菅さんが政権交代直後、民主党の喜納昌吉さんに「基地問題はどうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」などと語っていたことが喜納さんの著書『沖縄の自己決定権-地球の涙に虹がかかるまで』で暴露され、批判や議論になったのは記憶に新しいところです。
ちょっと時期を逸してしまいましたが、いわゆる「沖縄独立論」、その背景として時に語られる「沖縄別民族論」、およびそこから導かれる「沖縄への基地集中は民族差別である」という、沖縄反基地連帯運動の中で、この頃よく聞くようになった声ついて、私なりに考えてみたいと思います。
菅さんの無責任な発言は論外としても、こういう「独立論」や「別民族論」は、本土ではそれなりの現実味をもって語られることがあります。それは政治的な立場の左右を問わず、沖縄にばかり一方的な負担を強いてきたという本土の人々の自覚がそれなりにあるということでしょう。
反戦運動や市民運動の界隈で言うと、主に私のような非左翼市民の間で「独立論」や「別民族論」は比較的に同情的な言及をされる傾向があり、逆に左翼の人はおおむねこれを否定的に語るというのが相場です。別の言い方をすれば、表には出てこないが底流としてはそれなりにくすぶっているということです。
ですがこういう独立論、ましてや別民族論が、肝心の「沖縄人」の間でどれだけの支持を受けているかと言えば大変に疑問です。たとえば『沖縄タイムス』2010年6月21日の社説(エントリ巻末に転載)には、関西在住の人から沖縄県庁に電話があり、「独立しても米軍基地は持っていてください。申し訳ありませんが…」と語ったことが取り上げられています。
それを読んで思い出したのは、80年代において「北海道にソ連が攻めてくる」という政府やマスコミの宣伝を真に受けて現地の青年の縁談が破談になったというニュースです。現在においても「明日にも北朝鮮のミサイルが降ってくる」的なキャンペーンを彷彿とさせるエピソードではありますが、社説でも「その現実的な反応に驚く」としながら、実際には「県内で独立論はごく一部の主張にとどまっている」としています。
思うに保守派や安保肯定派も含めた沖縄の人々が問題にしているのは、そういう独立だの民族だのということではなく、まったく逆に「同じ国民」でありながら、なんでいつも自分たちばかりが犠牲を強いられるのか、しかもなんでそれが「どうにもならない」ことで、嫌なら「独立したほうがいい」なんて無神経なことを言われなくてはならないのか(それはまさにネトウヨの「日本から出て行け」と同じ理屈じゃないか!)そんな酷いことを言う前に、どうしてアメリカと堂々と対等な立場で交渉してくれないのか、そういう誰でも思う素朴なレベルのことではないでしょうか。
あげくに「独立しても基地は持っていろ」とはどういうことか。社説は菅さんの独立論を「投げやり」と正しく表現しつつも、首都圏上空の管制権を未だに米軍に握られている現状や、米軍基地内で環境汚染があっても立ち入り検査が認められない事例をあげつつ、「(安保50年周年の今)主権について冷静に論じられる節目にしたいものだ」と結んでいます。要するに、「軽々しく沖縄独立を説くよりも、自らの独立を考えるべきだ」という痛烈な批判になっています。
私は基本的に沖縄の問題は、きわめて実践的な現実問題として考えるべきだと思います。だって論者の頭の中が右翼だろうが左翼だろうが、在日米軍の75%が沖縄に集中し、県土面積の1割以上、沖縄本島に限ってはその2割近くが基地で占拠されている現実には1ミリの変化もないわけです。
それはまず日本における安保や基地や日米関係の問題であり、次にそれによって日本人に強いられる負担が、不当に沖縄にばかりしわ寄せされているというリアルな問題です。すなわち「沖縄問題」ではなく、私たち日本人全体の主体的な問題であり、課題であるというところから出発するべきです。
民族だの独立だのいう問題は、そこにおける政治的な立場や判断で違ってくるでしょうが、たとえば、沖縄の人々の6割とか7割くらいが独立を要求しているという事態があるならば、その「容認」も選択肢として真剣に考えなければいけなくなってくるとは思います。それを「国益」を理由に完全否定するのであれば、私たちは中国のチベット問題を非難できなくなる。
しかしそんな現実もないのに論理の最初から沖縄の人々はヤマトとは別の民族(=共通の文化や歴史を共有する共同体)であるか否かという所から話をはじめて、独立を「推奨」してみたところで意味がない。それどころか、むしろ沖縄の人々にしてみたら、菅さんの独立発言と同じく、「余計なお世話」「まず自分の足元を見ろ」と言われるだけではないでしょうか。
沖縄の基地の問題は、日本と、私たち日本人一人一人が考えて選択するべき問題です。それを民族問題にしてしまってはいけないということです。
たとえば中国のチベット問題にしても、問題の本質はチベットが別民族であるということよりも、チベット人への人権侵害、つまり自国の経済・政治体制における平均的な人民の権利が(制度的であれ実質的にであれ)認められていない、あるいはそもそも国内の人権水準が、国際標準にすら達していないという事実が出発点としてあるわけです。
問題は理念や理屈よりもそういうきわめてリアルな現状にあるのであって、そこで「独立」にせよ「高度な自治」にせよ、それはその時々の民意と現状の中で最もよい方策を考えていくべき政治問題ではありますが、それはあくまで手段であり、そこに本質があるのではありません。あくまでもチベットを含めた「中国の人権問題」として考えなくては、チベット支援の普遍的な正当性すらが失われてしまいます。
また、先の参院選における日本共産党の街頭演説を聞いた(共産党を応援している)人の感想で、「東京のド真ん中で『沖縄の米軍基地反対』を訴えていたけど、あんなことを聞いて心を動かされる人がいるとでも思っているのか」という投稿をネットで読みました。
