まず最初に言っておきますが、小沢さんの「疑惑」については、おそらく法的には無罪だろうと思います。たとえ強制的に起訴されても、結果的には無罪で終わると思います。それは一般の人も含めて多くの人がなんとなく感じはじめているのではないかな。さらに民主党の代表選にあわせた一部マスコミや週刊誌の下品な小沢叩きやその尻馬にのった人々には全く辟易しました。ゆえに私はこういう部分の一派では断じてありません。その上で
民主党の代表選で、ネット上では小沢氏支持が圧倒的だとか。それは単に小沢さんの支持者に、わざわざクリックしにくる「クリック率の高い偏った人々」が多いだけのことで、そんなものを気にしたり、ましてや判断材料にするほど私は愚かではありません。実際の小沢さんに対する評価は、「マスゴミ」とやらの世論調査のほうがはるかに実態に近いんです。
と私が前のエントリの傍論で書いた部分に対して、buveryさんは
ネットにアクセスできる人は、まず郷原さんの解説を聞いているわけですし、政治資金報告書の問題点を知っています。小沢一郎が完全公開の記者会見を開いていることを知っていますし、その録画も民主党本部から全部みることができます。また、大阪高検の元検事で検察庁の裏金問題を暴露しようとして逮捕、服役した三井環さんの話も知っているでしょう。平野貞夫さんの論説も知っているでしょう。上杉隆の官房機密費の調査のことも知っているでしょう。そういう知識を持っているひとと、全く知らない人の評価が分かれるのは当然ではないかと思います。
と提起されています。まず第一に、buveryさんは「ネット外」の一般大衆が「情報弱者」だとでも観念しておられるようです。第二に、自分が知っていたり読んだりして納得したものは他の人が読んでも納得するかのように思い込んでおられます。第三に、小沢さんの不人気は、マスコミや検察リークによる資金疑惑からくるものだけだと思っておられるようです。私は小沢さんの「大衆的不人気」はそれだけが理由ではないと思っていますし、buveryさんの論理には納得できないものを感じてしまいます。
まず第一の点について、「ネットにアクセスできる人」がbuveryさんが列挙されたようなことを全部知っている(アクセスしている)とは到底思えません。「ネットとリアル」を二分して、そこには違う人がいるとか、違う世界が広がっているかのように、対立的に考えると間違います。そうではなくて、「buveryさんが列挙されたような事柄に重きを置くような種類の人」が、小沢支持のクリック画面に出かけていると考えたほうが自然だと思います。
ネットであろうがリアルであろうが、そこにいる人は同じ人です。「ネットにアクセスできる人」の大半も、buveryさんが列挙されたような画面を見ていないでしょう。政治ニュースについて、マスコミ情報だけですませるような人(つまり大部分の普通の人)は、ネット上でもマスコミ情報しか見ません。また、第二の点についても、そういう普通の人たちに、buveryさんが列挙されたような画面を無理にでも見せたところで、そんなに大きく事態(小沢さんへの印象)が変わるとも思えません。
最後に、小沢さんの人気がないのは、はたして西松建設事件からはじまるスキャンダルだけでしょうか?一連の「政治と金」について、法的に無罪であることがすべて証明されれば、それで小沢さんに期待が集まるんでしょうか?私はそうは思いません。「政治と金」は、小沢的なるものを象徴的にあらわすキーワードにすぎないと思います。
今回の代表選で、小沢さんは記憶にある限り初めてと言えるほど表にたち、自分の口と自分の言葉で自分が目指すものを直接大衆に訴えました。それは非常に新鮮で面白かった。私も「小沢さんもそんなに滅茶苦茶な人でもないか?」と一瞬見直しました。確かに少しずつですが、代表選の期間中に、小沢さんへの期待や人気も高まったとは思います。でもそこまでです。常日頃からこういう態度をとって自分の理想を訴えていたら、随分と状況は変わっていたのではないですか。突然にとってつけたようにやっても間に合わなかったのです。「消費税をあげて企業を優遇しろ」と叫ぶ自民党の尻馬に乗せられて、唐突に増税を打ち出して自滅した菅さんにも似ています。今まで黙っていて急にしゃべりだしても説得されないんですよね。
