いよいよ日本でもこの日が近い……のか?
1973年6月21日フランス、それまでさんざんに労働者のストライキや左派勢力への武装襲撃の限りを尽くし、労働者市民を血祭りに上げてきたゴロツキのファシスト団体、オルドル・ヌーヴォーが、恥ずかしげもなくパリのど真ん中で堂々と「党大会」を開催しようとしたことに対し、ついに覚悟を決めたフランス共産主義者同盟(LC)はヘルメットで武装してその会場に向かった。
LCの部隊がゴロツキどもを守る警官隊と大規模な反撃戦を繰り広げて会場に肉迫し、それに呼応した5人一組の労働者たちが市内でファシスト集会に参加しようとするゴロツキどもを摘発した。
当局はLCがファシストの非道に反撃したことに驚愕して組織解散を命じるが、さすがにこの解散命令に対しては、それまでLCを「トロツキスト挑発者」と非難し敵対してきたフランス共産党や社会党までもが一致して抗議を行う(このへんが日本共産党などとは一味違う)。共産党の古参幹部のジャック・デュクロは「共産党の名において(解散命令に)抗議する」と演説して喝采を浴びた。
だがこの弾圧でLCはやむなく解散。メンバーは即座に革命的共産主義者戦線(FCR)を新規結成する。その後、1974年12月に革命的共産主義者同盟(LCR)に改組、市民運動を支援してラルザック基地拡張阻止闘争(建設を中止に追い込んで勝利する)などの地道な取り組みを重ねる中で、労働者市民からの草の根的な信頼を得ていく。
その後LCRは2009年2月に正式解散し、社共の左派グループや非党派の労働、市民運動の活動家らと共に反資本主義新党(NPA)の結成に参加、合流した。同党は現在も国政選挙では4%前後の支持を得ている。
ちなみに、このあからさまにナチスのハーケンクロイツを模した党章を掲げるゴロツキ暴力集団、オルドル・ヌーヴォーも事件後に当局の指導で解散。党名や党章を変更し、それまでの暴力襲撃やネオナチの正体を隠して再結成したものが、レイシストの親玉ルペンが率いた「フランス国民連合」の前身である。党首のルペンは今も差別的な暴言を繰り返している。まさに三つ子の魂百までもである。