ですが、これこそ沖縄の基地問題(=人権問題)が自分の問題であるということを無視した意見だと思います。犠牲はすべて他人に押し付けておけばいいとか、少なくとも沖縄の基地問題は「地域の問題」にすぎないという上から目線のおごりに満ち満ちた考えです。こういう人が本土の大部分であるのなら、それこそ「沖縄独立」もやむをえないと言われてしまうでしょう。
さて、そうは言いましても、こういう沖縄独立や別民族論が、本土復帰の頃から繰り返し出てきたり、それが一定の同情を集めるのは、他府県とは違う、それ相応の特殊な背景や歴史性があるからです。
沖縄問題を「実践的な現実として考えるべき」というからには、もちろんそういった背景や歴史性もその中に含まれるべきであることはもちろんです。というか、米軍基地は今後とも沖縄に押し付けておけばいいという非人道的な観点にたち、そこから沖縄独立を「日本の『国益』に反するから」という理由で否定するような自分勝手な人と比べれば、私はむしろ沖縄独立論のほうに近いとさえ言えるでしょう。
遡れば明治時代まで沖縄は琉球王国(第一、第二尚王朝)という独立国家であったことは、今では誰でも知っています。1879年、ここに警官隊160余人、熊本鎮台分遣隊400人が侵攻し、琉球王国を滅ぼして日本領土に組み入れたのが、いわゆる「琉球処分」です。
これについては「封建王朝から資本制国家への変化」という側面もあるわけで、民族よりも階級という視点を重視する左翼の間では、むしろ「一種の進歩」という公式的な考え方が強かった(たとえば日本共産党など)ようです。左翼の特性として、「封建制に対する資本主義の進歩性」という公式については、当の資本主義側のイデオローグよりはるかに高く評価する傾向がある(とりわけスターリン主義系左翼)ように思います。民族という視点が弱いせいもあるんでしょうね。
ですがそれは少々一面的な理解だったかもしれません。なぜなら、とりわけ初期においては封建制の解体よりも、むしろその維持(旧慣温存)政策がとられ、旧体制における封建支配層を解体するより抱きこむ方向をとったからです。この発想はまさしく「植民地経営」としてのそれであり、イデオロギー的な理解に陥りがちな左翼より、明治政府の役人のほうがよほどリアリストだったのかもしれませんね。その後の「他府県並み」政策の中では、沖縄は全国平均の2分の1の生産力で租税負担額だけが他府県並みになっていきます。
こういう「国内植民地」的な扱いの中で、日清戦争のときでも、かつての宗主国である清国側を応援しようとする者さえいたと、日本政府から派遣された当事の沖縄県知事(淵上房太郎)が語っているそうです。これへの対策としてとられたのが徹底した皇民化教育であり、独自の琉球文化の廃止撲滅運動であり、沖縄語の禁止へと進みます。
こういう一連の流れが、まさにその後の朝鮮・台湾などの侵略併呑で踏襲されていることに気づくと思います。琉球処分はこの「日本式植民地併呑」の最初の適用例だったのは誰でもわかりますから、確かに沖縄が植民地であったと言うための根拠は沢山あるわけです。
こうして沖縄の人々の独自性(それを「民族」と呼ぶかどうかは別として)を解体しつつ、イデオロギー的には天皇制国家に組み入れていったその果てが、本土決戦の時間稼ぎとしての沖縄戦であり、戦後の米軍による占領の継続です。
その米軍政下では、沖縄の人々の人権は「占領目的に反しない限り」(1950年指令)という、明治憲法そのままの範囲内で恩恵的に認められたにすぎず、共産党などは非合法化されていました。米軍支配時代の沖縄では、日本国憲法も合衆国憲法も適用されなかったのです。米軍の意向がすべてに優先されており、米軍にとって沖縄の人々は、ただ軍事拠点(ゲームの盤上)に住み着いている原住民にすぎなかったのです。
こういった、沖縄の人々を邪魔っけな「ゲームの盤上の住人」であるかのごとく見下す先軍主義的な態度は、現在の本土における新基地建設推進派とも共通するものです。それでも当時の沖縄の人々は、いっさいの自由や権利が法的に保障されていない中で、自分たちの人権を守るために闘った。それは今現在、私たちが目にしている沖縄の怒りを数倍するもので、まさしく米軍を圧倒し、その支配を根底から脅かすほどのものでした。
一方、その当時におけるアメリカのベトナム侵攻において、日本は重要な役割を果たしましたが、とりわけ沖縄からは連日のように爆撃機がベトナムへと飛び立っていきました。まさにベトナム侵攻は沖縄の米軍基地なしでは遂行しえませんでした。米軍が今後ともアジア各国に軍事侵攻をおこなうためには沖縄の基地は絶対に必要でした。事実、その後のイラク侵攻でも沖縄は重要な侵略拠点としての役割を果たしています。
かかる中でおこなわれた沖縄の「本土復帰」は、このままでは米軍基地が維持できなくなりかねないという、日米両政府の判断が背景としてあったと考えたほうがいいと思います。つまり、「復帰したにもかかわらず基地がある」のではなく、「基地を維持するために復帰した」と考えたほうがいい。実際、復帰で基地関係の労働者はその80%近くが解雇されたにもかかわらず、一方でそれにともなって返還された基地面積は全体の8%程度にすぎませんでした。
先日の国会前座り込みに参加した時、読谷村議員の知花昌一さんがこうおっしゃっておられました。「あの頃は私も日の丸をうちふって祖国復帰を叫んでいた」と。つまり当事の米軍占領と闘った沖縄の人々の主流的な考えは、善意に満ちた素朴な愛国心であったことがうかがわれます。
つまり、占領下における無権利状態と抑圧、およそ「国家の庇護」がどこからも期待できない状態から、「日本国憲法を擁する本土」への復帰統合と「日本国民としての権利」を要求するということですね。そうすれば人権や言論の自由も保障され、基地もだんだんと整理縮小されていくだろうし、犯罪を犯した米軍人が野放しにされることもなくなるだろうという考えです。