だいたいがですね、今どこにいるやらわからないとか、連絡もとれないとか、首相や党の代表も会うことができない、何を考えているのかさっぱりわからない、それなのに「実力者」で「豪腕」で、自分は表に出ないで裏から事態をコントロールすることを好む。いったい裏で何をしているのかわからない。「敵」と割り切った人とは大胆な妥協も(戦術や策略として)行いますが、「味方」の人格を尊重しつつ、粘り強く誠意をもって説得することを嫌う。子分や懐刀みたいな人はいるけれども、本当の意味で対等な、切磋琢磨しあう「同志」がいない。あるいは、人心掌握術として、人事と金の流れを押さえようとする。信賞必罰というか、手向かうものにはその「人事と金」で押さえつけて報復も辞さない。だから小沢さんに何か思うところがあっても、自由にものが言えない。だからだんだんと党内の風通しが非常に悪くなっていく。
もうはっきり言って、小沢的な政治手法には、みんな辟易しているのではないでしょうか。そういう何を考えているのかわからない。何かを語ってもそのまんまお人よしに受け取ることができない。そういうところに「政治と金」のスキャンダルが出ると、「やっぱりね」くらいにしか思ってもらえないんですよ。政治なんてそんな権謀術策だとか、最後は金と数と力だというリアリズムもあるでしょうし、それをすべて否定するものではありません。ですが「マスゴミ」に責任を押し付けて(確かに酷すぎる下品なものが多かったけれど)、不人気の責任は小沢さん本人には何もない、改める必要などまったくないとは思えません。その原因や責任は「マスゴミの陰謀」だけではないと思います。
代表選中の小沢さんはわかりやすくて非常によかったと思います。でもどうせ、代表選が終わったら、また元に戻ると思われている。今後、菅さんに言いたいこと、やってほしいことがあるのなら、堂々とみんなに見える所で正面から言えばいいのです。もし「一兵卒でも首相を支える」という本人の言葉に本当に嘘がないのであれば、私は代表代行のオファーはぜひ受けるべきだったと思います。その上で御意見番になればいいし、得意分野で汗をかけばいい。そうしておれば、今回の尖閣諸島問題でも、田原総一朗さんが言うように「小沢特使」で存在感を示すという目だってあったと思う。
それを「実権がないから」断る、しかもそれが(ここが一番の問題なのだが)本人は表にでないで「周辺議員」からマスコミに流れるという時点で、「あーあ、せっかく見直しかけたのに、やっぱりこの人は何も変わってないんだな」と思いました。断るなら断るで自分でその理由を大衆的に説明すればいいわけであって、本当にイライラします。「今度は本当におとなしくする」と語っているとか、またもや間接的に伝わっていますが、そういう言説を流すこと自体が「また『死んだふり』をして何か企んでいるに違いない」という目でしか見られない。支持者が語る「小沢さんの考え」にしたところが、小沢さんの発言などをつなぎあわせてその真意を解釈するものが多いという印象です。そこには当然にその文章を書いた人のバイアスがかかっているわけで、小沢さんがその通りに行動してくれるとは限らない。これじゃまるでマルクスやレーニンの言葉を引用した昔の左翼の文献みたいと言ったら言い過ぎかな(笑)。
こういう自分の真意を説明しない「闇のドン」みたいな政治家に自分の生活を託する人は(私も含めて)今の時代もはや少ないのではないでしょうか。そりゃ特別な関心のない一般の人はいきなり聞かれたら「政治と金の問題とかぁ……」みたいな曖昧な感想になるでしょうが、案外そういう皮膚感覚みたいなものは間違ってもいないと思います。もし小沢さんにちゃんとした支持があれば、「マスゴミ」の下品な悪乗り記事も書けなかったですし、こんな曖昧で無罪が確実な「政治と金」の問題なんて吹き飛んでいたでしょう。まさにネット上の小沢支持者の間でそうだったみたいにね。それを人のせいにばかりしていたら、間違うと思います。
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政治は、昔のやくだの世界と同じで筋論であります。
筋論とは、自分の主張を公けし、正義とし、正義の名のもとで、自分の主張を再度補強します。
この正義は、理不尽で構いません、これがこの世界の掟です。
菅には正義があるのか、公の前で、鳩山の走り去る車に、頭を下げ、宜しくお願いしますと言って公の前で約束をした、翌日、公の前で反故にしました。
鳩山と一緒に、公の前で反故、会見もせず、しかも一人で反故会見するときに、自分の行為は、正しい行為で有ると言うおまけまでつけて、釈明までする行為は、まるで、外国と不利な交渉して決まった事を、反故にしているのと同じ事では無いか?
