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人権と尊厳

釜ヶ崎で暴動が発生中―事態の概要

釜ヶ崎 第24次暴動(2008)

 すでに多くのブロガーさんも取り上げておられますが、この6月13日、大阪の日雇い労働者の街釜ケ崎(西成・あいりん地区)で労働者による暴動が発生し、これを書いている17日現在も続いています(⇒動画)。

 数百名の労働者がサミット蔵相会談が行われている大阪のど真ん中で激しい暴動をおこしているわけで、これはどう考えても大事件なのですが、ごく一部で断片的に報道されているのみであり、これらの記事を読んでも、いったい何がおこっているのかよく理解できないと思います。そこで多くの目撃者の方々の証言などをまとめ、事件の概要を時系列を追ってまとめてみたいと思います。

事件の発端

 事件の直接の発端は、地区にある某お好み焼き屋の店員が、客である日雇い労働者に非常に差別的で見下したような言葉を投げつけ、ぞんざいな応対をしたところからはじまります。

 この労働者は自身客でもあり、何の迷惑もかけてもいないのにこのような差別的な対応を受けたことに対して店員に口頭で注意をしたところ、店員は問答無用で警察を呼びました。一方、「仲裁」にかけつけた西成警察署の刑事たちも、よく事情も聞かずにこの労働者だけを一方的に警察署に連行しました。

 店員と刑事の日雇い労働者に対する差別的な対応や決め付けという問題はあるとしても、ここまでは飲食店におけるささいなもめごとと言えなくはありません。しかしその後、労働者を西成署の3階の個室に連行した4人の刑事たちは、抗弁する労働者に対して一方的に自分に非があると認めるように迫り、なおも労働者が抗弁すると、4人が代わる代わる顔を殴ったり紐で首を締めたり足蹴りをするなどの暴行を加えました。さらに両足を持って逆さに引きずったり、顔に何かのスプレーまでかけたということです。

 それでも労働者が刑事が言う通りの供述をしないと、「認めへんのやったら生活保護も受けられんようにしたる」と脅され、とうとうこの労働者は刑事が言う通りに「二度と店には近づきません」という内容の始末書を書かされ、ようやく解放されました。

 この労働者に実際に会った方の目撃証言によれば、顔は何箇所か腫れあがっており、首にははっきりと紐のようなもので絞められた跡がまだ赤くくっきりと残っていたそうです。

 もちろん密室の中でのことですから、当人たちの証言以外に何かの証拠があるわけではありません。そこで、警察署に連行されて帰ってきたら顔が腫れあがっていたという場合に想定されることを考えてみました。

 たとえば、1)この労働者が取調べ中に自分で自分の顔を腫れあがるくらい何度も殴り、さらに紐で自分の首を絞め、かつ刑事たちはそれを何もせずに眺めていた。もしくは、2)刑事が労働者の態度に腹をたてて手を出した。くらいが考えられると思います。

 私は日頃から西成警察が日雇い労働者に対し、非常にぞんざいな態度をとっていたという経験から考えて、圧倒的に2)の蓋然性が高いと考えていますが、あなたは合理的に思考してどう思いますか?

日常的に行われていた日雇い労働者への暴行

 この事件はその日のうちに、日雇い労働者の当事者団体や支援団体にも知れ渡りました。しかしこの日はG8サミット蔵相会談の初日でもあり、ほとんどの活動家たちは(そして多くの警官たちも)G8への抗議や対抗行動に参加するために出かけていたようです。

 そのような中でも支援者が被害にあった労働者に付き添って病院につれていくと、怪我の状態を診察した病院の医師は「これはやりすぎや…」と絶句していたそうです。

 さらに当事者団体の一つ(釜合労)が事件を知らせて抗議するビラを地区内でまかれました。ところが事件のことを労働者たちに説明していると、驚いたことに「わしもやられた」「わしも同じことをされた」という人が次々と名乗りをあげはじめたのです。中には「あんた、よう名乗り出てくれた」と涙を流している労働者もいたということです。