しかしはたして現実はそうなった(なっている)でしょうか。知花さんらの思いが実って沖縄が日本に復帰したのが1972年。やがて、それから15年後の1987年、それまで日の丸を振って運動していた知花さんは、沖縄国体で、読谷村のソフトボール会場に掲げられた日の丸を引き下ろし、焼き捨てることになります。知花さんのお名前はこの「日の丸焼尽事件」で全国的に有名になり、そしてそんな知花さんを地元読谷村の人々は村会議員に選んだのです。
つけ加えるならば、何かしら知花さんは本土では「過激な人」みたいに思われていますが、実際にお話をおうかがいしますと、しごくまっとうで当たり前のことしか言っていません。日の丸をうちふって運動していた知花さんの思いも知らず、沖縄の歴史にも無知なカタカナ「ウヨク」の妄想と現実は随分違います。「過激」というなら私のほうがよほど過激なくらいです(笑)。
また、沖縄出身の芸能人が多数活躍している現在、若い方々にはピンとこないかもしれませんが、とりわけ70年代末頃まで、本土における「沖縄人差別」というのが厳然とありました。数が少ないので目立たなかっただけです。それこそ本土の特に差別する側の人にこそ「別民族」あつかいする傾向があった。
もちろんこの時代にも独立論もありましたが、それは現在まで含めて少数派であり、「私たちは日本人だ!(なのになぜ…)」という考えが主流だったはずです。こういった経緯からむしろ沖縄の人を別民族とする考え方は「差別思想」であるとされていましたし、私も左翼時代にはそう教わった記憶があります。つまりそれだけ差別が存在しており、民族的に別系統であるという発想がその「根拠」とされていた時代があったわけです。
つけ加えるならば、基地建設推進の右派の一部(属米右翼や体制側の走狗)の方に、こういう大昔の沖縄差別を復活させようとするかのように、沖縄県民を侮蔑する記述を散見します。そういうのは思想の違いは別にして、同じ日本人としても悲しすぎるのでやめていただきたいと思います。裏切られたのは祖国にすがった沖縄の人々の愛国心なのであり、決してその逆ではないのです。沖縄の怒りは左右どちらの立場から見ても正当なのですから。
このような状況の中、沖縄返還当時の左翼は「カッコ付きの沖縄『返還』粉砕」を掲げて闘ったわけですが、独立派はもちろん、「返還」粉砕派も沖縄の主流とはならず、知花さんのように素朴な祖国復帰派が多数だったわけで、むしろそれゆえにこそ現状を見るにつけ心が痛みます。
それはともかく、こういう経緯をつらつら考えますに、なるほど「祖国復帰」への熱情がもたらした現実に幻滅し、まさしくその180度裏返しとしての「民族自決・沖縄独立」に魅力なり(実現可能性はともかくとして)何らかの現状突破口を見出したくなる人がいたとしても、その気持ちは理解できます。
少なくとも私の周辺では、今や「沖縄別民族論は差別思想である」という主張はとんと聞かなくなりました。まあ、それは沖縄人差別が緩和されてきたがゆえというプラスの側面の反映でもあるのでしょうけど。
結局、愛国的な「祖国復帰」路線では、沖縄の人々が望んだ結果は得られませんでした。それはつまるところ、「平和憲法の自由な祖国」という日本(政府)への過度な期待が現実を無視した幻想であり、日米安保体制への美化論になってしまっていたということです。
結局は沖縄の同胞よりも米軍基地の維持を優先し、それは「どうしようもない」と公言する政府に対し、別民族論や独立論はそういう「日本」への幻想や美化論からきっぱりと決別し、沖縄の現実を見据えるという意味では意義がありんだろと思います。ですがそういう「民族解放路線」では、米軍基地が存在している理由はベトナムに見られるようにアジアへの軍事侵略であり、その基盤が日本政府(安保体制)にあるという本質を後景化させてしまうとも思います。
もちろん一口に「別民族論」と言っても、そこにはいろいろな立場や考え方があります。現代における「民族差別」や「人種差別」という概念は多様化しており、そこでは必ずしも血統や国籍にかかわらず、特定の門地や地域などに基づく人間集団(アイヌ・被差別部落・在日中朝人・沖縄)への事実上の不利益な扱いはすべて民族・人種差別に含まれ、国際社会から指弾されるべき存在となっていることも私は承知しています(→「人種差別撤廃条約の講座に参加してきました」)。
そういう意味ではもちろん沖縄への基地集中は民族差別に他なりませんし、アメリカを含めた国際世論に訴える際には、現在の国際社会に通用している常識から考えて「民族差別」は意義や説得力がある主張なのだと思います。
私はそのことを否定しているのではありません。ただ沖縄の問題は、沖縄だけで解決できるものではなく、歴史的にはそれこそ戦前戦後、米軍政時代から現在、ベトナムからイラク・アフガン、そういった日米の安保体制、そこでの日本全体の矛盾が国内において集中的に顕現している問題なのだと思うのです。
要はそれを「民族問題」とか、ましてや「地域問題」として考えても解決は見えてきません。「独立」にしても、沖縄の人々が差別に耐えかね、総意としてそれを望むわけでもないのに、本土の方から独立を「推奨」するのは、自分たちの問題に対する責任放棄であり、嫌なら出て行けという「押し付け独立論」にしかなりません。菅さんの発言がまさにそうです。
長くなってしまったので最後に要旨をまとめます。
まず第一に、沖縄問題は基地による人権侵害、それに表現される抑圧-被抑圧、差別-被差別という、現実に存在しているリアルな問題なのであり、これをどう打破していくのかというきわめて実践的な問題であるということです。
そこにおいては沖縄人が別民族か否かなどという議論は本質ではなく、独立論の是非などという議論も少なくとも現在的には実践的な意味を持たないどころか、むしろ責任放棄でさえあるということです。
第二に、基地による人権侵害の解決、その撤去の闘いと言った場合、それはどうしたって日本政府、日米安保体制を問うことになります。それは別の言い方をするならば、沖縄の地域問題であるとか、地方の中央に対する抵抗一般ではなく、沖縄に犠牲を押し付けるような日本全体の問題、つまり全国的な一つの運動として闘われる以外にはないということです。