我が国の首相が、なんと言う事を公の前で話をするのかと目を疑いました。
他国の要人がこの行為を見れば、こんな人間と取引が出来ない、日本国の首相は、約束しても平気で反故にする、信用出来ない人間と思うのが普通ではないか。
小沢の言動と行動とを比べれは、この筋論が良く分かるはずです。
これはではまるで、政治能力の無い、政治屋 ( 月給泥棒 ) 、が首相になった事を証明しただけではないか。
これが、マスコミが言う、クリーンなイメージの菅首相の本性です。
政治家と政治屋の区別が出来ない無知なのがマスコミで、マスコミの正義では日本国は滅びます。
政治は、昔のやくだの世界と同じで、筋論でなくては、正義が行えません。
一度口に出した言葉は、どんな事が起ころうと、変える事が出来ませんし、変えてはなりません、それが指導者なのです。
新聞、テレビは、自分たちの正義を正当化するために、政治家と政治屋の区別が出来なくなる、正しい事者を、悪にする、愚かさも、あるのです。
nagaokaさん>
私の書いたエントリーの内容にはまったくふれず、nagaokaさん独自の観点からする小沢一郎擁護論を展開しておられますので、まあ、基本的には「あなたはそう思いますか。私とはちょっと違いますね」という以上にはレスしにくいご意見だと思います。
その上で、一読した感想だけを簡単に申し上げます。
まず、政治(政治家)の持つべき資質なりイメージなりを、60~70年代に引き戻そうとされているように感じました。すなわち、保守政治家の大物たちが、妖怪だの化け物だの呼ばれていて、普通の国民とはまったく違う人種であり、丁々発止の密約や権謀術数が渦巻いていたあの頃です。文字とおり「昔のやくだの世界と同じ筋論」で政治が動いていました。
私はそういう政治が終焉して、保守政治家までが、まるで革新政党みたいに、「あなたと同じ生活者です」みたいな顔をしはじめたのは、それはそれなりの時代の流れというか、理由があったと思います。もう選挙の時には適当にバラ色なことを言っておいて、裏ではマスコミには言えないようなドロドロ「やくだの世界」を駆使しながら国を引っ張っていくような時代ではないと思います。そういう人は受け入れられない。
nagaokaさんがおっしゃるような政治が日本社会で受け入れられたのは、「高度成長期+冷戦構造」という特殊な事情があったからで、なおかつそれは民主主義の未成熟を示すものだったと思います。今は自分の理想、それを実現するための方策、そして公人としての日常やその人間性、そういうものを正面から自分の口で語り、明らかにして、その上で判断を仰いでいく時代に移行しつつあると思います。小沢さんはそれをやっていないんですよ。
これを「ワイドショー政治」という歪(いびつ)な形で口火を切ったのは小泉さんですが、基本、この流れは元には戻らないと思います。そういう歴史的な流れを押さえた上で考えないといけないんじゃないかなあと思います。危惧するとすれば「衆愚政治」に陥ったりファシズムが台頭することですね。ですが、昔の「やくだの世界」に戻すのではなく、このままうまく大衆民主主義の発展につなげていくという方向で考えるべきだと思います。「妖怪」の世界と「ワイドショー政治」は同じ衆愚政治の裏表にすぎないと思いますよ。
後半部分は「菅はぶれるが、小沢はぶれない」ということを展開しているおられるわけですが、この部分は「はあ、それで?」という感じです。あくまでも一般論としてですが、「どんな事が起ころうと、変える事が出来ません」とまでは思いません。問題はその中身であって、修正するにしても何のために何を修正して何を守りぬくのかということになろうかと思います。総じて「菅はダメだ」というのはわかりましたし、「小沢叩きがトレンディ」とばかりに反小沢ではしゃいでいた「新聞、テレビは……愚か」なのもそうかなとは思いますが、だからと言って「小沢でなくては」とはちょっと思えませんでした。
ごめんください。
TBをつけそこなったので、「『小沢一郎待望論』の研究」というエントリーのURLを貼りに来ました。
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10636152988.html
小沢一郎の「“大連立”への加担」は、一度言いだしたこと、ではないのか、なんて野次を飛ばす気はないのですが、小沢に期待する心理は研究に値すると思っています。
私は「小沢ファン」とは言えないけれども、民主党に加わって後の
彼の政治主張の変遷?については、目を向ける必要があろうだろうと
感じてきました。
(正直、「この人、左傾化してるじゃないか」と感じた(笑))
過去の言動から出た染みつくようなその人間のイメージを無視する必要
はない。それもひとつの重要な判断材料だと思います。