 今まで悔しくても立場が弱くてほとんどの労働者が泣き寝入りしていた現状や、今回の事件が突発的なものではなく、日頃から西成警察が日雇い労働者には暴力的な対応していた組織的な問題であることが明らかになってきました。

 盗んでもいない自転車を「盗んだもんだろう」と言いがかりをつけられ西成署の取調室で暴行された、金をひったくられて相談に行ったら逆に道場につれていかれて投げ飛ばされた、労働者同士のもめごとを相談にいったら取調室に連れて行かれてへんなスプレーをかけられた、友人がやった事件で誤認逮捕され、ふるえがとまらないほど暴行を受けたなどの証言がよせられています。

 これは関西では有名な話なので御存知の方も多いと思いますが、西成署では日雇い労働者のことを「450」という隠語(ヨゴレという意味)で呼び、基本的に保護すべき存在ではなく、危険で蔑視すべき存在として扱ってきました。

自然発生的にはじまった西成署への抗議行動

西成署を包囲し始めた労働者

 当事者団体の方は西成署に抗議に行こうと呼びかけ、そのまま夕方から2時間ほど宣伝カーを出して西成署前での抗議行動を行われました。夜半まで混乱もなく平穏で原則的な抗議行動が行われ、その日は当事者団体の方も引き上げておられます。しかし団体や活動家の方々が引き上げられた後もその場に残った労働者の数は減るどころか徐々に増えはじめ、その数は300人以上になります。

 実はこの段階で西成署の署長なり責任ある人物が労働者の前で事件について謝罪し、内部調査を確約しておれば、大きな騒ぎになることはなかったと思います。ところが完全に労働者を見下している西成署はこれとは全く逆の対応をしてしまいます。すなわち謝罪を求めてつめよる労働者に対し、正門から若い警官が出てきて、群集の目の前で横柄な口をきいたあげくに何人かを殴ったというのです。

 この警官は新任でまだ若く、労働者との応対に慣れていなかったとのことですが、いずれにせよ、これをきっかけに労働者の怒りについに火がつき、西成署前は一気に暴動的な事態になってしまいました。それまで怒りに燃えながらも口頭で抗議していた労働者はあたりのものを投げ始め、西成署の塀の内から付近の路上一帯は投げ込まれたあらゆるものが散乱して惨憺たる有様になりました。

初期対応の失敗で機動隊が瓦解、活動家に救助される事態に

ついに放水車まで投入される事態に

 ここで府警本部は機動隊を出動させますが、先にも書いた通りに主力はG8サミット警備で出払っており、労働者の怒りをみくびった府警はここにいたってもサミット警備を優先して精鋭を動かさず、あまり訓練されていない様子のわずか30人ほどの若い隊員をかきあつめて差し向けます。しかしその程度の人数ではどうにもならず、逆に労働者側に追い散らされて西成署の裏門に我先にと逃げ出す始末。狭い裏門で機動隊が押し合いへし合いのパニック状態となり、一人の隊員がはじきだされ、門を突破しようとする群集との間に取り囲まれて揉みくちゃになりました。

 騒ぎの音を聞いてたまたま通りがかった支援の活動家がそれを見て危険と判断し、大声で「重症や!」と叫びながら割って入って機動隊員を助け出し、そのまま西成署まで送り届けたそうですが、すでにこの隊員はほとんど意識もなく、活動家が助けなければ非常に危険な状態だったということです。その後も機動隊は門の外に出ようとしますが、労働者側の投げるワンカップのビンなどが雨あられと降り注ぐ中で一歩も出られず、装甲車を門のつっかえにして防戦一方。完全に労働者側が西成署を包囲して孤立させる状況となりました。

 これ以降の経過は巻末に転載しているビラや報告などを見ていただきたいのですが、サミットで「万全の警備体制」をとっているはずの時期に足元で発生した暴動と、さらに機動隊が日雇い労働者の群集に完全に粉砕され、あろうことか普段は目の仇にして弾圧している活動家から助けられるという大失態です。