ゆえに本土日本人の私たちは、沖縄への支援や同情としてではなく、自分の問題として主体的に沖縄闘争に取り組むことが一人一人に突きつけられていると思います。こういう観点に立つことによって、沖縄は三里塚、イラク、チベット、パレスチナ、韓国、欧米などの全世界で闘われている国際反戦闘争と結びついた運動として発展していくこと、そのことで普遍性のある正義として勝利する展望も開かれると思います。
しかしそうは言っても何かしら「本土-沖縄-アジアを貫く国際反戦闘争を!」などというのはいわば沖縄の一般の人々を無視した最大限綱領主義になりかねず、むしろ本土の私たちとしては、沖縄との関係における歴史的な抑圧-被抑圧との関係を無視したものになりかねません。
とりわけ左翼運動においては、こういう最大限綱領主義的なスローガンにおいて、個別の素朴な(自然発生的な)主張や運動をなで切り的に否定し、あまつさえ敵対することが現在でもよくあります。しかしそういうものは、先進国左翼のおごりに満ち満ちた悪しき前衛主義に他なりません。
したがって第三には、こういう「正しい」方針を掲げるにせよ、具体的・現実的な運動や実践においては、沖縄の歴史的な特殊性、その抑圧された地位と、抑圧してきた自分たちの立場というものをふまえた運動でなければならないということです。
つまり、左翼的な公式から独立論を否定するにしても、こういった歴史や沖縄の実存、安保体制の一方的なしわ寄せを受けている抑圧された現状、それらを根拠としての「沖縄人意識」の形成、さらにそして何よりもそれらを生み出し容認しているのは本土の私たちであるということ、それを無視したところで何を語り、どんな理論や理屈を構築しようが、それこそ「沖縄人」の心には響かないということです。
それは左翼だけではなくして右派の人でもいっしょです。私はそうは思いませんが、もし安保や米軍基地の存在で日本に「恩恵」があると考えるのならば、自分はその「恩恵」だけを享受して、「負担」は他人に押し付けておけばいい、あまつさえその一方的な負担に抗議する沖縄の人々を、何の対案もなしにただ侮蔑したり差別する発言を見ると、いったいどういう精神構造をしているのか、頭の中をのぞいてみたくなります。
私の発想では右派の人こそ沖縄の声をもっと深刻に受け止めて考えるべきくらいだと思うのですが、まるで他人事みたいなそういうお気楽な発言ばかりが目立っているのではないでしょうか。
最後まで読んでくれてありがとうございました!
(2010.06.21 沖縄タイムス社説)
「独立しても米軍基地は持っていてください。申し訳ありませんが…」
県庁に関西在住の市民から電話が入った。中日新聞6月10日付に掲載された「再燃『沖縄独立論』の現実味」を読んで電話したらしい。
その現実的な反応に驚く。県内で独立論はごく一部の主張にとどまっている。仮に実現しても日米両政府と基地撤去を交渉するのは困難を極めるだろう。
元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は方法論としての可能性を論じながら、「米中日という大国に囲まれ、その環境で生き残るには、外交に相当なエネルギーが必要。そのコストを考えれば安易に独立論は語れない」とコメントしている。
米海兵隊基地が残るキューバのように、居ついてしまった外国軍を撤退に導く交渉は容易でない。
ここで指摘したいのは独立論の可否ではない。独立しても基地を引き受けてほしいという本土側のメンタリティーのあり様だ。
本土側には別の視点もある。菅直人首相は鳩山内閣の副総理だった昨年、喜納昌吉参院議員との面談で、「基地問題はどうにもならない」「独立したほうがいい」などと発言したという。喜納氏が近著で紹介した。
この国で安全保障の当事者はいったい誰なのだろうか。
米軍普天間問題が混迷してから、本土側から「沖縄は独立した方がいいのでは」という話を耳にする。軽々しく沖縄独立論を説くよりも、自らの独立を考えるべきだ。
50年前の1月19日に日米両政府が署名した現在の安保条約は、6月23日に批准書が交換され、発効した。
くしくも慰霊の日だ。戦没者慰霊祭に出席予定の菅首相は、基地負担の軽減に取り組む上で、「式典に参加し、(中略)長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたい」(所信表明演説)という。
「謝罪」ならまだしも「感謝」という論理のすり替えには閉口する。鳩山由紀夫前首相が普天間の移設問題で「最低でも県外」と公約した負担軽減は、菅首相によって振興策に衣替えしていくのではないか。自民党政権がそうしてきた。
安保を正面から論じることなく負担を沖縄に封印する構図は変わらない。それでいて政府は安保50年を契機に日米同盟を深化させるという。
投げやりに沖縄独立を口にする首相に米側と本気で向き合う覚悟はあるのだろうか。
民主党が昨夏の衆院選で公約した「対等な日米関係」は、普天間をめぐる対米交渉でもろくも崩れた。
「地域主権」を推進することも重要だが、安保50年の節目にいま一度「安保下の従属」を問い直すべきではないか。
首都東京上空の一部空域の管制権を米軍に握られている現状を政治は論じようとしない。基地内で環境汚染があっても現地基地司令官は行政の立ち入りをめったに認めない。文民統制は破綻(はたん)している。
主権について冷静に論じられる節目にしたいものだ。
(2010.06.10 東京新聞 中日新聞 他)
菅直人首相は普天間問題日米共同声明の見直しをためらいもなく否定した。怒りの火が燃える沖縄では今、数十年来一定の支持者を持ち続けてきた「自立・独立論」が、勢いを増す気配を見せている。「国家」とは-。「主権」とは-。日本人が目を背けてきた大きな問題が、現実感を持って目の前に現れた。
「沖縄に基地が押しつけられるのは、一億三千万の国民の利益の前に百三十九万の県民の利益が犠牲になるという数式の問題だ。変えるには沖縄が独立し、国と沖縄を一対一の対等な関係にするしかない」