けれど、政治家が選挙民に向かってする今現在の主張そのものに、
そういうフィルターをかけるべきではない、と思います。
小沢氏の強引・傲慢な政治手法そのものは、むしろ「多くの左翼が唱えた
やり方」、いわば多数の左翼組織では「前提化」していたのではなかった
でしょうか。
今、その人(小沢氏)が何を言い、何を訴えるのか。
まずはそれを冷めた目で見る必要がある。
草加さんの論は、いつもと違って?まるで
「犯罪者はいずれそのうち再犯する」といった論と、結果的には
似通ったところがあるように感じました。
クチで主張するのは簡単で、言ってもやらなければ意味が無いのですが、
あらゆる言と動の関係がそうなのであって、それを言っても仕方ない。
まずは政治家が選挙民に向かってする政策、約束、その中身を吟味せず
しては始まらないと思う。
その後、セカンドステップで、言ったことが本当に実行可能かどうか、
可能だとして、その人たちが実際にやるのか否かを判ずるべきだと思います。
もちろん草加さんは上で言うセカンドステップとして、小沢氏を値踏みした
のでしょうし、今現在の、傲慢?な政治手法を評価してのことだろうとは
思うのですが、私のように、現在の選挙システムを政治参加の最良の方法だ
と信じている者にとっては、いささか消化不良の意見に感じました。
かつての小沢氏をあそこまで(私が見たところでは)変身させた原因は
どこにあるのか・・・いや、そもそも変わっていなかったのか。
そういうところにメスが入って、わかりやすく論じてくれる方が見つからな
くて、ずっと残念に感じていました。
もっとも、
この間の、小沢氏の「問題」は、私には、彼が政権をとるかどうかといった
結果よりも、
むしろ、
マスコミの問題の方がはるかに大きいと思います。
「左翼」や一部の「嫌われ犯罪者」などが真実を伴わないで、不当に
叩かれるのは、昔からあったことですので、左翼やそのシンパは、
それほど驚きはしませんでしょう。
でも、これまでのターゲットや手法とは全く違ったやり方での
「小沢の殺し方」は
正直、
左右の飛び跳ね者が言う「マスコミの劣化」を、疑うべくもなく感じたし、
多くの(本当に多くの)人々が、その詳細を知れば知るほど、
自分と同様に感じるのではないか・・・と思います。
この民主政権誕生の少し前から始まった小沢タタキと、以後の一連の流れに
「何か異質のものを感じる」という感性を、自分は捨てきれない。
小沢×反小沢、自民×民主、左派×右派の対立を超えて、
ボクはこの「異質感」、
共有すべきではないか…と思います。
A.伊助 さん>
エントリの中では、小沢さんの主張内容については吟味してませんよね。基本は「本当に小沢さんに何も反省する点はなかったのか」ということです。
で、それとは別に、はっきり言って「反省することなど何もない!」とする人々の各種の「陰謀論(マスゴミとかアメリカの)」やら「小沢さんは本当はこう考えているのだ」という勝手な憶測や断定とかをあんまり読まされすぎて、「小沢叩き」と同時にそちらにも辟易しています。これらはネット限定で、それはもう「小沢信者」と呼ばれても仕方ない。かつては左派と見分けのつかなかった、反自民・民主支持の保守層が、左派とはっきり分離してきたと思っています。で、左派の一部がそちらにシフトすることに活路を見出そうとしている感じです。
かつて小沢さんは、自衛隊の海外派兵を強力な政治力で実現した人です。小沢さんなしで、日本が軍隊を外国に派兵することはできませんでした。そして小沢さんは左派に転向したのではなく、彼は現在にいたるまで少しもぶれていません。それは小沢さん独自の政治哲学に基づくものでしょう。基本は「日米(安保)関係を対等な関係にあらため、国家として自立する」ということであり、そう考える潮流は保守層の中にも常に存在し続けてきたのではないでしょうか。なのにそれを自民党主流の属米政治家どもがアメリカの忠実な子分として、自分が実現した「海外派兵」をもて遊び、自分が目指したものとは似ても似つかぬ無原則なものにした・・・そんなとこではないでしょうか。
「在日米軍は第七艦隊だけで充分」という発言は、日本の自衛隊のちょうちん持ち評論家たちには「とんでもない!」ということになるようですが、アメリカでは「それはその通りだ」と受け止める軍事専門家が多いと聞きました。別に「軍縮」ではなくて、きわめて合理的な発言だったということです。「なんで日本にこんなに基地を置く必要があるのか」という議会筋からの疑問や批判に、アメリカ政府は「思いやり予算がもらえるから、日本や沖縄においておいたほうが安くつく」という説明をしているとか・・・。まったく小沢さんでなくても「いい加減にしようぜ」と誰しもが思うでしょう。そんなアメリカからの政治・軍事的な自立方針が、一見左派と合致しそうに見えますが、必ずしもそうではないのでは?