 そのため府警はできるだけ事態を小さく見せようとして必死のようです。いつもできるだけ大袈裟に発表するデモや群衆からの「被害」ですが、活動家に助け出された機動隊員も「軽症」と発表しています。しかしそばで目撃していた人の証言では、とても「軽症」には見えない危険な状態だったそうです。

 事態をできるだけ小さく見せようとする府警の思惑とはかけ離れ、労働者側は付近の自転車などを積み上げて道路を封鎖し、これに火を放つなどバリケード戦で対抗。暴動2日めからは、労働者側が機動隊を押しまくる展開に業を煮やした府警が遂に放水車を出動させて労働者に放水を浴びせはじめました。

 放水車というのはただの「水撒き」ではないのです。直撃されたらどんな大男でも数メートルは吹っ飛ぶ危険な「兵器」なのです。労働者側ではこの攻撃で骨折者が何人も出ているようですが、これほど本格的に兵器としての放水車が使われたのは、実に20年以上ぶりくらいの事態だと思います。前回の「西成暴動」でさえ使われなかったです。

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「西成暴動」の教訓をふまえて

 現在では暴動の性格が、個別の事件に対する即時的な怒りから、だんだんと今までの西成署の体質そのもの、すなわち日常的にくりかえされてきた暴行への民衆の側からの糾弾へと変化していると考えられます。

 ただ、はじまりが非常に自然発生的なもので、地区で活動している活動家にとっても全く予想もしていなかった事態なものだったこともあり、現地活動家の皆さんも現場で静かに労働者を見守りつつ「西成署への抗議」という趣旨を越えるような事態(たとえば労働者同士の喧嘩や、無関係の商店などに被害が出る)がおこらないよう、適時に仲裁に割ってはいるようなスタンスをとっておられるようです。
 今もマスコミから多くの問い合わせや取材が釜パトなどの支援・当事者団体にきているようですが、こういう活動家の人たちにとっても今回の事態は全くの寝耳に水のことだったのです。

 しかし前回の「西成暴動」を全く教訓化していない西成署の対応にくらべて、急な事態にもかかわらず、それを教訓として的確に対応しておられる現地活動家の皆さんは本当に尊敬に値します。
 前回の暴動では機動隊が西成署だけを守るためにやみくもに群集を追い散らし、そのため興奮した一部の群集が付近の商店まで襲ってしまうという否定的なこともあったのです。今回はそのような教訓もふまえ、労働者の怒りによりそって見守りながら、対話を重ねておられます。こういうことは日頃からの労働者との信頼関係がないところで「ええかっこ」だけ言ってもダメなのです。

 また、前回の暴動では多くの地区外の若者が暴動の群集にまざって警官に投石したり、花火を打ち込むなどの姿が見られましたが、今回もすでにそういう10代から二十歳そこそこの若者の姿も見られます。こういう若者に対しては、マスコミは「野次馬」と呼んで全否定し、労働者や支援の中でも否定・批判する人が多かったのは記憶にあるところです。

 しかし今回は、確かにそういう「ただ騒ぎたいだけ」ということはあるだろうが、そんな若者たちにもただ騒ぐだけではなく、何故こういう暴動が発生しているのか、釜ケ崎とは何なのか、そこに住んでいる労働者とはどういう人たちなのか、これを機会に考えてみてほしいという対話の試みがなされていると聞き、まさに脱帽しました。

ちんぷんかんぷんなマスコミの記事

 さて、それにしてもマスコミの記事です。例によってというか、特にサンケイ新聞の記事が酷い。これはまさに「警察の正当な職務執行に対して活動家が難癖をつけて労働者を扇動し、騒ぎをおこした」というような「印象」を植えつける書き方を意図的にしています。一言で言えば、労働者側に対して並々ならぬ悪意をもって書かれた文章です。

 しかもですね、よくよく何度も繰り返して読むと、はじめてそうだとは断言はされていないことに気がつきます。つまりあくまでもそれは「印象」を与えるために書かれた記事であって、書いた本人は後から追及されても「嘘は書いていない」とギリギリ言い訳できるような作りになっている。後はネトウヨ系の人が「断言」してデマを広めるんでしょう。いつものパターンです。そして自分だけは安全地帯にいる。本当にとことんまでいやらしい記事です。