沖縄県の地域政党「かりゆしクラブ」の屋良朝助代表は言葉に力を込めて語る。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の「県外・国外移設」をうたいながら、名護市辺野古への移設で米国と合意した鳩山由紀夫前首相。菅首相も前政権の方針を踏襲する考えを表明し、沖縄県民の期待は裏切られた格好だ。「民主主義国家が多数の利益を優先するのは当然で、誰が首相になろうと同じ。問題を解決するには、沖縄と日本が対等になるしかないんです」と屋良氏。
「独立論」を支持する県民の声は高まっていると屋良氏はみている。
四月に同県読谷村で開かれた普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会の会場では「独立を要求する」と書いた同クラブのビラを多くの人が受け取ったという。
琉球の独立が国連で承認されたとまことしやかに書いた「新聞号外」も配られた。沖縄県の県紙、沖縄タイムスと琉球新報をもじった「琉球タイムス紙」の発行とされ、紙面には「国連総会 琉球臨時政府 加盟承認」の大きな見出しが躍る。記事中には「普天間飛行場の移設問題も日本政府の手から離れて琉球政府が自己決定権を完全行使することが必至となった」などと書かれていた。
屋良氏は「沖縄が東アジアの軍事的安定の重要拠点なのは事実。独立した上で国連平和維持活動(PKO)の拠点などにすれば、多大な軍事費を掛けずとも平和を維持できる」とも主張。こうした提案に、事務所には「賛成だ、頑張れ」と励ます電話やメールが多数寄せられているという。
沖縄には一八七九年に明治政府が沖縄県設置(琉球処分)をするまで、独自の歴史や文化をはぐくんだ琉球王国があった。それだけに「独立論」は、沖縄社会の底流に根強く存在し続けてきた。
これまでも、戦後初期や米兵による少女暴行事件が起きた一九九五年、沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定が問題になった二〇〇七年など、沖縄と本土との距離感が問題になるたびに注目されてきた。
琉球大の林泉忠准教授が〇五~〇七年に沖縄県民二千三百人に実施したアイデンティティー(自己同一性)に関する調査では、県民の20~25%、四、五人に一人が沖縄独立を要望しているとの結果も出ている。
林准教授は「結局は県内に戻った普天間問題の決着を受け、ウチナーンチュー(琉球民族)意識を強め、日本人との距離を感じた沖縄県民も多かったと思う」と説明。「これまで県民は政府から差別されている意識が強かったが、鳩山前首相が全国県知事会で沖縄の負担軽減を呼び掛けても大阪府の橋下徹知事以外に反応はなく、日本人全体から差別されている意識を強めただろう」と話す。
だが「だからといって日本と決別して独立しようと思うかは別だ」と慎重に言葉を選ぶ。
「独立を要望する県民は常に二割はいるだろうが、ほかの多くの県民は同じ日本人として扱い、沖縄県民だけを差別しないでと切望している。今回の決着で抱いたのは決別のエネルギーではなく深い失望ではないか」
ところで、もしも将来県民が独立の道を選んだとしたら、どうなるか。
「三年で独立は可能」と主張するのは元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏だ。「沖縄の県民数は約百三十九万人。それ以下の人口の独立国家は四十以上ある。『独立論は居酒屋談議』と過小評価されがちだが、現実の国際社会では十分にありうる」
実例として挙げるのが、旧ソ連から独立したバルト三国だ。一九九一年三月に、ソ連は全土で「ソ連維持」に関する国民投票を行った。バルト諸国でも過半数が独立反対だったが、その半年後までに三国は独立。ソ連は崩壊した。
沖縄が独立国家となるには、他国の承認が必要だ。それについても、佐藤氏は「沖縄は独自の民族性と言語を持つ。かつて、琉球王国だった時代には、米国やオランダ、フランスと修好条約を結んでいた。そうした歴史的事実からしても『もともと独立国だった』という主張は国際的に通用する」と分析する。
では、どのようなプロセスが想定されるのか。旧ソ連や東欧での、国家の分離独立をつぶさに見てきた佐藤氏は「負の連鎖」と話す。
「辺野古沖への基地移転で、座り込みが起こる。その中に沖縄戦を体験した高齢者がいて、警備との衝突でけがをする。抗議活動に火が付き、当局がその対応を誤って『差別だ』『不当だ』と県民感情が爆発。知事や県議といったエリートが本気で独立を考えると、瞬く間にそうなる」
七二年の沖縄返還時に、「反復帰論」が盛り上がったことがあった。「民族の独自性が失われる」といった懸念からの主張だったが、その発想が「独立論」と結び付く可能性もある。
ただ、佐藤氏は独立には反対だ。「米国、中国、日本という大国に囲まれ、その環境で生き残るには、外交に相当なエネルギーが必要。そのコストを考えれば、安易に独立論は語れない」
それに、もし独立しても、現実問題として国土に、米軍基地と自衛隊基地を抱えることになる。「非武装中立」を選択しても安全保障をめぐり米国、日本と難しい交渉をしなければならない。
こうした実情もあり、これまで何度か「独立論」が注目されたが、盛り上がりはしなかった。だが、佐藤氏は「負の連鎖に入るかもしれない、初期的な雰囲気はある」と懸念した。
実際、普天間飛行場の移転をめぐる日米合意について、沖縄県民には「民意が聞き入れられていない」と、以前にも増して不満が強い。
同県では昨年九月、識者や経済人が中心の「沖縄道州制懇話会」が「沖縄を『特例型単独州』」として自治を強化」とする提言をまとめた。当初の道州制案では、沖縄は九州に組み込まれていたが、それに反発した。
「琉球自治州の会」の大村博・共同代表は「当初案では琉球処分の完結編。沖縄の自治を確立させれば、中国との関係が深かった琉球時代の経験を生かし、東アジアの平和外交に重要な役割を担っていける」と期待感を表明。「単独州提言」には県民の多くから賛同が集まり、沖縄独立派からも一定の共感を得た。
懇話会の座長、仲地博沖縄大教授は、そうした県民の受け止め方に「自己決定する沖縄にしたい、という意識の表れ」と解説した。