「日本の自立」とそのための「アジアへのシフト」くらいは容認または部分的に一致できても、自立して何を目指すのかという点で、かなり(つか天と地ほども)左派との違いがでてくるかもしれません。自民党の属米政治にかわって小沢さんが提唱する「国連中心主義」という新しい枠組み(歯止め)は、旧態依然とした自民党の政治よりも、一気に「9条と自衛隊のバランス」によってなりたってきた戦後日本の軍事態勢を、劇的にぶち壊して変化させるものかもしれません。
それが左派にとって「自民党よりマシ」なものかどうかは、よく考えてみる必要があると思います。
なお、「マスゴミの小沢叩き」については、中国や北朝鮮をネタにして、差別や軍拡の正当化をはかる言説と似たものという扱いでいいと思います。そういう汚い言説と闘うことと、中国や北朝鮮を批難してこれと闘うことは、全く別物であって両立が可能であるし、むしろ両方と闘わなくてはなりません。つまり批判の内容が大切だということです。
トラックバックを送ると文字化けしてしまいました。
長くなるので、コメントではなく、
http://d.hatena.ne.jp/buvery/20101015
の方に返事を書いておきました。
buveryさん>
申し訳ありません。私も詳しいことはわからないのですが、このブログは時代遅れ(らしい)EUC-JPという文字コードを採用しているのが理由のようです。受信したトラバは手動で復旧できるのでまだいいのですが、送信した先でこちらが送ったトラバが文字化けしていたりすると、本当に申し訳なく思います。
何とかしたいのですが、文字コードをサイト丸ごと変更するのは、過去の資産の関係でかなり面倒みたいなんで、なかなか踏み切れずにいます。
とりあえず、送信していただいたトラバが文字化けしている時でも、こちらで復旧させることは可能ですので、そのまま放置しておいていただければ直しておきますよ。
文字化けの件、気になさらないで結構です。
私が書いたことは、私の日本語用のブログの方が、リンクが生きていて読みやすいと思います。
小沢さんの主張は至極まっとうなものだとは思いますが、それ(主張)だけでは一般には受け入れられないんじゃないでしょうか?
草加さんのおっしゃるような『小沢的な政治手法』というのは『悪代官』を彷彿とさせるものですし、これに『献金問題』が絡まれば、どう考えても『時代劇の悪役』にしかなりませんね。
それで『正義の味方』を演じても、ちょっとねぇ・・・理解はできても、心情的に納得できないんじゃないですか?