 読売新聞の記事も似たようなもので、サンケイよりはマシという程度。朝日新聞の記事も労働者側の言い分を一応は両論併記的に付け足しで載せていますが、それでも西成署員による暴行事件が暴動の発端であったこと、こういう暴行が組織的な体質として日常化していたことが暴動の背景にあることを全く報道していません。そのために、いったい何がどうなっているのか、大変にわかりにくい記事になってしまっているのです。

 暴動も発生から6日目に入ります。今日も暴動が続くかどうかはわかりませが、注目をお願いします。

参考

1)野宿者ネットワークの生田さんの報告

 報道もされていますが、釜ヶ崎では西成署の刑事たちによる労働者(生活保護を受給しているということですが)への暴行に対する抗議に釜ヶ崎労働者が数百人集まり、機動隊との衝突が2日間続いています。
ぼくのホームページに写真など、報告をしています。

 釜ヶ崎の日雇労働者は、「日雇い労働」という労働形態のために常に貧困に直面し、さらに野宿、路上死、襲撃などの問題に直面していました。
 しかも、釜ヶ崎のどまん中にある西成署は、そうした労働者を支援するどころか、長年にわたって労働者を「危険な存在」「蔑視すべき存在」として扱い、暴行を繰り返してきました。(寄せ場ではよく知られた話ですが、西成署の警官は釜ヶ崎労働者のことを「450」(ヨゴレ)という隠語で呼ぶ)。

 今回、西成署に集まった労働者の多くは、自身や友人・知人が西成署に受けた暴力や差別を体で知っています。その抗議に対して、西成署は謝罪するどころか、放水、消火剤噴霧、そして再びの暴行で応じています。

 いま、釜ヶ崎には多くの若者が集まっています。報道は、若者を「野次馬」と呼びますが、90年暴動でもそうだったように、「これは自分の問題だ」と直感して駆けつけてきた若者が多いと思います。
 釜ヶ崎労働者の闘いに注目をお願いします!
 なお、現場は悲壮感というより、お祭りのような活気にみちています。

以下、西成署へ抗議を行なった、釜ヶ崎地域合同労働組合・釜ヶ崎炊き出しの会
の13日のビラを引用します。

2)釜ヶ崎炊き出しの会などのビラ

 6月12日午後2時ごろ、鶴見橋商店街のお好み焼き屋に行った労働者は「4時に来るからお好み焼きを焼いておいて」と女性店員に700円を渡しました。店員が「わかった、わかった」とつっけんどんに言うので「なんでそんな言い方されるのか」と内心カチンときましたが黙って立ち去りました。

 4時ごろお好み焼きを受け取りに行ったとき、さきほどの態度に納得いかず苦情を言ったところ、店員は「営業妨害だ」と言つて警察に電話しました。労働者はパトカーが来るまでの間も、また到着したパトカーの署員にいきさつを話すときも、お好み焼き屋の道路向かいに立っていました。労働者はパトカーの署員にいきさつを話しましたが、そのまま西成警察に連れて行かれました。

 どうでも言い話ですが、店員は労働者に700円を返しましたが、注文のお好み焼きを作っていたかどうかもわかりません。お好み焼き屋は労働者の話をまともに聞く気がなく、ぞんざいな態度をとったのです。お好み焼き屋に問題があります。

 パトカーに乗せられた労働者は西成警察署の3階の個室に連れて行かれました。イスに座っていたら4人の刑事に変わるがわる顔を殴られ、紐で首を絞められ足蹴にされ、気が遠くなるとスプレーをかがされ、気がつくとまた暴行。挙句の果ては両足持たれて逆さ吊りにされました。1人の人を寄ってたかって暴行したのです。暴力飯場、しのぎ(路上強盗)もひどいけど、西成警察はそれよりもつとひどい。
 また、労働者は刑事から「生活保護打ち切ったろうか。『今後そのお好み焼き屋には近づかない』と始末書書いたら打ち切らん」と言われ、始末書を書かされています。