九七年に「沖縄独立の可能性をめぐる激論会」を呼び掛けた、民主党の喜納昌吉参院議員は「将来的な独立には今でも賛成」としながらも「まずは『一国二制度』で、沖縄を地方分権の先行モデルとする。国庫支出金の一括交付金化などで、より強い自治権を与えるべきだ」と主張した。
<デスクメモ> 緒形拳さん主演の映画「さよならニッポン!」が面白いらしい。台風被害にあった南の島が政府の対応の悪さに憤り、独立を宣言する。日本政府は悠長に構えていたが、やがて承認する国が増え始めて大あわて…。コメディだが、独立宣言の手順は極めてリアルだそうだ。大統領になりたい人は参考に。
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草加さんの問題提起とはずれるのですが、右の側からの沖縄論を右派ミニコミに書評として書いたことがあります。一つの意見としてお読みください。
「テンペスト」の衝撃 (中略)
これらの作品群のうち、一つの巨大な文学的達成が、池上永一が琉球王国の最後を描いた「テンペスト」である。この小説のストーリーを紹介するのは殆ど意味がない。この上下2巻の分厚い小説を手に取っていただければ、読書好きの方ならばストーリーに引き込まれ、読みきってしまうことは確実と恩われるので、とにかくご一読をお薦めする。
主人公の少女真鶴は、男性しか受けられない王国の科試を受けるために自らを宦官と名乗り、名前も孫寧温として受験、見事合格する、という設定だけで、この小説の発想の奇抜さがわかるだろう。どう考えても成長と共に女性にしか見えなくなるのではないか、と思うのだが、そういう冷静な思考を弾き飛ばしてしまうほどこの作品の物語は過剰である。
真鶴は英語からドイツ語から中国語から全て短期間で学んでしまい、四書五経をそらんじ、さらに宮廷内では見事な経済改革を打ち出し、外交面でも日本国と清国の間で見事な舵取りを行い、ペリー提督をも操り、更には西洋列強の脅威と避けがたい清国中心の中華冊封体制の崩壊を預言するなど、もはや人間業とは思えないのだが、作者は強引なまでのストーリー展開で、読者に立ち止まる隙を与えない。
歴史小説の一つの雛形を作ったのはやはり司馬遼太郎だ。彼は資料の精読と、当時の時代背景を調べた上で、主人公には少し現代風の性格付けをして読みやすくする独特の技法を編み出した。しかし、「テンペスト」で池上永一が行っているのは、そのような上品なスタイルではなく、登場人物の性格を、真鶴や彼女の周囲の「善玉」の登場人物に関しては極端なまでに現代化している。これは単に読者の共感を呼ぶための設定に留まらず、琉球王国の文化は、戦後日本が長きに渡る平和体制の中で育んできた現在の自由と爛熟の文明を、精神面では美点も欠点も含めて既に先取りしていたのだと思わせることに成功している。
また一方では、王宮の「闇」の象徴である王族神、聞得大君、いわゆる「悪」の主人公は、極端に土俗的に、時にはパロデイ的に描かれ、琉球王国の負の面を毒々しく暴く。ただし、登場人物としての存在感はこの聞得大君は主人公を遥かに凌いでおり、権力闘争に敗れて追放されても、また娼婦に身を落としても何度も甦ってくる姿は強い読後感を残す。
この両極に描かれているように、本書は、琉球の「沖縄化」以来始めて現れた「琉球文学」なのだ。これまで「沖縄」が文学のテーマとして語られるときは、常に日本との関係、つまり沖縄戦や日米安保との関連か、そうでなくとも日本に併合されて「沖縄」となった島として語られる事が普通だった。この過程に留まっている限り、「沖縄」は日本と対峙することはできない。「沖縄」以前の琉球の視点に立ち、琉球の視点から日本と沖縄自身を相対化したときに、初めて沖縄は自らの歴史を回復することが出来るのだ。
そして、本書はさりげない形でありながら、極めて政治的なテーマを滲ませている。上巻最後で、真鶴は一時失脚して八重山島に流刑される。しかし、その流刑地八重山島にて、この島は王宮では全く想像もつかない、自立した政治外交を行っていた事を知る。琉球王国は様々な島からなり、各島々の指導者は王宮に服しているように見えながら、それぞれの立場で自由に思考し行動していたのだ。
王国の秩序や制度は、各地域に有益な時は受け入れられるが、王国が衰え利用価値がなくなれば、この島々は自由に主人を変えるか、独立志向に向うだろう。この時、真鶴は自分が守ろうとしていた琉球王国を相対化する視点を流刑地から発見し、物語の後半では遥かに人間として成長した姿を見せる。最終部では琉球王国とその文化を愛しつつも、それゆえにこそ王国の滅亡すらも誇りを持って受け入れ、一人の女性として新しい時代に挑んで行くのだ。
正直、「国家は人のためにあり、国家が人の命を左右するのは幻想が強すぎて本来の目的を失っている」という登場人物の言葉は、思想としては余りに平凡で弱く、何よりも物語全体を引き受けたものとは思えない。しかし「日本は琉球を解体した以上、幸福にする義務がある、そう信じてください」という言葉には、滅び行く琉球への哀切な思いが胸を撃つ。
琉球は沖縄として併合された後、近代化されてゆく。近代化は歴史の潮流であり、琉球王国だけが外交のみで国際社会の中で生き延びるのは不可能だった。しかし、一度は近代化の過程で否定され隠された世界観でも、それが人間の本質に根差した豊かな魅力を兼ね備えているのならば、近代・現代社会の行き詰まりと閉塞感を解放するものとして甦る。「テンペスト」は「沖縄」の近代で覆われた石畳を剥ぎ取り、「琉球」の砂浜と、そこに吹き渡る風を日本本土に突きつけた文学的事件なのだ。
三浦さん>
同じく三浦さんの問題意識とはずれる(ずれまくる)感想ですが、三浦さんの文章はいつも美しいですね。それにひきかえ、今回の私のエントリは時間をあけて続きを書いたせいもあり、冗長で同じことが何度も繰り返されており、読み返して嫌になります。
三浦さんの投稿を読んでから、いっそ全面的に書き直そうかとも思いましたが、よけい酷くなりそうなので、少しだけ推敲するにとどめました。