(ただ、一般の人が政治家に求める清廉さというものも、ちょっと潔癖に過ぎる気もします。)
それに、我が強すぎて周りと協調しないというのも、日本人の気質には合わないように思います。
自分の考えに絶対の自信を持っているからなのでしょうが、それで自民党を辞めるハメになったし、その後のグダグダも我を通そうとしてのことでしょうし・・・
せめて自分の意見を周りに理解してもらうための努力をしていれば、だいぶ状況は違ったように思います。
そういったことも政治家の仕事の一つでしょうに・・・実にもったいない。
また、自分の意見を通す手法というのが力(カネ・人事)というのも合わないんでしょうね。そこが『豪腕』とか言われる所以なのでしょうけど。
それと、ネットの中だけだと思いたいのですが、たまに『プーチン元大統領』の政治手法を賛美する書き込みを見かけることがあります。
大抵の場合、その独裁的な手法を評価しているのですが、日本の政治の世界がグダグダになっている今、そういう意見が出てくるのも不思議じゃないのかもしれませんね。
(おそロシア的な政治なぞ、個人的には御免蒙りたいですが。)
私個人の見解としては、小沢さんは現在の民主党(というか日本の政治)には絶対に必要な人物であるというのは間違いないでしょう。
(いなければ間違いなく更にグダグダになる。いるからアレで済んでいる。)
ただし、その政治手法を考えると、小沢さん自身が変わらなければ、現状では裏方に徹するしか無いと思います。
裏方のほうが目立つというのもどうかと思いますが、それだけ他の政治家が情けないのでしょう。
だから『小沢待望論』というのも、ある程度は仕方が無いのかもしれません。
あと、マスコミの話が出てましたが、腐っているというのは事実なんでしょうけど、そのスポンサーのほうが問題のような気がします。
大企業の外人株主の割合は酷いことになっているらしいですね。連中、利益に貪欲ですし・・・利益を出すために中国に進出して中国寄りにならざるを得ない場合もあるでしょう。
それと、外人株主の大半は欧米人であると聞いています。だから欧米寄りの場合も多いのでしょう。
(「いったいどこの国の企業なのか?」と言いたいところですが。)
そういえば、以前『B層』がどうとかいって馬鹿にしている類の報道があったように思います。
主張とか人格とか金銭問題とか、ごく一面だけを切り出した情報だけで右往左往するからマスコミに『B層』なんて言われるんじゃないでしょうか?
ネット上の『小沢人気』というのは、それに近いものがあるような気がします。
もちろん、(小沢さんの)全てを知っている上で全面的に支持する方もいるでしょうし。それを否定するつもりもありません。人それぞれでしょうから。
たけさん、お久しぶりです。(39)から(40)になられたのですね!
ようこそ、こちら側の世界へ!これからの10年、30代の頃には思ってもみなかったことが次々とおこりますよ(笑。
なんだか左派(っぽい)仲間内よりも、右派のたけさんとのほうが、この問題ではだいたい意見が重なってしまうのが、なんとも変な気持ちです。
小沢さんの言っていることは(「保守政治家としては」という前提をつければ)しごくまっとうだと私も思います。ただ、テレビで某評論家が言うには「説明しなければわからん奴には、説明してもわからん」というのが小沢さんの持論であるとか。
まあ、この評論家の言うことが本当か嘘かわかりませんが、もし本当にそれが小沢さんの持論なら、そりゃ子分しか残らんというか、周りの人間は子分になるか敵になるかしかないわなと思いました。そして敵とは闘う。闘って潰す。逆に子分の面倒はちゃんとみる。そういう生き方が、時には小沢さんの長所というかパワーとなってきたんだろうけど、今はそれが弱点となって効いているんでしょう。敵とは戦わず子分の面倒もみない、そんか仲良しクラブの民主党の風土の中では、確かに小沢さんは特異な文化を持ち込んだのでしょう。
強いリーダーの待望論みたいなものは、現状を見る限りでは、そういう声が出ても仕方ないですね。歴史の授業で習った「政党政治の終焉」や「ファシズムの台頭」みたいな現象がいつ再現してもおかしくないかもとか、そこまで今の日本人は愚かでもないだろうとか、いろいろ考えてしまいます。
そう思うと小泉さんって、政治家(パフォーマー)としては、本当にすごい人だったんだなと思います。小泉さんも実は冷酷で強引な人なのにね。小沢さんの暗さと小泉さんの明るさは、まさに好対照でしょうか。たとえるならば、まったく同じ「主家殺し」をやっているのに、悪役にされがちな家康と、ほとんど不問にされている秀吉みたいです。
関係ないかもしれませんが、尖閣の船長だって、小泉さんなら逮捕したその日のうちに、曖昧なまま送還して終わらせたでしょうね。きっと中国もそう思っていたでしょうが、「粛々と」起訴やら処罰する態度を見せてしまうと、それは尖閣に対する日本の統治行為(司法権・警察権の行使)になってしまうから、中国としては国内世論向けにも引くことができない立場に追い込まれてしまった。きっと中国は民主党のお子様な対応に驚愕したと思う。
日本の領土だという立場をとっているのだから、あとは「粛々と」やればいいなんて考えていたであろう前原さんの考えの浅さは、靖国参拝で国内向けにはナショナリストを演じつつ、決定的な対立になることを上手に避けた小泉さんの足元にもおよばない。まあ、その分、関係改善の宿題を後の人に押し付け、小泉さんが美味しいとこ取りでうまく逃げたあと、安倍さんがそのせいでグダグダになってしまうわけですが。