、大変に難しい問題であり、検討すべき課題は多岐にわたります。

 一応の結論は、他者の人権との調整のために利益衡量の上で必要最低限の規制は許される。そして実際の規制立法が憲法上許されたものかどうかは、「より制限的でない他の選びうる手段」があるかどうかを検討し、あるなら違憲で無効。逆にこれ以外にはないというくらい、本当の本当に最低限の規制である場合のみ、言論・表現・出版の自由を規制することが許されるというものです。

 一方、これに対して精神的自由にかかわらない経済的な自由の規制に関しては、一応の合理性があれば許されることになります(ダブルスタンダードの原則)。これは各種の食品や住宅などに関する安全基準、あるいは弁護士など特定の職業が許可制になっていることなどを思い浮かべればいいでしょう。これらが全部「自己責任と自由競争」にまかされていては危なくて生活できません。

 さて、翻って京都府警の弁明を読みますと、この非常に難しい「表現の自由の規制立法」の問題について、まかり間違っても市民の自由を規制するようなことがないという視点から、よくよく悩みぬいて検討したあとが全く見られません。「立法目的に一応の合理性がある→内容的に中立である→だから何の問題もない」という、つまりは精神的な自由を規制するに、まるで経済的な規制と同じような軽い判断しか示されていないのです。

 その立法目的にしたところが「公共の福祉」の一言ですまされており、内容の検討が全くされていません。実はこれはだいたい30年以上前の政府や裁判所の水準なのです。こんな理屈は今では通用しません。なぜなら全体の利害と個人の利害を対置して「公共の福祉」の一言で片付けてしまえば、どんな人権規制立法でも無条件に許されてしまいかねないからです。

 ですからもっと細かい基準で詳細に検討するべきだというのが現在の常識です。いまどき府警の弁明のような適当な理由付けでは、法学部の学生にさえ鼻で笑われてしまう程度の「中学生の感想文」にすぎません。ゼミのレポートなら採点すらされずに返されるでしょう。

 別の言い方をするならば、この府警サイトの文章は、寄せられた市民の意見や批判に口をつぐんで全く何も中身のある回答をしていないということです。そこらの酒場のオヤジトークならこれでもいいでしょうが、仮にも市民の自由を束縛する重大な権限を与えられた警察が、思想・信条・表現の自由に対してこの程度の認識しか持ち合わせていないというのは全く愕然とする事実です。

 この程度の認識で人を逮捕してその一生を滅茶苦茶にされてはたまったもんではありません。京都府警の上層部はこのサイトの文章を書いた人間を呼び出し、法令の教育をやり直してもらわないと危なくて困るというものです。それともこれが「京都府警全体の見解」ということで本当によろしいのですか?

逮捕権限の白紙委任は不必要な上に危険

 さて、次に立法目的に合理性があり、それを達成するために条文も必要な範囲であると仮定しましょう。それでも現場警察官に逮捕権限を与えることには反対です。それは立川や葛飾のビラ巻き弾圧を見れば一目瞭然です。

 アパートでビラをまくという、わざわざ「非暴力」というのもアホらしいくらいの穏健な表現活動に対し、警察は宅配ピザのビラやピンクチラシなどの商業活動は容認しつつ、政府の政策に反対するビラ入れ「だけ」を選択的に逮捕して思想弾圧の口実としたではありませんか!

 つまり、条文自体が内容的に中立であるとしても、その運用を白紙委任された警察が、数ある事例の中から「政府と違う意見を表明する者」だけを選抜して逮捕するという運用がなされるならば、それは戦前の治安維持法となんらかわらない思想弾圧立法であるということです。

 これを本条例について見るに「サミットの外相会談にむけて規制を強化する」ために、他ならぬ警察自身が案文を練り上げて提出してきたという時点で、先のビラ巻き弾圧とあわせてみれば、これが市民を騒音から「守る」ための生活立法ではなく、全く正反対に市民の自由を「攻撃する」ことを目的とした治安立法であると判断せざるを得ません。そこでの立法目的は「公共の福祉」などではなく「時の政権の防衛(=思想弾圧)」に過ぎなくなります

 付け加えるならば、通常の警官や刑事警察において比較的妥当な運用が想定されている騒音規制ですが、公安警察においては、右翼・機動隊などがデモへの妨害を働いた際、それにマイクを持ったデモ指揮者が抗議した場合などに、なんの警告もなしに「騒音防止条例」ではなく「傷害罪」でデモ指揮者を逮捕したり、恫喝を加えるなどの不適切な運用を過去に繰り返しています(参照)。

 デモの自由を妨害する右翼や機動隊指揮車がその何十倍もの大音量でデモ隊を罵倒しているにもかかわらず、それに抗議する市民のささいなトラメガ「だけ」を狙い撃ち的に規制するのですから、それは「騒音規制」ではなく「思想弾圧」なのです。取り締まっているのは騒音ではなく思想です。かかる現状でさらにこのトラメガ弾圧条例などの「公安のおもちゃ」を与えてしまえば、無辜の市民への被害は目をおおうものが出るでしょう。

京都府警に反対の声を!

 結論的に、拡声器を使った「表現の自由」と「騒音防止」の中立的な立場からの調整としては、すでに現行の騒音防止条例が存在しており、よしんばその規制が極めて厳しすぎるとしても、現場警察官に逮捕権限までは与えないことで全体的には妥当な運用がされています。これが「より制限的でない他の選びうる手段」としてすでに存在していると考えます。どうしても逮捕する以外にないような事例についてはすでに傷害罪などが適用されており、全体として見れば刑事警察によって適正な運用がされています。

 ゆえに京都府警の「改正」案は、かかる適正な運用をしてきた刑事警察以外に、穏健な市民運動を微罪逮捕することを生業としている現在の公安警察に、新たにこの条例をも逮捕理由に使用する切符を渡す以外になんらの効果ももたらさず、そしてそれは市民生活の向上や防衛に害を与えるとしても寄与することは一つもありません。よって私はこの条例改悪案に断固反対します。

参考URL

反対!京都府トラメガ弾圧条例(反戦と生活のための表現解放行動)
拡声機による暴騒音の規制に関する条例改正(日本マスコミ報道テレビは腐ってる,著作権非親告罪化反対)
京都府拡声器条例改悪に対して…(Kyoto Action)
京都府の拡声機禁止条例制定に反対します(稲荷屋)
街に出よう(壊れる前に…)
拡声機規制条例改正案に対する意見書(自由法曹団京都支部)

条例改正に対するご意見の要旨と京都府警察の考え方(京都府警Webサイト)
東京都の拡声機による暴騒音の規制に関する条例案の上程にあたって(日弁連声明)
拡声機による暴騒音の規制に関する条例成立について(日弁連声明)

抗議・要望先

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公明党京都府議会議員団(ご意見送信フォーム)

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