忘れるな、これが戦争だ…「正義の戦争」などない。
戦争とは、人間が人間に、犯され、切り刻まれ、焼かれることだ。
人が、人を、犯すことだ。人が、人を、切り刻むことだ。
人が、人を、焼き殺すことなのだ。
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1943年、かつて勇ましく出征していった久蔵(大西信満)が戦地で負傷し、四肢を失い、顔面が焼けただれた無残な姿で帰還する。首に勲章を下げられ、「軍神」と村中から祭り上げられる久蔵の耳は何も訊かず、口は言葉を失い、 妻を殴ったその手も、蹴り上げたその足も、戦地で失い、 ただひたすら、シゲ子が口に運んでやる粥を旺盛な食欲で食べる毎日。
シゲ子は夫の排せつの世話をし、盛んな性欲をも満たしてやる。出征前、子どもを産まない自分を罵った夫の記憶を胸に抱きながらも、シゲ子は「軍神の妻」として、久蔵に尽し続ける。敗戦が色濃くなっていく中、男の脳裏にフラッシュバックしてきたのは、かつて、大陸で犯した女たちの悲鳴、刺し殺した女たちのうつろな目。女たちを焼き尽くす炎。そして1945年8月15日。男に女に、敗戦の日が訪れた ……。
太平洋戦争に出征し、四肢を失って故郷へ戻った帰還兵とその妻に待ち受けていた壮絶な日々を通して、戦争とは何なのか、「正義のための戦争が、どこにあるのか」という問いを投げかけてくる。体の自由もなく、意志の疎通さえままならない夫のあらゆる欲望に応えるだけの日々を送るシゲ子を体当たりで熱演し、寺島しのぶは第60回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した。
(公式サイトより)
第60回ベルリン国際映画祭が20日(現地時間)に閉幕、若松孝二監督が戦争の本質を描いた衝撃作『キャタピラー』に主演した寺島しのぶが、最優秀女優賞にあたる銀熊賞を受賞した。日本人女優の受賞は1964年に『にっぽん昆虫記』(今村昌平監督)と『彼女と彼』(羽仁進監督)の2作で受賞した左幸子、75年の『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)の田中絹代以来の35年ぶり、3人目の快挙となった。
(ムビコレNEWSより)
昨日、新潟市の発表にあったように、この度、若松孝二監督に、安吾賞が贈られる。
これは生前から決まっていた事で(若松監督は2012年10月に死去)、9月に受賞の知らせを聞いた監督が、「文学的でない僕に、安吾賞って不思議だなあ。でも、堕落論だろ。戦後のあの時代に、あんな事言って世の中をあっと驚かせた安吾さんの賞を、もらえるなんて、嬉しいね」
と子どもみたいな笑顔を浮かべていたのを思い出す。
戦後、それまでの価値観が崩壊した中で、理性と理屈で良いと考えてた諸々から全て崩れ落ちて、そこから出発だ、と考えた坂口安吾。
方や、もとヤクザ、拘置所に半年、といった前歴を持ち「時間は守る」「掃除をする」「ご飯を残さない」「うどんをよそう時は小皿を鍋の縁より下に」……などなど挙げたらキリがないほど、小さな一つ一つを大切に誠実にやることを重んじて、地道な積み重ねを続けて来た若松孝二。
逆といえば逆だし、何か通じるといえば通じるのだ。
いずれにしても、監督は、「素直に嬉しいよ。安吾賞受賞のお祝いと僕の喜寿祝い、一緒にやろうか。いや、まずは家でモツパーテーするか」等々楽しい事をあれこれ考えて、心弾ませていた。
その楽しい瞬間を思い出し、監督は、どこまでもシンプルで、それ以上でもそれ以下でもないところを実にそのままさらけ出していたなあ、と思い返し、だからこそ、監督の背中を見つめ続けていた井浦新がさらに満島真之介が、ああして、多摩映画祭でも監督の事を、嬉しそうに、大切そうに、話をするのだろうと改めて思うのである。
安吾賞の都内での発表式は12月20日。
監督と関わりも深く、新作『千年の愉楽』でも礼如役として若松組の要の存在感を発揮した佐野史郎が登壇する。
(『若松孝二公式ブログ 最新作速報』より)