 昨日、西成警察署前に多くの労働者が結集して「暴力警官は謝罪せよ」「署長は出てきて謝れ」と抗議しました。抗議行動は9時間行われ、負傷した労働者は救急車を呼んで病院へと向かいました。さらなる西成警察署の暴力弾圧に負けず、労働者の団結で最後まで闘いぬきましよう。

 なお、抗議行動で不当に逮捕された人については弁護士の接見等救援の体勢を早急に取ります。

2008年6月14日
釜ヶ崎地域合同労働組合・釜ヶ崎炊き出しの会 いながきひろし事務所

3)釜ヶ崎地域合同労働組合の訴え

 「銀座通りで放水車による放水の直撃を受け右目がつぶれ見えなくなった」と負傷した本人から連絡があった。2週間の絶対安静でその後手術が行われる予定。見えるようになるかどうかは今のところわからないと医者が言っている、とのこと。

 見ていた人は分かったと思うが、あんな高圧で放水されると自転車はおろか人間も吹っ飛ぶ。それほどの威力がある。オモチャの水鉄砲とは訳がちがう。人間に向けて発射するなんて大阪府警は西成署と同じくらい日雇労働者を差別している。許されないことです。6月14日土曜日午後10時半ごろの出来事です。目撃者がおられましたらぜひ連絡して下さい。
 組合は社民党府会議員の小沢福子さんに、大阪府警が人に向かって放水しないよう申し入れることを依頼しました。

 また、14日に機動隊に逮捕された人の知人から連絡が入り「氏名、生年月日がわかるので弁護士接見をしてもらいたい」ということでしたので大阪弁護士会の刑事担当弁護士に接見を依頼したところ、その直後に釈放されたことがわかりました。

 西成警察署に逮捕されている人の接見や、西成署で暴行を受けた人が大阪弁護士会に人権救済を求める準備も弁護士と進めています。
 差別されない釜ヶ崎をめざし、これからも共に力をあわせてやっていきましょう。

2008年6月17日

釜ヶ崎地域合同労働組合
釜ヶ崎炊き出しの会
いながきひろし事務所
大阪市西成区萩之茶屋2‐5‐23
釜ヶ崎解放会館

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  • 90年の大暴動では放水車は出動しています。
    訂正願います。訂正したら削除願います。
    HPは適当です悪しからず。

  • 防長っ子さん>
    ご指摘ありがとうございます。放水車そのものは私も(ニュース映像で)出動・待機しているのを見た記憶がありましたが、実際に人間に向かって使用されたとは知りませんでした。機動隊が放水車やガス銃を「持って」出動した例は近年でもあると思いますが、実際に「使用」された場合は重傷者や死者が出る可能性もあり、それでもかまわないという前提に立つわけですから、全く意味が異なってくると思います。

    ただ、いかに公安警察・機動隊の皆さんとはいえ、素手の民衆暴動に対して武器を使用したというような重大な嫌疑を「事実」として掲載してしまうわけですから、そこは少し慎重に確認してから訂正したいと思います。今回の放水車の使用でも肋骨の骨折や右目損傷による手術(失明の可能性もある)などの被害が報告されています。にもかかわらず、警察は「労働者側のケガ人は一名」と発表し、マスコミもそれをそのまま垂れ流しています。

    これは決して防長っ子さんを疑っているというわけではなくて、放水車やガス銃を人間に向けて発射するということが、これだけ重大な結果をもたらすものであり、私たちはそれを重く認識すべきであるということです。駐禁の切符をきるくらいのお手軽さで市民を逮捕し、普通の人の生活や人生をメチャメチャにしている公安警察に抗議するに対して、私たちも彼ら公安警察と同じレベルに堕ちてはならない、それなりの慎重さをもって彼らを批判する必要があると思っているということです。ご理解ください。

    (追記)
    釜ヶ崎に行って、当時を記憶する方々に直接に確かめました。それによると「放水車は出動したが使用はされなかった」とのことでした。