書評の内容については、別に「右の側からの」ものと限定されるとは思えませんでした。『テンペスト』は読んだことがないけれど、たとえ左派でも受け付けないどころか、充分に興味を引かれる書評だと思います。
「この過程に留まっている限り、『沖縄』は日本と対峙することはできない」とか、「思想としては余りに平凡で弱」いという部分にも、特に違和感はありません。これが「沖縄の歴史において日本との関係(沖縄戦や安保や琉球処分)なんてどうでもいい」とか、「国家は人民の命などいかようにしてもいいのだ」と言うなら違和感ありまくりですが、そうでないことはわかりますから。
政治や運動においては、どうしても図式化してわかりやすくしてしまうのは、一定さけられないところがあると思います。ですから、私の「問題意識とずれている」とか、左右の意見の違いというよりは、そもそものステージが違うという印象を受けました。また、「ずれていない」真っ向からの右の意見をぶつけて、荒らしにならないようにというお心使いでもあると受け止めました。
チベットの時のご意見でも思いましたが、確かに私は「琉球」について、三浦さんと比べれば何も知らないに等しいですね。知らないからこそ、あまりたいしたレスもできなくて申し訳ないですが、政治的な図式だけでなく、その文化の素晴らしさ(あるいは欠点も含めて)に触れ、それを好きになることは、一面的でない立体的な理解には大切なことですね。
私の平凡で冗長なエントリに対して、それを豊富化する視点を投稿いただいたことに感謝いたします。
どうも。
なんか文字化けしているようですが、トラックバックを送りましたよ。
沖縄に次ぐ、植民地の青森から愛をこめて(愛の受け取り拒否は禁止です)
夜分遅くに失礼いたします。
打ち間違いであろうと思いますが、琉球処分は1879年であったような気がします。
なのなさん>
青森からの愛、確かに受け取りました(笑
そっかー、今ではアクターズスクールの活躍もあって沖縄差別は緩和されつつあるようにも見えるのですが、東北差別は特に変化が見られませんね。
地続きだしヤマトに組み入れられた歴史が古いですから、海洋諸島で近代まで独立国家だった沖縄とは「独自性」で差がありますよね。差別感情も沖縄のような乱高下がみられない「長期安定型」かな。蝦夷・東北には「沖縄人意識」のような独自性も感じられません。
ですがそういう中で、
> 青森を対等に扱ってくれないなら、こっちから日本人をやめてやるぞ!
> 非和解的な糾弾闘争として、「お前ら日本人は・・・」と攻撃するのはありだと思います。
というのは、なるほどなあと思いました。「独立論」にはそういう意義もあるのですね。何より差別や抑圧を受けている側が、自分たちを「かわいそうな存在」とか、単なる被害者というにとどまらず、自分たちに誇りを持つこと、人間としての誇りを忘れず、それを失わないということはとても大切ですね。
貧困や野宿労働者、日雇い労働者の運動を見ていると、そういことを強く思います。彼らを「かわいそうで助けてあげるべき存在」みたいに見下して差別したような「施し」では、何一つ解決しないんですね。まず当事者が人として、労働者としての誇りを取り戻していくことが第一歩なんです。何よりそういう誇りを運動の原動力にしている沖縄の人をとても尊敬します。
そういえば、私やなのなさんが現役で運動していた時、「階級闘争唯一主義」というか、そういうガチガチの教条主義左翼の発想を、現実を無視した「純プロ主義」として整理した上で、そういう自分たちのあり方を反省し、日雇い・季節工・出稼ぎ・在日・沖縄・集団就職などの問題を対象化しようとしていましたよね。少なくともそういう問題意識だけはあったわけだ。今となってはなつかしいですが。
jrlさん>
ありゃ、本当だ。「79」と「97」を打ち間違えていますね。
タイプミスですが気がつきませんでした。直しておきますね。
また恥かいちゃった (〃⌒ー⌒〃)∫゛ハジカシー
ご指摘ありがとうございました。
なぜ、いつもいつも、沖縄だけ特別視するんですかね?
基地があるのは、沖縄だけではない。
人口密度面で言えば、首都圏の基地の人達だって大勢我慢している。
面積では確かに沖縄は広い。が、我慢している人数で見たら、何も
沖縄だけ特別視するのに、違和感を感じざるを得ない。
厚木基地周辺だって、爆音は酷い。三沢だって同じだろう。
横田基地だって大概だ。迷惑や危険を伴っているのは沖縄だけではない。
なのに、ことさら、沖縄だけが被害者のように取り上げ、煽る。
他の基地周辺の日本人については、無視。
ものすごい偏ってないか?
そもそも、沖縄返還に伴い、米軍がいる事が条件だったのは明白だ。
米軍撤退では、沖縄は日本に返還できなかったという重い事実がある。
好き好んで日本人が、沖縄にだけ基地を押し付けたわけではない。
自分の事としてといいながら、なぜ沖縄の事ばかり言って、他の米軍基地
周辺住民には、目を向けないのか? あきらかな偏向を感じる。
ついでに言わせてもらえば、中国やソ連という国を性善説で考えるのは
辞めてもらいたい。
保守派だって、戦争がしたいわけではない。侵略されたくないだけだ。
事実、ソ連は、周辺諸国を侵略して、ソ連邦を無理やり作った。
中国もかつての朝貢国だから中国領だと言う勝手な理屈で、チベットやウィグルに侵攻した。今でも、植民地状態だ。
旧朝貢国だったという事で、ベトナムに懲罰と称して、戦争を仕掛けたのも中国だった。
尖閣諸島や南沙諸島でも中国は何かと拡張主義的態度を取っている。
シンガポールは元々マレーシアだった。が、華僑が大量に移住し、中華街を形成し、マレーシア人に馴染もうとせず、あげく、自己主張が強かったため、マレーシア人と度々衝突、マレーシア側が折れて、領土の一部を華僑に譲って、華僑中心に独立したのが、シンガポールのはじまりだった。
中国は、今でも、移民を何百万単位で排出しては、各地で、現地の人と問題を起こしている。自分のやり方を曲げず、その国の文化を無視して、中国式で押し通すからだ。
それが正しい事なんでしょうか?
アメリカ軍がいなければ、日本は間違いなく、ソ連にもっと侵攻されて、北方4島だけでは済まない事体になっていた。
その事実や現実を無視して、反戦だけ語られても、心に何も響かない。
反戦という言葉は、むしろ、人権弾圧を続ける中国に行って主張してきていただきたい。
日本で叫ぶのはお門違いだ。
いつも言ってますが、「通りすがり」などという書き逃げ丸出しの記号はやめてください。「もう二度と来ないけれども、自分勝手なことだけイタズラで書いといてやるわい(ウヒヒ)」と言われているみたいです。まだ匿名希望としていただいたほうが、当社比30%ほどはマシというものです。
そんなことはないと言うなら、こちらのレスに返答するとして、いったい「通りすがり」さんは何人いるんでしょうか?どの「通りすがり」なんでしょうか?自分の文中では「?」でこちらに問いかけておいて、いったいどういうつもりなんですかね?書き逃げなら書き逃げでいいから、いちいち質問しないこと。こちらも面倒です。いいですね、わかりましたね。
さて、いつ私が厚木・横田・岩国など、沖縄以外の基地はどうでもよくて無視していいなどと書きましたか?岩国のことを書いたら「沖縄のほうが」と言えるし、沖縄のことを書いたら「厚木のことは無視か」と言えますよね。
本当に哀れになるくらいにくだらないレトリック(詭弁・難癖)はやめておいたほうがいいです。
このエントリは「沖縄のことを書いたエントリ」なのです。それともいちいち全国の基地に一つ一つすべて言及しないと沖縄のことを書いちゃいけないとでも言うのですか?エントリ一つ書くのに本が一冊できますね。
だいたい何のために当サイトに全文検索機能をつけたと思っているのですか。
ちゃんと「米軍」とか「基地」などで検索しましたか?
それと「中国」「ソ連」「北朝鮮」「スターリン主義」などでも検索してください。
その上で「中国やソ連という国を性善説で考えている」という私の文章、および「他の基地周辺の日本人については無視してもいいんだ」と私が言っている文章を具体的に示してください(URLは一度に二つまでしか貼り付けられないので注意してください)。
単なるあなたの脳内でしか通用しないコジツケで逃げてはダメです。あなたは私がそう言っていると明確に断言したんですから、世界中の誰が見てもはっきりとそう私が書いている文章を示す責任があなたにはあります。もう6年ほど続けていますので、さがせばあるかもよ。頑張ってね。つーか、そういう私の文章を読んだからこそ、こんな投稿をいれたのだよね?それとも単に私を侮辱し、デマを撒き散らそうとしたのなら、モニターの前で土下座しながら全身全霊をこめて謝罪してください。
で、あなたは「人権弾圧を続ける中国」に対して、いったいどんな活動をしているのですか?私だってたいしたことはしてはいません。いつも何度も書いていますから、当然あなたも知っているはずですが、定期的に抗議のメールや郵便を大使館や中国政府に根気よく送付し続けているくらいです。そのことは素直に恥ずかしいと思います。
しかし、たったその程度のことしかしていない私でもね、中国や北朝鮮の人権侵害で苦しんでいる人をダシに使って、それとは全く関係ない話題のブログまで荒らして回る、そんな人の不幸を自分のイタズラのネタに使う、最低最悪のクズよりは10000倍はマシだと思っていますよ。そしてそいうクズに限って、自分では中国や北朝鮮の人々の人権のために、自分は指一本すら動かしていないんですよね。本当に中国や北朝鮮(含む朝鮮総連)と体と人生をかけて対峙している三浦さんみたいな「本物」の右翼保守派は、ちゃんと荒らしたりなんかしてないし、所属民族によってレッテルを貼ったりなんかしませんよ。
あげくに中国人や朝鮮人を差別するような言動をして、自分を中国や北朝鮮政府と同じレベルに落としておきながら、それを「闘いだ!」とか言うどうしようもないバカもいますが、こんな総じて「嫌中派」と呼ばれる連中など、北朝鮮と同じ穴のムジナの仲間であって、「人権」なんかと何の関係もありません。同じ仲間同士で喧嘩してりゃいいのです。要するに単なる荒しのネタに人の不幸を利用しているだけの人でなしです。
中ベト戦争の原因が「旧朝貢国だったから」戦争になったという、あなたのあまりにも独自すぎる歴史観には椅子から転げ落ちましたけどね。それに「北方四島だけですんで」はいませんよ。あんたの立場からして、千島列島や南樺太はどうなったんですかね。今の日本の主要政党でこの返還を掲げているのは共産党だけですけどね。
だいたい人権なんて口では言いながら、何でもかんでも人権問題ではなく「民族問題」としてしか理解できないのね。所属する民族で人を語ることそのものが、人権に反するとわかんないのかな?きっと外国人問題もその調子なんだろうね。中ベト戦争当事のことなんて知らない年代なんだろうが、そういうあなたに「新しく」感じられているあろうあなたの主張は、もう何十年も前の、軍歌流して走っている街宣右翼の主張そのまんま、全く同じだということを知ってますか?あなたは保守派じゃないですよ、「バリバリの右翼(=極右)」なんですよ。だから悪いとは言いませんが、自覚はもってくださいね。もう「人権」なんて全く投稿内容にそぐわない言葉使うのやめて、素直に「おまえのような国賊に天誅をくだしてやる!」とでも書いたらどうですか。
言っとくがね、厚木も横田も岩国も、基地で苦しんでいる日本全国の人たちは、みんな連帯してつながっているんだよ。そして今は沖縄以外の基地の人たちも、こぞって沖縄を応援している。つーか、今まで沖縄だけが、地理的な関係のせいで、基地に反対している人々の間でもおいてけぼりだったんだよ。事実はあんたの考えていることと全く逆なの。